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詩篇80章 / 沙耶香 引用

今日は詩篇80章を読みました。

14節の
万軍の神よ。どうか、帰ってきてください。
天から目を注ぎ、よく見てください。
そして、このぶどうの木を育ててください。は何だかすばらしいですね・・・主に祈っていて・・・

19節の
万軍の神、主よ。私たちをもとに返し、
御顔を照り輝かせてください。
そうすれば私たちは救われます。
が印象に残りました。

No.1358 2006/12/13(Wed) 20:21:04

Re: 詩篇80章 / 昌夫 引用

第80篇も、イスラエルの歴史に基づいています。敵地で捕囚にあるイスラエルの民がカナンの地に返してほしいと祈っています。2節で、エフライム、ベニヤミン、マナセという北イスラエルの部族が書いてあることから、これは、北イスラエルのアッシリア捕囚のときに書かれた詩篇であるようです。

1節でイスラエルの牧者に、と主をたとえ、イスラエルの民を羊にたとえているのは、第79篇の13節とよく似ていますし、沙耶香さんが書かれていたように賛美歌にもよく出てくる表現です。ヨハネの福音書の10章の1−18節で、イエスさまがご自分を牧者にたとえられ、信仰者を羊にたとえて話されているので、読んでみてください。

8−19節では、主は農園主にたとえられ、イスラエルの民は全体としてぶどうの木にたとえられています。ヨハネの福音書15章1−17節では、イエスさまが、父なる神を農夫に、ご自分をぶどうの木に、信仰者をぶどうの木の枝にたとえて、話されているので、読んでみてください。

No.1359 2006/12/13(Wed) 23:08:45

Re: 詩篇80章 / 沙耶香 引用

今朝はもう一度詩篇80章を読みました。

ふーん、何だか難しいですね・・
ヨハネの10章の1から18節・・・11節の私は、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。と14節の
私は良い牧者です。わたしは私のものを知っています。また、私のものは、私を知っています。がいいですね・・・
イエス様が牧者なんて最高ではありませんか!!

ヨハネの15章1から17節
7節の
あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばが
あなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほし
いものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのため
にそれがかなえられます。
っていいですね・・・・
17節の
あなたがたが互いに愛し合うこと、これが、わたし
のあなたがたに与える戒めです。
もいいですね・・・

あ、でも私はただ何となく読むだけで、そういう風に8から19節までは主は農村主にたとえられ、イスラエルの民は全体としてぶどうの木にたとえられていることなんて分かりえなかったです。あまりよく意味が取れないのです。
まだまだ、まだまだですね・・・でも少しずつですよ・・・わからないからといって、放り投げて何もしなかったらそこでとまってしまいますから・・・

No.1361 2006/12/14(Thu) 11:01:18

Re: 詩篇80章 / 昌夫 引用

>イエス様が牧者なんて最高ではありませんか!!

最高ですね。ペテロの手紙 第一の2章25節に、

「あなたがたは、羊のようにさまよっていましたが、今は、自分のたましいの牧者であり監督者である方のもとに帰ったのです。」

とあります。羊のように迷っていた僕たちを主イエスさまのもとに帰らせてくださった神さまに感謝します。

17節のように、本当にキリスト者が、主の聖なる愛で愛し合えると素晴らしいですね。

>あまりよく意味が取れないのです。

人間には、誰にも聖書全体に書いてあることの意味が完全にはとれないと思います。お祈りしながら聖書を読めば、自分に必要なことは、神さまが分からせてくださると信じています。だから、あまり意味がとれなくとも、心配せずに、少しずつ聖書に親しんでいけば良いですね。

No.1363 2006/12/15(Fri) 01:32:17

Re: 詩篇80章 / 沙耶香 引用

でも、完全に取れなくても、管理人さんのようにいろんなことが把握できていると私よりもずっとイエス様に近づけるような気がして羨ましいです。
神様イエス様私もイエス様のお考えに少しでも近づきたいので、聖書が理解できるようにしてください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・

No.1366 2006/12/15(Fri) 10:25:55
詩篇79章 / 沙耶香 引用

今日は詩篇79章を読みました。

最近また暖かな日が続いていてしのぎやすくてよかったです。

10節の
なぜ、国々は、
「彼らの神はどこにいるのか。」と言うのでしょう。
あなたのしもべたちの、流された血の復讐が、
私たちの目の前で、国々に思い知らされますように。
はどういう状況なのだろうか?
流された血の復讐?なんだろう?

