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ローマ人への手紙11章18節まで / 沙耶香 引用

今日はローマ人への手紙11章18節までを読みます。

2節に
神は、あらかじめ知っておられた御自分の民を退けてしまわれたのではありません。それともあなたがたは、聖書がエリヤに関する個所で言っていることを知らないのですか。彼はイスラエルを神に訴えてこういいました。
とありますが、エリヤに関する個所ってどこだろうか?

4節に
ところが彼に対して何とお答えになりましたか。
「バアルにひざをかがめていない男子7千人が、わたしのために残してある。」
とありますが、バアルってなんだろうな?

9,10節に
ダビデもこういいます。
「彼らの食卓は、彼らにとってわなとなり、網となり、つまずきとなり、報いとなれ。
その目はくらんで見えなくなり、
その背はいつまでもかがんでおれ。
とありますが、何で食卓がわなとなり、網となり、つまずきとなるのだろうか?

16節の
初物が聖ければ、粉の全部が聖いのです。根が聖ければ、枝も聖いのです。
は何が言いたいのだろうか?

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒5章21―24節を音読します。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か音読していると、23節が気になるので、これをもう何度か音読します。
静まっていると、神様は時を示して、いろいろな奇跡の御業を起こされるのだと語られたような気がします。

No.2525 2007/06/29(Fri) 20:59:20

Re: ローマ人への手紙11章18節まで / 昌夫 引用

11章1-10節は、主の「惠みによる残りの民」について、11-32節は「イスラエルの救いの希望」について書いてあります。

2節については、旧約聖書の1列王記19章9-18節を読んでください。

4節のバアルは、カナンの地で崇拝されていた偶像の神です。

9,10節は、ダビデがイスラエル人たちの不信仰な者たちに対して、この世でのおいしい食物の食卓が彼らの報いとなり、おいしい食物を食べたいという心が、彼らにとって罪に陥るわなとなり、捕らえる網となり、信仰のつまずきとなるように、と祈っています。

16節は、穀物の初物を神に捧げることで、粉の全部が聖いとされることから、アブラハムが信仰によって聖くされたことで、子孫であるイスラエルの全体が聖くされたことを述べています。同じように、根が聖ければ、そこから出る枝も聖いことを、アブラハムとイスラエルの関係の説明に使っています。

No.2527 2007/06/29(Fri) 22:56:10

Re: ローマ人への手紙11章18節まで / 沙耶香(管理人による再投稿) 引用

今日はもう一度ローマ人への手紙11章18節までを読みます。

列王記1、19章9―18節・・・読みました。何だかよく分からないけれど・・・

何でダビデはイスラエル人たちの不信仰なものたちに対して信仰のつまずきとなるようにと祈るのだろうか?
普通、信仰が深まるように祈るのではないのだろうか?

ふーん、アブラハムが信仰によって聖くされたことで、子孫であるイスラエルの全体が聖くされた・・・うーん、面白い考え方ですね・・・でも神による考え方だから、真実なのですよね?

今もいろんな偶像礼拝あります。

14節に
そして、それによって何とか私の同国人にねたみを引き起こさせて、その中の幾人でも救おうと願っているのです。
とあるが、これはどういう意味だろうか?ねたみを引き起こされることが、救いにつながるのだろうか?

15節に
もし彼らの捨てられることが世界の和解であるとしたら、彼らの受け入れられることは、死者の中から生き返ることでなくて何でしょう。
とあるが、これはどういう意味だろうか?捨てられることが世界の和解??

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒5章25―28節を音読します。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か音読していると、28節が気になるので、これをもう何度か音読します。
静まっていると、イエス様の教えは真実なので、自然に広まるんだと語られたような気がします。

No.2537 2007/07/02(Mon) 10:51:23

Re: ローマ人への手紙11章18節まで / 昌夫 引用

>普通、信仰が深まるように祈るのではないのだろうか?

神は人殺しをするような人も含めて全ての人が悔い改めてキリストの贖罪を受け入れて救われることを望んでおられます。だから、普通は、他の人たちに信仰が与えられ、信仰が深まるように祈ります。しかし、神は最後までどうしても悔い改めない人たちを公平に罰されます。そういう人たちに対して、ダビデも神と心をひとつにしてここで祈っていると思います。新約聖書でも1コリント16章22節、黙示6章10節で、同じような悪が罰されることを願う祈りが書いてあります。

14節は、異邦人が神に祝福されて神に近づけれられるのを見てねたみが引き起こされ、25節にあるように、一時的に心がかたくなになったイスラエル人たちが、神に心を開くのだと思います。「ねたみ」は悪い動機と結び付けられることが多いので、悪いように思いこみがちですが、ねたみ自体が悪いわけではないと思います。

15節の「世界の和解」とは、多くのイスラエル人たちが、一時的に神に捨てられて、信仰を与えられず、キリストによって異邦人が神と和解することが、神の計画だということだと思います。ルカ21章24節にあるように、今の時代は「異邦人の時」で、その間は、多くのイスラエル人たちの心はかたくなにされています。

しかし、今は多くのイスラエル人たちに信仰が与えられ、約束の地に集められるときに、イエスの再臨と黙示20章5節にある「第一の復活」が起こると思います。このときに信仰者に復活の体が与えられます。

No.2538 2007/07/02(Mon) 11:13:38

Re: ローマ人への手紙11章18節まで / 沙耶香 引用

1コリント16章22節・・・
主を愛さないものはだれでも、のろわれよ。主よ、きてください。
黙示6章10節・・・
彼らは大声で叫んでいった。「聖なる、真実な主よ。いつまでさばきを行わず、地に住むものに私たちの血の復讐をなさらないのですか。」
ルカ21章24節・・・
人々は、剣の刃に倒れ、捕虜となってあらゆる国に連れて行かれ、異邦人の時の終わるまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされます。
黙示20章5節・・・
その他の死者は、千年の終わるまでは、生き返らなかった。これが第一の復活である。

