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民数記21章残り / 沙耶香 引用

今日は民数記21章残りを読みます。

24節の
イスラエルは剣の刃で彼を打ち、その地をアルノンからヤボクまで、アモン人の国境まで占領した。アモン人の国境は堅固だったからである。
が印象に残りました。が、しかし、このあたりずっとカタカナが多くて、日本人の私には混乱の材料である。

35節の
そこで彼らは彼とその子らとそのすべての民とを打ち殺し、ひとりの生存者も残さなかった。こうして彼らはその地を占領した。
が印象に残りました。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はヨハネの福音書の20章4-8節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、7節の
イエスの頭に巻かれていた布切れは、亜麻布といっしょにはなく、離れたところに巻かれたままになっているのを見た。
が気になるので、これをもう何度か読みます。
イエス様不思議なお方・・・

No.3691 2007/12/27(Thu) 19:41:43

再民数記21章残り / 沙耶香 引用

今日はもう一度民数記21章残りを読みます。

18節に
笏をもって、杖をもって、つかさたちがうがち、民の尊き者たちが掘ったその井戸に。」彼らは荒野からマタナに進み、
とあるが、笏って一体何だろう・・・だって「しゃく」で変換しても出てこないから、手書きで字を書いて、マウスをあててみたも、「しゃく」という読み方はしないみたいだ。・・・と思って、脚注を見ると、指導者の権威を表す。とあります。「うがつ」とはどういう意味だろうか?と思って辞書を引くと、穴をあけるとか貫き通すとかいう意味らしい。結局この節は一体何が言いたいのだろうか?

25節に
イスラエルはこれらの町々をすべて取った。そしてイスラエルはエモリ人のすべての町々、ヘシュボンとそれに属するすべての村落に住み着いた。
とあるが、エモリ人って何だろう?前にも出てきていたなーと思って脚注を見ると、「この時代は、ヨルダン川の東側山地に住み、山地きっての有力な部落であった。」と説明されている。今までにも出てきたことあるなーと思って聖書検索すると、創世記、出エジプト、民数記にも多数出てきていた。
そのエモリ人も、32節に
そのとき、モーセはまた人をやって、ヤゼルを探らせ、ついにそれに属する村落を攻め取り、そこにいたエモリ人を追い出した。
という風に追い出されてしまうのですね・・・

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はヨハネの福音書の20章9-13節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、13節の
彼らは彼女に言った。「なぜ泣いているのですか。」彼女は言った。「だれかが私の主を取って行きました。どこに置いたのか、私にはわからないです。」
が気になるので、これをもう何度か読みます。
みなに愛されるイエス様・・・

No.3693 2007/12/28(Fri) 06:32:03

Re: 民数記21章残り / 大垣 引用

18節の後半はへブル語の詩の形式になっているようです。詩篇のようにへブル語の詩は同じような意味のことを繰り返します。「笏をもって」と「杖をもって」は同じような意味のことの繰り返し。「つかさたちがうがち」と「民の尊き者たちが掘った」は同じような意味のことの繰り返しです。民のリーダーたちが、笏や杖を使って井戸を掘った様子を詩にして、歌っているのだと思います。

No.3696 2007/12/28(Fri) 12:58:22

Re: 民数記21章残り / 沙耶香 引用

私なんかの浅はかな考えでは、そんな回りくどいやり方しなくてもいいから、もっと分かりやすく明快に、文章に仕立ててくれたらいいのにと思うんだけれど・・・

No.3706 2007/12/30(Sun) 06:59:18
?Uテサロニケ2章 / 大垣 引用

2テサロニケ2章。1-2節。テサロニケの教会には、すでに主の日が来たという考えにまどわされた人々がいた。

3-4節。まず背教が起こり、神の宮の中に自分こそ神であると宣言する不法の人が現れなければ、主の日は来ない。このことが起こったときには、世界中のキリスト者に明らかになるのだろうと思います。

9-12節。不法の人は、あらゆる偽りの力、しるし、不思議を行う。それによって、滅びる人たちは不法の人はまどわされてしまう。神がそのような力によるまどわしを許されるのは、悪を喜んでいたすべての者が、さばかれるためである。このように神が悪さえも善用されることについては、11節の脚注に指摘のある、ヨシュア11:20、1列王記22:19-23が特に参考になると思う

13-15節。テサロニケの教会の人々を神が救いのためにすでに選ばれたので、彼らは油断していてよいのではなく、固くたって、パウロの手紙にある教えを守るという選びへの応えをしていくことがイエスの恵みによってできる。

16-17節。どうか、僕たちを愛し、恵みによって永遠の慰めと素晴らしい望みを与えてくださった主イエスさまが、あらゆる良いわざとことばに進むよう、僕たちの心を慰め、強めてくださいますように。