13節の
そうすれば、あなたの民、あなたの牧場の羊である
私たちは、
とこしえまでも、あなたに感謝し、
代々限りなく貴方の誉れを語りつげましょう。の牧場の羊というのはよく出てきますね。
賛美にも使われています。

No.1351 2006/12/12(Tue) 19:58:31

Re: 詩篇79章 / 昌夫 引用

第78篇につづいて、この詩篇も、歴史に基づいています。紀元前586年にバビロン軍はエルサレムを破壊し、神殿も焼かれ、町は略奪され、民の指導者たちはバビロンに捕囚となりました。このバビロン軍との戦争のときに、他のイスラエルのまわりの国々もユダ王国攻め、多くのイスラエルの民を殺したようです。

10節の「国々」はバビロンや、そのほかのイスラエルのまわりの国々です。当時、イスラエルのまわりの国々は、戦争をすると、より力の強い神を崇拝している国がが勝つと信じていました。だから、ユダ王国が戦争に負けたときに、他の国々の民は「負けたユダ王国の神はどこにいるのか」と、主をあざけったのです。詩人は、主が、多くのイスラエルの民が殺されたことの復讐をされることを願っています。

No.1355 2006/12/13(Wed) 07:55:42

再詩篇78、79章 / 沙耶香 引用

今朝は管理人さんの勧めもありもう一度詩篇78章と79章を読みました。

9節のエフライムが12部族に分割されたカナンの地図で出ていましたね。

12節のエジプトの地、ツォアンの野は出エジプトの経路の地図で載っていましたね。

79章3節の
聖徒たちの血を、エルサレムの周りに、水のように注ぎだしました。
彼らを葬るものもいません。が印象に残りました。

No.1357 2006/12/13(Wed) 11:50:33
父のこと / Aja 引用

今日父と母が病院へ行き、主治医から説明を聞いてきました。
父は手術をすることになり、8時間くらいかかる手術になるらしいので、家族みなショックを受けています。

25日のクリスマスの日に手術の予定になりました。
今週末は病院でまた検査をし、来週末から入院です。

父は穏やかな人で、タバコもすわないし食事も気をつけているし、酒もそんなに飲まないし、運動もするし、母としては「どうして」という思いがあるようです。

この世では善人が苦しみを味わうこともあり、摂生してても病気になることもあり、不条理に見えることもありますが、神様はすべてをご存知で、ひとりひとりをかけがえのない子供として愛していてくださると信じる信仰が与えられているのは本当に恵みです。

父の手術のことお祈りしていてください。
また、このことを通して家族が神様に心を向ける機会となるようにもお祈りしてください。

No.1352 2006/12/12(Tue) 21:41:55

Re: 父のこと / 昌夫 引用

どうかイエスさまが医者の診断、治療、手術などを用いて、Ajaさんのお父さまを癒してくださいますように。この試練の中で、Ajaさんが、イエスさまの光を正しく反射して、ご家族にイエスさまの光を見せることができますように、そして、ご家族が神さまに心を向けることができますように、お導きくださいませ。

No.1353 2006/12/13(Wed) 00:01:53

Re: 父のこと / 沙耶香 引用

へーーー、大変な手術ですね・・・お父様きっとよくなられますよ。
天のお父様神様イエス様どうかAjaさんのお父様の手術が成功し、以前以上に体調がよくなり、何でも楽しくできるようになるようにしてください。そしてこの機会にご家族みんなでイエス様に心を向けることができますように。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・・
そうですね・・・本当この世の中では理不尽なことが多いですね・・・
この世の中では正直者が馬鹿を見て、悪いことをしている人が大もうけをしてのうのうと生きているということがあります。
でもAjaさんもおっしゃっているように全部イエス様は見ておられるので、結局公平に裁きをされますので・・・

No.1356 2006/12/13(Wed) 11:16:38
詩篇78章 / 沙耶香 引用

今日は詩篇78章を読みました。

管理人さんかなりお忙しそうですね・・・お体お大事にね。

6節の
後の世代の者、生まれてくる子らが、これを知り、
彼らが興り、これをその子らにまた語りつげるため、のこの興りはどういう意味なんだろうか?

35節の
彼らは、神が自分たちの岩であり、
いと高き神が自分たちを購う方であることを
思い出した。が印象に残りました。何かあったときにやはり神の重大さを思い出します。

44節から48節まではすごい御技を神は行われる様子が書いてありますね・・・あっぱれ・・・・

69節の
主はその聖所を、高い天のように、
御自分が永遠に基を据えた堅い地のように、
お建てになった。はどういう意味だろうか?

72節の
彼は、正しい心で彼らを牧し、
英知の手で彼らを導いた。はどういう意味だろうか?

