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詩篇42章 / 沙耶香 引用

今日は詩篇42章を読みました。

1節の
鹿が谷川の流れを慕いあえぐようにとありますが、これはどういう意味で、何をさしているのだろうか?

2節の
いつ、私は行って、神の御前に出ましょうか?とはどういう意味だろうか?

3節の
私の涙は、昼も夜も、私の食べ物でした。
人が一日中
「お前の神はどこにいるのか。」と私に言う間。
とはどういう意味だろうか?うーん、意味不明だ。うーん・・・

4節の
私はあのことなどを思い起こし、
御前に私の心を注ぎ出しています。
私があの群れと一緒に行きめぐり、
喜びと感謝の声をあげて、祭りを祝う群衆とともに
神の家へとゆっくり歩いて行ったことなどを。
とはどういうことだろうか?あの群れ?何の群れ?神の家ってどこだろうか?何のことだろうか?情景が浮かばない。

5節の
わがたましいよ。なぜ、おまえは絶望しているのか。
御前で思い乱れているのか。
神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。
御顔の救いを。は何が言いたいのか?なおも神をほめたたえる?何に対してなおもなのか?御顔の救いとはなんだろうか?

6節の
私の神よ。私のたましいは御前に絶望しています。とあるが、神様に対して絶望しているということだろうか?

7,8節の
あなたの大滝のとどろきに、ふちがふちを呼び起こし、
あなたの波、あなたの大波は、
みな私の上を越えて行きました。
昼には、主が恵みを施し、
夜には、その歌が私とともにあります。
私のいのち、神への祈りが。が印象に残りました。
今の私に言い聞かせないといけないな!!と。

No.1189 2006/11/11(Sat) 20:50:24

Re: 詩篇42章 / 昌夫 引用

この詩篇は、次の43篇と2つでもともと一つの詩篇だったと思います。42篇の5節、11節と、43篇の5節で、同じようなことを繰り返していることに注目してください。次は、42篇と43篇を一緒に読んでみてください。この詩篇はダビデの息子のソロモン王の時代に造られた神殿に、何らかの理由で(遠くに離れて住んでいるというような理由かもしれません)いけず、礼拝ができないことの辛さを神さまに訴える祈りの詩だと思います。今なら、事情があって、教会に行って礼拝できないことの苦しみにあたります。

1節の前半は鹿がのどが渇いて、谷川に行って水を飲みたいと思っている様子です。

2節は、いつになったら、神殿に行って礼拝できるのだろうか、と嘆いています。

3節の「お前の神はどこにいるのか。」は、信仰の深い詩人のまわりの、不信仰の人たちが、詩人をあざけっています。信仰の深い詩人が、苦しんでいると、信仰を持たない人たちに「お前の神はどこにいるのか。」、「お前の神は助けてくれないのか」、とあざけられているところです。

4節の神の家とは神殿です。群れとは、神殿で一緒に礼拝するために丘の上にある神殿に一緒に上っていく人たちの群れです。

5節の「御顔の救い」とは、主が御顔をこちらに向けてくださる救いだと思います。神殿に行けない事情があっても、なおも、詩人は神をほめたたえています。

6節では、詩人は、たましいは、主の御前に投げ出しながら、神殿に礼拝に行けないということに絶望を感じています。

No.1191 2006/11/11(Sat) 22:57:07

再詩篇42章 / 沙耶香 引用

今朝はもう一度詩篇42章を読みました。
管理人さんのお勧めで43章も一緒に読みました。

2節の
あなたは私の力の神であられるからです。
なぜあなたは私を拒まれたのですか。
なぜ私は敵のしいたげに、嘆いて歩き回るのですか。は意味がわからない。
最初に力の神であられると言っておいて、何で私を拒まれたと言うのでしょう?そして何で自分のことを適の虐げに嘆いて歩き回るのですか?と問うのだろうか?・・・分からない。

3節に
どうか、あなたの光とまことを送り、
私を導いてください。
あなたの聖なる山、貴方のお住まいに向かって
それらが、私を連れて行きますように。とはどういうことなのだろうか?それらが、のそれらって何をさしているのか?私を連れて行きますようにってどこに連れて行くんだろうか?エルサレム神殿のことだろうか?

