[ 掲示板に戻る ]

過去ログ閲覧モード

出エジプト記16章 / 沙耶香 引用

今日は出エジプト記16章を読みます。

3節に
イスラエル人は彼らに言った。「エジプトの地で、肉なべのそばに座り、パンを満ち足りるまで食べていたときに、私たちは主の手にかかって死んでいたらよかったのに。事実、あなたがたは、私たちをこの荒野に連れ出して、この全集団を飢え死にさせようとしているのです。」
とあるが、これはどういう意味だろうか?

4節の
主はモーセに仰せられた。「見よ。わたしはあなたがたのために、パンが天から降るようにする。民は外に出て、毎日、一日分を集めなければならない。これは、彼らが私のおしえに従って歩むかどうかを、試みる為である。
が印象に残りました。

5節に
6日目に、彼らが持って来たものをととのえる場合、日ごとに集める分の2倍とする。」
とあるが、これはどういう意味だろうか?6日目に整えたら日ごとに集める分の2倍???ちょっと合わないことないかな?うーん???

19節に
モーセは彼らに言った。「だれも、それを、朝まで残しておいてはいけません。」
とあり続く20節に
彼らはモーセの言うことを聞かず、ある者は朝まで、それを残しておいた。すると、それに虫がわき、悪臭を放った。そこでモーセは彼らに向かって怒った。
とあるのと対照的に23節に
モーセは彼らに言った。「主の語られたことは、こうです。「あすは全き休みの日、主の聖なる安息である。あなたがたは、焼きたいものは焼き、煮たいものは煮よ。残ったものは、すべて朝まで保存するため、取っておけ。」」
とあります。続く24節に
それで彼らはモーセの命じたとおりに、それを朝まで取っておいたが、それは臭くもならず、うじもわかなかった。
というところが印象に残りました。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒25章9―13節を読みます。
天におられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると11節が気になるのでこれをもう何度か読みます。
悪いことをしていないのに、冤罪に問われるケースは後をたちません。本当にこの世の中すさんでいます。早く、イエス様が再臨して欲しいものですね・・・

No.3047 2007/09/22(Sat) 12:25:15

再出エジプト記16章 / 沙耶香 引用

今日は出エジプト記16章をもう一度読みます。

6節に
それでモーセとアロンは、すべてのイスラエル人に言った。「夕方には、あなたがたは、主がエジプトの地からあなたがたを連れ出されたことを知り、
とあり、続く7節に
朝には、主の栄光を見る。主に対するあなたがたのつぶやきを主が聞かれたのです。あなたがたが、この私たちにつぶやくとは、いったいわたしたちはなんなのだろう。」
とありますが、これはどういう意味だろうか?どのような栄光を見るんだろうか?

10節に
アロンがイスラエル人の全会衆に告げた時、彼らは荒野のほうに振り向いた。見よ。主の栄光が雲の中に現れた。
とあるが、これはどういうことだろうか?雲の中にどういう栄光を表したのだろうか?

27節の
それなのに、民の中のある者は7日目に集めに出た。しかし、何も見つからなかった。
が印象に残りました。

・・・癒しに通じる読み方・・・・
今日は使徒25章14―18節を読みます。
天におられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、18節が気になるのでこれをもう何度か読みます。
犯罪についての訴えは何一つ申し立てなくても、被告になるのですね・・・本当に怖いです。この世の中怖い。

No.3048 2007/09/22(Sat) 21:04:04

Re: 出エジプト記16章 / 大垣 引用

イスラエルの民はエジプトで奴隷とされ、苦しめられていましたが、肉やパンは満ち足りるまで食べていました。主が素晴らしいわざでイスラエルの民をエジプトから解放されて、15章ではとても喜んで主を賛美しました。主は、カナンの地を彼らに与えることが約束されていました。しかし、カナンの地に入る前に、イスラエルの民は荒野を長い間旅するという、とても厳しい試練を受けました。試練を受けると、エジプトを出て一ヶ月で、16章で、イスラエルの民は主の約束も、主の不思議なわざに示された力も忘れ、エジプトの生活のほうが良かったと不満を言い出しました。あるキリスト者は、信仰を持つ前に、海を分けられるような奇跡を見たすぐ後に、このように信仰が薄くなって不満を言うことは、ありえないと思ったそうです。ところが、自分も主の素晴らしいわざを見せていただいて信仰をいただき、最初はとても喜んでいたのに、試練があるとすぐに信仰が薄くなってしまったので、イスラエルの民の気持ちがよく分かったそうです。

3節、イスラエルの民が荒野を旅する試練にあって、エジプトを出て一ヶ月しかたたないのに、主への信仰が薄くなって、エジプトで奴隷でいて、食事を満ち足りるまで食べていたときのほうが良かったという不満を持っています。さすがに主に直接に不満を言わず、モーセとアロンに対し、彼らは荒野でイスラエルの民を飢え死にさせようとしているのだ、と不満を言っています。しかし、8節のように、主に聞き従っているモーセとアロンに不満を言うことは、主に不満を言うことと同じでした。

5節、イスラエルの暦では、1日は日没から始まるそうです。そして、一週間は、僕たちの使っている太陽暦でいうと、土曜日の日没から始まります。イスラエル人の安息日は、週の終わりの一日で、太陽暦なら金曜日の日没から土曜日の日没までです。主が世界を造られたときに、7日目には休まれたので、安息日にはイスラエル人は仕事をしないで休むことを主が望まれました。それで、一週間の6日目の朝には、マナは安息日の分まで与えられました。安息日には、マナを集める仕事を休むことができるように、主がそのようにされました。

6-7節と8節は、へブル語の詩のように同じような意味のことを繰り返しています。8節にあるように、夕方には肉が与えられ、朝にはパンが与えられます。6節の「夕方には、あたなたがたは、主がエジプトの地からあたながたを連れ出されたことを知り」は、肉が与えれることで、モーセとアロンが人間の力で連れ出したのでないことを知ります。7節の「朝には、主の栄光を見る。」とは、パンが与えられることです。沙耶香さんがヨハネ6章で読まれたように、イエスはいのちのパンですから、このときのパンと関連が深いです。13節以降を読むと、肉はうずらによって与えられ、パンはマナであることが分かります。