No.3699 2007/12/29(Sat) 08:05:33

Re: ?Uテサロニケ2章 / 亜衣瑠 引用

本文の前に ハンドブック記述581ページに目をやる。下から6行目より「教会の歴史は全体的に、現代においてさえも悲劇的様相を呈している。1世紀から現代に至るまで存在して来た可見的教会を無遠慮に概観するなら、それを背教教会と称しても間違いではない。」
(おー。) 純粋な 真の キリストを礎にした教会。 それを求めます。
主の来臨に関する教訓というタイトルを見て、信仰者の側からすると、「その日」まで続く聖化のことを思う。チェーン式ヨハネ15章2節の脚注にあることば「くりかえし」「絶えず」また、ロマ書7章14節以降に見られるような古い人の影を主によって変えていただくわたしたちの希望を思う。自分でどうにかするものではないことと知ることが神への信頼を増し加えさせるパワーとなる。
1−8節 どんなに不法の人がどんな手段で現われようとも、主は御口の息をもって彼を殺し、滅ぼしてしまわれるのだから、何も心配要りません。わたしたちは わたしたちのするべきこと、聖書に基づき、真理を求め続けること、神のみこころを探り求めそれを行なうこと、何より神さまを愛すること・・・それらを実行しつづけること。
9節 それら不法の人の正体が すべてサタンの働きによるということを わたしたちはもはや知っています。
11節 惑わす力は それそのものが 偽りの力であるから、神が勝負を受けたとなった瞬間、すでに神が勝利されている。 13節「初めから救いに」の「初めから」が光り輝いている。
15節 「そこで、兄弟たち。」はい。「堅く立って、私たちのことば、または手紙によって教えられた言い伝えを守りなさい。」はい。次の16節の励ましを祈ります。
「どうか、私たちの主イエス・キリストであり、私たちの父なる神である方、すなわち、私たちを愛し、恵みによって永遠の慰めとすばらしい望みとを与えてくださった方ご自身が、あらゆる良いわざとことばとに進むよう、あなたがたの心を慰め、強めてくださいますように。」アーメン。そのとおりでありますように。そのとおりにしていただけることを願い出、そして感謝いたします。永遠の慰めを待ち望みます。

No.3702 2007/12/29(Sat) 13:30:41
?Uテサロニケ1章 / 大垣 引用

?Uテサロニケ1章。3節。主にある兄弟姉妹の信仰が成長し、相互の愛が増し加わるとき、神に感謝するのが当然である。

4節。迫害と患難に耐えながら従順と信仰とを保っている兄弟姉妹がいたら、誇りとしたい。

5節。迫害の苦しみは神の国のためである。

6-9節。主イエスが最初に来られたときは、すべての人々に救いの機会を与えるために来られた。次に来られるときには神を知らない人々や福音に従わない人々に報復される。

10節。主イエスが、ご自分の聖徒たちによって栄光を受けられる。

11節。どうか神さまが僕たちを召しにふさわしい者に変え、善を慕うあらゆる願いと信仰の働きとを全うしてくださいますように。

12節。キリスト者が神によって召しにふさわしい者に変えられ、信仰の働きを全うされることの目的は、主キリストの御名があがめられ、キリスト者も栄光を受けるためである。

No.3695 2007/12/28(Fri) 12:23:59

Re: ?Uテサロニケ1章 / 亜衣瑠 引用

?Uテサロニケ 緒論
執筆年代 チェーン式では 第一の手紙から「数ヵ月後」、とあり、ハンドブックでは「わずか数週間か数ヶ月後」とあって、歴史的には少しなのだろうが、生活感から言うと、ちょっと差があるように感じる。「主の日」についてのテーマがとても興味深い。

1章
3節「ひとりひとりに」が重要なこと。だれが特別な一人だけが、でなく、一人一人、各器官が皆、というところがポイント。そうでなければ、全体としての成長は起こらない。
7節 「安息」脚注箇所の黙示14:13はまことに美しい慰めです。また、このことばは愛する楽曲『ドイツ・レクイエム』の終曲第7楽章の歌詞になっています。天上から降りてくる音楽です。また、「主イエスが、炎の中に」とあるのを読むと、同じく黙示にある描写を思い浮かべてみます。「その目は燃える炎のよう」(1:14)「七つのともしびが御座の前で燃えていた」(4:5)など。
9節 どうか退けないでください。10節 感嘆の的として永遠に崇め礼拝いたします。
11節 このことをわたしも祈り、そして祈っていただきたく求めます。「どうか、わたしたちの神が、このわたしたちをあなたのお召しにふさわしい者にしてくださって、その御力によって、善を慕うあらゆる願いと信仰の働きとを全うしてくださいますように。」この祈り、願いはすべて 12節にあるように「主イエスの御名が その方ご自身の恵みによって、わたくしたちの間で崇められ、さらにわたくしたちも主に在って栄光を受けるためです。」
どうか、そのことがみことばどおりになりますように。ハンドブックに、主の来臨は「不従順な者には恐怖の日である」とされています。決してそのような感じ方をすることのないように。それどころか、最大の希望の日、絶大な希望の日。夢見る日でありますように。その日に向けての整いを備えられますように。

No.3697 2007/12/28(Fri) 12:59:50
民数記21章17節まで / 沙耶香 引用

今日は民数記21章17節までを読みます。

1節に
ネゲブに住んでいたカナン人アラデの王は、イスラエルがアタリムの道を進んでくると聞いて、イスラエルと戦い、その何人かを捕虜として捕えていった。
とありますが、捕虜の詳しい意味とは何だろうかと思って、辞書を引くと、戦争などで捕えられた人らしい。昔はそういう人が多くいたんだろう。嘆かわしいですね・・・

