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詩篇50章 / 沙耶香 引用

今日は詩篇50章を読みました。

3節の
われらの神は来て、黙ってはおられない。
御前には食い尽くす火があり、
その回りには激しい嵐がある。はどういう意味だろうか?

4節の
神は御自分の民をさばくため、
上なる天と、地とを呼び寄せられる。はどういう意味だろうか?

5節の
「わたしの聖徒たちをわたしのところに集めよ。
いけにえにより、私の契約を結んだものたちを。」のいけにえによりというのは何か生きているものを差し出したのだろうか?生きている動物とか人間とか・・・を主に差し出したのだろうか?

21節の
こういうことをおまえはしてきたが、
わたしは黙っていた。
わたしがおまえと等しいものだと
おまえは、思っていたのだ。
わたしはおまえを責める。
おまえの目の前でこれを並べ立てる。
はどういう意味だろうか?

23節の最後の
その道を正しくする人に、
私は神の救いを見せよう。が気に入りました。

No.1227 2006/11/18(Sat) 17:49:01

Re: 詩篇50章 / 昌夫 引用

3節は、神さまが火や嵐などを使って悪者をさばかれることを書いています。

4節は、イスラエルの民の悪をさばくために、神さまが天からの御使いや、国々の民を用いられることを書いていると思います。

5節ですが、旧約のときには、罪の贖いのため、羊、やぎ、牛などを、いけにえとして、主にささげることが律法で定められていました。

21節の前半は、悪者がおごって、自分を神に等しい者と考え、18-20節にあるような、さまざまな悪いことをしてきたが、神さまは、黙っておられたことを書いています。後半は、さばきのときには、そららの悪い行為を神さまが並べたてて、悪者を責められます。

No.1229 2006/11/19(Sun) 00:08:21

再詩篇50章 / 沙耶香 引用

今朝はもう一度詩篇50章を読みました。

ふーん、神様は悪者に対して黙ってはおられないんだ。
じゃ、上なる天と地というのが天からの御使いと国々の民ということかな?

悪者は神様と等しいものと考えることができるなんて本当にすごいなーー・・・私たち、いくらイエス様に近づいてよいことをしても、よい心をもってもイエス様と等しいなんて考えられないです。

今回は11節の
わたしは、山のとりも残らず知っている。
野に群がるものもわたしのものだ。
が印象に残りました。何もかも主のもので主がその詳細を全部知り尽くしていてすべてを握っているという気がして・・・

No.1230 2006/11/19(Sun) 06:20:15

Re: 詩篇50章 / Aja 引用

23節と14節の「感謝のいけにえをささげる」というのは、わたしたちの「感謝」という心が神様へのいけにえだということですよね?欄外の注の聖書箇所でロマ書12:1やヘブル13:15があげられていますので…。

No.1231 2006/11/19(Sun) 06:57:29

Re: 詩篇50章 / 昌夫 引用

>じゃ、上なる天と地というのが天からの御使いと国々の民ということかな?

そういう風に解釈して良いと思います。

>悪者は神様と等しいものと考えることができるなんて本当にすごいなーー

自分よりも上にある者を認めないという、すさまじいプライドとおごりですね。自分の能力や善良さということにプライドを持つということを、アメリカでも日本でも、奨励する教育をしているように思います。でも、本当は、イエスさまが十字架にかかってくださるほど、愛される自分だけを誇るようになることが神さまに喜ばれます。

>何もかも主のもので主がその詳細を全部知り尽くしていてすべてを握っているという気がして・・・

本当にそうですね、人間は山の鳥よりももっと価値のあるものなので、山の鳥のことをすべて知っておられる神さまは、人間のことを当然、すべて知っておられます。

No.1232 2006/11/19(Sun) 07:12:21

Re: 詩篇50章 / 昌夫 引用

Ajaさんへ
 そうですね。14節と23節は、感謝の心を捧げるということだと思います。次の第51篇でも、16-17節に動物のいけにえよりも、砕かれた、悔いた心をk枚さまにささげるいけにえとする、ということが書かれています。

No.1233 2006/11/19(Sun) 07:16:05
詩篇49章 / 沙耶香 引用

今日は詩篇49章を読みました。

4節の
私はたとえに耳を傾け、
立琴に合わせて私のなぞを解き明かそう。はどういう意味だろうか?

