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?Uテモテ3章 / 大垣 引用

?Uテモテ3章。1節。終わりの日とは、キリストの再臨の直前に来る背教の時代だと思います。それは困難な時代になる。

2-5節、その時に人々は敬虔に見えても、その実を否定する者となる。そのような者の描写は恐ろしい。特に自分を愛する者、金を愛する者、感謝することを知らない者、節制のない者、向こう見ずな者、慢心する者、神よりも快楽を愛する者、というところが印象に残りました。背教の時代は来る前にも、このいう人々は存在して、敬謙に見えるのだから、教会にいるということになる。こういう人々を避ける必要がある。反キリストがすでに現れて、背教の時代はすでに始まった、あるいは、もう終わったという考えもありうると思う。僕はどちらかと言えば、非常に強力な反キリストが将来に現れて、今よりももっとひどくて大きな困難のある背教の時代が将来に来るのだろうと思います。

6-7節。こういう人々の中には、愚かな女たちをたぶらかす者がいて、そういう女たちは、いつも学んでいるが、いつになっても真理を知ることができない。

10-11節。ひどい迫害を受けたパウロにテモテはよくついて行った。

12節。キリストにあって敬虔に生きようと願う者はみな、何らかの意味の迫害を受ける。迫害が信仰者を磨くのだと信じます。

13節。悪人や詐欺師たちは、だましたりだまされたりしながら、ますます悪の深みにはまっていく。その中には、だんだん自分がひどくなっていくことに、はっと、気づいて悔い改め、キリストに出会う人たちもいる。

14-16節。聖書はすべて、神の霊感によって、人間の著者の個性が用いられて書かれたものである。これは、僕は聖書の原典についてであって、写本や人間の誤りが入る可能性があると思うし、実際にいろいろな現存する写本は完全には一致しない。そして原典はすでにこの世に存在しない。しかし多くの写本が残っているので、多くの学者たちの研究によって、かなりの確かさで原典を復元することができている。それは、全知全能の神が、教えと戒めと矯正と義の訓練のために、必要な原典の部分はすべて復元できるようにしてくださったのだと信じて感謝します。

No.3764 2008/01/09(Wed) 13:29:21

Re: ?Uテモテ3章 / 亜衣瑠 引用

1-7節 終わりの日、再臨までの期間の困難な日々。そういう困難の中で人が陥りやすい誘惑、サタンの罠にはまらないように。誘惑の手に陥らないように、どうか主よ、強く導いてください。 また、たぶらかす者は悪いけれども、しかし、6,7節のようにさまざまの情欲に引き回されて、せっかくの学びの実を結ぶことなくもみ殻に終わってしまうことのないよう、あなたの真理をしっかりと得させてください。

11節「しかし、主はいっさいのことから私を救い出してくだいました。」8,9節で愚かなヤンネとヤンブレのことが書いてあるが、モーセがパロの前で奇蹟を行なえたのは、モーセが手品や大がかりなマジックの技術を持っていたからではなく、神が成したわざによること、考えられない迫害からもパウロが難を逃れることができたのは、神のご意思であったことを思います。

13節 よく「だますよりはだまされる方がまし」とか「だまされる人は悪くない」などと世間では言われます。しかし、両者とも「だましたりだまされたりしながら、ますます悪に落ちて行くのです。」とある。そのような環境から距離を置くことがサタンを喜ばせないためには大事だと思う。

15節「幼いころから聖書に親しんで来たこと」これは過ぎてしまってからでは遅い。伝道者の書12:1を思わず思い起こす。「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。」また、本人の意思で親しんだというよりも、親しむことが許される環境であったことの重要さを思います。パウロとテモテの関わりにおいてすでに何代かの育みの歴史がある。とても美しい育まれ方。

16、17節 聖書の性質と目的が端的に述べられている。「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。」ハンドブックに「現代教会によって広がった聖書の軽視は全く恐るべきである。」の記述がある。わたしたちは そうではなく、この聖書が神の書であること、出どころが神であること=神が関わった書=神の霊感、神の啓示による、すなわちバックアップするものは神ご自身であることを重んじて、この書に向き合いますように。権威者であられる神のことばであることを信じて終生愛していきますように。

No.3766 2008/01/09(Wed) 14:01:22
?Uテモテ2章 / 大垣 引用

?Uテモテ2章。1節。1:7とあわせて、テモテはおく病で気弱な性格を持っていたのだろうと思います。そのような個性も神は活用されたと信じます。そういう個性を持つと同時に、テモテはイエスの恵みによって、勇気を持ち、強くなることが可能だった。

1−7節はハンドブックの著者のハーレイ氏は教会から牧者としての報酬を受けるようにという意味の忠告と解釈されている。使徒としていろいろな教会に奉仕したパウロが報酬を受けなかったのと異なり、ひとつの教会を牧する人は、報酬を受けて他の仕事に時間をとられないようにするのがより良いことが多いだろうと思います。

