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詩篇132章 / 沙耶香 引用

今日は詩篇132-135章を読みます。

132章
3節の
「私は決して、我が家の天幕にはいりません。
私のために備えられた寝床にも上がりません。とはどういう意味だろうか?私の為に備えられた寝床にあがらない?何かの比喩的表現だろうか?

続く、4節の
私の目に眠りを与えません。
私のまぶたにまどろみをも。も意味不明だ。何かの比喩的表現だろうけれど・・・???

6節の
今や、私たちはエフラテでそれを聞き、
ヤアルの野で、それを見出した。はどういう意味だろうか?あーーー何だか混乱します。

8節の
主よ。立ち上がってください。
あなたの安息の場所に、おはいりください。
あなたと、あなたの御力の箱も。はどういう意味だろうか?安息の場所?どこのことだろうか?御力の箱?何のことだろうか?もーーちんぷんかんぷんだ・・・

9節の
あなたの祭司たちは、義を身にまとい、あなたの聖徒たちは、喜び歌いますように。はどういう意味だろうか?祭司たちが義を身にまとう??なんだろうか?

10節の
あなたのしもべダビデのために、
あなたに油そそがれたものの顔を、
うしろに向けないでください。はどういう意味だろうか?
うーーーん???油注がれたもの??解説には治世中の王とあるが、治世中の王ってなんだろうか?

11節の
主はダビデに誓われた。
それは、主が取り消すことのない真理である。
「貴方の身から出る子をあなたの位に着かせよう。と
12節の
もし、あなたの子らが、わたしの契約と、
わたしの教えるさとしを守るなら、
彼らの子らもまた、とこしえに
あなたの位に着くであろう。」はどういう意味だろうか?あなたの位ってなんだろうか?うーん???何だか混乱してきますね・・・

No.1552 2007/01/16(Tue) 20:58:54

Re: 詩篇132章 / 昌夫 引用

第132篇の歴史的背景は、主の天幕と、契約の箱(神の箱とも主の箱とも言われます)と神殿です。

第84篇と99篇のところで見てもらいましたが下に貼り付けたリンクの一番上の段の2つの写真が主の天幕の模型で、上から5段目と6段目の写真に、契約の箱とその上のケルビムの像の模型があります。

http://www.bibleplaces.com/tabernaclemore.htm

イスラエルがカナンの地に攻め入って、そのときのリーダーのヨシュアが亡くなってからは、しばらくの間、イスラエルには王は与えられておらず、士師がリーダーでした。このころ、主の天幕と契約の箱(神の箱とも主の箱とも言われます)は、シロという町にありました。

士師の時代の終わりのころに、ペリシテ人の軍はイスラエルを打ち破り、契約の箱をうばっていきました。主がペリシテ人たちを災いで打たれたので、ペリシテ人たちは、契約の箱をイスラエルに返しました。返された契約の箱は、キルヤテ・エアリムに何十年かとどまりました。

主はイスラエルの最初の王としてサウルを選ばれました。しかし、サウル王の信仰はあまり深くありませんでした。主はダビデを次の王として選ばれ、預言者のサムエルが少年のダビデに油をそそぎました。

やがて、サウル王は、ぺリシテ人との戦争で死にました。そして、ダビデは、へブロンで王となりました。ダビデ王は、エブス人が長い間守っていたエルサレムを攻め落としました。そして、主の箱を、キルヤテ・エアリムから、エルサレムに運びました。主はダビデを祝福され、ダビデの軍は、まわりの国々との戦争に次々に勝ちました。 また、主はダビデに、ダビデの子孫から、永遠の王座につく王が出ると約束されました。第2サムエル記7章5−16節にこの約束のことが書いてあります。

ダビデは神殿を建てたかったのですが、主は息子のソロモンが神殿を建てるようにされました。

2−5節は、ダビデが主を礼拝するためのひとつの場所を見つけ出すことを誓っています。僕は、これは、ダビデがエルサレムを攻め落とす前に、主の天幕と契約の箱を置くのにふさわしい場所を見つけることを誓ったのだと思います。3節は自分の天幕にも入らず、自分の寝床にも入らずに、そのような場所を見つけ出すために捜し求めつづけることを誓っています。4節は、眠らずに、ちょっとした、まどろみもせずに、捜し求めつづけることを誓っています。特に4節の誓いは極端なので、ダビデが力の限り、主のための場所を捜し求める誓いをしたことを、詩的に誇張して書いているのでしょう。

6節のエフラテとヤイルは、ともに、ダビデが誓ったときに契約の箱のあった、キルヤテ・エアリムをさすようです。

8節の「御力の箱」とは契約の箱のことです。キルヤテ・エアリムにあった契約の箱を、エルサレムに持ってくることを、主が立ち上がって、安息の場所に入られる、と表現しています。

9節の「義をまとう」は、黙示19章8節と関連すると思います。キリスト者は、ひとりひとりが主と交わる祭司ですが、キリスト者の正しい行いが、天国では、キリスト者の衣となります。


10節の、「油そそがれた者」は、詩人が生きていたときのイスラエルのリーダーのことだと思います。それがバビロン捕囚の前なら、当時のユダ王国の王のことです。ダビデに比べると、当時の王の信仰が深くなくても、ダビデに免じて、王が主の方から顔をそむけて悪の道を進まないように導いてくださるように、詩人が主にお願いしています。

11−12節は、第2サムエル記7章5−16節にある、主のダビデへの約束(契約)のことを書いています。「あなたの位」とは、イスラエルの王の位のことです。

No.1553 2007/01/17(Wed) 00:40:11

再詩篇132章 / 沙耶香 引用

今朝はもう一度詩篇132章を読みます。

天使の羽が合わさったような写真が契約の箱の写真かな?お酌の大きいような器のようなものがケルビムの像の模型かな・・?