10節での主の栄光がどのようなものか、書いていないので分かりませんが、僕は雲の中に強い光があるというイメージを持ちます。

No.3051 2007/09/24(Mon) 01:40:55

Re: 出エジプト記16章 / 沙耶香 引用

>>あるキリスト者は、信仰を持つ前に、海を分けられるような奇跡を見たすぐ後に、このように信仰が薄くなって不満を言うことは、ありえないと思ったそうです。ところが、自分も主の素晴らしいわざを見せていただいて信仰をいただき、最初はとても喜んでいたのに、試練があるとすぐに信仰が薄くなってしまったので、イスラエルの民の気持ちがよく分かったそうです。

うん、その気持ちよく分かります。イエス様がよく働いてくださって素晴らしい御技を見せられると、主を賛美できますが、試練とか困難とかにあうと、信仰が薄くなるというのはよく分かります。でも困難なときもイエス様がともにいてくださるので・・・

No.3054 2007/09/24(Mon) 09:13:05
出エジプト記17章 / 沙耶香 引用

今日は出エジプト記17章を読みます。

6節の
さあ、わたしはあそこのホレブの岩の上で、貴方の前に立とう。貴方がその岩を打つと、岩から水が出る。民はそれを飲もう。」そこでモーセはイスラエルの長老たちの目の前で、そのとおりにした。
が印象に残りました。

11節の
モーセが手をあげているときは、イスラエルが優勢になり、手を下ろしているときは、アマレクが優勢になった。
が印象に残りました。

13節に
ヨシュアは、アマレクとその民を剣の刃で打ち破った。
はどういう意味だろうか?アマレクとその民に戦いで勝利したという意味だろうか?

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒25章19―23節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると19節が気になるので、これをもう何度か読みます。
うん、イエス様は生きておられるのです。

No.3049 2007/09/23(Sun) 06:57:35

再出エジプト記17章 / 沙耶香 引用

今日はもう一度出エジプト記17章を読みます。

5節に
主はモーセに仰せられた。「民の前を通り、イスラエルの長老達を幾人か連れ、あなたがナイルを打ったあの杖を手に取って出て行け。
とあるが、これはどういうことだろうか?

7節に
それで、彼はその所をマサ、またはメリバと名づけた。それは、イスラエル人が争ったからであり、また彼らが、「主は私たちの中におられるのか、おられないのか。」と言って、主を試みたからである。
とあるが、主を試みるということをしてはいけないですね。主は絶対の存在。

14節に
主はモーセに仰せられた。「このことを記録として、書き物に書き記し、ヨシュアに読んで聞かせよ。わたしはアマレクの記憶を天の下から完全に消し去ってしまう。」
とあるが、これはどういう意味だろうか?うーん、今一情景つかめない。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒25章24―27節を読みます。
天におられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると27節が気になるので、これをもう何度か読みます。
うん、やはり囚人を送るにはそれなりに理由がいりますよね?

No.3050 2007/09/23(Sun) 19:40:11

Re: 出エジプト記17章 / 大垣 引用

5節は7章20節でモーセがナイルを打った杖を手にとっモーセを石打にして殺そうとしている民の前に大胆に出て行き、ホレブの岩の前に行きなさい、というような意味のことを主がモーセに言われました。

13節は、沙耶香さんの取られた意味だと思います。

14節は、へブル人の公的記録に関する聖書にある最初の記述として重要だと思います。9^16節のように記録して、戦ったヨシュアに読み聞かせるように主がモーセに言われました。アマレクの記憶を天から消し去るとは、アマレクの子孫が消え去るように主がされる、という意味だと思います。以前に書きましたが、旧約聖書では子孫を残すことが主の祝福としてとても重視されます。新約では変わっているように思います、

No.3052 2007/09/24(Mon) 06:28:25

Re: 出エジプト記17章 / 沙耶香 引用

うーん、いろいろと難しいですね・・・

No.3053 2007/09/24(Mon) 08:39:48
出エジプト記15章 / 沙耶香 引用

今日は出エジプト記15章を読みます。

2節の
主は、私の力であり、褒め歌である。
主は、私の救いとなられた。
この方こそ、わが神。
私はこの方を褒め称える。
私の父の神。
この方を私はあがめる。
が印象に残りました。

6節に
主よ。あなたの右の手は力に輝く。
主よ。貴方の右の手は敵を打ち砕く。
とあるが、右の手というのは何かあるんだろうか?よく子なるイエス様は父なる神様の右の座におられるというがそれと関連があるんだろうか?

7節に
あなたは大いなる威力によって、
あなたに立ち向かう者どもを打ち破られる。
あなたが燃える怒りを発せられると、
それは彼らを刈り株のように焼き尽くす。
とあるが、これはどういう意味だろうか?

8節に
あなたの鼻の息で、水は積み上げられ、
流れはせきのように、まっすぐ立ち、
大いなる水は海の真ん中で固まった。
とあるが、これはどういう意味だろうか?貴方の鼻の息で、水が積み上げられる???意味不明だ。何かの比喩的表現だろうか?

12節に
貴方が右の手を伸ばされると、
地は彼らをのみこんだ。
とありますが、これはどういう意味だろうか?

13節に
貴方が購われたこの民を、
あなたは恵をもって導き、
御力をもって、聖なる御住まいに伴われた。
とありますが、これはどういう意味だろうか?聖なる御住まい??

14節に
国々の民は聞いて震え、
もだえがペリシテの住民を捕えた。
とありますが、これはどういう意味だろうか?もだえ??もだえという人物だろうか?

16節に
恐れとおののきが彼らを襲い、
あなたの偉大な御腕により、
彼らが石のように黙りますように。
主よ。貴方の民が通り過ぎるまで。
貴方が買い取られたこの民が通り過ぎるまで。
とありますが、あなたの民が通り過ぎるまでってどこを通り過ぎるまでなのだろうか?

18節の
主はとこしえまでも統べ治められる。」
が印象に残りました。

26節の
そして、仰せられた。「もし、あなたがあなたの神、主の声に確かに聞き従い、主が正しいと見られることを行い、またその命令に耳を傾け、そのおきてをことごとく守るなら、わたしはエジプトに下したような病気を何一つあなたの上に下さない。わたしは主、あなたを癒すものである。」
が印象に残りました。特に最後の私は主、あなたをいやすものである。が印象に残りました。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒24章26、27節、25章1−3節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると27,3節が気になるので、これをもう何度か読みます。
いろいろと裏取引というか、悪巧みがあるみたいですね・・・

No.3043 2007/09/21(Fri) 12:21:07

再出エジプト記15章 / 沙耶香 引用

今日はもう一度出エジプト記15章を読みます。

3節に
主はいくさびと。
その御名は主。
とあるが、これはどういう意味だろうか?いくさび??

