[ 掲示板に戻る ]

過去ログ閲覧モード

ローマ人への手紙4章 / 沙耶香 引用

今日はローマ人への手紙4章を読みます。

5節の
何の働きもない者が、不敬虔な者を義と認めてくださる方を信じるなら、その信仰が義とみなされるのです。
はどういう意味だろうか?

17節に
このことは、彼が信じた神、すなわち死者を生かし、ないものをあるもののようにお呼びになる方の御前で、そうなのです。
とあるが、これはどういう意味だろうか?神様はないものをあるもののようにお呼びになる方なのだろうか?

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒3章9―12節を音読します。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か音読していると12節が気になるので、これをもう何度か音読します。
静まっていると、自分の力や信仰深さに頼るより、イエス様に頼ることが一番いいと語られたような気がします。

No.2471 2007/06/20(Wed) 23:31:43

Re: ローマ人への手紙4章 / 昌夫 引用

4章はアブラハムが行いではなく信仰によって、神の義と認められたことを説明しています。

5節は、アブラハムが良い行いという働きをしたのではなく、罪のある不敬虔な者を義と認めてくださる神を信じたので、その信仰によって神に全ての罪を赦されて、義と認められたことを説明しています。

17節の「無いもの」とは、まだ生まれていない者、という意味だと思います。まだ生まれていない子孫に、時間を越えて、すでに生まれ育った人間たちであるように語りかけられる神ということです。

No.2473 2007/06/21(Thu) 00:35:16

再ローマ人への手紙4章 / 沙耶香 引用

今日はもう一度ローマ人への手紙4章を読みます。

9―12節に
それでは、この幸いは、割礼のある者にだけ与えられるのでしょうか。それとも、割礼のないものにも与えられるのでしょうか。私たちは、「アブラハムには、その信仰が義とみなされた。」と言っていますが、
どのようにして、その信仰が義とみなされたのでしょうか。割礼を受けてからでしょうか。まだ割礼を受けていないときにでしょうか。割礼を受けてからではなく、割礼を受けていないときにです。
彼は、割礼を受けていないとき信仰によって義と認められたことの証印として、割礼というしるしを受けたのです。それは、彼が、割礼を受けないままで信じて義と認められるすべての人の父となり、
また割礼のある者の父となるためです。すなわち、割礼を受けているだけではなく、私たちの父アブラハムが無割礼のときに持った信仰の足跡にしたがって歩む者の父となるためです。
とあるが、これはどういう意味だろうか?ユダヤ人のクリスチャンは割礼を受けているのですよね?ごちゃごちゃしていてあまり意味がわからないのだが・・・

14節に
もし律法によるものが相続人であるとするなら、信仰はむなしくなり、約束は無効になってしまいます。
とありますが、これはどういう意味だろうか?
律法によるものが相続人??どういうことだろうか?

16節に
そのようなわけで、世界の相続人となることは、信仰によるのです。それは、恵みによる為であり、こうして約束がすべての子孫に、すなわち、律法を持っている人々にだけでなく、アブラハムの信仰に習う人々にも保証されるためなのです。「わたしは、あなたをあらゆる国の人々の父とした。」と書いてあるとおりに、アブラハムは私たちすべての者の父なのです。
とありますが、信仰によって世界の相続人になる??これはどういうことだろうか?

20,21節の
彼は、不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰し、
神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。
が印象に残りました。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒3章13―16節を音読します。
天におられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か音読していると、15節が気になるので、これをもう何度か音読します。
静まっていると、神様はみなが十字架にかけて殺したイエスを死者の中からよみがえらせるほどのお力をお持ちであるので、信頼して信じて信仰の道を歩みなさいと語られたような気がします。

No.2474 2007/06/21(Thu) 08:02:11

Re: ローマ人への手紙4章 / 昌夫 引用

まず、旧約聖書は、キリストが人間としてお生まれになるずっと前に書かれたので、クリスチャンは一人も出てこないということによく注意しておいてください。

アブラハムは旧約聖書の中でモーセよりももっと前の人なので、モーセの律法はアブラハムのときには、まだなかったのです。神がアブラハムを信仰によって義と認めた後(創世記15章6節)、アブラハムの子孫として男の子が産まれたら8日目に割礼を受けないといけない、という命令を与えられました(創世記17章9-14節)。アブラハムや彼の子孫が、神に聞き従って、割礼を受けるというのは良い行いですが、アブラハムが割礼を受ける前に、信仰によって義と認められたということが重要です。ですから、割礼を受けない異邦人も、信仰によって、ある意味でアブラハムの「子孫」になります。パウロがローマ4章9-12節で、そのことを説明しています。

創世記17章1-8節で、神はアブラハムの子孫が多くの国々の王となり、また永遠にカナンの地を所有することを約束されました。この意味で、アブラハムの子孫は世界の相続人です。ここで、「アブラハムの子孫」とは、律法を持っているイスラエル人たちだけでなく、信仰を持つ異邦人たちも含むことを、パウロが4章16節で説明しています。

No.2480 2007/06/22(Fri) 21:09:27

Re: ローマ人への手紙4章 / 沙耶香 引用

ローマ=旧約聖書=クリスチャンは一人もいない・・・
うん、なかなかこのことがまだまだ理解不能である。

創世記15章6節・・・
彼は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。

創世記17章9―14節・・・
ついで、神はアブラハムに仰せられた。「あなたは、あなたの後のあなたの子孫とともに、代々にわたり、わたしの契約を守らなければならない。
次のことが、わたしとあなたがたと、またあなたの後のあなたの子孫との間で、あなたがたが守るべきわたしの契約である。あなたがたの中のすべての男子は割礼を受けなさい。
あなたがたは、あなたがたの包皮の肉を切り捨てなさい。それが、わたしとあなたがたの間の契約のしるしである。
あなたがたの中の男子はみな、代々にわたり、生まれて8日目に、割礼を受けなければならない。家で生まれたしもべも、外国人から金で買い取られたあなたの子孫ではない者も。
あなたの家でうまれたしもべも、あなたが金で買い取った者も、必ず割礼を受けなければならない。わたしの契約は、永遠の契約として、あなたがたの肉の上にしるさなければならない。
包皮の肉を切り捨てられていない無割礼の男、そのような者は、その民から断ち切られなければならない。私の契約を破ったのである。」