ため息ため息・・・もう何もかもいやになってきました。お腹が痛いし憂鬱だし、教会でも相手にされないし、もう私なんかいなかったほうがいいのではないか?生きている価値なんてないんじゃないか?と思ってしまいます。
神様イエス様どうか私を救い出してください。アーメン・・

No.2550 2007/07/03(Tue) 12:32:36

Re: ローマ人への手紙11章18節まで / 昌夫 引用

14章15節にあるように沙耶香さんは「キリストが代わりに死んでくださったほど」価値のある人です。

No.2554 2007/07/04(Wed) 13:08:15

Re: ローマ人への手紙11章18節まで / 沙耶香 引用

イエス様はそうおっしゃってくださっているが、イエス様の意思を受けているはずのキリスト者が私を見下す。うーん、これは罪だ。
でも罪人は後で裁かれるので・・・

No.2557 2007/07/04(Wed) 20:49:37
ローマ人への手紙13章 / 沙耶香 引用

今日はローマ人への手紙13章を読みます。

1節の
人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたものです。
が印象に残りました。

3節に
支配者を恐ろしいと思うのは、よい行いをするときではなく、悪を行うときです。権威を恐れたくないと思うなら、善を行いなさい。そうすれば、支配者からほめられます。
とありますが、この支配者というのは誰のことだろうか?

11節に
あなたがたは、今がどのようなときか知っているのですから、このように行いなさい。あなた方が眠りからさめるべき時刻がもう来ています。というのは、私たちが信じたころよりも、今は救いが私たちにもっと近づいているからです。
とありますが、これはどういう意味だろうか?眠りからさめる時刻??何のことだろうか?

14節の
主イエス・キリストを着なさい。肉の欲のために心を用いてはいけません。
が印象に残りました。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒6章3―6節を音読します。
天におられるお父様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か音読していると、4節が気になるので、これをもう何度か音読します。
静まっていると、一番大切なことは祈りと御言葉だと語られたような気がします。

No.2541 2007/07/02(Mon) 19:47:24

Re: ローマ人への手紙13章 / 昌夫 引用

1-7節は、政治的権威についてです。3節の支配者は、政治家などの国の行政や司法のリーダーたちです。パウロは国のリーダーたちがいつも神に従って個人的に良いことをしている、と言っているのではないと思います。彼らが個人的に悪いことをしていたとしても、彼らの権威が神によるものであるかぎり、彼らは、民の悪い行いを罰し、良い行いを奨励する、ということだと思います。政府が民が悪い行いをすることを奨励するときは、神はすでに神による権威は取り上げておあられる、と考えて良いと思います。

11節の「眠りから覚めるべき時刻」とは、今はもう自分たちの罪に無感覚でいるべきときではなく、自分たちの罪をよく知って悔い改めるべき時である、とうことだと思います。へブル人への手紙の1章2節にあるように、キリストの十字架以降は、「終わりの時」です。いつイエスが再臨されるか分からないので、いつも緊張感を持って罪に気をつけて神に心を向けているべき時だと思います。

No.2546 2007/07/03(Tue) 11:26:55

再ローマ人への手紙13章 / 沙耶香 引用

今日はもう一度ローマ人への手紙13章を読みます。

2節の
したがって、権威に逆らっている人は、神の定めにそむいているのです。そむいた人は自分の身にさばきを招きます。
が印象に残りました。

4節の
それは、彼があなたに益を与える為の、神のしもべだからです。しかし、もしあなたが悪を行うなら、恐れなければなりません。彼は無意味に剣を帯びてはいないからです。彼は神のしもべであって、悪を行う人には怒りをもって報います。
が印象に残りました。私は今までいろんな人に悪を行われているので、その人たちが悔い改めなければ怒りをもって報いてくださいます。

12節の
夜はふけて、昼が近づきました。ですから、私たちは、やみのわざを打ち捨てて、光の武具をつけようではありませんか。
が印象に残りました。

14節の
主イエス・キリストを着なさい。肉の欲のためいn心を用いてはいけません。
が印象に残りました。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒6章7―10節を音読します。
天のお父様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か音読していると10節が気になるので、これをもう何度か音読します。
静まっていると、聖霊様からの御霊による語りかけは何にも勝ると語られたような気がします。

No.2547 2007/07/03(Tue) 11:57:42

Re: ローマ人への手紙13章 / 沙耶香 引用

ふーん、いつ再臨されるか分からないので、罪に気をつけているとき???それにしては教会内のクリスチャンも何人か私を相手にしてくれない人がいるし・・・私はこの世的世間的には相手にされるような要素は持ち合わせていないが、イエス様の教えでは私も”あなたは高価で尊い”と認められ、価値があるはずなのに、教会にいても、家にいてもどこにいても、いらない奴だと思わされます。
私なんかは本当に早く天に召されたらいいんだけれど・・・

No.2549 2007/07/03(Tue) 12:10:35
ローマ人への手紙12章 / 沙耶香 引用

今日はローマ人への手紙12章を読みます。

2節の
この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何がよいことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。
が印象に残りました。

5節の
大勢いる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、ひとりひとり互いに器官なのです。
が印象に残りました。

8節の
勧めをする人であれば勧め、分け与える人は惜しまずに分け与え、指導する人は熱心に指導し、慈善を行う人は喜んでそれをしなさい。
が印象に残りました。とにかく人それぞれ役割分担があり、神様はいろんな形で使ってくださいます。

20節に
もしあなたの敵が飢えたなら、彼に食べさせなさい。渇いたなら、飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃える炭火をつむことになるのです。
とあるが、これはどういう意味だろうか?彼の頭に燃える炭火をつむことになる????