11−13節の引用は、当時の賛美歌からのものかと思います。12節の

私たちは真実でなくても、彼は常に真実である。

が印象的です。僕たち人間はイエスに対しても主にある兄弟姉妹に対しても真実でないことが多い。それでも、イエスはいつでも僕たちに真実でいてくださる。

どうか、僕たちがこの世の誘惑や試練にイエスの恵みによって耐え忍ぶことができますように。

14−21節。尊いことに用いられるためには、真理からはずれてしまわないように注意しないといけない。

22−26節。反対する人たちに訓戒するときも柔和な心でするべきである。そうすれば、神が彼らに悔い改めの心を与えて真理を悟らせてくださることもある。

No.3761 2008/01/08(Tue) 23:23:30

Re: ?Uテモテ2章 / 亜衣瑠 引用

3節「兵士」という表現が目につく。「キリスト・イエスのりっぱな兵士として」そのくらいの覚悟がなければ、5節 栄冠をめざす競技者にはなれないだろう。信仰の道を歩むことは ただの日常、ただの習慣、信条などとは違う厳粛な道である。この書が書かれた時代の迫害下にはなくとも、やはり、わたしたちは キリスト・イエスのりっぱな兵士という意識を持つことを望まれている。

8節 「ダビデの子孫として生まれ、死者の中からよみがえったイエス・キリストを、いつも思っていなさい。」はい。パウロからテモテへの伝言をわたしも受けて忘れないようにします。

9節 「しかし、神のことばは、つながれていません。」なんとすばらしい高らかな告白か!

このようにあるとき、牢につながれているパウロさえも、やはり、そのたましいはどこにもつながれてはおらず、テモテへ、また他の弟子たち、教会の兄弟姉妹たちのところへ飛んで行っている。最も自由にイエスさまと行き来していたろう。

13節 これは当然のことなのだが、わたしたちの礼拝する神のご性質がこのようであることは 何よりすばらしいと思う。「わたしたちは真実でなくても、彼は常に真実である。彼にはご自身を否むことができないからである。」そういうお方なので、?Tコリ10:13のようなみことばを純粋な心で信じて感謝することができる。「神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。」
God is faithful, who will not allow you to be tempted beyond what you are able, but with the temptation will provide the way of escape also, so that you will be able to endure it.

15節 「真理のみことばをまっすぐに説き明かす」パウロは「あなたは」とテモテにあてて励ましているが、これを読むわたしたちは全く同じにこのことばを託されている者たちである。そのためには「熟練した者」であること、ヘブル6:1で書かれるように「キリストのついての初歩の教えをあとにして、成熟を目ざ」すことが要求される。自分を神におささげしているなら、どこに対しても、誰に対しても恥じることはない。

16-22節 俗悪なむだ話から遠く離れてありますように。常に聖められつづけて真理からずれることのありませんように。22節のとおり、「情欲を避け、きよい心で主を呼び求める人たちとともに、義と信仰と愛と平和を追い求め」る者でありますように。
Now flee from youthful lusts, and pursue righteousness, faith, love and peace, with those who call on the Lord from a pure heart.

25節「神は彼らに悔い改めの心を与えて」人を変えることのできる方は神ただひとり。わたしたち主のしもべは 主のみこころを知り、柔和さを真似て、争いをもってではない方法で導くことを探っていきたい。24節の言い方には、エペソ4:32のパウロの願いが滲んでいるように思う。

No.3762 2008/01/08(Tue) 23:27:18
民数記29章22節まで / 沙耶香 引用

今日は民数記29章22節までを読みます。

1節に
第7月には、その月の1日にあなたがたは聖なる会合を開かなければならない。あなたがたはどんな労役の仕事もしてはならない。これをあなたがたにとってラッパが吹き鳴らされる日としなければならない。
とありますが、これはどういう意味だろうか?と思って、脚注を見ると、7日目が安息日であるように、7ヶ月目の第一日も安息日なのだそうだ。それでラッパを吹き鳴らすことを命じられているそうだ。でもラッパを吹き鳴らすことがどうして出てくるのだろうか?と思うとラッパのあたりに横の注が民数記10章10節をひらくようにかいてあるので、

また、あなたがたの喜びの日、あなたがたの例祭と新月の日に、あなたがたの全焼のいけにえと、和解のいけにえの上に、ラッパを鳴り渡らせるなら、あなたがたは、あなたがたの神の前に覚えられる。わたしはあなたがたの神、主である。」

とあります。ラッパを吹き鳴らすことは神の前に出るという表明なのかな?

7節に
この第7月の10日には、あなたがたは聖なる会合を開き、身を戒めなければならない。どんな仕事もしてはならない。
とありますが、第7月の1日にも仕事をしてはならないのに、10日にも仕事をしてはならないの?ということは第7月というのはかなり主から見たら重きをおいていたのだなーー。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はルカ1章59-63節を読みます。
天におられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいたが一つに絞れなかったので、全体をもう何度か読みます。
名前なんかザカリヤでもヨハネでもどちらでもいいと考えてしまうが、イエス様的には何か意味があるのだろう。。。

No.3758 2008/01/07(Mon) 23:02:04

再民数記29章22節まで / 沙耶香 引用

今日はもう一度民数記29章22節までを読みます。

あーーーもう死んでいなくなりたいです。誰か私を**してください。わたしみたいなものは精神状態もよくなく、体調も悪くて、こんな人は理解してくれる人はいないので、この世の中ではわたしは生きづらいので、天国に連れて行って祝福してください。神様イエス様どうか一日も早く天国に連れて行ってください。

