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詩篇15章 / 沙耶香 引用

今日は詩篇15章を読みました。

1節の
主よ。
だれが、あなたの幕屋に宿るのでしょうか。
だれが、あなたの聖なる山に住むのでしょうか。
とはどういう意味だろうか?幕屋ってなんだろうか?
何かを問い掛ける文章だと思うけれど、何を問い掛けているのかが分からない・・・
2節の
正しく歩み、義を行い、
心の中の真実を語る人とは、神様を信じるクリスチャンのことだろうか?
4節の最後の
損になっても、立てた誓いは変えないとあるが、立てた誓いってなんだろうか?誰にどんな誓いを立てたのだろうか?
5節の、
金を貸しても利息を取らず、
罪を犯さない人にそむいて、わいろを取らない。
このように行う人は、決してゆるがされない。は、正直者は真の繁栄を与えられるという意味にとったが、でもこの世の中、正直者は馬鹿を見るし、騙されるし、実際私はずっとそうだった。どうしてだろうか?

No.1043 2006/10/15(Sun) 20:36:04

Re: 詩篇15章 / 昌夫 引用

>1節の
主よ。
だれが、あなたの幕屋に宿るのでしょうか。
だれが、あなたの聖なる山に住むのでしょうか。

幕屋(テント)は、当時のイスラエルにあった、主の天幕のとです。エルサレムは小高い丘のある町なので、「聖なる山」とは主の天幕のあったエルサレムのことです。それで1節は、「どのような人が主の天幕で、主とともに生きているだろうか?」という意味の問いです。

>2節の
正しく歩み、義を行い、
心の中の真実を語る人とは、神様を信じるクリスチャンのことだろうか?

詩篇の書かれた当時は、イエスさまはまだ人間としてはお生まれになっていなかったので、クリスチャンはいなかったのですが、主を信頼して聞き従う信仰者のことです。当時も今も、聖書は、主の信仰者を「正しく歩み、義を行う人」とします。世間の考える良いことをする人、という意味ではありません。

>4節の最後の
損になっても、立てた誓いは変えないとあるが、立てた誓いってなんだろうか?誰にどんな誓いを立てたのだろうか?

イスラエルの人は誓いは主に対して立てました。誓いは、主に対する約束なので、後で、それは損になると分かっても、変えることは主に喜ばれないのです。どのような誓いかは書いていないので、実際にどのような誓いをしたかは分かりません。このようなときは、自分が主に対して、誓ったことがあったら、その誓いのことをあてはめて考えると良いと思います。新約聖書には主に大して「誓うな」ということが書いてあるので、主に誓ったことがなければ、良いことです。その場合は、「誓いたい」と思ったことを考えたら良いと思います。

ここで、旧約聖書の士師記の11章30節から40節までを読んでください。当時は、イスラエルにはまだ王がなく、士師と呼ばれた人が、指導者でした。士師のエフタは、イスラエルの東の国のアモンと戦争をすることになり、神さまに勝利をくだされば、帰ってきたとき、家の戸口から最初に出てくる者を神さまに、全焼のいけにえとしてささげる、という誓いをしました。全焼のいけにえとは、当時、動物を神さまにいけにえとして、祭壇で全部焼いてささげたのです。戦争に勝って帰ってきたとき、なんと、彼の一人娘が最初に家からでてきました。それで、エフタは、誓いを変えたかったけれど、変えなかったのです。エフタが誓いを変えなかったのは、良いことだったのだろうと思います。でも、そのような愚かな誓いをしなかったら、もっと良かったと思います。

>でもこの世の中、正直者は馬鹿を見るし、騙されるし、実際私はずっとそうだった。どうしてだろうか?

5節の「ゆるがない」を、この世的な繁栄をとるとおかしいと思います。「真の繁栄」とは、真実の神である主を個人的に知り、個人的な関係を深めることだと思います。そう考えると、沙耶香さんは、この世的には困難が多くても、「ゆるがない」主との関係を深くしていただいていると思います。

No.1045 2006/10/16(Mon) 05:49:50

再詩篇15章 / 沙耶香 引用

今日はもう一度詩篇15章を読みました。

詩篇の書かれた時期はイエス様はお生まれになっていなかったから、クリスチャンはいないけれど、主を信頼する信仰者のことを言っていると言われても、主を信頼する信仰者と言えば私からしたらクリスチャンだと思うけれど・・・詩篇の書かれたころはイエス様はいなかったんだったらイエス様=主なんだから主もいないのでは・・・?
うーん、混乱する・・・