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒5章37―40節を音読します。
天におられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か音読していると38,39節が気になるので、これをもう何度か音読します。
静まっていると、神はどんな人間よりも勝る、素晴らしい御方なのだと語られたような気がします。

No.2534 2007/07/01(Sun) 18:34:23

Re: ローマ人への手紙12章 / Aja 引用

2節の、この世と調子を合わせてはいけません、という言葉にはハッとさせられますね。この世に生きているかぎり、この世の基準に影響され続けることは避けられないので、その中でどう神さまの御心だけに心を向けて行けるのか、なかなか難しいと感じることもあります…。


燃える炭火・・・のところは不思議な表現ですね。17節からずっとつながっているように思うのですが、悪に対して悪で報いるな、復讐は神のなさること。 私達が悪に対して善で報いるなら、それは神さまの御心にかなうことで、
神さまが悪を行った人に対して怒りを示される、という意味ではないでしょうか。

No.2535 2007/07/01(Sun) 20:32:22

再ローマ人への手紙12章 / 沙耶香 引用

今日はもう一度ローマ人への手紙12章を読みます。

うん、本当にこの世の中で生きていると世間に通じていると、しがらみみたいなものに縛られて神様の御心のみに従うなんてことは100%はできないという感じですよね?
でも本当にこの世の中って世間って最低。弱いものいじめが大好きだから、私たち弱者は立つ瀬がない。

神様が悪を行った人に対して怒りを示される・・・
いいですね・・・私なんかはずっと悪いことをされどおしで、ずっといじめられたり、騙されたり利用されたりしてきましたので・・・こういう人たちを神様がやっつけてくれたら嬉しい。

10節の
兄弟愛をもって心からたがいに愛し合い、尊敬をもってたがいに人を自分よりまさっていると思いなさい。
が印象に残りました。

14節の
あなたがたを迫害するものを祝福しなさい。祝福すべきであって、のろってはいけません。
が印象に残りました。私はいろんな人から迫害されますが、その人たちをも祝福できたら本当に素晴らしいですね・・・・

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒5章41、2節、6章1,2節を音読します。
天のお父様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か音読していると、6章2節が気になるので、これをもう何度か音読します。
静まっていると、何よりも神の言葉を重んじなければならないと語られたような気がします。

No.2536 2007/07/02(Mon) 10:49:58

Re: ローマ人への手紙12章 / 昌夫 引用

20節の「燃える炭火」は、Ajaさんが書かれたように17節から、あるいは、14節からもつながっていて、いろいろな解釈が可能だと思います。僕は、信仰者が敵に親切にすることによって、敵が自分の良心に責められて、苦しむということかと思っています。これも究極的には神がされることですが、「あなたは」とあるので、良心の呵責ということを中心に書いてあるように思います。

No.2540 2007/07/02(Mon) 12:54:56

Re: ローマ人への手紙12章 / 沙耶香 引用

私なんかはこの世の中では嫌われ者で、認められない者だから迫害者は教会内にも何人かいるし、(人数少ない教会で何人かいるんだから・・・)家族もみなそうだし・・・でもそういう人に対して祝福を祈れるようになるとイエス様喜んでくださいます。

No.2542 2007/07/02(Mon) 19:50:32
ローマ人への手紙9章17節まで / 沙耶香 引用

今日はローマ人への手紙9章17節までを読みます。

3節に
もしできることなら、私の同胞、肉による同国人のために、この私がキリストから引き離されて、のろわれた者となることさえ願いたいのです。
とあるが、何だか少しこの御言葉おかしくないか?
”キリストから引き離されて、のろわれた者となることさえ願いたいのです。”
なんて少しおかしくないか?

5節の
先祖たちも彼らのものです。またキリストも、人としては彼らのものです。また、キリストも、人としては彼らから出られたのです。このキリストは万物の上にあり、とこしえにほめたたえられる神です。アーメン・・・
が印象に残りました。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒4章33―37節を音読します。
天におられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か音読していると33節が気になるので、これをもう何度か音読します。
静まっていると、主イエスの復活とはゆるぎないもので、待ちのぞんでいなさいと語られたような気がします。

No.2510 2007/06/27(Wed) 00:44:21

再ローマ人への手紙9章17節まで / 沙耶香 引用

今日はもう一度ローマ人への手紙9章17節までを読みます。

7節に
アブラハムから出たからといって、すべてが子供なのではなく、「イサクから出るものがあなたの子孫と呼ばれる。」のだからです。
はどういう意味だろうか?

10節に
このことだけでなく、私たちの先祖イサクひとりによってみごもったリベカのこともあります。
とありますが、イサクひとりによってみごもったって???イサクって男性のはずでしょ??