あーー何だか憂鬱です。イエス様救いの手を差し伸べてください。イエス様イエス様イエス様・・・愛する人への愛をイエス様の聖らかな愛にしてください。アーメン・・・

あーーこの世で生きづらい精神障害者やひどいいじめを受けていて何処へ行ってもいじめられるような人は安楽死を選択できるようにしてくれていたらいいのになーーー。私そう思って、前に安楽死協会に連絡したが、精神障害者の安楽死なんて認めていないと言われました。大体日本は精神障害者に対しては偏見で見るから・・・病気だとは思っていなくてただの怠け病、気違いとか思っているだろうから・・・

1節の
第7月には、その月の1日にあなたがたは聖なる会合を開かなければならない。あなたがたはどんな労役の仕事もしてはならない。これをあなたがたにとってラッパが吹き鳴らされる日としなければならない。
が印象に残りました。第7の月の1日ね・・・

12節に
第7月の15日には、あなたがたは聖なる会合を開かなければならない。どんな労役の仕事もしてはならない。あなたがたは7日間主の祭りを祝いなさい。
とあるが、これは何の祭りだろう?と思って、脚注を見ると、仮庵の祭りのことみたいだ。何だか過越の祭りとかいろいろあって覚えづらいですね・・・

あーーー何だか何をする気もしないですね・・・神様イエス様どうか私にパワーとエネルギーをください。そして私を内側から輝かせて支えてください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はルカ1章64-69節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、68,69節の
「ほめたたえよ。イスラエルの神である主を。主はその民を顧みて、購いをなし、
救いの角を、われらのために、しもべダビデの家に立てられた。
が気になるので、これをもう何度か読みます。
イスラエルの神である偉大なる主・・・

No.3759 2008/01/08(Tue) 22:02:12
民数記26章34節まで / 沙耶香 引用

今日は民数記26章34節までを読みます。

2節に
「イスラエル人の全会衆につき、父祖の家ごとに20歳以上で、イスラエルにあって軍務につくことのできる者すべての人口調査をせよ。」
とあるが、軍務につくことのできる者すべての人口調査を何でしないといけないのだろうか?と思って、脚注を見ると、カレブとヨシュアを除いて全員死んでしまったからもう一度調査する必要があるというようなことを書いてあります。

10節に
そのとき、地は口をあけて、彼らをコラと共にのみこみ、その仲間は死んだ。すなわち火が250人の男を食い尽くした。こうして彼らは警告のしるしとなった。
とあるが、これはどういう意味だろうか?地は口を開けてのみこむ??なだれかな?

27節に
これがゼブルン人諸氏族で、登録されたものは、6万5百人であった。
とあるが、こうやってまた何族が何人何族が何人と聖書で並べ立てなくてもいいのになーと思ってしまうのは人間の考えで神様は違うのでしょう。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はルカ1章17-21節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、20節の
ですから、見なさい。これらのことが起こる日までは、あなたは、おしになって、ものが言えなくなります。私のことばを信じなかったからです。私のことばは、そのときが来れば実現します。」
が気になるので、これをもう何度か読みます。
イエス様のことばを信じないといろんなことになります。イエス様のことばこそ永遠の真実。

No.3740 2008/01/03(Thu) 19:54:32

Re: 民数記26章34節まで / 大垣 引用

10節は、地震のときなどに起こる地割れを主が起こして、コラたちが滅んだことを書いていると思います。横の注にあるように、民数記16;28-33に書いてあることです。

No.3744 2008/01/04(Fri) 05:54:36

再民数記26章34節まで / 沙耶香 引用

今日はもう一度民数記26章34節までを読みます。

横の注は見忘れやすいので、気をつけないといけないなーー。御忙しい管理人さんを手間取らせたことを謝罪します。ごめんなさい。

10節の横の注は民数記16章35,38節と書いてあります。35,38節には地震のことは書いてありません。それに28-33節にも地震だとは書いてありません。やはり下の地面が割れて、飲み込まれたと書いてないと思うのですが・・・何だかややっこしくてよく分かりにくいです。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はルカの1章22-26節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、24,25節の
その後、妻エリザベツはみごもり、5ヶ月の間引きこもって、こう言った。
「主は、人中で私の恥を取除こうと心にかけられ、今、私をこのようにしてくださいました。」
が気になるので、これをもう何度か読みます。
主がいろいろ気遣ってくださる様子がわかりますね・・・イエス様いつもどこでも素晴らしい。

No.3745 2008/01/04(Fri) 10:47:16

Re: 民数記26章34節まで / 大垣 引用

10節ですが、僕が「地震のときなどに起こる」と書いたのは、「地割れ」という言葉を説明するためでした。沙耶香さんが読まれたように、地震のことは書いてありませんから、地震は起こらずに、ただ地が割れたのかもしれません。

ただ、聖書を読むときに気をつけた方が良いと思うのは、書いていないから、起こらなかったという風に決めつけて読まないようにすることです。聖書に書いてあることと、書いていないことをよく区別して読むと良いと思います。例えば、民数記26章28-33節には、地震が起こったとも起こらなかったとも書いていないので、起こったかどうか分かりません。地割れが起こるときには、小さくとも地震が起こることが多いので、たぶんこのときも地震が起こったろうと僕は思います。

