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今日は民数記22章残りを読みます。
23節に ろばは主の使いが抜き身の剣を手に持って道に立ちふさがっているのを見たので、ろばは道からそれて畑の中に行った。そこでバラムはろばを打って道に戻そうとした。 とありますが、抜き身の剣とは一体何だろうと思って、脚注を見ると、主の怒りを表すのだとご説明くださっています。
28節に すると、主はろばの口を開かれたので、ろばがバラムに言った。「私があなたに何をしたというのですか。私を3度も打つとは。」 とあるが、ろばが人間に話せるのだろうか?と思って、脚注を見ると、主がなした業だとご説明くださっています。3度打ったという3度という回数は何か意味があるのだろうか?
33節に ろばはわたしを見て、3度もわたしから身を巡らしたのだ。もしかして、ろばがわたしから身を巡らしていなかったなら、わたしは今はもう、あなたをCENSOREDおり、ろばを生かしておいたことだろう。」 とあるが、身を巡らすとはどういう意味だろうか?と思って辞書を引くと、巡らすで引くと、周りを取り囲むことみたいだ。ということはろばが抱きついてきたのだろうか?うーん??考えにくいが・・・あ、回転させるという意味もあるみたいだから、周りをまわったのかな?
・・・癒しに通じる読み方・・・ 今日はヨハネの福音書の20章24-28節までを読みます。 天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・ 何度か読んでいると、26節の 8日後に、弟子たちはまた室内におり、トマスも彼らと一緒にいた。戸が閉じられていたが、イエスが来て、彼らの中に立って「平安があなたがたにあるように。」と言われた。 が気になるので、これをもう何度か読みます。 本当イエス様的平安・・・これが一番の幸せですよね。 |
No.3703 2007/12/29(Sat) 20:13:06
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今日はもう一度民数記22章残りを読みます。
28,29,30節のように、 動物と口で会話できるといいですね・・・動物が何を思っているか分かり、もっと意思の疎通ができるようになります。 今、ストレス社会で癒しを求めてペットを飼う人が多いです。私もできれば、将来ペットと一緒に暮らしたいです。ふくろうか猫と暮らしたいです。ふくろうは夜型だが、首が180度回転して面白くてふくろうのぬいぐるみの「おふう」というのを買って以来好きになりました。猫はかわいく愛くるしくて大好きです。そういうペットたちと会話できたら幸せだろうなーと思います。今、話すぬいぐるみ、育つぬいぐるみというのが出ているそうです。それだとえさをやらなくていいし、いろいろ面倒がかからないと思うけれど、でも虚しいだろうね・・・
33節に ろばは私を見て、3度もわたしから身をめぐらしたのだ。もしかして、ろばがわたしから身をめぐらしていなかったなら、わたしは今はもう、あなたをCENSOREDおり、ろばを生かしておいたことだろう。」 とあるが、このあなたというのはバラムでわたしというのは主のことですよね?何でろばがわたしから身をめぐらしていなかったなら、主はバラムをCENSORED、ろばを生かしておいたのだろうか?なんだかよく分からないなーーー。
・・・癒しに通じる読み方・・・ 今日はヨハネの福音書の20章29-31節、21章1,2節を読みます。 天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・ 何度か読んでいると31節の しかし、これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるため、また、あなたがたが信じて、イエスの御名によっていのちを得るためである。 が気になるので、これをもう何度か読みます。 イエス様の御名による権威ですね・・・ |
No.3704 2007/12/30(Sun) 06:48:20
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33節でろばが3度も主の使いから身を巡らしたというのは、23、25、27節で、道からそれたり、石垣に身をおしつけたり、うずくまったりして、主の使いの方向に進まないようにしたことを表現しています。「巡らす」とは、この場合「方向を変える」というような意味で書いてあると思います。
22節でなぜ主は怒っておられるのか、難解でいろいろな解釈があるところです。僕の現在の読みを書いておきます。
22章20節までのところで書いたように、バラクはすぐにイスラエルの民をのろってほしいという2度目の願いを断るべきだったと思います。ところが、バラクはモアブの人たちに手厚くもてなされたり、銀や金をもらう誘惑に心を動かされてしまったと思います。それで、もう一度、主が何を言われるか確かめることにしました。
こう考えると20節で主が言われたことは、バラクがこのようにすぐに断らなかった罪に対するさばきのことばであるように思います。18節でのバラクの考えは、普通の信仰者としては、悪くないように思えますが、バラクは預言者なので、より高い水準でさばかれたのだと思います。
22節で、欲の誘惑に負けて、実際にモアブに出かけたバラクは、そのままモアブに行けば、言い訳を考えてイスラエルの民をのろってしまうところだったのだと思います。そのようなバラクに対し、主の怒りが燃え上がります。それで、主の使いは、もしろばが身をめぐらさなかったら、罰としてバラクを殺そうとしたのだと思います。
ろばが話したので、バラクは主の怒りに気づいて慎重になり、イスラエルの民をのろわずにすんだのだと思います。
?Uペテロ2章15ー16節で、バラムは不義の報酬を愛したこと、ろばが人間の声でものを言ったので、バラムが罪の行為をしなかったことが書かれていると思います。 |
No.3709 2007/12/30(Sun) 12:25:21
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>>33節でろばが3度も主の使いから身を巡らしたというのは、23、25、27節で、道からそれたり、石垣に身をおしつけたり、うずくまったりして、主の使いの方向に進まないようにしたことを表現しています。「巡らす」とは、この場合「方向を変える」というような意味で書いてあると思います。
へーー全く勘違いしていましたねー?
>>こう考えると20節で主が言われたことは、バラクがこのようにすぐに断らなかった罪に対するさばきのことばであるように思います。18節でのバラクの考えは、普通の信仰者としては、悪くないように思えますが、バラクは預言者なので、より高い水準でさばかれたのだと思います。
バラクは一人間であり、一預言者なのですね・・・何だかこういうつながりを考えていろいろなところを読むと混乱してきます。かなり高い水準なのは聖書の読み込みのほうだ・・・
>>ろばが話したので、バラクは主の怒りに気づいて慎重になり、イスラエルの民をのろわずにすんだのだと思います。
主の怒りに気づいてよかったですね・・・私も主の語りかけに気づけるようにならないといけない。
?Uペテロ2章15ー16節・・・ 彼らは正しい道を捨ててさまよっています。不義の報酬を愛したベオルの子バラムの道に従ったのです。 しかし、バラムは自分の罪をとがめられました。ものを言うことのないロバが、人間の声で物をいい、この預言者の気違い沙汰をはばんだのです。
何だか私には順番に読んでいくだけでかなりの労力でつながりなんて全く分からない・・・うーん、神様イエス様聖書の文章のつながり、全体のつながり、意味が解読できますように。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・ |
No.3720 2007/12/31(Mon) 12:09:22
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