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詩篇24章 / 沙耶香 引用

今日は詩篇24章を読みました。

1節に
地とそれに満ちているもの、
世界とその中に住むものは主のものである。とあります。
じゃ世界中の人々はみんな主のもので、世界中の人々の所有するものはみんな主のものなんだ。

3から6節の、
だれが、主の山に登りえようか。
だれが、その聖なる所に立ちえようか。
手が清く、心が清らかなもの、
そのたましいをむなしいことに向けず、
欺き誓わなかった人。
その人は主から祝福を受け、
その救いの神から義を受ける。
これこそ、神を求めるものの一族、
貴方の御顔を慕い求める人々、ヤコブである。
はどういう意味だろうか?
3節が誰が主に近づくことができるだろうか?と問い掛けて、6節で神を慕い求める信仰者だといっているのだろうか?うーん、分からない・・・考えていると混乱してくる。

私は8節の
栄光の王とは誰か。
強く力ある主。
戦いに力ある主。が印象に残りました。
賛美の歌詞の中にこういうものが多いですよね?

No.1093 2006/10/24(Tue) 20:27:01

再詩篇24章 / 沙耶香 引用

今朝はもう一度詩篇24章を読みました。

やはりもう一度読んでも
1節の
地とそれに満ちているもの、
世界とその中に住むものは主のものである。
は、いいですね・・・世界中の人々、物も全部主のものです。自分のものではないのです。全部主イエス様のものです。

7節の
おまえたちのかしらを上げよってどういう意味だろうか?聖書でよくこういう表現出てきますよね?かしらを上げるとか・・どういうことなんだろうか?

No.1094 2006/10/25(Wed) 09:57:48

Re: 詩篇24章 / 昌夫 引用

3節の主の山とは、ダビデのときに主の天幕があったエルサレムの町のシオンの丘のことだと思います。

>3節が誰が主に近づくことができるだろうか?と問い掛けて

そうですね。聖なる主に近づくことができるのは、誰だろうか、という問いかけです。4節にあるように、清らかな人が、主に近づくことができます。ダビデの当時は、ヤコブの子孫であるイスラエルの民が、神さまから選ばれた信仰者たちのための国だったので、4節の人たちはイスラエルの民である、と6節で言っています。

7節のかしらを上げよ、の「かしら」とは「頭」のことです。心の中の門を開けて、主を迎え入れなさい、という詩的な表現だと思います。

No.1099 2006/10/25(Wed) 22:09:33
げつようび / Aja 引用

月曜日の朝、天気が悪いとちょっと憂鬱な気分になります。そして通勤電車は混んでいて、周りの人達は皆イライラしていて、職場にたどり着くまでの間に疲れた心になってしまいます…。

イエス様は人間の心に何があるかをすべてご存知で、にもかかわらず愛し、ゆるしてくれたのですね。

けれど人間の心に何があるかを知ってイエス様は嫌な気持ちにならなかったのでしょうか。
私は人間が嫌でたまらない時があるし、自分自身が嫌でたまらない時もあります。自分も他人も醜い、と思うと愛したくないし、愛されてるとは思えなかったりします。

人間の醜さも罪もすべて、もう既にイエス様が十字架で解決してくださったことを知りたいです。

よく思い出す箴言の言葉「心がほがらかなら常に宴会に等しい」(新共同訳)、状況に影響されず、常に宴会でもしているような明るいほがらかな心でいられたらと思いました。…難しいですけどね。

No.1086 2006/10/23(Mon) 22:15:11

Re: げつようび / 沙耶香 引用

なかなか人間の心はいつもほがらかにとはいかないですね・・・
私は精神疾患だし、いつも心の中に不安があるという状態です。
でもその不安を神様に必死で追い出してもらっているという感じです。
私は月曜日に限らず毎日憂鬱です。
でもきっと今にイエス様が毎日宴会でもしているかのようなほがらかな気分でいられるようにしてくださると信じて期待して感謝します。

No.1087 2006/10/24(Tue) 09:34:03

Re: げつようび / 昌夫 引用

>けれど人間の心に何があるかを知ってイエス様は嫌な気持ちにならなかったのでしょうか。

僕はイエスさまは、人間の罪を見て、誰よりも嫌な気持ちを持たれたのではないかと思います。同時に、イエスさまは、一人一人の人間が神のかたちに造られているのを見て、誰よりも慈しみを感じられたと思います。もし、イエスさまが、人間の罪をたいしたことと感じられないなら、十字架上で罪のために死なれる必要はなかったと思います。もし、イエスさまが、僕たちに慈しみを感じられなかったら、僕たちのために十字架の上で死のうとは思われなかったと思います。

人はイエスさまの愛というと、慈しみの方に目を向けがちだけれど、本当は、罪を嫌われる厳しい聖さということも、イエスさまの愛の本質だと思います。罪の性質を持ったまま、もし人が神さまとともに永遠に生きたら、それは、本人にとっても神さまと分離される地獄以上の苦しみになるのだと思います。だから、イエスさまの愛は厳しい聖なる愛。でも、慈しみが究極的に深いので、甘美な愛。

僕たちが信仰を持っても、この世で憂鬱になり、苦しんで、悲しいことが多いのは、自分やまわりの人に何らかの罪があるかぎり、避けられないのではないか、と思っています。詩篇13篇や他の哀歌のように、悲しみながら、神さまの御力と甘美な愛を実感して喜んでいる、というのが、信仰者のこの世での基本的な姿になるのかもしれません。

No.1090 2006/10/24(Tue) 13:23:22
詩篇23章 / 沙耶香 引用

今日は詩篇23章を読みました。

1節に
主は私の羊飼い。とあります。よく羊飼いという言葉が出てくるが、この羊飼いとはどういう意味だろうか?
牧師のことを羊飼いという風に言っていることもありますよね?それだと主=牧師ということになります。おかしいですよね?うーん?

