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ルカ9章18節まで / 沙耶香 引用

今日はルカ9章18節までを読みます。

11節の
ところが、多くの群集がこれを知って、ついて来た。それで、イエスは喜んで彼らを迎え、神の国のことを話し、また、いやしの必要な人たちをおいやしになった。
が印象に残りました。特にイエスは喜んで彼らを迎え、神の国のことを話しというところが・・・

体調最悪です。
イエス様どうか私の心と体を癒してください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・

No.1999 2007/03/25(Sun) 18:45:19

Re: ルカ9章18節まで / 昌夫 引用

1−6節で、12使徒は、この時点では、ヨハネの福音書で読んだように、十字架のイエスの死のことをほとんど理解していませんでした。それでも、イエスは12使徒に、悪霊を追い出し、病気を直すための力と権威を与えられ、福音を述べ伝えるようにされました。

9節で、ヘロデ王がヨハネと言っているのは、福音書を書いた使徒のヨハネではなく、バプテスマのヨハネのことなので注意してください。

11−17節は、イエスのされた奇蹟のひとつの「5千人の給食」と呼ばれる奇蹟が書いてあります。

9章は17節までがまとまりのようです。次は9章18節から読み始めると良いと思います。

どうか、イエスさまが全知全能の力で沙耶香さんの心と体を癒してくださいますように。

No.2003 2007/03/26(Mon) 03:43:01

再ルカ9章18節まで / 沙耶香 引用

今日はもう一度ルカ9章18節までを読みます。

ヘロデ王ってよく出てきますね・・・
あ、そうですね・・・ヨハネって二人いたんですよね?うん、何だかごちゃごちゃしてきてわけがわからなくなります。

5千人の給食は前にどこかで読みましたね。確かヨハネじゃなかったかな?

うん、私もルカの最初でページを確認していたんだけれど、何だか区切りが悪いからどうしたのかな?と思っていたんです。
多分次は18〜と書かれていたんでしょうね・・・それを私が勘違いしたのでしょう。
確認しました。そうでした。最低・・・

管理人さんの説明を読んでからもう一度読むと納得するようなことばかり書いていますね・・・
昨日の夜読んだときは、あまりわけがわからず読んでいました。
私も最後の方は、5千人の給食の奇跡のことかな?と思ったんだけれど、でも前にどこかで読んだし、違うことかな?と思っていました。

とにかくイエス様は素晴らしい。この素晴らしい御業で私の体と心を癒してください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・

16節の
するとイエスは、5つのパンと2匹の魚を取り、天を見上げて、それらを祝福して裂き、群集に配るように弟子達に与えられた。
はやはりイエス様の素晴らしい御業ですよね・・・

No.2004 2007/03/26(Mon) 10:15:51

Re: ルカ9章18節まで / 昌夫 引用

16節に代表されるような5千人の給食の奇蹟については、沙耶香さんは以前にヨハネの福音書6章5−14節で読まれました。ルカとは少し視点が違うので、この機会にヨハネ6章をもう一度読んでみられると良いと思います。4つの福音書では、同じ出来事が、4人の著者の違う視点から書かれている部分が多いです。その違いや、共通の点に気をつけることによって、真理に対するより深い理解ができるようになっていきます。

ヨハネ6章では、5千人の給食の奇蹟は、31−32節でイエスが説明しておられるモーセのときのマナに対応します。人々は、この世のことばかりに注目して、15節にあるように、イエスを軍事的な王にしようとしました。しかし、27節にあるように、イエスは、この世のパンではなく、永遠の命にいたる霊的なパンに注目するように教えられたと思います。ヨハネ6章16−21は、「いのちのパンについての講話」と呼ばれますが、イエスが5千人の給食の奇蹟から、この世のパンに注目するのではなく、霊的な永遠の命にいたるパンに注目するように、教えられたと思います。

No.2008 2007/03/26(Mon) 22:05:32

Re: ルカ9章18節まで / 沙耶香 引用

ヨハネ6章をもう一度読みます。昨日の夜にこのレスを見ていたのですが、ヨハネ6章を見るとかなり長いので、辞めてしまったのです。今日は読みます。
読みました。長かったです。
うん、この世的なパンを食べるものはそのときは満腹になるが、結局死ぬが、霊的なパンは永遠の命を与えるということが書いてあると思います。

No.2020 2007/03/28(Wed) 09:13:22
ルカ7章残り / 沙耶香 引用

今日はルカ7章残りを読みます。

38節の
泣きながら、イエスの後ろで御足のそばに立ち、涙で御足をぬらし始め、髪の毛でぬぐい、御足に口付けして、香油を塗った。
が印象に残りました。

50節の
しかし、イエスは女に言われた。「あなたの信仰が、あなたを救ったのです。安心して行きなさい。」
が印象に残りました。
私も自分の信仰で救われるようになるまで信仰を深めないと・・・