あ、本当だ・・・5節は42章と似通っていますね。ほとんど同じです。

そうですね・・・うちの教会でもクリスチャンで、ずっと通ってきていたのにこなくなってしまった人もいます。家が遠いわけでもないけれど、何かあったわけでもないけれど、なかなか足が向かないのでしょう。そういう時もありますよね?そういう時があるのも感謝しているといいですね・・・

No.1192 2006/11/12(Sun) 07:19:03

Re: 詩篇42章 / 昌夫 引用

43章2節は、主は力の神であられるのに、詩人は敵のしいたげを受け、また神殿に礼拝に行けなくて、嘆いている。それで、詩人は救いだされるように祈ったが、なかなか救いだされないので、神さまに拒まれているように感じる。

3節の「それら」は神さまの「光とまこと」のことです。連れて行く先はエルサレム神殿です。

No.1194 2006/11/12(Sun) 22:08:43

Re: 詩篇42章 / 沙耶香 引用

うん、私もいつもそういう思いをしています。祈っても祈ってもなかなか救出してくれないので、神様に拒まれているようなきがしたり、私は神様に嫌われているのかな?とかクリスチャンに向かないかな?と思ったりいろいろです。

No.1197 2006/11/13(Mon) 09:28:42
詩篇41章 / 沙耶香 引用

今日は詩篇41章を読みました。

7節に
私を憎むものはみな、私について共にささやき、
私に対して悪をたくらむ。とあるが、
この私というのは多分ダビデのことだろうと思うが、ダビデはみなに恨まれていたのか?

8節の
「邪悪なものが、彼に取り付いている。
彼がとこに着いたからには、
もう二度と起き上がれまい。」
とはどういう意味だろうか?うーん???

10節に
しかし、主よ。貴方は私をあわれんでください。
私を立ち上がらせてください。
そうすれば私は、彼らに仕返しができます。とありますが、ダビデは誰に仕返しするのだろうか?敵対している人だろうか?

11節の
このことによって、
あなたは私を喜んでおられるのが、わかります。
私の敵が私に勝どきをあげないからです。
とはどういう意味だろうか?何を喜んでいるんだろうか?勝どきってなんだろう?

12節の
誠実を尽くしている私を強く支え
いつまでも、あなたの御顔の前に立たせてください。とはどういう意味だろうか?
何だか全く情景が浮かばない。

No.1186 2006/11/10(Fri) 19:55:25

Re: 詩篇41章 / 昌夫 引用

この篇で詩篇の第一巻が終わります。詩篇は膳巻で、各巻の終わりには、13節のような頌栄(しょうえい)があります。

第一巻の締めくくりとして、11節が重要だと思います。ダビデは、多くの敵を持っていたけれど、ダビデの敵はダビデに対して勝利して、ときの声をあげることがなかった。だから、ダビデは神さまがダビデを愛して、ダビデの存在を喜んでおられることが分かりました。

7節にあるように、戦争などを通してダビデは多くの人々に憎まれていました。

8節は、ダビデの敵が、「ダビデが戦争に強いのは、何か邪悪な霊が取り付いているのに違いない。ダビデが病気になって、病床につくようになったからには、ダビデの病気が癒されることはあるまい。」という意味のことを言っています。

10節の仕返しは、ダビデの敵に対する仕返しです。

12節は、自分が神さまに誠実につくしていることを言って、神さまに強く支えてくださるように、お願いしています。そして、いつまでも、神さまの目の前に立たせてください、というお願いを祈っています。

No.1187 2006/11/11(Sat) 00:28:15

再詩篇41章 / 沙耶香 引用

今朝はもう一度、詩篇41章を読みました。

へーーやっと一巻終わったんだ。必死で読んできたけれど、あまり意味が汲み取れなくて苦労している。

ダビデは多くの敵がいて恨まれていたけれど、信仰深い人だったのですね・・・
ダビデの敵はダビデに対して勝利して、時の声をあげることがなかった。とはどういうことなのですか?管理人さんの書いていることの意味がわからないです。ごめんなさい。

読解力のない私には文章を読むことがかなり困難だ。大変だ。辛い。でもどうかイエス様私に聖書が分かるようにしてください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
でも四苦八苦しながら必死で神様を求めている姿は神様に喜ばれると信じて期待して感謝します。

No.1188 2006/11/11(Sat) 10:33:50

Re: 詩篇41章 / 昌夫 引用

>ダビデは多くの敵がいて恨まれていたけれど、信仰深い人だったのですね・・・

ダビデはイスラエルのために多くの戦争を戦ったので、敵が多かったけれど、とても素晴らしい信仰を持った人でした。

ときの声をあげるとは、喜んで「わー」と声をあげるということだと思います。勝どきとは、戦いに勝ったときに上げる、ときの声です。

>でも四苦八苦しながら必死で神様を求めている姿は神様に喜ばれると信じて期待して感謝します。

どうか沙耶香さんが、大いに祝福されますように。

No.1190 2006/11/11(Sat) 22:41:09
詩篇40章 / 沙耶香 引用

今日は詩篇40章を読みました。

6節の
あなたは、いけにえや穀物の捧げ物を
お喜びにはなりませんでした。
あなたは私の耳を開いてくださいました。
あなたは、
全焼のいけにえも、罪のためのいけにえも、
お求めになりませんでした。
とはどういう意味だろうか?意味不明である。

7節の
そのとき私は申しました。
「今、私はここにきております。
巻き物の書に私のことが書いてあります。
とはどういう意味だろうか?巻き物の書って聖書のことだろうか?