あまり主に誓いを立てたらいけないのですね・・・

士師記の11章30から40節を読みました。はじめに管理人さんからの解説を読まずに読んだときは何のことだかさっぱり分からなかったけれど、管理人さんの解説を見てから読んだら割と分かりました。
この娘さんは処女であることを泣き悲しみたいといっているが、処女であることはこの当時は嘆かわしいことだったのか?
でも本当に誓いを変えずに自分の娘をいけにえにしたのか?うーん、現代では考えられないですよね?神様に従って自分の一番大切なものを捧げるなんてありえないですよね?

私のことを、神様以外でそういう風に評価してくださる人がいると思うだけで嬉しいです。生きていてよかったと思えます。感謝します。

No.1048 2006/10/16(Mon) 10:39:21

Re: 詩篇15章 / 昌夫 引用

>主を信頼する信仰者と言えば私からしたらクリスチャンだと思うけれど

モーセの前に現われて十戒をモーセに授けた神さまは、ご自分の名前を、ヤハウエとモーセに明かされました。沙耶香さんの聖書で、太字で主と書いてあるのは、もともとのへブル語ではヤハウエと書いてあったのです。イエスラエルでは、主とは、ヤハウエで、ヤハウエとは、イエスさまの父なる神さまだと信じます。

>この娘さんは処女であることを泣き悲しみたいといっているが、処女であることはこの当時は嘆かわしいことだったのか?

そうではなくて、結婚する前に、処女のまま死んでいくことを嘆き悲しんだのだと思います。

>神様に従って自分の一番大切なものを捧げるなんてありえないですよね?

僕たちクリスチャンは、自分の命を神さまにささげる、という意味で、バプテスマを受けたと思います。自分の力ではできないことですが、神さまの力で、自分の命を、神さまに捧げるものに変えていってくださると信じます。

No.1054 2006/10/17(Tue) 19:27:18
チューリップ / Aja 引用

母がチューリップの球根を買って来ました。今月には植えるそうです。チューリップが咲くのは春ですが、今から土にうめて水をやり、太陽にあてておかなければならず、冬の寒さを通り越す必要があるそうです。
土の上に雪が積もったりするとかわいそうに思いますが、球根にとって寒さを体験することがなければ春に芽を出すことができないんだそうです。だから時期はずれにチューリップを咲かせるために花屋さんは球根を冷蔵庫にいれたり冷凍庫にいれたりするらしいです。それを聞いてなんだか「信仰」もそれと似てるなあと思い、励まされ考えさせられた出来事でした。

No.1044 2006/10/15(Sun) 23:04:01

Re: チューリップ / 昌夫 引用

とても興味深い話ですね。僕たちが、信仰の種から芽を出して花をさかすために、神さまが、この世では寒さを体験させてくださっているのだな、と思いました。

神さまが僕たちを冷凍庫に入れられても、花をさかすことができるのを信じて、神さまの厳しいけれど甘美な愛を冷凍庫の中でも感じることができれば、素晴らしいと覆います。

No.1046 2006/10/16(Mon) 05:55:39

Re: チューリップ / 沙耶香 引用

チューリップが花を咲かすのと同じで、信仰の道も険しいですね・・・
でも今まで普通に生活してきた人が信仰生活で冷凍庫に入れられても、試練だと思って耐えられても、私のようにもう今まで散々苦しい思いをして、困難続きの人で精神障害者の人は冷凍庫に入れられるともう悲鳴を上げてしまいます。
体調精神状態を崩し復活できなくなります。
でも神様は何故かこの世的祝福を限りなく受けている人にはあまり試練を課さず、
私のようにこの世的祝福の少ない人、困難続きの人にまたまた次々試練を与えます。
だから復活できないまでも、この世的祝福を少しずつ増やし、私を哀れんで支えてくださいます。
厳しくしても、哀れんでほったらかしにはしないところが神様の愛なのかな?と思います。
でも今後は困難には最善策を備えてくださり、もっともっと祝福されて、富と誉れを得られるようになることを信じて期待して感謝します。