21節に
ミリヤムは人々に答えて歌った。
「主に向かって歌え。
主は輝かしくも勝利を収められ、
馬と乗り手とを海の中に投げ込まれた。」
とあるが、これは馬と乗り手が海の中に飲み込まれたという意味だろうか?

25節の
モーセは主に叫んだ。すると、主は彼に一本の木を示されたので、モーセはそれを水に投げ入れた。すると水は甘くなった。
その所で主は彼に、おきてと定めを授け、その所で彼を試みられた。
が印象に残りました。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒25章4―8節を読みます。
天におられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると8節が気になるので、これをもう何度か読みます。
パウロもいろいろ苦労されましたね。

No.3044 2007/09/21(Fri) 21:58:43

Re: 出エジプト記15章 / 大垣 引用

1−18節は「モーセの歌」と呼ばれる賛美歌です。以前に読まれた詩篇を読むように、比喩やイメージや繰り返しがが多いことに注意して、読んでみてください。

3節の「主はいくさびと」は、14章14節のように、主が神の民のために敵と戦われることを書いています。

6節は、沙耶香さんが考えられたように、神の右の手ということと、イエスが右の座についておられことは深い関係があると僕は思います。「右」は力を表していて、父なる神の権威によって、実際にわざを行う、という霊的な意味があると思います。

7節の刈り株が焼き尽くされるイメージは、すでに切り倒された木の刈り株が、さらに火をつけられて焼き尽くされるという感じを受けます。すでに9つの災害と初子を打たれて切り倒されているエジプトが、さらに軍隊を海で失う、ということを詩的にイメージで表現していると思います。

8節は、14章21節のできごとを詩的に表現しています。

12節は、6節のように、主が力強く神の民の敵を打ち破られることを、「地は彼らをのみこんだ」と表現していると思います。

13節は、モーセの歌の中心的な思想をまとめていて、とても重要です。主は、イスラエルの民を購われ、恵みを持って導かれました。25章ー31章で聖なる御住まいとして幕屋のための規定を与えられ、35章ー40章で、幕屋を建設するようにされて、そこで礼拝するようにされます。このことは、キリスト者個人がイエスの十字架によって購われ、イエスの恵みを持って導かれ、霊とまことによって神を礼拝するることと、対応しています。僕はイスラエルの歴史から、キリスト者個人も学ぶことが多いと信じるので、こういうイスラエルの国と信仰者個人の対応に注意して読むようにしています。


14節の「もだえがペリシテの住民を捕らえた」とは、カナンの地にいるペリシテの住民が、主のエジプトでの不思議なわざのことを聞いて、不安になってもだえるほどになった、というような意味です。

16節、「通り過ぎるまで」は、モーセの時には、荒野を通り過ぎて、約束の地のカナンに入るまで、という意味が強かったと思います。霊的には、神の民が寄留地であるこの世を通り過ぎて天国に入るまで、という意味があると思います。

21節は、沙耶香さんの書かれたとおりのことを、主が行われたということを強調して表現していると思います。

No.3045 2007/09/21(Fri) 23:01:41

Re: 出エジプト記15章 / 沙耶香 引用

>>3節の「主はいくさびと」は、14章14節のように、主が神の民のために敵と戦われることを書いています。

あっ、主はいくさ・びとということか???いくさび・とって取っていたので・・・

>>7節の刈り株が焼き尽くされるイメージは、すでに切り倒された木の刈り株が、さらに火をつけられて焼き尽くされるという感じを受けます。すでに9つの災害と初子を打たれて切り倒されているエジプトが、さらに軍隊を海で失う、ということを詩的にイメージで表現していると思います。

うーん??難しいですね・・・難解!!

14章21節・・・
そのとき、モーセが手を海の上に差し伸ばすと、主は一晩中強い東風で海を退かせ、海を陸地とされた。それで水は分かれた。
・・・これを指摘に表現しているのが15章8節・・・うーん、何だか難しいですね・・・

>>13節は、モーセの歌の中心的な思想をまとめていて、とても重要です。主は、イスラエルの民を購われ、恵みを持って導かれました。25章ー31章で聖なる御住まいとして幕屋のための規定を与えられ、35章ー40章で、幕屋を建設するようにされて、そこで礼拝するようにされます。このことは、キリスト者個人がイエスの十字架によって購われ、イエスの恵みを持って導かれ、霊とまことによって神を礼拝するることと、対応しています。僕はイスラエルの歴史から、キリスト者個人も学ぶことが多いと信じるので、こういうイスラエルの国と信仰者個人の対応に注意して読むようにしています。

うーん、何だかいろいろ広がりがあって難しいですね・・・

>>14節の「もだえがペリシテの住民を捕らえた」とは、カナンの地にいるペリシテの住民が、主のエジプトでの不思議なわざのことを聞いて、不安になってもだえるほどになった、というような意味です。

笑・・・もだえという人物だと思ってしまったいたことを考えると笑える・・・

No.3046 2007/09/22(Sat) 10:44:53
出エジプト記14章 / 沙耶香 引用

今日は出エジプト記14章を読みます。

3節に
パロはイスラエル人について、「彼らはあの地で迷っている。荒野は彼らを閉じ込めてしまった。」と言うであろう。
とありますが、荒野は彼らを閉じ込めてしまったというのはどういう意味だろうか?

13節に
それでモーセは民に言った。「恐れてはいけない。しっかり立って、きょう、あなたがたのために行われる主の救いをみなさい。あなたがたは、きょう見るエジプト人をもはや永久に見ることはできない。
とありますが、なぜ、きょう見るエジプト人を永久に見ることができないのか?不思議だ。

21節の
そのとき、モーセが手を海の上に差し伸ばすと、主は一晩中強い東風で海を退かせ、海を陸地とされた。それで水は分かれた。
が印象に残りました。これは何度聞いてもやはり素晴らしい御業ですね・・・

27節の
モーセが手を海の上に差し伸べたとき、夜明け前に、海がもとの状態に戻った。エジプト人は水が迫って来るので逃げたが、主はエジプト人を海の真ん中に投げ込まれた。
が印象に残りました。先の21節に続いて素晴らしい御業ですね・・・

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒24章16―20節を読みます。
天におられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、20節が気になるので、これをもう何度か読みます。
神様不正を嫌います。

No.3034 2007/09/20(Thu) 11:16:56

Re: 出エジプト記14章 / 大垣 引用

2節で、主はイスラエル人たちに引き返して、海辺に宿営するように言われました。その様子を見たパロが、イスラエル人たちが荒野で道に迷って海辺に宿営したと思い、後ろが海なのでエジプト軍が攻めていけば、逃げ道がない、と思うように、主がされました。荒野で迷って、海のために逃げ道がない状態を、「荒野は彼らを閉じ込めてしまった」と表現したようです。