>>アブラハムや彼の子孫が、神に聞き従って、割礼を受けるというのは良い行いですが、アブラハムが割礼を受ける前に、信仰によって義と認められたということが重要です。ですから、割礼を受けない異邦人も、信仰によって、ある意味でアブラハムの「子孫」になります。パウロがローマ4章9-12節で、そのことを説明しています。

信仰によってって信仰者はいないのでしょ?この時代はまだ信仰者はいないのでしょ?なのに何で信仰によって信仰によってという言葉が出てくるの?

うーん、なんだかいろいろと複雑ですね・・・聖書の理解には程遠いですね・・・

No.2487 2007/06/23(Sat) 11:01:43

Re: ローマ人への手紙4章 / 昌夫 引用

>ローマ=旧約聖書

ローマ書は新約聖書なので、旧約聖書と違って、キリストが十字架にかけられた後に書かれています。いつか、旧約聖書の創世記から、順番に歴史を追って読むようにされると、歴史の流れがつかめて理解が深まると思います。

>この時代はまだ信仰者はいないのでしょ?

旧約聖書の時代の信仰者は、神のことばを信じた人たちです。例えば、アブラハムは創世記15章1−5節で神が語られたことばを信じました。信仰には、1.神に与えられた知識を持つこと、2.その知識が真実であると受け入れること、3.神を信頼すること、という3つの内容があります。このうち、知識の内容は、時代により、人により、かなり違いがあります。僕たちなら、イエスが十字架で僕たちの罪のために死なれ、葬られ、3日目に復活されたことが知識です。アブラハムの場合は、神が自分の子孫を増やされて、祝福される、ということが、知識の主な内容でした。

ヨハネの福音書の1章にあったように、イエスは神のことばです。だから、神のことばを信仰することは、イエスを信仰することと同じことです。アブラハムはクリスチャンではないけれど、神のことばを信仰した信仰者なので、やはりイエスの十字架によって、罪を赦され、義と認められました。

No.2489 2007/06/24(Sun) 06:50:47

Re: ローマ人への手紙4章 / 沙耶香 引用

えーー??ローマは新約聖書だったの???あれーー?もう駄目だ私・・・・その区別もつけられない・・・駄目だ・・・

うーん??クリスチャン=信仰者だと思っていたので・・・イエスは神の言葉・・・

No.2496 2007/06/24(Sun) 07:48:06
ローマ人への手紙5章 / 沙耶香 引用

今日はローマ人への手紙5章を読みます。

3,4節の
そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、
忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。
が印象に残りました。というかとても気に入りました。だって私なんて患難ばかり続くので、こういう御言葉は相当嬉しいですね・・・

7節の
正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。
はどういう意味だろうか?情け深い人のために進んで死ぬ人がいるの?だったら正しい人のために死ぬ人もいるのでは・・・・?

8節に
しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。
とありますが、これはどういうことだろうか?まだ罪人であったとき、というと、今は罪人ではないみたいな書き方だけれど・・・

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒3章17―20節を音読します。
天のお父様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か音読していると、19節が気になるので、これをもう何度か音読します。
静まっていると、人間みな罪深いのだから常に罪を悔い改めて神様に立ち返るときを持つことが大切だと語られたような気がします。

No.2477 2007/06/21(Thu) 20:23:04

再ローマ人への手紙5章 / 沙耶香 引用

今日はもう一度ローマ人への手紙5章を読みます。

1節の
ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。
が印象に残りました。

5節の
この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。
が印象に残りました。

16―19節の
また、賜物には、罪を犯したひとりによる場合と違った点があります。さばきのばあいは、一つの違反のために罪に定められたのですが、恵のばあいは、多くの違反が義と認められるからです。
もし一人の人の違反により、ひとりによって死が支配するようになったとすれば、なおさらのこと、恵と義の賜物とを豊かに受けている人々は、一人の人イエス・キリストにより、いのちにあって支配するのです。
こういうわけで、ちょうど一つの違反によってすべての人が罪に定められたのと同様に、一つの義の行為によってすべての人が義と認められて、いのちを与えられるのです。
すなわち、ちょうどひとりの人の不従順によって多くの人が義人とされるのです。
は、どういう意味だろうか?罪と恵との関係をいろいろと述べているが、今一つかめない。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒3章21―24節を音読します。
天のお父様神様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か音読していると21節が気になるので、これをもう何度か音読します。
静まっていると、イエス様は再臨されるまで天でおられて、預言者を通してその思いを伝えられるので、聞き逃さないようにと語られたような気がします。

No.2479 2007/06/22(Fri) 06:53:01

Re: ローマ人への手紙5章 / 昌夫 引用

7節でパウロが言っているのは、人のために死ぬ人は、いたとしても、とても少ない、ということです。正しい人のために死ぬ人は、いない、と書いているわけではありません。

8節での「罪人」とは、罪を犯し、まだ償いをしていない人のことです。信仰者も罪を犯してしまいますが、イエスの十字架でもう償いをしています。これは大切なことで、もうすでに償いをして、前科者ではあるけれど、罪のつぐないはすませているのに、良い行いで罪の償いをしようとする信仰者も多いです。惠みをしっかり理解して、良い行いは義務としてではなく、愛と感謝の気持ちからすることが大切だと思います。