第2サムエル記7章5−16節
読みました。うーん、主がダビデにダビデの子孫から永遠の王につくものが出ることを約束された?ダビデを君主とされたことは書いていると思うけれど・・?

黙示19章8節・・・花嫁は、光り輝く、きよい麻布の衣を着ることを許された。その麻布とは、聖徒たちの正しい行いである。
へーーキリスト者の正しい行いが天国ではキリスト者の衣となる・・・ふーん、素晴らしいですね・・・

11,12節のあなたの位=イスラエルの王の位のこと・・うーん、何だか難しい。当時のことを知らないから、わからない。
何だか情景が浮かばない・・・読み進めていて意味はあるんだろうかと不安になる。でもこれはサタンが私が聖書を読み進めることを妨害しようとして不安の気持ちを使っているのかもしれない。だから私は読み進めます。

17節の
そこにわたしはダビデのために、
ひとつの角を生えさせよう。
わたしは、わたしに油注がれた者のために、
一つのともしびを備えているが印象に残りました。

No.1554 2007/01/17(Wed) 11:36:45

Re: 詩篇132章 / 昌夫 引用

今朝はもう一度詩篇132章を読みます。

>天使の羽が合わさったような写真が契約の箱の写真かな?

そうです。その天使のようなのが、ケルビムで、2つのケルビムの像が契約の箱のふたの上にあります。

>第2サムエル記7章5−16節
読みました。うーん、主がダビデにダビデの子孫から永遠の王につくものが出ることを約束された?ダビデを君主とされたことは書いていると思うけれど・・?

8節にダビデが君主とされたことが書いてあり、12-16節で、主がダビデの王座がとこしえ(
永久)に立たせることを約束されています。

>読み進めていて意味はあるんだろうかと不安になる。でもこれはサタンが私が聖書を読み進めることを妨害しようとして不安の気持ちを使っているのかもしれない。だから私は読み進めます。

うん、不安に支配されないようにすることが良いですね。

No.1555 2007/01/17(Wed) 12:07:40

Re: 詩篇132章 / 沙耶香 引用

もー最悪・・・今、このレスをつけたら、ページがないという表示が出て送られませんでした。
第二サムエル7:12-16を全部書き込んだのに・・・
でもなかなか聖書の理解は難しいと〆たのに・・・うううううううう・・・・・こういう時って相当悔しくて残念ですね・・・・
やっぱり送る前にコピーとるとかしないといけないなーーー。

No.1556 2007/01/18(Thu) 01:41:05
詩篇128―131章 / 沙耶香 引用

今朝は詩篇128―131章を読みます。

3節の
あなたの妻は、あなたの家の奥にいて、
豊かに実を結ぶぶどうの木のようだ。
あなたの子らは、あなたの食卓を囲んで、
オリーブの木を囲む若木のようだ。はどういう意味だろうか?ほがらかな雰囲気は伝わってくるんだけれど、いまいち内容がわからない。

129章
4節の
主は、正しくあり、
悪者の綱を断ち切られた。が印象に残りました。

130章
1節の
主よ。深いふちから、私はあなたを求めます。が印象に残りました。

No.1549 2007/01/15(Mon) 09:53:06

Re: 詩篇128―131章 / 昌夫 引用

第128篇3節の「豊かに実を結ぶぶどうの木」は、この世的には子供を多く産む母のイメージで、霊的には永遠の神の国のための仕事の豊かな成果のことを表していると思います。オリーブの木は冬にも緑の葉をつけた常緑樹で多くの実を結ぶので繁栄を表します。それでオリーブの木を囲む若木は、繁栄する父のまわりで健康に育つ子供たちを表していると思います。

都上りの歌のなかで、第122、124、131、133篇だけが「ダビデによる」となっていて、ダビデの作と思われます。第131篇はダビデが幼い子供が親を信頼しているように、主を信頼して主の御前にいることを表していて印象的です。

No.1550 2007/01/15(Mon) 12:19:13

再詩篇128―131章 / 沙耶香 引用

今朝はもう一度詩篇128-131章を読みます。

豊かに実を結ぶぶどうの木・・・この世的には子供を多く産む母のイメージ、霊的には永遠の神の国のための仕事の豊かな成果のことを表している

オリーブの木・・・繁栄を表す。
オリーブの木を囲む若木・・繁栄する父のまわりで健康に育つ子供達を表している

ダビデは賛美にも出てきますね・・・

やっぱり前と同じ129章の4節の
主は、正しくあり、
悪者の綱を断ち切られた。が印象に残りました。

131章の2節の
まことに私は、
自分のたましいを和らげ、静めました。
乳離れした子が母親の前にいるように、
私のたましいは乳離れした子のように
御前におります。が印象に残りました。

No.1551 2007/01/16(Tue) 05:56:18
詩篇123,124,125,126,127章 / 沙耶香 引用

今朝は詩篇123,124,125,126,127章を読みました。

123章
4節の
私たちのたましいは、
安逸をむさぼる者たちのあざけりと、
高ぶるものたちのさげすみとで、もういっぱいです。の安逸ってなんだろうか?辞書では載っていないだろうと思ったが、載っていた・・・何もせずのんきにしていることだそうだ。
結局この4節はどういう意味なんだろうか?