No.1348 2006/12/11(Mon) 20:09:25

Re: 詩篇78章 / 昌夫 引用

第78篇は、出エジプトからダビデの王政までのイスラエルの歴史を書いています。

6節の「興る」とは新しく生じて勢いが盛んになる、という意味です。

まず、エジプトで奴隷とされていたイスラエルの民が、エジプトから出ることを許してもらえるように、モーセがエジプトの王のパロに頼みました。だが、パロは許さなかたので、12節に簡潔に、また44−51節に詳しく書いてあるように、主がエジプトに罰を与えられました。

それでついに、パロもイスラエルの民がエジプトから出ることを許されたのだけれど、イスラエルの民が出発すると、パロの気が変わって、イスラエルの民を軍隊で追いかけました。それで、13節のように、神が海を分けて、イスラエルの民を救い出されました。

それから40年間、約束のカナンの地に入るまで、イスラエルの民は、14節にあるように神に導かれて荒野にいました。荒野では、15節のように神は、岩から水を出し、23−25節にあるように、マナを降らせ、また26ー29節のように時には鳥肉も与えて、イスラエルの民を養われました。

しかし、32節にあるように、イスラエルの民は、なおも罪を犯し、神を信頼しようとしませんでした。

それでも、神は、54−55節のようにイスラエルの民を約束のカナンの地に入れられ、そこにあった国々を追い出され、カナンの地を分割して、イスラエルの諸族に分け与えられました。

しかし、イスラエルの民は56−58節のように、神に逆らい、偶像を礼拝して罪を犯しました。それで、59−64節のように、罰としてイスラエルはまわりの国々との戦争に負けて、シロにあった幕屋も敵の手にわたり、民も苦しみました。

68節のように、主はシオンの山のあるエルサレムを選ばれ、69節にあるように、エルサレムに主の天幕が建つようにされました。天幕は物理的に高いものではなかったけれど、69節は、天幕が霊的に高いものであったことを詩的に書いていると思います。

70−72節は、神がダビデをイスラエルの王として選ばれたことを書いています。72節は、ダビデが、王として、正しくイスラエルの民を統治し、神にいただいた英知で民を指導したことを書いています。

No.1349 2006/12/12(Tue) 01:53:00

再詩篇78章 / 沙耶香 引用

今朝はもう一度詩篇78章を読みました。

何だかいろいろ難しいですね・・・時代背景、人物背景が分からないと理解不能ですね・・・エジプトはイスラエルの民を奴隷としていたんだ・・・奴隷・・・私は今家族の間で奴隷のようなものです。辛い日々から脱却したい。イエス様イエス様イエス様イエス様・・・

13節の
神は海を分けて彼らを通らせ、
せきのように水を立てられた。はやはり感動しますね・・・
今は天からマナなどは降ってこないのかな?海を二分したりとか今はそういう御技は行われないのかな?

偶像礼拝・・・私が牧師を思い、牧師に会いに行きたいという目的もあって教会に行っているのは偶像礼拝になるのだろうか?

No.1350 2006/12/12(Tue) 11:16:40

Re: 詩篇78章 / 昌夫 引用

>今は天からマナなどは降ってこないのかな?海を二分したりとか今はそういう御技は行われないのかな?

マナについては、ヨハネの福音書の6章の26節から58節までを読んでみてください。今は、目に見えるマナよりも、もっと素晴らしい目には見えない生けるパンが僕たちに与えられています。僕たちは、マナのほうが分かりやすいので、心を向けがちですが、もっと素晴らしい奇蹟が与えられていることに心を向けるのが大切だと思います。聖餐式は、目に見える形で、このことを、僕たちに思い出させてくれると思います。

同じように、モーセのときには、悪の勢力を象徴する海が分けられましたが、今は、イエスさまの十字架によって、自分たちの心の中の悪や、悪霊やサタンに打ち勝つ力が信仰者に与えられています。僕たちは、望むならば、自分に悪を行う人たちを赦して、試練のときも耐え忍んでイエスさまを信じる力を与えられています。をそれは、海が分けられるよりも、素晴らしいことで、その奇蹟に心を向けるようにすることが大切だと思います。

>私が牧師を思い、牧師に会いに行きたいという目的もあって教会に行っているのは偶像礼拝になるのだろうか?

沙耶香さんが、まずイエスさまに心を向け、イエスさまを礼拝することを目的に教会に行っておられ、イエスさまが与えてくださった牧師に感謝して、イエスさまとともに牧師を見ておられるなら、素晴らしいことだと思います。ただ、人間は、見えないものより、見えるものに心を向ける傾向があるので、注意が必要だと思います。

No.1354 2006/12/13(Wed) 00:29:33
詩篇77章 / 沙耶香 引用

今日は詩篇77章を読みました。

16節の
神よ。水はあなたを見たのです。
水はあなたを見て、わななきました。
わたつみもまた、震え上がりました。
はどういう意味だろうか?水が見ていた?

