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詩篇102章 / 沙耶香 引用

今日は詩篇102章を読みました。

3節の
私の日は煙の中に尽き果て、
私の骨は炉のように燃えていますから。ってなんだろうか?意味がわからない。

5節の
私の嘆く声で
私の骨と皮はくっついてしまいました。ってどういう意味だろうか?骨と皮がくっつくっていう表現は普通やせ細ってしまうという意味だと思うが、私の嘆く声でやせ細ってしまったっていうのも意味不明だ。・・・・うーん、分からない・・・

9節の
これはみな、私が、パンを食べるように灰を食べ、
私の飲み物に涙を混ぜ合わせたからです。ってどういう意味だろうか?意味全くわからない。うーーん???

11節の
私の日は、伸びていく夕影のようです。
私は青菜のようにしおれています。の私の日は、伸びていく夕影のようだというのはどういう意味だろうか?伸びていく夕影??なんだろう???

13節の
あなたは立ち上がり、
シオンをあわれんでくださいます。
今やいつくしみの時です。
定めのときが来たからです。
のいまや慈しみのときです。定めのときがきたからです。って何のことだろうか?定めのとき?うーん???分からない・・・・

20節の
捕われ人のうめきを聞き、
死に定められたものを解き放つために。
はどういう意味だろうか?捕われ人???誰かに捕われられた人が殺されそうになっているのを解放しようとしたのだろうか?

23節の
主は私の力を道の途中で、弱くされ、
私の日数を短くされました。とはどういう意味だろうか?体を弱くして寿命を縮めたという風に解釈したらおかしいし・・・???

28節の
あなたのしもべらの子孫は住み着き、
彼らの末は、
あなたの前に堅く立てられましょう。が印象に残りました。やはり結局は信仰者でないと平安は得られないし、究極の幸せはイエス様を信仰することなのだ・・・

No.1447 2006/12/29(Fri) 20:12:15

Re: 詩篇102章 / 昌夫 引用

詩篇102章は、エルサレムを滅ぼしたバビロンの軍隊に囚われて、バビロンに捕囚として連れていかれたイスラエルの民の一人である詩人が、ひどい熱病にかかって、苦しみながら書いていることを想像して読むと良いと思います。

3節の「私の日は煙の中に尽き果て」とは、苦しみのために、自分の過去の日々が煙のようにはかなく、無意味に感じられることを表していると思います。「私の骨は炉のように燃えています」とは、おそらく熱病のために体全体が熱くなっていることを表現していると思います。

5節で、詩人がやせ細ったのは、4節にあるように、苦しみのために食事をすることも忘れ、「私の嘆く声で」とあるように、苦しみのために嘆きの声を大きくあげたからだと思います。

9節の「灰を食べ」とは、エステル記4:1に、「灰をかぶり」とあるように、とても悲しいときには灰をかぶる習慣が昔のイスラエルにあったので、灰をかぶったときに口にも入ったのだと思います。「私の飲み物に涙を混ぜ合わせた」とは、飲み物を飲むときにも泣いていたので、飲み物に涙が入ったことを表しているのだと思います。

11節の「伸びていく夕影」のところは、夕方に、太陽が低くなって影が長くなっていきまた、薄くなっていくことを思い描いてみてください。そして、やがて、太陽が沈んで闇がくると、影が消えてしまいます。このようにだんだん、薄くなって消えていくはかなさを表現しているようです。

13節の「定めのとき」とは、主が遠いバビロンで捕囚になっているイスラエルの民を救われて、エルサレムに帰してくださるときだと思います。詩人は、そのようなときを主が定めておられることを確信しています。

20節の「捕われ人」とは、バビロンに捕囚となっているイスラエルの民のことです。

23節は、主が生涯の半ばで、詩人が病気になって寿命を縮んだことを書いていると思います。聖書では、僕たちが良いと感じることも、悪いと感じることも、すべて究極的には主がご計画のもとになされていることが書いてあります。だから、病気になって寿命が縮むことも、主がなされたことと考えておかしくありません。24節にあるように、詩人は、寿命を長くして救いを見せてくださるように、主にお願いしています。

No.1449 2006/12/30(Sat) 01:35:07

再詩篇102章 / 沙耶香 引用

今日はもう一度詩篇102章を読みました。

そういう風な歴史的背景が分からないので、意味不明だったですね・・・
エルサレムを滅ぼしたバビロンの軍隊に囚われて、バビロンに捕囚として連れていかれたイスラエルの民の一人である詩人が、ひどい熱病にかかって、苦しみながら書いている・・・そういうことを想像するとまた分かりやすいかもしれないですね・・・でも現代ではそういうことはないので、どういう風に想像したらいいのかわからないけれど・・・

じゃ3節で書いているように詩人は過去の日々が煙のように果かないのだったら、過去にあまりいいことなかったんでしょうね・・・
ふーん、苦しみのために食事をすることも忘れ、嘆きの声をあげたのでやせ細った・・・うーん、相当な苦しみだったんでしょうね・・・

エステル記4章1節・・・間違えて1章を読んでいてどこに書いてあるんだろうと途方に暮れていた・・・
モルデカイは、なされたすべてのことを知った。すると、モルデカイは着物を引き裂き、荒布をまとい、灰をかぶり、大声でわめき叫びながら町の真ん中に出て行き・・・とあります。

ふーん、イエス様がなさることが最善だと信じていたら何でもイエス様のなさることを受け入れられます。でもやはり寿命を長くして救いを見せてくださるように祈りますね・・・だって詩人はそう願っていますもんね。
でもどうなさるかはイエス様次第・・・