125章
1節の主に信頼する人々はシオンの山のようだ。
ゆるぐことなく、とこしえにながらえる。が印象に残りました。

No.1544 2007/01/14(Sun) 04:20:20

Re: 詩篇123,124,125,126,127章 / 昌夫 引用

第123篇の3−4節は信仰者たちが、信仰を持たない人たちに、あざけられたり、さげすまれたりして、苦しんできて、主にあわれんでくださるようにお願いしています。信仰を持たない人たちは、自分たちが主に逆らって、滅びに向かっていることも気にせず、のんきにしています。「安逸をむさぼっている」とは、そういうことです。また、信仰を持たない人たちは、自分たちは、お金や自分たちの能力や、嘘や、人間が作った宗教や偶像などに頼って、高ぶっています。それで、信仰者は頭が悪いので、主を信頼していると考えて信仰者をさげすみます。「高ぶるものたちのさげすみ」とは、そういうことです。

No.1545 2007/01/14(Sun) 13:04:05

再詩篇123,124,125,126,127章 / 沙耶香 引用

今日はもう一度詩篇123,124,125,126,127章を読みます。

うーん・・・笑・・まさにうちの家族は私のことを頭が劣るので、主を信頼していると考えているとさげすんでいます。主を信頼するクリスチャンだけが天国にいけるんだと言っても、馬鹿にされます。
管理人さんやきちんと社会に出ている普通の人がクリスチャンだと馬鹿にされないだろうけれど、私はいつも馬鹿にされます。でも迫害されるのはクリスチャンの常だと考えています。

123章
2節の
ご覧ください。奴隷の目が主人の手に向けられ、
女奴隷の目が女主人の手に向けられているように、
私たちの目は私たちの神、主に向けられています。
主が私たちをあわれまれるまで。が印象に残りました。

124章
7節の
私たちは仕掛けられたわなから
鳥のように助け出された。
わなは破られ、私たちは助け出された。が印象に残りました。

No.1546 2007/01/14(Sun) 21:51:28

Re: 詩篇123,124,125,126,127章 / 昌夫 引用

>うーん・・・笑・・まさにうちの家族は私のことを頭が劣るので、主を信頼していると考えているとさげすんでいます。主を信頼するクリスチャンだけが天国にいけるんだと言っても、馬鹿にされます。

十字架のことばは、まだ信仰を神さまにいただいていない人たちは、愚かに聞こえるということが、第1コリント1章18-31節に書いてあります。僕も長い間、キリスト教を信じる人は、知能が劣っているのだと考えて馬鹿にしていました。だから信仰をまだいただいていない人たちに馬鹿にされたときに、驚いたり腹をたてたり意気消沈してしまわないことが大切だと思います。

>でも迫害されるのはクリスチャンの常だと考えています。

そうですね。そのようい考えることが大切だと思います。それから、今は、キリスト者を馬鹿にしている人たちのためにも、イエスさまが死なれたことを思って、「そんなことをしていると地獄に行く」というようなおどしの言葉は言わないで黙っていることが基本だと思います。イエスさまがお生まれになる何百年も前に、イエスさまが人々の罪のために苦しまれることがイザヤ書40-55章に預言されました。イザヤ書は読むのが難しいところのある書ですが、52章の13節から53章の最後までを読んでみてください。52章13節の「わたしのしもべ」とは、父なる神のしもべとしてのキリストのことです。特に53章7節の「彼は苦しんだが、口を開かない。」というところが印象的です。イザヤ書の預言されたように、また、ペテロの手紙第1の2章23節にあるように、イエスさまはののしられ、苦しめられても、黙っていて、おどすことをされませんでした。

No.1548 2007/01/15(Mon) 05:29:50
詩篇120,121,122章 / 沙耶香 引用

今朝は詩篇120,121,122章を読みます。

天のお父様神様イエス様どうか、私に聖書の御言葉が理解できて、私の心の中に聖書が噛み砕いて入っていきますように、そして神様が聖書からいろんな言葉を語ってくださり、御言葉からの賜物が私に授けられますように。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・

120章
4節の
勇士の鋭い矢、
それに、えにしだの熱い炭火だ。はどういう意味だろうか?

7節の
私は平和を―、私が話すと、
彼らは戦いを望むのだ。はどういう意味だろうか?ううううーーん????意味不明・・・

121章
5節の
主は、あなたの守る方。
主は、あなたの右の手をおおう陰。が印象に残りました。いつも主が一緒におられるという感じで・・・

6節の
昼も、日が、あなたを打つことがなく、
夜も、月が、あなたを打つことはない。はどういう意味だろうか?

No.1539 2007/01/13(Sat) 11:01:35

Re: 詩篇120,121,122章 / 昌夫 引用

エルサレム以外の所に住んでいたイスラエルの民は、祭りのときなどにエルサレムに巡礼に行くことになっていました。エルサレムは都なので、これを都上りと言います。第120-134篇は、エルサレムに巡礼する人々によって歌われたので「都上りの歌」と呼ばれます。

第120篇の3-4節は、嘘をつく人たちに、主が罰を与えられることを書いています。欺きの舌という言葉で、嘘をつく人たちのことを表します。「えにしだ」は木の一種ですが、おそらく、矢の先に火をつけて火矢にするのに、この木から作った炭が使われたのだと思います。火矢を使って、主の罰を表現していると思います。

7節は、詩人は平和を望むのに、詩人の住んでいるところのまわりの異邦人たちは、好戦的ですぐに戦いをしようとする、ということだと思います。

第121篇の6節は、太陽や月が人にわざわいをもたらすという考えから、主が、太陽や月から信仰者を守られることを書いています。エルサレムに行くために砂漠を歩く人々も多かったと思います。砂漠を歩いている人々にとって、照りつける太陽は、熱射病などを起こすということから、太陽が人にわざわいをもたらす、というのは、納得できると思います。月については、当時、月の光にあたると、てんかんを起こす原因になるという考えがあったようです。