13節は、27-28節で、追いかけてきたエジプト人たちが海に沈んで死んでしまうので、もう彼らを見ることがないことをモーセが預言しました。

当時のイスラエルでは、海や川の水は悪や死と深い関係があるものと考えられていたそうです。それで26-27節の海を分けることには、主が悪をも御心のままに支配する圧倒的な力を持っておられることを霊的に表わしています。聖書を読み進んでいくと、主が川の水を分けられる重要な場面が2回出てきますが、同じようなれ意的な意味があると思います。

No.3035 2007/09/20(Thu) 13:09:32

再出エジプト記14章 / 沙耶香 引用

今日はもう一度出エジプト記14章を読みます。

>>13節は、27-28節で、追いかけてきたエジプト人たちが海に沈んで死んでしまうので、もう彼らを見ることがないことをモーセが預言しました。

うーん、何だか難しいですね・・理解不能です。

4節の
わたしはパロの心をかたくなにし、彼が彼らの後を追えば、パロとその全軍勢を通してわたしは栄光を現し、エジプトはわたしが主であることを知るようになる。」そこでイスラエル人はそのとおりにした。
が印象に残りました。

8節に
主がエジプトの王パロの心をかたくなにされたので、パロはイスラエル人を追跡した。しかしイスラエル人は臆することなく出て行った。
とあるが、これはどういう意味だろうか?今一ピンと来ない。

17節の
見よ。わたしは、エジプト人の心をかたくなにする。彼らがそのあとからはいってくると、わたしはパロとその全軍勢、戦車と騎兵を通して、わたしの栄光を現そう。
が印象に残りました。

22節の
そこで、イスラエル人は海の真ん中のかわいた地を、進んで行った。水は彼らのために右と左で壁となった。
が印象に残りました。

28節に
水は元に戻り、あとを追って海にはいったパロの全軍勢の戦車と騎兵をおおった。残されたものは一人もいなかった。
とあるが、これは一人残らず海に飲み込まれ死亡したということかな?

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒24章21―25節を読みます。
天におられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、24節が気になるのでこれをもう何度か読みます。
キリスト・イエスを信じる信仰・・・素晴らしいですよね。。。

No.3036 2007/09/20(Thu) 20:45:58

Re: 出エジプト記14章 / 大垣 引用

8節で、エジプト軍が追跡してきたのでイスラエルの民にとって恐ろしいことですが、勇気を持って2節で主が言われたように海辺に向かっていったということだと思います。

28節、沙耶香さんの書かれたように、海にはいったパロの軍勢は一人のこらず死にました。

No.3038 2007/09/21(Fri) 02:41:43

Re: 出エジプト記14章 / 沙耶香 引用

>>8節で、エジプト軍が追跡してきたのでイスラエルの民にとって恐ろしいことですが、勇気を持って2節で主が言われたように海辺に向かっていったということだと思います。

2節
「イスラエル人に、引き返すように言え。そしてミグドルと海の間にあるピ・ハヒロテに面したバアル・ツェフォンの手前で宿営せよ。あなたがたは、それに向かって海辺に宿営しなければならない。

うーん???何だか難しいですね・・・

No.3042 2007/09/21(Fri) 08:52:46
参加したい / ボビ エコ ハリヤント 引用

今日はインドネシアの日本人です。
このサイトにはコミュニティーとして、参加したい。

No.3037 2007/09/21(Fri) 01:13:59

Re: 参加したい / 大垣 引用

ボビ エコ ハリヤントさん、はじめまして。ここは、どのようにして見つけられましたか。

No.3039 2007/09/21(Fri) 03:15:08
ヨハネ19章 / 大垣 引用

ヨハネ19章。1-16 節、ピラトの裁判のつづき。」8節、一神教のユダヤ人たちには自分を「神の子」とすることは、神に対する冒涜と感じられたのに対し、多神教のローマ人のピラトは、自分を「神の子」とする人は、ローマの神々のような力を持った人かもしれないと感じられたのだろう。それで、ピラトはますます恐れたのだと思う。ここはピラトは政治的反逆を感じて恐れたという意見の方々もおられるらしい。

12節、ユダヤ人たちは、ピラトが恐れている、カイザルに疑われることを言って、ピラトを脅した。これは他の福音書にはない部分だと思います。ヨハネではピラトの裁判の部分が長く、ローマの役割が強調されていることと、ここでのユダヤ人たちの役割の描写で、異邦人とユダヤ人の受難での役割のバランスがとれていると思います。

17-37節、十字架。 26-27節は、他の福音書にはない部分で、イエスが十字架の上の大きな苦しみの中でも、母の生活のことを愛する弟子にたくされた。イエスの十字架によって僕たちの罪が赦されて、初めて本当の無条件の聖い愛で僕たちはつながることができることを思います。最近の学者の中にはここの「愛する弟子」は使徒ヨハネではない、と主張する方もおられるようですが、ヨハネが他の人については名前をあげることが多いことなどから、僕はヨハネだと信じます。

28節。この時点で、イエスが何らかの意味ですべての人の罪の罰を代わりに受けられる贖罪が何らかの意味で完了したのだと思います。 例えば、僕たち罪人の受けるべき霊的ないのちの源であられる父なる神から分断される霊的な死という罰を経験された、ということが考えられます。さらに、詩篇69:21にある、ダビデが経験したことを、キリストも経験されるという意味で聖書が成就するように、「わたしは渇く。」と言われたと思います。

38−42節、埋葬。ユダヤ人を恐れて自分たちがイエスを信じていることを隠していたアリアマタのヨセフとニコデモが、イエスが十字架で亡くなったときに、恐れに支配されずに昼にイエスのところに来て、イエスを埋葬した勇気が印象的。

No.3040 2007/09/21(Fri) 05:19:15
出エジプト記11章、12章20節 / 沙耶香 引用

今日は出エジプト記11章、12章20節までを読みます。

2節に
さあ、民に語って聞かせよ。男は隣の男から、女は隣の女から銀の飾りや金の飾りを求めるように。」
とありますが、これはどういう意味だろうか?

5節に
エジプトの国の初子は王座に着くパロの初子から、ひき臼のうしろにいる女奴隷の初子、それに家畜の初子に至るまで、みな死ぬ。
とあるが、これはなぜだろうか?初子はなぜ死ぬのだろうか?