12節の
数え切れないほどのわざわいが私を取り囲み、
私の咎が私に追いついたので、
私は見ることさえできません。
それは私の髪の毛よりも多く、
私の心も私を見捨てました。
とはどういう意味だろうか?
私の咎が私においついたって意味不明・・・何だか全く情景が浮かばない。

No.1183 2006/11/09(Thu) 20:23:45

Re: 詩篇40章 / 昌夫 引用

神さまがモーセに与えられた律法では、罪のために、羊などの動物のいけにえや穀物の捧げ物を主の天幕の前の祭壇で捧げることになっていました。全焼のいけにえとは、完全な献身を表すために、皮以外はすべてが祭壇の上で焼かれました。

7節の巻き物の書は、最後の審判のときに開かれる、人間一人一人の行いが書き記された書のことだと思います。黙示20章12-15節を読んでみてください。

12節では、自分の罪の結果として戦争で数え切れないほどの敵に囲まれ、自分の力ではどうしようもないと絶望してしまったダビデを想像したら良いと思います。詩篇第38篇のところで書いた、ダビデの姦淫と殺人の罪の結果として、息子のアブシャロムに反乱を起こされたときのことが思い浮かびます。

No.1184 2006/11/09(Thu) 21:23:35

再詩篇40章 / 沙耶香 引用

今朝はもう一度詩篇40章を読みました。

黙示20章12から15節読みました。ここに書かれているいのちの書のことですね・・・

えーーダビデは姦淫と殺人の罪を犯したんだ。その罪のために息子に反乱を起こされたの?神様いろんなお灸をすえますね。

本当にそうですね・・・
私は悩むもの、貧しい者です。
主よ。私を顧みてください。
あなたは私の助け、私を助け出す方。
わが神よ。遅れないでください。
今の私の祈りみたいだ。

No.1185 2006/11/10(Fri) 11:19:03
詩篇39章 / 沙耶香 引用

今日は詩篇39章を読みました。

1節の
私は言った。
私は自分の道に気をつけよう。
私がしたで罪を犯さないために。
私の口に口輪をはめておこう。
悪者が私の前にいる間は。は私自身に言い聞かせなきゃいけないことです。

2節に
私はひたすら沈黙を守った。
よいことにさえ、黙っていた。
それで私の痛みは激しくなった。とあるが、黙っているだけでは駄目なんですね。黙っていることが必要なときと、口を開いて言わないといけないときとあるんですね・・・難しいです。

6節の
まことに、人は幻のように歩き回り、
まことに、彼らはむなしく立ち騒ぎます。
人は、つみ蓄えるが、
だれがそれを集めるのかを知りません。はどういう意味だろうか?つみ蓄えるとは財産のことか?だれがそれを集めるかを知らないって言ったって、集める必要ないではないか?何が言いたいのか分からない。

11節の
あなたは、不義を責めて人を懲らしめ、
その人の望むものを、
しみが食うように、なくしてしまわれます。
まことに人はみな、むなしいものです。
はどういう意味だろうか?何だか意味不明な言葉ばかり出てきてわからないですね・・・

12節の
私の祈りを聞いてください。主よ。
私の叫びを耳に入れてください。
私の涙に、黙っていないでください。
私は貴方とともにいる旅人で、
私のすべての先祖たちのように、寄留のものなのです。
とはどういう意味だろうか?

No.1178 2006/11/08(Wed) 20:21:35

Re: 詩篇39章 / 昌夫 引用

6節の「積みたくわえる」のは、財産のことだと思います。財産を積みたくわえた後、人が死んだら、その財産を誰かが集めるわけです。それが誰になるか、人は確実に知ることはできない。息子が跡取りであったとしても、息子と自分が一緒に事故で死んだりすることもあるわけです。このように、財産を使いきれないほど積みたくわえるのは、むなしいことです。

11節の不義とは、神さまから見て義でないことです。神さまは不義に罰を与えられ、罪を犯した人から、その人の望むものをなくしてしまわれます。「しみ」とは体調10ミリくらいの昆虫で、衣料などを食い荒らします。

12節の「寄留のもの」とは、自分の国から離れ、他の国に留まっている人のことです。信仰者は、天の御国が自分の国なので、地上では、みな寄留者です。

No.1180 2006/11/08(Wed) 21:25:57

再詩篇39章 / 沙耶香 引用

今日はもう一度詩篇39章を読みました。

大体子孫が継承するでしょ?その人も一緒に死ぬということもまれにはあるかもしれないが、そうすると、その次の継承者に継がれるのでは・・・
でも大体はその子孫が生きているので・・・

えーー?じゃアメリカ生まれで日本にすんでいる人、日本生まれでアメリカにすんでいる人と私たち信仰者は同じなの?
信仰者は天の御国にいけるけれど、今は地上にいます。なのに今は寄留者なのですか?うーん、面白い。

13節に
私を見つめないでください。
私が去って、いなくなる前に、
私がほがらかになれるように。とあるが、
解説に死ぬ前にこれ以上罰を与えないようにという意味だとあるが、ダビデが罪を犯して罰を与えられていて、もうこれ以上罰を与えないでくれとお願いしているのだろうか?