私は最後の6節の
まことに、私の命の日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追ってくるでしょう。
私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。というところが印象に残りました。
命の日の限り、いつくしみと恵がというのは神様からのいつくしみと恵でしょうね・・きっと・・・
素晴らしいですね・・・

No.1083 2006/10/23(Mon) 20:30:13

Re: 詩篇23章 / 昌夫 引用

>1節に
主は私の羊飼い。とあります。よく羊飼いという言葉が出てくるが、この羊飼いとはどういう意味だろうか?

聖書では、人のことを羊に例えることが多いです。だから、羊飼いとは、人々のリーダーのことです。究極的には、人々のリーダーは唯一の神であられる主です。でも、牧師や教会のリーダーたちを、羊飼いに例えることもあります。

>命の日の限り、いつくしみと恵がというのは神様からのいつくしみと恵でしょうね・・きっと・・・
素晴らしいですね・・・

神さまのいつくしみと恵みが追ってくるというイメージは素晴らしいですね。この詩篇は多くの信仰者に愛されていて、葬式のときに読まれることが多いようです。

No.1085 2006/10/23(Mon) 21:48:28

Re: 詩篇23章 / 沙耶香 引用

今朝はもう一度詩篇23章を読みました。

羊飼い=人々のリーダー・・・主は人間の上に立たれるリーダー、牧師は教会の中のリーダー・・・
でも牧師を神様と勘違いしないようにしないといけない。私は現教会の牧師を慕い、愛しています。
だからイエス様に会いたいという気持ちもあるけれど、牧師に会いたいという気持ちもあります。
牧師を思う気持ちが偶像礼拝みたいにならないようにしないといけない。。。

今回は4節の
たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、
私は災いを恐れません。
あなたが私とともにおられますから。
あなたのむちとあなたの杖、
それが私の慰めです。というところが印象に残りました。
私はそういう苦難の連続なので、心にとめておかないといけない御言葉です。

No.1088 2006/10/24(Tue) 09:50:53
詩篇22章 / 沙耶香 引用

今日は詩篇22章を読みました。

1節の
わが神わが神。
どうして、私をお見捨てになったのですか。
遠く離れて私をお救いにならないのですか。
私のうめきのことばにも。
とはどういう状況なのだろうか?どういう意味だろうか?神様から見放されたと思って心痛な面持ちなんだろうか?

5節に
彼らはあなたに叫び、彼らは助け出されました。
彼らはあなたに信頼し、彼らは恥を見ませんでした。
とあります。イエス様に信頼していると恥を見ることがない・・・天の御国ではそうだろうが、この世的にはそうでもないこともよくあります。
私には次々に困難が押し寄せ、問題が次々に沸きます。もうこれでもかこれでもかといわんばかりです。
それもちょっとやそっとのことではありません。
人生を終わらせないといけないような事件に巻き込まれたり、家庭内でかなり強くいじめられたり、**されそうになったり・・・おかげで体調精神状態もぼろぼろで本当に苦労が耐えないです。

この6節で言っている私もダビデのことなの?
ダビデは人間として扱ってもらっていなかったの?私みたいだ。。。

8節の
「主に身を任せよ。
彼が助け出したらよい。
彼に救い出させよ。
彼のお気に入りなのだから。」
とはどういう意味だろうか?全く持って意味不明だ。

9,10節のように
やはり神様は胎内にいるときから私たちを見守ってくださっているので、神様はかなり偉大なお方だと言える。

29節の
地の裕福なものも皆、食べて、伏し拝み、
ちりに下るものもみな、主の御前に、ひれ伏す。
おのれのいのちを保つことのできない人も。
のちりに下るものとは貧乏人や弱者のことだろうか?
私はこの29節はいかなる人も主の前にひれ伏す、万物の作り主主イエス様はすばらしいという意味にとったので、この29節が印象に残りました。

No.1081 2006/10/22(Sun) 20:50:05

再詩篇22章 / 沙耶香 引用

今朝はもう一度詩篇22章を読みました。

今回は、3節の
けれども、あなたは聖であられ、
イスラエルの賛美を住まいとしておられます。というところが印象に残りました。
イスラエルの賛美を住まいとしておられるという表現が面白いですね・・・

15節の
私の力は、土器のかけらのように、かわききり、
私のしたは、上あごにくっついています。
あなたは私を死のちりの上に置かれます。というのも
面白い表現ですね・・・意味はよく分からないが・・・

今回もまた29節の
地の裕福なものもみな、食べて、伏し拝み、
ちりに下るものもみな、主の御前に、ひれ伏す。
おのれのいのちを保つことのできない人も。というところも印象に残りました。
主の御前ではどんな人も一緒なのだろう。。。

No.1082 2006/10/23(Mon) 11:11:11

Re: 詩篇22章 / 昌夫 引用

この詩篇の1節を、イエスさまが十字架の上で叫ばれたことが、マタイ27章46節に書いてあります。マタイ27章の26節から54節までを読んでみてください。

この詩篇を書いたダビデが、具体的にどういう機会かは分かりませんが、人間以下の扱いを受けて苦しみ、1-2節で神さまに叫んだように、イエスさまは十字架の上で父なる神さまに叫びました。この詩篇では、ダビデが21節以降で、神さまに救われるように、イエスさまも父なる神さまの力によって十字架の3日後に復活されました。このように、神さまがダビデとイエスさまに同じようなこと(型)が起こるようにされたことが重要だと思います。クリスチャンも、一人一人、具体的な状況はそれぞれ違っても何らかの同じような経験をすることになると思います。

>イエス様に信頼していると恥を見ることがない・・・天の御国ではそうだろうが、この世的にはそうでもないこともよくあります。

イエスさまも鞭で打たれ、侮辱され、十字架にかけられました。

>8節の
「主に身を任せよ。
彼が助け出したらよい。
彼に救い出させよ。
彼のお気に入りなのだから。」
とはどういう意味だろうか?