12章2節に
「この月をあなたがたの月の始まりとし、これをあなたがたの年の最初の月とせよ。
とありますが、この月っていつのことだろうか?

8節に
その夜、その御苦を食べる。すなわち、それを火に焼いて、種を入れないパンと苦菜を添えて食べなければならない。
とあるが、種を入れないパンとは何だろうか?

11節に
あなたがたは、このようにしてそれを食べなければならない。腰の帯を引き締め、足に、くつをはき、手に杖を持ち、急いで食べなさい。これは主への過越しのいけにえである。
とありますが、何でこういう風にして食べないといけないのだろうか?うーん???

13節に
あなたがたのいる家々の血は、あなたがたのためにしるしとなる。わたしはその血を見て、あなたがたの所を通り越そう。わたしがエジプトの地を打つとき、あなたがたには滅びの災いは起こらない。
とあるが、これはどういう意味だろうか?

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒23章21―25節を読みます。
天におられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると21節が気になるので、これをもう何度か読みます。
パウロは相当に怒りを買っていたんですね・・・

No.3005 2007/09/17(Mon) 12:21:39

Re: 出エジプト記11章、12章20節 / 大垣 引用

2節は、3章21−22節で、主はイスラエル人たちがエジプトを出ていくとき、主はエジプト人たちがイスラエル人に好意を持つようにされること、そして、イスラエル人に金や銀のプレゼントをするようにされることを言われました。これらの金や銀は、後で荒野で主を礼拝するための幕屋を作るときに役にたつようにされるのが主のご計画だったと思います。

このように、主は、信仰を持たない人々の働いて得たものを、信仰者に与えて、主の栄光のための良いことに用いられることがあります。

5節は、霊的には、エジプトで奴隷であったイスラエルの民が、エジプトの初子の死によって、購われ、解放された、という意味があります。罪の奴隷であった僕たち信仰者が、神のひとり子の死によって購われ、解放されたことの型となっています。

この世的には、主が大切な初子が死ぬようにされることによって、エジプト人たちは主の力を恐れるようになり、イスラエル人たちを解放しました。

12章2節。イスラエルは月の満ち欠けによる太陰暦を使っていました。日本で使っている太陽暦とは、月が少しずれます。イスラエルには宗教暦と民事暦があります。2つの暦で1年の始まる月が違います。おそらく、もともとカナンには、民事暦があり、カナンでは秋に種まきをするので、1年の初めの月は、9月ごろになってたようです。今でも、ユダヤ人たちは、この民事暦によって9月ごろに新年のお祝いをします。今年は9月12日に新年が始まりました。イスラエルの宗教暦が始まったのは、出エジプトのときだと思います。主は、一年の初めの月を、太陽暦の3−4月ごろのアビブの月と定められました。これは、後にニサンの月と呼ばれるようになります。イエスが十字架につけられたのは、このニサンの月の、出エジプトを記念する過越の祭りのときでした。民事暦の一年の初めの月は、宗教暦の第7月になります。

8節の種をいれないパンは、イースト菌をいれないので、ふくらんでいないパンです。クラッカーのような感じのパンで、イースト菌を入れたパンと違い、なかなか腐らないで長持ちします。霊的には、信仰者が罪によって腐敗しないことを表していると思います。

11節、過越の祭りは主がイスラエルを奴隷状態から解放された出エジプトを記念して、覚えておくための祭りです。出エジプトのとき、イスラエルの民は、出発までの時間があまりなく急いでいました。毎年の過越の祭りのときに、イスラエルの民は、同じように急いで食べることによって、主の不思議なわざを忘れないように、主がこの祭りをイスラエルに与えられました。僕たちキリスト者も、信仰を与えられて、罪の奴隷であった状態から解放されたことを、よく覚えておくと良いと思います。

13節は、主が初子を打たれるが、イスラエルの民の家々は、7節のように血が門柱とかもいにつけてあるので、主は、その家を通り越されて、初子を打たれません。このように家を過ぎ越されるので、「過越」と言います。

No.3006 2007/09/17(Mon) 22:11:13

再出エジプト記11章、12章20節 / 沙耶香 引用

今日はもう一度エジプト記11章、12章20節を読みます。

9節に
主はモーセに仰せられた。「パロはあなた方の言うことを聞き入れないであろう。それはわたしの不思議がエジプトの地で多くなるためである。」
とあるが、わたしの不思議って何だろうか?主の不思議な御業ということだろうか?

12章12節の
その夜、わたしはエジプトの地を巡り、人をはじめ、家畜に至るまで、エジプトの地のすべての初子をうち、また、エジプトのすべての神々にさばきを下そう。わたしは主である。
が印象に残りました。

17節の
あなたがたは種を入れないパンの祭りを守りなさい。それは、ちょうどこの日に、わたしがあなたの集団をエジプトの地から連れ出すからである。あなたがたは永遠のおきてとして代々にわたって、この日を守りなさい。
が印象に残りました。種を入れないパンの祭り??何だか面白いですね・・・

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒23章26―30節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると29節が気になるので、これをもう何度か読みます。
何の罪もなくても処刑される人がおられます。今も昔も冤罪というものはあります。あってはならないんだけれど・・・
でも神様はそういう人のことも見ておられて、きっと善処してくださることでしょう。

No.3008 2007/09/17(Mon) 22:38:31

Re: 出エジプト記11章、12章20節 / BISKO 引用

管理人(大垣)さんへ。

>5節は、霊的には、エジプトで奴隷であったイスラエルの民が、エジプトの初子の死によって、購われ、解放された、という意味があります。罪の奴隷であった僕たち信仰者が、神のひとり子の死によって購われ、解放されたことの型となっています。【引用終わり】

上記のような解釈は初めて聞きました。これは一般的に言われているところの解釈でしょうか。それとも管理人さんのオリジナルですか?   クリスチャンにとっての”購い”とは、イエスキリストの死を通した救いを指しますが、これに対応する出エジプトの過ぎ越しの出来事は、過ぎ越された家の扉に塗られた血、つまり子羊のいのちの犠牲であると常々聞き及んでおりますが・・・。

>イスラエルの民が、エジプトの初子の死によって、購われ

特に、これの意味がよくわかりません。 購われるとは、代価を支払って買い戻されるという意味ですが、なぜエジプト人の初子の死がイスラエルの民の「買い戻し代」になったのか、教えていただけますでしょうか。

No.3009 2007/09/18(Tue) 03:27:51

Re: 出エジプト記11章、12章20節 / 沙耶香 引用

>>5節は、霊的には、エジプトで奴隷であったイスラエルの民が、エジプトの初子の死によって、購われ、解放された、という意味があります。罪の奴隷であった僕たち信仰者が、神のひとり子の死によって購われ、解放されたことの型となっています。

うーん、よく分からないですね・・・

>>今でも、ユダヤ人たちは、この民事暦によって9月ごろに新年のお祝いをします。今年は9月12日に新年が始まりました。

へーーー9月が新年??面白いですね・・・今年は9月12日に新年が始まったということは毎年違うの?決まっていないの?

