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創世記47章 / 沙耶香 引用

今日は創世記47章を読みます。

6節の
エジプトの地はあなたの前にある。最もよい地にあなたの父と兄弟たちとを住ませなさい。もし彼らの中に力のある者がいるのを知っていたら、そのものを私の家畜の係長としなさい。」
が印象に残りました。

9節に
ヤコブはパロに答えた。「私のたどった年月は130年です。私の齢の年月はわずかで、ふしあわせで、私の先祖のたどった齢の年月には及びません。」
とありますが、130歳なんてかなりのご長寿ですよね?

12節に
またヨセフは父や兄弟たちや父の全家族、幼い子どもに至るまで、食物を与えて養った。
が印象に残りました。以前の仕打ちも神のなさった御業と考え、こういう風なことのできるヨセフ、そうさせてくださったイエス様素晴らしいです。

20節に
それでヨセフはエジプトの全農地を、パロのために買い取った。ききんがエジプト人にきびしかったので、彼らが皆、その畑地を売ったからである。こうしてその土地はパロのものとなった。
とあるが、ききんがエジプト人に厳しかったというのはちょっとおかしいのではないか?
ききんというのは自然現象なのだから・・・

21節に
彼は民を、エジプトの領土の端から端まで町々に移動させた。
とあります。続く22節に、
ただ祭司たちの土地は買い取らなかった。祭司たちにはパロからの給料があって、彼らはパロが与える給与によって生活していたので、その土地を売らなかったからである。
とありますが、これはどういう意味だろうか?何だかあまり意味が取れないが・・・

25節に
すると彼らは言った。「あなたさまは私たちを生かしてくださいました。私たちは、あなたのお恵みをいただいてパロの奴隷となりましょう。」
とありますが、ヨセフの兄弟はパロの奴隷となったということだろうか?

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒19章19―23節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると20節が気になるので、これをもう何度か読みます。
やはり主の御言葉ですよね・・これが一番大切だ。

No.2933 2007/09/01(Sat) 22:00:35

再創世記47章 / 沙耶香 引用

今日はもう一度創世記47章を読みます。

11節の
ヨセフは、パロの命じたとおりに、彼の父と兄弟たちを住ませ、彼らにエジプトの地で最もよい地、ラメセスの地を所有として与えた。
が印象に残りました。

14節に
それで、ヨセフはエジプトの地とカナンの地にあったすべての銀を集めた。それは人々が買った穀物の代金であるが、ヨセフはその銀をパロの家に納めた。
とあります。続く15節に
エジプトの地とカナンの地に銀が尽きたとき、エジプト人がみなヨセフのところに来て言った。「私たちに食物をください。銀が尽きたからといって、どうして私たちがあなたさまの前に死んでよいでしょう。」
とあります。また続く、16節に
ヨセフは言った。「あなたがたの家畜をよこしなさい。銀が尽きたのなら、家畜と引き換えに与えよう。」
とありますが、こういう風に銀をもろもろのものに変えていたんだ??

28節に
ヤコブはエジプトの地で17年生き長らえたので、ヤコブの一生の年は147年であった。
とありますが、長生きしましたね。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒19章24―28節を読みます。
天におられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいたが、一つに絞れなかったので、もう何度か全体を読みます。
エペソ人のアルテミス??よく分からないなー−−。

No.2935 2007/09/02(Sun) 07:07:28

Re: 創世記47章 / 昌夫 引用

14-16節の背景として、ききんのため、ヨセフが管理していた穀物にはとても価値があったということがあります。穀物をヨセフから買わないと、飢えで死んでしまうような状況でした。

14節で、銀が今のお金のように使われ、ききんのあったエジプトで、人々は銀で穀物を買っていたことが分かると思います。

15-16節では、人々の銀が尽きたので、ヨセフは家畜と引き換えに穀物をわたすことにしました。

No.2936 2007/09/02(Sun) 11:56:19
創世記46章 / 沙耶香 引用

うーん・・・もうすぐ創世記終わってしまうみたいです。神様イエス様次に読む聖書個所をお教えください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・

今日は創世記46章を読みます。

3節に
すると仰せられた。「私は神、あなたの父の神である。エジプトに下ることを恐れるな。わたしはそこで、貴方を大いなる国民にするから。
とありますが、あなたの父の神だったらあなた=ヤコブの神ではないの?何であなたの父の神というんだろうか?

4節に
わたし自身があなたといっしょにエジプトにくだり、また、わたし自身が必ずあなたを再び導き上る。ヨセフの手はあなたの目を閉じてくれるであろう。」
はどういう意味だろうか?

30節の
イスラエルはヨセフに言った。「もう今、私は死んでもよい。この目で貴方が生きているのを見たからには。」
が印象に残りました。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒19章9―13節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると12節が気になるので、これをもう何度か読みます。
うーん、何だか素晴らしいですね・・・私もこのように癒されたいといつも祈っています。

No.2930 2007/08/31(Fri) 20:51:53

Re: 創世記46章 / 昌夫 引用

創世記の次に読む書ですが、創世記と出エジプト記はとても関係が深いので、普通に考えると、出エジプト記を読むのが良いだろうと思います。神さまにそれが良いかどうか、祈りのなかで聞いてみてください。

46章3節。神は後で出エジプト3章6節で、ヤコブの子孫のモーセの前に現れられました。そこで、「わたしはあなたの神である」とは言われず、「わたしは、あなたの父の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。」と言われました。これは、神はモーセの神ではない、という意味ではありません。神はヤコブの神であり、モーセの神であられます。同じように、神はヤコブに対しても、「わたしはあなたの神である」とは言われず、3節で「わたしは神、あなたの父の神である。」と言われたけれども、これは神はヤコブの神ではない、という意味ではありません。

まず大切なことは、神が言われたことから、言われなかったことについて否定されているように考えて、混乱しないようにする、ということだと思います。3節の場合、神は「わたしは、あなたの父の神であって、あなたの神ではない」と言われていないので、そういう言われないことまで、もし言われているように考えてしまうと、混乱してきます。