No.3752 2008/01/07(Mon) 01:36:20

Re: 民数記26章34節まで / 沙耶香 引用

何だかややっこしいですね・・・

No.3757 2008/01/07(Mon) 12:54:42
?Uテモテ1章 / 大垣 引用

?Uテモテ1章。4:13と2:9などから、パウロはトロアスで逮捕をされ、犯罪者のようにつながれていたと思います。パウロが?Tテモテの手紙を書いた後に釈放され、そのあともう一度逮捕されて、今回は死刑になるのを予測していたという説が有力だと思います。

2-5節。パウロのテモテに対する実の父のような愛と祈りと、テモテを与えられたことの神への感謝を思います。

6-8節。テモテは、おくびょうな性格のために、偽教師に対する対策を十分に実行できなかったことのだろうと思います。また、このころ、偽教師らの働きとローマの激しい迫害にによって、教会を離れるクリスチャンも多くいて、テモテが心を痛めていたろうと思います。また、パウロが犯罪者として逮捕されたために、テモテは気弱になっているだろうと、パウロが考えていたと思います。

9-11節。テモテは、神がキリスト者たちが永遠の昔からの神のご計画によって選ばれ、召されたこと、そのご計画は主キリスト・イエスの現われと福音によって明らかにされたこと、パウロが福音のために、宣教者、使徒、また教師として任命されたことを、頭では基本的なこととしてよく分かっていたと思います。しかし、パウロは、テモテの試練のときに、基本的なことを書いて励ましていると思います。

12節。パウロは無実の罪で牢獄に入れられて苦しんでいたが、イエスを信頼していた。パウロはイエスを個人的によく知って、パウロがゆだねた、自分や同労者や自分が作った教会のキリスト者たちの信仰による永遠の救いを、イエスが守ってくださることを確信していたと思います。

15節。アジヤにいる多くの人々がパウロの教えた福音を捨てたのだろうと思います。

16-18節。しかしアジヤにも、福音もパウロも捨てないキリスト者がいた。

No.3753 2008/01/07(Mon) 01:40:55

Re: ?Uテモテ1章 / 亜衣瑠 引用

チェーン式聖書の緒論を読むと、この手紙の個人的な意味を新たにさせられる。パウロの書の最後のものであることを合わせて思い、この書全体がパウロが生きた証しとなっているように思う。

3節 「神に感謝」参照箇所のロマ1:8をあらためて読み、パウロの神に対する強い思いを想像します。「まず第一に、あなたがたすべてのために、私はイエス・キリストによってわたしの神に感謝します。」

3-5節でパウロとテモテの間の熱い交流を思います。以前読んだときよりも、この二人の間にある 大変親密な肉親の情のような「生」のものの行き来を感じます。しかし、それはあくまで主に在っての、信仰を礎とするものからなのですが。祖母ロイスと母ユニケの二人の名が明記されていることもとても喜ばしい記録に思います。残されるべくして残された名前なのだと思います。

6節 「神の賜物を再び燃え立たせてください」 燃える、という現象は瞬間的な場合もあろうが、パウロの願いはそうではなく、持続的に、ますます盛んにである。そしてそれを実現してくださるのは「神の力」(8節)です。

12節に見える「確信」のことばが、この書を書いているパウロの発する全身からのメッセージに感じられる。もはや、この世での残り時間はわずかになり、殉教の瞬間も刻々と近づいていることを知って、残しておきたいこと、ことばとして「わたしパウロ」を伝えようとしたとき、何としてもこの「確信」を高らかに鮮明に記録しておきたい!との燃え立つ思い。

14節 6節「あなたのうちに与えられた神の賜物」7節「神が私たちに与えてくださったもの」愛するテモテへの励ましの根拠は、それが神から託されたものであることを幾重にも伝える。

16-18節 オネシポロ。この名前をこれまで飛ばし読みをしていたか、と思う。信仰の現われとはいろいろな方法で見えるものだ。オネシポロはパウロが囚われの人であっても気に止めず、むしろ、何としてでもパウロに会って仕えようとしたかが知られて感動する。

わたしたちの求めは 求める人がどこでどうしているかによるのではない。その人が何によって生きて、何を信じて生きているか、何を目的として生きているか、何をゴールにして生きているかである。

No.3754 2008/01/07(Mon) 01:43:16
民数記27章 / 沙耶香 引用

私は最低だ。私なんかは最低だ。
今日は民数記27章を読みます。

神様イエス様私に何か罪があるならお示しください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・自分では気付けない罪もあるかもしれない。人間は罪人罪は日常茶飯事だから・・・

16節の
「すべての肉なるものの命の神、主よ。ひとりの人を会衆の上に定め、
が印象に残りました。脚注にすべての創造主というようなことを書いています。

18節に
主はモーセに仰せられた。「あなたは神の霊の宿っている人、ヌンの子ヨシュアを取り、あなたの手を彼の上に置け。
とありますが、これはどういう意味だろうか?と思って、脚注を見ると、神の霊の宿っているとことが、主の民の指導者としての使命が与えられているしるしだというようなことが書かれています。手を彼の上に置けというのが任職のための按手だとかかれていますね・・・按手のときにはなぜ手を頭の上に置いたりするのだろうか?油を注いでいるという意味だろうか?

