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今日は詩篇31章を読みました。
あれ?何だかはじめて読む節のような気がしないですね・・・よく似た表現が多いですね・・・
3節の最後の 私を導き、私を伴ってください。とありますが、私を伴ってくださいというのは私といつもともにいてくださいという意味だろうか?
5節の 私のたましいを御手にゆだねます。 真実の神、主よ。 あなたは私を購いだしてくださいました。 とはどういう意味だろうか? 最後の審判のときのことだろうか?何だか難しいですね・・・
11節の 私は、敵対するすべての者から、非難されました。 わけても、私の隣人から。 私の親友には恐れられ、 外で私に会う者は、私を避けて逃げ去ります。 はどういう意味だろうか?みんなから非難されているにはわけがあるのだろうか?何か悪いことしたんだろうか?
12,13節なんか今のいじめみたいですね・・・私もずっと学生時代体験してきました。 先生なんかは当てになりません。強いものには見て見ぬふり、弱いものがいじめられていても知らん顔、これが教師です。そして辛くてCENSOREDの道を選んでしまうのです。 でもCENSORED完遂できた人はまだいいけれど、未遂になったらもっとみじめだ。 いじめられて辛くてCENSOREDしたが未遂になった事件もありました。もうこうなったら持って行き場がないでしょうね・・・ この世の中からいじめや弱いものに対するしわ寄せ、そういうものがなくなればいいんだけれど、なくならない。 辛い。 犯罪被害でも社会的弱者を狙うケースが多いらしい。 私たち社会的弱者は生きていてはいけないのか?
17節の 主よ。私が恥を見ないようにしてください。 私はあなたを呼び求めていますから。 悪者をはずかしめてください。 彼らをよみで静まらせてください。の最後の よみで静まらせてください。はどういうことだろうか?うーん、混乱してくる・・・
なかなか聖書は難しくて理解しがたい。 |
No.1136 2006/10/31(Tue) 20:52:01
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☆ Re: 詩篇31章 / 昌夫  |
引用 |
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>3節の最後の 私を導き、私を伴ってください。とありますが、私を伴ってくださいというのは私といつもともにいてくださいという意味だろうか?
「私といつもともにいてください」とよく似た表現ですが、「私を伴ってください」と言ったほうが、主が先に歩いておられ、自分はついていっている、という意味があると思います。
5節の「私のたましいを御手にゆだねます。」が、イエスさまの十字架上での最後の祈りでした。新約のルカの福音書23章46節を読んでみてください。
5-8節は、ダビデが、主を信頼する信仰によって、罪から贖いだされる恵みをいただき、神さまと正しい関係を持っていることを表していると思います。クリスチャンが、信仰によって罪の贖いの恵みをいただいているのと、同じようで、ダビデは、それを実感していたのだと思います。クリスチャンが、信仰を持ってからも苦しみにあうように、ダビデも、信仰を持っていても、この詩篇のように苦しみました。
10節に咎(とが)とあるのは、ダビデは何か罪を犯してしまったようです。そして罪が原因で、何かの病気になっていたようです。11節は、それを見た敵には罪のことを非難され、親友にも罪の結果の病気を見て恐れられてしまった、ということだと思います。
12,13節では、弱っているダビデを、多くの敵が責めていて、沙耶香さんの書かれたように今の弱者に対するいじめと似ていると思います。14節以降にあるように、弱者が主により頼むとき、主が弱者を救い出されます。
17節の「よみで静まらせてください」は、ダビデが弱くなったのを見て、ダビデを責めている敵の悪人たちの命を主が奪って、静まらせてください、という願いを祈っています。 |
No.1137 2006/10/31(Tue) 22:52:30
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今日はもう一度詩篇31章を読みました。
そうですね・・イエス様が先頭を切って連れて行ってくれるほうが私たちクリスチャンはいいですね・・・
ルカの23章46節に イエスは大声で叫んで、言われた。「父よ。わが霊を御手にゆだねます。」こういって、息を引き取られた。とあります。ダビデが苦しんでいるように私も苦しんでいます。苦しみながらイエス様を信頼する信仰によって恵をいただいています。何だか似てますね・・・
ダビデのように信仰深い人でも罪を犯してしまうのだから、罪の誘惑というのは相当すごいのでしょうね・・・
うーん、でもこの世の中弱者が主により頼んでもなかなか救い出してくれず、悪に飲み込まれることが多い。この世の中は本当に悪がはびこっている。
ダビデが弱くなったのを見てとありますが、誰が見たんですか?この17節に出てくる私とはダビデのことでしょ?じゃ、管理人さんが書いている、ダビデが弱くなったのを見たのは誰だろう?うーん、わかりづらい。
16節の 御顔をあなたのしもべの上に、照り輝かせてください。 あなたの恵によって私をお救いください。が印象に残りました。 |
No.1139 2006/11/01(Wed) 18:35:13
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沙耶香さんお久しぶりです。書き込みませんでしたが掲示板を見ながら毎晩詩編を読んでいましたよ。
「伴う」はイエス様が共にいてくださる、という以上にイエス様が先に立って行って私を連れて行ってくれるのだというのはうれしいですね。詩編23章の「主は私をいこいの水のほとりに伴われる」を思い出しました。
最近いじめによるCENSOREDのニュースが多いですね。いじめられて孤独で苦しんでいる人を、神様はどうしてCENSOREDする前に助けてくれないんだろうと思います。神様はその人も愛しているはずなのに、どうして助けの手をさしださないのかと考えるとわからないです。 クリスチャンになる前にこのような問いをクリスチャンの人にしたら、困惑した様子で、「…だから私達は福音をのべ伝えているんだ」と言いました。私はそれ以上何も聞けなくなってしまいましたが今でもやっぱり答えはわかりません。この世には悪魔も働いているからなのでしょうか。人間の罪が深いせい…なのでしょうか。 |