17-18節は、アダムの原罪によって、すべての人が罪に定められたが、イエスの十字架によって、原罪については、すべての人が赦されていることを述べていると僕は解釈しています。18節の「すべての人が義と認められ」というところに注目した解釈です。

これに対し、19節では、アダムの原罪ではなく、自分の犯した罪については、多くの人が、信仰によって義とされることを述べています。

No.2481 2007/06/22(Fri) 21:23:30

Re: ローマ人への手紙5章 / 沙耶香 引用

>>これに対し、19節では、アダムの原罪ではなく、自分の犯した罪については、多くの人が、信仰によって義とされることを述べています。

多くの人・・・というのなら、義とされない人もいるの?それはどういう人なの?

No.2485 2007/06/23(Sat) 10:39:25

Re: ローマ人への手紙5章 / 昌夫 引用

>多くの人・・・というのなら、義とされない人もいるの?それはどういう人なの?

アダムの原罪と異なり、自分の意志で罪を犯した場合、自分の意志で神のことばを受け入れて信仰を持たないかぎり、罪は赦されません。だから、罪を犯したけれど、信仰を持たない人たちは、義とは認められません。

No.2490 2007/06/24(Sun) 06:55:07

Re: ローマ人への手紙5章 / 沙耶香 引用

あ、そういうことね・・・うん、それなら意味がわかります。

No.2495 2007/06/24(Sun) 07:42:17
ローマ人への手紙6章 / 沙耶香 引用

今日はローマ人への手紙6章を読みます。

4節の
私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。
が印象に残りました。

9節に
キリストは死者の中からよみがえって、もはや死ぬことはなく、死はもはやキリストを支配しないことを、私たちは知っています。
とあるが、これはどういう意味だろうか?死がもはやキリストを支配しない・・?よく分からない・・・

11節の
このように、あなたがたも、自分は罪に対しては死んだものであり、神に対してはキリスト・イエスにあって生きたものだと思いなさい。
が印象に残りました。

・・・癒しに通じる読み方・・・・
今日は使徒3章25、26,4章1―3節を音読します。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か音読していると26節が気になるので、これをもう何度か音読します。
静まっていると、神は信仰者を祝福し、いつも信仰に立ち返らせてくださる素晴らしい御方だと語られたような気がします。

No.2482 2007/06/23(Sat) 00:09:02

Re: ローマ人への手紙6章 / 昌夫 引用

9節の「死はもはやキリストを支配しない」とは、もはやキリストは死ぬことはない」ということと、ほぼ同じ意味だと思います。特に「支配」ということばを使っているのは、23節の「死から来る報酬は死です。」に関係すると思います。罪を犯さなかったキリストも、最初の人間の体はアダムの原罪の影響のために、死ぬ体でした。この意味でキリストも死に支配されていました。これに対しキリストの復活の体は死から完全に解放されています。

No.2483 2007/06/23(Sat) 07:07:33

再ローマ人への手紙6章 / 沙耶香 引用

今日はもう一度ローマ人への手紙6章を読みます。

14節の
というのは、罪はあなたがたを支配することがないからです。なぜなら、あなたがたは律法の下にはなく、恵みの下にあるからです。
が印象に残りました。

17,8節の
神に感謝すべきことには、あなたがたは、もとは罪の奴隷でしたが、伝えられた教えの規準に心から服従し、
罪から解放されて、義の奴隷となったのです。
が印象に残りました。

23節の
罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。
が印象に残りました。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒4章4―7節を音読します。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か音読していると4節が気になるので、これをもう何度か音読します。
静まっていると、御言葉は人に響く言葉なので、信じてついていきなさいと語られたような気がします。

No.2484 2007/06/23(Sat) 10:29:32

Re: ローマ人への手紙6章 / 昌夫 引用

5章までで、全ての人に罪があるということと、信仰による罪の赦しによって、罪があっても義と認めていただける惠みの説明が終わりました。

6章から8章までで、パウロは神に義と認められた人が、神と交わりを持って、聖められていく過程を説明しています。これを聖化といいます。6章は罪の支配からの解放の説明でした。

No.2491 2007/06/24(Sun) 07:01:09

Re: ローマ人への手紙6章 / 沙耶香 引用

私はまだまだ勉強不足で、何を言いたいのかがつかめとれないままに読み終わってしまうことが多いです。
なかなか頭の中でまとまらないのです。本当悪戦苦闘しています。

No.2494 2007/06/24(Sun) 07:20:15
ローマ人への手紙7章 / 沙耶香 引用

今日はローマ人への手紙7章を読みます。

4節に
私の兄弟たちよ。それと同じように、あなたがたも、キリストのからだによって、律法に対しては死んでいるのです。それは、あなたがたが他の人、すなわち死者の中からよみがえった方と結ばれて、神のために実を結ぶようになるためです。
とあるが、これはどういう意味だろうか?なんだかあまりよく分からないのだが・・・

14節に
私は、律法が霊的なものであることを知っています。しかし、私は罪ある人間であり、売られて罪の下にある者です。
とありますが、売られてって誰に売られるの?

20節に
もし私が自分でしたくないことをしているのであれば、それを行っているのは、もはや私ではなくて、私のうちに住む罪です。
とありますが、パウロは信仰者なのに罪が内側に住み着いているの?信仰者は内側にイエス様が住み着いているのではないの???うーん???