ここでダビデの敵は、ダビデが主に信頼していて、自分は主に愛されていると信じているのに、苦しんでいるのをあざけっています。マタイ27章41-42節で、イエスさまが同じようにあざけられています。

>29節の
地の裕福なものも皆、食べて、伏し拝み、
ちりに下るものもみな、主の御前に、ひれ伏す。
おのれのいのちを保つことのできない人も。
のちりに下るものとは貧乏人や弱者のことだろうか?

ここで「地の裕福なもの」、「ちりに下るもの」、「おのれのいのちを保つことのできない人」は、 いずれも、この世では裕福だけれど、いずれ最後の審判で悪行をさばかれ、永遠の命をいただくことができず、ちりに返る人たちのことです。最後の審判のときには、そのような人たちも、主の前にひれ伏すことになることが書いてあると思います。

No.1084 2006/10/23(Mon) 20:46:20
詩篇21章 / 沙耶香 引用

今日は詩篇21章を読みました。

1節の王とはやはりイスラエルの王のことだろうか?
1,2節の
主よ。王はあなたの御力を、喜びましょう。
あなたの御救いをどんなに楽しむことでしょう。
あなたは彼の心の願いをかなえ、
彼のくちびるの願いを、退けられません。
とはどういう意味だろうか?一つ一つの意味は解説を通して何となくわかるが、情景が見えてこない。

9節の
あなたの御怒りのとき、
彼らを、燃える炉のようにされましょう。
主は、御怒りによって彼らをのみ尽くし、
火は彼らを食い尽くすでしょう。
とは最後の審判のことなのだろうか?御怒りのとき・・・
うーん、彼らをのみ尽くしの彼らとは不信仰者のことだろうか?悪者のことだろうか?
うーん、分からない・・・

No.1076 2006/10/21(Sat) 21:10:50

Re: 詩篇21章 / 昌夫 引用

>1節の王とはやはりイスラエルの王のことだろうか?

そうだと思います。第20篇で、神さまが苦難にあるイスラエルの王を救ってくださるように願ってお祈りした民が、第21篇では、神さまが王を救いだし、祝福して、王の敵を滅ばされることを確信して、感謝しています。

僕は1,2節では、第20篇のようにまだ苦難の中にある王を想像します。でも、祈り願った著者は、神さまが祈りをかなえてくれることを確信し、神さまが王を救われた後の情景を頭に描いて、神さまに感謝していると思います。

6-12節は、現在は優勢で王を苦しめている、王の敵たちのことを書いていると思います。やがて時がきたら、神さまが王の敵が戦争で滅ぼされることを詩的に描いていると思います。

神さまは、歴史上にも、最後の審判にも同じようなできごと(型といいます)を、繰り返されます。神さまに聞き従うイスラエルの王が敵に苦しまされても、やがて神さまの力で敵が滅ぼされ、戦争に勝つように、最後の審判でも、信仰者が勝利者となって、神さまに聞き従わない人たちは滅ぼされます。そういう意味で、この詩篇は、当時の戦争の様子を書いていますが、最後の審判のことも示していると思います。

No.1079 2006/10/22(Sun) 01:00:24

再詩篇21章 / 沙耶香 引用

今朝はもう一度、詩篇21章を読みました。

あ、そうなんだ?やっぱり最後の審判のことも示しているんだ?
聖書は比喩的表現や、詩的に書いていることが結構あるし、情景を思い浮かべないと分からないこともあり、理解が難しいですね・・・

今回は最後の主よ。御力のゆえに、
あなたがあがめられますように。
私たちは歌い、あなたの威力を褒め歌います。が
印象に残りました。

No.1080 2006/10/22(Sun) 06:58:04
詩篇20章 / 沙耶香 引用

今日は詩篇20章を読みました。

Ajaさんも一緒に読んでくれていると思うと、仲間が増えたような気がして嬉しいです。感謝します。
私たち精神障害者は世間からも家族からも見放されて一人で孤立している人が多いです。私もそうです。家庭内でもかなり辛い立場にあります。
でも主がこういう風な場を与えてくださり、主を一緒に賛美できて嬉しいです。

1節の
苦難の日に
主があなたにお答えになりますように。
ヤコブの神の名が、貴方を高く上げますように。とは
危機に直面するときに主が私にお答えになりますように。主が私を危機の中でも救ってくださいますようにと祈っているのだろうか?

2節の
聖所ってなんだろうか?
賛美に出てくるが、何のことか分からず歌っている。
6節の
主は、右の手の救いの力をもって
聖なる天から、お答えになる。
とはどういう意味だろうか?イエス様は右がお好きですよね?右は特別な意味でもあるのだろうか?

7節の
あるものはいくさ車を誇り、あるものは馬を誇る。
しかし、私たちは私たちの神、主の御名を誇ろう。とは、
この世的には人生の勝利者とは事業など、仕事を成功させ、巨万の富を得ている人のことをさすが、本当の人生の勝利者とは神様を信頼している人のことだという意味だろうか?・・・わからない。

No.1071 2006/10/20(Fri) 20:12:48

Re: 詩篇20章 / Aja 引用

毎晩、聖書を持ってパソコンの前にすわるようになりました。掲示板を通してお話ができて、また詩編を深く学べてとてもうれしいです。心の平安をもらえています。

詩編を通して読もうと試みたことはあったのですが、いつも途中で挫折していたので、沙耶香さんと一緒に毎日一章ずつ読む機会が与えられて助けられています。

7節は私も沙耶香さんと同じように思いました。目に見える力や能力を誇り、競うのがこの世の中の価値基準ですが、神様を信頼して神様を誇ることこそ本当の生き方なのだと言っているのだと思います。私もこの世の価値基準に影響されて落ち込まず、神様が私にしてくださったことだけを誇りとするようになりたいと思いました。

この詩編はダビデの賛歌のようですが、1節〜5節までの中で何度も「あなた」と言っていますがこれは誰のことをさしているのでしょうか。ダビデ本人のことではなさそうですが…??ダビデが誰かのために祈っているのでしょうか。