次に、なぜ、神は出エジプト3章6節にあるように、ヤコブの神であるのに、3節でヤコブに対しては「わたしはあなたの神である。」と言われず、「あなたの父の神である。」と言われたのか、ということを考えてみます。このためには、聖書にだれそれの神、とあるところを全部調べていくと良いので、これから聖書を読み進んでいくときに、そういう表現に気をつけておいてください。

創世記の今までのところでは、神がアブラハムに語られた最初の聖書の記録は12:1−3ですが、、神はご自分がだれそれの神である、とは言われたことが書いていません。また、アブラハムの父のテラは、子どもたちの名前などから、主以外の神々を崇拝していたと思われます。おそらく神は、アブラハムに対し、彼の子孫の祝福と、地上のすべての民族のアブラハムを通しての祝福を約束される方として、ご自分を示されたのだと思います。15:1でも、「わたしはあなたの盾である。」と言われていますが、「あなたの神である」と言い方はされていません。15章6節で神が信仰により、アブラハムを義と認められ、9−17節で契約関係に入られて後、17章1節では、「わたしは全能の神である。」と言われています。

神がイサクに現れられたとき、26章2−5節にあるように、ご自分がアブラハムの神であることを間接的に言われています。ここでは、アブラハムが神に聞き従ったことを、神が言われていることが重要だと思います。また、24節では「わたしはあなたの父アブラハムの神である。」と言われています。

この後の創世記では、創世記48章15節では、ヤコブが「私の羊飼いであられた神」と言っていることが重要だと思います。特にイスラエル人については、主はアブラハムの信仰によって義とされて、契約関係に入られ、アブラハムが聞き従ったこととによって、イスラエルの人々と特別な関係を持つ神となられた、ということが重要であるのだと思います。それで、イサク、ヤコブ、モーセには「あなたの父の神である。」と言われたのだと思います。

4節の最後は、ヤコブの特に愛する子のヨセフが、ヤコブが死ぬときに一緒にいて、ヤコブが死んだら目を閉じてくれるであろう、という意味です。

No.2931 2007/08/31(Fri) 23:19:30

再創世記46章 / 沙耶香 引用

今日はもう一度創世記46章を読みます。

うーん、何だかとても難しいですね・・・でも大変長らく丁寧にご説明くださり感謝します。

天のお父様神様イエス様どうか創世記の次に私が読む聖書の個所をお導きください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・

じゃ4節の
わたし自身があなたといっしょにエジプトにくだり、また、わたし自身が必ずあなたを再び導き上る。ヨセフの手はあなたの目を閉じてくれるであろう。」
の再び導き上るは、死ぬときということなの?

29節の
ヨセフは車を整え、父イスラエルを迎えるためにゴシェンへ上った。そして父に会うなり、父の首に泣きつき、その首にすがって泣き続けた。
が印象に残りました。

34節に
あなたがたは答えなさい。「あなたのしもべどもは若いときから今まで、私たちも、また私たちの先祖も家畜を飼うものでございます。」と。そうすれば、あなたがたはゴシェンの地に住むことができるでしょう。羊を飼うものはすべて、エジプト人に忌み嫌われているからです。」
とありますが、何で羊を飼う物はすべて、エジプト人に忌み嫌われているのだろうか?

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒19章14―18節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると17節が気になるので、これをもう何度か読みます。
主イエス様は素晴らしいですよね・・・

No.2932 2007/09/01(Sat) 13:39:31

Re: 創世記46章 / 昌夫 引用

4節の、「わたし自身が必ずあなたを再び導き上る」は後の歴史を見ると、ヤコブ自身のことではなく、ヤコブが死んでずっと後のモーセと彼の後継者のヨシュアの時に、ヤコブの子孫のイスラエルの民がカナンの地に帰ることです。神がアブラハムの子孫に与えると約束されたのはエジプトではなく、カナンの地なので、カナンの地にイスラエルの民が再び戻ってくることは、とても重要なことです。

34節。当時のエジプトでは農耕などの仕事などに比べ、羊を飼う仕事は、とても身分の低い人々の仕事と考えられていたようです。

No.2934 2007/09/02(Sun) 03:43:04
創世記45章 / 沙耶香 引用

今日は創世記45章を読みます。

5節の
今、私をここに売ったことで心を痛めたり、いかったりしてはなりません。神は命を救う為に、あなた方より先に、私を遣わしてくださったのです。
が印象に残りました。あんなひどい目にあっていながらこういう考え方ができるなんてヨセフ、本当に素晴らしいです。だからこそ、エジプト全土を任されたのだと思います。

11節の
ききんはあと5年続きますから、あなたも家族も、また、すべてあなたのものが、困ることのないように、私はあなたをそこで養いましょう。」と。
が印象に残りました。

19節に
あなたは命じなさい。「こうしなさい。子供達と妻達のために、エジプトの地から車を持っていき、あなたがたの父を乗せて来なさい。
とありますが、この時代に車なんてあったのか?不思議だ。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒18章27、28節、19章1―3節を読みます。
天におられるおお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると28節が気になるので、これをもう何度か読みます。
聖書の神の御言葉によって語ることは素晴らしいですよね。

No.2925 2007/08/30(Thu) 18:50:05

Re: 創世記45章 / 昌夫 引用

5節はとても大切なところだと思います。兄弟たちがねたみからヨセフを奴隷として売ったことは罪の行いであったが、神は、罪の行いもご自分の素晴らしいご計画のために善用されました。

19節の車は、ガソリンで動く自動車ではありません。昔のエジプトの絵を見ると、人が何人かで車を引いていたことが多いようです。

No.2928 2007/08/30(Thu) 21:01:57

再創世記45章 / 沙耶香 引用

あー−−ため息ため息。またこの前と同じようにsubmit押しても動かなくなったので、コントロールとオルトとデルキーを押したのだが、うまくいかず、結局またやり直し・・・最近パソコンが何かおかしい。
でも使えるからほったらかしにしているが、何だかしょっちゅうこんな風になっていると不安になる・・・大丈夫なのだろうか?