5節の
どうして私は、わざわいの日に、
恐れなければならないのか。
私を取り囲んで中傷するものの悪意を。はどういう意味だろうか?

7,8節の
人は自分の兄弟をも買い戻すことはできない。
自分の身代金を神に払うことはできない。
_たましいの購いしろは、高価であり、
永久に諦めなくてはならない。_はどういう意味だろうか?高価なお金を払えばいいのだろうか?それともいくら高価なお金を払っても駄目なのだろうか?何だか分からない。

9節の
人はとこしえまでも生き長らえるであろうか。
墓を見ないであろうか。は問いかけだが、人は必ず死ぬのだろうか?生き長らえる人、墓を見ない人はいるのだろうか?

10節の
彼は見る。知恵のあるものたちが死に、
愚か者も間抜け者もひとしく滅び、
自分の財産を他人に残すのを。
はどういう意味だろうか?

14節の
彼らは羊のようによみに定められ、
死が彼らの羊飼いとなる。
朝は直ぐなものが彼らを支配する。
彼らのかたちはなくなり、
よみがそのすむところとなる。はどういう意味だろうか?

15節の
しかし神は私のたましいを
よみの手から買い戻される。
神が私を受け入れてくださるからだ。
はどういう意味だろうか?

20節の
人はその栄華の中にあっても、悟りがなければ、
滅び失せる獣に等しい。が印象に残りました。
私たち弱者であまりこの世的祝福を持ち合わせていないものには嬉しい御言葉です。

No.1223 2006/11/17(Fri) 20:41:22

Re: 詩篇49章 / 昌夫 引用

3節にあるように、これは、主から知恵をいただいた詩人が、知恵のことばを語っている詩篇です。

4節では、知恵のことばは、たとえや、なぞの解き明かしとして語られることが多いので、そのようにして知恵のことばを語ることを述べています。たとえば、箴言31章10節では、しっかりした妻を真珠にたとえて話ています。箴言30章24節は、「小さいけれど、知恵者中の知恵者は何か?」という、なぞを問いかけて、25-28節で、解き明かしています。

5節は、「恐れなくてはならないのか。」とわざと質問して、「いや、恐れなくてよい。」という意味を表していると思います。このような否定的な答えを想定してわざと質問する文を修辞的疑問文といいます。

7,8節は、人間のたましいは、あまりにも高価なので、いくらお金を払っても、罪を贖うための身のしろ金には足らないということを言っています。イエスさまの命だけが、人間のたましいを贖うための身のしろ金になります。

9節も、5節と同様に、わざと質問しながら、「いや、誰もいない」という答えを意味しています。これも修辞的疑問文です。

10節は、この世的な知恵を使って、お金をたくさんためても、結局は、使いきれずに、死んでしまい、他人がためたお金を使うことになる、という意味です。

旧約の時代には、死んだ人たちは、「よみ」と呼ばれる場所に行ったようです。14節は、誰でもいずれ死んで、よみに行くことになることを書いています。

15節は、主が詩人の罪の身のしろ金を払って、罪から贖い出してくださることを書いています。

No.1225 2006/11/17(Fri) 23:34:37

再詩篇49章 / 沙耶香 引用

今日はもう一度詩篇49章を読みました。

もう一度箴言31章10節と詩篇30章24から28節を読みました。なかなか掴み取るのが難しいですね・・・

10節ですが、でも使い切れずに死んだら子孫が使うのではないですか?子孫がない場合は親戚縁者になるのではないですか?他人に渡ることは少ないと思いますが・・・

15節ですが、でも身代金はイエス様を受け入れることでしかなさないとおっしゃっておられたでしょ?お金では罪から購いだしてくださることできないのではなかったですか?

