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今日はルカ13章17節までを読みます。
6,7節に イエスはこのような例えを話された。 「ある人が、ぶどう園にいちじくの木を植えておいた。実を取りにきたが、何も見つからなかった。 そこで、ぶどう園の番人に言った。「見なさい。3年もの間、やってきては、このいちじくの実のなるのを待っているのに、なっていたためしがない。これを切り倒してしまいなさい。何のために土地をふさいでいるのですか。」 とあるが、何で無花果の木を植えたのに、無花果の実はならなかったのか?ぶどう園にいちじくを植えたら、いちじくは実がならないということはないと思うけれど・・・ |
No.2059 2007/04/04(Wed) 19:29:22
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今日はもう一度ルカ13章17節までを読みます。
お腹が痛くてたまらない。 天のお父様どうか私の腹痛を癒してください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・
11,12,13節の すると、そこに18年も病の霊につかれ、腰が曲がって、ぜんぜん伸ばすことのできない女がいた。イエスはその女を見て、呼び寄せ、「あなたの病気はいやされました。」と言って、手を置かれると、女はたちどころに腰が伸びて、神をあがめた。 が印象に残りました。 |
No.2061 2007/04/05(Thu) 15:12:46
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☆ Re: ルカ13章17節まで / 昌夫  |
引用 |
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6,7節ですが、僕の経験では庭に同じように野菜を植えて、同じように世話をしても、実がなることとならないことがあります。ぶどう園にいちじくを植えても、健康でない木であったために、いちじくの実がならないことがあると思います。
旧約聖書の7章1節とエレミヤ24章2節で、イスラエルがいちじくに例えられています。神はイスラエルを選んで、いろいろな奇蹟も見せられ、守られたけれど、イスラエルの人々は罪のために良い実をならすことができませんでした。それで、イスラエルに救い主イエスが必要になりました。 |
No.2066 2007/04/05(Thu) 22:21:19
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☆ Re: ルカ13章17節まで / 沙耶香 |
引用 |
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旧約聖書のどこの7章1節ですか? エレミヤ24章2節・・・ 一つのかごのは非常に良いいちじくで、初なりのいちじくの実のようであり、もう一つのかごのは非常に悪いいちじくで、悪くて食べられないものである。
人間はみな罪のある罪びと・・・だからこそ救い主イエス様が必要なのだ。罪が日常茶飯事だけれど、イエス様によって罪を追っ払ってもらいながら信仰の道を歩んでいきたいものです。 |
No.2076 2007/04/07(Sat) 00:01:27
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☆ Re: ルカ13章17節まで / 昌夫  |
引用 |
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>旧約聖書のどこの7章1節ですか?
すみません。うっかり書き忘れました。ミカ書の7章1節です。 |
No.2080 2007/04/07(Sat) 03:15:09
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☆ Re: ルカ13章17節まで / 沙耶香 |
引用 |
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ミカ書7章1節・・・ ああ、悲しいことだ。 私は夏のくだものを集めるもののよう、 ぶどうの取り残しの実を 取り入れるもののようになった。 もう食べられるふさは一つもなく、 私の好きな初なりのいちじくの実もない。
・・・あまりよく意味が分からないけれど・・ |
No.2081 2007/04/07(Sat) 15:08:41
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