23節に
私のからだの中には異なった律法があって、それが私の心の律法に対して戦いをいどみ、私を、からだの中にある罪の律法のとりこにしているのを見出すのです。
とあるが、これはどういう意味だろうか?異なった律法って言ったって、律法は一つしかないはずでしょ?律法に罪の律法なんてないはずだけれど・・・

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒4章8―11節を音読します。
天におられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か音読していると10節が気になるので、これをもう何度か音読します。
静まっていると、ユダヤ人が間違いをおこして、十字架にかけてしまったイエス様の御名によって癒しの御業が行われているので、イエス様のみを信じなさいと語られたような気がします。

No.2488 2007/06/24(Sun) 00:07:36

再ローマ人への手紙7章 / 沙耶香 引用

今日はもう一度ローマ人への手紙7章を読みます。

3節に
ですから、夫が生きている間は、律法によって夫に結ばれています。しかし、夫がCENSOREDば、夫に関する律法から解放されます。
とありますが、夫に先立たれた女性は再婚してもいいのだろうか?

6節に
しかし、今は、私たちは自分を捕えていた律法に対して死んだので、それから解放され、その結果、古い文字にはよらず、新しい御霊によって仕えているのです。
とありますが、これはどういう意味だろうか?律法に対しては死んだ?何でそんなことがいえるのだろうか?

11節に
それは、戒めによって機会を捕えた罪が私を欺き、戒めによって私を殺したからです。
とありますが、これはどういう意味だろうか?機会を捕えた?何の機会??

・・・癒しに通じる読み方・・・・
今日は使徒4章12―15節を音読します。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か音読していると12節が気になるので、これをもう何度か音読します。
静まっていると、世界中で救い主はイエス様ただ一人なので、イエス様だけを見上げて、ほかの人間に気をとられてはいけないと語られたような気がします。
本当、ほかの誰にも気を取られてはいけないのだ。自分に言い聞かせないと・・・

No.2492 2007/06/24(Sun) 07:17:10

Re: ローマ人への手紙7章 / 昌夫 引用

7章は、信仰者は律法から解放されていること、善をしたいと願うのだけれど、それを自分でする力はないことを説明しています。

4節は、信仰者は、信仰によって、キリストとともに十字架で一度死に、キリストとともによみがえっていることを説明しています。このため、信仰者は律法から解放されいます。

14節の、「売られて」とは、霊的に「死」に売られたのだと思います。

15-25節までは現在形で書かれていて、信仰者としてのパウロが、自分の力では罪の支配から解放されなかったことを説明しています。

20節は、信仰者パウロの心の中にはイエスが住まれていても、からだの中には罪が住んでいるので、自分の力では罪に支配されてしまうことを述べていると思います。

23節の、からだの中にある律法は罪が支配しようとする法則で、心の中にある神からの律法とは別の法則です。

ところで15-23節の「からだ」や「肉」は文字通りの体や肉というより「人間の罪の性質」と解釈することが多いようです。

No.2493 2007/06/24(Sun) 07:19:11
ローマ人への手紙3章 / 沙耶香 引用

今日はローマ人への手紙3章を読みます。

4節に
絶対にそんなことはありません。たとい、すべての人を偽り者としても、神は真実な方であるとすべきです。それは、
「あなたが、そのみことばによって正しいとされ、さばかれるときには勝利を得られるため。」
と書いてあるとおりです。
とありますが、さばかれるときには勝利を得られる為とはどういう意味だろうか?最後の審判のときのことだろうか?

5節に
しかし、もし私たちの不義が神の義を明らかにするとしたら、どうなるでしょうか。人間的な言い方をしますが、怒りを下す神は不正なのでしょうか。
とありますが、これはどういう意味だろうか?神様が不正なんてことは絶対無いと思うのだけれど・・・・

11節に
悟りのある人はいない。神を求める人はいない。
とありますが、神を求める人はいると思うのですが・・・?

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒2章45―47節と使徒3章1,2節を音読します。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か音読していると、45節が気になるので、これをもう何度か音読します。
静まっていると、昔は古きよき時代で貧しい者が困らないようになっていたことを告げられたような気がします。

No.2465 2007/06/19(Tue) 18:23:11

Re: ローマ人への手紙3章 / 昌夫 引用

2章17節ー3章8節で、パウロは信仰を持たないユダヤ人には律法に違反する罪があることを説明しています。

4節の「さばかれるとき」とは、沙耶香さんが書かれたように、キリストの再臨の後の最後の審判のときです。

5節は反語という、ありえないことを言って、強く否定する文学の手法を使っています。神は絶対に不正でないので、人間には罪があることになります。

3章9-20節で、パウロは信仰を持たない全ての人に罪があることを説明しています。

10-11節は、信仰を持たないと、誰も神を求めないので、完全な神の前で、信仰を持たない人には罪があるということです。

3章21節ー5章21節では、行いではなく、信仰によって罪のある人が、神に義と認めていただける惠みが説明されています。

No.2467 2007/06/19(Tue) 23:30:43

再ローマ人への手紙3章 / 沙耶香 引用

今日はもう一度ローマ人への手紙3章を読みます。

22節の
すなわち、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、それはすべての信じる人に与えられ、何の差別もありません。
が印象に残りました。

25節に
神は、キリスト・イエスを、その血による、また信仰による、なだめの供え物として、公にお示しになりました。それは、ご自身の義を現す為です。というのは、今までに犯されてきた罪を神の忍耐をもって見逃してこられたからです。
とありますが、今までに犯されてきた罪を神の忍耐をもって見逃してきたというのは、どういうことだろうか?信仰者が罪を犯しても悔い改めたら許してくださるということだろうか?