No.1181 2006/11/09(Thu) 11:26:38

Re: 詩篇39章 / 昌夫 引用

>でも大体はその子孫が生きているので・・・

良い質問だと思います。僕が思うには、特にむなしいのは、子孫が財産を受け継いでも、その子孫が知恵を持って財産を使うかどうか分からないということだと思います。子孫のうちの何人かは、相続した財産を愚かなことに使いきってしまうかもしれません。どうなるかは、親には分からない。

寄留者というのは、とても大切なイメージだと思います。僕たちは、この世にいるけれど、完全にこの世にそまってしまえば、信仰者の仕事はできなくなります。日本生まれでアメリカにいる人は、日本のことをアメリカの人たちに伝えるという役割も果たすものだけど、あまりにアメリカずれしてしまうとできなくなります。信仰者も、常に、自分は天の御国の市民であって、この世には寄留しているだけ、ということを思っていたほうが良いようです。

13節ですが、苦しいときには、神さまが自分の行動の細かい悪いところまで見つめて、何か悪いことをするたびに罰を与えられるように感じてしまうことがあります。ダビデは、そのように感じて、神さまに、自分を見つめないようにお願いして祈っていると思います。ヨブも苦しいときに、このようなお祈りをしました。でも、本当は、神さまは、細かいところも罰を与えようとされているのではなく、愛をもって、僕たちを見守ってくださっているので、見つめていただいたほうが良いのです。

No.1182 2006/11/09(Thu) 19:15:39
詩篇38章 / 沙耶香 引用

今日は詩篇38章を読みました。

9節の
主よ。私の願いはすべてあなたの御前にあり、
私の嘆きはあなたから隠されていません。とはどういう意味だろうか?

12節の
私のいのちを求めるものはわなを仕掛け、
私を痛めつけようとするものは私の破滅をつげ、
一日中、欺きを語っています。とはどういう意味だろうか?

13節の
しかし私には聞こえません。私は耳しいのよう。
口を開かないおしのよう。とはどういう意味だろうか?

16節の
私は申しました。
「私の足がよろけるとき、彼らが、私のことで喜ばず、
私に対して高ぶらないようにしてください。」
とはどういう意味だろうか?

18節の
私は自分の咎を言い表し、
私の罪で私は不安になっています。
とはどういう意味だろうか?

21節の
私を見捨てないでください。主よ。
わが神よ。私から遠く離れないでください。とはどういう意味だろうか?

No.1175 2006/11/07(Tue) 20:33:23

Re: 詩篇38章 / 昌夫 引用

この詩篇では、ダビデが重病にかかって、孤独のなかで神さまに癒しを求め願って祈っていると思います。

9節は、今までに願いも嘆きも主に祈ったので、主はダビデの願いも嘆きも知っておられる、というような意味です。

12節は、ダビデの敵が、重病になったダビデに対してわなをしかけてきたり、ダビデは死ぬだろうと宣言したり、ダビデを陥れるための、いろいろな嘘を言いふらしている、ということだと思います。

13節では、ダビデが、敵が嘘を言いふらしていても、聞こえないように無視し、何も言いわけをしたりしないで、黙っている様子を表しています。

16節は、ダビデが窮地に陥ったとき、ダビデの敵たちがそのことを喜んだり、ダビデよりも自分たちの方がえらいと考えて、高ぶったりしないように、主にお祈りしてお願いしている、ということだと思います。そういう風にお祈りして主に信頼しているので、13−14節にあるように、嘘を言いふらしている敵に対して黙っています。

この詩篇でダビデが重病になったのは、何か特定の罪の結果であったようです。それで、その罪を主にいい表して告白し、罪の大きさのために、罰を与えられることを不安に感じている、ということだと思います。

21節ですが、18節にあるように、ダビデは罪のために重病になったので、不安を感じ、主が遠くに離れておられるように感じています。それで、主に、自分を見捨てないでくださるように、また、遠く離れられないように、祈りのなかでお願いしています。

No.1176 2006/11/07(Tue) 22:18:04

再詩篇38章 / 沙耶香 引用

今朝は、もう一度詩篇38章を読みました。

ダビデって重病のことがあったんだ。病気って何でも辛いですよね?
へーーイエス様はやはり全知全能で、何もかもご存知なのですね・・・
私の苦しんでいる様子、体調精神状態がよくなくて苦しいことも全部知っておられるのでしょうか?

