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出エジプト記7章 / 沙耶香 引用

今日は出エジプト記7章を読みます。

3節に
わたしはパロの心をかたくなにし、わたしのしるしと不思議をエジプトの地で多く行おう。
とあるが、この場合のわたしのしるしとは何だろうか?

9,10節に
「パロがあなたがたに、「おまえたちの不思議を行え。」というとき、あなたはアロンに、「その杖を取って、パロの前に投げよ。」と言わなければならない。それは蛇になる。」
モーセとアロンはパロのところに行き、主が命じられたとおりに行った。アロンが自分の杖をパロとその家臣たちの前に投げたとき、それは蛇になった。
とありますが、これは前に出てきた主の御業ですね・・・

11節に
そこで、パロも知恵のある者と呪法者を呼び寄せた。これらのエジプトの呪法師たちもまた彼らの秘術を使って、同じ事をした。
とありますが、この呪法師って何だろうか?前にも聞いたような気もしますが、もう覚えていないです。辞書でも出てこないですね・・・

12節に
彼らがめいめい自分の杖を投げると、それが蛇になった。しかしアロンの杖は彼らの杖をのみこんだ。
とあるが、アロンの杖は彼らの杖をのみこんだとはどういう意味だろうか?比喩だろうか?

17,18節の
主はこう仰せられます。「あなたは、次のことによって、わたしが主であることを知るようになる。」ご覧ください。私は手にもっている杖でナイルの水を打ちます。水は血に変わり、
ナイルの魚は死に、ナイルは臭くなり、エジプト人はナイルの水をもう飲むことを忌み嫌うようになります。」
が印象に残りました。主の素晴らしい御業です。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒22章11―15節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると13節が気になるので、これをもう何度か読みます。
こういう癒しの奇跡が私にもいつかきっと・・・・と信じて期待して感謝します。

No.2982 2007/09/13(Thu) 12:38:05

Re: 出エジプト記7章 / 大垣 引用

3節.旧約聖書で奇跡は、「不思議」「奇しいわざ」「しるし」と呼ばれますが、特に出エジプト記での、エジプトに対する災害とイスラエルの解放の出来事は、しばしば「しるしと不思議」と2つの語を使って呼ばれます。どうしてだか、詳しく調べてみないと分かりません。たとえば、「しるし」は、神の力と将来の救いを指し示す言葉で、「不思議」は、イスラエルがエジプトでの奴隷状態から解放されたことを言うのかもしれません。

僕たちも、罪の奴隷でしたが、キリストを信じたときに、将来に天国に行くことを指し示していただき、同時に、奴隷状態から解放されました。このように、イスラエルの出エジプトは、キリスト者個人が信仰を持って義と認められて、神と個人的関係を持つことの型になっています。

9,10節。沙耶香さんが覚えておられたように、このわざは、4章3-5節に出てきた杖が蛇になる奇跡と同じです。少し違うところもあります。4章では、主は、イスラエルの民にモーセがこのわざを見せるように言われたのに対し、7章では、主は、パロにアロンがこのわざを見せるように言われています。

11節の呪法者は、当時のエジプトの魔法や呪いを使うエジプトの宗教の祭司だったようです。創世記41章8節に呪法者という言葉が出ていました。

12節の出来事は、比喩ではないと思います。アロンの杖が蛇に変わりましたが、その蛇が、エジプトの呪法師たちの杖が変わった蛇を飲み込みました。このように当時のエジプトの呪法師たちも、霊的な力を持っていて、杖を蛇に変えることができました。この出来事の霊的な意味が重要です。主の力は、呪法師たちの力よりも、ずっと優れている、とうことが、この出来事の意味です。

No.2984 2007/09/13(Thu) 20:33:01

再出エジプト記7章 / 沙耶香 引用

今日は出エジプト記7章を読みます。

1節に
主はモーセに仰せられた。「見よ。わたしはあなたをパロに対して神とし、あなたの兄アロンはあなたの預言者となる。
とありますが、太字の主、アブラハムの神はモーセを神としたなんて、モーセは高く評価されたものですね・・・すごいなーー。

4節に
パロがあなたがたの言うことを聞き入れないなら、わたしは、手をエジプトの上に置き、大きな裁きによって、わたしの集団、私の民イスラエル人をエジプトの地から連れ出す。
とありますが、手をエジプトの上に置きってうーん、エジプトに気を使うということかな?

17,18節の
主はこう仰せられます。「あなたは、次のことによって、わたしが主であることを知るようになる。」ご覧ください。私は手にもっている杖でナイルの水を打ちます。水は血に変わり、
ナイルの魚は死に、ナイルは臭くなり、エジプト人はナイルの水をもう飲むことを忌み嫌うようになります。」
はそういう風になりますという預言だったのですね・・・
それで実際に、20,21節の
モーセとアロンは主が命じられたとおりに行った。彼はパロとその家臣の目の前で杖を上げ、ナイルの水を打った。すると、ナイルの水はことごとく血に変わった。
ナイルの魚は死に、ナイルは臭くなり、エジプト人はナイルの水を飲むことができなくなった。エジプト全土にわたって血があった。
という風になったんだ。やっぱり主は素晴らしいですね・・・・

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒22章16―20節を読みます。
天におられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると19,20節が気になるので、これをもう何度か読みます。
サウロはすごい迫害者だったのですね・・・でも後に素晴らしい信仰者になります。人はイエス様によってこういう風に変えられます。

No.2985 2007/09/13(Thu) 22:19:13

Re: 出エジプト記7章 / 大垣 引用

4節の「手をエジプトの上に置き」はエジプトを主が大きな力で圧迫される、というような意味だと思います。

14−18節は、主がモーセに、このように預言せよ、と教えておられます。このように預言者の仕事は、主の言われたことをそのまま言うことです。主のみことばを言うために用いていただける、とても名誉のある仕事です。

モーセは20節の最初の文で命じられたとおりに、この通りにパロに対してナイルの岸で預言したと思います。そして、沙耶香さんの書かれたように、21節で預言が成就しました。

No.2986 2007/09/14(Fri) 02:38:05
出エジプト記4章 / 沙耶香 引用

今日は出エジプト記4章を読みます。

1節に
モーセは答えて申し上げた。「ですが、彼らは私を信ぜず、またわたしの声に耳を傾けないでしょう。「主はあなたに現れなかった。」と言うでしょうから。」
とありますが、これはどういう意味だろうか?