No.1980 2007/03/22(Thu) 20:17:44

Re: ルカ7章残り / 昌夫 引用

>私も自分の信仰で救われるようになるまで信仰を深めないと・・・

沙耶香さんは、信仰によって全ての罪を赦されて、イエスさまと個人的な関係を持つようになった、という意味ではすでに救われています。でも、信仰がもっと深まってイエスさまと一体となって、恐れや不安から完全に解放されるという完全な救いに届くのは、まだ先のことだと思います。

ご家族のことですが、僕がキリスト教を馬鹿にしていたとき、息子は僕がキリスト教に興味を持つようになりますように、と祈ってくれました。僕の場合は、息子がそのように祈り初めて一週間もしないうちに、キリスト教に興味を持つようになりました。もっと待たなければならないことも多いと思いますが、息子はとても良い祈りをしてくれたと思います。

どうか、沙耶香さんと僕の信仰を深めてください。沙耶香さんのご家族が、キリストとキリストの教えに興味を持つようになりますように。

No.1981 2007/03/22(Thu) 22:48:18

再ルカ7章残り / 沙耶香 引用

今日はもう一度ルカ7章残りを読みます。

うん、信仰がもっと深まって、早くイエス様と一体になって、恐れや不安から完全に解放されるという完全な救いに届くようになりたいです。

ご子息のお祈りが聞かれて良かったですね・・・
私もずっと前から家族がキリスト教に興味をもち、全員が救われてみなで教会に通えるようにとお祈りしているのですが、なかなかそうはいかないですね・・・
うまくいかないです。辛いです。家族もイエス様に近づいたら、私に対するいじめや蔑みを悔い改めて、私にも少しは温かい心をもてるようになるでしょう。
でも試練ですね・・・

28節に
あなたがたに言いますが、女から生まれたものの中で、ヨハネよりも優れた人は、ひとりもいません。しかし、神の国で一番小さいものでも、彼よりすぐれています。
とあるが、女から生まれた者の中で、ヨハネよりも優れた人はいないってどうしてそんなこと言い切れるのだろうか?

44節の
そしてその女のほうを向いて、シモンに言われた。「この女を見ましたか。わたしがこの家にはいってきたとき、あなたは足を洗う水をくれなかったが、この女は、涙でわたしの足をぬらし、髪の毛でぬぐってくれました。
が印象に残りました。

No.1982 2007/03/23(Fri) 09:23:00

Re: ルカ7章残り / 昌夫 引用

>女から生まれた者の中で、ヨハネよりも優れた人はいないってどうしてそんなこと言い切れるのだろうか?

人間に言い切れることではないので、イエスさまが神のことばとして言い切っておられると思います。

No.1984 2007/03/23(Fri) 21:45:46

Re: ルカ7章残り / 沙耶香 引用

えーー?じゃ人間は女から生まれてくるので、ヨハネよりも優れた人はいないのかな?うーん・・・不思議だ。でも御言葉は真実だから・・・

No.1988 2007/03/24(Sat) 10:38:04

Re: ルカ7章残り / 昌夫 引用

>じゃ人間は女から生まれてくるので、ヨハネよりも優れた人はいないのかな?

沙耶香さんが以前に読まれた、ヨハネの福音書の3章1−8節で、神の国に入る人は御霊によって新しく生まれるということを読みましたね。御霊から生まれるということと、女から生まれるということは、どういう関係があると思いますか?

No.1994 2007/03/25(Sun) 04:39:09

Re: ルカ7章残り / 沙耶香 引用

どういう関係??関係はわからないけれど、この世の中に生を持つときは女から生まれてきます。神の国に入る人は御霊によって新しく生まれます。うーん、あまり考えていると混乱してきます。

No.1997 2007/03/25(Sun) 08:01:04

Re: ルカ7章残り / 昌夫 引用

人間はキリストを信じると、御霊によって新しく生まれ変わるとうことに注意しながら、ルカ7章28節をゆっくり声に出して読んでみてください。以前と違った感じを受けませんか?