今回は、12節の
しかし人は、その栄華のうちにとどまれない。
人は滅び失せる獣に等しい。が印象に残りました。前に印象に残ったところと同じ意味ですね・・・

No.1226 2006/11/18(Sat) 12:04:27

Re: 詩篇49章 / 昌夫 引用

10節ですが、悪者の財産は、何代かはつづいたとしても、結局いつかは他人のものとなるということだと思います。たとえば、無駄使いの好きな子孫が、湯水のように遊んで財産を使ってしまえば、財産は他人のものになります。

15節は、神が贖いをしてくださる、ということを書いています。僕の聖書解釈では、イエスさまが生まれる前でも、神のことばを聞いて、神のことばを心から信頼した人は、その信仰によってイエスさまの十字架による贖いを受けました。

No.1228 2006/11/18(Sat) 23:57:26
詩篇48章 / 沙耶香 引用

今日は詩篇48章を読みました。

4節の
見よ。王達は相集い、
ともどもにそこを通り過ぎた。はどういう意味だろうか?

5節の
彼らは、見るとたちまち驚き、
おじ惑って急いで逃げた。はどういう意味だろうか?
おじ惑うって前も聞いたけれど、もう覚えていないのです。ごめんなさい。覚えが悪くて・・・

11節の
あなたのさばきがあるために、シオンの山が喜び、
ユダの娘が楽しむようにしてください。は何が言いたいのか?

14節の
この方こそまさしく神。
世々限りなくわれらの神であられる。
神は私たちをとこしえに導かれる。が印象に残りました。

No.1220 2006/11/16(Thu) 20:00:42

Re: 詩篇48章 / 昌夫 引用

4節の「王たちは相つどい」の、「相つどい」は、お互いに集まる、という意味です。ここは、多くの王たちがエルサレムを攻めにきた、という意味を表していると思います。「ともどもにそこを通り過ぎた。」とは、エルサレムを攻め取ることができなかったので、通りすぎていった、ということだと思います。

5節の「おじ惑う」とは、おじけづいて、惑う、ということだと思います。5節は、エルサレムに攻めてきた王たちが、主が守っておられる様子を見て、とても驚き、おじけづいて、惑って、逃げて行ったということだと思います。

11節の「シオンの山、ユダの娘」は、エルサレムと、ユダに住む人たち、という意味だと思います。神さまの義に基づいたさばきによって、エルサレムとユダの人たちが敵から解放され喜ぶようになるように、願って祈っています。

No.1221 2006/11/16(Thu) 23:32:29

再詩篇48章 / 沙耶香 引用

今朝は、もう一度詩篇48章を読みました。

2節の
高嶺の麗しさは、全地の喜び。
北の端なるシオンの山は大王の都が印象に残りました。表現が印象に残りました。

5節は主が守っておられる様子をどういう風に見たのだろうか?

なかなか情景が思い浮かばないし、意味もなかなか取れないし、本当に聖書通読とは並大抵にできることではないですね・・・これも試練なのか???

No.1222 2006/11/17(Fri) 11:03:02

Re: 詩篇48章 / 昌夫 引用

>5節は主が守っておられる様子をどういう風に見たのだろうか?

この詩篇には書いていないので分かりませんね。どのように想像しても良いのだけれど、主がエルサレムを守られた具体的な例としては、第2歴代誌の32章21節を読んでみてください。これは、アッシリアという国がエルサレムを攻めてきたときのことです。まず、御使い(天使)がアッシリアの勇士たちや隊長たちを全滅させました。このように、主は御使いを使われて、エルサレムを守られたことがありました。また、アッシリアの王は、自分の子供たちに殺されました。このように、主は人間を使われることもありました。

No.1224 2006/11/17(Fri) 23:09:54
詩篇47章 / 沙耶香 引用

今日は詩篇47章を読みました。

1,2節の
すべての国々の民よ。手を叩け。
喜びの声を上げて神に叫べ。
まことに、いと高き方主は、恐れられる方。
全地の大いなる王。はよく賛美に出てくるような言葉ですね・・・

4節の
主は、私たちのためにお選びになる。
私たちの受け継ぐ地を。主の愛するヤコブの誉れを。
は、何が言いたいのか?