今日はもう一度創世記45章を読みます。

3,4節の
ヨセフは兄弟たちに言った。「私はヨセフです。父上はお元気ですか。」兄弟たちはヨセフを前にして驚きのあまり、答えることができなかった。
ヨセフは兄弟たちに言った。「どうか私に近寄ってください。」彼らが近寄ると、ヨセフは言った。「私はあなたがたがエジプトに売った弟のヨセフです。
が印象に残りました。

9節の
それで、あなたがたは急いで父上のところに上って行き、言ってください。「貴方の子ヨセフがこう言いました。神は私をエジプト全土の主とされました。ためらわずに私のところに下ってきてください。
が印象に残りました。

15節の
彼はまた、すべての兄弟に口付けし、彼らを抱いて泣いた。そのあとで、兄弟たちは彼と語り合った。
が印象に残りました。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒19章4―8節を読みます。
天におられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、6,8節が気になるので、これをもう何度か読みます。
自分の中の聖霊が語るようになってくると素晴らしいですね・・・

No.2929 2007/08/31(Fri) 11:42:44
創世記44章 / 沙耶香 引用

今日は創世記44章を読みます。

5、6,7節に
これは、私の主人が、これでのみ、また、これでいつもまじないをしておられるのではないか。あなたがたのしたことは悪辣だ。」というのだ。」
彼は彼らに追いついて、このことばを彼らに告げた。
すると、彼らは言った。「あなたさまは、なぜそのようなことをおっしゃるのですか。しもべどもがそんなことをするなどとは、とんでもないことです。
が印象に残りました。やはり前の仕打ちが赦せないのだろうか?

15節に
ヨセフは彼らに言った。「あなたがたのしたこのしわざは、何だ。私のようなものはまじないをするということを知らなかったのか。」
とあるが、まじないをするというのはどういうことだろうか?

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒18章16―21節を読みます。
天におられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると21節が気になるので、これをもう何度か読みます。
何でも御心にしかならないですよね・・・

No.2921 2007/08/29(Wed) 19:44:05

Re: 創世記44章 / 昌夫 引用

5,6,7節で、ヨセフは兄弟たちが赦せなくて復讐をしているのではなく、兄弟たちの心を試しているのだと思います。ヨセフは、自分が父ヤコブに特に愛されたのは、父が年をとってからの子であることと、父の愛するラケルの子であることが理由であったと知っていたと思います。それで、同じ理由で父ヤコブが弟のベニヤミンを特に愛していたことを知っていたでしょう。

他の兄弟たちは、以前に自分に嫉妬したように、またベニヤミンに嫉妬しているのだろうか。あるいは、自分に対してしたことを悔い改め、ヤコブが特に愛しているベニヤミンを守ろうとするだろうか。それをヨセフは知りたかったと思います。

さらに神がヨセフを用いてされたことも、兄弟たち、特にユダを試すことだったと思います。43章9節で、ユダは口で、自分の命を捨ててもベニヤミンを守ると言った。このように口で言ったことを、本当に行いでするかどうか、神は試されることが多いのです。それで、神はヨセフを用いてユダを試された。

18−34節のユダの弁明は素晴らしいものです。ユダは自分の命を捨て、ヤコブの愛するベニヤミンの代わりに自分が奴隷としてエジプトに残ることを33節で申し出ました。これは、イエスが僕たち罪人の代わりに、十字架にかかられて罰を受けられたことの型となっています。

No.2923 2007/08/29(Wed) 23:09:51

再創世記44章 / 沙耶香 引用

何だか消えてしまってもう一度やり直さないといけないです。感謝します。

今日はもう一度創世記44章を読みます。

8節に
私たちが、袋の口から見つけた銀でさえ、カナンの地からあなたのもとへ返しに来たではありませんか。どうしてあなたのご主人の家から銀や金を盗んだりいたしましょう。
とありますが、兄弟たちの切実な思いが如実に表れていますね・・・

5節に
これは、私の主人が、これでのみ、また、これでいつもまじないをしておられるのではないか。あなたがたのしたことは悪辣だ。」と言うのだ。」
とあります。15節に
ヨセフは彼らに言った。「あなたがたのしたこのしわざは、何だ。私のようなものはまじないをするということを知らなかったのか。」
とあります。この2節の”まじない”とは一体何だろうか?

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒18章22―26節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいたが一つに絞れなかったので、もう何度か全体を読みます。
伝道することは大切なことですよね・・・

No.2924 2007/08/30(Thu) 12:33:25

Re: 創世記44章 / 昌夫 引用

5節、15節にある「まじない」は、普通は世界を創造された神である主ではない霊的存在(例えばエジプトの神々)に何かを聞いたり、頼んだりするために、霊的な動作を行うことです。ヨセフは主を知っていたので、他の霊的存在ではなく、主にいろいろなことを聞いたりしていたであろうと思います。その場合、まじないのような動作は必要なのですが、エジプト人たちが不信に思わないように、エジプト人と同じような動作をしていたと思います。

No.2927 2007/08/30(Thu) 20:56:08
創世記43章 / 沙耶香 引用

今日は創世記43章を読みます。

12節に
そして、2倍の銀を持っていきなさい。あなたがたの袋の口に返されていた銀も持っていって返しなさい。それはまちがいだったのだろう。
とあるが、この銀というのは一体何だろうか?相当の価値のあるものなのだろうか?何で2倍にしてもっていくのだろうか?何か意味があるのだろうか?