No.1072 2006/10/21(Sat) 00:17:44

Re: 詩篇20章 / 昌夫 引用

第20篇の表題は「ダビデの」となっていますが、このへブル語は、「ダビデによる」のほかに、「ダビデのために」という意味であることもあるそうです。それで、この詩篇の場合は「ダビデのために」という意味だと思います。誰かイスラエルの民が、自分の王であるダビデ、あるいはダビデの子孫のために、王が苦難にあるときに、主が救ってくださるように祈ってこの詩篇を書いたと思います。この詩篇での「あなた」とはイスラエルの王と考えると良いと思います。

僕たちクリスチャンなら、教会の牧師やリーダーたちのために祈るときに、この詩篇を参考にして祈ると良いと思います。

2節の「聖所」とは、ダビデの時代ならシオンの丘のあるエルサレムの町にあった主の天幕、その後の時代ならエルサレムにあった神殿です。

僕たちクリスチャンの場合、復活されたイエスさまの体が旧約での神殿にあたっていて、また、僕たち自身の体も、聖霊さまに入っていただいているので、聖所になります。

>右は特別な意味でもあるのだろうか?

右は、権力を現す、と聞いたことがあります。6節は、天におられる神さまが、イスラエルの民の祈りに答えて、御力を使って、イスラエルの王をお救いになる、という意味だと思います。

7節では、当時、イスラエルのまわりの国々が、いくさ車をたくさん持っていたり、馬をたくさん持っていて、そのような戦力を誇っていました。でも、イスラエルが主に信頼して主の御名を誇ったときは、主の御力によって、まわりの国々に戦争で勝つことができました。

僕たちクリスチャンも、沙耶香さんとAjaさんが書かれたように、この世的な能力や成功を誇ったり望んだりするのではなく、主の御名のみを誇って、生きていきたいです。どうか、主が、そうできるように、僕たちをお導きくださいますように。

No.1073 2006/10/21(Sat) 04:50:09

再詩篇20章 / 沙耶香 引用

今日は詩篇20章をもう一度読みました。

へーーこの詩篇の中のあなたとはイスラエルの王のことなんだ?時代背景とかそういうものが全く分からないので、私にはわからなかったです。

えーー?私たちの体も聖所?
そりゃー聖霊様に入ってもらっているけれど・・・管理人さんの体は聖所でしょうけれど、私の体も聖所だと思うと笑いが出る・・・私はとんでもないやつなので・・・

7節は
私はこの世的な能力や成功がないので、負け惜しみかもしれないです。
でも本当の勝利者とは主の御名のみを誇り生きている人のことですよね?結局はそういう人のほうが永遠の流れからすると勝利者ですよね?どうなの?

今回は4節の
主があなたの願いどおりにしてくださいますように
あなたのすべてのはかりごとを
遂げさせてくれますように。というところが印象に残りました。
神様の全知全能さがよく表現できているように思います。

No.1074 2006/10/21(Sat) 11:28:40

Re: 詩篇20章 / 昌夫 引用

>そりゃー聖霊様に入ってもらっているけれど

うん、僕たちは、まだまだ罪の性質を持っていても、イエスさまの十字架で罪をおおってもらっています。だから、聖い神さまであられる聖霊さまに入ってもらっていて、僕たちの体は、聖なる神殿です。あるクリスチャンは、CENSOREDの願望が強くなったとき、「この体は神殿だから」と思って耐えたそうです。

>でも本当の勝利者とは主の御名のみを誇り生きている人のことですよね?結局はそういう人のほうが永遠の流れからすると勝利者ですよね?どうなの?

短いこの世で成功していてもはかないですね。主の御名のみを誇りに生きる人が永遠の勝利者です。ローマ8:27に「私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。」と在るとおりです。

No.1075 2006/10/21(Sat) 12:54:59

Re: 詩篇20章 / Aja 引用

1コリント3章16節 「あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。」 とパウロは言っています。これは私たちが自分で自分のことをどう思おうとも、神様の一方的な思いとして「あなたは神の神殿なのだ」と宣言しているんだなと思いました。

自分で自分をどう思うか、ということと、神様は私をどう思っておられるか、ということとの間にはとても大きなひらきがあります…。だからこそ聖書を読んで神様の思いを知って行くことが必要なのでしょうけれど。

昌夫さんの書かれたロマ書の聖句は8章37節ですね?
この世の困難は多いので、「圧倒的な勝利者となる」と
いう言葉は希望ですが、本当に神様によって勝利したと感じられる出来事を経験していくことの積み重ねによって、この御言葉が私自身の人生の中で実現していったらいいなと思いました。

No.1077 2006/10/21(Sat) 21:55:45

Re: 詩篇20章 / 昌夫 引用

>自分で自分をどう思うか、ということと、神様は私をどう思っておられるか、ということとの間にはとても大きなひらきがあります…。

そうですね。永遠の天の御国とほぼ逆になっているようなこの世に住んでいて、僕たちの思いも感覚も、真実から大きくずれているのだと思います。どうか、神さまが僕たちの思いと実感を、真実に近づけてくださいますように。

>昌夫さんの書かれたロマ書の聖句は8章37節ですね?

そうでした、ご指摘に感謝します。うっかり間違えて27節と書いてしまいました。37節に訂正して、お詫びします。

No.1078 2006/10/22(Sun) 00:44:20
詩篇19章 / 沙耶香 引用

今日は詩篇19章を読みました。

1から3節の
天は神の栄光を語りつげ、
大空は御手のわざを告げ知らせる。
昼は昼へ、話を伝え、
夜は夜へ、知識を示す。
話もなく、ことばもなく、
その声も聞かれないとはどういうことだろうか?
その声とは神様の御声のことだろうか?うーん?

4から6節は
太陽が昇るとか沈むとかいうことを比ゆ的に書いているのかな?その太陽も全部神様が支配しているのだと言うことが言いたいのかな?
14節の
私の口のことばと、私の心の思いとが、
御前に、受け入れられますように。
わが岩、わが購い主、主よ。とはどういう意味だろうか?