5節に
民は神とモーセに逆らっていった。「なぜ、あなたがたは私たちをエジプトから連れ上って、この荒野で死なせようとするのか。パンもなく、水もない。私たちはこのみじめな食物に飽き飽きした。」
とあるが、神様がくださった食物のマナに文句を言っていると、後で神様にしかられるぞ!!と思ったら案の定6節に、
そこで主は民の中に燃える蛇を送られたので、蛇は民にかみつき、イスラエルの多くの人々が死んだ。
とあります。

8節に
すると、主はモーセに仰せられた。「あなたは燃える蛇を作り、それを旗ざおの上につけよ。すべてかまれたものは、それを仰ぎ見れば、生きる。」
とありますが、旗ざおって何だろうか?と思って、辞書で引くと出てこなくて、「旗ざお」で検索すると、国旗のようにさおにつけて旗を飾るものみたいだ。

9節に
モーセは1つの青銅の蛇を作り、それを旗ざおの上につけた。もし蛇が人をかんでも、その者が青銅の蛇を仰ぎ見ると、生きた。
とあるが、青銅の蛇とは、青銅で作った蛇ということだろうか?と思って脚注を見ると、「青銅の蛇」そのものに魔術的な力があるのではなく、神の約束を信じてこれを仰ぎ見たものだけが、死を免れることができた。青銅の蛇は、人間の罪を負って十字架の上にあげられたキリストを象徴している。
と説明してくださっているが、蛇が人をかんでもという表現は生きた蛇のように感じるのだが・・・

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はヨハネの福音書の19章36-40節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、40節の
そこで、彼らはイエスのからだを取り、ユダヤ人の埋葬の習慣に従って、それを香料といっしょに亜麻布で巻いた。
が気になるので、これをもう何度か読みます。
イエス様のからだ・・・私も触れてみたい。

No.3685 2007/12/26(Wed) 21:52:17

再民数記21章17節まで / 沙耶香 引用

今日はもう一度、民数記21章17節までを読みます。

16節の
彼らはそこからベエルに向かった。それは主がモーセに、「民を集めよ。わたしが彼らに水を与える。」と言われた井戸である。
が印象に残りました。主が与える水がある井戸なんて素晴らしいですね・・・

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はヨハネの福音書の19章41,42、20章1-3節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、2節の
それで、走って、シモン・ペテロと、イエスが愛された、もうひとりの弟子とのところに来て、言った。「だれかが墓から主を取って行きました。主をどこに置いたのか、私たちにはわかりません。」
が気になるので、これをもう何度か読みます。
イエス様の不思議な御技・・・

No.3686 2007/12/27(Thu) 06:37:20

Re: 民数記21章17節まで / 大垣 引用

9節は、もし、6節で主が送られた生きた蛇が人をかんでも、その人がモーセが青銅で作った蛇の像を仰ぎ見たら、蛇の毒から救われて生きた、という意味です。

No.3688 2007/12/27(Thu) 09:54:55

Re: 民数記21章17節まで / 沙耶香 引用

あ、そうですか?全然取り違えていました。でも6節では多くの人々が蛇にかまれたことによって死んだとあります。死んだのに、青銅の蛇を仰ぎ見たら生き返るのだろうか?

No.3690 2007/12/27(Thu) 10:04:27

Re: 民数記21章17節まで / 大垣 引用

すでに死んだ人は青銅の蛇を仰ぎ見ることができないだろうから、青銅の蛇が上げられてから、毒蛇にかまれた人は、青銅の蛇を仰ぎ見たら生きる、という意味だと思います。

ヨハネ3:14では、モーセが上げた蛇とイエスが上げられたことに対応があることをイエスが言われたので、イエスが十字架に上げられた後に、イエスを仰ぎ見ることに、霊的に生きるための大きな意味があるということだと思います。

No.3692 2007/12/27(Thu) 21:22:05

Re: 民数記21章17節まで / 沙耶香 引用

ヨハネ3:14・・・
モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子もまたあげられなければなりません。

なかなか読み込みが難しいですね・・・深い・・・

No.3694 2007/12/28(Fri) 09:32:29
Iテサロニケ5章 / 大垣 引用

Iテサロニケ5章。1-2節。主の日がいつ来るかということは主イエスもご存知でなかった(マタイ24:36)ほどのことだから、聖書で預言されたいろいろなしるしと思われることを見ても、「何年何月何日」と特定できるようなことではないだろうと思う。さらに歴史上で、主の日が近づいたしるしと思われることが何回もあったということを思うと、しるしの判定はかなり難しいように思う。ただ、マタイ24:32-33のように、しるしに注意しておいて「人の子が戸口まで近づいている。」と考えることは、僕たちが「目をさまして」(6節)いるために有用だと思います。

3節。多くの人々が「平和だ。安全だ。」と言っているときに、ふいに主の日の滅び彼らに襲いかかります。信仰を持たない愛する家族や友人たちに滅びがふいに襲いかからないように、僕たちは福音を伝えます。主を信頼して、あせらないように。でも、自分が「平和だ、安全だ。主の日はまだまだ遠い。」と考えて、福音を伝える機会をむだにするようなことがないように、と思います。