28節の
人が義と認められるのは、律法の行いによるのではなく、信仰によるというのが、私たちの考えです。
が印象に残りました。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒3章3―8節を音読します。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か音読していると、8節が気になるので、これをもう何度か音読します。
静まっていると、信仰により確かに癒しが起こるので、イエス様にだけ信じてついていきなさいと語られたような気がします。

No.2468 2007/06/20(Wed) 07:47:25

Re: ローマ人への手紙3章 / 昌夫 引用

25節で、「今までに犯されてきた罪を神の忍耐をもって見逃して来られた」とは、キリストの十字架以前のアブラハム、モーセ、ダビデらの信仰者の罪を、見逃してこられたことを書いていると思います。例えば、ダビデは姦淫と殺人の罪を犯しても、悔い改めて罪を赦されました。これはキリストの十字架のずっと以前のことですが、このダビデの罪の赦しも、ダビデの信仰によって、キリストの十字架の贖いが使われたと考えられます。

No.2472 2007/06/21(Thu) 00:27:45

Re: ローマ人への手紙3章 / 沙耶香 引用

うーん???キリストの十字架以前の信仰者の罪を、見逃してこられた??悔い改めてもキリストの十字架以前だと悔い改めというものが分からないのでは・・・?キリストの十字架以前にも神様は存在していたからいいのだろうか?うーん、いろいろ考えていると混乱してきます。

No.2475 2007/06/21(Thu) 08:06:58

Re: ローマ人への手紙3章 / 昌夫 引用

悔い改めとは自分の罪を認めて神に向きあうことだと思います。たとえば、詩篇第51篇では、キリストの十字架のずっと以前にダビデが自分の姦淫の罪を悔い改めています。

No.2476 2007/06/21(Thu) 17:17:59

Re: ローマ人への手紙3章 / 沙耶香 引用

詩篇第51篇・・・・読みました。
キリストの十字架以前でも神様はおられたので、神様に対して悔い改めたのでしょうね・・・

No.2478 2007/06/22(Fri) 06:20:05
ローマ人への手紙2章 / 沙耶香 引用

今日はローマ人への手紙2章を読みます。

5節に、
ところが、あなたは、かたくなさと悔い改めのない心のゆえに、御怒りの日、すなわち、神の正しいさばきの現れる日の御怒りを自分のために積み上げているのです。
とあるが、これはどういう意味だろうか?

7,8節の
忍耐をもって善を行い、栄光と誉れと不滅のものとを求めるものには、永遠のいのちを与え、
党派心を持ち、真理に従わないで不義に従うものには、怒りと憤りを下されるのです。
が印象に残りました。

11節の
神にはえこひいきなどはないからです。
が印象に残りました。うん、神様だけですよね?そういう御方は・・・人間は人を見て判断して強者にはぺこぺこ、弱者には悪態つく・・・・本当にこの世の中はどうしようもないのです。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒2章37―40節を音読します。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か音読していると38節が気になるので、これをもう何度か音読します。
静まっていると、まず自分の行いを悔い改め、イエスを受け入れるためにバプテスマを受けると聖霊で満たされると語られたような気がします。

No.2460 2007/06/18(Mon) 19:58:40

Re: ローマ人への手紙2章 / 昌夫 引用

1章18節ー3章20節で、パウロは全ての人の罪について説明しています。その中でも、2章1-16節は、他人をさばく人の罪についての説明です。たとえば「あの人にいろいろなことをしてあげたのに、感謝しない。ひどい人だ。」と他人をさばいている人が、全てを与えてくださった神に感謝していないなら、罪となります。

5節で罪はさばきの日(最後の審判の日)にさばかれます。悔い改めないで、罪を毎日犯しつづける人は、さばきの日に向かって自分の罪を積み上げています。

11節。完全にえこひいきのない公正なお方は神だけです。人間はいくら公正でも、知識が完全でないので、完全に公正になる、ということありえないことだと思います。

No.2462 2007/06/19(Tue) 07:37:01

再ローマ人への手紙2章 / 沙耶香 引用

今日はもう一度ローマ人への手紙2章を読みます。

4節の
それとも、神の慈愛があなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かな慈愛と忍耐と寛容とを軽んじているのですか。
が印象に残りました。

6節の
神は、ひとりひとりに、その人の行いに従って報いをお与えになります。
が印象に残りました。

14節に
―律法を持たない異邦人が、生まれつきのままで律法の命じる行いをするばあいは、律法を持たなくても、自分自身が自分に対する律法なのです。
とありますが、これはどういう意味だろうか?

21,22節の
どうして、人を教えながら、自分自身を教えないのですか。盗むなと説きながら、自分は盗むのですか。
姦淫するなと言いながら、自分は姦淫するのですか。
偶像を忌み嫌いながら、自分は神殿の物をかすめるのですか。
が印象に残りました。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒2章41―44節を音読します。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か音読していると44節が気になるので、これをもう何度か音読します。
静まっていると、クリスチャンはみな家族だ、一心同体だと語られたような気がします。

No.2463 2007/06/19(Tue) 08:07:58

Re: ローマ人への手紙2章 / 沙耶香 引用

あれ、私がレスをつけようとしていたときは、まだ管理人様のレスはついてなくて、レスを出した後で管理人さまのレスがついていることに気づきました。

>>「あの人にいろいろなことをしてあげたのに、感謝しない。ひどい人だ。」と他人をさばいている人が、全てを与えてくださった神に感謝していないなら、罪となります。

では、「あの人にいろいろなことをしてあげたのに、感謝していない。ひどい人だ。」と他人をさばいている人が、すべてを与えてくださった神に感謝していたら罪とならないの?人をさばくこと事態が罪だと思っていましたが・・・

