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創世記20章 / 沙耶香 引用

今日は創世記20章を読みます。

あー何だか、何もかも嫌で投げ出したくなってきました。牧師にしかられると辛いですね・・・

12節に
また、ほんとうに、あれは私の妹です。あの女は私の父の娘ですが、私の母の娘ではありません。それが私の妻になったのです。
とあるが、これはどういうことだろうか?妹なら妻にしたらいけないのではないのだろうか?姦淫にならないということは分かるが、結婚してもいいのだろうか?うーん??私はこのころの制度や状況が全く読めないため、あまり意味がわからない・・・

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒10章30―35節を音読します。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か音読していると、35節が気になるので、これをもう何度か音読します。

No.2684 2007/07/30(Mon) 21:59:45

Re: 創世記20章 / 昌夫 引用

12節ですが、アブラハムとサラの父はテラで、サラはアブラハムの妹ですが、母は違ったということです。サラはアブラハムの異母妹だったということです。

もっと後の時代のモーセの律法では、異母妹との結婚は罪に定めらています。しかしアブラハムとサラが結婚したときは、まだカルデヤ人のウルにいたころで、アブラハムは主を知らなかったのです。だからアブラハムがサラと結婚したことは罪ではなかったと思います。妹と結婚するという行為が絶対的に悪くて罪であるのではなく、ある人が神さまとどういう関係にあるかによって、神がその行為が罪であるかどうかを決められるからです。

このことは、罪とは何か、というとても重要なことに関係するので、機会があったら牧師に質問してみられたら良いと思います。牧師は主に使われる仕事ですから、とても忙しくされている方々が多いです。もし主が牧師に質問する時間を与えてくださったら、そのときに主と牧師に感謝しながら質問するようにすると良いと思います。

No.2685 2007/07/31(Tue) 06:57:50

Re: 創世記20章 / まこと 引用

まことです。

横槍失礼します。

最近、「あれは罪か?これは罪か?」と色々とお考えのご様子ですが、私としては、どこかマトはずれのように思えてなりません。

マトはずれというと、批判的に聞こえますね。でも、別に批判するつもりは無いんです。私が言いたいことは、創世記を読むにあたって、もっと大切なテーマがあるんじゃないかなということ。

つまり、創世記からは、「人間の側の不信仰、失敗、悪意、そして『罪』など、人間が神の基準に対して犯す諸々の違反の中にあっても、神の約束はゼッタイに成就する。」ということを学ぶことだと、思うからです。

例えば、アブラム(アブラハム)とサライ(サラ)が近親であったのに結婚していたのが罪か罪でなかったを云々するよりも、それを口実に自分の妻を有力者のめかけに差し出すような行為に出たアブラムさえ、神はご自身の誠実、慈悲、そして約束の故に(アブラムのみならずサライさえも)守り抜いてくださったということに着目するべきではないのかな、という事です。

人の足りなさを覆い、人の罪を赦し、そして哀れみ、
ご自分が、ご自分の民に約束された祝福を、
人間の罪や失敗をものともせず、成就される神の力。

人が「不可能だ」と思っても、「理不尽だ」と感じても、「もうだめだ」と絶望しても、神のご計画は、成就する。

創世記は、その神の力が光り輝く書だと、私は思っています。そして、その神の力が、私の人生と、創世記との間にある接点です。

ご指摘の(アブラムとサライの結婚の)件についてですが、その行為が罪であったか、罪でなかったかについて言えば、私としては、ただ、「当時のアブラムにとって、それは神(唯一神としてのエホバ)に対する罪とは認識されていなかった可能性が高い」と言うに止めるのが妥当だと思います。それ以上のことは、言えないのでは無いでしょうか・・・。

No.2687 2007/07/31(Tue) 07:40:35

再創世記20章 / 沙耶香 引用

今日はもう一度創世記20章を読みます。

6節の
神は夢の中で、彼に仰せられた。「そうだ。貴方が正しい心でこの事をしたのを、わたし自身よく知っていた。それでわたしも、あなたがわたしに罪を犯さないようにしたのだ。それゆえ、わたしは、あなたが彼女に触れるのを許さなかったのだ。
が印象に残りました。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒10章36―40節を音読します。
天のお父様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、38節と40節が気になりましたので、これをもう何度か読みます。

No.2688 2007/07/31(Tue) 10:15:33

罪について / まこと 引用

罪についてですが、もう少し書きます。
ご容赦ください・・・。

沙耶香さんの印象に残った一節に、

>神は夢の中で、彼に仰せられた。「そうだ。貴方が正
>しい心でこの事をしたのを、わたし自身よく知ってい
>た。それでわたしも、あなたがわたしに罪を犯さない
>ようにしたのだ。それゆえ、わたしは、あなたが彼女
>に触れるのを許さなかったのだ。

とありますが、
アビメレクが、アブラムの妻であるサライと性的交渉を持つことは、神に対する罪だった訳です。 しかし、この時点で、夫のある女性と性的交渉を持つことを明確に禁ずる「姦淫してはならない」という十戒の一つは、アブラハムはもとよりアビメレクには与えられていません。 すなわち、モーセの十戒に明確に書かれていなくとも、姦淫は神の前に「罪」であったわけです。

こう考えると、昌夫さんが仰ったところの、

昌夫さん曰く、
>人が神さまとどういう関係にあるかによって、
>神がその行為が罪であるかどうかを決められる

という昌夫さんのお考えが、
例えば、ある人が姦淫をした場合、その人が

?@「姦淫は神様の前に罪だ」と「わかりつつ」それをしたら、それは神の前に「罪」だけれども、
?A「姦淫は神様の前に罪だ」と「知らないで」それをしたら、それは神の前に「罪」ではない
?Bすなわち、姦淫は時と場合によって罪である場合もあり、そうでない場合もある。

と言うようなお考えであるとしたら、私としては賛同できませんし、そのようなお考えは、「罪」とは何かという事柄に関して、誤認識を招く恐れがあるとも思います。

色々書いてしまってすみません。これで最後にします。

No.2690 2007/08/01(Wed) 01:40:53

Re: 創世記20章 / 昌夫 引用

まことさん、書き込みありがとうございます。

この掲示板は、最近、沙耶香さんと僕だけで書いていることが多いですが、意図してそうなったわけではないので、遠慮なくレスをつけてください。

罪とは何かということが、だんだん聖書を読むほど分からなくなってきたので、まことさんのお考えを教えてくだされば幸いです。

まず、豚肉を食べるという同じ行為が場合によって神の前に罪である場合もあり、そうでない場合もあるということは、はっきり聖書にあることだと思います。モーセの律法下では、罪であったし、少なくともイスラエル人でないクリスチャンが豚肉を食べても罪にならないことは、使徒15章29節などから明らかだと思います。ここまでは同意していただけますか?