No.1540 2007/01/13(Sat) 12:21:01

再詩篇120,121,122章 / 沙耶香 引用

今日はもう一度詩篇120,121,122章を読みます。

ふーん・・・都上りの歌か・・・面白いですね・・・
ふーん、うそをつく人たちに、主が罰を与えられることを書いているんだ・・・・いいですね・・・

ふーん、月の光にあたると、てんかんを起こす原因になる???面白い発想ですね・・・・

122章の9節の
私たちの神、主の家のために、
私は、おまえの繁栄を求めよう。が印象に残りました。

No.1541 2007/01/13(Sat) 20:33:24

Re: 詩篇120,121,122章 / 昌夫 引用

>月の光にあたると、てんかんを起こす原因にる???面白い発想ですね・・・・

これは、確かに日本人にはなじみのない発想ですね。英語では、ルナティックということばが、「気の狂った」という意味ですが、ルナとは月のことです。月の光が、発狂の原因になる、という考えが西洋にあったことが分かります。

反対に、日本ではなじみがあるけれど、西洋ではあまり見られない考えも聖書にあります。例えば旧約の律法にある死体の「けがれ」と、水や塩を使ったきよめ、という考えは、日本ではなじみ深いですが、西洋ではあまり見られないそうです。ただし、西洋でもギリシアには「けがれ」の考えがあったということを聞いたことがあります。

122篇8−9節では、主の家のために、自分の兄弟、友人の繁栄を求めて祈っていることがとても重要だと思います。僕たちも、ただ、まわりの人たちの繁栄を求めて祈るのではなく、それは主の栄光のために、と意識して、まわりの人々の幸福を求める祈りができると良いと思います。

No.1542 2007/01/14(Sun) 00:41:22

Re: 詩篇120,121,122章 / 沙耶香 引用

ふーん、風習まで関係するのですね・・・
うーん・・・主の栄光のために周りの人々の幸福を求められると本当いいですね・・・
私たちクリスチャンの基本ですよね??主の栄光のために祝福を求める。。。何でも主の栄光のためじゃないと・・・・でもこれがなっかなか難しいのですよね。。。

No.1543 2007/01/14(Sun) 04:07:25
詩篇113,114、115章 / 沙耶香 引用

今朝は詩篇113,114,115章を読みます。

天のお父様神様イエス様どうか私が楽しく聖書通読ができてイエス様のことをもっと聖書から語りかけてもらえますように。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・

7,8節の
主は弱いものをちりから起こし、
貧しい人をあくたから引き上げ、
彼らを、君主たちとともに、
御民の君主たちとともに、王座に着かせられる。が印象に残りました。

3、4,5,6節の
海は見て逃げ去り、
ヨルダン川はさかさに流れた。
山々は雄羊のように、丘は子羊のように、はねた。
海よ。なぜ、おまえは逃げ去るのか。
ヨルダン川よ。なぜ、さかさに流れるのか。
山々よ。おまえはなぜ雄羊のようにはねるのか。
丘よ。なぜ子羊のようにはねるのか。
はどういう意味だろうか?ヨルダン川がさかさに流れる?丘がはねる?うーん????意味不明・・・

3節の
私たちの神は、天におられ、
その望むところをことごとく行われる。は神が私たちのために私たちの望んでいることをことごとく行っていってくださるということかな?

13節の
主を恐れるものを祝福してくださる。
小さなものも、大いなるものも。が印象に残りました。

16節の
天は、主の天である。
しかし、地は、人の子らに与えられた。の天は主の天であるってなんだろうか?意味不明だ・・・

17節に
死人は主をほめたたえることがない。
沈黙へ下るものもそうだ。とあるが、死んでしまった人は主をほめたたえることができないのだろうか?何かあるような気がするんだけれどなーーー

No.1510 2007/01/09(Tue) 10:13:57

Re: 詩篇113,114、115章 / Aja 引用

書き込みはしてなかったのですが、たびたび開いて読んでいましたよ〜。沙耶香さんが毎日詩篇を読んでいることに日々励まされていました。

本当に、楽しく聖書読めたらいいですね。

聖書をただ「読む」のではなく、神様の私に対する語りかけとして聞きたいと最近つくづく思います。
生きた神様の言葉として聞くということがなかなか難しいです。
牧師さんは、自分でがんばって何か獲得しようとして聖書を読むのではなく、ただみことばの前に静まること、神様のことばをただ受けるだけ、受け続けるだけでよい、と話してくれました。本当にそうだなと思いました。
聖書を読んで何も感じなくても良い。読み続けることでイエス様が私の心を歩いてくださる。と。

No.1511 2007/01/09(Tue) 22:35:43

Re: 詩篇113,114、115章 / 沙耶香 引用

Ajaさん、私なんかの書き込みが人を励ますことができたとしたら、それはイエス様がそうしてくださっているんだと思います。大体私は無力で無知で普通の人よりいろんな点で劣っています。
うちの牧師も聖書を読んで分からなくても、霊で読んでいるからいいんだと言ってくれます。
いろんな人の励ましを受けて嬉しいです。

今日はもう一度詩篇113,114,115章を読みました。

今日はどこも印象に残らなかった。・・・なんて書いたら失礼かな?私は正直がもっとうなので・・・
神様イエス様どうか私に降りかかるいろんな問題に最善の解決をお与えください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・

No.1512 2007/01/09(Tue) 23:11:35

Re: 詩篇113,114、115章 / 昌夫 引用

Ajaさんの牧師さんの言われた、「ただみことばの前に静まること、神様のことばをただ受けるだけ、受け続けるだけでよい」とは、素晴らしい助言だと思います。みことばの前で静まる、とはルカ10章38-42節で、イエスさまの前にすわって、静かにみことばに聞き入っていたマリヤのことを連想します。

No.1518 2007/01/10(Wed) 13:26:58

Re: 詩篇113,114、115章 / 昌夫 引用

114篇3、4節の、「海が逃げ去る」とは、出エジプトのときに、海が分かれたことを書いています。4,5節の「ヨルダン川がさかさに流れる」とは、ヨシュアに率いられて、イスラエルの地が約束の地に入ったときにヨルダン川が分かれたこと(ヨシュア記3章6-17節)を書いています。4,6節の、山々や丘がはねた、とは、出エジプト19章18節のように、モーセが十戒をいただく直前にシナイ山に地震があったことを書いていると思います。