3節に
すると仰せられた。「それを地に投げよ。」彼がそれを地に投げると、杖は蛇になった。モーセはそれから身を引いた。
とありますが、杖が蛇になった??比喩だろうか?

続く、4節に
主はまた、モーセに仰せられた。「手を伸ばして、その尾をつかめ。」彼が手を伸ばしてそれを握ったとき、それは手の中で杖になった。
とあります。そして続く、5節に
「これは、彼らの父祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、主があなたにあらわれたことを、彼らが信じるためである。」
とありますがこれらは何が言いたいのだろうか?神様が素晴らしいという比喩的表現だろうか?

6,7節の
主はなおまた、彼に仰せられた。「手をふところに入れよ。」彼は手を懐にいれた。そして、出した。なんと、彼の手は、らいに冒されて雪のようであった。
また、主は仰せられた。「あなたの手をもう一度懐に入れよ。」そこで彼はもう一度手をふところに入れた。そして、ふところから出した。なんと、それは再び彼の肉のようになっていた。
が印象に残りました。
主はすべてを成し遂げてくださいます。

17節に
あなたはこの杖を手にとり、これでしるしを行わなければならない。」
とあるが、ここで言う杖とは何だろうか?

20節に
そこで、モーセは妻や息子たちを連れ、彼らをろばに乗せてエジプトの地へ帰った。モーセは手に神の杖をもっていた。
とあるが、神の杖って何だろうか?

24節に
さて、途中、一夜を明かす場所でのことだった。主はモーセに会われ、彼を殺そうとされた。
とありますが、なぜ彼を殺そうとしたのか?

25節に
そのとき、チッポラは火打石を取って、自分の息子の包皮を切り、それをモーセの両足につけ、そして言った。「まことにあなたは私にとって血の花婿です。」
とありますが、包皮を切って両足につける???まことに奇妙なことしますね・・・・???

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒21章21―25節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると25節が気になるので、これをもう何度か読みます。
信仰者はこうあるべきだということに捕われてはいけないけれど、あまり周りから見て、躓く存在にならないようにしないと・・・

No.2968 2007/09/10(Mon) 11:23:59

再出エジプト記4章 / 沙耶香 引用

今日はもう一度出エジプト記4章を読みます。

何だか具合悪いです。イエス様どうか私の体調精神状態を癒してください。アーメン・・・

2節に
主は彼に仰せられた。「あなたの手にあるそれは何か。」彼は答えた。「杖です。」
とあるが、聖歌賛美歌で”信仰こそ・・・・導く杖”という曲がありましたね・・・

8節に
「たとい彼らがあなたを信ぜず、また始めのしるしの声に聞き従わなくても、あとのしるしの声は信じるであろう。
とあるが、これはどういう意味だろうか?しるしって何だろうか?

9節に
もしも彼らがこの二つのしるしをも信ぜず、あなたの声にも聞き従わないなら、ナイルから水を汲んで、それを渇いた土に注がなければならない。あなたがナイルから汲んだその水は、かわいた土の上で血となる。」
とあるが、これはどういう意味だろうか?水が血となる???不思議だ。。。

10節に
モーセは主に申し上げた。「ああ主よ。私はことばの人ではありません。以前からそうでしたし、あなたがしもべに語られてからもそうです。私は口が重く、舌が重いのです。」
とあるが、舌が重いとはどういう意味だろうか?口が軽い・重いは言うけれど、舌が重いとかいう言い方は聞いたことがない。やはり口が重いと同じような意味なのだろうか?

27節に
それから、主はアロンに仰せられた。「荒野に行って、モーセに会え。」彼は行って、神の山でモーセに会い、口付けした。
とあるが、アロンとは一体誰だろうか?

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒21章26―30節を読みます。
天におられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると28節が気になるので、これをもう何度か読みます。
うーん、あまり語られなかったです。。。勉強不足です。ごめんなさい。

No.2969 2007/09/10(Mon) 20:19:06

Re: 出エジプト記4章 / 昌夫 引用

1節で新解訳の聖書で主が太字になっていることを確認してください。太字の主は、へブル語ではヤハウェ(エホバと読むという説もあります)という世界を創造されたアブラハムの神の名前です。13節で太字でない主はへブル語ではアドナイという語です。1節で、モーセは、イスラエルの民は、ヤハウェがモーセに現れたことを信じないだろう、という心配を述べています。

3-5節は、モーセが主と出会ったことが民に分かるように、杖が蛇になり、また蛇が杖に戻る奇蹟が起こることを、主がモーセに約束されました。このように奇蹟は、神のメッセージを伝える人間(こ場合モーセ)が確かに神からのメッセージをいただいていることの、しるしです。

8節は、3-5節の杖が蛇になり、また蛇が杖に戻る奇跡が「はじめのしるし」です。「後のしるし」は、6-7節の手が白くなる奇跡です。

17節と20節の杖は、2節に出てきた杖です。この杖で、3-5節のしるしを行うように主がモーセに言われています。

24−26節は、難解です。おそらく、モーセは主で出会ったイスラエル人として、創世記17章10-14節での主のアブラハムとの契約に従って、息子に割礼を施す義務があったのに、すぐには、そうしなかったので、主が殺そうとされたのだと思います。

No.2971 2007/09/11(Tue) 11:57:18

Re: 出エジプト記4章 / 沙耶香 引用

>>1節で新解訳の聖書で主が太字になっていることを確認してください。太字の主は、へブル語ではヤハウェ(エホバと読むという説もあります)という世界を創造されたアブラハムの神の名前です。13節で太字でない主はへブル語ではアドナイという語です。1節で、モーセは、イスラエルの民は、ヤハウェがモーセに現れたことを信じないだろう、という心配を述べています。

うーん??でもヤーウエ=イエス様じゃなかったの?私そういう風に思っていたんだけれど・・・??