もし同意されるなら、時と場合によって罪であったりなかったりする行為と、いつも罪である行為という分類があるということでしょうか?もし、そうなら、そのような分類は、どういう原理で決められているのでしょうか?

No.2691 2007/08/01(Wed) 03:42:12

Re: 創世記20章 / まこと 引用

昌夫さん。

お問い合わせがありましたので、返信させて頂きます。

本件は中々難しい問題ですね。

今回は、二つの側面から、昌夫さんの質問にお答えします。

第一に、「姦淫」と、「食肉に関する規定」は同等には扱えないことを指摘しておきます。理由は、「食肉に関する規定」に関しては、それが新約においては廃棄されたことが明らかであるのに対して、「姦淫」に関してはそうではないという事です。

>イスラエル人でないクリスチャンが豚肉を食べても
>罪にならないことは、使徒15章29節などから明らか
>だと思います。ここまでは同意していただけますか?

同意します。「食肉に関する規定」が廃棄されたことを明示している例としては、使徒10:10以降や、昌夫さんがご指摘のところの使徒15:29などが挙げられますね。 しかし問題は、「姦淫」に関する規定が廃棄されたという例は、どこにも見当たらないと言うことです。 むしろ、昌夫さんご自身が着目されたところの、使徒15:29には、「不品行を避けること」が規定されていて、性的交渉においてはモーセの律法が依然として有効だったことを示唆しています。

ですから、「食肉関すること」が、新約においては時と場合によって罪であったり無かったりするということを取って、その原理を「姦淫」にまで拡張するのは適切ではないと私は考えます。一方の「正」をもって他方も「正」とするための比較対象にはならないと言うことです。

この意味では、2690の記事において私が差し上げた意見は、アビメレクがあやうく犯しそうになった「姦淫の罪」に限定されたものとして扱われるべきすね。その点は、私は見落としていました・・・。

第二に、行為の罪に関する「分類」についてですが、

>時と場合によって罪であったりなかったりする
>行為と、いつも罪である行為という分類がある
>ということでしょうか?

分類はあると思います。ただし、その分類を私自身が完全に代弁することは、無理です。それは勘弁してください。私たちが色々な状況に遭遇した時に、そのつど考え、悩み、そして解決を探し出してゆく事柄だと思いますから。 

ただ、上記のように、ある行為が「時と場合によって」罪であるかどうかを判断する手がかりは、聖書の中にありますから、それを頼りに考えて行くしか無いでしょうね。 例えばガラテヤ6:19〜21とかには、罪の行為について色々と例が列挙されています。

パウロは、ローマ5:13において、
「律法が与えられるまでの時期においても、罪は世にあったからです。」と書いています。次いで、「しかし罪は、何かの律法が無ければ認められないものです」と続きます。

アブラハムの時期には、「姦淫をしてはならない」という律法は与えられていませんでした。故に、その行為は神に対する罪としては人間に認識されていなかったかもしれません。しかし、人間が認識しないからといって、その行為が罪でないということにはならないのでは無いでしょうか。

私が申し上げたかったのは、そういうことです。
「罪」は、人間の立場・知識・都合によって、存在したり、存在しなくなったりするような代物ではないという事です・・・。

No.2692 2007/08/01(Wed) 11:24:35

Re: 創世記20章 / 昌夫 引用

まことさん、誤解があるように思います。僕が2685で書いたのは、姦淫の罪についてではなく、近親結婚することの罪についてです。もともとの沙耶香さんの質問も姦淫の罪のことではありません。異母妹と結婚するのは、モーセの律法では罪ですし、その規定が特に廃棄されたとは、聖書には書いていないと思います。異母妹と結婚するという行為については、罪である場合と罪でない場合があるだろう、というのが僕の考えですが、どう思われますか?

>「罪」は、人間の立場・知識・都合によって、存在したり、存在しなくなったりするような代物ではないという事です・・・。

罪が人間の都合によって存在したり存在しなくなったりしないということについては同意します。人間の立場と知識と罪の関係については、分かりやすい豚肉を食べる行為の例を徒ってみると、どのようにお考えでしょうか?

豚肉を食べるという行為が罪であるかどうかは、その人間がどの律法下にあるか、という立場によって変わってくると同意できたと思います。また、もし、旧約の時代に、もしあるイスラエル人が律法の知識を持たなかったら、豚肉を食べることは、罪にならないと思います。

No.2694 2007/08/01(Wed) 13:07:55

Re: 創世記20章 / まこと 引用

追伸:
上、2696において、かなり断定的な書き方をしましたが、それは何かを論ずる上で必要な手法としての断定として捉えていただければ幸いです。

「罪とは何か?」という問いは、まさに神秘的な事柄であって、私は今後、自分の人生を通じて、その答えを見つけ出して行くことでしょう。

そんな中途の私の意見です。私の意見として捉えてください。しかし、私の信ずるところ・理解するところ・経験したところのすべてを込めて書きました。

No.2697 2007/08/01(Wed) 15:10:01
創世記21章17節まで / 沙耶香 引用

今日は創世記21章17節までを読みます。

2節の
サラはみごもり、そして神がアブラハムに言われたその時期に、年老いたアブラハムに男の子を産んだ。
が印象に残りました。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒10章41―45節を読みます。
天のお父様イエス様どうかどうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・・
何度か読んでいると43節が気になるので、これをもう何度か音読します。

No.2689 2007/07/31(Tue) 21:06:48

再創世記21章17節まで / 沙耶香 引用

今日は創世記21章17節までをもう一度読みます。

5節の
アブラハムは、その子イサクが生まれたときは100歳であった。
が印象に残りました。

9節に
そのとき、サラは、エジプトの女ハガルがアブラハムに生んだ子が、自分の子イサクをからかっているのを見た。
とありますが、結局、ハガルに子供を産ませたんだったのかな?もう覚えていないのです。愚かでごめんなさい。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒10章46―48節、11節1―3節を読みます。
天のお父様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン;・・・
何度か読んでいると、48節が気になるので、これをもう何度か音読します。