No.2002 2007/03/26(Mon) 03:32:26

Re: ルカ7章残り / 沙耶香 引用

あ、そうですね・・・御霊によって古い自分は過ぎ去り、新しい自分に生まれ変わると聖書のどこかに書いてあったような気がします。
ルカ7章28節・・・声に出して読みましたが、あまり違った感じは分からないです。
低知能でごめんなさい。キリストを信じると、御霊によって新しく生まれ変わるということと、28節の
あなたがたに言いますが、女から生まれた者の中で、ヨハネよりもすぐれた人は、ひとりもいません。しかし、神の国で一番小さいものでも、彼よりすぐれています。
とどういう関係があるのでしょうか?
何だか余計に分からなくなるんだけれど・・・

No.2005 2007/03/26(Mon) 10:23:06
ルカ8章残り / 沙耶香 引用

今日はルカ8章残りを読みます。

29節の
それは、イエスが、汚れた霊に、この人から出て行け、と命じられたからである。汚れた霊が何回となくこの人を捕えたので、彼は鎖や足かせでつながれて看視されていたが、それでもそれらを断ち切っては悪霊によって荒野に追いやられていたのである。
はどういう意味だろうか?なんかつかめない。

30節の
イエスが、「何という名か。」とお尋ねになると、「レギオンです。」と答えた。悪霊が大勢彼に入っていたからである。
のレギオンですといっている人は、27節に出てきた、悪霊にとりつかれている男だろうか?

31節に
悪霊どもはイエスに、底知れぬところに行け、とはお命じになりませんようにと願った。
とあるが、悪霊どもがそう願ったことなんてどうして分かるのだろうか?

33節に
悪霊どもは、その人から出て、豚にはいった。すると、豚の群れはいきなりがけを駆け下って湖にはいり、おぼれ死んだ。
とあるが、悪霊って人以外でも入れるんだったの?

37節に
ゲラサ地方とありますが、前に聖書の後ろの地図で確認したことあります。

48節の
そこで、イエスは彼女に言われた。「娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。安心して行きなさい。」
が印象に残りました。

No.1990 2007/03/24(Sat) 21:33:22

Re: ルカ8章残り / 昌夫 引用

27−39節で、悪霊につかれていた男には、たくさん悪霊が入っていました。レギオンとはローマの6千人の軍団なので、6千くらいの悪霊が入っていたのかもしれません。この悪霊たちは、ひとつの軍団のような意思を持っていたようで、ひとつのレギオンとして男を通して話しました。

28−29節は、時間的に順序だてて書いていないので分かりにくいかもしれません。レギオンは、これまでに、何回もこの男を捕らえてあばれさせていました。それで、町の人たちは、男があばれないように、鎖や足かせでつないで監視していました。男は、鎖や足かせを断ち切って、レギオンによって、荒野に追いやられ、墓場に住んでいました。

この男がイエスに出あい、イエスは、その男から出ていくようにレギオンに命令されました。それで、レギオンは、男の口を使って28節にあるように、「どうか私を苦しめないでください。」というようなことを言いました。

30節で「レギオンです。」と答えたのは、男の口を使って悪霊たちが答えました。

31節で、やはり男の口を使って、レギオンが「底知れぬ所に行け、とはお命じになりませんように。」と言ったと思います。

33節は、悪霊どもは豚に入ったとあるのだから、人以外でも入れるのだと理解できます。悪霊のことなど、霊的なことは、僕たちにはほとんど確かなことは分かりません。聖書に書いてあることが一番確かなことです。

No.1995 2007/03/25(Sun) 04:54:50

再ルカ8章残り / 沙耶香 引用

今日はもう一度ルカ8章残りを読みます。

レギオン=ローマの6千人の軍団。
えーー悪霊たちが話すの?霊が話すなんて面白いですね・・・男の口を使って・・?霊が乗り移るのだろうか?何だかよく分からないですね・・・
御伽噺みたいな世界ですね・・・

35節の
人々が、この出来事を見にきて、イエスの側に来たところ、イエスの足元に、悪霊の去った男が着物を着て、正気に返って、すわっていた。人々は恐ろしくなった。
が印象に残りました。

44節の
イエスのうしろに近寄って、イエスの着物のふさにさわった。すると、たちどころに出血が止まった。
が印象に残りました。

55節の
すると、娘の霊が戻って、娘はただちに起き上がった。それでイエスは、娘に食事をさせるように言いつけられた。が印象に残りました。

No.1996 2007/03/25(Sun) 07:58:35

Re: ルカ8章残り / 昌夫 引用

霊の世界のことは、人間にはよく分かりません。でも、昔の人々は、霊の世界のことを、少なくとも現代の人々よりは、よく理解していたように思います。そういう理解が、御伽噺ができるときに使われたと思います。

No.2000 2007/03/26(Mon) 03:18:31
ルカ6章残り / 沙耶香 引用

今日はもう一度ルカ6章残りを読みます。

27節の
しかし、今聞いているあなたがたに、わたしはこう言います。あなたの敵を愛しなさい。あなたを憎むものに善を行いなさい。
が印象深いですね・・・特に貴方を憎むものに善を行いなさいというのが印象的です。

38節の
与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人々は量りをよくして、押し付け、揺すりいれ、あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。あなたがたは、人を量る量りで、自分もはかり返してもらうからです。
はどういう意味だろうか?