・・・癒しに通じる読み方・・・・
今日は使徒5章1―4節を音読します。
天のお父様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か音読していると、4節が気になるので、これをもう何度か音読します。
静まっていると、神様はすべてをみている御方だから、悪いことはできないと語られたような気がします。

No.2511 2007/06/27(Wed) 11:07:04

Re: ローマ人への手紙9章17節まで / 昌夫 引用

3節はパウロは同胞のイスラエル人の多くが、キリストを受け入れないでいることに心を痛めています。その人たちが天国に行くことができるように、自分が地獄に行ってもよい、とまで感じている、ということだと思います。

7-8節は、アブラハムにはイサクのほかに、女奴隷ハガルから生まれたイシュマエルという息子もいました。しかし、神はアブラハムに妻のサラから子どもが生まれることを約束され、その約束の子、イサクの子孫が神に選ばれたことを書いています。

10節のリぺカはイサクの妻です。

No.2522 2007/06/29(Fri) 11:10:50

Re: ローマ人への手紙9章17節まで / 沙耶香 引用

うーん、すっごいなーーー。パウロはそこまで熱心だったのだ。

No.2531 2007/06/30(Sat) 12:29:02
ローマ人への手紙10章 / 沙耶香 引用

今日はローマ人への手紙10章を読みました。

3節に
というのは、彼らは神の義を知らず、自分自身の義を立てようとして、神の義に従わなかったからです。
とあるが、これはどういう意味だろうか?彼らとはパウロたちのことですよね?神の義を知らない??うーん、何だか矛盾してないかな?

8節の
では、どういっていますか。「みことばはあなたの近くにある。あなたの口にあり、あなたの心にある。」これは私たちの宣べ伝えている信仰のことばのことです。
が印象に残りました。

9節の
なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。
も印象に残りました。

11節の
聖書はこう言っています。「彼に信頼するものは、失望させられることがない。」
も印象に残りました。

20,21節に
またイザヤは大胆にこう言っています。
「わたしは、わたしを求めないものに見出され、
わたしをたずねないものに自分を現した。」
またイスラエルについては、こう言っています。
「不従順で反抗する民に対して、
わたしは一日中、手を差し伸べた。」
とありますが、主イエス様は信仰者じゃなくても働き、手を差し伸べるのだろうか?うーん???

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒5章13―16節を音読します。
天におられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・・
何度か音読していると16節が気になるので、これをもう何度か音読します。
静まっていると、イエス様は唯一の救い主、癒し主だと語られたような気がします。

No.2517 2007/06/28(Thu) 19:07:41

再ローマ人への手紙10章 / 沙耶香 引用

今日はもう一度ローマ人への手紙10章を読みます。

10節の
人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。
が印象に残りました。

13節の
「主の御名を呼び求めるものは、だれでも救われる。」のです。
が印象に残りました。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒5章17―20節を音読します。
天のお父様神様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か音読していると20節が気になるので、これをもう何度か音読します。
静まっていると、イエス様の御言葉は素晴らしいので大胆にみなに語りつげなさいと語られたような気がします。

No.2519 2007/06/29(Fri) 10:41:54

Re: ローマ人への手紙10章 / 昌夫 引用

3節の「彼ら」はイスラエル人たちのことで、大多数のイスラエル人たちは恵みによる神の義を知らず、自分たちの人間の力で律法を守って義と認められようとしました。

21節は、神が不信仰のために罪を繰り返すイスラエルが、悔い改めることを望んで、いつも手を差し伸べておられたことを書いています。

僕たちが不信仰で罪を繰り返していたときにも、僕たちの罪のためにイエスは十字架で死んでくださって、救いのために手を差し伸べてくださいました。

No.2523 2007/06/29(Fri) 11:19:45

Re: ローマ人への手紙10章 / 沙耶香 引用

でも信仰者になっても人間は罪人で罪を繰り返します。人間はこの世で生きている限り罪からは逃れられないのですかね?

No.2524 2007/06/29(Fri) 20:33:44

Re: ローマ人への手紙10章 / 昌夫 引用

>人間はこの世で生きている限り罪からは逃れられないのですかね?

信仰者がだんだん罪の支配から逃れていく聖化の道のことを、6章から8章でパウロが書いています。沙耶香さんは、6-8章でパウロはこの世では罪の支配から逃れることは不可能と書いていると思いますか?

No.2526 2007/06/29(Fri) 22:42:00

Re: ローマ人への手紙10章 / 沙耶香 引用

6章18節に罪から解放されて、義の奴隷となったのです。
とあります。罪の支配から逃れることは不可能だとは書いていないけれど、だんだん罪から解放されても、全く聖いイエス様のようにはなれないと思います。
罪がすべてなくなり、悔い改める必要がなくなるということはないと思います。

No.2530 2007/06/30(Sat) 12:26:08
ローマ人への手紙9章残り / 沙耶香 引用

今日はローマ人への手紙9章残りを読みます。

18節の
こういうわけで、神は、人をみこころのままにあわれみ、またみこころのままにかたくなにされるのです。
はどういう意味だろうか?御心のままにかたくなにされる・・・?何をかたくなにされるのだろうか?

26節に
「あなたがたは、わたしの民ではない。」と、わたしが言ったその場所で、彼らは、いける神の子供と呼ばれる。」
とあるが、これはどういう意味だろうか?
私の民ではないと言っているのに、神の子供と呼ばれる???意味不明だ。

33節の
それは、こう書かれているとおりです。
「見よ。わたしは、シオンに、つまずきの石、妨げの岩を置く。彼に信頼するものは、失望させられることがない。」
が印象に残りました。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒5章5―8章を音読します。
天におられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か音読していると5節が気になるのでこれをもう何度か音読します。
静まっていると、神を欺くと神様からの報復が待っている、一番恐れるべき存在は神様なのだと語られたような気がします。

No.2512 2007/06/27(Wed) 20:05:24

Re: ローマ人への手紙9章残り / 昌夫 引用

9章の6-29節は、「神の主権による選び」についての説明です。15節にあるように、神は選ばれた人たちをあわれみ、選ばれた人たちをいつくしんでくださいます。

18節で、神がかたくなにされるのは、神があわれむと選ばれなかった人の心です。神はみこころのままに、人の心を開いてくださることもあれば、かたくなにされることもあります。たとえば出エジプト記7章1-3節では、神が選ばれたイスラエルの民を奴隷にされていたエジプトから救い出されたときに、エジプトの王のパロの心をかたくなにされたことが分かります。