No.1047 2006/10/16(Mon) 10:16:45
詩篇14章 / 沙耶香 引用

今日は、詩篇14章を読みました。

1節に
愚か者は心の中で、「神はいない。」と言っている。
彼らは腐っており、忌まわしいことを行っている。
善を行うものはいない。とありますが、本当に今の世の中そうですね・・・悪者がはびこり、弱者や正直者が馬鹿を見る。嘆かわしいことです。
4節の
不法を行う者らは誰も知らないのか。
彼らはパンを食らうように、私の民を食らい、
主を呼び求めようとはしない。
とはどういう意味だろうか?私の民を食らい???全く意味不明である。
5節の
見よ。彼らが、いかに恐れたかを。
神は、正しい者の一族とともにおられるからだ。
とはどういう意味だろうか?何のことを言っているのかさっぱりわからない。
時代背景も分からないのでもうさっぱり分からない。

7節のああ、イスラエルの救いがシオンからくるように。
主が、とりこになった御民を返されるとき、
ヤコブは楽しめ。
イスラエルは喜べ。とはどういうことだろうか?
何だかよく分からないですね・・・解説にヤコブ=イスラエル全体をさし、神の民を象徴するとありますが、だったらヤコブというのはクリスチャンのことなのだろうか?うーん???

No.1033 2006/10/14(Sat) 19:21:38

Re: 詩篇14章 / Aja 引用

この詩編14章って詩編53章とほとんど同じですね。今まで気がづきませんでした。沙耶香さんも開いてみてください。わたし今知ってびっくりしました!なぜ全く同じ内容の詩編があるんでしょう...

No.1034 2006/10/14(Sat) 20:36:50

Re: 詩篇14章 / Aja 引用

4節の「わたしの民を食らい」は、神を呼び求めない信じない人々が、神の民を滅ぼそうとするということではないでしょうか。けれど、神様は神を尋ね求める者とともにおられ、避け所となって守ってくださるのだと私は思いました。時代背景や詳しいことはあまりわかりませんが…。

今わたしたちが神を尋ね求める者とされていること、そのこと自体がもう本当に「幸い」なことなんだろうなと改めて感じました。

No.1035 2006/10/14(Sat) 21:30:02

Re: 詩篇14章 / 昌夫 引用

沙耶香さんへのレスです。

>善を行うものはいない。とありますが、本当に今の世の中そうですね

今だけでなく、ずっと昔から、人間はどんな善人であっても、完全に善であられる神さまの視点から見ると、自分の力で善を行っている人はいないそうです。これは、僕たちも含めて、全ての人が、そうなのです。

ずっと昔から人間には、自分の力で善を行う人はいず、どんどん神さまからずれていきました。それで、神さまは、信仰の深いアブラハムを選ばれ、アブラハムの子孫の作る国、イスラエルを通して、世界の全ての国を祝福されることにされました。アブラハムの孫がヤコブで、ヤコブの12人の息子たちの子孫が、イスラエルの国の12部族になりました。大切なのは、イスラエルの国から、救世主が出ることを、神さまが決められたことです。そのイスラエルの2番目の王がダビデです。ダビデから1000年近くたってから、イエスさまが、ダビデの子孫としてお生まれになりました。イスラエルのいろいろな家の中でも、特にダビデの家から救世主が出ることを、神さまが決められました。

>私の民を食らい???全く意味不明である。

イスラエルの王であるダビデが、イスラエルの民のことを「私の民」と呼んでいます。まわりの国々が、イスラエルの民を戦争などで迫害したり、殺したり、作物などを奪ったりしている様子を、このように書いたと思います。

>5節の
見よ。彼らが、いかに恐れたかを。
神は、正しい者の一族とともにおられるからだ。

ダビデのころ、イスラエルは、まわりの国々と戦争をしたことが多かったのです。「正しい者の一族」とは、イスラエルの民のことだと思います。神さまがイスラエルの民とともにおられれたので、敵国の人々が、おそれた様子を書いていると思います。

>7節のああ、イスラエルの救いがシオンからくるように。
主が、とりこになった御民を返されるとき、
ヤコブは楽しめ。
イスラエルは喜べ。とはどういうことだろうか?

ダビデが戦争で敵からエルサレムを奪って、イスラエルの首都としていました。シオンはエルサレムにあった丘ですが、シオンと、エルサレムは、同じような意味だと思います。ダビデは主と会うための天幕を、エルサレムにおいていました。だから、イスラエルの救いが、主のおられるエルサレムから来るように、祈っています。

「とりことなった御民」とは、敵国の捕虜になったりして、苦しんでいるイスラエルの民のことだと思います。主がイスラエルの民を苦しみから救い出されるとき、イスラエルの民は楽しみ、喜べ、ということを言っています。

No.1038 2006/10/15(Sun) 01:05:59

Re: 詩篇14章 / 昌夫 引用

Ajaさんへのレスです。

>なぜ全く同じ内容の詩編があるんでしょう...