45節の
良い人は、その心のよい倉から良いものを出し、悪い人は悪い倉から悪いものを出します。なぜなら人の口は、心に満ちているものを話すからです。
はどういう意味だろうか?

No.1973 2007/03/20(Tue) 19:50:48

再ルカ6章残り / 沙耶香 引用

今日はもう一度ルカ6章残りを読みます。

28節に
あなたをのろう者を祝福しなさい。あなたを侮辱するもののために祈りなさい。
とあります。でも私はあまりにものろう者、侮辱するものが多すぎて・・・誰に対して祈っていいのか分からないくらいだけれど・・・まず、手近にいる家族から祈ります。

天のお父様、どうか私をいじめて蔑んでくる父をはじめ母、妹の心を変えてください。みなが罪を悔い改め、イエス様に近づいてきますように。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・

35節の
ただ、自分の敵を愛しなさい。彼らによくしてやり、返してもらうことを考えずに貸しなさい。そうすれば、あなたがたの受ける報いはすばらしく、あなたがたは、いと高き方の子供になれます。なぜなら、いと高き方は、恩知らずの悪人にも、あわれみ深いからです。
が印象に残りました。

37節の
さばいてはいけません。そうすれば、自分もさばかれません。人を罪に定めてはいけません。そうすれば、自分も罪に定められません。赦しなさい。そうすれば自分も赦されます。
が印象に残りました。

No.1974 2007/03/21(Wed) 11:18:08

Re: ルカ6章残り / 昌夫 引用

僕は子どものころからずっとキリスト教を馬鹿にしていたのですが、4年くらい前の今ごろ、 35節にある「自分の敵を愛しなさい。」とイエスさまが言われたことが、テロなどの憎しみに満ちたこの世で唯一の救いであると考えました。それで聖書を生まれて初めて買って、その40日後にイエスさまを信じるようになりました。31節も印象的です。

38節は、一升というような量で料金が決まっている小麦のような穀物を買うところを想像してください。与える人に対し、売る人がサービスで、たくさんいれて、同じ料金で売ってくれています。このように、神さまは与える人に報いられますが、人間を使って報われることが多いです。

沙耶香さんが、人のために祈られるとき、時間を人に与えているので、神さまがいろいろな方法を使って報いてくださると信じます。

45節は、心を良い思いで満たしていると、口からも良いことばを出すし、逆のこともある、ということだと思います。沙耶香さんが、迫害してくるご家族の祝福を祈って心に良いものをためられるとき、口からも良いことばが出る、ということを神さまが用いて祝福してくださると信じます。

No.1976 2007/03/22(Thu) 05:37:41

Re: ルカ6章残り / 沙耶香 引用

家庭内は本当にすさまじい状況にあります。イエス様助け出してください。
家族もキリスト教を馬鹿にしています。イエス様を信じるようになると少しはましな家族となると思うのです。家族のものがイエス様を信仰しますように。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・

うん、自分の敵を愛しなさい、自分にしてもらいたいと望むとおりに人にもしなさい、うん、そうですよね?イエス様いいこと言いますね。

家族の祝福を祈って心によいものをためるとき、口からもよい言葉が出る・・・・うん、よい言葉が出たらいいんだけれど・・・私は口下手だからなかなか良いものとは程遠いかもしれない。でもイエス様が導いてくださると信じます。

No.1979 2007/03/22(Thu) 10:11:25
ルカ7章25節まで / 沙耶香 引用

今日はルカ7章25節までを読みます。

苦しい。苦しい。体調最悪、精神状態最悪、辛い。その上家の中ではいじめや蔑みがひどい。人間扱いされていない。動物以下だから・・・ため息ため息・・・辛い。イエス様どうか救いの手を差し伸べてください。

22節の
そして、答えてこういわれた。「あなたがたは行って、自分たちの見たり聞いたりしたことをヨハネに報告しなさい。盲人が見えるようになり、足なえが歩き、らい病人がきよめられ、つんぼの人が聞こえ、死人が生き返り、貧しい者に福音が述べ伝えられています。
が印象に残りました。

No.1975 2007/03/21(Wed) 19:45:48

Re: ルカ7章25節まで / 昌夫 引用

詩篇22篇6−8節で、ダビデが人間あつかいされていなかったところを思い出しました。

詩篇22篇21節にあるように、神さまが沙耶香さんに答えて救い出してくださることを信じて感謝します。

No.1977 2007/03/22(Thu) 05:41:25

再ルカ7章25節まで / 沙耶香 引用

詩篇22章6―8節・・・
しかし、私は虫けらです。人間ではありません。人のそしり、民のさげすみです。私を見るものはみな、私をあざけります。彼らは口をとがらせ、頭を振ります。「主に身を任せよ。彼が助け出したらよい。彼に救い出させよ。彼のお気に入りなのだから。」