4−11節。信仰者は目をさまして、信仰と愛と希望を持ち、慎み深くしていると良い。互いに励ましあい、徳を高め合い、目ざめていても眠っていても主とともに生きると良い。僕は夜寝る直前のディボーションが夜に眠っていても主とともに生きるために役に立っていると思います。

12-13節。主にあって指導してくれる人々も、人間なので完全ではないところも当然あるだろうが、そうであっても、彼らが主にあって労苦して指導してくれていることを忘れないようにしたい。主にある兄弟姉妹の間の平和のためには、指導者の役割が重要だと思います。

14−22節。ハーレイのハンドブックによるとここに15の勧告がある。数えてみると14しかないように思うけれど、15節の「お互いの間で」と「すべての人に対して」を2つの勧告と数えたのかもしれない。21節、「すべてのことを見分けて」というところが、特に印象に残りました。

23節。「霊、たましい、からだ」という言い方が印象的。聖書を読み始めたころに、「聖書では霊とたましいは同じ」というある神学者の解釈を読んで、あまり考えずに受け入れたのだけれど、最近、霊とたましいは違うのではないか、と思って聖書を読み返している。ハンドブックには「『たましい』とはいのちの本源であり、『霊』は神との交わりの機関である。」とある。興味深い。

どうか主イエスの来臨のとき、僕たちに責められるところがありませんように。神さまが僕たちを全く聖なるものに変えてくださいませ。僕たちの霊、たましい、からだが完全に守られますように。

No.3687 2007/12/27(Thu) 09:49:07

Re: Iテサロニケ5章 / 亜衣瑠 引用

注意、喚起でありながら、安心を告げることでもある。しかし油断はできない。
1節「それらがいつなのか」 イエスさまが皮肉まじりにおっしゃられたここを思い出す。マタイ16:2−3
3節 どちらにしろ、突然やってくる「その日」。マタイでの表現が印象的です。
「人の子が来るのは、ちょうど、ノアの日のようだからです。洪水前の日々は、ノアが箱舟にはいるその日まで、人々は、飲んだり、食べたり、めとったり、とついだりしていました。そして、洪水が来てすべての物をさらってしまうまで、彼らはわからなかったのです。人の子が来るのも、そのとおりです。」(マタイ24:38,39)
4−8節 わたしたちを導くのは光であられる方、神。5節でわたしたちが何者なのかを宣言し、6節、であるなら応答はどのようであるべきか、必然が示される。わたしたちはそうであること(眠っていないで目を覚ましていること、慎み深くしていること)が必然となる。
9,10節 神さまの気前の良すぎる性質、性格。神さまのどうあってもわたしたちには良くしてやりたい、どうしようもなくても救いたい、という頑固なまでの決心が知らされる。わたしたちは何としようか? 神さまがすでに決めておられるのだ。神さまの 救いたい、愛したい、という決意を 変えられるわたしたちのわけがない。自動的にわたしたちがそのような神さまのあまりに途方もない愛に応えるしか なすすべがない。
11−15節「互いに」のことばがここでも浮きあがる。わたしたちは弱い者だという証である。また、それぞれが主のからだの各器官であることを知ることにもつながる。(?Tコリ12:14−27)
16節「いつも喜んでいなさい。」・・・・はい。
17節「絶えず祈りなさい。」・・・・はい。
18節「すべての事について、感謝しなさい。」・・・・はい。
21節 見分ける力をお授けくださいませ。
22節 悪に近づくことのありませんように。自動センサーを敏感に働かせてくださいませ。
24節「あなたがたを召された方は真実ですから」 ?Tコリ10:13 「神は真実な方ですから」
24−28節 祈り祈られる幸せと平安。それは主から来る。感謝です。

No.3689 2007/12/27(Thu) 09:56:34
民数記20章 / 沙耶香 引用

今日は民数記20章を読みます。

1節に
イスラエル人の全会衆は、第一の月にツィンの荒野に着いた。そこで民はカデシュにとどまった、ミリヤムはそこで死んで葬られた。
とあるが、ミリアムとは誰だろう?と思って、脚注を見ると、モーセとアロンの姉で、女預言者とあります。すっごいなーーー。

2節に
ところが会衆のためには水がなかったので、彼らは集まってモーセとアロンとに逆らった。
とありますが、脚注を見ると、水の欠乏はいつも激しい不満と不平の原因となったとありますが、昔は慢性的な水不足だったのだろうか?