教会でも嫌なことが多々あります。でも大好きな牧師に会えるので、通い詰めています。もちろん、イエス様に会いたいからという思いもあるが、牧師に会いたいから全行事に出たいという思いが強い。本当に愛もここまできたら・・・

No.1344 2006/12/10(Sun) 17:50:10

Re: 詩篇77章 / 昌夫 引用

16節の「わたつみ」は、「海」の意味だと思います。イスラエルでは、海、そして場合によっては水も、神に逆らう悪の勢力の象徴と考えられていたようです。創世記1章の6−7節で、神が水を2つに分けられたのは、神が、悪の勢力をも支配されていることを表しているそうです。出エジプト記14:22で、海の水が分かれること、ヨシュア記3:14−17で、イスラエルの民が約束の地に入るときに、ヨルダン川の水がせきとめられ、水が2つに分かれることも、同じような意味があると思います。

16節での「水はあなたを見た」とは、悪の勢力としての水が、神を見て、恐れて、聞き従ったことを書いています。

1−9節では、イスラエルの民が捕囚になって苦しんでいるのを見て、主の恵みはもう絶たれてしまったのか、と恐れて詩人が嘆いていると思います。10−20節では、詩人は、主が過去にイスラエルの民にしてくださった、不思議なみわざを思い出して、主に信頼する気持ちを新たにしています。

僕たちキリスト者も、苦しいときには、主が過去にしてくださった不思議なみわざを思い出すことが大切だと思います。特に、イスラエルの出エジプトにあたるのは、キリスト者にとっては、信仰を与えられて罪が赦され新しい永遠の命をいただいたときなので、そのときのことを思い出すことが、重要になると思います。

No.1346 2006/12/11(Mon) 01:48:53

再詩篇77章 / 沙耶香 引用

へーー・・・水も悪の勢力となりえるのですか?ふーん、神を見て恐れて聞き従った・・・すごいなーーやはりイエス様すばらしいんですね・・・

でも白馬や長崎の宗教合宿でも嫌がらせをする教会内のクリスチャンはきます。牧師の車に一緒に乗っていかないといけないし、道中いつも一緒にいないといけない。苦しい状況なのは間違いない。気持ちが悪い・・・
でもイエス様は今まで私に不思議な奇跡の御技を見せられました。本当にもう私はいつも窮地でそのどん底からいつも救ってくださり、今日にいたります。
だからきっと今回も・・・と信じて期待して感謝します。

14節の
あなたは奇しいわざを行われる神、
国々の民の中に御力を現される方です。
が印象に残りました。

No.1347 2006/12/11(Mon) 10:12:41
詩篇76章 / 沙耶香 引用

今日は詩篇76章を読みました。

7節の
あなたは、あなたは、恐ろしい方。
あなたが怒られたら、だれが御前に立ちえましょう。
が印象に残りました。

9節の
神が、さばきのために、
そして地上の貧しい者たちをみな、救うために、
立ち上がられたそのときに。
はいいですね・・・

No.1339 2006/12/09(Sat) 21:15:35

Re: 詩篇76章 / 昌夫 引用

1節に、ユダとイスラエルとありますが、これはソロモンの息子のヤロブアム王のときにイスラエルが南北に分裂した後、北王国は「イスラエル」、南王国は「ユダ」と呼ばれたためです。この詩篇は、イスラエルの南北分裂以降で、北王国がアッシリアに滅ぼされる前に書かれたようです。

7節のように、主はこの世の強者にとって、恐ろしい方、そして、9節のように、この世の貧者、弱者を救われる方。主の力と慈しみは素晴らしいですね。

No.1340 2006/12/10(Sun) 01:03:40

再詩篇76章 / 沙耶香 引用

今朝はもう一度詩篇76章を読みました。

イエス様イエス様イエス様イエス様イエス様イエス様・・・親兄弟なんて一番の差別者で一番のいじめの加害者だ。本当に最悪!!

世間では私たちのような弱者は相手にされないし、病院でも家族にでも馬鹿にされるが、イエス様だけは私でも価値があると認めてくれて嬉しい。

苦しい苦しい苦しい苦しい・・・でもきっとイエス様が・・・

やはり、9節の
神が、さばきのために、
そして地上の貧しい者たちをみな、救うために、
たちあがられたそのときに。が印象に残りました。

No.1341 2006/12/10(Sun) 06:29:19

Re: 詩篇76章 / Aja 引用

神様が貧しい者、弱い者を見捨てることはない、という聖書の約束があるのは本当に救いです。

マタイ1章23節の聖句を思い出しました。
「その名はインマヌエルと呼ばれる(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である)。」
どんな人生の嵐の中にあっても神が共にいてくださる、ということが希望なんだなと思いました。