No.2464 2007/06/19(Tue) 08:15:02

Re: ローマ人への手紙2章 / 昌夫 引用

2章1-16節の背景として当時のユダヤ人はモーセの律法を聞いて律法の知識を持っていたので、律法に従わないと罪になりました(2章17節ー3章8節)。これに対し、当時の異邦人は律法という知識を持っていなかったので、何が罪になるかということを、1章18節ー2章16節でパウロが説明しています。

「さばくな。」という新約聖書のみことばを読んで知識を持っているキリスト者がさばくと、その行為自体が罪になります。しかし、新約聖書の知識も持たない人が、他人をさばいても、さばくということ自体は罪にはならないと思います。

14節は、モーセの律法を聞いたことのない異邦人も、心の中に律法が書いてある場合があることをパウロが説明していると思います。この場合は、心に書かれた律法によって、罪が決定されると思います。

No.2466 2007/06/19(Tue) 22:47:17

Re: ローマ人への手紙2章 / 沙耶香 引用

心の中に律法が書いてある場合・・・なんだか難しいですね・・・

No.2469 2007/06/20(Wed) 07:50:03
ローマ人への手紙1章 / 沙耶香 引用

今日はローマ人への手紙1章を読みます。

5節の
このキリストによって、私たちは恵みと使徒の努めを受けました。それは、御名のためにあらゆる国の人々の中に信仰の従順をもたらすためなのです。
とありますが、信仰の従順をもたらすためとはどういうことだろうか?

14節に
私は、ギリシヤ人にも未開人にも、知識のある人にも知識のない人にも、返さなければならない負債を負っています。
とありますが、これはどういう意味だろうか?

17節に
なぜなら、福音のうちには神の義が啓示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。「義人は信仰によって生きる。」と書いてあるとおりです。
とありますが、これはどういう意味だろうか?

続く18節の
というのは、不義をもって真理をはばんでいる人々のあらゆる不敬虔と不正に対して、神の怒りが天から啓示されているからです。
もあまり意味がわからない。

27節に
同じように、男も、女の自然な用を捨てて男同士で情欲に燃え、男が男と恥ずべきことを行うようになり、こうしてその誤りに対する当然の報いを自分の身に受けているのです。
とありますが、これはホモのことを言っているのだろうか?この時代こういう人が増えたのだろうか?

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒2章29―32節を音読します。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か音読していると、31節が気になるので、これをもう何度か音読します。
静まっていると、キリストは朽ち果てず永遠に生きる、私たち信仰者もイエス様を本当に信じると永遠に生きられる、と語られたような気がします。

No.2457 2007/06/18(Mon) 02:11:53

再ローマ人への手紙1章 / 沙耶香 引用

今日はもう一度ローマ人への手紙1章を読みます。

4節の
聖い御霊によれば、死者の中からの復活により、大能によって公に神の御子として示された方、私たちの主イエス・キリストです。
が印象に残りました。

20節に
神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造されたときからこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。
とあるが、これはどういう意味だろうか?なんだかわかりにくい。

続く、21節の
というのは、彼らは神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなったからです。
はどういうことをいっているのだろうか?うーん、全くつかめない。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒2章33―36節を音読します。
天におられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か音読していると36節が気になるので、これをもう何度か音読します。
静まっていると、神が主と定めたイエスを十字架につけた罪は重いんだと語られたような気がします。

No.2458 2007/06/18(Mon) 09:13:49

Re: ローマ人への手紙1章 / 昌夫 引用

5節の「信仰の従順」とは信仰によって神に従順になる心に変えていただくことを書いていると思います。

14節は、イエスから大きな惠みの祝福をいただいたパウロが、福音を伝道することは、祝福をいただいた者の義務と考えて、「負債」という言葉を使っていると思います。

16-17節が、ローマ書の主題です。「義人は信仰によって生きる。」とは、良い行いではなく、信仰によって罪を赦されて神の前に義とされた信仰者は、自分の力ではなく、信仰によって自分の中のイエスの力によって生きていく、ということだと思います。

18節は、神に対する反逆によって神の真理を受け入れようとしない人々に、神の怒りが示されているということだと思います。

27節は、同性同士の不品行のことです。ローマ書が書かれた時代に特にそのようなことが増えたということではなく、時代を超えた一般的なことを書いていると思います。

No.2459 2007/06/18(Mon) 19:43:24

Re: ローマ人への手紙1章 / 沙耶香 引用

なんだかいろいろと難しいですね・・・

No.2461 2007/06/18(Mon) 20:03:42
使徒26章 / 沙耶香 引用

今日は使徒26章を読みます。

2節の
「アグリッパ王。私がユダヤ人に訴えられているすべてのことについて、きょう、あなたの前で弁明できることを、幸いに存じます。
が印象に残りました。信仰から出る言葉素晴らしいですね・・・・

5節に
彼らは以前から私を知っていますので、証言するつもりならできることですが、私は、私たちの宗教の最も厳格な派に従って、パリサイ人として生活してまいりました。
とありますが、私たちの宗教の最も厳格な派ってパリサイ派なの?あまりよく分からないなー――。

29節に
パウロはこう答えた。「ことばが少なかろうと、多かろうと、私が神に願うことは、あなたばかりでなく、きょう私の話を聞いている人がみな、この鎖とは別として、私のようになってくださることです。」
とあるが、これはどういう意味だろうか?この鎖とは別に私のようになってくださる???

