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今日は出エジプト記15章を読みます。
2節の 主は、私の力であり、褒め歌である。 主は、私の救いとなられた。 この方こそ、わが神。 私はこの方を褒め称える。 私の父の神。 この方を私はあがめる。 が印象に残りました。
6節に 主よ。あなたの右の手は力に輝く。 主よ。貴方の右の手は敵を打ち砕く。 とあるが、右の手というのは何かあるんだろうか?よく子なるイエス様は父なる神様の右の座におられるというがそれと関連があるんだろうか?
7節に あなたは大いなる威力によって、 あなたに立ち向かう者どもを打ち破られる。 あなたが燃える怒りを発せられると、 それは彼らを刈り株のように焼き尽くす。 とあるが、これはどういう意味だろうか?
8節に あなたの鼻の息で、水は積み上げられ、 流れはせきのように、まっすぐ立ち、 大いなる水は海の真ん中で固まった。 とあるが、これはどういう意味だろうか?貴方の鼻の息で、水が積み上げられる???意味不明だ。何かの比喩的表現だろうか?
12節に 貴方が右の手を伸ばされると、 地は彼らをのみこんだ。 とありますが、これはどういう意味だろうか?
13節に 貴方が購われたこの民を、 あなたは恵をもって導き、 御力をもって、聖なる御住まいに伴われた。 とありますが、これはどういう意味だろうか?聖なる御住まい??
14節に 国々の民は聞いて震え、 もだえがペリシテの住民を捕えた。 とありますが、これはどういう意味だろうか?もだえ??もだえという人物だろうか?
16節に 恐れとおののきが彼らを襲い、 あなたの偉大な御腕により、 彼らが石のように黙りますように。 主よ。貴方の民が通り過ぎるまで。 貴方が買い取られたこの民が通り過ぎるまで。 とありますが、あなたの民が通り過ぎるまでってどこを通り過ぎるまでなのだろうか?
18節の 主はとこしえまでも統べ治められる。」 が印象に残りました。
26節の そして、仰せられた。「もし、あなたがあなたの神、主の声に確かに聞き従い、主が正しいと見られることを行い、またその命令に耳を傾け、そのおきてをことごとく守るなら、わたしはエジプトに下したような病気を何一つあなたの上に下さない。わたしは主、あなたを癒すものである。」 が印象に残りました。特に最後の私は主、あなたをいやすものである。が印象に残りました。
・・・癒しに通じる読み方・・・ 今日は使徒24章26、27節、25章1−3節を読みます。 天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・ 何度か読んでいると27,3節が気になるので、これをもう何度か読みます。 いろいろと裏取引というか、悪巧みがあるみたいですね・・・ |
No.3043 2007/09/21(Fri) 12:21:07
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今日はもう一度出エジプト記15章を読みます。
3節に 主はいくさびと。 その御名は主。 とあるが、これはどういう意味だろうか?いくさび??
21節に ミリヤムは人々に答えて歌った。 「主に向かって歌え。 主は輝かしくも勝利を収められ、 馬と乗り手とを海の中に投げ込まれた。」 とあるが、これは馬と乗り手が海の中に飲み込まれたという意味だろうか?