沙耶香さんと共に、また私達ひとりひとりと共にいてくださり、人生を一緒に歩んでくださる神様に感謝します。

No.1343 2006/12/10(Sun) 16:28:31

Re: 詩篇76章 / 昌夫 引用

イザヤ41:10のように、「恐れるな。わたしはあたたとともにいる。」と信仰者に言ってくださる神さまに感謝します。

自分の力や行動や知識によって救われるなら、行動力があったり、体力があったり、頭が良い人たちが有利になる。神さまが恵みによって信仰する者を救われる、という聖書の教えは、そういうこの世の強者たちに、永遠の救いでの有利さを認めない。これはとても公平で、素晴らしいことだと思います。

No.1345 2006/12/11(Mon) 01:25:45
詩篇73章 / 沙耶香 引用

今日は詩篇73章を読みました。

2節のしかし、私自身は、この足がたわみそうで、
私の歩みは、すべるばかりだった。はどういう意味だろうか?たわみそうってなんだろうか?足がたわむ?なんだろう?

12節の
見よ。悪者とは、このようなものだ。
彼らはいつまでも安らかで、富を増している。は悪者はいつまでも安らかで富を増しているということなのか?うーん?どうなっているんだろうか?不信だ。

18節の
まことに、あなたは彼らをすべりやすいところに置き、
彼らを滅びに突き落とされます。が印象に残りました。

No.1324 2006/12/06(Wed) 21:11:04

Re: 詩篇73章 / Aja 引用

先週の礼拝説教でちょうどこの詩篇の箇所が読まれました。
3節〜12節、悪が栄えている様子を書いているのだと思います。
なぜ悪者が栄えているのですか、いつまでなのですかと嘆きたい時がある。
けれども我々の裁き手(神)は公平な方。
だから今起こっていることに絶望しない、まわりに起きている悲劇に目を奪われない、
あなたのため命を捨ててくださった方、その方が私を裁く方。
唯一の裁き手に目をとめれば、心を向ければ解放されるでしょう、という内容の説教でした。

23節以降、励まされる言葉ですね。

あなたは私をさとして導き、後には栄光のうちに受け入れてくださいましょう。
地上では、あなたのほかに私は誰をも望みません。
この身とこの心とは尽き果てましょう。しかし神はとこしえに私の心の岩、私の分の土地です。
私にとっては、神の近くにいることが、しあわせなのです。


今夜も冷えますね。寒い夜は月がきれいです。昨夜はとても月が明るくて驚きました。カーテンのすきまから光が差し込んでいて、思わずベランダに出てしばらく月をながめていました。 星もいつもよりはたくさん見えますよ。    

No.1325 2006/12/06(Wed) 22:18:02

Re: 詩篇73章 / 昌夫 引用

2節の前半と後半は、同じような意味のことを繰り返しています。だから、ここでの「足がたわみそう」は、「足がすべる」と同じような意味で、足がすべって、けつまづきそうになっている様子だと思います。ここでの意味は、実際の歩みでのつまづき、というより、信仰の歩みの中で、3−16節のように、間違えた考えを持って、苦しんでいたという意味です。

どういう風に間違ったかというと、3−12節のように詩人は悪が栄えるのを見て、13−14節のように、心をきよめても、報いがなくむなしいと考えました。15節のように、もしも、そのような間違った考えを、詩人が若い人たちに教えていたら、若い人たちを裏切ることになっていたところでした。

16節のように、詩人は苦労して、なぜ悪がこの世で栄えるかに思いをめぐらし、17節のように、彼が神殿に入ったとき、神が悟りを与えられました。18−20節のように、神は悪人たちを急に滅ぼしつくされることが、示されたのです。

このような悟りが示されてみると、悪がいつまでも栄え、心をきよめても報いがないという考えは、愚かで、わきまえもなく、獣のような考えであったと詩人が悟ったことが22節に書かれています。そのような愚かな考えを持っていたときも、23節以降のように、主がともにいてくださり、詩人を導いてくださっていました。

27−28節にあるように、神から遠く離れているものはいずれ滅び、神の近くにいることが、しあわせです。

>あなたのため命を捨ててくださった方、その方が私を裁く方。

ということが、とても大切だと思います。キリストが、自分のために命を捨ててくださったことを思うとき、神の慈しみということに気づきます。でも、その慈しみは、義とさばきに基づかない、安っぽい優しさではない。神は悪の行いを必ずさばき、罰されるので、キリストが死ななければ人間は誰も救われなかった。公平なさばきと義にもとづいた、聖なる神の愛をより深く知るように求めていくことが、大切なのだと思います。

No.1326 2006/12/07(Thu) 03:57:11

再詩篇73章 / 沙耶香 引用

今朝はもう一度詩篇73章を読みました。

なかなか私は文章のつながりっていうことが分からないし、なかなか意味がつかめない。いくら読み進めても、普通の人に比べたら劣るのが辛い。
神様イエス様どうか意味が少しずつでも取れて、イエス様のお考えが少しずつでも頭に入っていきますように。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・