5節の
神は喜びの叫びの中を、主は角笛の音の中を、
上っていかれた。はどういう意味だろうか?
情景が浮かばない。

9節の
国々の民の尊き者たちは、
アブラハムの神の民として集められた。はどういう意味だろうか?国々の民の尊きものって誰のことだろうか?
アブラハムの神の民って誰かな?わからない。

10節の
まことに、地の盾は神のもの。
神は大いに崇められる方。は本当にそうです。

No.1212 2006/11/15(Wed) 19:57:33

Re: 詩篇47章 / 昌夫 引用

4節は主がイスラエルの民が代々、受け継いでいく地をお選びになり、その地がイスラエルの誉れであることを書いていると思います。

5節は、主が喜びの賛美と、角笛の音の中を、エルサレムの神殿に上っていかれたことが書いてあります。

9節では、国々の民の尊きものとは、イスラエル以外の国々の信仰者です。アブラハムの神の民とは、イスラエルの民です。

No.1215 2006/11/16(Thu) 00:03:50

再詩篇47章 / 沙耶香 引用

今日はもう一度詩篇47章を読みました。

ふーん、昔は動物の角で作った角笛が楽器の主流だったのだろうか?

国々の民の尊きものとは、イスラエル以外の国々の信仰者とありますが、何でイスラエルは除外されるの?

No.1216 2006/11/16(Thu) 11:59:05

再詩篇47章 / 沙耶香 引用

追加レス

今回は7節の
まことに神は全地の王。巧みな歌で褒め歌を歌え。が印象に残りました。

No.1217 2006/11/16(Thu) 12:00:50

Re: 詩篇47章 / 昌夫 引用

>ふーん、昔は動物の角で作った角笛が楽器の主流だったのだろうか?

歴代詩?Uの5章12節を読むと、ソロモンの時代にはシンバル、十弦の琴、竪琴、ラッパなど、いろいろな楽器が賛美のために使われたことが分かります。

>国々の民の尊きものとは、イスラエル以外の国々の信仰者とありますが、何でイスラエルは除外されるの?

9節では、イスラエルの民でない人たちが、信仰によって、すでに神に選ばれたイスラエルの民に加わる、ということを言っています。

No.1219 2006/11/16(Thu) 19:43:30
大感謝します。 / 沙耶香 引用

神様イエス様いつも私をこんなに罪深くて何の能力もない私の日々の必要を支えてくださり、私をいつも哀れみ深く支えてくださることを感謝します。

でも私は何の能力もないけれど、神様を必死で求めようとしているのは分かってくださっていると信じています。でも能力がないので、聖書を読んでも意味不明で、意味がなかなか取れず、本当に困難を極めています。

でも分からないなりに一生懸命に読んでいる姿をイエス様が喜んでくださっていると信じて期待して感謝します。

イエス様は何もかもご存知で、私の精神疾患も理解してくれて、それを逆手に取るのではなく、うまく私のためになるようにもっていってくださいます。今までもそういうことありました。

イエス様あっての私・・・イエス様に生かされている私・・・最高です。

No.1218 2006/11/16(Thu) 12:07:08
祈り / 沙耶香 引用

天のお父様神様イエス様、どうか今すぐ再臨されてください。そしてこの世の悪、不公平、理不尽を取り除いてください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・

No.889 2006/08/17(Thu) 22:50:14

Re: 祈り / 昌夫 引用

イエスさまが再臨されて、この世の悪、不公平、理不尽を取り除いてくださることは、神さまの約束なので、必ず起こることであることを信じて感謝します。信仰者はもう2000年近くも、再臨を待っていますし、それが何時であるかは分かりませんが、今や、もうそう遠くないのではないかと思います。