詩篇を今の形に編集した編者が意図的に重要な同じ詩篇を2回、別の意味で使ったと思います。例えば14篇のある第1巻の主要テーマは、ダビデが王になるまで、53篇のある第2巻の主要テーマは、ダビデとソロモンの王政という考えがあります。どちらの主要テーマでも、この詩篇がぴったりあう箇所があった、ということかもしれません。

>今わたしたちが神を尋ね求める者とされていること、そのこと自体がもう本当に「幸い」なことなんだろうなと改めて感じました。

僕たちが、本当にそうなのだ、と頭で分かるだけでなく、実感が深まっていくと素晴らしいと思います。

No.1039 2006/10/15(Sun) 01:14:23

再詩篇14章 / 沙耶香 引用

今日はもう一度詩篇14章を読みました。

Ajaさん、レス嬉しいです。このCFIさんの掲示板でいろいろ一緒に信仰を深めていけたら嬉しいですね・・・

本当にそうですね・・・人間とは自分の力で善を行える人なんていないですね・・・イエス様の力を借りないと人間とは罪深いもので、なかなかイエス様のようにはなれません。

では、信仰の深いアブラハムを選ばれて、アブラハムの子孫の作る国イスラエルを通して、すべての国を祝福されることにされたんですね・・・
ヤコブってアブラハムの孫なんだ?
ふーん、ヤコブの12人の息子達の子孫がイスラエルの国の12部族になった・・・12部族ってなんだろう?
イスラエルの国から救世主が出ることを神様が決められたことが大切なことなんだ?
じゃイスラエルは神様の思い入れのある国ですね・・・
ふーん、よく聖書に出てくるダビデはイスラエルの二番目の王だったんだ?初めて知った・・・
えー?イエス様ってダビデの子孫だったの?初めて聞いた・・・あ、そう・・・
ダビデの家から救世主が出ることを神様が決められた・・・へーーそう・・・
何だか難しいですね・・・

ふーん、私の民=イスラエルの民・・・
へーーとりこっていう意味が現代とは全く違いますね・・・
私は1節の
愚かなものは心の中で、「神はいない」と言っている。
彼らは腐っており、忌まわしいことを行っている。
善を行う者はいない。が印象に残りました。

じゃダビデはイスラエルの救いが、主のおられるエルサレムからくるように祈っていたのですね・・・

No.1040 2006/10/15(Sun) 07:48:30

Re: 詩篇14章 / 昌夫 引用

>12部族ってなんだろう?

ヤコブの12人の息子のそれぞれの子孫たちは、モーセがイスラエルの民をエジプトから脱出させるころには、多くの人からなる部族になっていました。例えば、ダビデはヤコブの息子の一人のユダの子孫で、ユダ族の人でした。

No.1042 2006/10/15(Sun) 20:33:25
牧師 / 沙耶香 引用

うちの教会の牧師はもう8月からずっと喉の調子が悪くて、なかなか治りません。
どうか神様イエス様牧師の喉と咳を癒してください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・

No.1041 2006/10/15(Sun) 20:15:17
詩篇13章 / 沙耶香 引用

今日は、詩篇13章を読みました。

1節の
主よ。いつまでですか。
あなたは私を永久にお忘れになるのですか。
いつまで御顔を私からお隠しになるのですか。
とはどういう意味だろうか?
何のことを言っているのかさっぱり分からない。

2節の
いつまで私は自分の魂のうちで、
思い計らなければならないのでしょう。
私の心には、一日中、悲しみがあります。
いつまで敵が私の上に、勝ちおごるのでしょう。
も意味がわからない。
完全に神の臨在と摂理を疑わなくなるまでは悲しみが続き、敵に打ち負かされるということだろうか?うーん、分からない。
6節の
主が私を豊かにあしらわれたゆえ。とはどういうことだろうか?意味不明である。
全体的に何だか意味がわからなく終わった。

