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今日は詩篇42章を読みました。
1節の 鹿が谷川の流れを慕いあえぐようにとありますが、これはどういう意味で、何をさしているのだろうか?
2節の いつ、私は行って、神の御前に出ましょうか?とはどういう意味だろうか?
3節の 私の涙は、昼も夜も、私の食べ物でした。 人が一日中 「お前の神はどこにいるのか。」と私に言う間。 とはどういう意味だろうか?うーん、意味不明だ。うーん・・・
4節の 私はあのことなどを思い起こし、 御前に私の心を注ぎ出しています。 私があの群れと一緒に行きめぐり、 喜びと感謝の声をあげて、祭りを祝う群衆とともに 神の家へとゆっくり歩いて行ったことなどを。 とはどういうことだろうか?あの群れ?何の群れ?神の家ってどこだろうか?何のことだろうか?情景が浮かばない。
5節の わがたましいよ。なぜ、おまえは絶望しているのか。 御前で思い乱れているのか。 神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。 御顔の救いを。は何が言いたいのか?なおも神をほめたたえる?何に対してなおもなのか?御顔の救いとはなんだろうか?
6節の 私の神よ。私のたましいは御前に絶望しています。とあるが、神様に対して絶望しているということだろうか?
7,8節の あなたの大滝のとどろきに、ふちがふちを呼び起こし、 あなたの波、あなたの大波は、 みな私の上を越えて行きました。 昼には、主が恵みを施し、 夜には、その歌が私とともにあります。 私のいのち、神への祈りが。が印象に残りました。 今の私に言い聞かせないといけないな!!と。 |
No.1189 2006/11/11(Sat) 20:50:24
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☆ Re: 詩篇42章 / 昌夫  |
引用 |
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この詩篇は、次の43篇と2つでもともと一つの詩篇だったと思います。42篇の5節、11節と、43篇の5節で、同じようなことを繰り返していることに注目してください。次は、42篇と43篇を一緒に読んでみてください。この詩篇はダビデの息子のソロモン王の時代に造られた神殿に、何らかの理由で(遠くに離れて住んでいるというような理由かもしれません)いけず、礼拝ができないことの辛さを神さまに訴える祈りの詩だと思います。今なら、事情があって、教会に行って礼拝できないことの苦しみにあたります。
1節の前半は鹿がのどが渇いて、谷川に行って水を飲みたいと思っている様子です。
2節は、いつになったら、神殿に行って礼拝できるのだろうか、と嘆いています。
3節の「お前の神はどこにいるのか。」は、信仰の深い詩人のまわりの、不信仰の人たちが、詩人をあざけっています。信仰の深い詩人が、苦しんでいると、信仰を持たない人たちに「お前の神はどこにいるのか。」、「お前の神は助けてくれないのか」、とあざけられているところです。
4節の神の家とは神殿です。群れとは、神殿で一緒に礼拝するために丘の上にある神殿に一緒に上っていく人たちの群れです。
5節の「御顔の救い」とは、主が御顔をこちらに向けてくださる救いだと思います。神殿に行けない事情があっても、なおも、詩人は神をほめたたえています。
6節では、詩人は、たましいは、主の御前に投げ出しながら、神殿に礼拝に行けないということに絶望を感じています。 |
No.1191 2006/11/11(Sat) 22:57:07
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今朝はもう一度詩篇42章を読みました。 管理人さんのお勧めで43章も一緒に読みました。
2節の あなたは私の力の神であられるからです。 なぜあなたは私を拒まれたのですか。 なぜ私は敵のしいたげに、嘆いて歩き回るのですか。は意味がわからない。 最初に力の神であられると言っておいて、何で私を拒まれたと言うのでしょう?そして何で自分のことを適の虐げに嘆いて歩き回るのですか?と問うのだろうか?・・・分からない。
3節に どうか、あなたの光とまことを送り、 私を導いてください。 あなたの聖なる山、貴方のお住まいに向かって それらが、私を連れて行きますように。とはどういうことなのだろうか?それらが、のそれらって何をさしているのか?私を連れて行きますようにってどこに連れて行くんだろうか?エルサレム神殿のことだろうか?
あ、本当だ・・・5節は42章と似通っていますね。ほとんど同じです。
そうですね・・・うちの教会でもクリスチャンで、ずっと通ってきていたのにこなくなってしまった人もいます。家が遠いわけでもないけれど、何かあったわけでもないけれど、なかなか足が向かないのでしょう。そういう時もありますよね?そういう時があるのも感謝しているといいですね・・・ |
No.1192 2006/11/12(Sun) 07:19:03
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☆ Re: 詩篇42章 / 昌夫  |
引用 |
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43章2節は、主は力の神であられるのに、詩人は敵のしいたげを受け、また神殿に礼拝に行けなくて、嘆いている。それで、詩人は救いだされるように祈ったが、なかなか救いだされないので、神さまに拒まれているように感じる。
3節の「それら」は神さまの「光とまこと」のことです。連れて行く先はエルサレム神殿です。 |
No.1194 2006/11/12(Sun) 22:08:43
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うん、私もいつもそういう思いをしています。祈っても祈ってもなかなか救出してくれないので、神様に拒まれているようなきがしたり、私は神様に嫌われているのかな?とかクリスチャンに向かないかな?と思ったりいろいろです。 |
No.1197 2006/11/13(Mon) 09:28:42
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