No.2976 2007/09/12(Wed) 11:21:56

Re: 出エジプト記4章 / 大垣 引用

ヤハゥエは父なる神で、イエスは子なる神であり、一体であるが、人格(神学では人ではないので位各と言います)は違う、と考えるのが、普通の三位一体に基づく理解だと思います。これは、とても難解で深遠なことで、僕にはこの世ではとても理解できないことだと思いますが、だんだん自分なりの理解を深めていきたいと思っています。

ヤハウェとイエスの関係は、とても難しく、また大切なところなので、牧師に聞いてみてください。

No.2978 2007/09/12(Wed) 21:05:47
出エジプト記5章 / 沙耶香 引用

今日は出エジプト記5章を読みます。

1節に
その後、モーセとアロンはパロのところに行き、そして言った。「イスラエルの神、主がこう仰せられます。「わたしの民を行かせ、荒野でわたしのために祭りをさせよ。」
とありますが、”祭りをさせよ”とはお祭りを開くことだろうか?

6節に
その日、パロはこの民を使う監督と人夫頭に命じて言った。
とありますが、人夫頭って何だろうか?

7節に
「おまえたちはれんがを作るわらが、これまでのようにこの民に与えてはならない。自分でわらを集めに行かせよ。
とあるが、れんがを作るのにわらがいるの?れんがとわらは何だか違うと思うんだけれど・・・

12節に
そこで、民はエジプト全土に散って、わらの代わりに刈り株を集めた。
とあるが、刈り株って何だろうか?その言葉どおり刈っている株だろうか?

19節に
イスラエル人の人夫がしらたちは、「おまえたちのれんがのその日その日の数を減らしてはならない。」と聞かされたとき、これは、悪いことになったと思った。
とありますが、何度も出てきているこのれんがを作ることは何か意味があるのだろうか?

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒21章31―35節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいたが一つに絞れなかったので、もう全体を何度か読みます。
昔はいろいろな格式があって面倒だったんだろうなー・・・

No.2970 2007/09/11(Tue) 09:25:39

Re: 出エジプト記5章 / 昌夫 引用

1節の「祭りをさせよ」とは「祭りを開くようにさせよ」ということです。

6節の人夫頭とは、労役をする人夫たちのリーダーです。

7節は、当時、れんがの中にわらを入れると、わらが腐敗して酸が生じ、れんがを作るための絵粘土が酸のために粘着力を増したらしいです。

12節の刈り株とは、麦を刈った後の株だと思います。

19節などで、イスラエル人たちが労役でれんがを作っているのは、エジプトでいろいろな建物を作ったりするのに使われたと思います。

No.2972 2007/09/11(Tue) 12:17:23

再出エジプト記5章 / 沙耶香 引用

今日はもう一度出エジプト記5章を読みます。

>>6節の人夫頭とは、労役をする人夫たちのリーダーです

うーん、だからその人夫って何だろうか?労役をする人のことを人夫っていうの?あまり聞いたことないですね・・・

>>7節は、当時、れんがの中にわらを入れると、わらが腐敗して酸が生じ、れんがを作るための絵粘土が酸のために粘着力を増したらしいです。

うーん??あまり光景が浮かばないが・・・昔は今では思いつかないようなことをしていたのですね・・・

2節に
パロは答えた。「主とはいったい何者か。私がその声を聞いてイスラエルを生かせなければならないというのは。私は主を知らない。イスラエルを行かせはしない。」
とあるが、このイスラエルとはヤコブのことだろうか?ヤコブの時代は終わったんじゃなかったのか?

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒21章36―40節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、39節が気になるので、これをもう何度か読みます。
パウロは素晴らしい信仰者ですね・・・

No.2973 2007/09/11(Tue) 22:10:21

Re: 出エジプト記5章 / 大垣 引用

思うところあってここでのHNを苗字の大垣にしました。

人夫という言葉は今ではあまり使わないですね。昔、国のための労役に徴用された人々を人夫といいました。

2節の「イスラエル」はヤコブの子孫たちのへブル人たちのことです。アブラハムのことを、アブラムとはめったに言わないように、聖書で、神が名前を変えられた場合、普通はその後には、新しい名前が使われます。ヤコブの場合は特別で、ヤコブ個人のことを、聖書でイスラエルと呼ぶことは、ほとんどありません。

No.2974 2007/09/11(Tue) 23:56:43

Re: 出エジプト記5章 / 沙耶香 引用

>>思うところあってここでのHNを苗字の大垣にしました。
ふーん??どういう思うとこなの?

No.2975 2007/09/12(Wed) 11:14:12
出エジプト記3章 / 沙耶香 引用

今日は出エジプト記3章を読みます。

2節に
すると主の使いが彼に、現れた。柴の中の火の炎の中であった。よく見ると、火で燃えていたのに柴は焼き尽きなかった。
とありますが、なぜ、柴は焼き尽きなかったのか?

5節に
神は仰せられた。「ここに近づいてはいけない。あなたの足のくつを脱げ。あなたの立っている場所は、聖なる地である。」
とありますが、聖なる地に入るときは、当時はくつを脱ぐという習慣があったのだろうか?

9節に
見よ。今こそ、イスラエル人の叫びは私に届いた。わたしはまた、エジプトが彼らをしいたげているそのしいたげを見た。
とありますが、エジプトはイスラエル人をどのように虐げていたのか?

14節に
神はモーセに仰せられた。「わたしは、「わたしはある。」という者である。」また仰せられた。「あなたはイスラエル人にこう告げなければならない。「わたしはあるという方が、私をあなたがたのところに使わされた。」と。」
とあるが、これはどういう意味だろうか?「わたしはある。」という者???

17節に
それで、わたしはあなたがたをエジプトでの悩みから救い出し、カナン人、ヘテ人、エモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の地、乳と蜜の流れる地へ上らせるといったのである。」
とあるが、これはどういう意味だろうか?