12節はひどいですね・・・・重病になってまでダビデに罠を仕掛けてくるなんて悪しき敵ですね・・・
それなのにダビデは偉いなーー。そんなの無視して黙っているなんて人間業ではないですね・・・

そんなに偉い人間ではできないようなことをできるダビデが特定の罪があったなんて考えられないが・・・どんな罪なのか?
罪のために重病になったなんて・・・ダビデとしたことが・・・

No.1177 2006/11/08(Wed) 09:40:57

Re: 詩篇38章 / 昌夫 引用

>私の苦しんでいる様子、体調精神状態がよくなくて苦しいことも全部知っておられるのでしょうか?

神さまは全知全能ですから、全部知っておられます。それでも、祈りのなかで、苦しんでいる様子や、体調や精神状態がよくなくて苦しいことを聞いていただいておく方が良いです。

>それなのにダビデは偉いなーー。そんなの無視して黙っているなんて人間業ではないですね・・・

ダビデは素晴らしい信仰者ですね。

>罪のために重病になったなんて・・・ダビデとしたことが・・・

ダビデが罪のために重病になったことは、聖書のほかの部分に書いていないので、詩篇から推測できるだけです。でもダビデが姦淫と殺人の罪を犯してしまったこと、その罰として詩篇第3篇にあるように、自分の息子のアブシャロムに反乱を起こされたことなどが聖書に書いてあります。ダビデの姦淫の罪の悔い改めが、詩篇51篇に出てきます。ダビデのように素晴らしい信仰者でも恐ろしい罪を犯してしまうことがあります。

No.1179 2006/11/08(Wed) 21:09:59
詩篇37章 / 沙耶香 引用

今日は詩篇37章を読みました。

5節の
あなたの道を主にゆだねよ。
主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。は大好きです。

18節の
主は全き人の日々を知っておられ、
彼らのゆずりは永遠に残る。
とはどういう意味だろうか?譲りが残るってなんだろうな?

24節の
その人は倒れてもまっさかさまに倒れはしない。
主がその手をささえておられるからだ。
は今の私に言い聞かせないといけない御言葉です。

37節に
全き人に目を留め、直ぐな人を見よ。
平和の人には子孫ができる。とあるが、じゃ子孫ができない人は平和の人じゃないのか?

38節に
しかし、そむくものは、相ともに滅ぼされる。
悪者どもの子孫は断ち切られる。のなかの相ともにとはどういう意味だろうか?

No.1170 2006/11/06(Mon) 19:39:16

Re: 詩篇37章 / 昌夫 引用

18節の「ゆずり」とは、詩篇16:6にある「ゆずりの地」と同じで、神さまがイスラエルの国に与えてくださった約束の地の一部を、「ゆずりの地」として、くじで決めて一族がゆずり受け、それを代々、子孫がゆずり受けていったものです。子孫がとだえたり、戦争で負けたりすると、ゆずりの地を失ってしまいました。

今なら、約束の地に対応するのは天国で、信仰者は、天国で、永遠に住むための場所を与えていただけるということです。

37節ですが、永遠の天国のことがまだ啓示されていなかった旧約下では、子孫繁栄ということが、神さまの祝福の約束の一部だったのだと思います。イエスさまの十字架以降は永遠の天国が啓示されている「終わりの時」(へブル1:2)なので、神さまに平和の人として祝福されると必ず子孫が生まれるとはいえないと思います。

38節の「相ともに」は、「悪者とその子孫がお互いに相手とともに」滅ぼされるという意味だと思います。

僕も5節がとても好きですが、5節からさらに6節と、7節の最初の「主の前に静まり、耐え忍んで主を待て。」というところまでの、ひとかたまりのところが特に好きです。

No.1172 2006/11/06(Mon) 20:14:03

再詩篇37章 / 沙耶香 引用

今朝はもう一度詩篇37章を読みました。

詩篇16章の6節にあるゆずりの地の話なんてもう頭に残っていませんでした。読んでも読んでもなかなか頭に残らないですね・・・頭によく残る人が羨ましいです。

今回は1,2節の
悪を行う者に対して腹を立てるな。
不正を行う者に対してねたみを起こすな。
彼らは草のようにたちまちしおれ、
青草のように枯れるのだ。
が印象に残りました。この世の中はあくがはびこり、正直者が馬鹿を見る事が多いが、でも私たち信仰者は圧倒的な勝利者だし、そういう悪は滅びの道だから・・・