26節は、神はイスラエルの民の不信仰とそむきの罪のために、カナンの地で「あなたがたは、わたしの民ではない。」と言われました。このため、イスラエルの民はアッシリアやバビロンで捕囚となりました。また、多くのユダヤ人たちはイエスを自分たちのキリストとして受け入れることができず、イエスを十字架にかけてしまいました。

しかし、イエスの再臨の後、イスラエルの民は異邦人の信仰者たちとともに生ける神の子どもと呼ばれるようになります。

No.2514 2007/06/28(Thu) 08:42:48

再ローマ人への手紙9章残り / 沙耶香 引用

今日はもう一度ローマ人への手紙9章残りを読みます。

出エジプト記7章1-3節・・・
主はモーセに仰せられた。「見よ。わたしはあなたをパロに対して神とし、あなたの兄アロンはあなたの預言者となる。
あなたはわたしの命じることを、みな、告げなければならない。あなたの兄アロンはパロに、イスラエル人をその国から出て行かせるようにと告げなければならない。
わたしはパロの心をかたくなにし、わたしのしるしと不思議をエジプトの地で多く行おう。

うーん18節も26節もなかなか難しいですね・・・

20節の
しかし、人よ。神に言い逆らうあなたは、いったい何ですか。形造られた者が形造った者に対して、「あなたはなぜ、私をこのようなものにしたのですか。」といえるでしょうか。
が印象に残りました。

28節の
主は、みことばを完全に、しかも敏速に、地上に成し遂げられる。」
が印象に残りました。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒5章9―12節を音読します。
天におられるお父様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か音読していると10節が気になるので、これをもう何度か音読します。
静まっていると、イエス様は哀れみ深い御方であると同時に怒らせると恐ろしい御方だから、信頼してついていかず、サタンに気を赦していると、命をもとられる可能性もあると語られたような気がします。

No.2515 2007/06/28(Thu) 10:59:54

Re: 訂正とお詫び / 昌夫 引用

僕の書いた26節の説明は明らかに間違っています。25-26節は異邦人のことで、27-29節はイスラエル人のことです。だから、26節は、神が異邦人に対して、「あなたがたは、わたしの民ではない。」と言われたイスラエル以外の場所で、神が多くの異邦人たちにキリストへの信仰を与えられ、生ける神の子どもとされることを書いてあると思います。

訂正してお詫びします。

No.2521 2007/06/29(Fri) 11:00:51
少し、間をおかれては? / BISKO 引用

BISKOです。

ロマ書の通読、ご苦労様ですが、見ていて心配になったので、僭越ですが、一言。

ローマ書は、いわば、パウロの神学的・福音的理解の集大成です。

ローマ書は、「パウロ自身が、徹底的に自らの罪と向き合い、その戦いの末」に見出した、キリストの福音を信ずる信仰によって義とされるという救いを説きます。 

しかし、その福音の理解は、パリサイ人としての最高の教育を(ガマリエルより)受け、旧約聖書の知識を徹底的にたたきこまれた上、その比類なき深い聖書知識に基づいて、キリストを信ずる信仰と、アブラハムの信仰とが、いかにつながるかを、深く考察した上でのものです。

何が言いたいかと言うと、「まだ早い」ということです。あるいは、「早すぎる」、つまり、もっと、ゆっくり、じっくり学ぶべきだと思う、ということです。

ある意味、人生をかけて。

矢継ぎ早に、この節はこういう意味です、この部分はこう理解するべきですと、次から次へと読み下して行くのは、私としては、見ていて、とても乱暴な読み方に思えてしまうのです。

あと、昌夫さん。昌夫さんは、沙耶香さんの現時点での聖書理解に合わせた解説を心がけて居られますか? どこかの解説書からそのまま切り貼りしたような解説が目に付きます・・・。もっと、ご自分の心からの理解に基づいた解説があっても良いと思います・・・。

(うひゃ。怒られそう)

皆さんとてもがんばっておられるところに水を差すようで申し訳なく思いながら書いていますが・・・。

それでは。

No.2497 2007/06/24(Sun) 14:47:24

Re: 少し、間をおかれては? / 昌夫 引用

BISKOさん、書きこみどうもありがとうございます。

ローマ書は「聖書の中の聖書」と呼ぶ人もいるほどの書だし、深く読み込もうとすると人生をかけて読み込んでいくことになると思います。

沙耶香さんの一回目の聖書通読の中で、どの時点で、どれくらい時間をかけてローマ書を読むと一番良いかは、僕には全く分かりません。今の時点で、読むと、これから聖書全体を読んでいくときの参考になるというメリットがあると思います。これに対し、もっと後に読むと、ローマ書の理解が深まるメリットがあると思います。もっと時間をかけて読むと、理解が深まるかもしれないし、今の時点では、時間をかけても、それほど理解が深まらないのかもしれません。こういう時は、ご本人が祈りのなかでお導きを求めて、決められるのが一番良いだろうと思います。

>昌夫さんは、沙耶香さんの現時点での聖書理解に合わせた解説を心がけて居られますか?

ほとんどそういうことは考えずに疑問点にレスをしています。

どうか、神さまが僕のレスの内容と考え方についてお導きくださいますように。

No.2500 2007/06/24(Sun) 22:26:32

Re: 少し、間をおかれては? / Aja 引用

1ヶ月ぶりくらいに掲示板をひらきました。。沙耶香さんロマ書を読んでいるんですね。忠実に聖書を読み続けていますね!