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒21章11―15節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・・
何度か読んでいると、11節が気になるので、これをもう何度か読みます。
聖霊から告げられるってかなり幸せなことですよね・・・

No.2964 2007/09/09(Sun) 07:16:00

Re: 出エジプト記3章 / 昌夫 引用

2節で芝が燃え尽きなかったのは、主がモーセに見せられた奇蹟です。全能の主が語られたことがモーセによく分かるように、しるしとして見せられたのだと思います。ヨハネ2章1−11節で、イエスが水をぶどう酒に変える奇蹟を行われたのも、イエスが神の子であることを人々に示すしるしでした。

5節ですが、沙耶香さんが書かれたように当時、聖なる地に入るときは、当くつを脱ぐという習慣があったのかもしれません。しかしこれは当時の習慣などを調べても、よく分かっていないようです。

9節にあるエジプトがイスラエル人たちにした、しいたげは1章11-13節にあった苦役や、22節にあったパロの、へブル人が子供を産んだとき、男の子なら川に投げ込め、というひどい命令です。

14節の「わたしはある」とは、神が時間も超越して永遠に存在されること、そして全てのものの存在の源であることを表しているのだろうと思います。

17節で主は、創世記15章13-21節のアブラハムに対する契約での約束のことを言っておられると思います。特に、13節で子孫が400年の間エジプトで苦しめられること、16節で、4代目の者たちがエジプトから救い出されて、18節のように約束の地に帰るようにされることを予め言われました。約束の地のカナンは、出エジプト記では、「乳と蜜の流れる地」と書かれることが多いです。カナン人、ヘテ人、エモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人は、イスラエルがカナンに入る前に、カナンに住んでいたさまざまな民族です。

No.2965 2007/09/09(Sun) 10:13:22

再出エジプト記3章 / 沙耶香 引用

今日はもう一度出エジプト記3章を読みます。

あーー体調悪くて具合悪い。憂鬱・・・・

1節に
モーセは、ミデヤンの祭司で彼のしゅうと、イテロの羊を飼っていた。彼はその群れを荒野の西側に追っていき、神の山ホレブにやってきた。
とありますが、ホレブ山とはよく出てきますね・・・・

7節に
主は仰せられた。「わたしは、エジプトにいるわたしの民の悩みを確かに見、追い使うもの前の彼らの叫びを聞いた。わたしは彼らの痛みを知っている。
とあるが、彼らの痛みとは何だろうか?

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒21章16―20節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいたが一つに絞れなかったので、もう何度か全体を読みます。
私には律法とか難しいことは分からないなーーー。でもとこしえに変わらない神の御言葉が一番大事だということは分かる。

No.2966 2007/09/09(Sun) 22:56:07

Re: 出エジプト記3章 / 昌夫 引用

1節のホレブ山は、後でモーセが十戒を与えられるシナイ山と同じ山のようです。

7節の「彼らの痛み」は1章11−13節にあった苦役による苦しみや、22節のパロによる命令のため、多くの男の子が殺されてしまった苦しみです。

No.2967 2007/09/10(Mon) 01:28:39
出エジプト記2章 / 沙耶香 引用

今日は出エジプト記2章を読みます。

3節に
しかしもう隠し切れなくなって、パピルス製のかごを手に入れ、それに瀝青と樹脂とを塗って、その子を中にいれ、ナイルの岸の葦の茂みの中に置いた。
とあるが、何でわざわざそんなことするんだろうか?そんなことせずに、自分で育てたらいいではないか?

11節に
こうして日がたち、モーセがおとなになったとき、彼は同胞のところへ出て行き、その苦役を見た。そのとき、自分の同胞であるひとりのヘブル人を、あるエジプト人が打っているのを見た。
とあるが、苦役とは何だろうか?
同胞というのは同じ郷里の人という意味だろうか?

12節に
あたりを見回し、ほかにだれもいないのを見届けると、彼はそのエジプト人を打ち殺し、これを砂の中に隠した。
とあるが、こういうことが日常茶飯事的に行われていたんだろうか?

14節に
するとその男は、「だれがあなたを私たちのつかさやさばきつかさにしたのか。あなたはエジプト人を殺したように、私も殺そうというのか。」といった。そこでモーセは恐れて、きっとあのことが知れたのだと思った。
とあるが、あのことが知れたのあのこととは一体何なのか?

22節に
彼女は男の子を産んだ。彼はその子をゲルショムと名づけた。「私は外国にいる寄留者だ。」といったからである。
とありますが、ゲルショムとは外国にいる寄留者という意味だろうか?

23節に
それから何年も経って、エジプトの王は死んだ。イスラエル人は労役にうめき、わめいた。彼らの労役のさけびは神に届いた。
とあるが、ここで言う労役とは一体どういうものだろうか?

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒21章1―5節を読みます。
天におられるお父様神様イエス様、どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・・
何度か読んでいると、4,5節が気になるので、これをもう何度か読みます。
御霊に示してもらえる、聖霊に語ってもらえる・・・イエス様を通して最高ですね・・・

No.2959 2007/09/08(Sat) 09:42:22

Re: 出エジプト記2章 / 昌夫 引用

1章22節で、パロがへブル人(イスラエル人のことです)たちに、生まれた男の子はみな、ナイルに投げ込まなければならない、と命令しました。

2章2節で、へブル人のレビ族の両親に男の子が生まれました。王の命令で軍隊が見張っていたようですが、彼らはその男の子を隠していました。

3節では、男の子が大きくなってきて、隠しきれなくなりました。見つかったらナイル川に投げ込まれて殺されるので、かごの中にナイル川の岸の葦の茂みの中に置きました。

11節の苦役とは、苦しい肉体労働のことです。1章14説にあるように、エジプト人たちはヘブル人たちを奴隷にして、粘土やれんがを作るための激しい労働や、畑の労働などを強制的にさせていたことをさします。同胞とは、この場合、へブル人のことです。

12節のようなことは、当時のエジプトで大きな事件だったと思います。

14節の「あのこと」とは、12節にある、モーセがエジプト人を殺したことです。

22節のゲルショムは「外国人」という意味のようです。

23節の労役とは、1章14節にあるような強制の労働です。

No.2960 2007/09/08(Sat) 12:56:52

再出エジプト記2章 / 沙耶香 引用

今日はもう一度出エジプト記2章を読みます。

>>1章22節で、パロがへブル人(イスラエル人のことです)たちに、生まれた男の子はみな、ナイルに投げ込まなければならない、と命令しました。

えー??ヘブル人ってイスラエル人のことなの?