11節の
モーセは手をあげ、彼の杖で岩を2度打った。すると、たくさんの水が湧き出たので、会衆もその家畜も飲んだ。
が印象に残りました。

13節に
これがメリバの水、イスラエル人が首都あらそったことによるもので、主がこれによってご自身を、聖なる者として示されたのである。
とあるが、これはどういう意味だろう?と思って、脚注を見ると、「民に水を与え、モーセとアロンをさばいて、ご自身の力と栄光を現わされた。」とありますが、モーセとアロンをさばくって、モーセとアロンは民のために水を出しただけで、何もさばかれるようなことはしていないと思うのだが・・・

15節に
私たちの先祖たちはエジプトに下り、私たちはエジプトに長年住んでいました。しかしエジプトは私たちや先祖たちを、虐待しました。
とありますが、エジプトが虐待したわけじゃないと思うのだが・・・

24節に
「アロンは民に加えられる。しかし彼は、わたしがイスラエル人に与えた地にはいることはできない。それはメリバの水のことで、あなたがたがわたしの命令に逆らったからである。
とあるが、アロンはメリバの水のことで逆らったってどういうことだろうか?だって、8節に、
「杖を取れ。あなたとあなたの兄弟アロンは、会衆を集めよ。あなたがたが彼らの目の前で岩に命じれば、岩は水を出す。あなたは、彼らのために岩から水を出し、会衆とその家畜に飲ませよ。」
とあり、水を出すように言っているのに、出したのに命令に逆らったというのは意味がわからない。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はヨハネの福音書の19章26-30節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、26節の
イエスは、母と、そばに立っている愛する弟子とを見て、母に「女の方。そこに、あなたの息子がいます。」と言われた。
が気になるので、これをもう何度か読みます。
お母さんを「女の方」と読んでいるのがかなり印象的です。

No.3679 2007/12/25(Tue) 20:43:36

Re: 民数記20章 / 大垣 引用

イスラエルの歴史を学ぶためには、この20章はとても重要だと思います。主はモーセがメリバで犯した罪のために、彼がカナンの地に入ることを許されず、申命記34章でモーセは120歳でカナンの地を目前にして亡くなります。ヨシュア記でモーセの後継者であるヨシュアがイスラエルの民を率いてカナンの地に入ります。

これは、人間にはモーセの律法をすべて守ることができないために、律法によっては天国に行くことができず、イエスに率いられて信仰者たちが天国に入ることになることと対応していると僕は思います。

モーセのメリバでの罪が何だったのか、それほどはっきりしないので、いろいろな説があります。2つの説について書いておきます。

1.横の注に詩篇106:33が示してあるので、詩篇106:32-33を読むと、モーセが軽率なことを口にしたのが罪であったようです。10節で、モーセが主に栄光を帰さず、自分とアロンが水を出すように言ったのが軽率だったように思います。

2.8節で、主は「岩に命じ」と口で言うように言われたのに、モーセが岩を2度も打ったのが罪であったという説があります。11節の横の注に?Tコリント10:4が示してあり、岩がキリストであったことが分かります。キリストに口で言うべきだったのに、2度も打ってしまったのが罪だったのかもしれません。

いずれにしろ、モーセはイスラエルの民が主を信頼せずに逆らったことで怒り、その怒りに支配されたために、罪を犯してしまったのだろうと思います。また、モーセの罪は僕たちには軽いように思われます。しかし、ヤコブ3:1にあるように、リーダーである教師は、格別きびしいさばきを受けます。

No.3680 2007/12/26(Wed) 01:52:13

再民数記20章 / 沙耶香 引用

今日はもう一度民数記20章を読みます。

何だか本当にイエス様のお考えを知るって難しいですね・・・こうだったかな?こうだろうか?と考え合わせていく・・・

11節の
モーセは手をあげ、彼の杖で岩を2度打った。すると、たくさんの水が湧き出たので、会衆もその家畜も飲んだ。
が印象に残りました。

18節に
しかし、エドムはモーセに言った。「私のところを通ってはならない。さもないと、わたしは剣をもっておまえを迎え撃とう。」
とあります。かなり力入っていて怖いなーーー。

21節に
こうして、エドムはイスラエルにその領土を通らせようとしなかったので、イスラエルは彼のところから方向を変えて去った。
とあるが、このイスラエルとはイスラエルの民のことですよね?

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はヨハネの福音書の19章31-35節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、34節の
しかし、兵士のうちのひとりがイエスのわき腹をやりで突き刺した。すると、ただちに血と水が出てきた。
が気になるので、これをもう何度か読みます。
普通なら死人からは何も出ないはずだが、死んだと確認されたのに、血と水が出てくるイエス様・・・やはり永遠のいのちのあかしであられるイエス様・・・・素晴らしいです。

No.3683 2007/12/26(Wed) 11:49:34

Re: 民数記20章 / 大垣 引用

21説の「イスラエル」は沙耶香さんの思われたとおり、イスラエルの民のことです。

No.3684 2007/12/26(Wed) 12:52:07
?Tテサロニケ4章 / 大垣 引用

?Tテサロニケ4章。1−8節。僕たちはどのように不品行を避けて聖潔を目指して歩んだら神に喜んでいただけるか学んで知っています。

どうかイエスさまの恵みによって、ますます神に喜んでいただけるように歩んでいけますように。

9-10節。テサロニケの教会の多くの人たちは、献金をしてテサロニケだけでなくマケドニヤ全土の貧しい主にある兄弟姉妹を経済的に助けていたようである。

11-12節。たぶん、キリストの再臨が近いと考え、貧しい人々への献金があるのを良いことに、自分の仕事に身を入れなかったり、2テサロニケ3:11−12のように、何も仕事をせずに、おせっかいばかりしている人たちがいたのだと思います。