詩篇22章21節・・・
私を救ってください。獅子の口から、野牛の角から。

いや、本当に救い出してくださると信じて期待して感謝します。

今日はもう一度ルカ7章25節までを読みます。

14節の
そして近寄って棺に手をかけられると、かついでいた人たちが立ち止まったので、「青年よ。あなたに言う、起きなさい。」といわれた。
と続く15節の
すると、その死人が起き上がって、ものを言い始めたので、イエスは彼を母親に返された。
が印象に残りました。

No.1978 2007/03/22(Thu) 10:04:05
ルカ3章残り&4章14節まで / 沙耶香 引用

今日はルカ3章残りを読みます。

もーーー○○の子の連続で意味不明・・・・これはさかのぼってとあるが、ヨセフの先祖を羅列しているのだろうか?・・・分からない・・・

6節の
こう言った。「この、国々のいっさいの権力と栄光とをあなたに差し上げましょう。それは私に任されているので、私がこれと思う人に差し上げるのです。
の中のあなたとは誰でしょうか?

No.1944 2007/03/15(Thu) 20:31:52

Re: ルカ3章残り&4章14節まで / 昌夫 引用

ルカ3章23−38節は、イエスの家系で、ヨセフから始めて、先祖をたどって、最初の人間であるアダムまでさかのぼっています。31節にあるダビデ、34節にある、ヤコブ、イサク、アブラハムの名前は、沙耶香さんの読まれた詩篇に出てきました。

4章6節では、悪魔がイエスを誘惑して父なる神に逆らわせようとしています。だから「あなた」とはイエスのことです。

No.1947 2007/03/16(Fri) 04:57:20

再ルカ3章残り&4章14節まで / 沙耶香 引用

何で聖書の箇所で先祖をたどって名前を羅列しているんだろうか?
それだけ重要な人物達なのだろうか?それだったら、みんな重要な人物なのではないだろうか?

6節の中で私を拝むならの私の方がイエス様だと思っていました。じゃこの私とは悪魔のことですか?

No.1948 2007/03/16(Fri) 11:03:37

Re: ルカ3章残り&4章14節まで / 昌夫 引用

羅列というのは、意味なく、並べることですが、聖書に意味のないことというのはないと思います。23節にあるように、イエスの先祖を「順次さかのぼって」書いてあります。

人間は皆、神のかたちに造られたという意味で重要ですが、聖書に名前が書いてあるということは、別の意味での重要性があるということだと思います。どういう意味で重要なのかは、人間には必ずしも明らかではありません。

ここで名前のあがっている人たちは、聖書のほかの部分には記述の全くない人たちが多いです。そういう人たちの名前をここであげることによって、無名な人たちも、イエスの先祖となるという大きな働きをした、ということが重要なのかもしれません。

4章1−13節は、悪魔がイエスを誘惑しようとしていますから、悪魔が話しているのか、イエスが話しているのか、注意して読む必要があります。5節で、「悪魔は」とあるので、6節で話しているのは悪魔です。だから、6節の「私」とは悪魔のことです。

No.1966 2007/03/19(Mon) 22:28:24

Re: ルカ3章残り&4章14節まで / 沙耶香 引用

そうですね・・・・順次さかのぼって書いているので、羅列とは違うかもしれないですね・・・
日本語って非常に難しいですね。

そうですね・・・悪魔とイエスは正反対のものなのに、取り違えたら大変なことになります。

No.1972 2007/03/20(Tue) 12:53:18
ルカ4章残り / 沙耶香 引用

今日はルカ4章残りを読みます。

23節の
イエスは言われた。「きっとあなたがたは、「医者よ。自分を直せ。」というたとえを引いて、カペナウムで行われたと聞いていることを、あなたの郷里のことでもしてくれ、と言うでしょう。」
の中のカペナウムは、聖書の最後の地図で見たことあります。

39節の
イエスがその枕もとに来て、熱をしかりつけられると、熱がひき、彼女はすぐに立ち上がって彼らをもてなし始めた。
が印象に残りました。イエスの御業は素晴らしいですね・・・

No.1950 2007/03/16(Fri) 20:53:13

Re: ルカ4章残り / 昌夫 引用

39節は、イエスさまが「熱をしかりつけられ」た、ことが印象的です。イエスさまは、熱もしかりつける権威を持っておられて、どんな病気でも癒す力を持っておられることを信じて賛美します。

No.1952 2007/03/17(Sat) 04:57:41

再ルカ4章残り / 沙耶香 引用

うん、熱をしかりつけるってすごいですね・・・そんなことできるお方はこの世の中でイエス様のみです。

18節に
「わたしの上に主の御霊がおられる。
主が、貧しい人々に福音を伝えるようにと、
わたしに油を注がれたのだから。
主はわたしを遣わされた。
捕われ人には赦免を、
盲人には目の開かれることを告げるために。
しいたげられている人々を自由にし、
とありますが、貧しい人々に福音を伝えるようにって裕福な人には福音は伝えないんですか?それとも弱っている人に手を差し伸べるようにということを強調しているんだろうか?