私は7,8節の
主のみおしえは、完全で、たましいを生き返らせ、
主の証は確かで、わきまえのない者を賢くする。
主の戒めは正しくて、人の心を喜ばせ、
主の仰せはきよくて、人の目を明るくする。というところが印象に残りました。
本当にそうですよね?特にたましいを生き返らせなんて本当にすばらしいですね・・・

No.1066 2006/10/19(Thu) 20:26:45

Re: 詩篇19章 / Aja 引用

昌夫さんはとても聖書の知識が深い方なんですね。毎回へえ〜と感心しながらレスを読んでいます。勉強になります。
私は知識ないですが、自分なりに感じたことを。

神様の偉大さが伝わってくる詩編ですね。神様の声って人間の耳には聞こえないけれど、神様は大空や自然を通して語っているということなのかなと思いました(1〜6節)。

7〜8節、本当にそうですね。主のおしえはたましいを生き返らせますね…。学生の頃うつ病になって死んだような心になったことがあってその時に教会に行き始めたのですが、御言葉によってたましいを生き返らせてもらい、目に光を与えられたなと思います。

14節は、私の言葉と思いが神様に受け入れられるような清く真実なものでありますようにとダビデが祈っているのではないでしょうか。

No.1067 2006/10/19(Thu) 22:31:10

再詩篇19章 / 沙耶香 引用

今朝はもう一度詩篇19章を読みました。

今私は苦しくて死にたくてたまりません。どうか聖書を通じて神様イエス様が働きかけてください。

1節の
天は神の栄光を語りつげ、
大空は御手のわざを告げ知らせる。は神様は偉大だということを言いたいのかな?と思います。
だから多分この1から3節はかたまりなので、神様は偉大だということを表現を変えていっているのではないか?と思うのだけれど・・・

4から6節は太陽を使って神様が偉大だということを伝えたいのではないか?と思うけれど、でも意味が全くわからない。

今回は9節の
主への恐れはきよく、
とこしえまでも変わらない。
主のさばきはまことであり、ことごとく正しい。が印象に残りました。
イエス様愛している愛している愛している。

No.1068 2006/10/20(Fri) 10:04:48

Re: 詩篇19章 / 昌夫 引用

>今私は苦しくて死にたくてたまりません

どうか、主が沙耶香さんが苦しんでいるのをごらんになってくださいますように。主がきっと沙耶香さんを見守っていてくださり、救い出してくださいませ。

1-6節は、Ajaさんの書かれたことを、僕なりに言い換えると、天と地や太陽や昼や夜が、それらをお造りになった神さまの偉大さを無言で、示している、ということだと思います。

>太陽が昇るとか沈むとかいうことを比ゆ的に書いているのかな?その太陽も全部神様が支配しているのだと言うことが言いたいのかな?

そうですね。太陽を造られ、支配されている神さまの偉大さを表現していると思います。

1-3節で天を擬人化(物や動物を、人間のようにみたてて表現すること)して、天が無言の声で、神さまの偉大さを表現していると言うことを書いています。4節では、その天の声は、地の果てまで届いていることを言っています。それから、太陽が沈むところは、太陽の住むところのように感じられるので、そのことを、太陽のための幕屋(テント)、と詩的に表現しています。

Ajaさん、僕の聖書の知識というのは、入信してから約3年半の間に、週末神学校に通ったりして勉強したものです。入信してからの年月が長く、フルタイムで神学校に通われた聖職者や神学者の方々の勉強量とは比べものにならないですが、このような読み方がある、というふうに、参考にしていただければ幸いです。

No.1070 2006/10/20(Fri) 14:03:27
詩篇18章 / 沙耶香 引用

今日は詩篇18章を読みました。

2節の
主はわが巌、わがとりで、わが救い主、
身を避けるわが岩、わが神。
わが盾、わが救いの角、わがやぐら。とはどういうことだろうか?巌ってなんだろうか?
4節の
死の綱は私を取り巻き、
滅びの川は私を恐れさせた。
とはどういう意味だろうか?全く意味不明である。死の綱ってなんだろうか?滅びの川って地獄のことだろうか?
同じようなことが書いてあると思うけれど、
5節の
よみの綱は私を取り囲み、
死のわなは私に立ち向かった。とはどういう意味だろうか?地獄が立ち向かってくるんだろうか?

7から15節までは神様の現れを比ゆ的に言っているのだろうか?
あまり詳細を突っついているとここで書ききれなくなるので・・・

25節の最後の
全き者には全くあられ、とはどういうことだろうか?
前に全きとは完全なという意味だと聞いたことがあります。完全なものは全くあられってどういう意味だろうか?うーんわからない・・・
29節の
あなたによって私は軍勢に襲い掛かり、
私の神によって私は城壁を飛び越えます。とはどういう意味だろうか?聖書は比喩的表現が多く、理解しがたい。
33節の
彼は私の足を雌鹿のようにし、とありますが、私は迅速な足も、俊敏さも与えられていません。どうしてでしょうか?
44節の最後の
私におもねりますとはどういう意味だろうか?
45節の
外国人らはしなえて、
彼らのとりでから震えて出てきますとはどういう意味だろうか?意味がわからない。
50節の
主は、王に救いを増し加え、
油注がれたもの、ダビデとそのすえに、
とこしえに恵みを施されます。とはどういうことだろうか?ここでいう王とは誰のことだろうか?主ご自身だろうか?