うーん??この時代は苦役とか労役とかいろいろ辛かったんでしょうね・・・

>>1章22節で、パロがへブル人(イスラエル人のことです)たちに、生まれた男の子はみな、ナイルに投げ込まなければならない、と命令しました。

>>2章2節で、へブル人のレビ族の両親に男の子が生まれました。王の命令で軍隊が見張っていたようですが、彼らはその男の子を隠していました。

うん、こういう風な管理人様のご説明があるから、1章と2章とつながってくるけれど、自分ひとりで読み進めていると、私なんかは、何が何だか分からなくなって行きますね・・・・

私は今女性特有の症状でかなり憂鬱で、お腹も痛く頭も痛く、何もする気がしないですけれど、こういう風に聖書を読んでイエス様と通じていると何だか心の平安が宿ります。
それに憂鬱なときに今までイエス様が私にしてくださったことをいろいろ思うときにその恵や祝福でうっとりします。
家で虐待され嫌なことも多いけれど、その困難に目を向けていると辛いので、その困難の向こう側に神様がきっとよき計画を供えてくださっていると信じて期待して感謝しています。
そのおかげで、新しい住まいを見つけようとする力を与えられたのだと思います。

21節に
モーセは、思い切ってこの人と一緒に住むようにした。そこでその人は娘のチッポラをモーセに与えた。
とありますが、モーセもこれで幸せになれそうですね・・・

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒21章6―10節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいたが一つに絞れなかったので、全体をもう何度か読みます。
あまり語られませんでした。勉強不足でごめんなさい。

No.2961 2007/09/08(Sat) 19:53:36

Re: 出エジプト記2章 / 昌夫 引用

イスラエル人はへブル語を話すので、へブル人と呼ばれることがあります。

>モーセもこれで幸せになれそうですね・・

モーセは5−10節のようにパロの娘の養子なので、当時の強国エジプトの王子として40歳まで生活しました。その間にモーセはいろいろな教育を受けて、また12節にあるように、簡単に人を殺せるほどの武術も身につけていました。それはこの世的にはとても楽しい恵まれた生活だったと思います。しかし、モーセはそのような楽しい生活よりも、同胞のへブル人とともに苦しむことを選びました(2章11節とへブル書11章24-25節)。モーセはそのために、へブル人を打っていたエジプト人を打ちCENSOREDしまいました(12節)。

しかし、イスラエル人たちは、モーセを受け入れませんでした(13-14節)。殺人の罪のため、パロに追われるようになり、モーセや富んだエジプトを遠く離れ、荒野で羊飼いになりました。チッポラという妻をもらい、子が生まれたのは大きな祝福です。しかし、エジプトで王子だったモーセが、自分の優れた能力で同胞のへブル人たちを救おうとして失敗したことを思うと、モーセは荒野で失意のうちに過ごしたと思います。22節にモーセのそのような気持ちを感じます。

神は自分の優れた能力でへブル人を救おうとしたモーセが、神の力に頼りきる謙虚な人になるように、この荒野での失意の40年間をモーセに与えられたのだろう、と思います。

No.2962 2007/09/08(Sat) 23:52:40

Re: 出エジプト記2章 / 沙耶香 引用

ヘブル書11章24―25節・・・むしろ神の民と友に苦しむことを選び取りました・・・とありますね・・・
 
聖書の読み取りとは非常に難しいですね・・・

No.2963 2007/09/09(Sun) 05:57:49
出エジプト記1章 / 沙耶香 引用

今日は出エジプト記1章を読みます。

5節に
ヤコブから生まれた者の総数は70人であった。ヨセフはすでにエジプトにいた。
とありますが、生まれた者の総数が70人なんてヤコブは素晴らしいですね・・・

11節に
そこで、彼らを苦役で苦しめるために、彼らの上に労務の係長を置き、パロのために倉庫の町ピトムとラメセスを建てた。
とあるが、ヨセフの時代は過ぎ去ったのに、なぜパロは存在するのか?

15節に
また、エジプトの王は、ヘブル人の助産婦たちに言った。そのひとりの名はシフラ、もうひとりの名はプアであった。
とあるが、プアなんて英語では貧しいの意味だが・・・でもヘブル語では違うんだろうな−−−。

19節の
助産婦たちはパロに答えた。「ヘブル人の女はエジプト人の女と違って活力があるので、助産婦が行く前に産んでしまうのです。」
が印象に残りました。

・・・癒しに通じる読み方・・・・
今日は使徒20章28―32節を読みます。
天におられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると28節が気になるので、これをもう何度か読みます。
聖霊様・・・

No.2953 2007/09/07(Fri) 11:27:42

Re: 出エジプト記1章 / 昌夫 引用

5節で、ヤコブの子孫がすでに70人にもなっていたのは印象的ですね。さらに70という数字には特別な意味があるようです。7は完全を表し、10はこの世の権力を表すと言われています。それで70という数字は、ヤコブの子孫たちが、いずれこの世での繁栄をいただくことを表していると思います。

11節。パロは個人の名前ではなく、エジプトの王のことです。8節から、ヨセフの時代と王朝が変わったと思われます。

15節のプアは、へブル語では「素晴らしい」という意味だそうです。

No.2956 2007/09/07(Fri) 21:02:45

再出エジプト記1章 / 沙耶香 引用

今日はもう一度エジプト記1章を読みます。

ふーん、英語では貧しいのにヘブル語では素晴らしいか。うーん、実に素晴らしい。

12節に
しかし苦しめれば苦しめるほど、この民はますますふえ広がったので、人々はイスラエル人を恐れた。
とあるが、何で苦しめれば苦しめるほど、イスラエル人はますます増え広がったのだろうか?

16節に
彼は言った。「ヘブル人の女に分娩させるとき、産み台の上を見て、もしも男の子なら、それを殺さなければならない。女の子なら生かしておくのだ。」
とあるが、王様ともあろうお方が殺さなければならないと命じるなんてひどいなーーー。

21節の
助産婦たちは神を恐れたので、神は彼女たちの家を栄えさせた。
が印象に残りました。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒20章33―38節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると35節が気になるので、これをもう何度か読みます。
イエス様イエス様イエス様イエス様どうか私にイエス様とともに楽しく過ごせる住まいをお与えください。アーメン・・・

No.2957 2007/09/07(Fri) 22:54:00

Re: 出エジプト記1章 / 昌夫 引用

12節は、神がアブラハムとの約束(創世記12:1−3、13章14−17節、17章1−8節など)どおり、アブラハムの子孫であるイスラエル人を増やされました。エジプト人たちは、イスラエル人たちを苦しめても彼らが増えるので、何か奇蹟的なものを感じたと思います。

21節。助産婦たちは、この世の権力者であったパロも恐れただろうけれど、そのような恐れに支配されて、へブル人の男の子を殺せ、というパロの命令に従いませんでした。パロよりも神を恐れたからです。それで、神は彼女たちの家を祝福されました。印象的ですね。

No.2958 2007/09/08(Sat) 06:58:21
創世記50章 / 沙耶香 引用

今日は創世記50章を読みます。

2節に
ヨセフは彼のしもべである医者達に、父をミイラにするように命じたので、医者たちはイスラエルをミイラにした。
とありますが、ミイラって死体を保存することだったっけ?この時代にそういうことができたのだろうか?