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒18章6―10節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、9,10節が気になるので、これをもう何度か読みます。
うん、恐れてはならないですね・・・主イエス様だけを見上げないと・・・

No.2916 2007/08/28(Tue) 23:17:23

Re: 創世記43章 / 昌夫 引用

銀は当時、お金として使われていたようです。

12節ですが、穀物の代金として支払った銀が袋の口に返されていたのは、ヨセフのところで働いているエジプトの人が何かの間違いで返したのだろう、とヤコブは判断したようです。エジプト側のまちがいであるにしても、ヤコブの息子たちに盗みの疑いがかかる恐れがあります。それで、潔白であることを示すために、2倍に銀を持って行かせることにしたのだと思います。

No.2919 2007/08/28(Tue) 23:42:54

再創世記43章 / 沙耶香 引用

今日はもう一度創世記43章を読みます。

9節に
私自身が彼の保証人となります。私に責任を負わせてください。万一、彼を貴方の元に連れ戻さず、あなたの前に彼を立たせなかったら、私は一生あなたに対して罪ある者となります。
とあるが、保証人となると言っておいて、一生貴方に対して罪ある者となるっていうのは少し違うのでは・・・?

あーーー、今父が話し掛けてきて、嫌なこと言われたので、何だか集中できなくなってきました。もー人の邪魔する名人なのだから・・・
天のお父様どうか私が今聖書を読むことに集中できますように。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・

18節の
ところが、この人たちはヨセフの家に連れて行かれたので、恐れた。「われわれが連れ込まれたのは、この前のとき、われわれの袋に返されていたあの銀のためだ。われわれを陥れ、われわれを襲い、われわれを奴隷として、われわれのろばもいっしょに捕えるためなのだ。」と彼らは言った。
が印象に残りました。

32節に
それでヨセフにはヨセフにだけ、彼らには彼らにだけ、ヨセフと食事をともにするエジプト人はヘブル人とはいっしょに食事ができなかったからである。それはエジプト人の忌み嫌うところであった。
とありますが、何でエジプト人とヘブル人とは一緒に食事ができなかったのだろうか?

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒18章11―15節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると14,15節が気になるので、これをもう何度か読みます。
何でもTPOをわきまえないといけないと言いたいのかな?と思います。

No.2920 2007/08/29(Wed) 11:44:27

Re: 創世記43章 / 昌夫 引用

9節ですが、沙耶香さんが読み取られたように、保証人になることと、罪ある者となることは、違うことです。しかし関係があります。

ユダが、ベニヤミンの保証人となるとは、ベニヤミンに何か危険があるときは、ユダが自分の命をかけてを彼を助け出す決心を述べています。

もし、それが、失敗してベニヤミンがヤコブのもとに返ってこれないときは、たとえユダが帰ってきたとしても、彼はヤコブの前に罪のあるものとなることを言っています。

この9節はとても大切なところだと思います。ユダは、この世での自分のいのちをここで心の中で捨てました。

32節は、エジプトは、当時、とても強大な国で、エジプト人たちは、他の弱小な国々の人たちを軽蔑していたと思います。それで、エジプト人たちは、へブル人とは一緒に食事をしなかったのだと思います。また、エジプト人はエジプトの神々を崇拝していたので、そのための宗教的な理由もあったかもしれません。

No.2922 2007/08/29(Wed) 22:56:50

Re: 創世記43章 / 沙耶香 引用

何だかことごとく難しいですね・・・・

No.2926 2007/08/30(Thu) 18:52:58
創世記42章 / 沙耶香 引用

今日は創世記42章を読みます。

6節の
ときに、ヨセフはこの国の権力者であり、この国のすべての人々に穀物を売る者であった。ヨセフの兄弟たちは来て、顔を地につけて彼を伏し拝んだ。
が印象に残りました。

8節の
ヨセフには、兄弟たちだとわかったが、彼らにはヨセフだとはわからなかった。
が印象に残りました。

21節の
彼らは互いに言った。「ああ、われわれは弟のことで罰を受けているのだなあ。あれがわれわれにあわれみを請うたとき、彼の心の苦しみを見ながら、われわれは聞き入れなかった。それでわれわれはこんな苦しみに会っているのだ。」
が印象に残りました。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒17章31―34節を読みます。
天におられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、31節が気になるので、これをもう何度か読みます。
イエス様イエス様死者の中からよみがえられたイエス様・・・

No.2914 2007/08/27(Mon) 20:51:35

再創世記42章 / 沙耶香 引用

今日はもう一度創世記42章を読みます。

4節に
しかし、ヤコブはヨセフの弟ベニヤミンを兄弟たちといっしょにやらなかった。わざわいが彼にふりかかるといけないと思ったからである。
とありますが、なぜ、ベニヤミンだけやらなかったのだろうか?10人の兄弟だけで行ったのは何でだろうか?

8節に
ヨセフには、兄弟たちだとわかったが、彼らにはヨセフだとはわからなかった。
とありますが、同じ年月を過ぎているのに、ヨセフには分かり、兄弟たちにはヨセフだと分からないのは何でだろうか?

24節に
ヨセフは彼らから離れて、泣いた。それから彼らのところに帰ってきて、彼らに語った。そして彼らの中からシメオンをとって、彼らの目の前で彼を縛った。
とありますが、何でシメオンが選ばれたのだろうか?10人いる中で何で選ばれたのだろうか?

28節に
彼は兄弟たちに言った。「私の銀が返されている。」しかもこのとおり私の袋の中に。」彼らは心配し、身を震わせて互いに言った。「神は、私たちにいったい何ということをなさったのだろう。」
とありますが、これは一体何のことだろうか?銀??今までに出てきたのかな?