No.1029 2006/10/13(Fri) 20:16:39

Re: 詩篇13章 / 昌夫 引用

これも哀歌です。ダビデの敵が勝ちほこっていて、ダビデがとても苦しい状況にあるということをイメージしてください。

1、2節では、苦しい状況の中で、ダビデが神さまに、いつになったら苦しい状況から救いだしてくださるのか、聞いています。3,4節では、神さまに救ってくださるようお願いしていて、5,6節では、神さまが願いをかなえてくださるのを確信して、神さまを賛美していると思います。

>あなたは私を永久にお忘れになるのですか。

ダビデは、苦しみの中で神さまに見捨てられ、忘れられたように感じています。

>いつまで御顔を私からお隠しになるのですか。

父なる神さまは霊であり、顔を持っておられません。、御顔をお隠しになる、とは、神さまのとの個人的な関係を感じないように神さまがされる様子を描いています。

>2節の
いつまで私は自分の魂のうちで、
思い計らなければならないのでしょう。

敵が優勢になっていて、ダビデが、神さまへの信仰について、思い計っている状況だと思います。

>私の心には、一日中、悲しみがあります。
いつまで敵が私の上に、勝ちおごるのでしょう。

ダビデの敵が、勝ち誇っていて、ダビデが悲しんでいる様子を書いているようです。

5,6節は、今は苦しい状況にあるダビデが、神さまが苦しみから救ってくださることを確信している様子を書いてあります。

主が私を豊かにあしらわれたゆえ。

とは、主がダビデを祝福して、苦しみから救ってくださることを確信して、祈りを聞いてくださったことに感謝しています。

No.1031 2006/10/13(Fri) 23:53:21

再詩篇13章 / 沙耶香 引用

今朝は詩篇13章をもう一度読んでみました。

では哀歌って何ですか?悲しみの歌ですか?
神様との個人的な関係を感じなくするって個人対神様じゃなくて大勢対神様っていうことですか?うーん、考えれば考えるほど分からない。難しいですね・・・
ダビデほど信仰深くてもやはり思い悩むことがあるのですね・・・
でもやはり最後に主を信頼して救ってくださると信じているところがすばらしいですね・・・

では最後の御言葉は、祈りを聞き入れてくれたことに対する感謝ですか?それともその祈りを聞いてくれたことに対する感謝ですか?何だか難しい・・

No.1032 2006/10/14(Sat) 09:32:38

Re: 詩篇13章 / 昌夫 引用

>では哀歌って何ですか?悲しみの歌ですか?

そうです、神さまに悲しみ、苦しみを訴える詩です。特に詩篇の第一巻に多いです。

>神様との個人的な関係を感じなくするって個人対神様じゃなくて大勢対神様っていうことですか?

そういうことではなくて、苦しいときに、神さまが近くにいてくださることを実感として感じることができなくなり、神さまがとても遠くに感じられることがあります。そいういことです。

>ダビデほど信仰深くてもやはり思い悩むことがあるのですね・・・

ダビデは苦しみ思い悩むことが多かったです。第一巻の多くの哀歌は、ダビデが思い悩んだときに書いたと思います。

>では最後の御言葉は、祈りを聞き入れてくれたことに対する感謝ですか?それともその祈りを聞いてくれたことに対する感謝ですか?

祈りを聞き入れて、かなえてくださることを確信して、感謝していると僕は思います。5-6節は、神学者たちの中でも、苦しみの中で祈ったときに、そういう確信を持って、感謝したのだろう、と考える人たちと、ずっと後になって、苦しみから救い出された後に、感謝して書いたのだろう、という人たちとがいます。

No.1037 2006/10/15(Sun) 00:29:52
詩篇12章 / 沙耶香 引用

今日は詩篇12章を読みました。

1節の
主よ、お救いください。
聖徒はあとを絶ち、
誠実な人は人の子らの中から消え去りました。
とありますが、本当にこの世の中は、間違ったもの、悪が横行しはびこり正直者は馬鹿を見るのです。
そして私たち精神障害者なんて社会の片隅に追いやられ、偏見にさらされます。
2節の
人は互いにうそを話し、
へつらいのくちびると、二心で話します。は
人の心は表裏があるということだろうか?
4節の
彼らはこういうのです。
「われらはこの舌で勝つことができる。
われらのくちびるはわれらのものだ。
だれが、われらの支配者なのか。」はどういう意味だろうか?彼らとは悪者のことなのかな?うーん?
8節の
人の子の間で、
卑しいことがあがめられているときは、
悪者が、いたるところで横行しますとありますが、本当にそうですね・・・

No.1023 2006/10/12(Thu) 19:33:35

Re: 詩篇12章 / 昌夫 引用

>2節の
人は互いにうそを話し、
へつらいのくちびると、二心で話します。は
人の心は表裏があるということだろうか?