3節に
そのために40日を要した。ミイラにするにはこれだけの日数が必要だった。エジプトは彼のために70日間、泣き悲しんだ。
とありますが、ミイラにするのに40日も要するんだ???うーん、かなり難しい作業なんですね・・・

8節に
ヨセフの全家族とその兄弟たちおよび父の家族たちも上って行った。ただ、彼らの子供と羊と牛はゴシェンの地に残した。
とありますが、何で子供と羊と牛はゴシェンに残してきたのだろうか?何か意味があるのだろうか?

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒20章18―22節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・・
何度か読んでいると21節が気になるので、これをもう何度か読みます。
信仰をはっきり主張するのはとても素晴らしいですね・・・

No.2950 2007/09/06(Thu) 10:19:49

再創世記50章 / 沙耶香 引用

今日はもう一度創世記50章を読みます。

最近、おしりかじり虫という曲が人気があるらしいですね・・・
だからって別に何もないんだけれど・・・

1節の
ヨセフは父の顔に取りすがって泣き、父に口付けした。
が印象に残りました。

16,17節の
そこで彼らはことづけしてヨセフに言った。「あなたの父は死ぬ前に命じて言われました。
「ヨセフにこう言いなさい。あなたの兄弟たちは実に、あなたに悪いことをしたが、どうか、あなたの兄弟たちのそむきと彼らの罪を赦してやりなさい、と。」今、どうか、あなたの父の神のしもべたちのそむきを赦して下さい。」ヨセフは彼らのこのことばを聞いて泣いた。
が印象に残りました。

20節の
あなたがたは、私に悪を計りましたが、神はそれを、よいことのための計らいとなさいました。それはきょうのようにして、多くの人々を生かしておくためでした。
が印象に残りました。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒20章23―27節を読みます。
天におられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、27節が気になるので、これをもう何度か読みます。
うん、神のご計画が一番素晴らしいのです。人間のはかない計画なんて目じゃないです。

No.2951 2007/09/06(Thu) 20:50:37

Re: 創世記50章 / 昌夫 引用

2節。エジプトではヤコブよりずっと古い時代から死体をミイラにして保存する技術を発達させてきていました。エジプトのピラミッドは王の墓で、王のミイラや財宝が入れられていました。

8節。46章31−34節などから、ゴシェンは羊や牛を飼うのに適した地だったと思います。それで、羊や牛を残し、その世話のために彼らの子どもはゴシェンに残したのだと思います。

20節がとても大切だと思います。全知全能の神は弟を奴隷として売るという罪の行いさえも、ご自分の善いご計画のために善用されました。今でも多くの人々が悪を計りますが、信仰者は心配しなくとも、神はすべてのことをともに働かせて信仰者の益としてくださいます(ローマ8章28節)。

No.2952 2007/09/06(Thu) 21:51:47

Re: 創世記50章 / 沙耶香 引用

うーん、でも信仰者は、悪いことでさえ益としてくださるから、悪いことに全く対策をとらないというのは違うと思うのです。取れる対応はすべてとって、それでもなおかつ起こってくる悪いことは、仕方ないので、益としてくださるように祈るという感じがいいと思います。

No.2954 2007/09/07(Fri) 11:29:54

Re: 創世記50章 / 昌夫 引用

>でも信仰者は、悪いことでさえ益としてくださるから、悪いことに全く対策をとらないというのは違うと思うのです。

そうですね。信仰者は完全に神に頼りつつ、同時に、自分の力を完全に神に使っていただけるように努力することが大切だと思います。そのためには、まず自分の中の悪に気をつけること、それから、自分がまわりの人々をつまずかせないようにすることに気をつけて祈っていたいと思います。

No.2955 2007/09/07(Fri) 20:49:03
創世記49章残り / 沙耶香 引用

今日は創世記49章残りを読みます。

お腹が痛い。イエス様癒してください。

17節に
ダンは、道のかたわらの蛇、小道のほとりのまむしとなって、馬のかかとをかむ。それゆえ、乗るものはうしろに落ちる。
とあるが、これはどういう意味だろうか?やっぱり比喩?

19節に
ガドについては、襲うものが彼を襲うが、彼はかえって彼らのかかとを襲う。
とありますが、先ほども出てきたが、かかとというのは何か意味があるんだろうか?

22節に
ヨセフは実を結ぶ若枝、
泉のほとりの実を結ぶ若枝、
その枝は垣を越える。
とあるが、これはヨセフは力持ちだと言いたいのかな?

25節に
あなたを助けようとされる
あなたの父の神により、また、
あなたを祝福しようとされる
全能者によって。
その祝福は上よりの天の祝福、
下に横たわる大いなる水の祝福、
乳房と胎の祝福。
とありますが、下に横たわる大いなる水の祝福、乳房と胎の祝福とは何だろうか?

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒20章8―12節を読みます。
天におられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると12節が気になるので、これをもう何度か読みます。
やはり主イエス様を通すと癒されます。

No.2945 2007/09/05(Wed) 11:53:33

Re: 創世記49章残り / 昌夫 引用

17節は比喩だと思います。17−19節で、蛇とかかとというと、僕は3章14−15節を連想します。3章では、蛇はサタンで、「彼」とはキリストで、「かかとにかみつく」は、大きな苦痛を与えても致命的ではないことを表すようです。49章でも、僕はダン族から何か大きな悪が出てくることをイメージしますが、はっきり分かりません。

22節は、ヨセフの子孫の2つの部族、特にエフライム族がイスラエルで有力となることの預言だと思います。

25節の「下に横たわる大いなる水に祝福」はこの世的には地を潤す水、泉、川などの祝福、「乳房と胎の祝福」は多くの子孫を得る祝福だろうと思います。さらに霊的な意味もあるのだろうと思いますが、よく分かりません。

No.2947 2007/09/05(Wed) 22:27:31

再創世記49章残り / 沙耶香 引用

今日はもう一度、創世記49章残りを読みます。

21節に
ナフタリは放たれ雌鹿で、
美しい子鹿を産む。
とあるが、鹿に例えられているのかな?鹿はどういうたとえなんだろうか?獅子というのは元気がいいという風に取れるが、鹿はどういう風に取ったらいいのか?