No.1327 2006/12/07(Thu) 11:38:39

再詩篇73章 / 沙耶香 引用

押し間違えた。

27,8章のように神の近くにいるのが幸せだと思うけれど、うちの教会で伝道師だった人が仕事が忙しいのと家族と一緒にいたいという理由で辞めていきました。
神よりも富と家族を選んだのです。
いつも何を差し置いても礼拝を一番にしないといけないイエス様を一番にしないといけないと言っている人が・・・
ご両親もきていたが、もう何ヶ月か前にこなくなりました。老齢で大変だからということで・・・奥さんもそれより前にこなくなりました。体調がよくなり仕事し始め、忙しいからという理由で・・・息子も部活が忙しくてなかなかこなくなっていました。
伝道師自体も、第一だけしか出なくなっていました。
そして先週辞められていました。
自分が周りの人も誘ってこないといけない、イエス様を知らないと地獄に落ちるからと言っておいて、自分の周りの人はだんだんこなくなり、自分も神様よりも富や家族を選んでしまって・・・言っていることが矛盾している。。。
ショックで立ち直れない。

文章のつながりが分からないと、聖書の理解につながらないですね・・・

No.1328 2006/12/07(Thu) 11:52:55

Re: 詩篇73章 / 昌夫 引用

イエスさまはマタイ7章1節で「さばいてはいけません。」と言われていますが、これは、ひとつには、僕たちには人をさばくだけの知識を持っていないからだと思います。たとえば、教会に来るのをやめた伝道師は、「神様よりも富や家族を選んでしまった」と沙耶香さんは断言されますが、伝道師の心の中で何を選んだのか、沙耶香さんは確実に知っていると考えられる根拠は何でしょうか?キリスト者が、一人で教会のない場所に伝道に行った場合、日曜日に教会に行けないことになりますが、それをもって、このキリスト者が神様を裏切ったと考える人は少ないと思います。特に現在の日本の状況では、神さまが家族への伝道にキリスト者を使われることが多いと思います。特定の教会に来なくなったことを取り上げて、人間が「神様より、家族を選んだ」とさばくことは、たとえ、それが真実である場合もイエスさまの喜ばれる行為ではないと思います。人のことよりも、まず、自分のことを、ということを、マタイ7章1-5節、また、ヨハネの福音書の21章15-22節でイエスさまが言われていると思いますが、どうでしょうか?

No.1329 2006/12/07(Thu) 12:27:44

Re: 詩篇73章 / 沙耶香 引用

だって、伝道師本人が、家族も家でいるので、自分も仕事が忙しいし、日曜日休みたいと言っているので、そうだと思うのですが・・・
真実であってもイエス様の喜ばれる行為ではない・・・うーん、そうかもしれないけれど、伝道師がそれでは、教会としての使命が果たせない。
伝道師が自分の言っていることとしていることと違ってはいけないですよ。教会の人への示しがつかない。
やすっぽい信仰だったのか!!と思ってしまいます。
マタイ7章1から5節・・・
人を裁くと同じように裁かれるので、裁いてはいけませんということかな?
ヨハネの福音書21章15節から22節・・・
22節に・・・それがあなたに何のかかわりがありますか。あなたはわたしに従いなさい。とあります。人のことを気にするよりイエス様に従っていればいいということかな?と思います。
でも伝道師は教会はイエス様が満ち溢れているところだから日曜日には教会には何を差し置いても教会に集わないといけないんだと伝道されていたのに・・・そういう風に伝道されていた人がそれを止めたらその教会の人は何を信じたらいいのか分からなくなります。

No.1330 2006/12/07(Thu) 20:09:44

Re: 詩篇73章 / Aja 引用

沙耶香さんの気持ちはわかる気がします。

信仰熱心ですばらしいなあと思って見ていたのに、その人が教会を去っていったり、「神様のために尽くしたいとは思わない」などという言葉を聞いたりして寂しく悲しく感じたことが私も何度かありました。

その変わってしまったことに対してショックを受けます。
どうして?あんなに熱心だったのに?と。
牧師さんなら特に影響は大きいですね…。
だけど熱心だったのもその時のその人の本当の姿だったんでしょうが、変わってしまった今のその人の姿も本当なんでしょう。
だから熱心な姿がウソだったわけではないし、やすっぽい信仰だったということもないのでは、と思います。
ただ「変わってしまった」のだと。