24節に
また、こういわれた。「まことに、あなたがたに告げます。預言者はだれでも、自分の郷里では歓迎されません。
とありますが、何でだろうか?

40節の
日が暮れると、いろいろな病気で弱っている者を抱えた人たちがみな、その病人をみもとにつれてきた。イエスはひとりひとりに手を置いて、いやされた。
が印象に残りました。

No.1953 2007/03/17(Sat) 10:36:54

Re: ルカ4章残り / 昌夫 引用

18節ですが、「貧しい人々」とは、霊的に自分が貧しくて神が必要と知った人々のことだと思います。自分には神が必要ないほど、霊的に裕福だと思っている人に、いくら福音を伝えても、彼らは聞こうとしません。

霊的に貧しいということと経済的に貧しいということは、同じことではありません。ただ、経済的に貧しい人々は、裕福な人々に比べて、自分に神が必要なことを知りやすい面があると思います。ただし、経済的に裕福でなくとも、自分は良い人間なので神は必要ないと思っている人々は、「霊的に貧しい」人ではないので、福音を伝えても聞こうとしません。反対に、経済的に裕福でも、自分には神が必要と知っている人たちもいます。

24節は、同じようなことが、沙耶香さんの読まれたヨハネ4:44にもありました。この機会にヨハネ4章43−54節を読みかえしてみることをお奨めします。預言者の郷里の人たちは、預言者がまだ成長していない子どものときのことなど、普通に見える面も知っています。それで、ある意味で自分と同じように普通と思っている人が、神の特別な預言者であることを、受け入れるのが難しいのだと思います。神はイスラエルに預言者を何人も送られたのですが、郷里であるイスラエルの人たちは、預言者たちを迫害しました。

No.1955 2007/03/17(Sat) 21:56:41

Re: ルカ4章残り / 沙耶香 引用

>>ただし、経済的に裕福でなくとも、自分は良い人間なので神は必要ないと思っている人々は、「霊的に貧しい」人ではないので、福音を伝えても聞こうとしません。反対に、経済的に裕福でも、自分には神が必要と知っている人たちもいます。

これ、どこかで聞いたような気がしますね・・・笑・・・私のことをいわれているのだろうか?
でも私はよい人間なので、神は必要ないとは思っていません。私は罪深い罪びとです。

ヨハネ4章43―54節・・・読みました。
44節・・・・イエスご自身が、「預言者は自分の故郷では尊ばれない。」と証言しておられたからである。
うーん、なかなか難しいですね・・・ま、故郷では普通の人だという思いがあるのかもしれないですね・・・

No.1958 2007/03/18(Sun) 07:22:06

Re: ルカ4章残り / 昌夫 引用

>でも私はよい人間なので、神は必要ないとは思っていません。私は罪深い罪びとです。

沙耶香さんは、他の人と比べて、とても善い人間であると思いますが、沙耶香さんが自分を善い人間と思っていたら、イエスさまの救いを受け入れることができなかったですね。

自分のためにイエスさまが十字架にかかってくださったほど、自分は神さまに愛されて赦されるということを、知ったら、後は、自分がイエスさまに比べていかに罪深い人間か、徹底的に知った方が、イエスさまに近づいていけると思います。

No.1960 2007/03/18(Sun) 22:25:34

Re: ルカ4章残り / 沙耶香 引用

そうなんですよね?そういうことをすごく考えたほうがいいですよね・・・
世間の人も家族も自分はいい人だ、お前は愚かで馬鹿で、駄目なやつだと言いますが、でもみんな同じなんですよね?イエス様に比べたら愚かで馬鹿で駄目なんですよ。自分はいい人だからと人を見下すとイエス様には到底近づけません。

No.1964 2007/03/19(Mon) 12:07:18

Re: ルカ4章残り / 昌夫 引用

>そういうことをすごく考えたほうがいいですよね

信仰者は、神の愛を知っているので、自分の罪について徹底的に考えると良いと思います。信仰を持っていない人たちは、神も神の愛も知らないのだから、「あなたは神に対して罪を犯している」と僕たちが言っても、何の話か分かりようがないと思います。僕たち信仰者は、まず、信仰を持っていない人々に、神の無条件の愛を表す行動をすることが、とても大切だと思います。

No.1967 2007/03/19(Mon) 22:36:11

Re: ルカ4章残り / 沙耶香 引用

ふーん、信仰者は自分の罪について徹底的に考えるほうがいいんだ。私は罪深い罪びとで、とんでもない人間です。でもイエス様だけただ一人神の無条件の愛で愛してくれました。