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒18章1―5節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か音読していると、5節が気になるのでこれをもう何度か読みます。
うん、イエス様が唯一無二の救い主、イエス・キリストですよね・・・イエス様にすがりイエス様により求めイエス様を信頼し・・・イエス様だけです。

No.2915 2007/08/28(Tue) 12:32:44

Re: 創世記42章 / 昌夫 引用

4節で、ヤコブは12人の息子のなかで、愛するラケルの息子であるヨセフとベニヤミンを特に愛していたと思います。ヤコブはヨセフは死んだと思っていたので、ベニヤミンを危険な目にあわせることは、極力さけていたようです。

8節。兄弟たちは、奴隷として売ったヨセフが、エジプトで41節45節のように違った名前になって権力者になっているとは想像もしなかったから、ヨセフを見ても彼だとは分からなかったのだと思います。

24節でシメオンを選んだのは、次男だからだと思います。長男のルベンは当時の習慣でヤコブ家にとってあまりに重要なので選べない。後の9人の中から、一番年上のシメオンを選んだのだと思います。

銀は、当時にお金として使われていたようです。25節で、兄弟たちが穀物の代金として支払った銀を、ヨセフがエジプトの人々に命じて、こっそり兄弟たちの袋の中に返しておいたのです。28節はその銀のことです。

No.2918 2007/08/28(Tue) 23:39:18
よくわかりません。 / まこと 引用

昌夫さん。

#2910へのレスです。

>僕のアプローチでは、このように「人による罪のさば
>き」ということから、もう一度らせんのように、「罪
>とは何か」という問いに戻って考えを進めていきま
>す。

・・・昌夫さんご自身には、きっと、何かもっと深いお考えがあるのだと推察しますが、私としては、昌夫さんが何を目標にしておられるのか、あまり良くわからずにいます。

昌夫さんの心に、光が差し込みますように・・・。

今は、私には、それだけしか言えません。

色々と意見交換に付き合ってくださり、ありがとうございました。 時折、きつい表現等もしたことと思いますが、不適切な言動等、ご容赦ください。

【先の書き込み内容は、私の判断で削除しました。】

No.2912 2007/08/27(Mon) 13:47:10

Re: よくわかりません。 / 昌夫 引用

まことさん、お祈りと今回の意見交換に感謝します。

今回の意見交換では、特に罪と汚れの関係、1コリ5章での外に表れた罪の行いと教会によるさばきについての教えに新しく気づかされました。まことさんとの意見交換の機会をくださった神さまに感謝します。

意見交換するときは、お互いにある程度きつい表現にする必要があるときもあるのではないか、と思います。

どうか、神さまが、今回の意見交換で、僕たちに不適切な表現などがありましたら赦してくださいませ。また、僕たちがお互いに赦しあう心をくださいませ。またいつか僕とまことさんが意見交換をする時間を与えて祝福してくださいませ。

No.2917 2007/08/28(Tue) 23:24:11
創世記41章残り / 沙耶香 引用

今日は創世記41章残りを読みます。

40節の
あなたは私の家を治めてくれ。私の民はみな、あなたの命令に従おう。私が貴方に勝っているのは王位だけだ。」
が印象に残りました。

41節の
パロはなお、ヨセフに言った。「さあ、私は貴方にエジプト全土を支配させよう。」
が印象に残りました。

51節の
ヨセフは長子をマナセと名づけた。「神がわたしのすべての労苦と私の父の全家とを忘れさせた。」からである。
が印象に残りました。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒17章21―25節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か音読していると25節が気になるので、これをもう何度か読みます。
うん、神様はすべての人に、いのちと息と万物をお与えになりましたね。素晴らしいですよね。

No.2906 2007/08/26(Sun) 21:43:10

再創世記41章残り / 沙耶香 引用

今日はもう一度創世記41章残りを読みます。

36節に
その食糧は、エジプトの国に起こる7年のききんのための、国のたくわえとなさいますように。この地がききんで滅びない為です。」
とありますが、供えあれば憂いなしですね・・・

38節に
そこでパロは家臣たちに言った。「神の霊の宿っているこのような人を、ほかに見つけることができようか。」
とありますが、こういう風に言われたら、とても嬉しいですね・・・

49節に
ヨセフは穀物を海の砂のように非常に多くたくわえ、量り切れなくなったので、ついに量ることをやめた。
とありますが、すごいなーーー。相当のたくわえですね・・・

52節に
また、2番目の子をエフライムと名づけた。「神が私の苦しみの地で私を実り多いものとされた。」からである。
とありますが、エフライムというのが神が私の苦しみの地で私を実り多いものとされたという意味だろうか?

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒17章26―30節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると26節と30節が気になるので、これをもう何度か読みます。
神はすべての創造主です。

No.2908 2007/08/27(Mon) 10:55:54

Re: 創世記41章残り / 昌夫 引用

エフライムは「実り」という意味だそうです。
ヨセフが自分の罪の結果ではない多くの苦しみを耐え忍んだことが、多くの実りをもたらしたと思います。イエスが自分には罪がないのに、十字架の苦しみを耐え忍ばれたことで、多くの実りをもたらされたことと、よく似ていると思います。

No.2911 2007/08/27(Mon) 13:04:21

Re: 創世記41章残り / 沙耶香 引用

イエス様同様、ヨセフも素晴らしいですね・・・

No.2913 2007/08/27(Mon) 19:08:42
もうやめましょう。理由は以下。 / まこと 引用

昌夫さん。

#2886へのレスです。

私のイメージ(一連の考え方)では、「罪」とは、律法に定められた行いに関する規定から逆算的に求められる解として理解・把握できる事柄では無いように思っています。

むしろ「罪」とは、人間の性質の根底、また肉体の隅々にいたるまで、病として人の心と行動に巣くう、人を神に反抗させようとする「力:パワー」であって、そのパワーに人が支配されるとき、人は、その病が症状を表すがごとく、律法において禁じられている行為をしてしまうのだというのが、私のイメージです。

この意味では、個々の人の行いについて、それが「罪だ」いや、「罪でない」という議論を延々と続けても、「罪」というものが本質的・根源的に一体何なのか?という問いへの答えには決して到達できないのです。

そもそも、キリストの福音を信じる信仰を持つ立場からの視点(特にロマ書)の理解によれば、「律法の役割」は、人間の諸々の行為について、それらが罪かどうかを私たちが判断し、それらを一つ一つ裁いて罰して行くためのものではありません。