25節の モーセは主に叫んだ。すると、主は彼に一本の木を示されたので、モーセはそれを水に投げ入れた。すると水は甘くなった。 その所で主は彼に、おきてと定めを授け、その所で彼を試みられた。 が印象に残りました。
・・・癒しに通じる読み方・・・ 今日は使徒25章4―8節を読みます。 天におられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・ 何度か読んでいると8節が気になるので、これをもう何度か読みます。 パウロもいろいろ苦労されましたね。 |
No.3044 2007/09/21(Fri) 21:58:43
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☆ Re: 出エジプト記15章 / 大垣  |
引用 |
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1−18節は「モーセの歌」と呼ばれる賛美歌です。以前に読まれた詩篇を読むように、比喩やイメージや繰り返しがが多いことに注意して、読んでみてください。
3節の「主はいくさびと」は、14章14節のように、主が神の民のために敵と戦われることを書いています。
6節は、沙耶香さんが考えられたように、神の右の手ということと、イエスが右の座についておられことは深い関係があると僕は思います。「右」は力を表していて、父なる神の権威によって、実際にわざを行う、という霊的な意味があると思います。
7節の刈り株が焼き尽くされるイメージは、すでに切り倒された木の刈り株が、さらに火をつけられて焼き尽くされるという感じを受けます。すでに9つの災害と初子を打たれて切り倒されているエジプトが、さらに軍隊を海で失う、ということを詩的にイメージで表現していると思います。
8節は、14章21節のできごとを詩的に表現しています。
12節は、6節のように、主が力強く神の民の敵を打ち破られることを、「地は彼らをのみこんだ」と表現していると思います。
13節は、モーセの歌の中心的な思想をまとめていて、とても重要です。主は、イスラエルの民を購われ、恵みを持って導かれました。25章ー31章で聖なる御住まいとして幕屋のための規定を与えられ、35章ー40章で、幕屋を建設するようにされて、そこで礼拝するようにされます。このことは、キリスト者個人がイエスの十字架によって購われ、イエスの恵みを持って導かれ、霊とまことによって神を礼拝するることと、対応しています。僕はイスラエルの歴史から、キリスト者個人も学ぶことが多いと信じるので、こういうイスラエルの国と信仰者個人の対応に注意して読むようにしています。
14節の「もだえがペリシテの住民を捕らえた」とは、カナンの地にいるペリシテの住民が、主のエジプトでの不思議なわざのことを聞いて、不安になってもだえるほどになった、というような意味です。
16節、「通り過ぎるまで」は、モーセの時には、荒野を通り過ぎて、約束の地のカナンに入るまで、という意味が強かったと思います。霊的には、神の民が寄留地であるこの世を通り過ぎて天国に入るまで、という意味があると思います。
21節は、沙耶香さんの書かれたとおりのことを、主が行われたということを強調して表現していると思います。 |
No.3045 2007/09/21(Fri) 23:01:41
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>>3節の「主はいくさびと」は、14章14節のように、主が神の民のために敵と戦われることを書いています。
あっ、主はいくさ・びとということか???いくさび・とって取っていたので・・・
>>7節の刈り株が焼き尽くされるイメージは、すでに切り倒された木の刈り株が、さらに火をつけられて焼き尽くされるという感じを受けます。すでに9つの災害と初子を打たれて切り倒されているエジプトが、さらに軍隊を海で失う、ということを詩的にイメージで表現していると思います。
うーん??難しいですね・・・難解!!
14章21節・・・ そのとき、モーセが手を海の上に差し伸ばすと、主は一晩中強い東風で海を退かせ、海を陸地とされた。それで水は分かれた。 ・・・これを指摘に表現しているのが15章8節・・・うーん、何だか難しいですね・・・
>>13節は、モーセの歌の中心的な思想をまとめていて、とても重要です。主は、イスラエルの民を購われ、恵みを持って導かれました。25章ー31章で聖なる御住まいとして幕屋のための規定を与えられ、35章ー40章で、幕屋を建設するようにされて、そこで礼拝するようにされます。このことは、キリスト者個人がイエスの十字架によって購われ、イエスの恵みを持って導かれ、霊とまことによって神を礼拝するることと、対応しています。僕はイスラエルの歴史から、キリスト者個人も学ぶことが多いと信じるので、こういうイスラエルの国と信仰者個人の対応に注意して読むようにしています。
うーん、何だかいろいろ広がりがあって難しいですね・・・
>>14節の「もだえがペリシテの住民を捕らえた」とは、カナンの地にいるペリシテの住民が、主のエジプトでの不思議なわざのことを聞いて、不安になってもだえるほどになった、というような意味です。
笑・・・もだえという人物だと思ってしまったいたことを考えると笑える・・・ |
No.3046 2007/09/22(Sat) 10:44:53
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