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今日はヨハネの福音書13章残りを読みます。
20節の まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしの遣わす者を受け入れるものは、わたしを受け入れるのです。わたしを受け入れるものは、わたしを遣わした方を受け入れるのです。 が印象に残ったというか、三位一体の神様という感じでいいですよね・・・
31節の ユダが出て行ったとき、イエスは言われた。「今こそ人の子は栄光を受けました。また、神は人の子によって栄光をお受けになりました。 と続く、32節の 神が、人の子によって栄光をお受けになったのであれば、神も、ご自身によって人の子に栄光をお与えになります。しかも、ただちにお与えになります。 はどういう意味だろうか?うーん???何でユダが出て行ったときに、人の子が栄光を受けるのだろうか?何だか意味不明である。
続く、33節の 子供達よ。わたしはいましばらくの間、あなたがたと一緒にいます。あなたがたはわたしを探すでしょう。そして、「わたしが行くところへは、あなたがたはくることができない。」とわたしがユダヤ人たちに言ったように、今はあなたがたにも言うのです。 も意味がわからない。情景が見えない。
36節に シモン・ペテロがイエスに言った。「主よ。どこにおいでになるのですか。」イエスは答えられた。「わたしが行くところに、あなたは今はついてくることができません。しかし後にはついてきます。」 とあるが、どういう意味だろうか?今はついてくることができないけれど、後にはついてくるところ???どこだろうか?天国のことだろうか?
37節の ペテロはイエスに言った。「主よ。なぜ今はあなたについていくことができないのですか。あなたのためにはいのちも捨てます。」 はどういうことだろうか?だってペテロは裏切り者でしょ?あ・・・違うのか。裏切り者はユダだった。あーもー何が何だか分からない・・・・
38節の イエスは答えられた。「わたしのためにはいのちも捨てる、というのですか。まことに、まことに、あなたに告げます。鶏が鳴くまでに、あなたは3度わたしを知らないと言います。」はどういう意味だろうか?ペテロがイエスのために命を投げ出すというのはうそだということなのかな |
No.1729 2007/02/15(Thu) 12:40:17
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今日はもう一度ヨハネ13章残りを読みます。
21節の イエスは、これらのことを話されたとき、霊の激動を感じ、あかしして言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたの一人が、わたしを裏切ります。」が印象に残りました。 得に霊の激動を感じたというところが・・・・
後半は分からないところが多くて、もう一度読んでも分からなくて何だか掴み取れない。 |
No.1732 2007/02/15(Thu) 21:13:17
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☆ Re: ヨハネ13章残り / 昌夫  |
引用 |
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12章では、20−22節で異邦人がイエスのところに来たことが引き金となって、イエスが「人の子が栄光を受けるその時が来ました。」と宣言されました。31節では、ここでは、さらにユダが出て行ったことによって、ユダの裏切りによって、イエスが捕らえられ十字架にかけられるという一連の出来事が始まったので、「神は人の子によって栄光をお受けになりました」と言われと思います。
32節で、「ただちに」とあるのは、十字架の時のことだと思います。十字架にイエスが上げられたとき、この世的には最悪の恥辱を受けられたけれども、神の国での最高の栄光を、同時に受けられたということだと思います。
33節では、イエスがもうすぐ天国に昇られるので、すぐには、弟子たちはそこに行くことはできないことを言われたと思います。弟子たちは、まだイエスとともに十字架にかけられて、天国で栄光を受けるだけの心の準備ができていないので、その意味では、7章33−34節と8章21節でのユダヤ人のリーダーたちと変わらない面がある、いうことだと思います。
36節で、イエスは、ペテロが、今はまだイエスについてきて十字架に一緒にかかって天国の栄光を受けることができないが、後になって、ペテロはそれだけの信仰を持つようになることを言っておられると思います。
37−38節で、ペテロは12弟子のリーダーであることを覚えておいてください。意識の上では、ペテロはイエスのためにいのちを捨てることができると思っていたと思います。しかし、本当にイエスが捕らえられたとき、ペテロはイエスのためにいのちを捨てるどころか、イエスを知らないと3度も言ってしまいました。人間は意識ではできると思っていることも、できないことが多いです。ある意味では、ペテロはイエスに嘘を言ったことになります。イエスはそのことを知っていながら、ペテロを愛してリーダーに選んでおられました。ここでヨハネ18章16−18節と25−27節を読んで、イエスが捕らえられたときに、ペテロがイエスの弟子ではないと言ってしまったことを読んでおいてください。次にヨハネ21章15−19節を読んでみてください。イエスを3知らないと言ってしまったペテロが、復活されたイエスに「わたしを愛しますか」と聞かれたとき、「私はあなたを愛します。」とは言えずに「私があなたを愛することは、あながご存知です。」と言った気持ちを思います。沙耶香さんは、彼がどういう気持ちだったと思いますか? |
No.1734 2007/02/16(Fri) 04:13:55
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ヨハネ18章16―18節・・・ しかし、ペテロは外で門のところに立っていた。それで、大祭司の知り合いである、もうひとりの弟子が出てきて、門番の女に話して、ペテロを連れて入った。 すると、門番のはしためがペテロに、「あなたもあの人の弟子ではないでしょうね。」と言った。ペテロは、「そんなものではない。」といった。 寒かったので、しもべたちや役人たちは、炭火をおこし、そこにたって温まっていた。ペテロも彼らといっしょに、たって温まっていた。
25―27節・・・ 一方、シモン・ペテロは立って、温まっていた。すると人々は彼に言った。「あなたもあの人の弟子ではないでしょうね。」ペテロは否定して、「そんなものではない。」と言った。 大祭司のしもべのひとりで、ペテロに耳を切り落とされた人の親類に当たる者が言った。「私が見なかったとでも言うのですか。あなたはそのであの人といっしょにいました。」 それで、ペテロはもう一度否定した。するとすぐ鶏が鳴いた。
ヨハネ21章15―19節・・・ 読みました。 うーん、私はペテロが実行できなくても意識の中ではイエスのためにCENSOREDると思っていたことを知っているでしょ?と言いたいのだと思います。 |
No.1735 2007/02/16(Fri) 11:53:08
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☆ Re: ヨハネ13章残り / 昌夫  |
引用 |
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>うーん、私はペテロが実行できなくても意識の中ではイエスのためにCENSOREDると思っていたことを知っているでしょ?と言いたいのだと思います。
なるほど、21章15-16節の興味深い読み方だと思います。たぶん、これからヨハネの福音書読み進んでいって、21章を読むときには、沙耶香さんが別の感じを持って読まれるような気がします。楽しみにしておきます。 |
No.1736 2007/02/16(Fri) 12:05:44
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えーー?そんな風に言われるとわけがわからなくなります。だっていろんな読み方があるんだったら、何が言いたいのかさっぱり分からないじゃないですか? うーん、またまた混乱してきます。 |
No.1742 2007/02/16(Fri) 21:17:50
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☆ Re: ヨハネ13章残り / 昌夫  |
引用 |
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>だっていろんな読み方があるんだったら、何が言いたいのかさっぱり分からないじゃないですか?
ヨハネ21章15−19節で、ペテロがどういう気持ちだったかは、聖書に書いていません。だから、「彼はこういう気持ちだった。」と断言することは人間にはできないと思います。人間には分からないことが多いので、人と自分の感じ方が違ったり、自分の感じ方もだんだん変わってきても、全く混乱する必要はないと思います。人間は分かるはずもないことでも、分かるだろう、と思うから混乱するのではないか、と思います。 |
No.1752 2007/02/17(Sat) 01:25:25
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