13-17節。イエスにあって眠った人々は、主が天から下って来られたときに、まず初めによみがえり、次に生き残っている信仰者たちが彼らと一緒に引き上げられ、空中で主と会う。これは「携挙」、英語では rapture と呼ばれるらしい。ここを今読んでみると、3章13節のところで、「すべての聖徒たちとともに来られるとき」の僕の解釈は間違っていたように思います。「すべての聖徒」とは、すでに死んだ信者で、生き残った信者たちのいる地上にイエスととともに来るという意味かと思ったのです。しかし、4章を読むと、すでに死んだ信者は、生き残った信者と一緒に引き上げられます。だから、3章の「すべての聖徒」はマルコ8:38のように天使とともにイエスが来られるとき、あるいは、ユダ14節の「千万の聖徒」のことだろうと思います。

18節。この世で主がともにいてくださることは素晴らしいことだが、死者の復活と携挙と主の再臨を待ち望んで、お互いに再臨の後にいつまでも主とともにいる希望が、さらに素晴らしい。

No.3681 2007/12/26(Wed) 01:58:41

Re: ?Tテサロニケ4章 / 亜衣瑠 引用

1−8節 わたしたちは神を拒むために信仰をいただいているのではありません。神さま、あなたとともに歩み、あなたのお傍に少しでも近いところで、という願いをもっております。そういう者が、わたくしたちに尊い聖霊を授けてくださったあなたご自身を拒むというのは ありえませんし、考えてもみません。ですから、自分たちの不信仰により、不本意に、無意識にその罪に陥るようなことのないよう、心して歩みます。その歩みの歩を強めてください。神さまがどのようなことをお喜びになるか、(すなわちこれは神のみこころを知ってそれを行なうということでしょう)主イエスからの命令が何であるか、神に似て聖なる者とされるように、―わたしたちは主イエスさまが聖別してくださいました。十字架により。それに逆らうことのないよう。不品行を避け、わきまえを持ち、情欲に溺れることなく、兄弟姉妹たちに対してすべてを愛をもって行い、語り、接するように。7節「神が私たちを召されたのは」
「あなたがたが召されたのは、実にそのためです。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。」(?Tペテロ2:21)
9,10節 1,2節において、神の喜びを我が喜びとして歩み、さらにその歩みが強く深いものとなるようパウロがお願いするのと同じように、兄弟愛についても、すでに十分なものが現われているが、さらにますます熱心にするよう、勧める。愛が多すぎる、愛しすぎる、ということはない。「このようなものを禁ずる律法はありません。」(ガラテヤ5:23)
「だれに対しても、何の借りもあってはいけません。ただし、互いに愛し合うことについては別です。」(ロマ13:8)「愛は隣人に対して害を与えません。」(同10節)
16、17節 次に18節を読みます。(これは、眠った人々のこと、主が再び来られるときについて、あれこれ自分なりの考えが及ばないからです)
16節 「号令」「御使いのかしらの声」「神のラッパの響き」 これらの輝かしい「しるし」の音を ああ! 聞いてみたいものです。 この耳に。この耳で。教会の姉妹とずいぶん前にその期待を話し合って共感したことがありました。それは音だけではないことを知っているからです。その音が聞こえるときは・・・・・! その音が耳に届いたその日は・・・・・! 
17節「一気に引き上げられ」一体どこまで?「雲の中に」まで。そしてどうするの?「空中で主と会うのです。」そう書いてあります。この描写がどこでのどういうものであろうと、とにかく、そう書いてある。それはまさしく18節に書いてあるとおり、「慰め」になります。まさしくこのことばをかけ合い、確認しあえば、慰め合うことになります。わたしたちは耳をすませて 主の導き、神のみこころを聞きつづける必要があります。一方、耳をそばだてて、(そばだてる必要がない程の大音響であるはずですが)終わりのラッパがなり響くその瞬間、その間(ま)を 感じ、味わいたいです。大音響が鳴り渡る一瞬前の 意味のある静寂を 感じたいと思います。そのあと起こる大音響を一瞬飲み込むような静寂を味わって、ラッパが鳴り渡るそのときを待っています。 

No.3682 2007/12/26(Wed) 02:10:08
1テサロニケ3章 / 大垣 引用

1テサロニケ3章。2-3節。主にある兄弟姉妹が苦難の中にあるときに、強め励ますことの大切さを思います。

5節.パウロは自分たちの労苦がむだになって、テサロニケの兄弟姉妹が主の再臨のときの、自分たちの誇りの冠とならないことを恐れた。

6−8節.テサロニケの兄弟姉妹が苦難の中でも堅く信仰に立ち、愛にあふれていることを知ったときのパウロの喜びを思います。

10節.はなれたところにいる主にある兄弟姉妹の顔を見たい、信仰の不足を補いたい、と昼も夜も熱心に祈ることの大切さを思います。

11-13節.美しい祈り。

13節.脚注によると、ここの「聖徒」の直訳は「聖なるもの」だそうである。もし、マルコ8:38のように天使とともにイエスが来られるときと、1テサロニケ4:14のように、すでに死んだ信者とともに来られるときが、別のときであるとすると、これは後者であると思われる。1テサロニケ4:17のように空中で主に会うキリスト者たちが、ロマ14:10、1コリント3;11−15、2コリント5:10にあるキリスト者に対するさばきのときに、テサロニケの教会員たちが、聖く、責められるところのないように、パウロが祈っていると思う。