No.1174 2006/11/07(Tue) 10:57:10
詩篇36章 / 沙耶香 引用

今日は詩篇36章を読みました。

私は5節の
主よ。あなたの恵は天にあり、
あなたの真実は雲にまで及びます。が印象に残りました。

7節の
神よ。あなたの恵みは、なんと尊いことでしょう。
人の子らは御翼の陰に見を避けます。という御翼の陰という言葉はよく賛美に出てきますね。

私は11節の
高ぶりの足が私に追いつかず、
悪者の手が私を追いやらないようにしてください。画印象に残りました。

No.1166 2006/11/05(Sun) 20:12:51

Re: 詩篇36章 / Aja 引用

1節〜4節までと、5節以降でがらっと印象がかわりますね。不思議です…。

9節の「いのちの泉はあなたにあり、私たちは、あなたの光の内に光を見るからです。」はイエス様を連想しますね。

No.1167 2006/11/05(Sun) 21:16:43

Re: 詩篇36章 / 昌夫 引用

>御翼の陰という言葉はよく賛美に出てきますね。

残念ながら僕は賛美歌をあまりたくさん知らないので、御翼の陰という言葉が出てくる賛美歌を思いつきません。でも、御翼の陰に身を避けるというのは、とても安心できるイメージですね。

9節にある神さまの光というイメージについてですが、沙耶香さんが、まだヨハネの福音書の、イエスさまが光であるというところを読んでおられなかったら、ヨハネの福音書の一章の1-5節を読んでみてください。イエスさまが人間としてこの世に来られる前から、神さまの「ことば」として存在され、すべてのものを造らたこと、またイエスさまは人の光であることが書かれてあります。

No.1168 2006/11/05(Sun) 21:38:09

Re: 詩篇36章 / 沙耶香 引用

今朝はもう一度詩篇36章を読みました。

ヨハネの福音書の1章1から5節・・・読みました。うん、でも読んだことあります。
イエス様は人間としてこの世にこられる前から、神様の言葉として存在されたのですね・・・イエス様は人の光・・・すばらしいですね・・・

詩篇に帰りました。

今回は4節の
彼は寝床で、不法を図り、
よくない道に堅くたっていて、
悪を捨てようとしない。が逆に印象に残りました。不信仰って悲しいですね・・・

No.1169 2006/11/06(Mon) 10:30:01

Re: 詩篇36章 / 昌夫 引用

>イエス様は人間としてこの世にこられる前から、神様の言葉として存在されたのですね・・・イエス様は人の光・・・すばらしいですね・・・

本当に素晴らしいですね。そして素晴らしいイエスさまが、僕たちとともにいてくださり、心の中に入ってきてくださり、祈りを聞いてくださる祝福を思います。

>不信仰って悲しいですね・・・

1-4節に表されている罪の支配というのは、悲しくと恐ろしいものですね。それに対抗するには、信仰によってイエスさまにより頼むほかはありません。信仰を持っても、なかなか完全には対抗できないですが、だんだんイエスさまが対抗する力を与えてくださることを感謝します。

No.1171 2006/11/06(Mon) 19:49:21
詩篇35章 / 沙耶香 引用

今日は詩篇35章を読みました。

1節の
主よ。私と争う者と争い、
私と戦うものと戦ってください。は今の私の家族に対する心情ですね・・・本当に救い出してください。
守って保護しないといけない家族が何で弱いものいじめに走るのか?本当にこの世は、弱者いじめが好きである。

7節に
まことに、彼らは
ゆえもなく、私にひそかに網を張り、
ゆえもなく、私のたましいを陥れようと、
穴を掘りました。とあります。
8節に
思わぬときに、滅びが彼を襲いますように。
ひそかに張ったおのれの網が彼を捕え、
滅びの中に彼が落ち込みますように。とあります。
前にも同じようなことを聞きましたが、敵を落としめいれるお祈りをしていますね・・・クリスチャンは人を敵を赦すというのが御心だと思っていたのだが、ちょっと違うようですね・・・
牧師にまだ聞いていないです。

12節の
彼らは善にかえて悪を報い、
私のたましいは見捨てられる。とはどういう意味ですか?善に変えて悪を報いる?意味不明・・・

19節の
偽り者の、私の敵を、
私のことで喜ばせないでください。
結えなく私を憎む人々が
目配せしないようにしてください。とはどういう意味だろうか?分からない。

21節に
「あはは、あはは。この目で見たぞ。」と言いますとありますが、何を見たんだろうか?