No.890 2006/08/18(Fri) 02:00:26

Re: 祈り / 沙耶香 引用

再臨が待ち遠しいです。本当に・・・

No.891 2006/08/18(Fri) 23:31:58

Re: 祈り / 富士山 引用

イエス様の言うことを聞くのなら、私たち自身がイエス様になりうるのです。そのような私たちは、信仰という心から涌き出る泉を携えて、人に分け与えることがきるし、与えないことも出来るのです。そのような意味で、主は再臨され、裁くのです。長老派より

No.1213 2006/11/15(Wed) 22:21:10
詩篇46章 / 沙耶香 引用

今日は詩篇46章を読みました。

5節の
神はそのまなかにいまし、その都はゆるがない。
神は夜明け前にこれを助けられる。はどういう意味だろうか?
エルサレムの都はゆるがないということだろうか?ゆるがない?都が揺るがないってどういう意味だろうか?

7節の
ヤコブの神ってイエス様のことなの?今までにも聞いたかもしれないが、もう混乱して分からない・・・

9節の
主は地の果てまでも戦いをやめさせ、
弓をへし折り、槍を断ち切り、戦車を火で焼かれた。
とはどういう意味なのか?

10節の
「やめよ。
わたしこそ神であることを知れ。
わたしは国々の間であがめられ、
地の上であがめられる。」は戦争をやめよということだろうか?

No.1208 2006/11/15(Wed) 00:23:40

Re: 詩篇46章 / 昌夫 引用

この詩篇では、1-3節では、イスラエルがまわりの国々から攻められて戦争で苦しんでいたが、主により頼んで恐れなかった様子が描かれています。4-7節では主がイスラエルを助けてまわりの国々に戦争で勝たせてくださったので、エルサレムに平和が来たことが書かれています。8-11節は、主がまわりの国々に戦いをやめさせられた様子です。

今の僕たちクリスチャンにとっては、この世で苦しい困難にあっても、恐れずに主により頼むと、主が助けてくださって天の御国が強く来て、主が心に平安をくださることに対応すると思います。

5節は、エルサレムの都は、敵に攻められて負けそうになるというようなことがない、という意味での、ゆるがないということです。

7節のヤコブの神は、イエスさまのお父さまであられる父なる神と考えると良いと思います。

9節は、主がイスラエルのまわりの国々の弓、槍、戦車などの武器を役立たないようにして、平和をもたらしてくださったことを書いています。

10節の「やめよ」は「戦争をやめよ」という意味が強いと思います。その他に、自分たちの勝手な考えで、主以外の神々や偶像をあがめたり、貧しい人たちを虐げたりすることをやめて、主の前に静まりなさい、という意味があると思います。10節の2行目からは、主を唯一の神と知って、あがめるように、というのが主要な意味だと思います。

No.1209 2006/11/15(Wed) 05:38:55

再詩篇46章 / 沙耶香 引用

今朝はもう一度詩篇46章を読みました。

1節の
神はわれらの避けどころ、また力。
苦しむとき、そこにある助け。が印象に残りました。私は神様にしかより求めるところがないので・・・

ヤコブの神=父なる神・・・ふーん、でもまたいろいろ考えるとこんがらがるので、やめておこう・・・父なる神、子なる神、聖霊なる神・・・三人いるのに何で一人なのか?とか考えているとわけがわからなくなるので・・・

No.1210 2006/11/15(Wed) 11:22:32
(No Subject) / Aja 引用

職場のあるビルから駅までの通路にクリスマスの飾りが飾られていました。朝はなかったので、きっと昼間に飾りつけられたのでしょう。
クリスマスが冬でよかったです。寒くて暗い中、クリスマスの飾りや灯りを見ると暖かい気持ちになります。
世の中を見ると闇ばかりですが、その中に輝いている光をいつも見ていたいです。

No.1205 2006/11/14(Tue) 22:39:42

Re: (No Subject) / 昌夫 引用

僕は4歳くらいのときに、クリスマスの長靴に入ったおかしか何かを見て、クリスマスは何のためのお祝いか親に聞いたというかすかな記憶があります。そのときが、福音に触れた最初のときだったろうと思います。神さまがたくましく商売する気持ちもお使いになって、クリスマスが日本でも大いに祝われるようにされたことに感謝します。