昌夫さんの言うこともわかります。
その人が何を心の中で選んで行動に移したのかは、その人にしかわからないです。
「神様よりも家族や仕事を愛した」それが真実であった場合でも裁くのはイエス様が喜ばれない、というのもわかります。わかりますが…やはり心は複雑ですね。
神様から心がはなれていく人を見ると寂しく感じるし、どうして、と責める気持ちになってしまいます。

まずは自分自身が神様につながり続けることと、まわりの兄弟姉妹ひとりひとりにも神様が呼びかけ続けてくださっていると信じて神様にお任せすることでしょうか…。

No.1332 2006/12/07(Thu) 22:30:03

Re: 詩篇73章 / 昌夫 引用

信仰者はイエスさまの証人として、信仰を持つ前の人たちに影響を与える役をもらっているし、伝道師や牧師など教会のリーダーとなる人たちは、特に他の信仰者たちの模範となる役を与えられています。だから、熱心だった信仰者やリーダーたちが、教会に来なくなったり、信仰に不熱心になったりした場合に、まわりの信仰者がショックを受けたり、責める気持ちになるのは、確かに人間の自然な感情だと思います。

しかし、ユダはひとつの教会のリーダーどころか、キリスト者全体のリーダーである12使徒の一人だったのにイエスさまを裏切ったわけだし、聖書は、人間ではなく、神を信頼しなさい、ということを何回も繰り返して書いています。それで、僕たち信仰者がイエスさまとの直接の出会いと交わりを深くしていくとき、信仰の根拠がより純粋にイエスさまとの交わりになっていくのだと思います。そうであれば、他の信仰者や、教会のリーダーたちの不信仰と思える方向への変化があったときに、さびしく悲しいという感情が起こっても、大きなショックを受けたり、責める気持ちになるということは、なくなっていくのだと思います。

No.1333 2006/12/08(Fri) 03:36:10

Re: 詩篇73章 / Aja 引用

イエス様との直接の出会いと交わりを深くしていく時、信仰の根拠がより純粋にイエス様との交わりになっていく

本当にそうだと思います。イエス様との交わりが深められていったら、教会がどうとかまわりの人がどうとかで左右されることはなくなるのでしょうね。私はまだまだだめですが。求めていきたいです。

No.1342 2006/12/10(Sun) 16:20:04
詩篇75章 / 沙耶香 引用

今日は詩篇75章を読みました。

6節の
高く上げることは、東からでもなく、
西からでもなく、荒野からでもない。とはどういう意味だろうか?

8節の
主の御手には、杯があり、
よく混ぜ合わされた、あわだつぶどう酒がある。
主が、これを注ぎ出されると、
この世の悪者どもは、こぞって、
そのかすまで飲んで、飲み干してしまう。
のそのかすまってなんだろうか?

何だか家族間でかなり大変な状況下であります。苦しくてたまらない。いたたまれない。生きていられるのか?

No.1336 2006/12/08(Fri) 20:25:54

Re: 詩篇75章 / 昌夫 引用

6−7節の「高く上げる」は救いのことだと思います。それで、6節は、救いが来るのは、東の国からでも、西の国からでも、荒野にいる人たちからでもないという意味だと思います。つまり、救いは人間から来るのではない、ということだと思います。7節は、主がさばいて、悪者は低くし、信仰者を救われることを書いています。

8節の「かす」は、主の御手にある杯に入ったぶどう酒の「かす」です。ここで杯は、試練や誘惑を表すと思います。だから、悪者は、その人に与えられうる全ての試練にあっても悔い改めることがないし、全ての誘惑に負けてしまうことを書いていると思います。

どうか、聖霊さまが沙耶香さんのご家族に働いてくださり、主がご家族を悔い改めに導き、沙耶香さんの家族間での窮地から救ってくださり、ご家族に救いを与えてくださいますように。

No.1337 2006/12/09(Sat) 01:30:48

再詩篇75章 / 沙耶香 引用

家族間での話し合い終わりました。

今日はもう一度詩篇75章を読みました。

あ、8節はかすで切れるんですね・・・笑・・・私はかすまできれるのかと思っていました。うーん、文章苦手・・・駄目だ・・・

10節の悪者どもの角を、ことごとく切り捨てよう。
しかし、正しい者の角は、高くあげられる。
が印象に残りました。

No.1338 2006/12/09(Sat) 11:44:56
詩篇74章 / 沙耶香 引用

今日は詩篇74章を読みました。

お腹が痛い、頭が痛い・・・イエス様助けてください。

1から9節までは神に敵対するものが横行している様子を書いていて、10節から17節までは神様への信頼の表明が書いていて、後はその敵対する人たちのことを訴えている感じかな?