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はルカの1章37-41節を読みます。
天におられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、41節の
エリサベツがマリヤのあいさつを聞いたとき、子が胎内でおどり、エリサベツは聖霊に満たされた。
が気になるので、これをもう何度か読みます。
エリサベツも胎内の子により聖霊に満たされて幸せだなー。私のうちにおられる聖霊様。もっともっと大きく宿れ・・・

No.3749 2008/01/05(Sat) 20:39:11

再民数記27章 / 沙耶香 引用

今日はもう一度民数記27章を読みます。

8,9,10,11節に
あなたはイスラエル人に告げて言わなければならない。
人が死に、その人に男の子がないときは、あなたがたはその相続地を娘に渡しなさい。
もし兄弟たちもいないときには、その相続地を彼の父の兄弟たちに与えなさい。
もしその父に兄弟がないときには、その相続地を彼の氏族の中で、彼に一番近い血縁のものに与え、それを受け継がせなさい。
これを、主がモーセに命じられたとおり、イスラエル人のための定まったおきてとしなさい。」
とありますが、これは現在も大体同じですね・・・

14節に
ツィンの荒野で会衆が争ったとき、あなたがたがわたしの命令に逆らい、その水のほとりで、彼らの目の前に、わたしを聖なる者としなかったからである。」これはツィンの荒野のメリバテ・カデシュの水のことである。
とありますが、メリバテ・カデシュの水ってメリバの水のことだろうか?と思って、横の注を見て関連箇所を見ると、やはりメリバの水のことみたいだ。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はルカ1章42-47節を読みます。
天におられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、46,47節の
マリヤは言った。
「わが魂は主を崇め、わが霊は、わが救い主なる神を喜びたたえます。
が気になるので、これをもう何度か読みます。
本当そうですね・・・わが魂は主を崇め、わが霊は、わが救い主なる神を喜びたたえる・・・いいですね・・・

No.3750 2008/01/06(Sun) 06:19:03
民数記26章残り / 沙耶香 引用

今日は民数記26章残りを読みます。

53節に
「この人々に、その地は、名の数にしたがって、相続地として割り当てられなければならない。
とありますが、脚注を見て総合するとこれは、カナンの地の相続権が部族ごとに登録された人口に従って割り当てられるということだろうか?

61節に
ナダブとアビフは主の前に異なった火をささげたときに死んだ。
とありますが、異なった火をささげたときに死んだ??どういうことだろうか?

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はルカ1章27-31節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、30節の
すると御使いが言った。「こわがることはない。マリヤ。あなたは神から恵みを受けたのです。
が気になるので、これをもう何度か読みます。
神様からの恵のイエス様・・・

No.3747 2008/01/04(Fri) 23:41:47

再民数記26章残り / 沙耶香 引用

今日はもう一度、民数記26章残りを読みます。

天のお父様神様イエス様、私はイエス様の御言葉が語られている聖書を読んでイエス様に少しずつでも近づいていきたいと願っているのだが、なかなか頭に入らず悩ませています。どうか少しずつでも頭の中心の中に浸透して癒しに通じるようにしてくださいませ。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・

昨日の夜に家族に殴られて、暴力を受けました。私は何も悪いことを言っていないのだが、あることをもう一度頼んだだけなのだが、暴力を受け、その後みなで責められました。あーーー辛くて眠れなくて何だか意気消沈としています。
牧師にも家族に何とかしてもらうのが筋だ、もう一度頼んでみろといわれるから頼んだのだが、逆効果だった。
家族っていうのなら、牧師だって家族じゃないか!!本当の親兄弟じゃない家族はどうでもいいのか?
大体牧師に頼んで断られた件だって、元を正せば牧師の失態じゃないですか?牧師とうちの教会のそのときの伝道師やその主人の判断能力の甘さでしょ?
私は本当の家族にも見放され、クリスチャンの家族にもほとんど見放されているが、イエス様が普通では考えられないような命綱を作ってくれているので、何とか生きています。感謝します。

体調精神状態よくありません。神様イエス様癒してください。誰でも自分や自分の家族が一番大切なのはよく分かるが、クリスチャンは自分の信仰の家族も家族なんだからもっといたわりもっと愛しみ、精神疾患の人を落ち込ませたりしないようになっていかないといけないと思うんだけれど・・・なかなかそうなれない罪人

55節の
ただし、その地はくじで割り当て、彼らの父祖の部族の名にしたがって、受け継がなければならない。
が印象に残りました。くじで割り当てというのが面白い。脚注を見ると、「くじ」で決めることは、人の思いを越えて働く神の御手にゆだねることだということを書いてあるが、くじ引きは神の御手が働くのか?じゃ、ギャンブルで競輪とか競馬とかも当たる当たらないは神様の御手が働いているのであろうか?宝くじの当たる当たらないも神様の御手が働いているのだろうか?

