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今日はヨハネ3章21節までを読みます。
6節の 肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。 が印象に残りました。
17節の 神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。 が印象に残りました。
続く、18節の 御子を信じる者はさばかれない。信じない者は神のひとり子の御名を信じなかったので、すでにさばかれている。 も印象に残りました。
17,8節では、救い主イエス様がこの世に遣わされたのは主の哀れみによってであり、決して裁きの姿勢ではないということが語られてきました。 |
No.1861 2007/03/02(Fri) 20:19:15
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☆ Re: ヨハネ3章21節まで / Aja |
引用 |
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16節、17節 裁くためでなく救うため、という言葉が印象に残りますね。
日本人の考える「神様」って、悪いことをしたら罰を与えるとか裁かれるとか、そういうイメージが強いように思います。 子供の頃、何か嫌なことがあると「私が前に悪いことをしたせいだ」と感じていたこともありました。
でも聖書の神様は裁くためでなく救うために私達に近づこうとされるのですね。 「神はわたしたちの心よりも大きく、すべてをご存じである」とか「神の前では隠されたものは何もなく、すべてがさらけだされている」という聖句を読むと「正しくあらねば」と思ってしまったりしていたのですが、先日牧師が「神様がすべてご存じだというのはキリスト者にとって安心することだと思います。神は裁きのまなざしで見てはいないからです。」と言っていて本当にそうだなと思いました。 |
No.1862 2007/03/02(Fri) 21:36:07
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Ajaさん、かなりお久しぶりですね・・・元気でしたか?掲示板であえて嬉しいです。
イエス様の哀れみ深さに感動しますね・・・ |
No.1866 2007/03/03(Sat) 09:26:37
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