115篇の3節は、神が神の望まれることを、ことごとく行われることを書いています。神の望まれることは、必ずしも僕たちの望んでいることとは同じではありません。

16節の「天は、主の天である」とは、天の御国が主のものであり、主の御心が完全になることを書いていると思います。

17節ですが、信仰者が死んだ後に復活の体をいただいた時には、すでに死人ではなくなっている、と考えると良いかもしれません。死後に復活の体をいただいた信仰者は神をほめたたえます。

No.1522 2007/01/10(Wed) 14:24:01

Re: 詩篇113,114、115章 / 沙耶香 引用

今朝はとても寒いです。よく手がかじかむという言葉があるが、今私体がかじかみそうです。ま、でも神様から○○○○もいただいたことだし、後は試練と考えて耐え忍んでいると、イエス様がいつかきっと救い出してくださいます。

へーー海が逃げ去るとは海が分かれたことなの?
ヨルダン川が逆さに流れるってヨルダン川が分かれたことなの?ヨルダン川も分かれたことあるの?へーーー初めて聞いた。
ヨシュア記3章6―17節・・・・
うん、読みました。川の流れをせきとめたと書いてます。
うん、地震を山々や丘がはねたという風に表現するのは納得できます。

じゃ信仰者は死人にはならないということだろうか?
次々に嫌なことが襲ってくる私は早く死んで天国に行きたいと願うのだが、なかなかイエス様迎えに来てくれない。

No.1525 2007/01/11(Thu) 07:51:12

Re: 詩篇113,114、115章 / 昌夫 引用

>じゃ信仰者は死人にはならないということだろうか?

難しいことで、よく分かりませんが、この世の肉体の死ということと、霊的な死ということを分けて考える必要があるように思います。この世の肉体は、必ず死ぬわけです。それから、イエスさまの再臨の後に、復活の体をいただきます。肉体の死から復活の間にも、キリスト者は霊的には死なないで、礼拝をつづけるのかもしれません。たとえば、ルカ23章39−43節で、イエスさまの横で十字架にかけられていた犯罪人の一人は、信仰を持って告白しました。43節で、イエスさまは、彼に「あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」と言われています。

No.1530 2007/01/12(Fri) 00:14:56

Re: 詩篇113,114、115章 / 沙耶香 引用

うーーーん???考えていると煮詰まってきますね・・・ルカ23章39―43節・・・読みました。前にも読みましたね・・・霊的な死と肉体の死と分けて考える・・・ふーん・・・いまだかつて死んだことないので、全く分からない世界だが・・・
でも何度かCENSORED未遂して死にかけたが、イエス様からの語りかけ、死後の世界を少し覗けたみたいなことはなかったけれど・・・
うーん、真実はイエス様のみぞ知る・・・

No.1533 2007/01/12(Fri) 05:38:00
詩篇118章 / 沙耶香 引用

今朝は詩篇118章を読みました。

7,8節の
主は、私を助けてくださる私の味方。
私は、私を憎むものをものともしない。
主に身を避けることは、
人に信頼するよりもよい。
が印象に残りました。

13節の
おまえは、私をひどく押して倒そうとしたが、
主が私を助けられた。が印象に残りました。

27節の
主は神であられ、私たちに光を与えられた。
枝をもって、祭りの行列を組め。
祭壇の角のところまで。は下の解説を見ても全くちんぷんかんぷんですね・・・ぜんぜん情景が浮かばない。うーん、時代背景とは大きいですね・・・・

No.1527 2007/01/11(Thu) 08:42:27

Re: 詩篇118章 / 昌夫 引用

僕は8節が印象に残ります。

27節の祭壇ですが、詩篇第84篇のレスのNo.1387で書いたように

http://www.bibleplaces.com/tabernaclemore.htm

の3段目に祭壇の模型の写真があります。これは出エジプト記27章1-2節に説明のあるモーセに主が示された幕屋の庭にあった祭壇の模型です。模型の4つのそれぞれの隅に、とがったものがついていますが、これが、祭壇の角です。第118篇の祭壇は、ソロモン王の建てた神殿の前方の庭にあった、さらに大きな祭壇だと思います。歴代誌4章1節に、この祭壇の説明があります。

118篇26-27節は、マタイ21章9節と関係があるようです。118篇26節に「主の御名によってくる人」とあり、マタイ21章9節に「主の御名んひよって来られる方」とあるのは、キリストのことだと思います。はっきり分かりませんが、過ぎ越しの祭りのときに、人々が枝を持って行列を組んで、祭壇の角のところまで並ぶ、習慣があったようです。

No.1528 2007/01/11(Thu) 12:34:54

再詩篇118章 / 沙耶香 引用

今日はもう一度詩篇118章を読みます。

このHP前に開きましたね。そのときは5,6段目も見たような気がするんだけれど・・・
角のやりがついたようなもののことかな?
歴代誌4章1節・・・長さ高さ幅の説明があります。
うーーん、何だかその時代の祭壇なんて縁遠いからよく分からないけれど、昔はそういうものが多々あったのだろうね・・・

マタイ21章9節・・・読みました。
ふーん・・・過ぎ越しの祭りのときに枝を持って行列を組んで祭壇の角のところまで並ぶという習慣があったんだ・・・何だか昔は面白いことしていたんですね・・・

読み終えました。やはり7,8節の
主は、私を助けてくださる私の味方。
私は、私を憎むものをものともしない。
主に身を避けることは、
人に信頼するよりもよい。が印象に残りました。
管理人さんも8節が気に入ったらしくてやっぱり人より主イエス様に身を避けないと・・・ね・・・

No.1529 2007/01/11(Thu) 20:39:22

Re: 詩篇118章 / 昌夫 引用

HPの一番下の方にも祭壇の写真があるので、見ておいてください。

>角のやりがついたようなもののことかな?