私が教会に通い始めたばかりで聖書のことをほとんど何も知らない時に、そこの教会の牧師さんは「ヨハネの福音書とロマ書を読みなさい」と言われました。

それからとにかくロマ書を何度もくりかえし読みました。はじめは全く意味がわからず、ただ文字を目で追っているという感じでしたが、何度も読んでいるうちに罪の自覚、救いの必要性、が感じられてきました。

牧師さんに解説してもらったわけでもなく、注釈本を読んだわけでもありませんでしたが、御言葉にふれ続けているうちに神さまが私の心に働きかけてくださったのだと思います。

聖書の言葉自体に力があり、理解できなかったりよくわからなかったりしてもとにかく御言葉にふれるというのが大切なのではないか、注釈本や誰かの解釈ではなく最終的には「聖書と私」というところに身をおくことで神さまの語りかけを聞くことができるのではないかと思います。

もちろん注釈本や牧師さんの助けも必要なのですが…
「知識」も必要なのですが。
御言葉そのものにふれることよって、そこから神さまの語りかけを聞きたいなと最近本当に感じています。

沙耶香さんが長い間忠実に御言葉にふれ続けていることはとても意味があることだと思います。わからなくてもとにかく読み続けているうちに神さまの直接の語りかけが聞こえてくるのではないでしょうか。

No.2513 2007/06/27(Wed) 23:35:27

Re: 少し、間をおかれては? / 沙耶香 引用

Ajaさん、とてもお久しぶりですね・・・
レスとても嬉しいです。
私は読み続けてはいますが、かなり勉強している人や、よく知っている人にとっては、かなり幼稚な読み方で、物足りなさや、ぎこちなさを感じるだろうなと思います。
読んでいてもあまり意味がわからず、こんなことをしていて、意味があるのか?と思ったことも何度もあります。
でもイエス様がおられて、見ておられるから、イエス様は私が何も理解できず、意味があまりわからない、ということもわかっていて、それでも必死で読み進めていることを見ていてくださっていて、いろいろとその時々で助けてくださると信じます。
感謝します。

No.2516 2007/06/28(Thu) 11:05:09

Re: 少し、間をおかれては? / 昌夫 引用

Ajaさん、書きこみありがとうございます。

聖書を読むときには、知識や情報を得るということよりも、まず、「ことば」であるイエスに触れて、自分を変えていただくことが大切なのだな、と思いました。そういえば、「読む」というより「読まれなさい」と、言われた牧師がおおられました。

知識や情報を軽視すると、自分勝手な読みになる危険があると思います。信仰者一人一人が、それぞれ与えられている知識を活用しながら祈りのなかでお導きのあった書を読んでいくと良いのだろうと思います。

No.2518 2007/06/28(Thu) 22:46:23
使徒28章 / 沙耶香 引用

今日は使徒28章を読みます。

6節の
島の人々は、彼が今にも、はれあがってくるか、または、倒れて急死するだろうと待っていた。しかし、いくら待っても、彼に少しも変わった様子が見えないので、彼らは考えを変えて、「この人は神さまだ。」と言い出した。
が印象に残りました。

11節に
3ヵ月後に、私たちは、この島で冬を過ごしていた、船首にデオスクロイの飾りのある、アレキサンドリヤの船で出帆した。
とありますが、デオスクロイの飾りとは何だろうか?


16節に
私たちがローマにはいると、パウロは番兵付きで自分だけの家に住むことが許された。
とあるが、番兵付きってどうしてだろうか?あまり歓迎されていなかったからなのか?

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒2章21―24節を音読します。
天におられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・・
何度か音読していると24節が気になるので、これをもう何度か音読します。
静まっていると、真実(イエス様)は必ずどんなものにも勝るのだと語られたような気がします。

No.2446 2007/06/15(Fri) 20:23:33

再使徒28章 / 沙耶香 引用

今日はもう一度使徒28章を読みます。

20節に
このようなわけで、私は、あなたがたに会ってお話ししようと思い、お招きしました。私はイスラエルの望みのためにこの鎖につながれているのです。」
とあるが、イスラエルの望みのために鎖につながれているとはどういう意味だろうか?

23節の
そこで、彼らは日を定めて、さらに大勢でパウロの宿にやってきた。彼は朝から晩まで語り続けた。神の国のことをあかしし、また、モーセの律法と預言者たちの書によって、イエスのことについて彼らを説得しようとした。
が印象に残りました。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒2章25―28節を音読します。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か音読していると、28節が気になるので、これをもう何度か音読します。
静まっていると、イエス様を信頼していると、進む道を示してくださり、イエス様的喜びで満たしてくださると語られたような気がします。

No.2447 2007/06/16(Sat) 09:15:00

Re: 使徒28章 / 昌夫 引用

使徒の通読の完了、おめでとうございます。

11節のデオスクロイとは、ギリシア神話の神々の一人で、航海の守護神です。それで、船首に像が飾りとしてつけてありました。

16節、パウロは上告してカイザルから裁判を受けるためにローマに来ました。それで、まだ罪があるかどうか分からないので、番兵がついて逃げられないようにしていました。

20節の「イスラエルの望み」とは、イスラエルの民の聖典である旧約聖書にあるイスラエルを救うメシヤの預言と、イエスによるその成就のことです。ここでパウロは、ローマにいるユダヤ人たちに、自分はユダヤ人に敵対するものではないが、メシヤに関する信仰上の理由で、エルサレムにいるユダヤ人たちに敵視され、牢に入れられることになったことを説明しています。