管理人さんの解説も読んで、関連写真も見てもう一度102章を読むと本当に感慨深いですね・・・

No.1450 2006/12/30(Sat) 13:05:51

Re: 詩篇102章 / 昌夫 引用

>じゃ3節で書いているように詩人は過去の日々が煙のように果かないのだったら、過去にあまりいいことなかったんでしょうね・・・

僕はむしろ詩人は過去にとても楽しい日々を経験したのではないかと思います。詩人はエルサレムで妻や子供たちと友人に囲まれて一緒に神殿で主を礼拝し、裕福に暮らしていた。ところがバビロンが攻めてきて戦争で家族や友人は殺されたり、行方不明になったりして、財産もすべて失ってしまった。そして遠い敵の国のバビロンに捕虜として連れてこられた。神殿も壊されてしまい、もうエルサレムに帰っても神殿で礼拝することもできない。過去の喜びの日々があっただけに、今の苦しい孤独な日々がよけいにつらい。子供も殺されてしまって、あのとりかえせない過去の日々には、何の意味があったのだろうかと、はかなく思っている。僕はそういう状況を想像します。エルサレムで不幸だった人が、バビロンで捕囚になっている場合よりも、エルサレムで幸福だっ人は、もっとバビロンで深い悲しみを感じたと思います。

ヨブ記でも、ヨブが子供も財産もすべてを失ったとき、過去の喜びの日々がなくなってしまうようにヨブが祈っています。

No.1451 2006/12/30(Sat) 19:35:16

Re: 詩篇102章 / 沙耶香 引用

へーーそうなの?かなり祝福された生活をされていたから、それらを失ったときにかなり辛く苦しく感じられて、過去が無意味なように感じられたのだろうか?
現代では大いに祝福されている人が突然その祝福をなくしてしまうことはないようにいろんな保険があるけれど、昔はそういうものはなかっただろうから・・・
それに昔は戦争がはやっていたから・・・

明日は日曜礼拝。愛する牧師に会える。

No.1453 2006/12/30(Sat) 21:19:01

Re: 詩篇102章 / 昌夫 引用

僕は、最初から何も持っていないことの苦しみより、いろいろな大切に思っているものを失ったときの苦しみの方が、ずっと大きいと感じます。反対に、苦労した後の祝福というのは、より深い喜びを感じます。

今の日本でも愛する子どもを亡くしたときの苦しみというのは、たとえ生命保険のお金がたくさん入ってきても、癒されるものではないと思います。また、地震などの災害で失って、しばらく学校の体育館に住んでいる人たちのニュースを見ることがありますが、いずれ保険が支払われるとしても、住みなれた家を失った苦しみというのは深いものがあるだろうと思います。

日本では第2次世界大戦以降は、国内での戦争にあっていませんが、世界中にはその後も戦争や内戦などがあり、財産を失って保険も支払われない多くの人たちがおられます。

No.1456 2006/12/31(Sun) 00:14:31
詩篇99、100、101章 / 沙耶香 引用

今日は詩篇99、100、101章を読みました。

1節の
主は王である。
国々の民は恐れおののけ。
主は、ケルビムの上の御座に着いておられる。
地よ、震えよ。
のケルビムの上の御座に着いておられるって、なんだろうか?

100章はこういう賛美がありますね・・・

101章の5節の
陰で自分の隣人をそしるものを、
私は滅ぼします。
高ぶる目と誇る心のものに、
私は耐えられません。が印象に残りました。
主はやはりきちんと見ておられます。

7節の
欺くものは、私の家の中には住みえず、
偽りを語るものは、
私の目の前に堅く立つことができません。も印象に残りました。やっぱり信仰者の王道を行くためには、欺きや偽りは禁物です。

No.1440 2006/12/28(Thu) 21:15:58

Re: 詩篇99、100、101章 / 昌夫 引用

第99篇1節のケルビムは、翼を持った御使いのような天国の霊的存在です。主がモーセに天幕を作るように言われたとき、契約の箱を作って、天幕の奥の部屋の至聖所に置くように言われました。そして、その箱のふたの上にケルビムの像を2つ作るように言われました。出エジプト記25章18−22に、主がモーセに言われたことが書いてあります。第84篇のところではりつけたリンクの上から5段目と6段目の写真に、契約の箱とその上のケルビムの像の模型があるので見ておいてください。

第101篇の「私」はダビデ王だと思います。ダビデ王が、いつも完全であったわけではないでしょうが、主と心をひとつにして、高ぶる人たち、欺きや偽りを語る人たちを罰したことが分かります。

No.1444 2006/12/29(Fri) 01:09:00

再詩篇99、100、101章 / 沙耶香 引用

今日はもう一度詩篇99,100,101章を読みました。

出エジプト記25章18-22節・・・
読みました。
??第84章のところで貼り付けたリンクの上から5段目と6段目の写真に、契約の箱とその上のケルビムの像の模型がある・・・??これは何のことか分からない・・・どこに写真があるの?聖書には写真はついていないし、聖書の写真の本の84ページにはそんなのはないし・・・???

今日はかなり冷えます。寒気が入ってきているようです。

101章の6節の
私の目は、国の中に真実な人たちに注がれます。
彼らが私とともに住むために。
全き道を歩む者は、私に仕えます。
が印象に残りました。
主はいつも真実な人たちを見ているのだ・・・私もいつもいつも主に見つめられるようになりたいです。

No.1446 2006/12/29(Fri) 13:08:57

Re: 詩篇99、100、101章 / 昌夫 引用

下に貼り付けたリンクの上から5段目と6段目の写真に、契約の箱とその上のケルビムの像の模型があります。

http://www.bibleplaces.com/tabernaclemore.htm

このリンクは、以前に、詩篇第84篇のレスで、貼り付けたリンクと同じものです。

どうか僕たちの思いと行動を、主にいつも見つめていただけるような完全に聖い真実なものに変えていってくださいませ。

No.1448 2006/12/29(Fri) 23:53:34

Re: 詩篇99、100、101章 / 沙耶香 引用

あー、そういうことだったですか?私は日本語の解釈もあまりできない人なので、申し訳ないです。
天使の像がくっついているような感じのでしょ?見ました。
本当に理解能力が足りなくてごめんなさい。

No.1454 2006/12/30(Sat) 21:26:25

Re: 詩篇99、100、101章 / 昌夫 引用

リンクのことは、もうちょっと詳しく書けばよかったのですが、言葉だけで考えを伝えるのは難しいですね。

写真の天使の像がくっついているようなケルビムの模型も、聖書の御言葉から想像して作っているのだから、どれだけ正確かはわかりませんが、ひとつのイメージとして見ておくと良いと思います。

No.1455 2006/12/31(Sun) 00:02:08
詩篇97、98章 / 沙耶香 引用

今日は詩篇97、98章を読みました。

7節の
偶像に仕えるもの、
むなしいものを誇りとするも緒は、みな恥を見よう。
すべての神々よ。主にひれ伏せ。
が印象に残りました。うん、やっぱりイエス様のみですよね?