No.2693 2007/08/01(Wed) 12:06:58

Re: 創世記21章17節まで / 昌夫 引用

9節に出てくるハガルは、サラが子どもを産まなかったのでアブラハムに妻として与えた女奴隷です。ハガルの産んだ子は、イシュマエルです。16章3-16節に書いてありました。

聖書を最初に読むときには、人は、いろいろなことを覚えられないし、それぞれの書の一般的に重要とされるテーマをなかなか理解できないのが普通だと思います。そうできないから愚かということは全くありません。

No.2695 2007/08/01(Wed) 13:20:04
創世記19章残り / 沙耶香 引用

今日は創世記19章残りを読みます。

26節に
ロトのうしろにいた彼の妻は、振り返ったので、塩の柱になってしまった。
とはどういう意味だろうか?振り返ったら塩の柱???

29節に、
こうして、神が低地の町々を滅ぼされたとき、神はアブラハムを覚えておられた。それで、ロトが住んでいた町々を滅ぼされたとき、神はロトをその破壊の中から逃れさせた。
とあるが、これはどういう意味だろうか?うーん、でもなんだか、雰囲気が読めない。

うーん??32節に
さあ、お父さんに酒を飲ませ、一緒に寝て、お父さんによって子孫を残しましょう。
とありますがこんなCENSOREDなんて罪じゃないの?

No.2676 2007/07/29(Sun) 19:54:32

Re: 創世記19章残り / 昌夫 引用

26節は、ソドムとゴモラのあたりの町々は、栄えていたのに、硫黄の火に滅ぼされ、今は、死海の近くの低地の岩塩の荒地になっているらしいという背景があります。死海のあたりに岩塩でできた柱で、アラビア服を着た婦人が振り返っているように見えるものがありあす。それが、伝説的にロトの妻の塩の柱だと言われています。伝説が間違っているとしても、同じような塩の柱になったのだと思います。インターネットの検索で、「死海、塩の柱、ロト」と入れてみると、伝説のロトの妻の塩の柱の写真のあるサイトがいくつかありました。

29節は、神がロトが破壊から逃れることができるようにされたのは、アブラハムの信仰のためであることを書いていると思います。15章6節にあるように、アブラハムは信仰によって義とされたので、17節のように、神と親しい契約関係に入りました。そのアブラハムが甥のロトを愛していたので、神はロトも特別に大切にされ、ソドムとゴモラの破壊から守られたのだと思います。

32-36節のCENSOREDが罪であったかどうか、僕には分かりません。そのときどきに、その人に何が罪であるかは、神との契約で決まります。たとえば、アダムとエバの息子たちは、他に人間はいないと思われるので、自分たちの妹とそれぞれ結婚したと思いますが、そのCENSOREDは罪ではなかったと思います。ロトの娘たちも、父親のほかに男性がいないという特殊な状況なので、この場合はCENSOREDが罪でなかった可能性があるように思います。

モーセの律法では、CENSOREDの罪が定められています。これは、後の時代の律法なので、ロトの娘たちには直接には適用できません。

No.2680 2007/07/30(Mon) 05:28:31

再創世記19章残り / 沙耶香 引用

うん、ネット検索で「死海 塩の柱 ロト」と入れてみました。写真出てきました。面白いですね・・・

>>そのCENSOREDは罪ではなかったと思います。ロトの娘たちも、父親のほかに男性がいないという特殊な状況なので、この場合はCENSOREDが罪でなかった可能性があるように思います。

うーん??なかなか難しいですね・・・うーん、でも男の人は31節にあるように
この地には、この世のならわしのように、私たちのところに来る男の人などいません。
とあるように、どこかに捜しに行ったらいいじゃないですか?何も父親とCENSOREDしなくてもいいと思うんだけれど・・・

今日はもう一度創世記19章残りを読みます。

36―38節の
こうして、ロトのふたりの娘は、父によってみごもった。
姉は男の子を産んで、その子をモアブと名づけた。彼は今日のモアブ人の先祖である。
妹もまた、男の子を産んで、その子をベン・アミと名づけた。彼は今日のアモン人の先祖である。
が印象に残りました。

もう一通りイエス様の前に出て、静まる感じで読みます。
何度も何度も読むといいですね・・・

No.2681 2007/07/30(Mon) 12:26:53

Re: 創世記19章残り / 昌夫 引用

>どこかに捜しに行ったらいいじゃないですか?

30節にあるように、父親のロトがほら穴の中に住むことを決めました。娘たちは、父親の決定は絶対に守らないといけないと考えていたと思います。

>何度も何度も読むといいですね・・・

そうですね。あせって先を急ぐよりも、何度も何度も読むことが良いと思います。

No.2686 2007/07/31(Tue) 07:03:30
聖書の読み方 / 昌夫 引用

特に旧約聖書には、現代日本とは全く違う文化や地理の背景であり、僕たちには意味のとりにくいことが多いと思います。それから、新約聖書がキリストの十字架という罪の赦しの恵みという、神の愛を理解しやすい側面のことが中心であるのに対し、旧約聖書は、神のさばきについて、多く書いてあります。僕は神のさばきも神の愛の聖なる側面であると考えますが、これは、人間にはとても理解しにくいことのように思います。

沙耶香さんが旧約聖書を読んでいくときに、もし旧約聖書は神のことばである、という確信がまだ得られていないなら、そういう確信がいただけるように祈りながら読んでいかれると良いと思います。

もし、そういう確信があるなら、聖書を自分が「読む」というより、聖書から神の御言葉を「聞く」ことができるように祈りながら、読んでいかれると良いと思います。特に、現代日本で普通になっている考え、例えば、奴隷制度は人権を無視している、というような考えを、絶対視して読まないように注意することをお薦めします。常に、神が絶対だけれど、どんなに良いと思える考えも、人間の考えは絶対ではない、と注意すると良いと思うのですが、どうでしょうか?