24節に
しかし、彼の弓はたるむことなく、
彼の腕はすばやい。
これはヤコブの全能者の手により、
それはイスラエルの岩なる牧者による。
とあるが、イスラエルの岩なる牧者って誰だろうか?イエス様のことだろうか?

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒20章13―17節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると16節が気になるので、これをもう何度か読みます。
うーん、あまりピンと来ないが・・・

No.2948 2007/09/05(Wed) 22:54:44

Re: 創世記49章残り / 昌夫 引用

21節、「放たれ雌鹿」ということで、僕は、人間に飼われていない自由で美しい、というイメージを持ちます。詩なので、まず自分のイメージで読んでみて、それから、他の人たちのイメージと比べてみると良いかもしれません。

24節の「イスラエルの岩なる牧者」は、その前の「ヤコブの全能者」と同じような意味ですから、全能の神であり、また沙耶香さんが読まれたように、キリストと思います。

No.2949 2007/09/05(Wed) 23:01:05
創世記49章17節まで / 沙耶香 引用

今日は創世記49章17節までを読みます。

4節の
だが、水のように奔放なので、もはや、あなたは他をしのぐことがない。あなたは父の床に上り、そのとき、あなたは汚したのだ。―彼は私の寝床に上った。―
はどういう意味だろうか?汚す?何を?

5節の
シメオンとレビとは兄弟、彼らの剣は暴虐の道具。
はどういう意味だろうか?うーん???

7節に
のろわれよ。彼らの激しい怒りと、彼らのはなはだしい憤りとは。私は彼らをヤコブの中でわけ、イスラエルの中に散らそう。
とあるが、イスラエルの中に散らすとはどういう意味だろうか?

8節に
ユダよ。兄弟たちはあなたをたたえ、貴方の手は敵のうなじの上にあり、あなたの父の子らはあなたを伏し拝む。
とあるが、これはどういうことだろうか?敵とは誰だろうか?

9節に
ユダは獅子の子。わが子よ。あなたは獲物によって成長する。雄獅子のようにまた雌獅子のように、彼はうずくまり、身を伏せる。だれがこれを起こすことができようか。
とあるが、獅子の子というのは元気がいいという比喩的表現だろうか?

10節に
王権はユダを離れず、統治者の杖はその足の間を離れることはない。ついにはシロがきて国々の民は彼に従う。
とありますが、これはどういう意味だろうか?王権がユダを離れない??統治者の杖??何かの比喩的表現だろうか?

11節に
彼はそのろばをぶどうの木につなぎ、その雌ろばの子を、よいぶどうの木につなぐ。彼はその着物を、ぶどう酒で洗い、その衣をぶどうの血で洗う。
とあるが、これは比喩的表現だろうか?

13節に
ゼブルンは海辺に住み、そこは船の着く岸辺。その背中はシドンにまで至る。
とあるが、ゼブルンて誰だろうか?

14節に
イッサカルはたくましいろばで、彼は二つの鞍袋の間に伏す。
とありますが、これはどういう意味だろうか?

痛い。お腹が痛くてたまらない。イタイイタイ。神様イエス様どうか腹痛を癒してください。アーメン・・・

15節に
彼は、休息がいかにも好ましく、その地が、いかにも麗しいのを見た。しかし、彼の肩は重荷を負ってたわみ、苦役を強いられる奴隷となった。
とありますが、これはどういう意味だろうか?肩が重荷を負ってたわむ??肩が奴隷となるの???

17節に
ダンは、道のかたわらの蛇、小道のほとりのまむしとなって、馬のかかとをかむ。それゆえ、乗る者はうしろに落ちる。
とあるが、これは比喩的な表現なのか?意味不明だ。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒19章39―41節、20章1,2節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・・
何度か読んだが、一つに絞れなかったので、全体をもう何度か読みます。
この時代は何だかいろんな騒ぎや議会があったのですね・・・

No.2942 2007/09/04(Tue) 11:10:33

Re: 創世記49章17節まで / 昌夫 引用

49章の2−27節は、詩の形式になっているので、詩篇のときのように比喩的に読んでみてください。また、へブル語の詩では、同じような意味のことを、2度繰り返すことが多いことを思い出しておいてください。この詩で、ヤコブが12人の息子の子孫たちのことを預言しています。

4節は、ルベンが35章22節でしたことによって、自分自身を汚したということだと思います。この「汚(けが)れ」とは、日本の神道での汚れとよく似ています。罪を犯すと自分を汚すことになり、きよくする必要があります。神の前に汚れたままで出ると、死んでしまいます。

5節は、34章でシメオンとレビが暴虐の行いをしたことを言っています。

ヤコブの長男のルベン、次男と三男のシメオンとレビは、4−5節にあるそれぞれの罪の行いのために長子の権利を失いました。他の兄たちもヨセフを売った罪で調子の権利を失ったと思います。長子の権利はヨセフの二人の息子のマナセとエフライムが受けついだことを48章5節で見ました。特にエフライムの子孫のエフライム族は後にイスラエルの国のリーダー的な存在になります。22−26節はヨセフの子孫の繁栄を預言しています。

もうひとつの選びとして、救い主(キリスト、あるいはメシヤ)がどの部族から出るか、ということがあります。これにはユダの子孫のユダ族が選ばれました。これはユダが44章18−34節で、自分の命を捨ててヨセフに対しベニヤミンのとりなしをしたことによるのだろうと思います。8−12節は、ユダ族についての預言です。

8節の敵とは、この世ではユダ族を迫害する人たちなどで、霊的にサタンと悪霊たちだと思います。

9節の獅子の子は、活動的で、父の強さを信頼して恐れない、というようなイメージだと思います。

10節の1行目と2行目は、同じような意味のことを繰り返しています。王権は、ユダ族から出るキリストがイスラエルの永遠の王権を持つこと、統治者とはキリストです。シロとは「平和」という意味で、「シロが来て」とは、キリストの来臨を表します。