98章の最後の節の
確かに、主は地をさばくためにこられる。
主は義をもって世界をさばき、
公正をもって国々の民を、さばかれる。も印象に残りました。多分最後の審判のことでしょうね・・・

No.1431 2006/12/27(Wed) 20:14:50

Re: 詩篇97、98章 / 昌夫 引用

第97篇7節と9節にあるように、主は神々のはるか上の唯一の神であられます。

第98篇の9節は第96篇の13節とよく似ていますね。どちらも最後の審判のことだと思います。

No.1433 2006/12/27(Wed) 23:51:28

再詩篇97、98章 / 沙耶香 引用

今朝はもう一度詩篇97,8章を読みました。

やっぱり主が御言葉で、公正をもって国々の民をさばかれると語られるのはいいですね・・・

97章の10節の
主を愛するものたちよ。悪を憎め。
主は聖徒たちのいのちを守り、
悪者どもの手から、彼らを救い出される。が印象に残りました。
私も***という悪者に結婚詐欺をされ、その後もいろいろなことを陰湿な手を使ってしてきますが、きっと主が救い出してくださると信じて期待して感謝します。

98章に楽器のことがたくさん出てきます。楽器を使って主を賛美することを主は望んでおられるのでしょうね・・・

No.1436 2006/12/28(Thu) 11:31:26

Re: 詩篇97、98章 / 昌夫 引用

>98章に楽器のことがたくさん出てきます。楽器を使って主を賛美することを主は望んでおられるのでしょうね・・・

どういう風に聖書を読むか、ということがとても重要なのですが、こういう風に、聖書のごく一部を読んで、「主は楽器を使った賛美を望んでおられる」と結論するのは、とても危険な読み方なので注意が必要だと思います。「主は楽器を使った賛美も喜んでくださる」と考えるほうが健全な読み方だと思います。主の喜ばれる賛美の方法を知ろうとするなら、聖書の一部だけでなく、賛美に関する聖句を全部調べて考えることが重要です。たとえばマルコ14章26節、使徒16章25節では、状況から考えて、楽器を使わないで賛美の歌を歌っています。

No.1442 2006/12/29(Fri) 00:31:20

Re: 詩篇97、98章 / 沙耶香 引用

あ、そうですね・・・うん、聖書の一部をとって結論づけてはいけないです。時には楽器を使った賛美も好まれ、時には楽器を使われないでの賛美も好まれる・・・という感じですね・・・
うん、ごめんなさいね。結論付けたつもりはないのですが、楽器を使った賛美のことがよく出てくるので、楽器を使った賛美を好まれるのかな?と思ってしまいました。

No.1445 2006/12/29(Fri) 12:35:01
国際基督教大学 / じんない 引用

大垣先生、おひさしぶりです。良いクリスマスを過ごされたでしょうか。先生がますます神様に祝福されて用いられることをお祈りしています。

さて、先生が最近までICUにvisitingで行っていたとホームページで見て知りました。私はICUには行ったことがないのですが、キリスト教に基づく教育を方針に掲げていたり、日本では珍しいLiberal Arts Collegeだったり、いろいろな面でuniqueな大学なので、以前から興味を持っていました。
お暇な時にでも、visiting中のことや、大学の雰囲気などを何でも教えてもらえたらとても嬉しいです。漠然としたお願いで申し訳ありません。

No.1434 2006/12/28(Thu) 01:45:58

Re: 国際基督教大学 / 昌夫 引用

じんないさん、お久しぶりです。

ICUは、基本的にはクリスチャンしか教授として採用しない方針で、日本のキリスト教系の大学の中でもユニークだと思います。キャンパスに木は森が多くて美しいです。正門から入っていくと、正面にICU教会の壁にある大きい十字架が見えてきて嬉しく感じました。

学生は、勉強熱心な人が多く、大学祭のときに、中近東問題に関心を持っている学生が多いのにも感心しました。残念ながら、ほとんどはクリスチャンではなく、勉強などに忙しくて、キリスト教に関心もない人が多いようですが、さすがにキリスト教に強く反発しているという人には会いませんでした。学生のKGKという会が20人くらいの会ですが、熱心に毎日祈りの会を持ち、聖書研究会なども活発にしていました。彼らが大学祭でカフェを出して、証集を配っていましたが、とても信仰心の深い証集だと思いました。僕は、若い日本人のキリスト者のグループというのは、ほとんど見たことがなかったので、とても勇気づけられました。

少数派ですが、熱心なキリスト者の教授たちが教員の聖書研究会や、教員を中心とした学生向けの聖書研究会などの活動をされています。ICU教会の活動として、毎週一回朝に賛美歌を歌い、聖書を読み進み会があって、2,3回参加したほか、3ヶ月の学期に一回、学生と教員に呼びかけて行われるゴスペル・カフェという軽い夕食と講演の会と、1ヶ月に一回、職員を対象に行われる会に参加して、証を語る機会をいただきました。

No.1435 2006/12/28(Thu) 11:05:09

Re: 国際基督教大学 / じんない 引用

早速のお返事、どうもありがとうございます。

学生にクリスチャンが少ないというのは残念ですが、教授は基本的にはクリスチャンしか採用しない方針というのは凄いですね。
私はアメリカに来てから、ICU出身の日本人クリスチャンと何度も出会うことがありました。大学にいる間に神様を受け入れることがなくても、種はしっかりとまかれているように思います。全くキリスト教との接点を持つことがない日本人も多いと思うので、ICUはとても大きな仕事をしていると思います。