No.3676 2007/12/25(Tue) 14:03:29

Re: 1テサロニケ3章 / 亜衣瑠 引用

2節にテモテの名が見える。5,6節を読むと、テモテは喜びとともにある人のようだ。喜びをもたらし、喜びとともにやってくる、彼の周りに喜びが広まる。祝福の人。
9節 すべては神からいただいた祝福。「神にどんな感謝をささげたらよいでしょう」
How can we thank God enough・・・・??Tコリントがすぐ鳴っています。「あなたに何か、もらったものでないものがあるのですか」(4:7)
喜びを形づくるもの、喜びを喜びと成してくださるもの、喜びを喜びとして感じられるようにしてくださった方。喜びの時を与えてくださる方の力と憐み。わたしもいただく喜びに驚くほどです。
6節や10節を読むと、?Tコリ12:26、27を思います。26節「もし一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、もし一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。」
11節 この祈りもとても美しい。自分が祈る祈りも こういう心でいつも祈り向かえるように。「どうか、私たちの父なる神であり、私たちの主イエスである方ご自身が、わたしたちの道を開いて、あなたがたのところに行かせてくださいますように。」道開きをされる方はいつも、主、ご自身である。
12節 ここでの愛の交わりが今度はあそこで、あそこでされた交わりが今度はあっちで、果てしなく広がり深まり続けていきますように。イエスの愛の実り。わたしたちもこの様な愛を満ちあふれさす器となっていきますように。
13節「心を強め」 エペソ、あの箇所、3:16「あなたがたの内なる人を強くしてくださいますように。」 
「わたしたちの主イエスがご自分のすべての聖徒とともに再び来られるとき、わたしたちの父なる神の御前で、聖く、責められるところのない者としてくださいますように。」
アーメン。強く祈りましょう。その日に間に合うようにどうか造りかえてください。

No.3678 2007/12/25(Tue) 14:12:40
民数記19章 / 沙耶香 引用

今日は民数記19章を読みます。

2節に
「主が命じて仰せられたおしえの定めは、こうである。イスラエル人に言い、傷がなく、まだくびきの置かれたことのない、完全な赤い雌牛をあなたのところに引いてこさせよ。
とありますが、これはどういう意味だろう?と思って、脚注を見ると、「傷がなく、まだくびきの置かれたことのない、完全な赤い雌牛という条件のそろったものをささげなければならない。「赤」は血の色、いのちを表し、「雌牛」は、雌はいのちを生み出す、の意。「くびきの置かれたことのない」は力を労働に用いたことがなく、いのちにあふれていることを意味する。これは死の汚れを、いのちにあふれたものによって取り除こうという儀式である。」とご説明くださっている。

4節に
祭司エルアザルは指でその血を取り、会見の天幕の正面に向かってこの血を7たび振りかけよ。
とあるが、血を振り掛けるって一体どういうことかな?と思って
脚注を見ると、「血を振り掛けることにより、雌牛は初めて主へのいけにえとなり、汚れたものの代償として、そのいのちを主にささげ尽くすのである。」とご説明くださっているが、じゃ殺した雌牛から血を抜き取って振り掛けるのだろうか?うーん??今一ピンと来ない。

12節に
その者は3日目と7日目に、汚れをきよめる水で罪の身をきよめ、きよくならなければならない。3日目と7日目に罪の身をきよめないなら、きよくなることはできない。
とあるが、何で死体に触れるものは3日目と7日目に罪の身をきよめなければならないのか?3日目と7日目というのは何か意味があるのだろうか?

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はヨハネの福音書の19章16-20節を読みます。
天におられるお父様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、18節の
彼らはそこでイエスを十字架につけた。イエスと一緒に、ほかのふたりの者をそれぞれ両側に、イエスを真ん中にしてであった。
が気になるので、これをもう何度か読みます。
この文章の光景が思い浮かびイエス様に対する思いが強くなります。

No.3673 2007/12/25(Tue) 02:21:47

Re: 民数記19章 / 沙耶香 引用

今日はもう一度、民数記19章を読みます。

5節の
その雌牛は彼の目の前で焼け。その皮、肉、血をその汚物と共に焼かなければならない。
が印象に残りました。

18節に
身のきよい人がヒソプを取ってこの水に浸し、それを、天幕と、すべての器と、そこにいた者と、また骨や、刺し殺されたものや、死人や、墓に触れたものとの上に振り掛ける。
とあるが、脚注を見ると、ヒソプとはきよめの儀式に用いられる植物らしいがこれを水に浸すときよめの水になるみたいだ。何だか昔は面白い考えと習慣があったみたいだ。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はヨハネの福音書の19章21-25節を読みます。
天におられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、23節の
さて、兵士たちは、イエスを十字架につけると、イエスの着物を取り、ひとりの兵士に一つずつあたるよう4分した。また下着をも取ったが、それは上から全部1つに織った、縫い目なしのものであった。
が気になるので、これをもう何度か読みます。
下着をもとるという屈辱的な目にあわされましたが、見事によみがえり、今も生き続けているイエス様・・・本当にすべての王者ですね・・・