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒1章23―26節を音読します。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
全体を何度か音読しましたが、一つに絞れなかったので、もう何度か全体を音読します。
静まっていると、あまりよく分からなかったが、使徒職は大事な仕事だと言いたかったのかなーと思います。

No.2428 2007/06/13(Wed) 03:21:14

再使徒26章 / 沙耶香 引用

今日はもう一度使徒26章を音読します。

牧師にかなりショックで立ち直れないことを言われました。もう教会にも教会行事にも全部出席したくないという気持ちもあるが、でもやはり牧師を思う気持ちのほうが勝るので、行きます。
人間はやはりよほどの優れた信仰者でも自分の感情や自分の都合を優先させます。仕方がないことです。イエス様だけを信頼します。

16節の
起き上がって、自分の足で立ちなさい。わたしがあなたに現れたのは、あなたが見たこと、また、これから後わたしがあなたに現れて示そうとすることについて、あなたを奉仕者、また証人に任命するためである。
が印象に残りました。

32節に
またアグリッパはフェストに、「この人は、もしカイザルに上訴しなかったら、釈放されたであろうに。」と言った。
とあるが、これはパウロのことだろうか?いろんな人が出てきて何が何だか分からない。私の頭では理解不能である。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒2章1―4節を音読します。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か音読していると、4節が気になるので、これをもう何度か音読します。
静まっていると、聖霊に満たされると自分じゃなく、御霊が働いて成し遂げてくださると語られたような気がします。

No.2429 2007/06/13(Wed) 08:12:07

Re: 使徒26章 / 昌夫 引用

5節、当時のユダヤ教で、最も厳格に律法を守るようにしていたのがパリサイ派です。信仰により、心から喜んで律法を守っていれば、素晴らしいことでした。しかしほとんどのパリサイ派の人々は、律法主義におちいり、義務として律法を守っていて、それを誇っていたので、イエスはパリサイ人を厳しく批判されました。キリスト者も律法主義におちいらないように、常に注意が必要だと思います。

29節、パウロは人々がみな、パウロのような信仰を持ったキリスト者になってほしかったのです。でも、パウロは迫害を受けて鎖につながれていましたから、他のキリスト者たちが迫害を受けることは望みませんでした。

32節はパウロのことです。パウロにはローマ帝国に対する罪は見つからなかったのです。ところが、パウロがローマのカイザルに上訴していたので、パウロは釈放されずにローマに連れて行かれることになりました。この世的には、釈放されたほうが良いわけですが、神はパウロをローマの牢の中で用いて祝福されたと思います。

No.2439 2007/06/14(Thu) 21:45:24

Re: 使徒26章 / 沙耶香 引用

そうですよね?律法を守ることが義務となると信仰ではなくなります。心の中の微妙な問題だから難しいですね・・・

>>この世的には、釈放されたほうが良いわけですが、神はパウロをローマの牢の中で用いて祝福されたと思います。

これはどういうことなのだろうか?ローマの牢の中で祝福された???例えばどういう風に??

No.2445 2007/06/15(Fri) 09:45:00

Re: 使徒26章 / 昌夫 引用

>これはどういうことなのだろうか?ローマの牢の中で祝福された???例えばどういう風に??

パウロがローマで大胆に、少しも妨げられることなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えたことです。使徒28章16-31節にその様子が描いてあります。

No.2451 2007/06/17(Sun) 06:31:36

Re: 使徒26章 / 沙耶香 引用

うん、31節に
大胆に、少しも妨げられることなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた。
とあります。牢獄のなかでもパウロの心はイエス様からの平安に満たされていたでしょう。。。

No.2455 2007/06/17(Sun) 08:07:32
使徒27章残り / 沙耶香 引用

今日は使徒27章残りを読みます。

29節の
どこかで暗礁に乗り上げはしないかと心配して、ともから四つの錨を投げ下ろし、夜の明けるのを待った。
はどういう意味だろうか?ともから四つの錨???

30節に
ところが、水夫達は船から逃げ出そうとして、へさきから錨を降ろすように見せかけて、小船を海に降ろしていたので、
とあるが、へさきって何だろうか?

33節に
ついに夜の明けかたになったころ、パウロは、一同に食事をとることを勧めて、こう言った。「あなたがたは待ちに待って、きょうまで何も食べずにすごして、十四日になります。
とありますが、二週間も何も食べてないなんて・・・・すっごいなー――。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒2章13―16節を音読します。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か音読していたが、一つに絞れなかったので、もう何度か全体を音読します。
静まっていたが、あまりよく分からなかった。でもきっと聖書はその御言葉ですでに語られていると信じます。

No.2440 2007/06/15(Fri) 04:20:16

Re: 使徒27章残り / 昌夫 引用

29節の「とも」とは船尾(船の後ろの方)のことです。船が暴風に翻弄されていたので、錨を海に投げ下ろすことで、船の進むスピードを遅くしようとしたのです。

30節の「へさき」は船首(船の前の方)のことです。

このあたりは、パウロが、神のご計画ということと、人間のするべきことのことで、とても印象的です。22−24節で、パウロは神の御使いからいのちを失う者はひとりもないという神のご計画を告げられて、そのことを信じていました。しかし、30−31節で、パウロは、そのご計画がなるためには、人間がしなければいけないことがあることを語っています。

罪に満ちたこの世から信仰者を救いだされるのは、神のご計画で、神のされることですが、僕たち信仰者にも、するべきことが与えられています。

No.2442 2007/06/15(Fri) 06:17:07

再使徒27章残り / 沙耶香 引用

今日はもう一度使徒27節残りを読みます。

とも=船の後ろのほう・・・
逆にへさきは船の前のほう・・・

あーーー今家庭内で暴力振るわれ、いろいろ言われたので、もう頭が混乱していてあまり頭が動かない。もー最低・・・天のお父様神様どうか父や母や妹に働き、みなが悔い改めてイエス様へと向かいますように。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・

>>22−24節で、パウロは神の御使いからいのちを失う者はひとりもないという神のご計画を告げられて、そのことを信じていました。しかし、30−31節で、パウロは、そのご計画がなるためには、人間がしなければいけないことがあることを語っています。

神の御使いからいのちを失う者はひとりもない・・これはどういう意味だろうか?神を信じたクリスチャンはみな天国にいけるという意味だろうか?
信じていても取るべき対応を取らないといけないという意味だろうか?