No.1141 2006/11/01(Wed) 22:52:05
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☆ Re: 詩篇31章 / 昌夫  |
引用 |
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Ajaさんにレスです。
>神様はその人も愛しているはずなのに、どうして助けの手をさしださないのかと考えるとわからないです。
人間はこの世のことも、その後の永遠の死後の世界のこともよく分かっているわけではないの、僕たちが考えても分からないことが多いのは当然だと思います。現在の時点では分かりようがないので、疑問を持ちつづけ、神さまにいつか教えてくださるように頼んで、とりあえず考えるのやめる、ということもひとつの選択だと思います。疑問を持ちつづける、ということも大切だと思うからです。僕は、CENSOREDのことも、他のこの世の大きな苦しみのことも、神さまの永遠の目から見たら、天国に行く人にとっても、そうでない人にとっても、必要なことなのだろう、と考えて、今の時点では疑問を持ちながら、とりあえず思考を停止しています。
もし、考えていくなら、このことについて聖書には、何がはっきり書かれているか、を基礎として、できるだけ他の思い込みは排除して祈りの中で考えていくと良いと思います。聖書には、1.神さまがCENSOREDする人も含めて、一人一人を神さまが無条件に愛してくださり、永遠の救いを与えようとしてくださること、2.人間は神に逆らう自由意志が与えられていること、3.悪魔がいくら働いても、人間の罪が深くても、神さまの許しがないと人間が死ぬことも他の悪いことも起こらないこと、4. 特定の罪の結果としてでなく人間がこの世で苦しむことがあること、がはっきり書かれていると思います。
第4点を考えると、CENSOREDは罪だから、CENSOREDした人は地獄へ行くのだという聖書解釈は、単純にすぎるように思いますし、「さばくな」という御言葉にも反すると思います。カトリックでは、昔はCENSOREDした人の葬儀はしなかったけれど、今は解釈が変わり、葬儀をするそうです。第3点を考えると、悪魔が働き、人の罪が深いから、という答えでは、なぜ、神さまがCENSOREDにいたる悪の状況を許容されたのか、ということの答えには足りないように思います。 |
No.1142 2006/11/02(Thu) 08:11:42
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☆ Re: 詩篇31章 / 昌夫  |
引用 |
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沙耶香さんにレスです。 11節ではダビデの敵、隣人、親友たちが、ダビデの病気の様子を見て、それぞれ、その様子に反応しています。敵は、ダビデが罪を犯して神さまに罰を受けたとして非難し、隣人や親友は恐れた、ということだと思います。 |
No.1143 2006/11/02(Thu) 08:15:35
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そうですよね?いじめられてCENSOREDする人も後をたちません。神様おられるんだったら何でその人に救いの手を差し伸べてあげられないのか?もしそのいじめられている人がクリスチャンでなかったら、天国にいけない。いじめられて苦しみ、CENSOREDして地獄に行くなんてもう最悪です。
公平な神様なのにどうしてなのだろうか? |
No.1144 2006/11/02(Thu) 09:43:41
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たしかに「考えるのをやめる」というのもひとつの道ですね。すべてがわかるわけはないし、わかる必要もないのかもしれません。
ただ私は神様の愛を完全に信頼する、ということの妨げとなってしまうので考えないではいられそうもないです。 頭では「神は愛」と理解しているけど心の奥深くで様々な疑問があり信じきれていない感じです。
1の神様はすべての人を愛しているし、救いたいと願っている、という事実は聖書にはっきりと示されていることですね…。その事実だけに注目していきたいです。
CENSOREDしたら地獄へ行くのだ、とは私も思いません。神様がその人を見て心を痛められないとは思えません。神様が一番心ひきさかれる思いで悲しんでおられるのでしょうか。 |
No.1148 2006/11/02(Thu) 23:37:04
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☆ Re: 詩篇31章 / 昌夫  |
引用 |
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いじめられてCENSOREDする人のことを考えるとき、まず、「クリスチャンでなくて、CENSOREDしたら地獄に行く」というような「さばく」考えは、避けないと、混乱するように思います。人が天国に行くとか、地獄に行くかさばかれるのは神さまなので、人間がそういうことを、具体的に存在する人について考えるのは、神さまに喜んでいただけることではないのではないかと思います。
そうすると、この世でいじめられて苦しんでも、その後にその人が永遠の天国に行く場合は、神さまの愛に納得できると思います。
それから、僕たちの愛は、全て神さまからいただいたことを思うと、CENSOREDした人のことを愛する人たちや、悲しむ人たちがいて、その中で、最も愛する人よりも、神さまがCENSOREDした人を愛しているはずだし、最も悲しむ人よりも、神さまが悲しまれているはずです。 |
No.1149 2006/11/03(Fri) 01:19:26
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