私は26節の
私のわざわいを楽しんでいるものらは、
みな恥を見、はずかしめを受けますように。
私に向かって高ぶるものは、
恥と侮辱をこうむりますように。が非常に印象に残りました。本当に私のわざわいを楽しんでいる人が非常に多いからです。

本当、イエス様イエス様イエス様私を救い出してください。

No.1159 2006/11/04(Sat) 20:15:55

Re: 詩篇35章 / 昌夫 引用

7-8節のようなところは、クリスチャンとしては、かなり理解の難しいところです。敵を赦しながら、神さまの義のために、祈っているなど、いろいろな考えがあります。どちらにしても、クリスチャンが、敵も愛し、自分にされたことを赦すことをイエスさまが喜んでくださるのは、間違いないところです。

12節の「彼らは善にかえて悪を報い」とは、ダビデは彼らに善いことをしたのに、彼ら(ダビデの敵)はダビデに悪いことをした、という意味です。具体的には、13-16節に説明があります。13節にあるように、ダビデは、彼らが病気にかかったときに、普段の服を脱いで、彼らの病気を癒していただくように、荒布を着て、断食をして祈った。また、うなだれて泣き悲しんで善の行動をした。ところが、彼らはダビデが急病になると喜んで、ダビデを中傷した。このようにダビデは善の行動をしたのに、彼らは善の行動を返すどころか悪の行動をした。

19節では、敵たちがダビデが急病になって喜んでいるのをやめさせてくださるように、また、目配せをしあって、悪い計画をたてるのをやめさせてくださるように嘆願していると思います。

21節では、ダビデの敵たちが、法廷で嘘の証言をしているところだと思います。彼らは、何かダビデが罪を犯すのを目撃した、と嘘の証言をしています。

No.1161 2006/11/04(Sat) 21:22:14

再詩篇35章 / 沙耶香 引用

今日はもう一度詩篇35章を読みました。

あ、そうですか?やはりクリスチャンは敵も愛し、自分にされたことを赦すことが御心なのですね・・・

ダビデはダビデの敵に善い行いをしたのに、ダビデの敵はダビデに悪いことをしたんだ?うーん、悪い者同士だとお互い様だけれど、ダビデは悪くないのに、敵に悪さをされるなんておかしいですね・・・
世の中おかしいことだらけだ。

本当に何だかこの世の中は悪いことばかりだ。悪がはびこり、私たち弱者で正直者は馬鹿を見る。
イエス様が再臨されて、まっとうにして欲しい。

No.1162 2006/11/05(Sun) 05:28:01

Re: 詩篇35章 / 昌夫 引用

>あ、そうですか?やはりクリスチャンは敵も愛し、自分にされたことを赦すことが御心なのですね・・・

そうですね。罪にあったときに、神さまの愛によってイエスさまの十字架による罪の赦しを受けた僕たちが、人にされたことを赦し、自分に関わる全ての人を愛すということが、とても大切です。

No.1165 2006/11/05(Sun) 06:00:27
詩篇34章 / 沙耶香 引用

今日は詩篇34章を読みました。

2節に
私のたましいは主を誇る。とありますが、本当にいつも自尊心ではなく、イエス様を誇って生きているとイエス様喜ばれます。

5節の
彼らが、主を仰ぎ見ると、彼らは輝いた。
「彼らの顔をはずかしめないでください。」とはどういう意味だろうか?うーん、ピンとこない。

私は前からこの9節の
主を恐れよ。その聖徒たちよ。
彼を恐れるものには乏しいことがないからだ。が好きです。

12節に
いのちを喜びとし、しあわせを見ようと、
日数の多いのを愛する人は、だれか。とありますが、私にはおおよそ縁遠いことですね・・・
早くイエス様が迎えに来てくれて楽になりたいという思いがあります。

16節の
主の御顔は悪をなすものからそむけられ、
彼らの記憶を地から消される。とはどういう意味だろうか?地から消される=抹消されるのだろうか?

19節に、
正しい者の悩みは多い。
しかし、主はそのすべてから彼を救い出される。
とありますが、私はいろいろ困難試練の連続だが、その解決法を示されてもらっていないものが相当ある。何でだろうか?時があっていつかきっと・・・解決を示されると信じて期待して感謝します。

解説の欄のどこかに、困難があるとなかなか前に進めないが、信仰者はいつかきっと乗り越えられるという希望があるから前に進めると書いてあったことがあったが、希望を持っているだけなのか?本当に解決がなされることはないのか?

20節に
主は、彼の骨をことごとく守り、
そのひとつさえ、砕かれることはない。とありますが、
全身の安全と健康を守られているはずなのに、何で私はそうではないのか?闘病生活辛い。

22節に
主はそのしもべのたましいを購いだされる。
主に身を避けるものは、だれも罪に定められない。とありますが、本当に私たちはイエス様の十字架によって罪を赦されるという恵をいただきました。感謝します。

No.1153 2006/11/03(Fri) 20:02:10

Re: 詩篇34章 / Aja 引用

5節は謎ですね…。「彼ら」とは誰のことなんでしょう。ダビデではなさそうですが。ダビデが誰かのことを祈っているのでしょうか。

18節「主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、霊の砕かれた者を救われる」 神様の憐れみと愛を感じました。

No.1154 2006/11/03(Fri) 21:18:01

Re: 詩篇34章 / 昌夫 引用

5節の「はずかし」という語は、詩篇25:3の「まことに、あなたを待ち望む者は  だれも恥を見ません。」の「恥」という言葉と、対応しているようです。それで、ダビデが、自分の仲間の信仰者たちのために、「彼らが恥を見ませんように」という意味のお祈りをしているのだと思います。

>彼を恐れるものには乏しいことがないからだ。が好きです。

素晴らしい約束ですね。

>地から消される=抹消されるのだろうか?