質の高い教育はとても高く評価されていると聞きます。社会やコミュニティーに仕えつつ、伝道の手段としてもますます用いられると素晴らしいなと思います。

No.1438 2006/12/28(Thu) 16:15:48

Re: 国際基督教大学 / 沙耶香 引用

でも教授さんを基本的にクリスチャンからしか採用しないと言っても、どういう風に見分けるの?
テストでもするのかな?イエス様のことをどれだけ知っているか?みたいな・・・でも知識が多いことがクリスチャンの証明にはならないと思うなー・・・逆に知識がなくてもクリスチャンの人もいるし・・・

自称クリスチャンもいるし・・・どういう風だとクリスチャンだと認定されるのかな?
私はイエス様を信仰しているしイエス様は素晴らしく唯一の救い主だと受け入れているけれど、聖書もあまり読めず、意味がわからず、だからイエス様的知識はあまりないので、一般的にはクリスチャンに見えないかもしれないです。
でもイエス様をこの上なく慕い、イエス様にすがり、日々イエス様を仰ぎ見ているわけです。でもこんなことはイエス様にしか分からないから・・・

No.1439 2006/12/28(Thu) 20:50:39

Re: 国際基督教大学 / じんない 引用

>沙耶香さん

そういえば、クリスチャンかどうかはどうやって知るんでしょうね。気がつかなかったです。

きっと、知り合いのクリスチャンに推薦してもらったりするのではないでしょうか。何かの事情でそれが難しい人とは会ってお話しをして、それで判断するのかも知れないですね。
もちろん、就職したいために嘘をついてクリスチャンのふりをする人もいるかも知れないですけど、人間には完全な制度は作れないので、最後は祈って、相手の言うことを信頼して判断するしかないのではないでしょうか。

イエス様を救い主だと受け入れているなら、沙耶香さんはクリスチャンですね。そういう人なら、一見クリスチャンに見えなくても、少し話しをしたらすぐに分かると思います。クリスチャンかどうかは知識のあるなしとは関係ありませんから。

No.1441 2006/12/29(Fri) 00:30:01

Re: 国際基督教大学 / 昌夫 引用

僕の場合、応募の手紙に自分はクリスチャンです、と申告しただけです。他のクリスチャンの推薦も求められなかったし、いつバプテスマを受けたかとか、どこの教会に属しているか、というような質問も受けませんでした。ただ僕は3ヶ月だけの客員教授で書類だけの応募だったので、キャンパスに候補が招かれる普通の採用のときには、所属教会くらいの質問はあるのではないかと思います。キリスト教についての知識についてのテストというのは、ないと思います。

それからICUは設立時に無教会派との関係が強かったそうです。無教会派は、信仰のみによる義認と救いを強調するので、水のバプテスマを受けたか、とか、教会に属しているか、というようなことは、重視しません。信仰のあるなし、ということであれば、自己申告しか見分ける方法はないことになります。

No.1443 2006/12/29(Fri) 00:49:35
詩篇95、96章 / 沙耶香 引用

今日は詩篇95、96章を読みました。

7節の
主は、私たちの神。
私たちは、その牧場の民、その御手の羊である。
きょう、もし御声を聞くなら、の、その牧場の羊というのは賛美の中に良く出てきます。

11節の
それゆえ、わたしは怒って誓った。
「確かに彼らは、私の安息に、はいれない。」と。の私の安息ってなんだろうか?安息日というのが休憩日だとしたら安息とは休憩??でも私の休憩っていうのもわからない・・・??

96章さいごの
確かに、主はこられる。
確かに、地をさばくためにこられる。
主は義をもって世界をさばき、
その真実をもって国々の民をさばかれる。
が印象に残りました。得に最後のその真実をもって国々の民をさばかれる・・・なんていいですね・・・

No.1428 2006/12/26(Tue) 20:38:19

Re: 詩篇95、96章 / 昌夫 引用

第95篇の11節の「安息」とは、ここでは約束の地のことです。主はアブラハムに子孫であるイスラエルの民にカナンの地を与えることを約束されました。

主がイスラエルの民が奴隷にされていたエジプトの国から救い出されて十戒を与えられ、主の天幕が作られた後、エジプトから出て2年目に、主はイスラエルの民を約束の地に入らせようとされました。それで、まず、12の各部族から1人ずつ、12人のスパイがカナンの地を偵察するために派遣されました。10人のスパイは、カナンの地の住民が強そうで、町々が城壁で守られ大きいのを見て、とても攻め入って勝つことはできない、と思い、イスラエルの民にそう言いふらしました。それで、イスラエルの民は、主を信頼せず、エジプトに帰ろうとしました。12人のスパイのうち、ただ、ヨシュアとカレブだけは、主を信頼し、約束の地に攻め入ろうと言いました。しかしイスラエルの民は、ヨシュアとカレブを石で撃ち殺そうとしました。

主は怒られ、このとき20歳以上の者は、ヨシュアとカレブ以外は誰も約束の地に入れないことを誓われました。ここまでのことは民数記13−14章に書いてあります。

それで、イスラエルの民は、40年も荒野でさまようことになり、主が約束の地に入れないと誓われた人々が全て荒野で死に、モーセも死んでから、ヨシュアを新しいリーダーとして、約束の地に入りました。

エジプトから救い出された主の不思議な力を大人として実際に見たイスラエルの民の世代は主の約束を信頼するよりも、実際問題として、カナンの地の人たちが強そうに見えたことを重視しました。それで、約束の地に入ることができませんでした。キリスト者にとっての約束の地は永遠の天国です。天国に入って安息を得るためには、この世的な実際問題にとらわれず、主の約束を信頼し、主の全知全能の力を信ずることが大切です。第96篇の最後にあるように、確かに主は来られるからです。

No.1429 2006/12/26(Tue) 23:04:46

再詩篇95、96章 / 沙耶香 引用

今日はもう一度詩篇95,96章を読みました。

民数記13-4章・・・
とても一度では読みきれない・・・14章の3節まで読みました。じゃ二十歳以下だったら約束の地には入れたのですか?よく分からない。

へーーーやはり主の怒りを買うと、いろいろなことが起こりますね・・・

うん、本当にキリスト者にとって約束の地とは永遠の天国ですよね?