11節は、信仰者の罪による汚れを、キリストの血できよめることを表していると思います。

13節のゼブルンは将来のゼブルン族で、彼らが、イスラエルの海岸線に近いところに割り当て地をもらうことが預言されているようです。

14節は、イッサカル族がたくましくよく働く部族になることを表しているようです。

15節は、イッサカル族が奴隷となって苦しい働きをするようになることを、肩に重荷を背負ったろばのイメージで表していると思います。

17−18節は解釈がとても難しいと思います。黙示7章5−8節でダン族の名前だけがないことを考え合わせると、ダン族から大きな悪が出るような、何か霊的に大きな問題が起こることが書かれているように思います。

No.2943 2007/09/04(Tue) 21:57:34

再創世記49章17節まで / 沙耶香 引用

今日はもう一度創世記49章17節までを読みます。

3節に
ルベンよ。あなたはわが長子。
わが力、わが力の始めの実。
優れた威厳と優れた力のあるもの。
とありますが、長子は相当すぐれた者と考えられていたんですね・・・

うん、12部族に分かれた・・という聖書の最後の地図でダンというところを見たことあります。

6節に
わがたましいよ。彼らの仲間に加わるな。
わが心よ。彼らの集いに連なるな。
彼らは怒りに任せて人を殺し、
ほしいままに牛の足の筋を切ったから。
とありますが、ほしいままに牛の足の筋を切ったって何かの比喩かな?

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒20章3―7節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると6,7節が気になるので、これをもう何度か読みます。
昔は、いろんな行事がたくさんあったのですね・・・

No.2944 2007/09/05(Wed) 00:35:12

Re: 創世記49章17節まで / 昌夫 引用

6節は「彼のらは怒りにまかせて人を殺し」と「ほしいままに牛の足の筋を切ったから」が、へブル語の詩に多い同じようなことの繰り返しになっています。どちらも、34章25−29節でのシメオンとレビの暴虐を表しています。実際にも人を殺し、牛の足の筋を切ったと思いますが、他にも34章に書かれているような暴虐の行いをしたのを、この2つの行いで表していると思います。牛の足の筋を切った理由がよく分かりませんが、当時の戦いでの略奪の方法のひとつのようです。

No.2946 2007/09/05(Wed) 22:15:48
創世記48章 / 沙耶香 引用

今日は創世記48章を読みます。

4節に
私に仰せられた。「わたしはあなたに多くの子を与えよう。あなたをふやし、あなたを多くの民のつどいとし、またこの地をあなたの後の子孫に与え、永久の所有としよう。」
が印象に残りました。

6節に
しかしあとからあなたに生まれる子供達はあなたのものになる。しかし、彼らが家を継ぐ場合、彼らは、彼らの兄達の名を名乗らなければならない。
とありますが、何で彼らは彼らの兄達の名を名乗らなければならないのか?

7節に
私のことを言えば、私がパダンから帰ってきたとき、その途上カナンの地で、悲しいことに、ラケルが死んだ。そこからエフラテに行くには、なお道のりがあったが、私はエフラテ、すなわちベツレヘムへの道のその場所に彼女を葬った。」
とありますが、一番愛するラケルがなくなったらかなりショックでしょうね・・・

12節の
ヨセフはヤコブのひざから彼らを引き寄せて、顔を地につけて、伏し拝んだ。
が印象に残りました。

16節の
すべてのわざわいから私を購われた御使い。
この子供達を祝福してください。私の名が先祖アブラハムとイサクの名とともに、彼らのうちにとなえ続けられますように。
また彼らが地のまなかで、豊かにふえますように。」
はどういう意味だろうか?

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒19章29―33節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいたが、一つに絞れなかったので、全体をもう何度か読みます。
うーん、今一ピンとこなかった・・・

No.2937 2007/09/02(Sun) 22:45:50

Re: 創世記48章 / 昌夫 引用

5節で、ヤコブはルベンの持っていた長子の権利をヨセフの2人の子のマナセとエフライムに与えたようです。1歴代誌5章1-2節を読むと、長子の権利がマナセとエフライムに与えられたことが書いてあります。それで、マナセの子孫たちととエフライムの子孫たちは、それぞれイスラエルの部族を作ります。

6節はヨセフのほかの弟たちの子孫は、別の部族を作るのではなくマナセ族かエフライム族に属すということです。たぶん、これは、部族が増えすぎないための処置だと思います。

16節。「贖われた」はもともとは「奴隷として売られていた者を買い戻す」という意味だそうです。ヤコブは信仰によって、罪から贖われていました。この語は聖書でここで初めて使われこれから何度も出てきます。ヤコブは神と、ヤコブを贖われた御使いに、マナセとエフライムを祝福し、子孫が約束の地でふえるように、お祈りしました

No.2938 2007/09/03(Mon) 11:41:23

再創世記48章 / 沙耶香 引用

今日はもう一度創世記48章を読みます。

13節に
それからヨセフはふたりを、エフライムは自分の右手に取ってイスラエルの左手に向かわせ、マナセは自分の左手にとってイスラエルの右手に向かわせて、彼に近寄らせた。
とあります。続く14節に
すると、イスラエルは、右手を伸ばして、弟であるエフライムの頭の上に置き、左手をマナセの頭の上に置いた。マナセが長子であるのに、彼は手を交差して置いたのである。
とありますが、長子であるというのと左手と右手となんか関係があるのだろうか?交差するということも何か関係があるのだろうか?

あ、18節に
ヨセフは父に言った。「父上。そうではありません。こちらが長子なのですから、あなたの右の手を、こちらの頭においてください。」
とあります。長子の上に右手を置くという習慣があったのですね・・・

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒19章34―38節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると34節が気になるのでこれをもう何度か読みます。
ユダヤ人というのは差別の対象になっていたのだろうか?

No.2940 2007/09/03(Mon) 22:30:28

Re: 創世記48章 / 昌夫 引用

ヤコブの長子の権利を与えられたマナセとエフライムですが、特に、その二人の中でも、弟のエフライムに特別な祝福が与えられました。神が兄弟のうち弟を選ばれるという型が、エサウとヤコブの兄弟と同じように使われています。

使徒19章34−35節で、ユダヤ人は創造主を崇拝し、エペソ人たちの多くは女神アルテミスを崇拝していたので、ユダヤ人たちは差別を受けていたことが分かると思います。イエスもユダヤ人ですが、不思議なことに、後になってヨーロッパでクリスチャンが多数を占めるようになると、ユダヤ人に対する激しい差別と迫害を始めました。

No.2941 2007/09/03(Mon) 23:17:02
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