模型では、やりのようにとがっているけれども、やりのようにまっすぐではなく、曲がっています。

>何だかその時代の祭壇なんて縁遠いからよく分からないけれど、昔はそういうものが多々あったのだろうね

いろいろな祭壇がありましたが、特に大切な祭壇が、モーセの作った主の天幕の前にあった祭壇と、エルサレムでソロモンの作った神殿の前にあった祭壇です。

次の詩篇第119篇は、第5巻のひとつのクライマックスで、聖書の中で一番長い章です。ほとんど全ての節に「みおしえ」「さとし」「戒め」「おきて」「仰せ」「ことば」という言葉が出てくることに注目してください。これらの言葉は、すべて、神さまの教えである律法のことを表す言葉です。第119篇は、律法の素晴らしさを賛美しています。

No.1531 2007/01/12(Fri) 00:22:42

Re: 詩篇118章 / 沙耶香 引用

HPの一番下の写真も見ました。

モーセの作った主の天幕の前にあった祭壇と
エルサレムでソロモンの作った神殿の前にあった祭壇が
特に大切な祭壇なのですか?
ふーん、次の119章を読むときは「みおしえ」「さとし」「戒め」「おきて」「仰せ」「ことば」という言葉に注目して読んでみます・・・・

No.1532 2007/01/12(Fri) 05:20:51
詩篇110,111、112章 / 沙耶香 引用

今日は詩篇110,111,112章を読みました。

1節の
主は、私の主に仰せられる。
「わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまでは、
わたしの右の座についていよ。」はどういう意味だろうか?

2節の
主は、あなたの力強い杖をシオンから伸ばされる。
「あなたの敵の真ん中で治めよ。」
はどういう意味だろうか?うーん???

3節の
あなたの民は、あなたの戦いの日に、
聖なる飾り物を着けて、夜明け前から喜んで仕える。
あなたの若者は、あなたにとっては、朝露のようだ。
の聖なる飾り物を着けてって何のことだろうか?あなたにとっては朝露のようだってどういう意味だろうか?

6節の
主は国々の間をさばき、
それらをしかばねで満たし、
広い国を治めるかしらを打ち砕かれる。はどういう意味だろうか?しかばねは辞書で見ると死んだ人の体らしい。
死んだ人の体で国々を満たして・・・・うーん??意味が不明だ。

7節の
主は道のほとりの流れから水を飲まれよう。
それゆえ、その頭を高く上げられる。はどういう意味だろうか?道のほとりの流れから水を飲む???うーん???

111章
4,5節の
主は、その奇しいわざを記念とされた。
主は情け深く、哀れみ深く、
主を恐れるものに食べ物を与え、
その契約をとこしえに覚えておられる。が印象に残りました。

10節の主を恐れることは、知恵の初め。
これを行う人はみな、良い明察を得る。
主の誉れは永遠に堅く立つ。の良い明察ってなんだろうか?辞書で見てみたが、なんだかよく分からない・・・・

112章
1,2,3節に
ハレルヤ。
幸いなことよ。
主を恐れ、その仰せを大いに喜ぶ人は。
その人の子孫は地上で力ある者となり、
直ぐな人たちの世代は祝福されよう。
繁栄と富とはその家にあり、
彼の義は永遠に堅く立つ。
とあります。主を恐れその仰せを大いに喜ぶ人は、祝福されて、繁栄と富とはその家にあると言っていますが、何で私には繁栄と富がないんでしょうか?
そのうち私にも繁栄と富が与えられ、お金持ちの仲間入りをするのだろうか?

7節の
その人は悪い知らせを恐れず、
主に信頼して、その心はゆるがない。
が印象に残りました。私もこのようになりたいのですが、不安の病気が邪魔をして、すぐに悪いほうに考えて一人でパニックになってしまい、とんでもない方向にずれます。
神様イエス様どうか私の不安の病気を癒し悪いことにも動じずイエス様だけを見上げて歩いていくことができますように。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・

10節の
悪者はそれを見て、いらだち
歯ぎしりして溶け去る。
悪者の願いは滅び失せる。が印象に残りました。
やっぱり悪者より心の直ぐなイエス様に向かう人の方が勝利者なんだ。

No.1496 2007/01/05(Fri) 21:43:12

再詩篇110,111、112章 / 沙耶香 引用

今朝はもう一度詩篇110,111,112章を読みました。

今、ほかの問題が湧き上がりました。なんだか私には次々問題が起こります。本当に辛く大変だけれど・・・
イエス様がきっと解決してくださると信じて期待して感謝します。

4節に
主は誓い、そしてみこころを変えなさい。とありますが、みこころは何があっても動じないのではなかったのですか?

もう一度読み直してもなかなか分かりにくいです。いつになったら聖書の情景が思い浮かび私も聖書を語れるようになるのだろうか?