No.2450 2007/06/17(Sun) 06:25:25

Re: 使徒28章 / 沙耶香 引用

前にも聞いたと思うけれど、メシヤってなんだったっけ?辞書開いたけれど、飯屋しか出なかった。
覚え上が悪くてごめんなさい。本当にこんな程度が低い人間が神様の言葉である聖書を読ませていただくことが恐れ多いのかもしれないですね・・・

No.2456 2007/06/17(Sun) 08:19:50

Re: 使徒28章 / 昌夫 引用

もともとメシヤはへブル語で、キリストはギリシア語で「油そそがれた者」という意味です。イスラエルでは、王や祭司が選ばれたときに油をそそがれました。このことから旧約聖書で預言された永遠の救い主のことをさしてメシヤ=キリストと呼ぶようになりました。

No.2499 2007/06/24(Sun) 21:55:56

Re: 使徒28章 / 沙耶香 引用

メシヤ=キリスト・・・ふーん、じゃイエス様のことかな?

No.2505 2007/06/25(Mon) 11:41:31

Re: 使徒28章 / 昌夫 引用

そうです。旧約聖書で預言されたメシヤは、イエスのことだということが、キリスト教の信仰の一部です。

No.2509 2007/06/26(Tue) 23:42:13
ローマ人への手紙8章残り / 沙耶香 引用

今日はローマ人への手紙8章残りを読みます。

21節に
被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子供達の栄光の自由の中に入れられます。
とありますが、これはどういう意味だろうか?

22節に
私たちは、被造物全体が今にいたるまで、ともにうめきともに産みの苦しみをしていることを知っています。
とありますが、これはどういう意味だろうか?

24節に
私たちは、この望みによって救われているのです。目に見える望みは、望みではありません。だれでも目で見ていることを、どうしてさらに望むでしょう。
とありますが、目で見ていることをさらに望むとはこの世的にいろいろ欲しがることだろうか?違うのかな?

31節の
では、これらのことからどういえるでしょう。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。
が印象に残りました。

37節の
しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。
が印象に残りました。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒4章25―28節を音読します。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・・
何度か音読していると、25節が気になるので、これをもう何度か音読します。
静まっていると、虚しいこの世的な物に群がるなと語られたような気がします。

No.2506 2007/06/25(Mon) 20:31:30

再ローマ人への手紙8章残り / 沙耶香 引用

今日はもう一度ローマ人への手紙8章残りを読みます。

25節の
もしまだ見ていないものを望んでいるのなら、私たちは、忍耐をもって熱心に待ちます。
とは永遠の命のことだろうか?

26節の
御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、いいようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。
はどういう意味だろうか?とりなしてくださるだから、御霊がうめきで代わって祈ってくださるのだろうか?
??御霊御霊といっているが、御霊とは私たちの中にいるイエス様の霊のことですよね?ということは私たちが祈らなくてもイエス様が代わりに祈ってくださるということなのか?うー―――ん????考えているとだんだんと混乱してきます。

28節の
神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々の為には、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。
が印象に残りました。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒4章29―32節を音読します。
天におられるお父様神様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か音読していると31節が気になるので、これをもう何度か音読します。
静まっていると、聖霊の力は素晴らしく、クリスチャンが何人か集まると聖霊様が働かれるということを語られたような気がします。

No.2507 2007/06/26(Tue) 09:26:40
ローマ人への手紙8章20節まで / 沙耶香 引用

今日はローマ人への手紙8章20節までを読みます。

2節の
なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。
が印象に残りました。

3,4節の
肉によって無力になったため、律法にはできなくなっていることを、神はしてくださいました。神は御自分の御子を、罪のために、罪深い肉と同じような形で、お遣わしになり、肉において罪を処罰されたのです。
それは、肉にしたがって歩まず、御霊にしたがって歩む私たちの中に、律法の要求が全うされるためなのです。
はどういう意味だろうか?全くわからない・・・・

10節の
もしキリストがあなたがたのうちにおられるなら、からだは罪のゆえに死んでいても、霊が、義のゆえに生きています。
が印象に残りました。

14節に
神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子供です。
とありますが、これ、いいですね・・・だれでも・・というのがいいですね・・・

15節の
あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父。」と呼びます。
はどういう意味だろうか?

・・・癒しに通じる読み方・・・・
今日は使徒4章16―20節を音読します。
天におられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か音読していると、20節が気になるので、これをもう何度か音読します。
静まっていると、イエス様が行われた御技はとても素晴らしいので、誰も黙っていられないのだと語られたような気がします。

No.2498 2007/06/24(Sun) 20:45:05

Re: ローマ人への手紙8章20節まで / 昌夫 引用

8章は「キリストによる勝利」についてですが、特に1-17節は「聖霊による勝利の生活」についての説明です。

7章24節で、パウロは自分の力では、信仰を持っていても罪の支配に対抗できない絶望的な自分の状態を認めています。25節で、パウロはキリストにある希望を述べました。

8章3節は、前半で人間は罪に支配されているために、自分の力では律法にすべて聞き従うことができないことを説明しています。3節後半は、御子がわれわれの罪のために罰を受けられたことです。

4節は、信仰によって心の中に入ってくださった聖霊に頼って生きていくことによって、心の中に書かれた律法のすべてを守って生きていけるという考えだと思います。

15節の「アバ」はアラム語で父という意味です。

No.2501 2007/06/24(Sun) 22:59:24

揚げ足取りかも知れませんが。 / BISKO 引用

すごく気になります。

昌夫さんは、

>7章24節で、パウロは自分の力では、信仰を持って
>いても罪の支配に対抗できない絶望的な自分の状態
>を認めています。

と仰っておられる。

それなのに、

>4節は、信仰によって心の中に入ってくださった聖霊
>に頼って生きていくことによって、心の中に書かれた
>律法のすべてを守って生きていけるという考えだと思
>います。

というのは、矛盾していませんか。

文字として書かれた律法に逐一したがって行くことによっては、救いが得られないということ。それが、パウロの福音理解の根本にあるのではありませんか? 