とは言っても、管理人さんは裕福な暮らしをなさっておられるからこの世的な実際問題にとらわれず主の約束を信頼し、主の全知全能の力を信ずることが大切だと言い切れるのです。
私たちのように社会的弱者はいつも実際問題現実問題と隣り合わせです。でもだからと言って、この世的な実際問題に支配されてはいけないと思います。
社会的弱者だから実際問題にいつも振り回されても仕方がないと言い続けてそこから動かないと一番大事な主の語りかけが聞こえなくなります。
そうするとクリスチャンなのに、いつしか主からずれてしまいます。
天のお父様イエス様どうか私が、この世的な実際問題にとらわれず、主の約束を信頼し、主の全知全能の力を信ずることができますように。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・

この最後の13節は最後の審判のことだろうか?

No.1430 2006/12/27(Wed) 13:05:11

Re: 詩篇95、96章 / 昌夫 引用

>じゃ二十歳以下だったら約束の地には入れたのですか?

エジプトを出て2年目に20歳以下だった人たちは、40年目にヨシュアに率いられて約束の地に入りました。

>この最後の13節は最後の審判のことだろうか?

そうだと思います。ここで「主は来られる」とは、さばきのために来られるので、主キリストの再臨のことだと考えられます。だから、13節は再臨の後の最後の審判のことだと思います。

No.1432 2006/12/27(Wed) 23:45:12

Re: 詩篇95、96章 / 沙耶香 引用

ふーん、いろいろと難しいですね・・・

やはりイエス様の再臨や最後の審判がないとこの世の中だけでは不平等になってしまうから・・・それこそ悪者が栄える世の中になります。でも最後の審判があるから、悪者も神様が真に悔い改めたと認めないと地獄に落ちてかなり苦しむことになります。

No.1437 2006/12/28(Thu) 11:34:43
詩篇93、94章 / 沙耶香 引用

今日は詩篇93、94章を読みました。

4節の
大水のとどろきにまさり、
海の力強い波にもまさって、
いと高きところにいます主は、力強くあられます。
はどういう意味だろうか?大水のとどろき?なんだろうか?

13節の
わざわいの日に、貴方がその人に
平安を賜るからです。
その間に、悪者のためには穴が掘られます。
ってどういうことだろうか?だって災いの日に平安を賜るってどういうことだろうか?

20節の
おきてにしたがって悪をたくらむ破滅の法廷が、
あなたを仲間に加えるでしょうか。とはどういう意味だろうか?悪をたくらむ破滅の法廷???なんだろう???

No.1420 2006/12/25(Mon) 19:47:08

Re: 詩篇93、94章 / 昌夫 引用

第93篇4節の「とどろき」は大きくひびく音という意味です。

第94篇13節の「わざわいの日」とは、苦しい試練のとき、という意味だと思います。苦しい試練のときにも、主が信仰者に心の平安を与えられます。14節にあるように、主は信仰者を見捨てられないからです。また、詩篇第49篇5節にあるように、わざわいの日にも、信仰者は恐れる必要がないからです。

20節の「おきてにしたがって悪をたくらむ破滅の法廷」とは、法律を悪用して不正な利益を得ようとする裁判官のいる法廷のことだと思います。23節にあるように、主はそのような悪い裁判官とその悪の仲間たちを、いずれ滅ぼされます。

No.1422 2006/12/26(Tue) 05:52:43

再詩篇93、94章 / 沙耶香 引用

今朝はもう一度詩篇93,94章をよみました。

そうですか・・・私には本当に多くの災い、試練がありますので、苦しい時にも心に平安が与えられるとか、災いの日にも信仰者は恐れる必要がないとか言ってくれるととても嬉しいです。

法律を悪用して不正な利益を得ようとする裁判官のいる法廷・・・今もそんなのたくさんあるだろうけれど、表に出てこないだけで・・・でもそのような悪は神様が滅ぼしますね・・・

8,9,10節の
気づけ。民のうちのまぬけ者ども。
愚か者ども。おまえらは、
いつになったら、わかるのか。
耳を植え付けられた方が、
お聞きにならないだろうか。
目を作られた方が、ご覧にならないだろうか。
が印象に残りました。
耳を植え付けられた方も目を作られた方もイエス様なんですよね・・・

No.1425 2006/12/26(Tue) 11:25:15

Re: 詩篇93、94章 / 昌夫 引用

イエスさまがすべての耳を植えつけられ、すべての目を造られました。だから、僕たちが人に隠れて何をしていても、イエスさまが聞いておられ、ご覧になっておられます。

No.1427 2006/12/26(Tue) 12:20:48
詩篇92章 / 沙耶香 引用

今日は詩篇92章を読みました。

5節の
主よ。あなたのみわざは
なんと大きいことでしょう。
あなたの御計らいは、いとも深いのです。
の御計らいとはなんだろうか?御心のことだろうか?