日本の多くの人々が、光であられるイエスさまに引寄せられますように。僕たちクリスチャンが、しっかりイエスさまの光を反射して、世の光としての働きができますように。

No.1206 2006/11/14(Tue) 23:13:19

Re: (No Subject) / 沙耶香 引用

そうなんですよね?クリスマスってイエス様のお祝いなんですよね?いつのまにかクリスマスは恋人同士のお祝いの日になってしまっているけれど、本当はクリスマスはイエス様のお祝いの日なんですよね?
今一度振り返りたいと思います。と言っても私は恋人もいないし、クリスマスと言っても特別何もしていませんでした。

No.1207 2006/11/15(Wed) 00:04:22
詩篇45章 / 沙耶香 引用

今日は詩篇45章を読みました。

1節に
私の舌は巧みな書記の筆。とありますが、自分で自分を褒め称えてどうするの?私とはダビデのこと?

2節の
あなたは人の子らにまさって麗しい。
あなたのくちびるからはやさしさが流れ出る。
神がとこしえにあなたを祝福しておられるからだ。
のこのあなたとは誰のことだろうか?最初は神様のことだと思ったのだが、3行目を見て、あなたと神様は別の人のことだと思った。じゃ誰だろう?

4節の
あなたの威光は、真理と柔和と義のために、
勝利のうちに乗り進め。
あなたの右の手は恐ろしいことをあなたに教えよ。
とはどういう意味だろうか?情景が浮かばない。

7節の
あなたは義を愛し、悪を憎んだ。
それゆえ、神よ。あなたの神は喜びの油を
あなたのともがらにまして、あなたにそそがれた。はどういう意味だろうか?あなたのともがら?喜びの油ってなんだろう?

8節の
あなたの着物はみな、
没薬、アロエ、肉桂のかおりを放ち、
象牙のやかたから聞こえる緒琴は、
あなたを喜ばせた
はどういう意味だろうか?もう全くちんぷんかんぷんである。

10,11節は実家よりも夫に従えということだろうか?

12節の
ツロの娘は、贈り物を携えて来、
民のうちのとんだ者はあなたの好意を求めよう。はどういう意味だろうか?

14節の
彼女は綾織物を着て、王の前に導かれ、
彼女に付き添う乙女らも
あなたのもとに連れてこられようの貴方の元のあなたってどなた?

15節の
喜びと楽しみをもって彼らは導かれ、
王の宮殿に入っていく。の彼らとは誰らのことかな?

16節の
あなたの息子らがあなたの父祖に代わろう。
あなたは彼らを全地の君主に任じよう。のあなたの息子のあなたって誰だろう?彼らとは誰ら?

うーん、読解力のない私は聖書を読むのがかなり困難です。文章の中で何をさしているのかが分からないので・・・

No.1199 2006/11/13(Mon) 20:36:07

Re: 詩篇45章 / 昌夫 引用

第2巻に入って、42-49篇は表題にあるようにコラの子らによる作品のようです。だからこれらの詩篇の知者はダビデではないようです。このi45篇は、王の結婚の詩ですが、王とはたぶんダビデの子のソロモンだと思います。

1節は、自分を褒め称えているのではなくて、自分いついても客観的にイエスさまを通して見た事実を書いてのだと思います。

2−5節は、イスラエルの王(おそらくソロモン王)を「あなた」として書いています。4節は他の国々の民が主を恐れるようになるような戦争が「恐ろしいこと」だと思います。

7節の「ともがら」とは友人のことです。喜びの油とは、王が決まったときに、その方に頭から油をそそぐ習慣がイスラエルのあったのです。イエスさまは、メシヤですが、メシヤは、「油を注がれたもの」という意味だそうです。

8節は王の着物が良い香りをさせていること、王が雄琴という学期の演奏を聴いて楽しんでいることを書いています。

>10,11節は実家よりも夫に従えということだろうか?