21節の
しいたげられる者が卑しめられてかえることがなく、
悩むもの、貧しい者が御名をほめたたえますように。が印象に残りました。

No.1331 2006/12/07(Thu) 20:24:24

再詩篇74章 / 沙耶香 引用

今朝はもう一度詩篇74章を読みました。

8節の
彼らは心の中で、
「彼らを、ことごとく征服しよう。」と言い、
国中の神の集会所をみな、焼き払いました。
はすごいなーー怖いというか、恐ろしい。
敵対者もそこまでいくと・・・

16節の
昼はあなたのもの、夜もまたあなたのもの。
あなたは月と太陽とを備えられました。
っていいですね・・・世界中の万物の創生主はイエス様だから・・・
続く17節の
あなたは地のすべての境を定め、
夏と冬とを造られました。もいいですね・・・同じように・・・でも夏がない国、冬がない国、もあります。日本は四季があり恵まれていますね・・・・

23節の
あなたに敵対する者どもの声や、
あなたに立ち向かう者どもの絶えずあげる叫びを、
お忘れにならないでください。が印象に残りました。私も同じ心境だからだ。

No.1334 2006/12/08(Fri) 10:33:48

Re: 詩篇74章 / 昌夫 引用

第74篇は、イスラエルの多くの人たちが、遠い敵国に捕虜として連れ去られていた捕囚の時代に書かれたと思います。ダビデとソロモンの時代は紀元前10世紀のころでした。ソロモン王の子のヤロブアムが王となったときに、イスラエルは北イスラエル王国と南のユダの王国に分裂してしまいます。どちらの王国でも、信仰が薄くなっていき、国の支配者たちも民も多くが罪を重ね、主の怒りを引き起こします。そのため、主はアッシリヤという強国を使って、紀元前8世紀に北イスラエルを滅ぼされ、多くのイスラエルの民は遠いアッシリヤに捕虜となって連れ去られました。これを、アッシリヤによる北イスラエルの捕囚といいます。主の北イスラエルに対するさばきを見ても、南のユダ王国の人たちは悔い改めず、ついに紀元前6世紀にユダ王国もバビロンという強国に滅ぼされてしまい、ユダの多くの人々もバビロンに捕虜として連れていかれる「バビロン捕囚」が起こりました。ユダ王国が滅ぼされたとき、エルサレムの神殿も破壊されてしまいました。詩篇第3巻は、アッシリヤとバビロンの捕囚のときの民の心情にあった詩篇が集められているようです。第74篇は特に3−7節で、バビロンの兵によるエルサレムの神殿の破壊が書かれていると思います。

1-9節では、主が出エジプトのときに贖われたイスラエルの民に御怒りを燃やされ、敵がエルサレムにまで攻め入って、神殿も廃墟にしてしまうことを許されたことを、詩人が嘆いています。

10-17節では、詩人は、イスラエルに対する勝利の調子にのって、主の御名をあなどっているバビロンを滅ぼすように嘆願し、また、主の救いのわざと、創造のわざを思い出して信頼を表明しています。

18-23節では、詩人がさらに、アブラハムに始まるイスラエルにとの契約を忘れないで、イスラエルの民を救い出してくださるように、訴えています。特に20節の「契約」ということが大切だと思います。

No.1335 2006/12/08(Fri) 11:35:31
詩篇72章 / 沙耶香 引用

今日は詩篇72章を読みました。

5節の
彼らが、日と月の続く限り、代々にわたって、
あなたを恐れますように。
の代々にわたってっていう言葉よく出てきますね。

13節の
彼は、弱っている者や貧しい者をあわれみ、
貧しいもの達のいのちを救います。
が印象に残りました。

No.1320 2006/12/05(Tue) 19:16:29

Re: 詩篇72章 / 昌夫 引用

最初に新改訳では「ソロモンによる」とありますが、もとのへブル語は、「ソロモンのために」と訳すこともできるので、学者の間でも、どちらに訳すのが正しいか、議論があるそうです。20節で、「ダビデの祈りは終わった。」とあることから、僕は第72篇は年老いたダビデが子のソロモンが王として祝福されるように祈って書いたのだろう、と考えています。

この第72篇で、第2巻が終わります。詩篇全体がストーリーになるように編集されている、と考える最近の学説では、第2巻のテーマは、ダビデとソロモンの王政であろう、と言われているようです。

No.1322 2006/12/06(Wed) 09:15:11

再詩篇72章 / 沙耶香 引用

今朝はもう一度詩篇72章を読みました。

ソロモンとダビデの王政・・・ふーん、2巻もあまりよく分からずピンとこなかったが、でも神様がそのうちなんらかの指標を示してくださると信じて期待して感謝します。

17節の
彼の名はとこしえに続き、
その名は日の照る限り、いや増し、
人々は彼によって祝福され、
すべての国々は彼をほめたたえますように。
が印象に残りました。

No.1323 2006/12/06(Wed) 11:16:16
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