7節の
悪者どもが青草のようにもえいでようと、
不法を行う者どもがみな栄えようと、
それは彼らが永遠に滅ぼされるためです。
のもえいでるってなんだろうな?青草のようにもえいでる?意味不明だ。

No.1415 2006/12/24(Sun) 20:54:29

Re: 詩篇92章 / 昌夫 引用

5節の御計らいとは、神さまのご計画のことです。すべてが御心どおりになる天の御国と違い、この世では、人間の罪のために、神さまの喜ばれないことがいろいろ起こります。しかし、そのようなことも含めて、すべてのことは、全知全能の力を持たれた神さまのご計画どおりになります。罪のために起こったことも、すべてをともに働かせて、神さまを愛するようにあらかじめ決められた人々の益になるようにされます。このようにすべてのことが、神さまのご計画どおりになるように、すべてを備えられ、行われるように導かれることを、摂理といいます。

7節の「もえいでる」とは「萌える(もえる)」という言葉と、出る(でる、あるいは、いでる)という言葉を組み合わせた言葉です。萌えるとは、草木の芽が出ることで、この言葉に、すでに「出る」という意味が入っていますが、さらに「いでる」と付け足して、強調しているようです。青草が力強く芽を出すというイメージを使って、悪者が栄えるイメージを表現しています。

No.1417 2006/12/24(Sun) 23:30:45

再詩篇92章 / 沙耶香 引用

今朝はもう一度詩篇92章を読みました。

本当にこの世では神様の喜ばれないことがいろいろ起こりますし、弱者が泣く世の中です。この世の中も、天の御国のようになれば過ごしやすくなるし、弱者も堂々と世の中で生きられます。今の世の中は弱者が何も悪いことをしていないのに悪いことをしているかのように小さくなっています。これを何とかして欲しいなー・・・
イエス様イエス様イエス様・・・

もえいでる・・・そうなんだー比ゆ的にいろんな言葉を使うから分かりにくい・・・

でもイエス様の御心どおりにこの世の中がいかないからといってイエス様に背を向けたらいけないんだ。それでもイエス様についていき、祝福を待っている・・・そういう姿勢できっと永遠の天国でも祝福されると信じて期待して感謝します。

最初のほうにお琴のことを書いてありますね・・・中学生のころにお琴弾ける人がいて羨ましかったですね・・・私も何か秀でているもの、人に自慢できるものがあればいいんだけれど・・・でも大体普通の人は人に自慢できるものが一つか二つはあるはずなのに、私には一つもない・・・ひとつも自慢できることがないのが自慢・・・笑・・・でもこういう風に言うしかないです・・・・だからイエス様が私をここまで祝福してくださるのです。

15節の
こうして彼らは、主の正しいことを告げましょう。
主は、わが岩。
主には不正がありません。のわが岩っていうのもよく出てきますね・・・主はいろんなものにたとえられます。

No.1419 2006/12/25(Mon) 12:07:09

Re: 詩篇92章 / 昌夫 引用

すべては主にいただいたものなので、自慢をしない、ということはとても大切なことだと思います。でも、自分はこの世的に誇ることがなくても、全宇宙の王であられる主イエスさまを個人的に知っていて愛されている、ということを誇りにして生きることが、キリスト者としての基本的な出発点になると思います。世間から小さいものと評価されても、自分からは小さくならずに、主を誇って、主の光によって、自分はすでに世の光とされていることを実感できると素晴らしいですね。

No.1421 2006/12/26(Tue) 02:05:31

Re: 詩篇92章 / 沙耶香 引用

そうですね・・・世間や人間の評価と神様の評価は全く違うのです。でもこの世の中で生きていていろんな人と接していると人に馬鹿にされ、蔑まれることばかりなので、どうしてもそう思わざるを得なくなります。
でもそういう風に思い込むとイエス様は喜ばれないです。こんな私でもイエス様は貴方は高価で尊いと評価してくださっています。うん、クリスチャンは世の光です。イエス様には私から放つ光が見えるのでしょう。

No.1426 2006/12/26(Tue) 11:29:37
詩篇91章 / 沙耶香 引用

今日は詩篇91章を読みました。

3節の
主は狩人のわなから、
恐ろしい疫病から、
あなたを救い出されるからである。
の狩人って誰だろうか?いつも言っている悪者のことだろうか?

7節の
千人が、あなたのかたわらに、
万人が、あなたの右手に倒れても、
それはあなたには、近づかない。
が印象に残りました。人生の究極の勝利は数ではなく、神への信頼・・・いいですね・・・神への信頼が勝利者・・・こういう価値観がクリスチャンになって一番よかったんだと思います。だって私は精神疾患で仕事もできず、何もこの世的にはとりえがなく、人生の落ちこぼれと世間には言われていますが、それが勝利者だなんてもう嬉しくて・・・イエス様と出会ってなかったら、こんなことは絶対ありえなかったので・・・・嬉しい。大喜び・・・それに私はクリスチャンになってもやはり世間や家族の重圧に耐えかねて、やはり自分は価値がないのではないか?と思えてくるが、でもイエス様の指示でそうじゃないと言ってくださる信仰の先輩もいて、この上なく幸せです。

8節のあなたはただ、それを目にし、
悪者への報いを見るだけである。もいいですね・・・
今私は相当落ち込んでいてもう人生もクリスチャンも何もかも放棄してしまおうか?と投げやりになっているときに、7,8節が私を必死で支えてくださいます。とても嬉しいです。

何だかやはりクリスチャンになってよかったですね・・・

No.1409 2006/12/23(Sat) 21:13:15

Re: 詩篇91章 / 昌夫 引用

3節の狩人は、沙耶香さんの考えどおり悪人のことだと思います。悪人は、信仰者にわなをしかけてくるので、誌的に「狩人」という表現をここでは使ったのだと思います。

主が7-8節を使って沙耶香さんの魂に直接に語りかけられたと信じて感謝します。

14-16節は、神さまの信仰者への約束です。「彼」となっていますが、これは、詩篇の書かれた当時、人間のことを「彼」と男性形で表現したからです。信仰者である沙耶香さんにも、同じ約束を神さまがなさっています。

No.1412 2006/12/24(Sun) 06:18:44

再詩篇91章 / 沙耶香 引用

今朝はもう一度詩篇91章を読みました。

14から16節・・・
彼がわたしを愛しているから、
わたしは彼を助け出そう。
彼がわたしの名を知っているから、
わたしは彼を高く上げよう。
彼が、わたしを呼び求めれば、
わたしは、彼に答えよう。
わたしは苦しみのときに彼とともにいて、
彼を救い彼に誉れを与えよう。
わたしは、彼を長い命で満ちたらせ、
わたしの救いを彼に見せよう。