>>イスラエルの宗教暦が始まったのは、出エジプトのときだと思います。主は、一年の初めの月を、太陽暦の3−4月ごろのアビブの月と定められました。これは、後にニサンの月と呼ばれるようになります。イエスが十字架につけられたのは、このニサンの月の、出エジプトを記念する過越の祭りのときでした。民事暦の一年の初めの月は、宗教暦の第7月になります。

うーん・・・いろいろと難しいですね・・・何が何だかさっぱり分からない・・・

>>13節は、主が初子を打たれるが、イスラエルの民の家々は、7節のように血が門柱とかもいにつけてあるので、主は、その家を通り越されて、初子を打たれません。このように家を過ぎ越されるので、「過越」と言います。

ふーん??そんなこと初めて知りました。

No.3010 2007/09/18(Tue) 09:53:54

Re: 出エジプト記11章、12章20節 / 大垣 引用

BISKOさん、お久しぶりです。

イスラエルの出エジプトをキリスト者の罪からの解放の型とする解釈は、僕のオリジナルではありませんが、どれくらい一般的かは知りません。ひとつの理由は、型(タイプ)という考えを使った聖書解釈(タイポロジー)が、一般的であるけれど、型とは何か、ということになると、さまざまな考えがあるからです。おそらく、最も一般的なのは、旧約のいろいろなできごとが、キリストにおいて、もっと完全に現れることを型とする狭義の型だと思います。僕は非常に広義に、神が歴史上に同じようなことを繰り返されることを、全て型と考えています。たとえば、創世記で井戸のそばで男女が会って結婚につながることは、神がイサクとヤコブに使われたひとつの型で、ヨハネ4章のイエスとサマリヤの女の井戸のそばでの出会いもこの型を使われたと考えます。

狭義の型の考えでは、イスラエルとキリストに同じ型が使われたことに注目することになると思います。たとえばマタイ2章15節は、このタイポロジーの意味で解釈するのはごく一般的かと思います。さらに広義の型という考えを使うと、旧約ではイスラエルが神の子とされ、新約では信仰者が神の子とされることなどから、イスラエルと信仰者についても同じ型が使われるということに注目して聖書を読みます。

エジプトの初子がイスラエルん代価となったということは、聖書にかなりはっきり書いた箇所があると記憶しているのですが、どこだか覚えていません。探してみます。僕も、最初にその聖句を読んだときは、考え方が理解できずに驚いたのですが、エジプトの初子も神のものであることを考えて納得しました。

No.3012 2007/09/18(Tue) 19:23:08

Re: 出エジプト記11章、12章20節 / 大垣 引用

11章9節の不思議とは、主の不思議なわざですが、ここでは特に主がエジプトで行われたナイルの水が血になること(7章14-25節)から暗やみ(10章21-29節)までの9つの災害と、初子が死んだ不思議なわざだと思います。主が不思議なわざを通して主の栄光を示される善い目的のために、パロの心をかたくなにされ、かたくなな心のためにパロはモーセたちの言うことを聞き入れないという罪の行いをしたことに注目したいと思います。

イスラエルの新年の日は太陰暦なので、今の日本などで使っている太陽暦とは毎年、新年の日も過越の日も違ってきます。

No.3013 2007/09/18(Tue) 19:39:14

Re: 出エジプト記11章、12章20節 / BISKO 引用

管理人さん。

返信ありがとうございました。

>おそらく、最も一般的なのは、旧約のいろいろなできごとが、キリストにおいて、もっと完全に現れることを型とする
狭義の型だと思います。

私は「型」という場合、上記のような狭義を想定していました。

>僕は非常に広義に、神が歴史上に同じようなことを繰り返されることを、全て型と考えています。

上のように、一般的な狭義としての「型」の意味がある以上、管理人さんのように歴史上繰り返されることがすべて「型」であるという定義は、何かと誤解を生じさせる原因になるのではないでしょうか。 「型」という神学上の学術的な特殊な用語を使う以上、その言葉の定義の範囲はきちんと守る必要があると思います。


>エジプトの初子がイスラエルん代価となったということは、聖書にかなりはっきり書いた箇所があると記憶しているのですが、どこだか覚えていません。探してみます。

よろしくお願いします。

No.3018 2007/09/19(Wed) 02:20:10

Re: 出エジプト記11章、12章20節 / 大垣 引用

BISKOさん、助言をありがとうございました。誤解のないように、「型」という言葉を気をつけて使うようにいたします。ただし僕の調べたところでは、「型」の定義は、狭義のものが一番よく知られているようであるものの、学者の間で、それが最も適切な定義かどうか、広範な意見の一致はないようでした。

エジプトの初子についての聖句は、検索しても見つからなかったので、旧約聖書の専門家に質問のメールを出しました。返事をいただいたら報告いたします。

No.3020 2007/09/19(Wed) 10:20:38

Re: 出エジプト記11章、12章20節 / BISKO 引用

管理人さん。

お返事ありがとうございました。

>ただし僕の調べたところでは、「型」の定義は、狭義のものが一番よく知られているようであるものの、学者の間で、それが最も適切な定義かどうか、広範な意見の一致はないようでした。

私が気にしていたのは「型」の定義がどうかではなく、その「型」という言葉を名目になされる、目的性と実質を欠く聖書解釈への懸念です。

なぜ旧約と新約の間で「型」のマッチングを行うのかと言えば、それは新約における対象の聖書的な意味を、旧約の記述に基づいて「より明確に理解する」という一つの目的があるからです。

「型」を考慮することで(新約の記述の)何が、どう、より深く理解されるのかにつての考察が無ければ、タイポロジーは無意味なのではないでしょうか。 

さらに言えば、そのような目的性を欠いた旧約と新約の事象の手当たり次第のマッチングは、それをする本人とその解釈を読み聞きする人たちに不要な神学的誤解を招きかねないという懸念を感じています。

