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今日は創世記19章19節までを読みます。
みなさん、3,4日間お待たせしました。ちょっと家にいなかったので、掲示板載せられませんでした。また、今日からよろしくお願いします。 うん、管理人様のアドバイス受けておきます。でも語っておられることがすんなり分かるほど勉強していないし、まだまだ未熟者だから・・・・だから、管理人様の思うような聖書通読ができないかもしれないけれど、イエス様により頼みながら・・・
2節に そして言った。「さあ、ご主人。どうか、あなたがたのしもべの家に立ち寄り、足を洗って、お泊りください。そして、朝早く旅を続けてください。」すると彼は言った。「いや、わたしたちは広場に泊まろう。」 とあるが、広場に泊まるって意味がわからないのだが・・・だって広場なんか泊まれないじゃない?
うーん、8節に お願いですから。私にはまだ男を知らない二人の娘があります。娘達をみなの前に連れてきますから、あなたがたの好きなようにしてください。ただ、あの人たちには何もしないでください。あの人たちは私の屋根の下に身を寄せたのですから。」 とあるが、こんなことしてもいいのだろうか?罪にならないのだろうか?
11節に 家の戸口いたものたちは、小さいものも大きいものもみな、目潰しをくらったので、彼らは戸口を見つけるのに疲れ果てた。 とあるが、前にも多分聞いたと思うけれど、小さいものとか大きいものとかは一体何が小さいの?何が大きいの?
ということで今日からは癒しに通じる読み方はしないです。明日の朝、もう一度この19章19節までを癒しに通じる読み方で読みます。初めてだからできるかな??? 天のお父様イエス様どうか明日の朝から、長い節を癒しに通じる読み方で読みますが、きちんとイエス様により頼んで進めますように。イエス様の御名によってお祈りいたします。アーメン・・・ |
No.2673 2007/07/28(Sat) 20:15:59
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今日はもう一度創世記19章19節までを読みます。
うん、もう一度読むときは、イエス様の前に静まって読んでみようと思います。何せ初めてなもんで、行き届かないところはご了承ください。 うーん、何回か読んでいるが、4節だけのときよりも、取りづらいというか、語りかけてくださるように祈っているが、なかなか難しいですね・・・また、もう一度読みます。
うーん、やはり8節の お願いですから。私にはまだ男を知らないふたりの娘があります。娘たちをみなの前に連れてきますから、あなたがたの好きなようにしてください。ただ、あの人たちには何もしないでください。あの人たちは私の屋根の下に身を寄せたのですから。」 が強烈に印象に残りました。
15節の 夜が明けるころ、御使いたちはロトを促して言った。「さあ立って、あなたの妻と、ここにいるふたりの娘達を連れて行きなさい。さもないと、あなたはこの町の咎のために滅び尽くされてしまおう。」 が印象に残りました。
17節の 彼らを外のほうに連れ出したとき、そのひとりは言った。「いのちがけで逃げなさい。うしろを振り返ってはいけない。この低地のどこででも立ち止まってはならない。山に逃げなさい。さもないとほろぼされてしまう。」 が印象に残りました。 前を向いて進みなさい、後ろは振り返ってはならない、過去は変えられない、イエス様とともに前を向いて進みなさいと語られたような気がします。 |
No.2674 2007/07/29(Sun) 06:21:08
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☆ Re: 創世記19章19節まで / 昌夫 |
引用 |
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2節ですが、当時の中近東の旅行者が広場に泊まることは異常なことではなかったそうです。日本では考えられないことですが、湿気の多い日本と違い、カナンでは季節によっては雨降らないのでとても乾燥しているし寒くない、ということもあると思います。湿気がなくて寒くなければ、簡単な寝具さえあれば、それほど苦痛を感じずに外で寝ることができるのだと思います。
5節の「彼らをよく知りたい」は、婉曲な表現で、ソドムの町の男の人々は無理やりに同性愛の不品行の行為をしようとしていました。ソドムの町の人々がそういうこと悪いことを旅している男の人たちにすることをロトはよく知っていたと思います。1節でロトは顔を地につけて、伏し拝んだので、ロトは、ふたりの旅人が、普通の人間ではなく、主の御使いであることを知っていたと思います。
8節では、ロトはパニックに陥っていると思います。自分の家に客として来てくださった主の御使いに、ソドムの町の人々が無理やり不品行の行為をしようとしていたからです。そのようなことは、ロトは絶対に防がないといけないと考えたのでしょう。他に方法を考えつかなかったので、町の人たちに自分の娘たちを代わりに好きなようにするように申し出たと思います。娘たちをそのように悪い町の人々に差し出すことは良いこととは思えないし、ロトはとても苦しい思いでそのような申し出をしたと思います。ロトは他には選択肢はないと思ったのでしょう。
ここで第2ペテロの2章1-14章を読んでみてください。特に6-8節で、信仰によって義とされていたロトがソドムの町の人々の好色なふるまいを見聞きして、悩まされていたことが分かります。また、教会に現れて異端の教えをするにせ教師たちのあるものたちは、この世で好色の行いをし、11節のように、この世では、御使いたちもそれを黙って見ています。しかし、好色な行いをしていたソドムの町の人々がやがて主に滅ぼされたように、にせ教師たちも、主が地獄に送ってさばかれます。信仰によって義とされた人は救われます。このようにソドムの町の滅びとロトが救われたことは、不信仰の罪を重ねる人々のさばきと、信仰者が救われるということの型になっています。
17節について沙耶香さんが書かれたように、26節でロトの妻が振り返って塩に柱になったことは、僕たちにも意義が深いと思います。信仰によって不義の場所から救い出された者は、振り返ってはいけない、前に向いて進んでいかないといけない。 |
No.2675 2007/07/29(Sun) 19:06:15
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☆ Re: 創世記19章19節まで / 沙耶香 |
引用 |
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第二ペテロ2章1―14章??1―14節だろうか?うーん??あまりよく意味が取れないが・・・ うん、前に進まないといけないですね・・・・ 後ろに振り返ってはならないけれど、私には後ろを振り返る材料が多すぎて・・・うん、でも一歩ずつイエス様に変えていただけるように・・・イエス様イエス様イエス様・・・ |
No.2677 2007/07/29(Sun) 20:20:13
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☆ Re: 創世記19章19節まで / 昌夫 |
引用 |
No.2678 2007/07/30(Mon) 04:48:37
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