そうですね。16節は悪者のことは、記憶が抹消されて、いずれ、誰も思い出さなくなる、ということだと思います。

>私はいろいろ困難試練の連続だが、その解決法を示されてもらっていないものが相当ある。何でだろうか?

ダビデも、サウル王に追われて困難の連続が長くつづいたけれど、やがて主が全ての問題を解決されて救い出されました。

>希望を持っているだけなのか?本当に解決がなされることはないのか?

この世的な問題は、イエスさまが再臨された後に全て解決されることが、聖書にはっきり書いてあります。問題が解決されるだけでなく、神さまと一緒に天国に住むようになります。無限の神さまに、もっと近づいてより幸福になることができるという希望は、天国に行っても永遠に残るのだろうと思います。

20節ですが、イエスさまは鞭打たれ、十字架にかけられましたが、骨は父なる神さまが折られないように守られました。

信仰者の骨が守られるということは、いつも健康であるようにされるということではなく、魂が信仰を失うほどの傷をつけられないように、守られる、ということだと思います。

No.1156 2006/11/03(Fri) 23:59:02

再詩篇34章 / 沙耶香 引用

今朝はもう一度詩篇34章を読みました。

えーー???その管理人さんの書き方では、この世的な問題は生きている間に解決はなされないの?
この世的問題なんか死んでから解決したって仕方ないじゃないですか?
今苦しんでいることが死んだ時点で解決されたって死んだことでもう解決がついているんだから・・・

何だか、解釈も難しいし、この世の中も難しいし、弱者が生きていくのはかなり困難ですね・・・

No.1158 2006/11/04(Sat) 10:16:26

Re: 詩篇34章 / 昌夫 引用

>この世的な問題は生きている間に解決はなされないの?

ヨブ記のヨブは罪の結果としてでなく、10人の子供をを亡くし、全財産も失って、とても苦しみました。その後で、神さまがヨブの前に現われてくださり、財産を以前の2倍にしてくださり、新しい10人の子をくださいました。ほとんどのこの世的な問題は、神さまが解決して、それだけでなく、以前よりも財産は2倍にしてくださった。でも、最初に亡くなった10人の子とは、天国で会うことによって解決をくださるということだと思います。

No.1160 2006/11/04(Sat) 20:54:50

Re: 詩篇34章 / 沙耶香 引用

あ、そうですか?やはりこの世の中でこの世的にも解決してもらえるのですね・・・
そうですよね?イエス様全知全能ですもんね。

No.1163 2006/11/05(Sun) 05:29:24

Re: 詩篇34章 / 昌夫 引用

全ての問題に完全な解決が与えられるのは天国でだけれど、この世でもイエスさまが全知全能の力で、いろいろな形で解決を与えてくださいます。イエスさまを信頼して待っていればいれば大丈夫。

No.1164 2006/11/05(Sun) 05:53:02
イエス様の問いかけ / Aja 引用

マタイ18章12節〜百匹の羊のたとえ。イエス様の言われた「あなたがたはどう思いますか。」という言葉が今日はとても心に響いてきました。

コンコルダンスで調べて見たら他の箇所でもたくさん出てきました。
マタイ17章25節では税金を支払うことについて「シモン。どう思いますか。」
マタイ21章28節〜ふたりの息子が父親に対する態度について「あなたがたはどう思いますか。」
マタイ22章42節「あなたがたはキリストについてどう思いますか。」等。

イエス様は教えただけでなくいつも「あなたはどう思いますか」と問いかけていて私に対しても常にどう思うかと個人的に話しかけていてくださっている、人格を尊重して関わろうとしてくださっていると感じました。

「あなたはどう思いますか。」と問いかけてくださるイエス様に対して素直に正直な思いを伝えていきたいと思いました。

No.1155 2006/11/03(Fri) 21:47:32

Re: イエス様の問いかけ / 昌夫 引用

>イエス様は教えただけでなくいつも「あなたはどう思いますか」と問いかけていて私に対しても常にどう思うかと個人的に話しかけていてくださっている、人格を尊重して関わろうとしてくださっていると感じました。

僕は、「あなたがたはどう思いますか。」という言葉が心に響いてきた、という記憶がありません。イエスさまとの個人的な関係を求めていると、イエスさまは、一人一人を尊重して、違う方法と違う内容で、語りかけてくださるのだな、と思いました。

No.1157 2006/11/04(Sat) 00:04:37
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