No.1498 2007/01/06(Sat) 10:56:08

Re: 詩篇110,111、112章 / 昌夫 引用

詩篇110章は、マタイ22章44節やへブル1章13節など、新約聖書のいろいろなところで引用されています。

1節の最初にある主は父なる神のことで、「私の主」とはキリストのことです。1節は父なる神が、キリストが天に昇られたときに言われたことを書いてあると思います。父なる神が、敵であるサタンや悪霊たちをキリストの足元に屈服させるまでは、天国の父なる神の右の座についていなさい、と言われていると思います。

2節の「あなた」はキリストで、まだ敵が多くても、父なる神は、キリストに敵の真中で、王として父なる神の右の座にいて、世界を治めるように言われているようです。

3節は、キリストに仕える民である信仰者の心が聖いことを、「聖なる飾り物を着けて」とか、「朝露のようだ」と表現しています。

4節は、「みこころを変えなさい」ではなく、「みこころを変えない」と書いてあります。

5節は、「御怒りの日」とは、キリストの再臨の後の、最後の審判の日のことだと思います。

6節は、キリストが、最後の審判の日に、悪者をさばかれることを表現しています。

7節の「道のほとりの流れから水を飲まれる」は解釈が難しいですが、士師記7章の5−6節と関係があるのかもしれません。士師記は、戦いに参加する前に、主に選ばれた人たちは正しい方法で水を飲むという話です。水は、聖霊を表すことが多いので、キリストが最後の審判のときに悪と戦われる前に、聖霊から力を得られる、ということかな、と考えます。

詩篇111,112章については、また後で書きます。

No.1513 2007/01/10(Wed) 06:28:53

Re: 詩篇110,111、112章 / 沙耶香 引用

1節ですが、何だか難しいですね・・・2節も難しいですね・・・
士師記7章、5,6節・・・
そこでギデオンは民を連れて、水のところに下って
行った。すると、主はギデオンに仰せられた。「犬が
なめるように、舌で水をなめるものは残らず別にしてお
き、また、ひざをついて飲むものも残らずそうせよ。」
そのとき、口に手をあてて水をなめたものの数は三百
人であった。残りの民はみな、ひざをついて水を飲ん
だ。
とあります。
何だか難しいですね・・・
聖書の御言葉は本当にはなかなか理解できないですね・・・理解するには時代背景も理解しないといけないし、その関連箇所も理解しないといけないし、何だか頭が混乱してきてわけがわからない・・・

No.1514 2007/01/10(Wed) 10:07:22

Re: 詩篇110,111、112章 / 昌夫 引用

111章10節の「良い明察」とは、神さまが与えてくださる正しい理解、ということだと思います。

>何で私には繁栄と富がないんでしょうか?
そのうち私にも繁栄と富が与えられ、お金持ちの仲間入りをするのだろうか?

申命記28章1-13節を読むと、モーセに主が与えられた律法を、イスラエルの民が守り行うならば、この世で繁栄と富が与えられると主が約束されています。また、申命記28章の15-68節で、イスラエルの民が律法を守らなければ、この世で主が民をのろわれることを約束されています。これが、主とイスラエルの民との契約でした。詩篇や箴言は、この律法の契約のもとで書かれているので、主に従っていれば、 苦しいときが長くつづいても、いつかは、この世的な繁栄や富をいつかいただけることが書いてあるのだと思います。僕たちキリスト者は、イエスさまの十字架の後の、新しい神さまとの契約のもとにあります。神さまに聞き従えば、祝福されるということは律法のもとでの契約とときと同じだと思いますが、祝福は、必ずしもこの世的な繁栄や富と約束されているわけではないように僕は思います。でも、神さまに祝福されて、イエスさまに近づいていくとき、この世的にも祝福されることが多いようです。

>何だか難しいですね・・・

聖書の御言葉を理解することは、とても難しいです。でも、祈って主にお願いしていれば、僕たちが今、理解すべきことは、理解できるようにしてくださいます。理解できないことがあっても、心配しないで大丈夫です。

No.1517 2007/01/10(Wed) 13:17:07

Re: 詩篇110,111、112章 / 沙耶香 引用

申命記28章1―13節・・・読みました。
申命記28章15―68節・・・
43節にあなたのうちの在留異国人は、あなたの上にますます高く上っていき、あなたはますます低く下っていく。とあり、解説に在留異国人=社会的弱者と書いてあるが、私の場合自分が社会的弱者なのにどうなるのだろうか?
68節まで読みました。うん、神の教えに従わなければいろいろなのろいを受けることを書いています。
じゃ、私も従っていけばいつかは繁栄や富をいただけると信じて期待して感謝します。

本当になかなか聖書の理解は並大抵なことではありません。でも主が助けてくださると信じて期待して感謝します。

No.1526 2007/01/11(Thu) 08:20:04
詩篇116,117章 / 沙耶香 引用

今日は詩篇116,117章を読みます。

6節の
主はわきまえのない者を守られる。
私がおとしめられたとき、私をお救いになった。が印象に残りました。

7節の
私のたましいよ。おまえの全きいこいに戻れ。
主はおまえに、良くしてくださったからだ。はどういう意味だろうか?全きいこい??完全ないこい???なんだろうか?

18節の
私は自分の誓いを主に果たそう。
ああ、御民すべてのいるところで。の自分の誓いとはなんだろうか?

あーーーー痛い痛い・・・おなかが痛い・・・

No.1515 2007/01/10(Wed) 10:26:53

Re: 詩篇116,117章 / BISKO 引用

始めまして。BISKOです。

>今日は詩篇116,117章を読みます。

詩篇通読、お疲れ様。
ご熱心なこと、何よりです。

横からですが、ちょっとだけ一緒に考えて見ますね。

>7節の
>私のたましいよ。おまえの全きいこいに戻れ。
>主はおまえに、良くしてくださったからだ。
>はどういう意味だろうか?全きいこい??
>完全ないこい???なんだろうか?