むしろ、律法の役割とは、「人が律法を守りきることで、自分が罪人では無いことを立証(自らを義とする)することが、絶対に不可能である。」ということを人に明らかに、例外なく、回避不能な事実として認識させるためのものです。 律法によって、私たちは罪に閉じ込められ、そして、神の恵みの他に救いはありえないということを悟るのです。

しばらく議論をしていて、今、思うのですが、私は昌夫さんと意見を交換するたびに、

>細かい場合分けの規定がないことから、何かを結論し
>ていくことは危険だと思います。

と昌夫さんがご指摘のように、「細かい規定の有無」から、逆算的に「罪とは何か」を理解しようとする方向へと傾いて行っていることに気付かされます。

しかし、そもそも、私はそのようなことをしようとは思っていませんでした。 私が「罪とは何か?」ということについて感心を持っていたのは、「人の内には、罪が巣食っているという厳然たる事実」について、「一歩たりとも譲歩してはならない」ということでした。

この内在するパワーとしての「罪」の存在の認識に対して、人に少しでも逃げ道を与えるなら、すなわち、人の立場や努力や認知を理由に本来罪であることを罪でないとする権限を人間に与えてしまうなら、それは、キリストの福音に到達する道を閉ざし、神の福音に反抗することに他ならない、という懸念が、ずっと、私の心の根底にありました。

ここまで書いて、私の心中がどれほど伝わったかはわかりません。しかし、私は今後、「罪とは何か」という事柄に関して、律法の規定を逐一検証して、そこから罪とは何かを逆算的に求めてゆくような努力をを止めます。それは、本来私が目的としていたことと、全く違う方向へと私を誘導するからです。

No.2887 2007/08/24(Fri) 06:27:30

Re: もうやめましょう。理由は以下。 / 昌夫 引用

まことさん。

僕たちの考えが同じにならなくとも、意見交換を通して、神さまがそれぞれの位置から真理に近づけてくださったと信じて感謝します。

ただ、ひとつだけ最後に確認しておきたいことがあります。

>「人の立場や努力や認知を理由に本来罪であることを罪でないとする権限を人間に与えてしまう」

のところです。

僕の主張は人間の現実のある時点での特定の行いが罪であるかどうか関する無知です。無知が人間に「これは罪ではない」と断定する権限を与えることはない、ということは理解していただけるでしょうか。

人間は聖書を読んでも、現実での特定の行いについて、神が罪であるかどうか言われないかぎり、「これは罪である、罪でない」と絶対的に定めることは、できない、ということが僕の無知の主張です。ただし、神が「その特定の行いは罪である」と何かの方法で伝えられたり、聖書の中で特定の行いについて聖書の中で評価された場合は別です。

無知を主張する僕の懸念は、まことさんの聖書解釈では「罪でない行いを、間違えて罪と断定してしまう。」危険です。例えば、もし、アブラハムの近親結婚が罪でなかったなら、それを罪であると断定することは、イエスの奇蹟を悪魔のわざと断定して侮辱した罪に近い神の忌み嫌われる行いになってしまうと思います。

反対に、もしアブラハムの近親結婚が罪であった場合、僕が、罪であるかどうか知らない、と無知を主張しても、そのことは罪にはならないと思います。

そういう意味で、大きな危険は、聖書を読めば、ある時点での特定の行いが罪と分かる、という知識の主張のほうにあり、無知の主張にはないと思います。

ただし、まことさんの懸念が、無知の主張を悪用して、自分のしたいことが罪であるのに、罪でないと思い込んでしてしまう、という危険にあるのは理解しているつもりです。罪について無知を主張する信仰者は、誰が見ても明らかに罪であるような行動をしたい誘惑との戦いだけでなく、自分のしたい行いが罪であるように思われるのに、罪でないと思い込みたい、という誘惑と戦うことになります。後者の戦いは前者よりも危険が大きいと思います。しかし、誘惑に弱い人間が真理に近づいていくなら、悪用したときの危険が大きくなっていくのは避けられないと思っています。

No.2892 2007/08/24(Fri) 23:03:54

Re: もうやめましょう。理由は以下。 / まこと 引用

昌夫さん。

>僕の主張は人間の現実のある時点での特定の行いが罪
>であるかどうか関する無知です。無知が人間に「これ
>は罪ではない」と断定する権限を与えることはない、
>ということは理解していただけるでしょうか。

実のところ、昌夫さんの一連のご意見から、私は何を理解して良いのか、わからなくなっています。 昌夫さんの一連のお考えは、当初(#2685が書かれた7月31の時点)から、相当変化していませんでしょうか? 一連の主張が噛み合いません。

#2685から引用。

>もっと後の時代のモーセの律法では、異母妹との結婚
>は罪に定めらています。・・・中略・・・
>アブラハムがサラと結婚したことは罪ではなかったと
>思います。

これは果たして、「無知の主張」として読めるご意見でしょうか?  もっとも、昌夫さんは、これに続いて、

>妹と結婚するという行為が絶対的に悪くて罪であ
>るのではなく、ある人が神さまとどういう関係にある
>かによって、神がその行為が罪であるかどうかを決め
>られるからです。

とも仰っていますから、この意味では、昌夫さんは何かを断定しようとはされておられないのだ、とも読めますが。 

いずれにせよ、ご質問への回答ですが、

>無知が人間に「これは罪ではない」と断定する権限
>を与えることはない、

無知が人間に罪に関して、真理に反して断定する権限を与えることが「全く無い」というのであれば、同意しませんが、そういうことではないですよね? 人間の側の無知を認識した上では、簡単に罪について断定することは出来ない、というご意見は、理解しています。 人の側の「無知」は、間違った行動へと結びついてしまう場合もあれば、より偉大な存在への畏怖へとその人を導く場合もありますから・・・。

