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今日は創世記30章を読みます。
3節に すると彼女は言った。「では、私のはしためのビルハがいます。彼女のところにはいり、彼女が私のひざの上に子を産むようにしてください。そうすれば私が彼女によって子供の母になれましょう。」 とありますが、ラケルの非常な嫉妬心が伺えますね。
9―13節に さてレアは自分が子を産まなくなったのを見て、彼女の女奴隷ジルパをとって、ヤコブに妻として与えた。 レアの女奴隷ジルパがヤコブに男の子を産んだとき、レアは、「幸運がきた。」と言って、その子をガドと名づけた。レアの女奴隷ジルパがヤコブに2番目の男の子を産んだとき、レアは、「なんとしあわせなこと。女たちは、私をしあわせ者と呼ぶでしょう。」といって、その子をアシェルと名づけた。 とありますが、女同士の嫉妬心ってすごいなーーー。
14節に さて、ルベンは麦刈りのころ、野に出て行って、恋なすびを見つけ、それを自分の母レアのところに持ってきた。するとラケルはレアに、「どうか、あなたの息子の恋なすびを少し私にください。」と言った。 とありますが、恋なすびって一体何だろうか?恋愛に関するものだろうか?
22節の 神はラケルを覚えておられた。神は彼女の願いを聞き入れて、その胎を開かれた。 が印象に残りました。不妊症が改善されたんだからすごいですよね?
25節に ラケルがヨセフを産んで後、ヤコブはラバンに言った。「私を去らせ、わたしの故郷の地へ帰らせてください。 とありますが、ラバンって一体誰だったのだろうか?前戻っていろいろ見ているが、分からない・・・うーん、すぐ忘れる・・・
・・・癒しに通じる読み方・・・ 今日は使徒13章46―50節を読みます。 天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・ 何度か読んでいると46節が気になるのでこれをもう何度か読みます。 神の言葉は何よりも強く何よりも素晴らしいですね・・・ |
No.2792 2007/08/13(Mon) 20:17:43
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☆ Re: 創世記30章 / 昌夫  |
引用 |
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ヤコブの12人の息子の子孫が、イスラエルの12部族となるので、ここも家系図を描いておくと良いと思います。ヤコブとレアの息子たちが、ルベン、シメオン、レビ、ユダ、イッサカル、ガブルン。ラケルが産んだ息子たちは、ヨセフとベニヤミン(35章16−18節で生まれます)。ラケルの女奴隷のビルハが産んだ息子がダンとナフタリ。レアの女奴隷のジルパが産んだ息子がガドとアシェル。
14節の恋なすびは、ナス科の植物で、一般に薬としてい用いると性欲増進、受胎力増進の効果があると信じられていたそうです。
22節のように、神が結婚後長く子どものできない女性の不妊症を癒されて子どもが生まれる話は、旧約聖書に多く出てきます。創世記で、今まで沙耶香さんが読まれたところでも、アブラハムの妻のサラは老女になってから、初めて子どもを産みました(18章1−15節、21章1−3節)。イサクの妻のリベカも不妊の女でしたが、神はイサクの祈りに答えられました(25章21節)。
新約聖書でも、バプテスマのヨハネを産んだエリサベツは老女になって、初めて子を産みました(ルカ1章5−25節)。
不妊の癒しと違いますが、処女のマリヤがイエスをお産みになったことも、神が全能の力で、子をお授けになることのひとつの表れです。
ところが、イエスがお生まれになってからは、いろいろな他の奇蹟が記録されていますが、不妊の女が子を産んだという奇蹟は記録されていないようです。イエスがお生まれになってからは、子を産むということの霊的意味は大きく変わったのかもしれません。
25節などに出てくるラバンは、ヤコブの妻のレアとラケルの父で、ヤコブの母のリベカの兄です。 |
No.2795 2007/08/13(Mon) 22:49:19
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今日はもう一度創世記30章を読みます。
すっごいなーーー。何だか子沢山ですね・・・
>>22節のように、神が結婚後長く子どものできない女性の不妊症を癒されて子どもが生まれる話は、旧約聖書に多く出てきます。創世記で、今まで沙耶香さんが読まれたところでも、アブラハムの妻のサラは老女になってから、初めて子どもを産みました(18章1−15節、21章1−3節)。イサクの妻のリベカも不妊の女でしたが、神はイサクの祈りに答えられました(25章21節)。
うーん、でも何だか聖書の中の話っておとぎ話みたいに聞こえてきますね・・・・時代も全く違うし、現実とかけ離れているので、老女になってから初めて子供を産んだとか・・・現代でそういうことはあるのだろうか?
何だかいろんな人物が出てくるので、全く掴み取れない。
6節に そこでラケルは、「神は私をかばってくださり、私の声を聞き入れて、私に男の子を賜った。」と言った。それゆえ、その子をダンと名づけた。 とありますが、それゆえダンと名づけたというからには、ダンという名前には何か力強い意味があるのでは・・・・?