「いこい」→「憩い」 
「きゅうけい」→ 休「憩」

ですから、「いこい」とは、休み場のことですね。

戦争に出ている兵隊さんにとっての「いこい」とは、敵の攻撃から守られた安全な場所や、戦闘から一時的に離れてゆっくり睡眠を取れる場所や状況ですね。

沙耶香さんは、今、どんな状況や心理におかれていますか? その状況や心理が苦しい時、その苦しみから一時でも解放されて、ゆっくりと休める場所や時間が、貴女にとっての「いこい」ですね。


>私のたましいよ。おまえの全きいこいに戻れ。

私たちは、しばしば、不安になったり、悲しくなったり、怒り心頭になったり、復讐の念に燃えてしまったりして、「たましい」が騒(さわ)いでしまいます。

そんな時、私たちの「たましい」を安全に休ませて、安心できる場所、「まったき、いこいの場」は、どこにあるのでしょうか。

>主はおまえに、良くしてくださったからだ。

それは、主の中に、つまり、「主はいかなる状況にあっても、良くしてくださり、救ってくださる」という、自らの「神様への信頼」の中にある。ということかな?

そう考えて、116篇を読み返してみると、それなりに納得行く、とおもいます。

116篇はすばらしいので、あまり足早に読み進まないで、ここでじっくり聖句を味わってみても良いかもしれませんね。

それでは。

No.1516 2007/01/10(Wed) 11:36:25

Re: 詩篇116,117章 / 昌夫 引用

沙耶香さんの質問は、特に管理人に対して、ということではなく、誰でもこの掲示板を読んでいる人に、と理解しています。だから、横レスということではないので、BISKOさんが、今後も機会があれば、沙耶香さんの質問に答えていただければ、管理人として感謝します。

No.1520 2007/01/10(Wed) 13:40:00

Re: 詩篇116,117章 / 昌夫 引用

116篇には14節と18節での「自分の誓い」とあります。これは、詩人が困難にあっていたとき、主に困難から救い出してくださったら、このことをします、という誓いをしたとうことだと思います。何をすると誓ったのかは、この詩篇には書いてありません。例えば、感謝のいけにえを捧げる、という誓いが考えられます。

No.1523 2007/01/10(Wed) 14:25:41

再詩篇116,117章 / 沙耶香 引用

今日はもう一度詩篇116,117章を読みます。

BISKOさん、レス感謝します。初めて??前に一度お見かけしたような気がしますが・・・
私は別に熱心なわけじゃないのです。全く分からないので毎日読まないとついていけないのです。いや読んでいてもなかなか理解できない始末で・・・
頭も鈍くてとろくさくて低知能で要領が悪くて本当にこの世的には何のとりえもないのですが、イエス様だけが私の価値を見出してくれてこうして生きているわけです。

あーーでも私も管理人さんやBISKOさんのように聖書の説明ができるような人になりたいなーーー。。。

No.1524 2007/01/10(Wed) 19:47:03
第四巻、読み直し(音読or黙読) / 沙耶香 引用

第四巻の最初から読みます。
あーーーーー今読み終えました。もーーーいつまでかかるのかもう永遠に終わらないような気さえしていました。
92章の7節の
悪者どもが青草のようにもえいでようと、
不法を行う者どもがみな栄えようと、
それは彼らが永遠に滅ぼされるためです。と
94章の2,3,4節の
地を裁く方よ。立ち上がってください。
高ぶるものに報復してください。
主よ。悪者どもはいつまで、
いつまで、悪者どもは、勝ち誇るのでしょう。
彼らは放言し、横柄に語り、
不法を行う者はみな自慢します。と
97章の10,11節の、
主を愛するものたちよ。悪を憎め。
主は聖徒たちのいのちを守り、
悪者どもの手から、彼らを救い出される。
光は、正しい者のために、種のようにまかれている。
喜びは、心の直ぐな人のために。と
106章の3節の
幸いなことよ。
さばきを守り、正義を常に行う人々は。と
29節の
こうして、その行いによって御怒りを引き起こし、
彼らの間に神罰が下った。が印象に残りました。
104章の26節に
そこを船が通い、
あなたが造られたレビヤタンも、
そこで戯れます。とありますが、読み返すとレビヤタンて前にも出てきていたのに、覚えていなかったのですね・・・本当に駄目だ。。。ショック・・・
あーーーーこれで四巻まで通して読めた。むっぐっぐっ・・・でも理解不能・・・

No.1509 2007/01/09(Tue) 00:11:39
特別なクリスマス / Aja 引用

父の手術は無事終わりました。
お祈りありがとうございました。
手術に向かう父の姿に、イエス様が十字架に向かう姿を思いました。
父は大手術を前にしても常に明るさ優しさを失わず、笑顔で手をふって手術室へ入っていきました。
特に何も信仰は持っていないのですが、その運命を静かに受け入れ、ゆだねている姿は信仰者のようでした。
もちろん不安や恐れもあったでしょうが…。
ICUに一週間くらいいて、順調に回復すれば一般病棟へ移り、3週間で退院、自宅療養の予定です。

すべてを配慮し、最善のことを行ってくださった神様に感謝しています。神様の計らい、と思えることがあちこちに感じられ、「共にいてくださる神」ということを改めて教えられました。

No.1423 2006/12/26(Tue) 10:37:01

Re: 特別なクリスマス / 沙耶香 引用

お父様の手術が無事に終わりよかったですね。私も嬉しいです。
お父様もご家族も一緒にイエス様に向かうといいですね・・・

神様はいろんな人にその人それぞれ最善の方法を用います。とても素晴らしいお方です。

No.1424 2006/12/26(Tue) 11:11:46

Re: 特別なクリスマス / 昌夫 引用

3日ほど出張に行っていて帰ってきました。それで掲示板をチェックして、この書き込みは何故か読み落としていたことに気づきました。

Ajaさんのお父さまの、ゆだねている姿のことを読んで、マタイ25:31−46を思い出しました。特に37−40節は、意識的には主を知らないでも、深いところでは主を知って、主にゆだねて行動している人たちもいる、ということではないかな、と思います。

どうか主がAjaさんのお父さまを癒して、順調に退院できるようにしてくださいますように。

No.1508 2007/01/08(Mon) 23:19:52
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