長い命・・・私はこの世的には苦しみ、試練、困難が多いので、長寿はあまり望んでいないのだが・・・いや、でもそのうち神様が祝福してくださり、相当祝福された老後になるかも???楽しみ・・・むふふ・・・

天のお父様神様イエス様どうかイエス様が働いて悪者***にこれ以上私や私の家族にいろんな仕打ちをしてこないようにしてください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・

No.1413 2006/12/24(Sun) 07:33:09

Re: 詩篇91章 / 昌夫 引用

「長い命」ですが、これは、詩篇が書かれたころには、まだ神さまが永遠の命についてはっきり啓示されていなかったので、長寿という意味で詩人が書いたと思います。でも、キリストの十字架について知っている僕たちは、長寿の祝福は永遠の命という本当の祝福を指し示す働きをするものだ、と考えると良いと思います。

No.1416 2006/12/24(Sun) 23:18:02

Re: 詩篇91章 / 沙耶香 引用

あ、そう・・・永遠の命っていいですよね?いくらこの世で祝福されていても永遠の命がなかったら、滅びにつながります。
でもこの世に、世間に生きているとこの世的祝福を追及するのが普通だから・・・永遠の命がないと滅びるだけで何も残らないと言っても通じないのです・・・とても悲しいです。

No.1418 2006/12/25(Mon) 11:30:40
詩篇90章 / 沙耶香 引用

今日、テレビで教会の男性牧師と主婦がホテルで一夜を過ごしていて二人とも亡くなったことが報じられていた。
この牧師は牧師と思えないような言動が多かったそうで、贅沢な暮らしをしていて、みなから反感を買っていたらしい。
前も牧師が女性を次々教会につれてこさして犯していた事件があったが・・・神に仕える身で恥ずかしい行為をしないでほしい。イエス様の名を汚します。

今日は詩篇90章を読みました。

2節の
山々が生まれる前から、
あなたが地と世界とを生み出す前から、まことに、とこしえからとこしえまで、
あなたは神です。はいいですね・・・・とこしえからとこしえまであなたは神ですっていうのがいいです。

5節の
あなたが人を押し流すと、
彼らは、眠りにおちます。
朝、彼らは移ろう草のようです。
はどういう意味だろうか?移ろう草ってなんだろうか?

9節の
まことに、私たちのすべての日は、
あなたの激しい怒りの中に沈み行き、
私たちは自分の齢を一息のように終わらせます。
ってどういう意味だろうか?
私たちの罪と関係があるんだろうか?うーん、何だかよく分からない・・・

体調最悪・・・苦しい・・・逃げ出したい・・・イエス様の元に・・・

13節の
帰ってきてください。
主よ。いつまでこのようなのですか。
あなたのしもべらを、あわれんでください。
は私の心境です。

17節の
私たちの神、主のご慈愛が、
私たちの上にありますように。
そして、私たちの手の技を
確かなものにしてください。
どうか、私たちの手の技を、
確かなものにしてください。
はどういう意味だろうか?手の技を確かなものにしてくださいってなんだろうか?

No.1402 2006/12/22(Fri) 20:25:25

再詩篇90章 / 沙耶香 引用

今朝はもう一度詩篇90章を読みました。

90章というと第四巻です。ようやくここまできました。でもまだまだ理解不能で・・・

体調も精神状態も最悪でイエス様のところに行きたいのですが、祈っても祈っても連れて行ってくれない。

4節の
まことに、あなたの目には、
千年も、昨日のようにすぎさり、
夜回りのひと時のようです。というのが印象に残りました。だって千年が夜回りのひと時のようだなんて・・・

11節の
だれが御怒りの力を知っているでしょう。
だれがあなたの激しい怒りを知っているでしょう。
その恐れにふさわしく。が印象に残りました。

15節に
あなたが私たちを悩まされた日々と、
私たちがわざわいに会った年年に応じて、
私たちを楽しませてください。とありますが、これは願望系なので、わざわいにあった年年に応じて私たちを楽しませてくれるわけではないのですね・・・
年年に応じて私たちを楽しませてくれます・・ならいいのに・・・

No.1405 2006/12/23(Sat) 10:42:46

Re: 詩篇90章 / 昌夫 引用

第90篇から、詩篇の第4巻が始まります。第4巻も、イスラエルの捕囚を背景にしているようです。第3巻の最後の89篇で、主がダビデの契約を捨て去られてように思える、という問題が書かれていました。ダビデの子孫から、永遠のイスラエルの王が現われて、イスラエルの栄光が遠くの国々までに表れるということが、イスラエルの希望でしたが、バビロン捕囚のときに、この希望は、もう絶たれたように見えました。ダビデからつづいてきた王政も、イスラエルの国もなくなってしまっていました。このイスラエルの危機のときに、第90篇でモーセが登場して、イスラエルのために、とりなしの祈りをしています。歴史的には、何百年か前の出エジプトの後に、モーセがシナイ山で主に十戒をいただいているときに、イスラエルの民は金の子牛の神を作り、偶像崇拝を始めました(出エジプト記32章)。このときに主が怒られてイスラエルを滅ぼそうとされましたが、モーセがとりなしの祈りをして、イスラエルの滅亡の危機を救いました。それで、詩篇の編者が、第90篇を捕囚のときのイスラエルの滅亡の危機を訴えた第89篇の後において、モーセが詩篇の中で再びイスラエルのために祈るようにしたのだと思います。

第90篇が、第4巻の初めにあるもうひとつの意義として、イスラエルの栄光を約束するダビデの契約から遠くにいる捕囚のときのイスラエルに、もっと基本的なモーセの律法の契約に立ち返ることを促すということがあると思います。僕たちキリスト者も、自分が約束していただいた栄光や勝利から遠くにあると思えるときは、基本に立ち返って、自分は罪にあったのに、イエスさまが自分を愛して十字架の上で死んでくださった、ということに心の焦点をあわすようにすると良いと思います。

