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今日はルカ17章19節までを読みます。
2節に この小さいものたちのひとりに、つまずきを与えるようであったら、そんなものは石臼を首にゆわえつけられて、海に投げ込まれたほうがましです。 とありますが、前にどこかで小さいものということを説明を受けたんだけれど、もう忘れてしまった。
癒しに通じる読み方・・・ 今日はヘブル人の手紙12章5―8節を音読します。 天のお父様神様どうか今から読む聖書の聖句から語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・ 6節が気になるので、もう2度6節を読みます。 神様は愛するわが子には訓練を強いることが多いと語られました。 |
No.2107 2007/04/11(Wed) 22:36:09
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今日はもう一度ルカ17章19節までを読みます。
3節の 気をつけていなさい。もし兄弟が罪を犯したなら、彼を戒めなさい。そして悔い改めれば赦しなさい。 が印象に残りました。
4節に かりに、あなたに対して一日に七度罪を犯しても、「悔い改めます。」と言って七度あなたのところに来るなら、赦してやりなさい。」 とありますが、どういう意味だろうか?七度も罪を犯さなくても、2,3度犯したら罪を犯さないようにするのが普通でしょ?
7,8節の ところで、あなたがたのだれかに、耕作か羊飼いをするしもべがいるとして、そのしもべが野良から帰ってきたとき、「さあ、さあ、ここに来て、食事をしなさい。」としもべに言うでしょうか。 かえって、「私の食事の用意をし、帯を締めて私の食事が済むまで給仕しなさい。あとで、自分の食事をしなさい。」としもべに言うでしょうか。 はどういう意味だろうか?何だか意味が取れないし状況がつかめないんだけれど・・・
10節に あなたがたもそのとおりです。自分に言いつけられたことをみな、してしまったら、「私たちは役に立たないしもべです。なすべきことをしただけです。」と言いなさい。」とありますが、自分に言いつけられたことをみなしてしまう・・・これは素晴らしいことではないか?それをなすべきことをしただけなんていわれたらかなわない。 |
No.2108 2007/04/12(Thu) 14:17:57
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☆ Re: ルカ17章19節まで / 昌夫  |
引用 |
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2節の「この小さい者たち」は、ここでは「この」が指すのは誰か書いていないので、聞いていた弟子たちと考えて良いと思います。マタイ18章1−7節を読んでみてください。イエスは、同じような意味の説教をされていて、マタイ18:6では、「この小さい者たち」とは、子どもたちのことです。
4節は、1日に7回も自分に対して罪を犯しては悔い改める人など、普通にはいないだろうけれど、それでも、赦しなさい、とイエスが教えられています。1日に7回も罪を犯す人でも赦すのだから、まして、1日に2,3回罪を犯す人でも赦しなさい、ということです。聖書では、このように、「まして」という考えを使って語られることが多いです。
7−10節で、僕たち神のしもべが、神に対して謙虚な気持ちで仕えるべきであることを主イエスが教えてくださっています。僕たち信仰者が神のことばに従うと、「従ったから、その分、祝福してください。」という心になってしまうことが多くあります。また、「もう神の国の仕事をして疲れたので、勝手に休みます」という心になることも多いです。そのようなときに、「私たちは役に立たないしもべです。なすべきことをしただけです。」という謙虚な心をいただけるように、お祈りすると良いと思います。
主を愛するしもべは、主に言いつけられた、なすべきことをするのはもちろんですが、さらに、言いつけられなくとも、主を愛する気持ちから、主に喜んでいただけることができるようになると、さらに素晴らしいと思います。そういう気持ちがあると、「なすべきことをしただけです。」と言えるようになるのだろうと思います。
7−8節はたとえ話です。野で仕事をしてから帰ってきたしもべは、さらに、家でも食事の用意をする仕事をします。同じように、僕たち神のしもべは、ひとつの神の国の仕事をして、疲れきっていても、「主よ。私は疲れきっています。でも、あなたの御心でしたら、さらに仕事を言いつけてくださいませ。」という意味の祈りができると良いと思います。 |
No.2119 2007/04/16(Mon) 00:43:04
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☆ Re: ルカ17章19節まで / 沙耶香 |
引用 |
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マタイ18章1―7節・・・ うん、読みました。 うん、でも神の言葉に従うのは祝福されたい、恵を受けたいというのがありますよね?
うん、すべて御心ですよね?御心だったら、またさらに仕事を言いつけられてもできる力もくださいます。 |
No.2125 2007/04/16(Mon) 19:31:04
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