>律法のすべてを守って生きていけるという考え

「律法を全うする」ということが、つまるところ、「律法のすべてを守って生きてゆくと」ことを目標とするものであるなら、それは、まさしく、律法主義的な空しい・危険な考えなのではありませんか。

私としては、「律法が全うされる」ということの正確な、また実質的な、体験的な意味を、未だ見出していません。信仰生活20数年ですが。

ただ、自らの行いによって律法を守って見せると、あがき、そして無残に挫折した経験は持っています。

そして、その挫折の中にあっても、やはり、神は私を愛し、救い続けていてくださっておられるのだと、深く感動し、涙をもって感謝した経験はあります。・・・イエスキリストの福音に頼るときです。

そのように、人間的な罪の内在した存在としての限界の中に生きるものであっても、それでも尚、自分は神とつながっているのだという安息へと、自らの心が導かれてゆく。自らの行いの正しさではなく、ただ、キリストの福音の故に。

キリストの故に、自分は、神を「アバ・父。お父さん」と呼べるほどに深いつながりを神と持っているのだという、その信仰による確信。

今の私のとっては、その「つながり」こそが、律法が私自身において全うしようとしていることです。



>律法のすべてを守って生きていけるという考え

昌夫さんは、これをご自身で試したことがおありですか? その上で、上記を仰っておられるのですか? その点だけ、お聞きしたいです。

No.2502 2007/06/25(Mon) 03:50:28

Re: ローマ人への手紙8章20節まで / 昌夫 引用

BISKOさん、書きこみどうもありがとうございます。

自分が信仰によって、惠みとして義と認められたと頭で理解してさらに実感でき、キリストのゆえに神を「お父さま」と畏れながらも親しみをこめて呼べるようになったとき、聖化ということがもっとも大切になると考えています。

聖化とは、「心に書かれた律法」を守るようになる過程と言ってよいかと考えています。ここで、誤解のないように、「心に書かれた律法」は、行動重視の律法主義と異なり、どのような心で行動するか、ということを重視すると考えています。聖化の過程について、自分の力では罪の支配に対抗できないという絶望と、聖霊に頼って自分の中のイエスが心に書かれた律法をすべて守って行動してくださるという希望が7章24-25節に書かれていることだと思います。

僕はリック・ウォレンの「人生の5つの目的」という本が好きで、何回も小グループで読みましたが、この本の誘惑対策については、自分の力では罪の誘惑に勝てないという絶望が足りないと感じています。この本には、誘惑を受ける機会を避けるようにする、祈る、聖句を覚えるようにする、というような対策が書かれています。僕の短い信仰生活4年の経験に基づく考えと、今のところのローマ書や聖書全体の理解では、自分の力に頼っているかぎり、これらの対策では罪の誘惑に完全に対抗することはできないと思います。12使徒のリーダーのペテロが聖霊に入っていただいた後でさえ、ガラテヤ書2:11-14節でパウロの抗議を受けるほどだし、アブラハムも、モーセも、ダビデもそれぞれ失敗がありました。聖書の中の人間で罪の誘惑に勝てたのはイエスだけです。

罪の誘惑にあったときは、信仰によって自分の中に入ってくださったイエスに誘惑に勝っていただくよりない、それが、聖書のメッセージだと思います。そのときに、ウォレンや、他のキリスト者が薦める誘惑対策をしていれば、あるいは、イエスがそのような対策も用いてくださることでしょう。でも、そのような対策をしていれば、自分の力で罪の誘惑に対抗できると考えるのは、危険な幻想であると思います。

自分の中のイエスに心に書かれた律法を守っていただく、という僕の考えは、BISKOさんの書かれた、つながりによって自分の中で律法を全うしようとする、というお考えの、今の僕なりの表現かな、と感じています。

No.2503 2007/06/25(Mon) 06:38:17

再ローマ人への手紙8章20節まで / 沙耶香 引用

神様イエス様BISKOさんの意見も参考にして、ローマ書を読み続けるのが適切かどうかお教えください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
でもただ、私はまだまだ聖書の理解には到達していないため、どの書を読んでも、多分幼稚な読み方しかできないので、BISKOさんのようにかなり勉強されて、高能力の方からすれば、私のような能力がないものの読み方では多分見るに忍びないと言ったところだと思うのです。お許しください。

今日は、もう一度ローマ人への手紙8章20節までを読み
ます。

6節の
肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です。
が印象に残りました。

12節に
ですから、兄弟たち。私たちは、肉にしたがって歩む責任を、肉に対して負ってはいけません。
とあるが、これはどういう意味だろうか?意味不明だ。

19節の
被造物も、切実な思いで自分の意思ではなく、服従させた方によるものであって、望みがあるからです。
と続く20節の
それは、被造物が虚無に服したのが自分の意思ではなく、服従させた方によるものであって、望みがあるからです。
はどういう意味だろうか?うーん???

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒4章21―24節を音読します。
天におられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か音読していると24節が気になるので、これをもう何度か音読します。
静まっていると、神がすべての創り主、創造主なので、唯一無二の救い主なので、この方だけを崇めなさいと語られたような気がします。

No.2504 2007/06/25(Mon) 11:40:09
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