8節に そこでラケルは、「私は姉と死に物狂いの争いをして、ついに勝った。」と言って、その子をナフタリと名づけた。 とありますが、ナフタリはまたライバルを押しのけるという意味でもあるんだろうか?
9節に さてレアは自分が子を産まなくなったのを見て、彼女の女奴隷ジルパをとって、ヤコブに妻として与えた。 とありますが、この時代女奴隷までいて複雑極まりないですね・・・
11節に レアは、「幸運がきた。」といって、その子をガドと名づけた。 とありますが、ガドとは「幸運が来た。」という意味なのだろうか?
13節に レアは、「なんとしあわせなこと。女達は、私を幸せ者と呼ぶでしょう。」といって、その子をアシェルと名づけた。 とありますが、アシェルとは「幸せ者」という意味なのだろうか?
17節に 神はレアの願いを聞かれたので、彼女はみごもって、ヤコブに5番目の男の子を産んだ。 とありますが、レアはもう子供を授からないようになっていたのに、神様素晴らしいですね・・・
18節に そこでレアは、「私が、女奴隷を夫に与えたので、神は私に報酬を下さった。」といって、その子をイッサカルと名づけた。 とありますが、イッサカルとは神が下さった報酬という意味だろうか?
23,24節に 彼女は身ごもって男の子を産んだ。そして「神は私の汚名を取り去ってくださった。」といって、 その子をヨセフと名づけ、「主がもうひとりの子を私に加えてくださるように。」と言った。 とありますが、ヨセフという名前には汚名返上という意味があるのだろうか?
・・・癒しに通じる読み方・・・ 今日は使徒13章51,52節、14章1―3節を読みます。 天におられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・ 何度か読んでいると3節が気になるので、これをもう何度か読みます。 主の御業は素晴らしいですね・・・ |
No.2802 2007/08/14(Tue) 11:54:16
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☆ Re: 創世記30章 / 昌夫  |
引用 |
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>でも何だか聖書の中の話っておとぎ話みたいに聞こえてきますね
特に旧約聖書を読むとき、現代人は、このように感じることが多いと思います。では、主イエスは、どのように旧約聖書を読まれたでしょうか。
沙耶香さんがすでに読まれたルカ書からみてみますと、ルカ4章1−12節で、悪魔がイエスを誘惑したとき、イエスは、4、8、12節で、旧約聖書から「と書かれている」と神のみことばの権威を認めて引用されています。4章21節では、イエスは、ご自分が旧約聖書の預言の個人的な実現であることを言われています。24章44節での「モーセの律法と預言者と詩篇」とは、当時の旧約聖書の3つの部分への分け方から、旧約聖書の全体のことです。だから44節で、旧約聖書に書いてあることは、必ず全部成就することをイエスが宣言されています。
このように、主イエスは旧約聖書が権威ある神のみことばであることを認められていました。イエスを信仰する僕たちは、やはり旧約聖書を神のみことばと信じて信仰を深めていくことがイエスに喜んでいただけると思います。自分の力では、とても信じられないことですから、祈りによって神に信仰を深めていただくとよいと思います。
ここで、少し考え方を変えてみると良いと思います。僕たちは、「おとぎ話」を、現実にはありえない話として子どものときから読んだり聞いてきました。それで、聖書の中の話とおとぎ話が似ていると、聖書の中の話も信じることが難しくなります。だから、聖書の中に書かれているような神の不思議なわざが、まずあり、それを見たり聞いたりした人たちが、ときには自分勝手な自分たちの願いもとりいれながら、おとぎ話を作っていった、と考えてみます。聖書の話がおとぎ話のようなのではなく、おとぎ話が聖書の話のようなのだ、と逆に考えてみるわけです。
次に、神は霊であって見えないし、人間のような姿ではないのですが、聖書の中の話を理解するために、仮に神には見えない腕や手があると想像してみます。現代では、医者が不妊の治療をして、かなり年をとった不妊の女性が子を産まれることもあります。それで、どのような医者よりも知識も力も持っておられる神が、見えない手で、サラやリベカの不妊を治療されていることを想像してみます。このように想像してみたら、人間の医者ができるようなことなら、もっと素晴らしいことを、神がされても驚く必要はないのではないでしょうか。
どちらにしても、聖書を読むときは、自分が読むというより、祈りの中で聞く気持ちになれたら素晴らしいと思います。
6節のダンは「さばき」という意味だそうです。これは、罰を下す意味ではなく、ラケルの立場を弁護してくれる、という意味だと思います。
8節のナフタリは、「格闘する」という意味があるそうです。
11節のガドは、「軍団」という意味があるそうです。
13節のアシェルは、「幸せな」という意味があるそうです。
18節のイッサカルは、「報いがある」という意味だそうです。
24節のヨセフは、「主は加えられる」という意味があるそうです。 |
No.2809 2007/08/15(Wed) 04:56:08
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うーん、聖書は難しいのは分かっていたが、聖書の読み方も難しいし・・・私にはちんぷんかんぷんだ。 天のお父様どうか私が聖書を読むときにイエス様に喜ばれるような読み方ができますように。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・ |
No.2813 2007/08/15(Wed) 11:12:02
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