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はルカ1章32-36節を読みます。
天におられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、35,36節の
御使いは答えていった。「聖霊が貴方の上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれるものは、聖なる者、神の子と呼ばれます。
御覧なさい。あなたの親類のエリサベツも、あの年になって男の子を宿しています。不妊の女と言われていた人なのに、今はもう6ヶ月です。
が気になるので、これをもう何度か読みます。
男性を知らなくても聖霊が働き、生まれてくる聖なる神の子・・・素晴らしいですね・・・

No.3748 2008/01/05(Sat) 04:28:44
Iテモテ5章 / 大垣 引用

Iテモテ5章。1-2節。主にある信仰者の間の勧めは家族のようでありたい。年寄りには父親に対するように、若い人には兄弟のように、年とった婦人には母親に対するように、若い女たちには、真に混じり気のない心で姉妹に対するように。

3-16節。やもめが一生教会に奉仕する誓いをたてて、教会が生活の面倒をみる制度があったようである。しかし、60歳未満のやもめはは結婚することを勧められている。また、やもめに身寄りがいる場合は、身寄りが面倒をみるべきである。親族、特に自分の家族を顧みない信仰者は、不信者よりも悪い。ルカ14:26にあるように、イエスのもとに来て弟子になったものは、自分の家族までも憎んで手放すからこそ、彼らをイエスの愛で愛しているはずである。彼らが困っているときに顧みないとういことはありえないことである。

17-21節。ここの長老とは3:1の監督と同じだと思う。よく指導の任にあたっている長老は尊敬を受け、報酬を受けるのが当然である。パウロが当然の報酬を受けないことを誇りとしたように(?Tコリント9:18)、よく指導の任にあたっている長老が報酬を受けないなら、天の御国での報いが与えられる。19-20節から、長老に罪がないのに訴えるクリスチャンたちがいたし、罪があって、すべての人の前で責められるべき長老もいた。現代の教会も同じだろうと思う。牧師や長老がよく指導の任にあたっているのに、訴えられることがあるし、すべての人の前で責められるべき牧師や長老もいると思う。

22節。教会の長老の任命は軽々しく行ってはいけない。

24-25節。この世では隠れている罪も良い行いも、いずれすべて明らかとなり、正しいさばきと報いを受ける。

No.3742 2008/01/04(Fri) 05:48:14

Re: Iテモテ5章 / 亜衣瑠 引用

1,2節 ・・・のようにしなさい、という規範となるものが、現代において存在しているのだろうか?との疑問を持つ。たとえば「父親に対するように」といったときは、「本来、人が父親に対するように」と、ことばを付け加えないといけないように思う。
4節 「親の恩に報いる習慣」十戒の中の人に関する戒めでの筆頭にくる「あなたの父と母を敬え」は大きく重い戒めであることを、後の世のわたしたちは理解できていないように感じる。すでに亡くなってしまった両親にわたしが取った態度はひどいものでした。イエスさまに赦しを請います。
5節「絶えず神に願いと祈りをささげて」 4章5節、祈りの力を思い起こします。
6節「自堕落な生活をしているやもめ・・・・」彼女たちには「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。」(ヨハネ14:6)とイエスさまが迫ってきてくださるでしょう。
10節「聖徒の足を洗い」脚注に「客の足を洗うことは奴隷の仕事であったが」とある。イエスさまは弟子たちの奴隷となって仕えられた。そのことで「その愛を残るところなく示された。」ここではやもめとして名簿に載せるのに適した人について書かれているが、「すべての良いわざ」の手本はやはりイエスさまなのだと再確認します。足を洗うことができるというのも感謝な仕事です。
12-15節 若いやもめには端的に言うと結婚を勧めているのは、結局道を踏みはずさないようにするための危険回避のように思える。なるべく楽に踏みはずすことのないようにするには・・・という考え方があるかなと思う。それを指し示すのも愛と言えるでしょう。
16節 3節にもあるように「ほんとうのやもめ」という言い方をしていることが 偽者の、ふさわしくないやもめが少なからずいたということなのだろう。
20節「ほかの人をも恐れさせるためです。」 この恐れは「皆の前で責められてこんな恐ろしいことはない」というよりも、神に背くことの恐ろしさを知らせる、という意味に捉えます。
21節「偏見なしに」「何事にもかたよらないで」これは非常なエネルギーをもって意識しないと出来ないことだと思う。訓練が積み重なっていけば、特に意識せずともごく自然にそのようなことができる、そのようにする人になっていくのだろう。
22節 神は「罪とたたかいなさい」と命令することもあるが、ここのように「近寄るな」「逃げろ」「関わるな」との教えもある。「他人の」というところが分岐点だろうか。
24,25節「神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。」(ガラテヤ6:7)をありありと思い起こします。
23節 パウロがテモテのことをほんとうの家族(息子)のように慕わしく思っていたのだろうな、と思わせます。

No.3743 2008/01/04(Fri) 05:49:54
?Tテモテ4章 / 大垣 引用

?Tテモテ4章。1節。「後の時代」とは、主の日の直前に来る背教の時代だと思います。?Uテサロニケ2章3節の「まず背教が起こり、不法の人、すなわち滅びの子が現れ」る時代のことだと思います。

2−3節。背教の時代は、肉体を悪と考え結婚を禁じたり、肉のような食物を断つことを命じるグノーシス派的な偽善の教えが人々を惑わすことになると思われる。小説と映画のダ・ヴィンチ・コードのように、グノーシス派的な考えが、最近になって盛んになっているのは、背教の時代が近いことのしるしかもしれない。あるいはグノーシス派的な教えではなくとも、2元論的に悪の支配を認め、全知全能の神が悪をも支配されておられることを認めないことに、背教の根があるのかもしれない。