それから、通読とディボーションでは、読み方が違ってくると思います。通読のときは、沙耶香さんは1章の半分くらいを読まれているので、「静かに聞く」という気持ちで読んでも、ある程度、早く読むことになると思います。「癒しに通じる読み方」と沙耶香さんが書かれていたディボーションでは、4,5節だけゆっくりと読むのが基本になると思います。旧約聖書の通読をしている間は、ディボーションは新約聖書を4,5節だけゆっくり読むようにすると今の時点で理想的ではないかと感じています。どうでしょうか?とても大切なことなので、牧師にも相談してみてください。

No.2679 2007/07/30(Mon) 05:05:56

Re: 聖書の読み方 / 沙耶香 引用

うーん??今日牧師いないのです。明日も夜いないです。
旧約聖書は神の御言葉であるという確信はないです。何だかよく分からない、読んでいてもよく分からないが、分からない、分からないでほったらかしたら何も変わらないと思って、読み進めているのです。
うーん、それでは、今日は通読とディボーションをします。また牧師に聞いてみます。でも牧師お忙しいといってなかなか時間取ってくれないのです。

No.2683 2007/07/30(Mon) 18:33:20
創世記19章19節まで / 沙耶香 引用

今日は創世記19章19節までを読みます。

みなさん、3,4日間お待たせしました。ちょっと家にいなかったので、掲示板載せられませんでした。また、今日からよろしくお願いします。
うん、管理人様のアドバイス受けておきます。でも語っておられることがすんなり分かるほど勉強していないし、まだまだ未熟者だから・・・・だから、管理人様の思うような聖書通読ができないかもしれないけれど、イエス様により頼みながら・・・

2節に
そして言った。「さあ、ご主人。どうか、あなたがたのしもべの家に立ち寄り、足を洗って、お泊りください。そして、朝早く旅を続けてください。」すると彼は言った。「いや、わたしたちは広場に泊まろう。」
とあるが、広場に泊まるって意味がわからないのだが・・・だって広場なんか泊まれないじゃない?

うーん、8節に
お願いですから。私にはまだ男を知らない二人の娘があります。娘達をみなの前に連れてきますから、あなたがたの好きなようにしてください。ただ、あの人たちには何もしないでください。あの人たちは私の屋根の下に身を寄せたのですから。」
とあるが、こんなことしてもいいのだろうか?罪にならないのだろうか?

11節に
家の戸口いたものたちは、小さいものも大きいものもみな、目潰しをくらったので、彼らは戸口を見つけるのに疲れ果てた。
とあるが、前にも多分聞いたと思うけれど、小さいものとか大きいものとかは一体何が小さいの?何が大きいの?

ということで今日からは癒しに通じる読み方はしないです。明日の朝、もう一度この19章19節までを癒しに通じる読み方で読みます。初めてだからできるかな???
天のお父様イエス様どうか明日の朝から、長い節を癒しに通じる読み方で読みますが、きちんとイエス様により頼んで進めますように。イエス様の御名によってお祈りいたします。アーメン・・・

No.2673 2007/07/28(Sat) 20:15:59

再創世記19章19節まで / 沙耶香 引用

今日はもう一度創世記19章19節までを読みます。

うん、もう一度読むときは、イエス様の前に静まって読んでみようと思います。何せ初めてなもんで、行き届かないところはご了承ください。
うーん、何回か読んでいるが、4節だけのときよりも、取りづらいというか、語りかけてくださるように祈っているが、なかなか難しいですね・・・また、もう一度読みます。

うーん、やはり8節の
お願いですから。私にはまだ男を知らないふたりの娘があります。娘たちをみなの前に連れてきますから、あなたがたの好きなようにしてください。ただ、あの人たちには何もしないでください。あの人たちは私の屋根の下に身を寄せたのですから。」
が強烈に印象に残りました。

15節の
夜が明けるころ、御使いたちはロトを促して言った。「さあ立って、あなたの妻と、ここにいるふたりの娘達を連れて行きなさい。さもないと、あなたはこの町の咎のために滅び尽くされてしまおう。」
が印象に残りました。

17節の
彼らを外のほうに連れ出したとき、そのひとりは言った。「いのちがけで逃げなさい。うしろを振り返ってはいけない。この低地のどこででも立ち止まってはならない。山に逃げなさい。さもないとほろぼされてしまう。」
が印象に残りました。
前を向いて進みなさい、後ろは振り返ってはならない、過去は変えられない、イエス様とともに前を向いて進みなさいと語られたような気がします。

No.2674 2007/07/29(Sun) 06:21:08

Re: 創世記19章19節まで / 昌夫 引用

2節ですが、当時の中近東の旅行者が広場に泊まることは異常なことではなかったそうです。日本では考えられないことですが、湿気の多い日本と違い、カナンでは季節によっては雨降らないのでとても乾燥しているし寒くない、ということもあると思います。湿気がなくて寒くなければ、簡単な寝具さえあれば、それほど苦痛を感じずに外で寝ることができるのだと思います。

5節の「彼らをよく知りたい」は、婉曲な表現で、ソドムの町の男の人々は無理やりに同性愛の不品行の行為をしようとしていました。ソドムの町の人々がそういうこと悪いことを旅している男の人たちにすることをロトはよく知っていたと思います。1節でロトは顔を地につけて、伏し拝んだので、ロトは、ふたりの旅人が、普通の人間ではなく、主の御使いであることを知っていたと思います。

8節では、ロトはパニックに陥っていると思います。自分の家に客として来てくださった主の御使いに、ソドムの町の人々が無理やり不品行の行為をしようとしていたからです。そのようなことは、ロトは絶対に防がないといけないと考えたのでしょう。他に方法を考えつかなかったので、町の人たちに自分の娘たちを代わりに好きなようにするように申し出たと思います。娘たちをそのように悪い町の人々に差し出すことは良いこととは思えないし、ロトはとても苦しい思いでそのような申し出をしたと思います。ロトは他には選択肢はないと思ったのでしょう。