>エジプトの初子についての聖句は、検索しても見つからなかったので、旧約聖書の専門家に質問のメールを出しました。返事をいただいたら報告いたします。

よろしくお願いします。

No.3022 2007/09/19(Wed) 11:26:00

Re: 出エジプト記11章、12章20節 / 大垣 引用

BISKOさん、お返事をありがとうございます。

たしかに目的性と実質を欠いた聖書解釈になってはいけませんし、制約のない自分勝手な聖書解釈になっていはいけません。

その一方で、特にキリスト者の間で広範な意見の一致がない「型」という考えのような場合、最大公約数的な聖書解釈が、一番深いところまで届いたとも限らないので、いろいろな信仰者の考えを慎重に検討する必要があると思います。

僕は、狭義の「型」だけを考えた聖書解釈にとどまることは、せっかく聖書にある「型」という考えを、浅いところでとどめてしまう危険があると考えています。これについては、もうちょっと考えてから、「型について」という新しいスレッドに書いて見ます。しばらくお待ちください。

No.3026 2007/09/19(Wed) 22:15:43

Re: 出エジプト記11章、12章20節 / BISKO 引用

管理人さん。

>いろいろな信仰者の考えを慎重に検討する必要があると思います。

だからこそ、誤解を招きかねないような、思いついたままの、慎重な検討が施されていない、聖書の解釈を、めったやたらに「型」という言葉をあてがって書くべきではない、といっているのです。

>せっかく聖書にある「型」という考えを、浅いところでとどめてしまう危険があると考えています。

私が言っているのは、管理人さんの「型」の考えが、浅いところでとどまっている、ということでもあるのです。

新約の事柄をより深く理解するため、という目的性を欠いている手当たり次第のマッチングのために、そのマッチングの後、一歩進んで、「それでどうした?SO WHAT?」と問う、深い考察がなされていない。そのような深みを伴った解釈がなされていない。

色々な信仰者の意見を慎重に検討するべきというご意見も、深い解釈の可能性をむやみに限定するべきではないというご意見も、良く判ります。 

でも、私が見る限り、管理人さんの「型」に基づいた解釈の多くは、慎重な検討と、深い考察がなされていないように思えるのです。

これは「型という考えがどういうものか」の問題では実はありません。

実際、貴兄は、エジプトの初子の死と、キリスト者の信仰との間にある「型」についての解釈を書かれる際、

>エジプトの初子がイスラエルん代価となったということは、聖書にかなりはっきり書いた箇所があると記憶している

と仰ったのに、実際に調べてみたら、

>エジプトの初子についての聖句は、検索しても見つからなかった

訳です。 思い込みと、曖昧な記憶に基づいて、聖書解釈を左右する「型」を云々する。 聖書解釈には、慎重な検討と、深い考察が必要なのに、あまりに、 いい加減/ずさん ではありませんか?

自分の心の中で色々な聖書解釈を試みているのではなく、それを実際に(特に初心の方々が多く集っている)場で、公に書き込むのですから、もうちょっと、しっかり考えてから書いて欲しいと常々思わされてきました。

管理人さんはご自分は聖職者でもなく、聖書解釈の専門家でも無いと仰います。 ならば、なおさらのこと、タイポロジーとか、「型」とか、そんな大それた言葉を使う前に、するべきこと、また使うべき言葉が別にあるのではありませんか?

No.3029 2007/09/19(Wed) 23:24:40

Re: 出エジプト記11章、12章20節 / 大垣(管理人) 引用

BISKOさん、助言をどうもありがとうございます。祈りの中でよく検討してみます。

僕の型に関する考えと、エジプトの初子の死が代価になっているという聖書箇所について、もう少ししっかり考えたり調べてから書きますので、待っていただければ幸いです。

No.3030 2007/09/20(Thu) 02:28:54

Re: 出エジプト記11章、12章20節 / BISKO 引用

管理人さん。

>僕の型に関する考えと、エジプトの初子の死が代価になっているという聖書箇所について、もう少ししっかり考えたり調べてから書きますので、待っていただければ幸いです。

はい。

でも、「型」に関する管理人さんのお考えについては、私は関心がありませんので、その件に関してはご放念くださって構いません。

「エジプトの初子の死が代価になっているという聖書箇所について」は、判ったら教えてください。

よろしくお願いします。

No.3032 2007/09/20(Thu) 06:48:50

Re: 出エジプト記11章、12章20節 / 大垣 引用

BISKさん、了解しました。聖書箇所について、何か分かったら書き込みます。

No.3033 2007/09/20(Thu) 10:26:19
ヨハネ17章 / 大垣 引用

ヨハネ17 章、イエスの大祭司の祈り。へブル7:26−8:2のように天の大祭司であられるイエスが、地上で祈られた。

1−5節、イエスのご自分の栄光のための祈り。主イエスが僕たち信仰者が祈るように教えられた主の祈りと異なり、イエスは、ご自分の栄光のために祈られた。16章14節のところで書いたように、イエスの栄光は父なる神の栄光と同じである。これに対し父なる神はご自分の栄光を他の者に与えたりなさらないので、信仰者が自分個人の栄光のために祈ってはいけない。

1節、2章4節から「まだ時がきていない」と何回もこの福音書にあったが、もう栄光の時である十字架の時が来ている。父なる神のご計画どおり、栄光の時が来たからこそ、イエスは栄光を求めて祈られた。

2節、1節での祈りと平行になっている。1節では、「父の栄光を現すため」「子の栄光を現してください」と祈られた。2節では、「あなたからいただいたすべての者に、永遠のいのちを与えるため」「あなたは、すべての人を支配する権威を子にお与えになった。」と述べられた。父なる神の選ばれた人々に永遠のいのちを与えることが神の栄光を現すことになる。地球が自転すると、太陽が昇るように見えるように、選ばれた人々が神の栄光をより深く知ることによって、神の栄光がよりよく現れるのだと思います。イエスはすべての人を支配する権威をもっておられるが、その中の選ばれた人たちだけが、永遠のいのちをいただく。

3節、エレミヤ31章34節のように、イエスの十字架による新らしい契約では、全ての神の民が父なる神を個人的に知るようになる。神のことばであられるイエスを知ることによって、父なる神を知り、永遠のいのちを与えられる。

4節、イエスは地上で神の栄光を現された。

5節、イエスはマリヤから生まれた人間となられたことで、創世の前から持っておられた栄光からご自分を卑しくされ、人間と同じようになられた(ピリピ2:6−8)。イエスは十字架の後に、地上に来られる前の栄光で輝かせていただくように祈られた。