No.1971 2007/03/20(Tue) 12:48:54
ルカ6章24節まで / 沙耶香 引用

今日はルカ6章24節までを読みます。

1節に
ある安息日に、イエスが麦畑を通っておられたとき、弟子たちは麦の穂を摘んで、手でもみだしては食べていた。
2節に
すると、あるパリサイ人たちが言った。「なぜ、あなたがたは、安息日にしてはならないことをするのですか。」
とあるが、麦の穂を摘んで、手で揉みだしては食べることが安息日にしてはならないことなの?不思議だ。

20節の
イエスは目を上げて弟子達を見つめながら、話し出された。「貧しいものは幸いです。神の国はあなたがたのものですから。いま飢えているものは幸いです。あなたがたは、やがて飽くことができますから。
いま泣いているものは幸いです。あなたがたは、いまに笑うようになりますから。
が印象に残りました。
私たち弱者には嬉しい御言葉です。感謝します。

No.1965 2007/03/19(Mon) 20:31:19

Re: ルカ6章24節まで / 昌夫 引用

1−2節は、モーセの律法に関することです。まず、申命記23:25で、他人の麦畑でかまを使ってはいけないけれど、穂を手で摘んで良いことが定められています。

次にモーセの律法の中でも特に重要な十戒を見ると、出エジプト記20:8−11の第4戒に、安息日には「どんな仕事もしてはならない。」とあります。パリサイ人たちは、「麦の穂を手でもみ出す」ことを、「仕事」と解釈していたようです。だから、パリサイ人たちは、イエスの弟子たちが安息日の定めを守っていない、と解釈しました。

このパリサイ人たちのように、自分たちの聖書解釈を神のみことばと同一視して、人の行動をさばこうとすることは、今でも多くのクリスチャンたちがしていることだと思います。そういうことをしないように十分に注意することが必要だと思います。

No.1969 2007/03/19(Mon) 22:50:47

再ルカ6章24節まで / 沙耶香 引用

今日はもう一度、ルカ6章24節までを読みます。

申命記23章25節・・・
隣人の麦畑の中にはいったとき、あなたは穂を手で摘んでも良い。しかし、隣人の麦畑でかまを使ってはならない。

出エジプト記20章8―11節・・・
ふーん、どんな仕事もしてはならない安息日・・・

うん、でも人間は愚かで思い込みの生き物だから、思い込んで人の行動を裁くことをしています。
本当の御心を知るというのは実に難しい。

5節の
そして、彼らに言われた。「人の子は、安息日の主です。」の安息日の主ってなんだろうか?
脚注読んでも今一つかめない。

No.1970 2007/03/20(Tue) 12:46:11
ルカ5章残り / 沙耶香 引用

今日はルカ5章残りを読みます。

24節の
人の子が地上で罪を赦す権威を持っている事を、あなたがたに悟らせる為に。」と言って、中風の人に、「あなたに命じる。起きなさい。寝床をたたんで、家に帰りなさい。」といわれた。と
25節の
すると彼は、たちどころに人々の前で立ち上がり、寝ていた床をたたんで、神をあがめながら自分の家に帰った。
が印象に残りました。

39節に
また、だれでも古いぶどう酒を飲んでから、新しい物を望みはしません。「古い物は良い。」と言うのです。
はどういう意味だろうか?古い物のほうがいいのかな?私はお酒は飲まないから分からないけれど・・・

No.1959 2007/03/18(Sun) 22:12:05

Re: ルカ5章残り / 昌夫 引用

39節を理解するためには、33−38節を理解することが必要だと思います。

33節で、パリサイ人たちは、イエスの弟子たちが断食をしないことを批判しています。パリサイ人たちは、ルカ18:12によると週に2回断食していたようです。

34−35節で、イエスは自分が花婿としてこの世にいる間は、弟子たちは断食しないが、イエスが死んで天に取り去られた後は、断食するようになることを説明しています。

36節で、新しい着物とは、イエスの新しい教えのことだと思います。古い着物とは、断食などのいろいろな当時のイスラエルの教えだと思います。当時のイスラエルの教えに、イエスの教えをつぎたしても、問題は解決しせず、全く新しいイエスの教えに従っていく必要があることをイエスが教えておられると思います。

37−38節も、36節と似ていますが、ぶどう酒ということで、イエスの教えは、ルカ22:20にある、神と人間との新しい契約につながっていきます。古いぶどう酒はモーセの律法に基づいた、神とイスラエルとの契約に関わる、当時の教えだと思います。