ここで第2ペテロの2章1-14章を読んでみてください。特に6-8節で、信仰によって義とされていたロトがソドムの町の人々の好色なふるまいを見聞きして、悩まされていたことが分かります。また、教会に現れて異端の教えをするにせ教師たちのあるものたちは、この世で好色の行いをし、11節のように、この世では、御使いたちもそれを黙って見ています。しかし、好色な行いをしていたソドムの町の人々がやがて主に滅ぼされたように、にせ教師たちも、主が地獄に送ってさばかれます。信仰によって義とされた人は救われます。このようにソドムの町の滅びとロトが救われたことは、不信仰の罪を重ねる人々のさばきと、信仰者が救われるということの型になっています。

17節について沙耶香さんが書かれたように、26節でロトの妻が振り返って塩に柱になったことは、僕たちにも意義が深いと思います。信仰によって不義の場所から救い出された者は、振り返ってはいけない、前に向いて進んでいかないといけない。

No.2675 2007/07/29(Sun) 19:06:15

Re: 創世記19章19節まで / 沙耶香 引用

第二ペテロ2章1―14章??1―14節だろうか?うーん??あまりよく意味が取れないが・・・
うん、前に進まないといけないですね・・・・
後ろに振り返ってはならないけれど、私には後ろを振り返る材料が多すぎて・・・うん、でも一歩ずつイエス様に変えていただけるように・・・イエス様イエス様イエス様・・・

No.2677 2007/07/29(Sun) 20:20:13

Re: 創世記19章19節まで / 昌夫 引用

すみません。1-14節です。

No.2678 2007/07/30(Mon) 04:48:37
創世記18章 / 沙耶香 引用

今日は創世記18章を読みます。

14節の
主に不可能なことがあろうか。わたしは来年の今ごろ、定めたときに、あなたのところに戻ってくる。そのとき、サラには男の子ができている。」
が印象に残りました。

19節に
わたしが彼を選び出したのは、彼がその子らと、彼の後の家族とに命じて主の道を守らせ、正義と公正とを行わせる為、主が、アブラハムについて約束したことを、彼の上に成就するためである。」
とあるが、これはどういう意味だろうか?

26節に
主は答えられた。「もしソドムで、わたしが50人の正しい者を町の中に見つけたら、その人たちのために、その町全部を赦そう。」
とありますが、悪い人をも赦してしまわれるなんてちょっとおかしいことないかな?

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒10章22―25節を音読します。
天におられるお父様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か音読していると、22節が気になるので、これをもう何度か音読します。
静まっていると、神様は御使いやいろんな人やいろんなものを使って、いろんな伝え方をされるので、いつも気をつけていなさいと語られたような気がします。

No.2669 2007/07/23(Mon) 22:28:03

Re: 創世記18章 / 昌夫 引用

19節にはアブラハムが選ばれたことの2つの理由が書いてあると思います。

1.アブラハムが自分の子孫たちと、自分を信仰の父と尊ぶ人たちに命じて、彼らに信仰によって、主の道を守らせ、正義と公正を行わせるため。

2.主がアブラハムについて約束された彼の子孫の祝福と、全ての国民が彼によって祝福される約束を、成就するため。

この2つのことは、密接に関係していると思います。主はご自分を信頼して聞き従う人たちを祝福されるからです。

26節。ここで、「町全部を赦す。」とは永遠に罪を赦すという意味ではなく、今回は、町を滅ぼさない、という意味だと思います。

No.2670 2007/07/24(Tue) 01:59:21

再創世記18章 / 沙耶香 引用

今日はもう一度創世記18章を読みます。

10,11節の
するとひとりが言った。「わたしは来年の今ごろ、必ずあなたのところに戻ってきます。そのとき、あなたの妻サラには、男の子ができている。」サラはその人のうしろの天幕の入り口で、聞いていた。
アブラハムとサラは年を重ねて老人になっており、サラには普通の女にあることがすでに止っていた。
が印象に残りました。

14節の
主に不可能なことがあろうか。わたしは来年の今ごろ、定めたときに、あなたのところに戻ってくる。そのとき、サラには男の子ができている。」
が印象に残りました。

32節の
彼はまた言った。「主よ。どうかお怒りにならないで、今一度だけ私に言わせてください。もしやそこに10人見つかるかもしれません。」すると主は仰せられた。「滅ぼすまい。その10人のために。」
が印象に残りました。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒10章26―29節を音読します。
天のお父様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か音読していると28節が気になるので、これをもう何度か音読します。
静まっていると、人間誰しも一人一人が高価で尊いので、きよくないとか汚れているとか言ってはならないと語られたような気がします。

No.2671 2007/07/24(Tue) 09:55:17

Re: 創世記18章 / 昌夫 引用

聖書を読んでいると、「主はどうしてこのようなことをされたのだろうか。主はどうして、この人がこのように悪いことをすることを許されたのだろうか。」というような疑問がわいてきます。そのときに、アブラハムのように大胆に主の前に出て、主を信頼しながら、主に質問すると良いと思います。

ただ、聖書の読み方としては、自分が聖書から情報を得ようという読み方ではなくて、だんだん、普通に声に出さずに早く読むときも、沙耶香さんが「癒しに通じる読み方」と書かれている、主の前に出て静かに聞く読み方にしていくと良いと僕は思います。たとえば、通読で一回目に読むときは、今までと同じようにして、2回目に読むときは、主の前に出て静かに聞く気持ちで読んでみられたら、どうかな、と思っています。

No.2672 2007/07/24(Tue) 23:22:06
創世記17章 / 沙耶香 引用

今日は創世記17章を読みます。

13節に
あなたの家で生まれたしもべも、あなたが金で買い取ったものも、必ず割礼を受けなければならない。わたしの契約は、永遠の契約として、あなたがたの肉の上にしるさなければならない。
とありますが、何で絶対割礼を受けないといけないのか?不思議だ。

16節に
わたしは彼女を祝福しよう。確かに、彼女によって、あなたにひとりの男の子を与えよう。わたしは彼女を祝福する。彼女は国々の母となり、国々の民の王たちが、彼女から出てくる。」
とあるが、うーん???サライは子供を作らなかったのではないの?だから女奴隷をアブラムに妻として与えたのでしょ?うーん???

26節に
アブラハムとその子イシュマエルは、その日のうちに割礼を受けた。
とあるが、その日のうちってどういうことだろうか?アブラハムは99歳のとき、イシュマエルは13歳のときに割礼を受けたとあるのに、その日のうちっていつのことだろうか?