7−19節、弟子たちのための祈り。

8節、イエスが与えられたみことばを、弟子たちが受け入れ、イエスが父なる神のから出てきたことを知り、イエスが父なる神に遣わされたことを信じた。

10節、イエスを信じるものたちが、イエスの栄光をより深く知ることによって、イエスの栄光が現れる。2節と関連が深い。

11節、イエスと父なる神が愛によってひとつであられるように、弟子たちも愛によってひとつとなる。

20−26節、信仰するようになるものたちのための祈り。

21節、11節と同じように、イエスの弟子たちのことばによってイエスを信じるようになる信仰者たちも、イエスと父が愛によってひとつであられるように、ひとつになる。

22節、イエスはご自分の栄光を、愛によってひとつとなる信仰者全体にお与えになった。現在あるいろいろな教会に信仰者がいるなら、信仰者全体がひとつになることに障害となることのひとつは、自分たちの教会を他の教会よりも上に置くような聖書解釈かもしれません。

23節、信仰者全体の愛が深まって、全うされて一つになるように、イエスが祈られた。その愛が、この世の愛ではなく、聖い神の愛であるなら、13章35節のように、信仰者たちがイエスの弟子であることを、すべての人が認めるようになる。そして、神が信仰者たちを愛されていることを、世が知るようになる。

No.3031 2007/09/20(Thu) 02:35:51
(No Subject) / はじめまして 引用

はじめまして。
こちらは、聖書を読み進める掲示板でしょうか?
初心者でよく分かりません;;
キリスト教の、他のこともうかがってみても 大丈夫ですか?

No.3023 2007/09/19(Wed) 16:10:09

Re: / 沙耶香 引用

うん、キリスト教のことで知りたいことを何でも管理人様にお聞きになればいいと思います。
こちら管理人様何でもよくご存知ですよ。
私は聖書を読み進めて分からないことを質問していますが、別にほかのことでも何でも聞いたらいいと思います。

No.3024 2007/09/19(Wed) 18:33:53

Re: / 大垣(管理人) 引用

はじめまして。

この掲示板は、もともとは、キリスト教に関する質問のことなどが多かったのですが、最近は、聖書を読み進むことが中心になってきています。今でも質問を歓迎しますし、一緒に祈りの中で考えていければとても嬉しく思います。ただし、僕は管理人をしていて書き込みに返事をしますが、本職は経済学の教授で、聖職者でもないし、聖書解釈の専門家でもありません。

No.3028 2007/09/19(Wed) 22:27:21
出エジプト記13章 / 沙耶香 引用

今日は出エジプト記13章を読みます。

2節に
「イスラエル人の間で、最初に生まれる初子はすべて、人であれ家畜であれ、私のために聖別せよ。それはわたしのものである。」
とあるが、初子はみな打たれたのではなかったの?

4節に
アビブの月のこの日にあなたがたは出発する。
とあるが、アビブの月って何だろうか?

7節に
種を入れないパンを7日間、食べなければならない。あなたのところに種を入れたパンがあってはならない。あなたの領土のどこにおいても、あなたのところにパン種があってはならない。
とあるが、何でそこまでパン種がある、ないにこだわるのだろうか?うーーん???

9節に
これを貴方の手の上のしるしとし、またあなたの額の上の記念としなさい。それは主のおしえがあなたの口にあるためであり、主が力強い御手で、あなたをエジプトから連れ出されたからである。
とあるが、これはパン種のことを言っているんだろうか?

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒24章6―10節を読みます。
天におられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると10節が気になるので、これをもう何度か読みます。
閣下??昔はいろんな役職があったのですね・・・

No.3019 2007/09/19(Wed) 09:10:38

Re: 出エジプト記13章 / 大垣 引用

2節ですが、12章29−30節のようにエジプトの初子がみな打たれて死にました。しかし、12章21−23節のようにしたイスラエル人の初子は誰も打たれませんでした。

4節のアビブの月は、太陽暦の3−4月ごろの太陰暦の月です。イスラエルの宗教暦では一年の最初の月です。

7節のパン種がないパンは、なかなか腐らないということから、罪によって人間が腐敗しない、という霊的な意味があるのだろうと思います。そうであっても、このような食物の規定の意味は、僕もよく分かりません。神さまのされることは、人間にはよく意味の分からないことが多くある、ということが大切なのだろうと思います。

9節の「これ」は、種なしパンの祭りのことだと思います。

No.3021 2007/09/19(Wed) 10:32:56

再出エジプト記13章 / 沙耶香 引用

今日はもう一度出エジプト記13章を読みます。

>>2節ですが、12章29−30節のようにエジプトの初子がみな打たれて死にました。しかし、12章21−23節のようにしたイスラエル人の初子は誰も打たれませんでした。

あれ?でも12章29節に
真夜中になって、主はエジプトの地のすべての初子を、王座につくパロの初子から、地下牢にいる捕虜の初子にいたるまで、また、すべての家畜の初子をも打たれた。
とあるように、すべての初子とありますよね?それでもやはりやはり21―23節のようにした初子は打たれなかったのですか?うーん??難解。。。

16節に
これを手の上のしるしとし、また、あなたの額の上の記章としなさい。それは主が力強い御手によって、私たちをエジプトから連れ出されたからである。」
とありますが、あなたの額の上の記章としなさいとはどういうことだろうか?

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒24章11―15節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると15節が気になるので、これをもう何度か読みます。
義人も悪人も復活か・・・

No.3025 2007/09/19(Wed) 19:51:59

Re: 出エジプト記13章 / 大垣 引用

聖書を読んでいくときに、明らかな例外があるときは、「すべて」というように書いてあっても、「明らかな例外は除いて」という意味なので注意が必要です。例えば、ローマ3章9節で、「すべての人が罪の下にある」と書いてありますが、人としてのイエスが罪の下にあったと考える必要はありません。

12章29節の「すべて」もイスラエルの初子を含まないことは、明らかな例外なので、「イスラエルの初子は除いて」と考えて読むと良いです。

13章16節の「手の上のしるし」も「額の上の記章」も比喩的な表現だと思います。「額の上の記章」とは、誰からもよく分かるように、という意味だと思います。特にここでは自分たちの家畜の初子をいけにえとして主にささげたりする行いで、主がエジプトで行われた不思議なわざを大切に思っていることを、まわりの人々がはっきり知るように、という意味だと思います。

No.3027 2007/09/19(Wed) 22:23:29
全738件 [ ページ : << 1 ... 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 ... 74 >> ]

- HOME - お知らせ(3/8) - 記事検索 - 携帯用URL - フィード - ヘルプ - メール - 環境設定 -

- Skin: Modern v1.81 -

Rocket Board Type-X (Free) Rocket BBS