4−5節。食物は本来神が造られた良いものであるから、感謝して受け取るとき、捨てるべき物は何一つない。ここは、食物について書かれているが、3節で食物だけでなく、結婚にも言及されているように、食物について書かれたことから、結婚や他のことについても、神が造られたすべてのものは良いものであり、神のことばと祈りによって、聖められることを、僕たちが悟ることを期待されていると思います。?Tコリント8章、10:23−33、ロマ14:?T−12にある偶像にささげられた肉の問題についての教え、またマルコ7:14−23で、イエスが外側から人に入って来る物は人を汚すことができないと教えられたことが深く関係していると思います。

6節。良い教えのことばに従うことによって、養われ、主にある兄弟姉妹に教えて奉仕するようになることの重要さを思います。まず、主のみことばに従うことが大切だと思います。

8−9節。敬虔の鍛錬はすべてに有益であること。また、脚注によると、9節は8節が何かからの引用であることを示し、類似の表現が1:15、3:1などにあって興味深い。初期教会には何か8節のようなことばを集めた書のようなものがあったのだろうが、その書の中にはそのまま受け入れるに値しないようなことばもあったらしい。神は聖書の著者たちを用いて、そのまま受け入れるに値するようなことばだけを聖書として後世に残るようにされたと信じます。

12節。テモテが「年が若いから」といって、だれにも軽く見られないようにするべきだったように、僕たちも、それぞれの自分の欠点があっても、軽く見られないように、かえって、ことばにも、態度にも、愛にも、信仰にも、純潔にも信者の模範になるようにしたい。

13節。聖書の朗読と勧めと教えの大切さを思います。

No.3735 2008/01/03(Thu) 12:04:02

Re: ?Tテモテ4章 / 亜衣瑠 引用

4節 12月30日の礼拝メッセージは詩篇103篇1-5節であった。厳粛であり、かつ高らかな喜びの奏でであるこの賛美は読むときも聞くときもそれに基づく話を聞くときも 神を感じる良い時を与えられる。特徴的印象的な2節「主の良くしてくださったこと」に触れて、牧師は「良くしてくださったこと」に大きいも小さいもない、大きい小さいは誰が決めるのか、「何一つ忘れるな」です、とおっしゃった。 そこでテモテの4節に戻って、わたしたちがいただくものはすべて神が造られたもので、それは良いものであって、感謝をもって受けるものです。
5節 これを読むことによって 「神のことば」と「祈り」の力の大きさを知らされます。
6-8節 「養われている」「鍛錬」が目にとまる。何事もそうだが、立派な奉仕者になるのには付け焼刃の勉強や一朝一夕でできるのではない。
10節 3:15と同じく「生ける」神の「生ける」に注目。生ける神なのでわたしたちとともに歩まれる。生ける神なので、きょうのわたしたちとともに泣き、ともに喜ぶ。生ける神なので、わたしたちの先頭に立って導くことができる。わたしたちはモーセの時代の民ではないが、神の示される道を聞いて従い歩く民である。今、生きておられます神に感謝します。
12-15節 このことばはパウロがテモテのことを愛するあまり、パウロにしては珍しく先読みしているように思えます。「テモテ、あなたは若いし、少々頼りなげなところがあるから、年季の入った人々から軽く見られる危険があるからそうならないように、しっかり自覚してことに当たりなさい。また、どう見られたからといって動揺せず、あなたの信仰を現して模範となりなさい。」
16節 続けること。手紙の筆者パウロもずっと絶えず福音を語り続けた。教会の果たす役割は大きい。それは神が関わり主であるから。自分たちが直接救うわけではないが、救いへの道のガイド役にはなれる。
ハンドブック586ページ3行目から「罪過は小さくても、大きくても、これと戦う最善の道は、単純な福音を休みなく反復することである。」聖書そのものが生きている、ということがあなたからいただく一番の感謝です。

No.3738 2008/01/03(Thu) 12:31:26
民数記24章 / 沙耶香 引用

今日は民数記24章を読みます。

神様イエス様どうか私を救い出してください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・

5節に
なんと美しいことよ。ヤコブよ、あなたの天幕は。イスラエルよ、あなたの住まいは。
とありますが、天幕が美しいってテントでしょ?テントが美しいとか美しくないとかあるんだろうか?脚注を見たが、天幕の美しさのことをいっているといっているが、うーん??

6節に
それは、延び広がる谷間のように、川辺の園のように、主が植えたアロエのように、水辺の杉の木のように。
とありますが、アロエって私たちが「医者要らず」と言っているあの植物だろうか?