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒10章14―17節を音読します。
天におられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か音読していると、15節が気になるので、これをもう何度か音読します。
静まっていると、神様が聖めたものには聖くないものはないんだと語られたような気がします。

No.2655 2007/07/22(Sun) 21:04:51

Re: 創世記17章 / 昌夫 引用

割礼はアブラハムと神の契約のしるしとして、神がアブラハムの子孫の男に受けるように定められました。肉体に割礼を受けるという行い自体が、「良い行い」であるのではなく、神に聞き従うということが、良いことです。何か神と関係のないところで、絶対的に「良い行い」があるのではなく、絶対的に善である神が言われることに聞き従うことが、良い行いです。

16節の段階では、サラは子どもを産んでいません。これは、将来にサラが男の子を産むことを、神が言われたのです。

26節は、アブラハムが99歳、イシュマエルが13歳であった年のある日に、神がアブラハムに現われられて、その日のうちに、ということです。このように、神が言われたことを、すぐに実行するのは良いことです。

No.2659 2007/07/23(Mon) 04:41:28

再創世記17章 / 沙耶香 引用

うーん、神様はどうして契約のしるしとして割礼をすることを定められたのか?不思議だ。

今日はもう一度創世記17章を読みます。

5節の
貴方の名は、
もう、アブラムと呼んではならない。
貴方の名はアブラハムとなる。
わたしが、あなたを多くの国民の
父とするからである。
が印象に残りました。
たくさん子孫を増やせるということですね・・・・

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒10章18―21節を音読します。
天におられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か音読していると、19,20節が気になるので、これをもう何度か音読します。
静まっていると、イエス様は御霊を通して語られる場合もあるので、常にイエス様からの語り掛けに心を留めておきなさいと語られたような気がします。

No.2662 2007/07/23(Mon) 10:38:42

Re: 創世記17章 / 昌夫 引用

>神様はどうして契約のしるしとして割礼をすることを定められたのか?不思議だ。

僕も詳しくは分かりませんが、契約のしるしと契約の内容には関係があります。ノアの契約のときは、大洪水が地を滅ぼすことはない、という契約の内容だったので、神は虹を契約のしるしに選ばれました。アブラハムとの契約は、アブラハムの子孫の繁栄が内容なので、割礼を契約のしるしに選ばれました。

5節の「わたしが、あなたを多くの国民の父とするからである。」

は沙耶香さんが書かれたようにアブラハムの子孫が繁栄するという意味だとアブラハムはとったと思います。しかし、この節の意義はそれだけではないと思います。15章6節のように、信仰によって義とされたアブラハムが、同じように信仰によって義とされる全てのキリスト者たちの、信仰の父であるということが、この節の僕たちにとっての意義のひとつだと思います。

No.2665 2007/07/23(Mon) 11:34:32

Re: 創世記17章 / 沙耶香 引用

あ、そうなの?アブラハムは信仰の父でもあるの?うーん、分からなかった・・・

No.2668 2007/07/23(Mon) 18:22:26
お久しぶりです / じんない 引用

久しぶりに来てみました。沙耶香さんは聖書の通読を続けていて、いまは創世記を読まれているんですね。通読を続けていらっしゃるのは励まされます。

旧約聖書は難しい箇所が多いので、恥ずかしながら僕もあまり読んでいないです。大垣先生の解説が分かりやすく、今のお二人のやりとりはとても勉強になります。どうもありがとうございます。

No.2660 2007/07/23(Mon) 08:27:59

Re: お久しぶりです / 沙耶香 引用

あーよかった、私なんかの通読なんかでもお役に立てているなんて・・・嬉しい限りだ。
聖書通読は私にとってはかなり難しいが、でも一歩ずつ進んでいます。でもなかなか意味が取れないところも多くて、本当に悪戦苦闘しています。

No.2661 2007/07/23(Mon) 10:13:57

Re: お久しぶりです / 昌夫 引用

じんないさん、お久しぶりです。

聖書解釈は僕の専門ではないし、難しいですが、沙耶香さんと僕のやりとりが、じんないさんの役にたつように主がされていると信じて感謝します。

No.2667 2007/07/23(Mon) 11:55:54
創世記16章 / 沙耶香 引用

今日は創世記16章を読みます。

1節に
アブラムの妻サライは、彼に子供を産まなかった。彼女にはエジプト人の女奴隷がいて、その名をハガルといった。
とあるが、これは妻のサライにハガルという女奴隷がいたということだろうか?うーん??なんだか不思議な話だ。

3節に
アブラムの妻サライは、アブラムがカナンの土地に住んでから10年後に、彼女の女奴隷のエジプト人ハガルを連れて来て、夫アブラムに妻として与えた。
とありますが、女奴隷を夫に与えるとは、今で言う愛人かな?うーん??よく分からないなーーー。

5節に
そこでサライはアブラムに言った。「私に対するこの横柄さは、あなたのせいです。私自身が私の女奴隷をあなたのふところに与えたのですが、彼女は自分がみごもっているのを見て、私を見下げるようになりました。主が、私とあなたの間をおさばきになりますように。」
6節に
アブラムはサライに言った。「ご覧。あなたの女奴隷は、あなたの手の中にある。彼女をあなたの好きなようにしなさい。」それで、サライが彼女をいじめたので、彼女はサライのもとから逃げ去った。
とありますが、うーん、なんだかこんなことがありえるのだろうか?女奴隷???そういう制度があったのだろうか?

うーん??9節に
そこで、主の使いは彼女に言った。「あなたの女主人のもとに帰りなさい。そして、彼女のもとで身を低くしなさい。」
とありますが、結婚もしていないのに性交渉をすることを主は禁じているはずですが、なぜこんなことを主の使いが言うのでしょうか?