No.1061 2006/10/18(Wed) 21:22:11

Re: 詩篇18章 / Aja 引用

18章ってとても長い詩編なんですね…。
18節〜「主は私のささえであった。主は私を広い所に連れ出し、私を助け出された。主が私を喜びとされたから。」

28節「あなたは私のともしびをともされ、主、私の神は、私のやみを照らされます。」
という箇所が心にとまりました。主は私達を喜びとしてくださるのですね。そして私達のやみを照らしてくださるのですね。

苦難について考えていて今朝イ・チソンさんのことを思い出しました。「チソン、愛してるよ」という本と、その続編の「きょうも幸せです」が出版されています。
暴走した車に追突された交通事故で、チソンさんは大やけどをしてしまいます。特に顔のやけどがひどく、若く美しかった顔は別人のようにかわってしまいました。彼女はとても苦しむのですが、その中から神様への愛と信頼を告白しています。チソンさんの負った苦しみと痛みのすさまじさに圧倒されるのですが、それ以上に彼女の神様への心が美しく、苦難の中でもこんな心を持てる人がいるのかと、とても心揺さぶられました。
写真やかわいいイラスト入りの読みやすい本なので沙耶香さんも機会があったら立ち読みでもしてみてください。キリスト教書店じゃなく普通の本屋でも売られていました。

No.1062 2006/10/18(Wed) 22:35:51

Re: 詩篇18章 / 昌夫 引用

イスラエルの最初の王はサウルでした。サウル王は、ダビデがイスラエルと戦争をしていたぺリシテの巨人のゴリアテを倒したりして、人気がでると、嫉妬にかられて、ダビデの命を狙うようになりました。それで、逃げるダビデを軍隊で追いかけまわして苦しめました。やがてサウル王はぺリシテとの戦いで戦死しました。そして、ダビデがイスラエルの王となりました。この詩は、ダビデが王となってから、サウル王や他の敵たちから、主が救い出してくださったことを思って書いた詩だと思います。

2節では、ダビデが主に対して持つイメージがいろいろ書かれています。巌とは、大きな岩のことです。嵐になったとき、大きな岩の下に隠れることができた、というようなイメージだと思います。

4節、5節では、はダビデが敵の軍隊に取り囲まれ、敵が立ち向かってきて、死に直面したことを、詩的なイメージで、繰り返し同じようなことを書いています。へブル語の詩では、同じようなことを2回繰り返すことが多いですが、このように4回繰り返すこともあります。

7-15節では、神さまがダビデを窮地から救ってくださったことを、詩的なイメージで描いています。実際に神さまが現われたというより、神さまが御力によって、戦場で窮地にあるダビデを、ぺリシテの軍隊なども使って、救ってくださったことを書いていると思います。

25-27節は、神さまが、それぞれの人に、その人の思いや行いに応じて報いられることを書いています。苦難にある人に恵み深い人には、神さまが、その人に恵み深くされて報いられます。完全に神さまに聞き従うものには、神さまは、完全にその人の願いをかなえて報いられます。きよい思いと生活をしている人には、神さまもきよいものだけを与えて、報いられます。

>29節の
あなたによって私は軍勢に襲い掛かり、
私の神によって私は城壁を飛び越えます。

ダビデは多くの戦争で戦いました。ダビデの軍は、主の力によって、敵の軍勢に攻め入り、敵の城壁によじ登ったり、城壁を崩して、中に攻め入って、勝利をいただきました。そういうことを、詩的イメージで描いています。

>私は迅速な足も、俊敏さも与えられていません。どうしてでしょうか?

ダビデは、イスラエルの国を大きくしたり、敵から守るために戦争をする役目が与えられていました。そのためには迅速な足や俊敏さが必要でした。沙耶香さんにも、神さまに与えられた自分の役目を果たすために必要なものは、全部与えられていると信じます。

>44節の最後の
私におもねりますとはどういう意味だろうか?

イスラエルの王となり、周りの国々と戦争して主の力によって勝利を得たダビデに対し、敵国の人たちは、気に入られようとして、へつらいました。「おもねる」とは、気に入られようとしたり、へつらうことです。

>45節の
外国人らはしなえて、
彼らのとりでから震えて出てきますとはどういう意味だろうか?意味がわからない。

ダビデ王のイスラエルと戦争をした、国々の外国人たちは、とりでにこもって、抵抗したけれど、やがて、元気を失って、とりでから震えて出てきました。

>50節の
主は、王に救いを増し加え、
油注がれたもの、ダビデとそのすえに、
とこしえに恵みを施されます。とはどういうことだろうか?

ダビデがこの詩を書いたとき、イスラエルの王となっていたので、ダビデが書いた意味では、王とは、ダビデのことです。「油そそがれたもの」というのは、とても重要です。イスラエルでは、王や大祭司や預言者を任命するときに、油を頭からそそいだのです。神さまは、ダビデに、ダビデの子孫から永遠のイスラエルの王が出ることを約束されました。「ダビデとそのすえ」とは、ダビデとその子孫のことです。

神さまは、ダビデを通して、ダビデの子孫で、永遠の王であられるイエスさまのことを語っておられると思います。キリストとは、新約聖書の書かれたギリシア語で「油そそがれた者」という意味です。

>ここでいう王とは誰のことだろうか?主ご自身だろうか?

「とこしえ」とは永遠という意味で、永遠の王とは、主ご自身です。ただし、人間の著者であるダビデは、そのようなことを意識して書いたのではないと思います。

No.1064 2006/10/19(Thu) 07:46:04

再詩篇18章 / 沙耶香 引用

今日はもう一度詩篇18章を読みました。

うん、よく賛美の中で、神様のことをわが盾とかとりでとか救い主とかと歌っているように思います。
へー7から15節までは、ダビデを戦地で救われたことが書いてあるのか?全く意味不明で何かの比ゆ的表現だと思っていました。
へーー神様はそれぞれの人に、その人の思いや行いに応じて報いられるんだ?
苦難にある人に恵み深い人には、神様が、その人に恵み深くされて報いられる。完全に神様に聞き従うものには、神様は、完全にその人の願いをかなえて報いられる。きよい思いと生活をしている人には、神様もきよいものだけを与えて、報いられる。
と管理人さんの解説にありますが、なかなかこのようにならないことが多いですが・・・

ただし、人間の著者であるダビデはそのようなことを意識して書いたのではないんだったら何を意識して書いたのですか?