7節に
その手おけからは水があふれ、その種は豊かな水に潤う。その王はアガグよりも高くなり、その王国はあがめられる。
とあるが、アガグとは一体何だろう?と思って、脚注を見ると、アマレク王一般だとご説明くださっています。

8節に
彼をエジプトから連れ出した神は、彼にとっては野牛の角のようだ。彼はおのれの敵の国々を食いつくし、彼らの骨を砕き、彼らの矢を粉々にする。
とあるが、野牛の角ってこの前にも出てたがなんだろう?と思って、聖書検索すると、23章22節にも出ていたことがわかります。角が力の象徴らしい。

9節の
雄獅子のように、また雌獅子のように、彼はうずくまり、身を横たえる。だれがこれを起こすことができよう。あなたを祝福するものは祝福され、貴方をのろう者はのろわれる。」
が印象に残りました。

10節に
そこでバラクはバラムに対して怒りを燃やし、手を打ち鳴らした。バラクはバラムに言った。「私の敵をのろうためにあなたを招いたのに、かえってあなたは3度までも彼らを祝福した。
とあるが、これはどういう意味だろうか?3度まで祝福??3と言う数字は何か意味があるのだろうか?

16節に
神の御告げを聞くもの、いと高き方の知識を知る者、全能者の幻を見るもの、ひれ伏して目の覆いを除かれたものの告げたことば。
とあるが、これはどういう意味だろうか?比喩だろうか?

17節に
私は見る。しかし今ではない。私は見つめる。しかし間近ではない。ヤコブから一つの星がのぼり、イスラエルから一本の杖が起こり、モアブのこめかみと、すべての騒ぎ立つものの脳天を打ち砕く。
とあるが、脳天とは一体何だろうか?と思って、辞書を引くと頭頂部のことらしい。これも何かの比喩だろうか?

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はヨハネの福音書の21章23-25節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、24節の
これらのことについてあかししたもの、またこれらのことを書いたものは、その弟子である。そして、私たちは、彼のあかしが真実であることを、知っている。
が気になるので、これをもう何度か読みます。
イエス様こそ真実・・・

No.3726 2008/01/01(Tue) 19:30:42

再民数記24章 / 沙耶香 引用


今日はもう一度民数記24章を読みます。

7節に
その手桶からは水があふれ、その種は豊かな水に潤う。その王はアガグよりも高くなり、その王国はあがめられる。
とあるが、手桶から水が溢れる??何かの比喩だろうか??

21節に
彼はケニ人を見渡して彼のことわざを唱えて言った。「あなたの住みかは堅固であり、あなたの巣は岩間の中に置かれている。
とありますが、これはどういう意味だろうか?貴方の巣は岩間の中に置かれている???これも比喩だろうか?岩間の中??

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はルカの1章1-5節を読みます。
天のお父様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいたけれど、一つに絞れなかったので、全体をもう何度か読みます。
何だか意味不明だ。

No.3729 2008/01/02(Wed) 11:26:57

Re: 民数記24章 / 大垣 引用

5節の「天幕」は、イスラエルの他の天幕のことではなく、主がおられた主の幕屋のことだと思います。キリスト者がイエスを知るようになると、他のキリスト者の見かけが美しくなくても、その人の中のイエスが見えて、その人が美しく見えることがあります。バラムは預言者なので、主の幕屋の本当の美しさが見えたのだと思います。

>アロエって私たちが「医者要らず」と言っているあの植物だろうか?

そうだと思います。脚注に「インド産」とあるので、「アロエ インド産」と2語いれてインターネット検索して、「医者いらず」のアロエがインド原産であるかどうか確認してみると良いと思います。

7節の前半は脚注に説明があるように祝福と繁栄の比喩的表現だと思います。

10節。3という数字は神を表わすと言われています。しかし、ここでバラクは、ただ、回数が多いことを意識して言ったと思います。

16節は、以下にバラムが言うことばが、預言者のことばである、という意味です。「目のおおいを除かれた者」は、霊的に目が見える、という意味だと思いますが、ほかのことは、預言者という人たちは、神の声を聞いたり、神の幻を見たりしますので、比喩ではないと思います。

17節は、後にダビデ王の軍がモアブを打ち破ることを比喩的に預言していると思います。

21節はケニ人たちの住んでいるところが岩に囲まれて堅固であっても、やがてアシェルの子孫との戦争に負けて捕虜となることの預言だと思います。アシェルについては横の注から創世記に名前の出てきた人だと分かります。

No.3730 2008/01/02(Wed) 11:53:18

Re: 民数記24章 / 沙耶香 引用

>>キリスト者がイエスを知るようになると、他のキリスト者の見かけが美しくなくても、その人の中のイエスが見えて、その人が美しく見えることがあります。

これが本当なら、私が教会でみなに嫌われて疎まれるのはどうしてでしょうか?見かけを一番気にする人間が多いということです。キリスト者でもそうです。最初のころは見かけよりイエス様を知ると内面の美しさに惹かれる、もてるようになるというので、信じて期待していたが、段々と裏切られてきました。

>>アロエって私たちが「医者要らず」と言っているあの植物だろうか?

私はことば知らずで「医者要らず」というのだって、最近母から聞いて知ったので、それまで知らなかったのだ。
「アロエ インド産」入れてみました。ですが、いろいろとアロエ商品みたいなのばかり出てきていて、何が何だか分からない・・・

>>7節の前半は脚注に説明があるように祝福と繁栄の比喩的表現だと思います。

水が溢れというのは分かるのだが、手桶からというのは手でおけをつくって水が溢れるということだろうか?

No.3733 2008/01/03(Thu) 07:29:02

Re: 民数記24章 / 大垣 引用

7節の「手おけ」は、手で持つための小さい桶のことです。

No.3736 2008/01/03(Thu) 12:06:25
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