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒10章6―9節を音読します。
天におられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か音読していると、9節が気になるので、これをもう何度か音読します。
静まっていると、祈りはクリスチャンにとって大変大事なもので、集中できる場所を選んで神様との交わりを持ちなさいと語られたような気がします。

No.2649 2007/07/21(Sat) 20:49:32

Re: 創世記16章 / 昌夫 引用

当時のオリエントの結婚の習慣は今とはかなり違っていました。まず今のように一夫一妻制ではなく、一夫多妻制でした。また、結婚は妻が子どもを産む契約という側面が強くあったようです。それで妻が一定の期間内に子を産まない場合は、女奴隷を側室として与えないければならないという規定があったそうです。サライは、この契約に従って、自分の女奴隷のハガイを妻として夫に与えたようです。

3節にあるように、ハガイはアブラムの妻となっているので、結婚しています。

神は男がたくさんの妻を持つ一夫多妻を好まれないようです。それは、第1テモテ3章3節で監督は「ひとりの罪の夫であり」となっていることなどで分かると思います。しかし、一夫多妻が社会の一般的な制度であったアブラムのころには、アブラムが多くの妻を持っても、罪ではなかったと思います。

No.2652 2007/07/22(Sun) 03:42:15

Re: 創世記16章 / 沙耶香 引用

今日はもう一度そう世紀16章を読みます。

私はこの3節の女奴隷を妻として与えたというのを妻サライが妻として与えたという風に取っていたのです。

第一テモテ3章3節・・・
情け知らずのもの、和解しないもの、そしるもの、節制のないもの、粗暴なもの、善を好まないものになり、・・・
うーん??管理人様の言っている個所と違うと思うけれど・・・・

うーん、日本は一夫一妻だし、大体が一夫一妻なので、そういうことがなんだか受け入れられないですね・・・うーん、一夫多妻・・・うーん、でも問題起きると思うけれど・・・あ、でも日本は一夫一妻だけれど、でもお金のある人は、大勢愛人を作るので、ま、一緒のようなものだけれどね・・・

うーん、一夫多妻でも9節の
そこで、主の使いは彼女に言った。「あなたの女主人のもとに帰りなさい。そして、彼女のもとで身を低くしなさい。」
はちょっと不思議だ。
でも多妻でも正室と側室とあって、正室が女主人と決まっていてしたがわなければならないという風に決まっていたのだろうか?なんだかやはりピンとこない。

16節に
ハガルがアブラムにイシュマエルを産んだとき、アブラムは86歳であった。
とありますが、86歳で子供を作ることができるのだろうか?

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒10章10―13節を音読します。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か音読していると11節が気になるので、これをもう何度か音読します。
静まっていると、神様はいろんな不思議な御技を成し遂げられるので、主に信頼してついていきなさいと語られたような気がします。

No.2653 2007/07/22(Sun) 06:32:00

Re: 創世記16章 / 昌夫 引用

>私はこの3節の女奴隷を妻として与えたというのを妻サライが妻として与えたという風に取っていたのです。

その解釈であっていると思います。当時は、そのように正室が自分の女奴隷を妻として与えれば、女奴隷と夫は結婚したことになったようです。

テモテの箇所は第1テモテの3章2節っでした。お詫びして訂正します。沙耶香さんの書かれた「情け知らずのもの」は第2テモテです。第1テモテを読んでください。

一夫多妻制は今でもイスラム強国で存在しています。社会の制度として、一夫多妻がある場合、このこと自体は、神が理想的と考えて喜ばれなくても、罪にはならないと思います。これに対し、一夫一妻制の社会で、愛人をたくさん作った場合、姦淫の罪になると思います。

自分のなれた社会制度と違うことは、ピンとこないのが当たり前で、ピンとこなくても気にする必要はないと思います。そしれ、今の社会制度なら、一夫多妻をしたり、奴隷を持ったりすることは、法律違反になるので、そういうことは神に対する罪になります(ローマ13章)。でも、同じ行いでも、社会制度や法律によっては、神に対しての罪にならないこともある、ということを理解することが重要だと思います。

主を愛し、いつも主に心を向けているということは、絶対的に正しいことで、そうしない心がさまざまな罪の行いを生みます。これに対し、ある行いが罪になるかどうか、ということは絶対的なことではありません。そのときに、主がその人に何を言われているかによって、違ってきます。

No.2657 2007/07/23(Mon) 04:30:45

Re: 創世記16章 / 沙耶香 引用

えーーそうなの?なんだか不思議な時代ですね・・・女奴隷なんて人権無視という感じで、なんだか嫌ですね・・・イエス様のお考えとずれています。

うーん??第一テモテの3章2節・・・
ですから、監督はこういう人でなければなりません。すなわち、非難されるところがなく、ひとりの妻の夫であり、自分を制し、慎み深く、品位があり、よくもてなし、教える能力があり、

あ、そうなの、一夫多妻制の場合は罪にはならないの??一夫一妻制の社会で愛人をたくさん作るのは姦淫の罪で、一夫多妻制の場合は罪にならない??なんだか解せないですね・・・

>>主を愛し、いつも主に心を向けているということは、絶対的に正しいことで、そうしない心がさまざまな罪の行いを生みます。これに対し、ある行いが罪になるかどうか、ということは絶対的なことではありません。そのときに、主がその人に何を言われているかによって、違ってきます。

うーん???こういう意味のことを牧師に言うと、罪というのは神様が決めていることだから揺るがないようなことを言っていましたよ。うーん??ニュアンスが違うのかな?

No.2663 2007/07/23(Mon) 10:50:58

Re: 創世記16章 / 昌夫 引用

>ニュアンスが違うのかな?

そうだと思います。たとえば、豚を食べるということは、モーセの律法では罪の行いだったのですが、異邦人のキリスト者が食べても罪にならないことが、使徒15章29節などで、はっきり分かると思います。

No.2666 2007/07/23(Mon) 11:42:31
創世記15章 / 沙耶香 引用

今日は創世記15章を読みます。

1節の
これらの出来事の後、主のことばが幻のうちにアブラムに臨み、こう仰せられた。
「アブラムよ。恐れるな。
わたしはあなたの盾である。
あなたの受ける報いは非常に大きい。」
が印象に残りました。

2節に
そこでアブラムは申し上げた。「神、主よ。私に何をお与えになるのですか。私にはまだ子がありません。私の家の相続人は、あのダマスコのエリエゼルになるのでしょうか。」
とあるが、ダマスコのエリエゼルはなぜアブラムの家の相続人になるのだろうか?エリエゼルとは誰なのか?