Ajaさんへ。
イ、チソンさんてきっと素晴らしい方なんでしょうね・・・
私は元々この世的祝福のない状態で生まれてきた子なので、今はイエス様からの恵みによって与えられていますが、見た目も最悪だし、この世で普通の人が欲しがるようなものはほとんど与えられていません。
だから祝福が限られているので、その祝福が何かで取り上げられると大打撃で、恐らく生きてはいられないでしょう。
私はCENSORED志願者で何度もCENSORED未遂をしています。でも必死でイエス様にすがり求めて、イエス様を信頼して苦しいことの連続だけれど、イエス様とともにといつも言い聞かせ、生きています。
Ajaさんはすばらしい信仰者なんだろうと思います。
私はまだまだですが、一歩一歩進みます。

No.1065 2006/10/19(Thu) 10:53:03

Re: 詩篇18章 / 昌夫 引用

>苦難にある人に恵み深い人には、神様が、その人に恵み深くされて報いられる。完全に神様に聞き従うものには、神様は、完全にその人の願いをかなえて報いられる。きよい思いと生活をしている人には、神様もきよいものだけを与えて、報いられる。
と管理人さんの解説にありますが、なかなかこのようにならないことが多いですが・・・

すぐにならなくても、待っていれば、いつか、神さまがそのように報いられます。

>ただし、人間の著者であるダビデはそのようなことを意識して書いたのではないんだったら何を意識して書いたのですか?

ダビデが何を意識して書いたのかは、よく分かりません。たぶん、意識としては、自分の子孫にイスラエルの永遠の王となる人間が出てくる、と考えていたのだろうと想像します。

No.1069 2006/10/20(Fri) 13:12:26
詩篇17章 / 沙耶香 引用

今日は詩篇17章を読みました。

1節の最後に
欺きのくちびるからでない、私の祈りをとありますが、
本心からでない祈りは聞かれないと解説に書いてありますが、祈りって本心からでない祈りなんてする人いるのかな?本心じゃないと祈らないことないかな?
よく分からない・・・

8,9節に
私を、ひとみのように見守り、
御翼の陰に私をかくまってください。
私を襲う悪者から。私を取り巻く貪欲な敵から。
とありますが、じゃなんで私は***という悪者、貪欲な敵からかくまってもらえなかったのか?
結婚詐欺の魔の手から守ってもらえなかったのか?

14節の
主よ。人々から、あなたの御手で。
相続分がこの世の命であるこの世の人々から。
彼らの腹は、あなたの宝で満たされ、
彼らは、子供らに満ちたり、
その豊かさを、その幼子らに残します。
とはどういうことだろうか?相続分がこの世の命であるこの世の人々とはノンクリスチャンのことだろうか?
全体の意味がつかめない。

No.1053 2006/10/17(Tue) 19:22:34

Re: 詩篇17章 / 昌夫 引用

>1節の最後に
欺きのくちびるからでない、私の祈りをとありますが、
本心からでない祈りは聞かれないと解説に書いてありますが、祈りって本心からでない祈りなんてする人いるのかな?

いると思います。自分が願うことでなく、なんとなく神さまが喜んでくださりそうな、きれいごとを祈ってしまうことが人間にはあると思います。それと、僕の場合、本心から祈っているつもりでも、意識できない心の奥底で、違うことを願っていることが多くあるように思います。

>じゃなんで私は***という悪者、貪欲な敵からかくまってもらえなかったのか?

神さまは、僕たちの魂をひとみのように見守ってくださり、永遠の天国への連れて行ってくださいますが、悪から生ずるこの世的な苦しみなどからは、必ずしも守ってくださらないです。人間は冷凍庫に入れられたチューリップのようである場合もあるようです。

14節は、13節の「助け出してください」からつながっています。相続分がこの世の命であるこの世の人々とは、真の神さまを信仰しないで、永遠の命を受け取らない人々のことです。そういう人たちも神さまは愛されているので、富や子孫を与えられて祝福されます。でも、信仰者であるダビデは、そのようなこの世的な祝福ではなく、神さまの御姿を見て、満ち足りる、ということを、15節でダビデが言っています。

No.1056 2006/10/17(Tue) 19:53:20

Re: 詩篇17章 / Aja 引用

祈りって難しいなと思います。どうしても「こうあるべき」「こう祈るべき」と私はまず思ってしまい、正直な自分の思いがでてこないことがあります。感謝していないのに「感謝するべきだ」と思って感謝しますと祈ったり…。でもそんな祈りをしても心はむなしいのですが。
ロマ書8章26節〜「私たちはどのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。人間の心を探り窮める方は、御霊の思いが何かをよく知っておられます。」
祈りにならない深いうめき、も神様は知ってくださっていてちゃんと耳を傾けていてくださると思い、勇気づけられます。

苦難から守られる、ということについては私もよくわからないです。世の中には悲惨な事件や事故が多すぎるし、苦しみがたくさんあるのが現実なのですね。
イエス様は共に苦しんでくださる方、痛みをわかってくださっているのだということに目をむけようと思いますが…
世の現実は悲惨すぎて心くじけそうになることが多いです。世に打ち勝ったイエス様をもっともっと知っていきたいと思っています。

No.1057 2006/10/17(Tue) 22:53:13

Re: 詩篇17章 / 昌夫 引用

>祈りって難しいなと思います。

「どうか祈りを与えてください。」と、祈りについてさえ、祈るキリスト者がおられるということを読んだことがあります。僕たちの魂が心の奥底からの正直な祈りをすることができますように、と神さまにお願いします。

>苦難から守られる、ということについては私もよくわからないです。

ヨブ記でも、神さまはヨブに現われてくださったけれど、なぜヨブを苦難から守られなかったのか、全く説明されませんね。僕たち人間には、本当にはそのようなことは分かりようがない、ということだと思います。

