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今日は創世記24章21節までを読みます。
2節に そのころ、アブラハムは、自分の全財産を管理している家の最年長のしもべに、こう言った。「あなたの手をわたしのももの下に入れてくれ。 とあるが、これはどういう意味だろうか?手をわたしのもののしたに入れてくれ??
21節の この人は、主が自分の旅を成功させてくださったかどうかを知ろうと、黙って彼女を見つめていた。
・・・・癒しに通じる読み方・・・ 今日は使徒12章6―10節を読みます。 天におられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・ 何度か読んでいると7,8節が気になるのでこれをもう何度か読みます。 御使い・・・不思議な生き物だ・・・まだまだ得体が知れない。 |
No.2726 2007/08/04(Sat) 21:00:03
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今日はもう一度創世記24章21節までを読みます。
7節に 私を、わたしの父の家、私の生まれ故郷から連れ出し、私に誓って、「あなたの子孫にこの地を与える。」と約束して仰せられた天の神、主は、御使いをあなたの前に遣わされる。あなたは、あそこで私の息子のために妻を迎えなさい。 とあります。続く8節に もし、その女があなたについてこようとしないなら、あなたはこの私との誓いから解かれる。ただし、私の息子をあそこへ連れ帰ってはならない。」 とあります。 この7,8節にあるあそことはどこのことだろうか?
・・・癒しに通じる読み方・・・・ 今日は使徒12章11―15節を読みます。 天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・・ 何度か読んでいると15節が気になるので、これをもう何度か読みます。 私は精神疾患患者なため、実際にそうでも私の幻視、幻聴、被害妄想だといわれてしまうことが多い。牧師にもそういわれると悲しいです。私は精神疾患だけれど、幻視、幻聴、被害妄想という症状は出ないのです。そういう症状が出るのは統合失調症(分裂病)の人です。私は神経症なので、そういう症状はでないのです。 あーー、世間のみならず、教会の牧師にまで偏見で見られる・・悲しいなーー。 |
No.2728 2007/08/05(Sun) 07:11:11
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☆ Re: 創世記24章21節まで / 昌夫 |
引用 |
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2節の「手をももの下に入れる」とは、手を生殖器の下に入れるということだったそうです。遺言を残すような、厳粛な誓約をするときに、このようにする習慣があったようです。
この最年長のしもべは、15章2節に出てきたエリエゼルだと思います。エリエゼルは、アブラハムに子どもが生まれなければ、財産を相続できたのに、相続人のイサクに真実を尽くしている忠実さが素晴らしいと思います。
7,8節にある「あそこ」は、アブラハムの出身地で親族が住んでいるハランのことです。
11節に井戸が出てきますが、創世記には井戸のところで男女が出会い、結婚がつながる、という型がこの後に何回か出てきます。ヨハネ4章4-42節でも神はこの型を使われたと思います。井戸のところで、イエスと女が出会い、イエスと教会の結婚につながっていきます。 |
No.2729 2007/08/05(Sun) 13:16:43
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☆ Re: 創世記24章21節まで / 沙耶香 |
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ふーん、15章の2節に出てきたエリエゼルなんてもう忘れていました。 ??管理人様が書いてある、イエスと教会の結婚て何? |
No.2733 2007/08/05(Sun) 21:52:19
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☆ Re: 創世記24章21節まで / 昌夫 |
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イエス・キリストと信仰者全体の集まりである教会は、キリストの再臨の後に結婚します。エペソ5章30-32節、黙示19章7−9節などを読んでみてください。黙示の「子羊」とは、キリストのことです。 |
No.2736 2007/08/06(Mon) 06:46:40
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☆ Re: 創世記24章21節まで / 沙耶香 |
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エペソ5章30―32節・・・ うん、キリストと教会とをさしていっているとあります。 黙示19章7―9節・・・ うん、読みました。 うーん?でもキリストの再臨の後に結婚するなんて書いていないと思うけれど・・・ |