39節ですが、普通には古いぶどう酒のほうが新しいぶどう酒よりもおいしいことが多いのです。それで、「ふるい物は良い。」という人が多いです。でも、ぶどうのできなどによって、新しいぶどう酒のほうが、古いぶどう酒よりも良いこともありえます。そういうときも、「ふるいぶどう酒のほうが新しいぶどう主よりも良い」という思い込みに支配されている人たちは、新しいぶどう酒を飲もうとはしません。39節で、イエスは、古い教えのほうが良いという思い込みに支配されず、イエスの新しい教えを聞くように薦めていると思います。

No.1962 2007/03/18(Sun) 22:53:58

再ルカ5章残り / 沙耶香 引用

花粉症が一時落ち着いていたのに、また再発しだしました。もう最悪・・・

今日はもう一度ルカ5章残りを読みます。

新しい着物、古い着物・・・これがイエス様の教えと呼応しているなんて不思議ですね・・・

えーー?イエス様の教えに古い教え、新しい教えとあるんですか?うーん?分からない・・・

17節の
ある日のこと、イエスが教えておられると、パリサイ人と律法の教師たちも、そこにすわっていた。彼らは、ガリラヤとユダヤとのすべての村々や、エルサレムから来ていた。イエスは、主の御力をもって、病気を治しておられた。
が印象に残りました。特に主の御力をもって、病気を治しておられたが印象に残りました。

31節の
そこで、イエスは答えて言われた。「医者を必要とするのは丈夫なものではなく、病人です。と
32節の
わたしは正しい人を招くためではなく、罪びとを招いて、悔い改めさせる為に来たのです。」
が印象に残りました。

No.1963 2007/03/19(Mon) 12:03:07

Re: ルカ5章残り / 昌夫 引用

>イエス様の教えに古い教え、新しい教えとあるんですか?

いえ、新しい着物=イエスの教え、古い着物=当時のイスラエルの教え、と呼応させて考えると良いと思います。

No.1968 2007/03/19(Mon) 22:39:26
ルカ5章16節まで / 沙耶香 引用

今日はルカ5章の16節までを読みます。

10節に
シモンの仲間であったゼベダイの子ヤコブやヨハネも同じであった。イエスはシモンにこういわれた。「こわがらなくてもよい。これから後、あなたは人間をとるようになるのです。」とあるが、人間をとるようになるってどういうことだろうか?何だか意味深だ。

13節の
イエスは手を伸ばして、彼にさわり、「わたしの心だ。きよくなれ。」といわれた。すると、すぐに、そのらい病が消えた。
が印象に残りました。

No.1954 2007/03/17(Sat) 20:20:13

Re: ルカ5章16節まで / 昌夫 引用

10節の「人間をとる」ということについては、いろいろな解釈が学者の間でもあるようです。僕の考えでは、「人間をとる」とは、神の聖い愛から逃げまわっている人間を、信仰者が自分にいただいた神の愛でとらえて、神の方を向くようにする、ということだと思います。

釣り人になって、人を神の愛でとらえるということで、とても良いイメージが「ぼくにげちゃうよ」というマーガレット・ワイズ・ブラウンの絵本にあります。関係のあるところだけを紹介します。

また少し大きくなったうさぎの子。
いたずらっぽく、「ぼく、お母さんから逃げていくよ」
と言います。
「あなたが逃げていくなら追いかけますよ」とお母さん。

うさぎの子は「だったら、ぼくは魚になって泳いで逃げるよ」
するとお母さんは「それなら私は釣り人になって、あなたを捕まえますよ」

罪の魅力に誘われて魚のように逃げていた僕たちを、釣り人になって見つけて捕まえてくださった神さまに感謝します。

No.1956 2007/03/17(Sat) 22:14:22

再ルカ5章16節まで / 沙耶香 引用

うわっ・・・このマーガレット・ワイズ・ブラウンという絵本の比喩ってすごい面白いというか、ユニークですよね?うん、なかなかついている。

8節の
これを見たシモン・ペテロは、イエスの足元にひれ伏して、「主よ。私のようなものから離れてください。私は、罪深い人間ですから。」と言った。
が印象に残りました。

11節に
彼らは、船を陸につけると、何もかも捨てて、イエスに従った。
とあるが、何もかも捨ててイエスに従ったっていうのがいいですね・・・イエスはそれだけの価値あります。最高峰イエス様・・・

16節に
しかし、イエスご自身は、よく荒野に退いて祈っておられた。
とありますが、このように謙虚な姿勢が素晴らしいですね・・・

No.1957 2007/03/18(Sun) 07:06:21

Re: ルカ5章16節まで / 昌夫 引用

>このマーガレット・ワイズ・ブラウンという絵本の比喩ってすごい面白いというか、ユニークですよね?

神さまはすべてのものを造られたし、子どものような心を大切にされるので、とても子どもに読めない難しい神学の本よりも、幼児向けの絵本から僕たちに語ってくださることが多いのかもしれません。

No.1961 2007/03/18(Sun) 22:28:28
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