そうですね・・・神様がときにより、信仰者に言ってきたことに聞き従えるような耳をもっていないといけないですね・・・

25節の
ですから、皆さん。元気を出しなさい。すべて私に告げられたとおりになると、私は神によって信じています。
が印象に残りました。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒2章17―20節を音読します。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か音読していると19節が気になるので、これをもう何度か音読します。
静まっていると、主は偉大な御業を示される御方なので、信頼してついていきなさいと語られたような気がします。

No.2443 2007/06/15(Fri) 09:18:53

Re: 使徒27章残り / 昌夫 引用

22-24節ですが、主の御使いは、船が暴風のために危険な状態でも、船に乗っている誰もこの暴風で死ぬことはないことを告げたと思います。

No.2452 2007/06/17(Sun) 06:34:15

Re: 使徒27章残り / 沙耶香 引用

私はなにかとずれる・・・
神様イエス様どうか私が聖書通読でずれた点を修整してください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・

No.2454 2007/06/17(Sun) 08:01:57
イザヤ1章15節まで / 沙耶香 引用

今日はイザヤ1章15節までを読みます。

3節に
牛はその飼い主を、
ろばは持ち主の飼葉おけを知っている。
それなのに、イスラエルは知らない。
わたしの民は悟らない。」
とあるが、これはどういう意味だろうか?

4節の
ああ。罪を犯す国、咎重き民、
悪を行う者どもの子孫、脱落した子ら。
彼らは主を捨て、
イスラエルの聖なる方を侮り、
背を向けて離れ去った。
はノン・クリスチャンに対していっていることなのか?

8節に
しかし、シオンの娘は残された。
あたかもぶどう畑の小屋のように、きゅうり畑の番小屋のように、包囲された町のように。
とあるが、これはどういう意味だろうか?

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒2章29―32節を音読します。
天におられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か音読していると、32節が気になるので、これをもう何度か音読します。
静まっていると、イエスが死んでよみがえるということは真実だったので、神様についてくるとうそがない、真実の道だと語られたような気がします。

No.2448 2007/06/16(Sat) 23:39:21

Re: イザヤ1章15節まで / 昌夫 引用

イザヤ書は第5の福音書とも呼ばれる素晴らしい預言書で、主イエスが人間としてお生まれになる700年以上も前にイエスが苦しんで死なれることによって人類をお救いになることを預言しています。ただし、この預言がいつされたかには異論もあります。

ただ、イスラエルの歴史を知らないで読むのはかなり難しいかもしれません。もし、あまりに難しいようなら、新約のつづきでローマ書を読むか、旧約の最初から創世記を読むのが良いかもしれません。

3節は、牛でさえ自分の飼い主を知り、ろばでさえ、自分のえさのはいっている飼葉おけを知っているのに、イスラエルの民は自分の主である神を知らないことを主が嘆いておられます。

4節ですが、イザヤ書は旧約聖書にありますから、もともとイエスがお生まれになる前にイスラエルの民に対して書かれた書です。イスラエルの民は主に選ばれ、出エジプトで奇蹟も見せていただきながら、主を捨て、罪を犯していました。

8節のシオンの娘とはエルサレムのことで、当時、アッシリヤ軍によってイスラエルとユダが侵略されていたけれど、エルサレムだけが落城せずに残っている様子を書いていると思います。このことは、イスラエルの歴史を旧約聖書の最初の世記からネヘミヤ記までを読んで勉強すると、よりよく理解できると思います。

No.2449 2007/06/17(Sun) 06:05:11

再イザヤ1章15節まで / 沙耶香 引用

今日はもう一度イザヤ1章15節までを読みます。

うん、まだまだ神様を知らないときだから・・・

出エジプトで奇跡も見せてもらいながら、主を捨て罪を犯すなんてかなりつみ深いですね・・・

うーん、なかなか聖書全体を勉強しないと理解できないことが多いということなのか?

12節に
あなたがたは、わたしに会いに出てくるが、だれが、わたしの庭を踏みつけよ、とあなたに求めたのか。
とありますが、これはどういう意味だろうか?

15節に
あなたがたが手を差し伸べて祈っても、
わたしはあなたがたから目をそらす。
どんなに祈りを増し加えても、聞くことはない。
あなた方の手は血まみれだ。
とありますが、これはどういう意味だろうか?
汚れているから祈っても聞かれないという意味だろうか?
後の節からもそう伺えるが・・・

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日は使徒2章33―36節を音読します。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か音読していると、36節が気になるので、これをもう何度か音読します。
静まっていると、イスラエルの人々はかなり重大な罪を犯してしまった、取り返しのつかない罪を犯してしまった、そのことを肝に銘じときなさいと語られたような気がします。
なかなか聖書はまだまだ不慣れで、聖書の勉強をかなりされている方が読むと私の読み方を見ていると、多分頭に来る点が多いと思うけれど、許してください。

No.2453 2007/06/17(Sun) 07:20:36
全738件 [ ページ : << 1 ... 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 ... 74 >> ]

- HOME - お知らせ(3/8) - 記事検索 - 携帯用URL - フィード - ヘルプ - メール - 環境設定 -

- Skin: Modern v1.81 -

Rocket Board Type-X (Free) Rocket BBS