No.2737 2007/08/06(Mon) 10:41:53
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☆ Re: 創世記24章21節まで / 昌夫  |
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>でもキリストの再臨の後に結婚するなんて書いていない。
確かに黙示19章を見ると、婚姻の方が再臨より先に書かれているのかもしれません。キリストの再臨の直後とその後について、何がどのような順番で起こるかは、聖書解釈の非常に難しいところで、信仰者の間でもさまざまな説があります。機会があったら牧師に聞いてみてください。
黙示19章6−9節に、キリストと教会の婚姻について書かれてあり、11−21節に、白い馬にのったキリストが来られう、諸国の民を打たれ、地上の王たちとその軍勢と戦われ、悪のにせ預言者と獣が地獄に投げ込まれることが書いてあります。
11節の白い馬に乗ってこられるところが、キリストの再臨とすると、6−9節に書かれた婚姻は、再臨の直前に行われるのかもしれません。しかし、6−9節には花嫁の用意ができたことを書いてあるのかもしれません。その場合は、婚姻は再臨の後に起こると考えて、矛盾はありません。
また、6節の、「われらの神である主は王となられた。」とあるのが、キリストの再臨のことであるかもしれません。その場合は、婚姻ははっきり再臨の後ということになると思います。
どちらにしても、いずれ信仰者の集まりである教会は、キリストと結婚するようにひとつになる、ということが、とても重要なことだと思います。旧約聖書では、まだ教会は存在しないし、キリストもまだ地上に人間としては来られていないので、イスラエルと神の結婚について書かれています。これから旧約聖書を読み進めていくときに、結婚ということに注目していると良いと思います。 |
No.2743 2007/08/06(Mon) 23:21:38
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☆ Re: 創世記24章21節まで / 沙耶香 |
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黙示19章6−9節、11−21節・・・ うーん、これだけ読んだだけでキリストの再臨と関係があるなんて全く気づかないです。白い馬に乗ってこられるというのが再臨だというのがまず気づかない。 何で直接的に分かりやすく書いていないのかな? うーん、何だかとても難しいです。 |
No.2749 2007/08/07(Tue) 18:28:32
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☆ Re: 創世記24章21節まで / 昌夫  |
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>何で直接的に分かりやすく書いていないのかな?
知識を持つということは、必ずしも僕たち人間にとって良いことではないようです。何かの理由でまだ自分に用意ができていないときに、真理を聞くと、大きな問題が起こることがあります。例えば、僕はあるときに「何かの外に出た行い自体に良い悪いがあるのではなく、自分の心が神に向いているかどうかで、良い悪いが決まってくる。」ということが聖書に書いてあると確信しました。その知識は、僕は正しいと今も確信しています。でも、知識を持った直後は、自分の行いにとても不注意となり、大きな間違いを起こしてしまったことがあります。
イエスはマルコ4:33にあるように、それぞれの人の聞く力に応じて話してくださいます。マタイ13章13−15節で、イエスは人間の罪の性質のために、聞く力がなく、直接的ではないたとえ話などで神は語られます。これは、神の罪に対する罰であるとともに、罪の性質があるために聞く力が完全からは程遠い、僕たち人間のためのあわれみでもあると思います。
神が信仰者の罪の性質をだんだん取り除かれていくにつれ、信仰者の聞く力も増して、いろいろな知識が与えられます。このときに、一番注意したいのは、知識のためにおごって、自分の聖書解釈を絶対視してしまうことだと思います。聖書解釈であっても、神から少しでもずれたものを絶対視すると、僕たちは神から遠くずれていってしまいます。 |
No.2752 2007/08/07(Tue) 23:12:15
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☆ Re: 創世記24章21節まで / 沙耶香 |
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マルコ4:33・・・ うん、聞く力におおじて御言葉を話されたとあります。
マタイ13章13―15節・・・ 読みました。
うーん、でも私なんかは例え話にすると全く意味不明です。聞き従おうにも意味不明だとどうにもならないです。 |
No.2759 2007/08/08(Wed) 11:44:52
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