そうです。10−15節は花嫁に対して詩人が語りかけています。「あなた」とは花嫁です。

ツロとは地名です。花嫁にツロの娘たちが結婚祝いの品を持ってきてくれています。民のうちの裕福な人たちも、花嫁である王妃の好意を求めます。

15節での彼らとは、王妃と、付き添う女性たちです。

16-17節は神さまがイスラエルの王に語られています。16節の「彼ら」は、王の息子たちです。

No.1201 2006/11/13(Mon) 22:52:49

再詩篇45章 / 沙耶香 引用

今日はもう一度詩篇45章を読みました。

コラの子?全く分からないけれど・・・
イスラエルの王(ソロモン王)があなた・・・うーん、ダビデからソロモン王からいろんな登場人物がいてこんがらがる。
何でイエス様はメシヤなの?

昔は実家よりも夫に従う女性が多かったけれど、最近は夫なんかそっちのけにしている女性が多いけれど・・・やはりイエス様は夫に従うことを望まれているのですね・・・
私も結婚することができたら、そうしていきたいと思っています。

神様にいろいろ語っていただけるなんてイスラエルの王は幸せ者ですね・・・

No.1202 2006/11/14(Tue) 13:15:36

Re: 詩篇45章 / 昌夫 引用

>何でイエス様はメシヤなの?

イスラエルは、神さまに国として選ばれて、神さまの多助けで約束されたカナンの地を占領し、ダビデ王の息子のソロモン王のときには、大いに繁栄しました。ところが、その後、イスラエルは神さまに聞き従わず、貧しい人々を虐げたり、偶像を礼拝したりしたので、神さまが怒られて、イスラエルを他の国々が占領するようになりました。

旧約聖書には、そのように困難にあるイスラエルを、救うダビデの子孫が現われて、永遠のイスラエルの王になることが預言されています。以前に読んだ、詩篇の第2篇は、そのような預言のひとつです。イスラエルの王になる人は、油を注がれたので、イスラエルの人々は、イスラエルを救う王を、「油そそがれし者=メシヤ=キリスト=救世主」と呼びました。

イエスさまが、イスラエルの人々が、待っていた、メシヤです。ところが、イスラエルの多くの人々は、イエスさまがメシヤであることに気がつかなかったのです。

No.1203 2006/11/14(Tue) 18:46:25

Re: 詩篇45章 / 沙耶香 引用

ふーん、油注がれし者=メシヤ=キリスト=救世主・・・いろいろ難しいですね・・・

No.1204 2006/11/14(Tue) 20:17:56
詩篇44章 / 沙耶香 引用

今日は詩篇44章を読みました。43章は、管理人さんが42章と一緒に読んだらどうかとおっしゃっておられたので、先に読んで感想を42章の下につけてあります。

2節の
あなたは御手をもって、国々を追い払い、
そこに彼らを植え、
国民にわざわいを与え、
そこに彼らを送り込まれた。とはどういう意味だろうか?
情景が浮かんでこない。

4節の
ヤコブの勝利を命じてください。とはどういう意味だろうか?

6節の
私は私の弓にたよりません。
私の剣も私を救いません。が印象に残りました。

9節の
それなのに、あなたは私たちを拒み、
卑しめました。あなたはもはや、
私たちの軍勢とともに出陣なさいません。はどういう意味だろうか?
神様が拒否されたのか?うーん、考えているとこんがらがってくる・・・

12節の
あなたは御自分の民を安値で売り、
その代価で何の得もなさいませんでした。とはどういう意味だろうか?民を売る?人身売買?うーん、気持ちが悪い。

16節の
それはそしるものとののしる者の声のため、
敵と復讐者のためでした。とはどういう意味だろうか?
全く情景が浮かばないので意味が取れない。考えれば考えるほどこんがらがる。

19節の
しかも、あなたはジャッカルの住むところで私たちを砕き、
死の陰で私たちを覆われたのです。とはどういう意味だろうか?