No.3674 2007/12/25(Tue) 09:57:03

Re: 民数記19章 / 大垣 引用

19章は1節で、主が仰せられた、とあり、2-22節がその内容です。これらは律法の一部であり、僕たちには理解しがたいですが、昔の面白い考えや習慣を記録したのではなく、主が言われたことを記録してあると信じて僕は読みます。

No.3677 2007/12/25(Tue) 14:11:23
民数記18章残り / 沙耶香 引用

今日は民数記18章残りを読みます。

19節に
イスラエル人が主に供える聖なる奉納物をみな、わたしは、あなたとあなたの息子達と、あなたとともにいるあなたの娘達に与えて、永遠の分け前とする。それは、主の前にあって、あなたとあなたの子孫に対する永遠の塩の契約となる。」
とあるが、永遠の塩の契約となるとはどういうことかな?と思って、脚注を見ると、塩は親切、友愛、持続、忠誠を表し、永遠に変わらない神の約束、の意。と書いてありました。

20節に
主はまたアロンに仰せられた。「あなたは彼らの国で相続地を持ってはならない。彼らのうちで何の割り当て地をも所有してはならない。イスラエル人の中にあって、わたしがあなたの割り当ての地であり、あなたの相続地である。
とあるが、割り当て地とか相続地とは何だろう?と思って、脚注を見ると、
「カナン征服後、各部族に割り当てられるが、祭司とレビ族には与えられない。それは、祭司とレビ族が特別な任務につき、主へのささげ物にあずかるからである。」
と解説してくださっている。

あれっ?でも21節では、
さらに、わたしは今、レビ族には、彼らが会見の天幕の奉仕をするその奉仕に報いて、イスラエルのうちの10分の1をみな、相続財産として与える。
とありますが、レビ族は相続地や割り当て地は与えられないのではなかったの?イスラエルのうちの10分の1というと、相続地にならないかな?うーん???

24節に
それは、イスラエル人が、奉納物として主に供える10分の1を、わたしは彼らの相続財産としてレビ人に与えるからである。それゆえわたしは彼らがイスラエル人の中で相続地を持ってはならないと、彼らに言ったのである。」
とありますが、先ほどから疑問に思っている答えだろうか?でも脚注には、
「相続地は与えられなかったが、彼らが実際に住む為の町と家畜のための放牧地が与えられた。」
とあります。これらは相続地にはならないのか?

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はヨハネの福音書の19章6-10節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、6節の
祭司長たちや役人たちはイエスを見ると、激しく叫んで、「十字架につけろ。十字架につけろ。」と言った。ピラトは彼らに言った。「あなたがたがこの人を引き取り、十字架につけなさい。私はこの人には罪を認めません。」
が気になるので、これをもう何度か読みます。
冤罪の場合に一人でも無罪だと信じてくれる人がいて、その人たちが協力して無罪を勝ち取れる時があります。
神様イエス様、この世の中の冤罪がゼロになりますように。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・

No.3664 2007/12/23(Sun) 19:53:39

再民数記18章残り / 沙耶香 引用

今日は、民数記18章残りを読みます。

17節の
ただし、牛の初子、または羊の初子、あるいはやぎの初子は購ってはならない。これらは聖なるものであるからである。あなたはそれらの血を祭壇に振りかけ、その脂肪を火によるささげ物、主へのなだめのかおりとして、焼いて煙にしなければならない。
が印象に残りました。

26節に
「あなたはレビ人に告げて言わなければならない。わたしがあなたがたに相続財産として与えた10分の1を、イスラエル人から受け取るとき、あなたがたはその10分の1の10分の1を、主への奉納物として供えなさい。
とありますが、主は10分の1が好きですね・・・

27節に
これは、打ち場からの穀物や、酒ぶねからの豊かなぶどう酒と同じように、あなたがたの奉納物とみなされる。
とありますが、打ち場とは何だろうか?穀物を打つところなのだろうか?今だと精米機を置いてあるところかな?と思うが、当時はそういうものはなかっただろうから・・・・

29節の
あなたがたへのすべての贈り物のうち、それぞれ最上の部分で聖別される分のうちから主へのすべての奉納物を供えなさい。
が印象に残りました。最上の部分っていうのがいいですね・・・

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はヨハネの福音書の19章11-15節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、11節の
イエスは答えられた。「もしそれが上から与えられているのでなかったら、あなたにはわたしに対して何の権威もありません。ですから、わたしをあなたに渡したものに、もっと大きい罪があるのです。」
が気になるので、これをもう何度か読みます。
うーん、よく分からないが、罪はいろんな種類があるということかな?

No.3669 2007/12/24(Mon) 05:37:25

Re: 民数記18章残り / 大垣 引用

24節。35章2-8節を読むと、3節から、レビ人の町々は他の部族の相続地と異なり、住むためと放牧地で農耕をすることは許されていなかったようです。また、レビ人の町々は、他の部族の相続地と異なり、レビ族がひとつの地域を所有するのではなく、他のひとつひとつの部族の相続地から、レビ人の町々が与えられました。

No.3672 2007/12/24(Mon) 16:28:42

Re: 民数記18章残り / 沙耶香 引用

何だかかなり難しいですね・・・

No.3675 2007/12/25(Tue) 10:00:47
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