>反対に、もしアブラハムの近親結婚が罪であった場
>合、僕が、罪であるかどうか知らない、と無知を主張
>しても、そのことは罪にはならないと思います。

上にも書きましたが、当初、昌夫さんは、アブラハムの近親結婚が罪であるかどうかを「知らない」と主張したのではなく、「それは罪ではないと思う」と主張されたのです。 その最初の主張をバックアップ(根拠付け)のために、アダムとイブの息子達の話、汚れが罪とは同義ではないというロジック、「神を知らない」と口で言うこと自体は神の忌み嫌われる行為にはならないという考え等の、色々な聖書解釈が列挙されたのではなかったのでしょうか。

私はその時点から今に至るまで、「それ(その考えに至る思考の過程)はちがうのではありませんか」という反論を続けてきた訳です・・・。 昌夫さんが当初より「無知を主張」してこられたのであれば、私は、まるで昌夫さんの意図を誤解し、そして頓珍漢な応答をしてきたことになります。 もしそうなら、本当に失礼しました。

>そういう意味で、大きな危険は、聖書を読めば、ある
>時点での特定の行いが罪と分かる、という知識の主張
>のほうにあり、無知の主張にはないと思います。

私は、昌夫さんご自身が一連の意見や主張を通して、何か「罪を犯している」とは思っていません。そのようにお感じになられたのなら、まず、それは誤解です。

しかし、昌夫さん。

罪とは、神の真理に関することです。

神の真理という、人間の側のさまざまな都合に依存せず、絶対的に成り立っている対象について誰かに語ることを考えた場合、
「無知ゆえに、真理を語らなかった。」と言う事と、
「確信ゆえに、真理を語って、間違えた。」
という二つの行為は、どちらも、
「真理について正しく相手に伝えなかった」という意味では同じなのではないですか?

どちらが、より罪深いとか、そんな問題では無いと思いますが。

No.2894 2007/08/25(Sat) 08:26:12

Re: もうやめましょう。理由は以下。 / 昌夫 引用

「思う」、「確信する」、「無知」などのキーとなる言葉について、もっと以前に使っている意味を確認していれば、もう少しうまくコミュニケートできたかもしれません。僕は、1.「思う」とは、いろいろな証拠を評価して、どちらかといえばこっちを取る、という意味で使います。2.「確信する」とは、合理的でない疑いを除けば、正しいと信じる、という意味で使います。3.「無知」とは確信を持てない、という意味です。

>アブラハムがサラと結婚したことは罪ではなかったと
>思います。

とは、もっと詳しく書けば、「確信は持てないが(あるいは、自分はこの行為が罪であるかどうかに無知であるが)聖書全体の僕に今の聖書解釈では、どちらかと言えば、罪ではなかった方に証拠は強いと判断する、という意味でした。

これに対し、まことさんは、自分はこの近親結婚は罪であったと確信している、という主張をされたと考えます。それに対し、僕は、なぜ自分は同じ聖句を読んでも罪であったと確信が持てないか、について説明してきました。

>「無知ゆえに、真理を語らなかった。」と言う事と、
「確信ゆえに、真理を語って、間違えた。」
という二つの行為は、どちらも、
「真理について正しく相手に伝えなかった」という意味では同じなのではないですか?

そうかもしれません。しかし、罪についての真理について語る場合、前者と後者には「無実の人を罪と定める恐れ」があるかどうか、という意味で、留意すべき違いがあると僕は考えます。無知を主張するかぎり、そのような恐れはない。罪についての知識を主張すると、間違えて、罪のない人に罪があると定める恐れがある。裁判で無実の人を死刑にしてしまう恐れというのは非常に重大なものがあります。教会の指導的たちは、永遠のいのちに関わっているので、無実の人を罪に定める恐れについて、裁判官よりも、もっと重大に考える必要があるように思います。

No.2897 2007/08/25(Sat) 13:24:08

Re: もうやめましょう。理由は以下。 / まこと 引用

>これに対し、まことさんは、自分はこの近親結婚は罪
>であったと確信している、という主張をされたと考え
>ます。

よろしければ、その部分を引用していただけますでしょうか。

どの部分を、昌夫さんがそのように取られたのか、自分自身の語り方の方法を見直す上で、興味があります。

>裁判で無実の人を死刑にしてしまう恐れというのは
>非常に重大なものがあります。

死刑にあたる犯罪を犯している人を、無実とし、その人を放免してしまうことも、他の人たちを危険にさらし、被害者達の心を踏みにじり、社会的正義をないがしろにするという、重い意味があります。 

いずれにせよ、私も、どちらかに偏った考えはよろしくないと考えているので、昌夫さんのご意見については、おおむね理解させていただいたと思いますし、理解してゆきたいと思っています。

これで一旦区切りを付けましょう。以上です。

No.2903 2007/08/25(Sat) 23:12:59

Re: もうやめましょう。理由は以下。 / まこと 引用

【追記】

>裁判で無実の人を死刑にしてしまう恐れというのは
>非常に重大なものがあります。

このスレの冒頭、#2887にも書きましたが、私は律法の役割、すなわち、私たちにとっての律法の意味は、「人間の諸々の行為について、それらが罪かどうかを私たちが判断し、それらを一つ一つ裁いて罰して行くためのものでは」無いと考えています。

罪とは、喩えて言うなら、
内燃機関を動かす、燃料であり、
モーターを駆動する、電流であり、
コンクリートを固める、化学反応であり、
物体を落下させる、重力であり、
人を死へと転がり落とす、急斜面としての「場」です。

そのような、人の行為と思考のプロセスに内在してしまっている「原動力・本質的要因」として、人間には「罪」があります。

そのような、罪の「存在そのもの」について、人は如何に考えるべきか? それがあるのか? 無いのか? あるならば、その影響による結果は如何なるものか? 