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒9章41―43節、10章1節を音読します。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・・
何度か音読していると、42節が気になるので、これをもう何度か音読します。
静まっていると、イエスの不思議な御業は自然とみなに広まる、私たち信仰者はそのイエス様の御技の素晴らしさを宣べ伝えないといけないと語られたような気がします。

No.2646 2007/07/20(Fri) 19:38:08

再創世記15章 / 沙耶香 引用

今日はもう一度創世記15章を読みます。

13,14節に
そこで、アブラムに仰せがあった。「あなたはこの事をよく知っていなさい。あなたの子孫は、自分たちのものでない国で寄留者となり、彼らは奴隷とされ、400年の間苦しめられよう。
しかし、彼らの仕えるその国民を、わたしがさばき、その後、彼らは多くの財産を持って、そこからでて来るようになる。
とあるが、これはアブラムの子孫は奴隷になり400年間奴隷として苦しみ、その奴隷とされた国民を主が裁き、裁かれた後多くの財産を持ってその国を出られるという意味だろうか?

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒10章2―5節を音読します。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様野語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か音読していると3節が気になるので、これをもう何度か音読します。
静まっていると、いつもいつも神様との時間を取って祈ったり聖書を読んだりしていると、神様が一番いいときを選んでいろんな形を使っていろんな指示を与えてくれると語られたような気がします。

No.2647 2007/07/21(Sat) 09:53:26

Re: 創世記15章 / 昌夫 引用

アブラムは主に子孫を祝福していただく約束をいただいて、親類一族のいたカランの地を離れ、知らないカナンの地に来ました。しかし、自分も妻のサライも年をとったのに、子どもを授かっていませんでした。それで、アブラムの家の最年長の奴隷であるダマスコ出身のエリエゼルを家の相続人に選ぶことが、主の御心なのか、とアブラ無は考えていたようです。

2節のエリエゼルはとてもアブラムに忠実なしもべだったようです。24章で、イサクの妻をカランの方に探しに行くしもべがエリエゼルだと思います。

6節で、主が、アブラムの良い行いのためではなく、主のみことばを信じた信仰によって、罪を全て赦され、義と認められたことが重要だと思います。

13-14節は、沙耶香さんが書かれたような意味です。これは、アブラムの子孫であるイスラエルの民がエジプトで奴隷にされて苦しんだ後、多くの財産を持って国を出ることを主が告げられました。

当時は、契約を結ぶとき、いけにえの動物を裂き、契約する2人の人たちが、その間を通る習慣がありました。アブラムを義と認められた主は、17節で、切り裂かれた動物の間を通られて、アブラムと契約を結ばれました。

No.2648 2007/07/21(Sat) 14:04:30

Re: 創世記15章 / 沙耶香 引用

アブラムは年を取っていたのなら、子供なんて授かれないのでは・・・?

ふーん、この時代には人のしもべが存在したんだ???うーん、あまり今では考えられないですよね?

うーん・・・変わってますね・・・裂かれた動物の間を通られてアブラムと契約を結ぶ??面白い習慣だ。

No.2650 2007/07/21(Sat) 21:50:52

Re: 創世記15章 / 昌夫 引用

年を取った夫婦は普通には子どもは授かることがありません。でも、神には全てが可能です。

人類の歴史の中では、ほとんどの国で奴隷制度のない現代のほうが例外だと思います。例えばアメリカでは100年ちょっと前までは奴隷制度がありました。

No.2651 2007/07/22(Sun) 00:24:04

Re: 創世記15章 / 沙耶香 引用

えー――??先進国のアメリカで100年ちょっと前まで奴隷制度があった??うーん??でも奴隷制度ってなんだか人権無視という気がして神様からはかけ離れれているという気がするのですが・・・

そりゃー神様には可能だろうけれど、でも現代でそんなに年を取った人に子供なんてできないでしょ?医療の発達した現代でさえできないのに、そんな昔にできたの?今だって神様は存在するのだから・・???

No.2654 2007/07/22(Sun) 06:35:29

Re: 創世記15章 / 昌夫 引用

アメリカに100年ちょっと前まであった奴隷制度はアフリカから無理やり人々をさらってきて、一生奴隷にするという人権無視のはなはだしいひどいものでした。

モーセの律法にも奴隷制度があるのですが、アメリカにあった奴隷制度とは、いろいろな意味で違っていると思います。また、律法にあるからと言って、神が奴隷制度を喜んでおられたということにはなりません。イスラエルの人たちの心があまりにかたくななことについては、神は律法で許されたことがあります。例えば、神は離婚を喜ばれませんが、モーセの律法で離婚を許されていました。新約聖書の「ピレモンへの手紙」の16節を読むと、神が奴隷制度を喜ばれないことが分かると思います。

創世記1章27節にあるように、神は人を神のかたちに創造されました。だから、一人一人の人間は、罪があっても神のかたちに造られた価値の高いもので、存在価値に差はないことがはっきり分かると思います。でも、これは、人間の役割に差がない、ということとは違うので、注意が必要だと思います。父なる神と子なる神は、ひとつの神なので、どちらの方の存在価値が優れているということは言えませんが、子なる神は、父なる神に従う、という役割の違いがあります。同じように、人間にも、リーダーになる役割の者もいれば、従う役割の人間もいます。

神は宇宙を造られた方ですから、必要なら科学的、医学的には不可能な奇蹟のわざをされることもあります。もっとも大切な奇蹟はイエスが死んで3日目に復活されるようにされたことです。他の奇蹟は、基本的には、イエスの復活の奇蹟を指し示し、多くの人々に信仰を与えて救われるために行われるようです。現代では、神は科学的、医学的な法則を用いて不思議なわざを行われることが多いです。だからといって、科学的、医学的に不可能な奇蹟は、神は行う力を持っておられないと考える必要はありません。

イエスはアブラムの子孫からお生まれになるので、アブラムの子が生まれるために、神が医学的に不可能な奇蹟を使われたの可能性が高い思います。ただし、100歳くらいの男性が女性を妊娠させるということは、珍しくとも医学的に不可能なことではないようです。

No.2656 2007/07/23(Mon) 04:17:26

Re: 創世記15章 / 沙耶香 引用

えーー??それだけの先進国アメリカで100年ちょっと前までそんなひどい奴隷制度があったの?うーん??知らなかった・・・
あ、そうなの??100歳くらいの男性が女性を妊娠させることは可能なの??へーー。

No.2664 2007/07/23(Mon) 10:58:31
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