21節の
神はこれを探り出されないでしょうか。
神は心の秘密を知っておられるからです。
はどういう意味だろうか?何を探り出すのだろうか?心の秘密ってなんだろうか?

25節の
私たちのたましいはちりに伏し、
私たちの腹は地にへばりついています。はどういう意味だろうか?

うーん、この44章は情景が浮かばずなんだか全く掴み取れない。

No.1193 2006/11/12(Sun) 18:56:53

Re: 詩篇44章 / 昌夫 引用

この詩篇はイスラエルの国が戦争で困難に陥ったときに主に助けを祈って書かれています。詩人は、先祖の時代にイスラエルの民のために、主が約束されたカナンの地の国々を追い払って、カナンの地をくださったことを、まず思い出しています。それなのに、今は、神さまがイスラエルを助けてくださっていないために、イスラエルが敵の国々に戦いで負けているので、主に助けを願ってお祈りしています。

2節は1行目と3行目は、カナンの地にもともと住んでいた国々を、主が追い払い、その国々の民に主がわざわいを与えられたことを書いています。2行目と4行目は、神さまがカナンの地にイスラエルの民を送りこまれて、住むようにされたことを書いています。

4節のヤコブとは、アブラハムの孫で、ヤコブの12人の息子たちが、それぞれイスラエルの12部族の先祖となりました。4節では、国としてのイスラエルの戦争での勝利を願っています。

9節では、昔は、主が戦争でともに出撃をされたので、勝利を得たが、今は、ともに出撃していただきたいというイスラエルの願いを、なぜか神さまが拒まれているので、戦争に負けていることを嘆いています。

12節は、イスラエルが戦争で負けて、民が捕虜として捕らえられ、奴隷とされている様子を描いています。

16節は、イスラエルの敵や、イスラエルにうらみを持つ国の民たちが、主により頼んでいる詩人を、馬鹿にしたりののしったりしていることを書いています。

19節は、破壊的な敵のいる戦場で、多くのイスラエルの民が殺されたり、殺されそうになったことを描いていると思います。

21節は、もし20節のように、心の中でイスラエルの民が主を忘れ、他の神をより頼んだりしたら、その心の秘密を、全知全能の主が探り出されることを書いています。

25節は、戦争で負けて、傷つき、たましいも体も地に倒れて苦しんでいる様子を描いています。

No.1195 2006/11/13(Mon) 04:07:12

再詩篇44章 / 沙耶香 引用

今朝はもう一度詩篇44章を読みました。

9節ですが、じゃなぜ、昔は主が戦争でともに出撃をされたが、今はともに出撃していただきたいという願いを神様が拒まれてるの?

やはり神様イエス様はただ一人なので、ほかの神様により頼んだらいけないんですよね?そうすると救われない。

じゃ25節は私のことのようですね・・・

No.1196 2006/11/13(Mon) 09:25:36

Re: 詩篇44章 / 昌夫 引用

>9節ですが、じゃなぜ、昔は主が戦争でともに出撃をされたが、今はともに出撃していただきたいという願いを神様が拒まれてるの?

この詩篇では、詩人は、その理由が分からない、ということを書いています。イスラエルは、時代によっては、偶像崇拝したりする明らかな罪を犯します。例えば、詩篇の第106篇では、そのような特定の罪のために、主がイスラエルに対し、怒りを燃え上がらせておられたいろいろな時代のことが、書いてあります。そのような特定の罪が見当たらないのに、主がなぜかイスラエルに試練を与えられた、ということが書いてあります。ヨブは、罪がないのに、すさまじい苦しみを経験したし、ヨハネ9章の盲人は、罪の結果としてではなく、苦しんでいました。

全知全能の神さまがおられるのに、どうして、義と神さまが認められる人も苦しむのか、というのは人間には理解しがたい、と思います。神さまは不公平なことや、意味のないことをされないので、人間には理解できなくとも、神さまは公平に意味のあることをされている、と信じるのが大切だと思います。

No.1200 2006/11/13(Mon) 22:19:06
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