その探求は、人を裁くためのものとは一義的には言えず、むしろ、「罪の存在」が「ある」、または「無い」という、デジタルな問題をテーマとしているものだと言えるかも知れません。

ですから、私が考えている「罪とは何か?」という事柄は、

>裁判で無実の人を死刑にしてしまう

という比喩に代表される「人の行為を、判断して、裁く」こととは、また違う性質の話です。そして、そのような、「人の行為を、判断して、裁く」という視点で「罪」および「律法」に着目している限り、「罪」の本当の意味は決して見えてこない、というのが、私の主張でもあります。

この基本的に何を理解しようとしているかについての違いが埋まらない以上、会話を続けても、すれ違いに終わる気がします。

No.2904 2007/08/25(Sat) 23:52:02

Re: もうやめましょう。理由は以下。 / 昌夫 引用

まことさんと僕は、今回の件で、問題意識が違うのではなく、アプローチが違うのだという印象を持ちましたがどうでしょうか。

「罪とは何か?」という問題を考えるとき、罪とは何かという問題に、直接間接に関係する全ての聖句を調べていく、ということが、僕のアプローチです。まことさんのアプローチは、「罪とは何か」に直接関に連する聖句だけを考えるというところに違いがあるように感じます。

具体的にいうと、僕は「罪とは、人間の心の中で神に支配されるか、他の何かに支配されるか選択肢が与えられたとき、他の何かを選択すること。」と考えて、罪に関する聖句と照らしあわせているところです。

例えば、マタイ5章27-28節は、「罪とは何か」に直接関係する聖句だと思います。実際に性交渉しなくても、心の中で姦淫を犯すことが可能だとすると、外に出た行いに注目する罪の定義よりも、心の中に注目する罪の定義が必要になるように思います。

しかし、「人による罪のさばき」についても、「罪とは何か」という問題に直接関係しないことでも、罪に関係するかぎり、罪の定義と整合的かどうか、チェックする必要があると思います。

「人による罪のさばき」では、僕はまず、「パリサイ人による、イエスの奇蹟のさばき」について考えて、自分の定義と整合的と考えました。しかし、次に「教会による教会員のさばき」について考えると、1コリ5章が浮かびます。ここで、パウロは、「父の妻を妻にしている人」について、コリント教会の人々は、その人の不品行の行いを見ただけで、その人に罪がある、と判断できることを前提としているように思います。また、その人の罪を教会追放によってさばかないことは、他の教会員たちの罪になると書いているように思います。

僕は、まことさんの「人が、他の人の外に出た行いだけから罪の行いをしていると定めることができる。」という考え方に反対してきたのですが、1コリ5章の場合、まことさんの考え方が妥当であるようです。

この場合、最初の罪の定義に戻って、心の問題として、罪を定義したのが、1コリ5章と整合的でないのか、それなら、マタイ5章27-28節との関係はどうなるのか。あるいは、罪は心の問題であっても、1コリ5章の外から見た行いは、明らかに心の中で、神以外の何かに支配された選択があったことを示しているのか。僕のアプローチでは、このように「人による罪のさばき」ということから、もう一度らせんのように、「罪とは何か」という問いに戻って考えを進めていきます。

No.2910 2007/08/27(Mon) 12:51:43
創世記41章33節まで / 沙耶香 引用

今日は創世記41章33節までを読みます。

14節の、
そこで、パロは使いをやってヨセフを呼び寄せたので、人々は急いで彼を地下牢から連れ出した。彼はひげをそり、着物と着替えてから、パロの前に出た。
が印象に残りました。

25―27節の
ヨセフはパロに言った。「パロの夢は一つです。神がなさろうとすることをパロに示されたのです。
7頭のりっぱな雌牛は7年のことで、7つのりっぱな穂も7年のことです。それはひとつの夢なのです。
そのあとからあがってきた7頭のやせた醜い雌牛は7年のことで、東風に焼けたしなびた7つの穂もそうです。それはききんの7年です。
が印象に残りました。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒17章11―15節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると11節が気になるので、これをもう何度か読みます。
やはり御言葉にとどまり、御言葉を読み返し毎日聖書を調べることが一番大切なのですよね。

No.2902 2007/08/25(Sat) 19:06:48

再創世記41章33節まで / 沙耶香 引用

今日はもう一度創世記41章33節を読みます。

8節に
朝になって、心が騒ぐので、人をやってエジプトのすべての呪法師とすべての知恵のある者たちを呼び寄せた。パロは彼らに夢のことを話したが、それをパロに解き明かすことのできるものはいなかった。
とあるが、呪法師って何だろうか?聞いたことないです。

9節に
そのとき、献酌官長がパロに告げて言った。「私はきょう、私のあやまちを申し上げなければなりません。
とありますが、献酌官長とか献酌官って何だろうか?前も出てきたけれど、分からない・・・

10節に
かつて、パロがしもべらを怒って、私と調理官長とを侍従長の家に拘留なさいました。
とありますが、侍従長というのは多分王室の職員のことでしょうね・・・日本で今の天皇の東宮侍従とかおられたと思うから・・・

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使途17章16―20節を読みます。
天におられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると16節が気になるので、これをもう何度か読みます。
うーん、イエス様のほかに偶像を作ってはいけないです。イエス様のみを礼拝しないと・・・

No.2905 2007/08/26(Sun) 07:13:17

Re: 創世記41章33節まで / 昌夫 引用

献酌官は、王や王の高級官僚たちが飲む酒を用意して、酒をつぐ役割を持っていた役人だと思います。献酌官長は献酌官たちのリーダーだと思います。彼らは、王や高級官僚たちを、簡単に毒殺できる立ち番にいたので、王に信頼された人たちだったと思います。特に古代エジプトの献酌官長は、自身も高級官僚で、紀元前12世紀の文献では、裁判官の役割も果たしていたそうです。

8節の呪法師は、当時のエジプトの魔法や呪いを使うエジプトの宗教の祭司だったようです。

10節の侍従長は、沙耶香さんの思われたように、王宮に勤める職員の侍従たちのリーダーだと思います。

No.2907 2007/08/27(Mon) 10:52:10

Re: 創世記41章33節まで / 沙耶香 引用

ふーん、献酌官という役割はかなり重責だったんですね・・・

No.2909 2007/08/27(Mon) 10:57:51
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