5−6節は、人がこの世に生まれ、まもなく死んでいく、人生の短さ、はかなさを表現するのに、朝には花を咲かせているが、夕方には枯れてしまう草にたとえています。5節の「移ろう」の、もとのへブル語は、「早く過ぎ去る」という意味だそうです。

9−11節は、人生の短さに加え、人間は罪のために苦しむことを書いています。この罪は、必ずしも、自分の特定の罪ではないと思います。天国に比べると、この世では、アダムとエバのときからの、多くの人間の罪のために苦しみに満ちています。9節は特に人生の短さと、罪が根本的な原因の苦しみとを描いています。

17節の「手のわざ」は、申命記16章15節の「手のわざ」と同じへブル語です。16章15節に、「主が、あなたの収穫、あなたの手のすべてのわざを祝福される」とあることから、「手のわざ」とは、日常のさまざまな働き(仕事や家事など)のことだと思います。モーセがイスラエルの民の日常のさまざまな働きを主が祝福してくださるように祈っています。

No.1411 2006/12/24(Sun) 00:00:09

Re: 詩篇90章 / 沙耶香 引用

この世は果かないですね・・
罪のために苦しみが多いのかな?でも罪が多い人が苦しみ試練が多いというわけではないですよね?でもまあ、この辺も神様が公平にされるだろうから・・・罪を相当犯し、この世的にも相当祝福されている人は死んだ後に神様からの報復が待っているでしょう。。。
私たちクリスチャンは今この世で苦しみ試練にあっていても、結局は勝利に導かれると信じて期待して感謝します。

だって永遠の命ですものね・・・

No.1414 2006/12/24(Sun) 07:43:41
詩篇89章 / 沙耶香 引用

今日は詩篇89章を読みました。

8節の
万軍の神、主。
だれが、あなたのように力がありましょう。
主よ。あなたの真実はあなたを取り囲んでいます。
が印象に残りました。

9節の
あなたは海の高まりを治めておられます。
その波がさかまくとき、
あなたはそれを静められます。
の波がさかまくときってなんだろうか?波があがってくるときだろうか?

10節の
貴方ご自身が、
ラハブを殺されたもののように打ち砕き、
あなたの敵を力ある御腕によって散らされました。
のラハブって誰だろうか?ダビデの知り合いかな?

11節の
天は貴方のもの、地もあなたのもの。
世界とそれを満たすものは、
あなたがその基を据えられました。
の基ってなんだろうか?多分前も聞いたと思うけれど、全く覚えていない。14節にも王座の基と出てくる。基って何?

31,32節の
また、もし彼らが私のおきてを破り、
わたしの命令を守らないならば、
わたしは杖をもって、彼らのそむきの罪を
むちをもって、彼らの咎を罰しよう。が印象的ですね・・・主は哀れみ深いお方だけれど、恐れ多い方だ。

No.1400 2006/12/21(Thu) 20:48:45

再詩篇89章 / 沙耶香 引用

今朝はもう一度詩篇89章を読みました。

6節の
まことに、雲の上では
だれが主と並びえましょう。
力あるものの子らの中で
だれが主に似ているでしょう。
が印象に残りました。イエス様は唯一無二のお方だから・・・・

26節の
彼は、わたしを呼ぼう。
「あなたはわが父、わが神、わが救いの岩。」と。
のわが救いの岩というのは賛美によく出てきますね・・・

天のお父様神様イエス様
管理人さんの道中が無事であられますように。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・

No.1401 2006/12/22(Fri) 11:03:26

Re: 詩篇89章 / 昌夫 引用

第89篇は、アッシリアとバビロンの捕囚に関連する詩篇を集めたと考えられる第3巻の最後の詩篇です。1-8節は主がダビデに与えられた契約を称讃しています。主は、3節にあるように、ダビデの子孫を永遠の王とする契約をダビデに与えられました。この契約については、19-37節とサムエル記第2の7章4-17節にもっと詳しく書いてあります。38-45節で、詩人は、素晴らしいダビデとの契約を、主が捨てさられたように思えることを嘆いています。これは、ユダ王国がバビロンに滅ぼされ、リーダーたちが捕囚として遠いバビロンに連れ去られたときに、ダビデの子孫の王政が終わってしまったことによります。46-51節で、主がダビデとの契約を心に留めて、永遠の王を与えてイスラエルを祝福してくださるようにお願いしています。

9節の「さかまく」とは、水流がぶつかり合って激しく波立つ水流がぶつかり合って激しく波立つことです。

10節のラハブとは、神話的な海の怪物です。

11節の「基(もとい)」とは、「物事の基礎」とか、「建物の土台」という意味です。

No.1407 2006/12/23(Sat) 12:54:32

Re: 詩篇89章 / 沙耶香 引用

神話的な海の怪物ってなんだろう?作り話なのかな?

基=物事の基礎、建物の土台・・・覚えないといけない・・・
管理人さんのように頭のいい人がいつもいつも同じことで分からない分からないと言われたら頭にくるでしょうね・・・

いろいろ文章の組み立てがあって難しいですね・・・私なんかないようの理解なんていつの日なのか?

No.1408 2006/12/23(Sat) 17:38:32

Re: 詩篇89章 / 昌夫 引用

>神話的な海の怪物ってなんだろう?

僕はラハブはおそらくこの世に実在した怪物だったのだろう、と思います。でもそのような怪物がこの世に実在したかどうかよりも、ラハブによって表現される、神さまに逆らう強力な霊的存在があり、神さまが打ち砕かれた、ということが大切だと思います。

よく知りませんが、ラハブはイスラエルのまわりの国々の神話に登場した怪物だったのだろうと思います。神話や昔話は、この世の現実のことでなくとも、何か霊的な世界の現実に関することを書いてあることが多いようです。

No.1410 2006/12/23(Sat) 22:24:52
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