イエスさまは、十字架の上で、僕たちとともに苦しんでくださったし、復活されて、すべての苦難に打ち勝たれた、ということが、一番大切な神さまの答えなのだと思います。

苦しみについては、完全には分かりようはないのだけれど、ちょっと思うのは、イエスさまの十字架の上での苦しみは、人間の救いのために必要なことだった。これに対して、ヨブの苦しみはヨブ記2章3節に「何の理由もないのに」とあるように、必要ではなかった、ということです。でも、神さまは、苦しみの後にヨブを大いに祝福して、苦しみに耐えたヨブにこの世で報いられた、ということです。ヨブが失った最初の10人の子供たちについては、天国で、ヨブと会わせてくださると思います。自分の罪の結果でなくて、苦しんでいる人間はとても多いと思います。でも、神さまは、そのような方々を、いずれこの世でも天国でも大いに祝福して報いてくださるのだと信じます。

No.1058 2006/10/18(Wed) 08:05:53

再詩篇17章 / 沙耶香 引用

今朝はもう一度詩篇17章を読みました。

ふーん、本心からでない欺きのくちびるからでる祈りをする人もいるんだ?うーん、私は本心からでないと祈れないなー・・・だって祈りは神様との会話だから、本心でない祈りを祈っているとイエス様を騙すことにつながるような気がしてできないです。
イエス様はそういうちょっとした行為を見逃されない方だと思います。

冷凍庫に入れられたチューリップの状態がいつまで続くのだろうか?こんなことを次々と続けられると悲鳴をあげてしまいそうになり、最悪の結果になることだってありえます。
私の叫びの声を心にとめてください。
どうか神様イエス様もうこれ以上の困難を私に与えないでください。そして今まで与えられた困難には最善の解決法をおあたえください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
こうしてあなたに身を避ける私が喜び、
とこしえまでも喜び歌いますように。
あなたが私をかばってくださり、
御名を愛する私が、
あなたを誇りますように。
主よ。まことに、あなたはただしい者を祝福し、
大たてで囲むように愛で私を囲まれます。

この世の人々とはノンクリスチャンのことなの?じゃ私たち信仰者はこの世の人じゃないの?天の御国の人なの?

No.1059 2006/10/18(Wed) 10:35:47

Re: 詩篇17章 / 昌夫 引用

>この世の人々とはノンクリスチャンのことなの?

詩篇の書かれた当時は、イエスさまがお生まれになる前のなので、クリスチャンは存在せず、皆、ノンクリスチャンだったのです。詩篇での正しい者とは、神さまの「ことば」を聞き、神さまを信頼した信仰者です。「この世の人々」とは、神さまに聞き従わない人々のことです。

>じゃ私たち信仰者はこの世の人じゃないの?天の御国の人なの?

そうですね。僕たち信仰者は、聖霊さまによって、もう新しく生まれ変わり、天の御国の市民としていただいています。もう、この世には属していないのです。

No.1060 2006/10/18(Wed) 19:35:05
詩篇16章 / 沙耶香 引用

今日は詩篇16章を読みました。

2節の最後の
私の幸いは、あなたのほかにはありませんというのは、主イエス様を信頼することが一番の幸せだと言いたいのだろうか?
4節の
ほかの神へ走ったものの痛みは、
増し加わりましょう。
私は、彼らの注ぐ血の酒をそそがず、
その名を口に唱えません。はどういう意味だろうか?
イエス様を信仰せずにほかの神を信仰した人は余計に痛みが増えて、イエス様はその違う神を信仰したものを見放すということだろうか?うーん、分かりづらいです。
イエス様は右側がお好きなんですね・・・

No.1049 2006/10/16(Mon) 19:36:33

Re: 詩篇16章 / 沙耶香 引用

書き忘れました。
私はこの詩篇16章では10節の
まことに、あなたは、私のたましいを
よみに捨て置かず、
あなたの聖徒に墓の穴をお見せにはなりません。というところが好きです。
主は信頼するものは決して見放さず、失望させないんだと言いたいんだと思います。

No.1050 2006/10/16(Mon) 19:39:10

Re: 詩篇16章 / Aja 引用

本当に、10節はいいですね。神様はわたしたちを見捨てることはないんですね。9節もいいです。「それゆえ、私の心は喜び、私のたましいは楽しんでいる。私の身もまた安らかに住まおう」主がともにおられるので私は安らかです、といつも言えるようになりたいです。
沙耶香さんとともに詩編を読むことができて感謝です。

No.1051 2006/10/16(Mon) 22:03:03

再詩篇16章 / 沙耶香 引用

今朝はもう一度詩篇16章を読みました。

Ajaさんレスをありがとう。感謝します。
今朝は管理人さんの解説がないので、昨日の夜読んで分からなかったところは分からないです。

今朝はもう一度一通り読んで印象に残ったところは、
11節の最後の
貴方の御前には喜びが満ち、
貴方の右には、
楽しみがとこしえにありますというところです。
主のご臨在するところはめっぽうすばらしいということかなーと思います。

No.1052 2006/10/17(Tue) 09:17:55

Re: 詩篇16章 / 昌夫 引用

>2節の最後の
私の幸いは、あなたのほかにはありませんというのは、主イエス様を信頼することが一番の幸せだと言いたいのだろうか?

僕たちはいろいろ他のものに目が行きますが、結局、本当の幸せとは、神さまとともにあること以外にはない、という意味だと思います。

>4節の
ほかの神へ走ったものの痛みは、
増し加わりましょう。
私は、彼らの注ぐ血の酒をそそがず、
その名を口に唱えません。はどういう意味だろうか?

当時のイスラエルでは、真の神さまへの信仰を捨てて、イスラエルの周りの国々の他の神々を崇拝するようになった人々が多くいました。ダビデは、そういう人々の痛み、苦しみは増えるだろうし、自分は他の神々の名は、唱えません、と言っています。

>今朝は管理人さんの解説がないので

しばらく、とても忙しいので、僕のレスがなくても、先に読んでいってみてください。後で、時間のあるときに、レスをします。

No.1055 2006/10/17(Tue) 19:36:50
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