そうですね。「二心で話す」とは、口で言っていることと、心で思っていることが違うということだと思います。

>4節の
彼らはこういうのです。
「われらはこの舌で勝つことができる。
われらのくちびるはわれらのものだ。
だれが、われらの支配者なのか。」はどういう意味だろうか?彼らとは悪者のことなのかな?

そうです、ここでの「彼ら」とは、二心で話す悪人たちです。聖書では、「悪人」とは、神さまに聞き従わない人のことです。例えば、詐欺師のように、嘘を言って、お金をもうけをする人たちがいます。自分たちは、賢いのだと思って、詐欺をしない人は、「馬鹿正直」だ、と言って馬鹿にしたりします。「われらは、馬鹿でないから、この舌で嘘を言って、お金もうけをして勝つことができる。」と思っているのでしょう。そして、本当は、神さまが全ての人々の支配者で、罪はいずれ罰せられるけれど、神さまは存在しないと思っている人は、「だれが、われらの支配者なのか?それはお金である。だから、嘘を言ってもお金をもうけるのが正しい」と思っているようです。4節は、詐欺師のような人の考えを書いています。

8節のように、このごろ、日本では、ますます悪者が横行しているようです。

No.1025 2006/10/12(Thu) 20:48:42

再詩篇12章 / 沙耶香 引用

今朝はもう一度詩篇12章を読みました。

二心で話すって面白い表現ですね・・・心の中で思っていることと言っていることと違うという人はこの世の中はたくさんいますし、そういうことができないとこの世の中では通用しないと言われます。
私は馬鹿正直なので、そういうことがなかなかできないので、この世の中では通用せず、世間から追いやられ、隅っこに追いやられています。

でもこの世の中4節に書かれているような悪者がはびこっています。うそをついてもお金をもうけたものの勝ちだと思っていて、騙されたほうが悪いくらいに思っているし、世間にもそういう風潮はあります。
私が結婚詐欺で騙されたとき、いろんなところ、いろんな人に相談したが、騙された私を責めました。
世間や家族までもそんな風だから詐欺や悪者が横行するのだと思います。
だから私たち騙されやすい精神障害者や高齢者や認知症の人は標的にされやすい。
なのに騙されたほうが悪いなんていわれると持って行き場がない。

今回は5節の
主はおおせられる。
「悩む人が踏みにじられ、貧しい人が嘆くから、
今、わたしは立ち上がる。
わたしは、彼を、その求める救いに入れよう。」
というところが印象に残りました。
私たち弱者をイエス様が立ち上がって、救ってくださるということでしょう。嬉しい。

No.1028 2006/10/13(Fri) 10:12:35

Re: 詩篇12章 / 昌夫 引用

>心の中で思っていることと言っていることと違うという人はこの世の中はたくさんいますし、そういうことができないとこの世の中では通用しないと言われます。

まったくこの世の中は、めちゃくちゃですね。この世と天の御国では、逆になっていることが多いです。天の御国では、正直な人が神さまに喜んでいただけます。

>なのに騙されたほうが悪いなんていわれると持って行き場がない。

そういう風に考える人の多いこの世では、持って行き場がないですね。イエスさまが正しくさばいてくださいます。

>私たち弱者をイエス様が立ち上がって、救ってくださるということでしょう。嬉しい。

全知全能の御力を持っておられるイエスさまが立ち上がってくださっているので、頼もしいです。

No.1036 2006/10/15(Sun) 00:20:34
神様への問い / Aja 引用

神様は創世記で人間をつくった後、祝福して、生めよ増えよと言われました。けれど生まれてくることが人間にとって幸せかどうかと考えると私にはわからないです。もちろん親は子どもの誕生を待ち望み、喜び、周りの人々も祝福します。でもその子供も成長するにつれ様々な苦しみを味わい、孤独や死の恐怖を抱え生きねばならなくなります。私は結婚していないし、近々する予定もないし、今後もするかどうかわかりませんが、子供を生みたいとは思わない(思えない)のです。自分自身が「生まれてきてよかった」「人生はすばらしい」と思っていないのに子供を生みだすことはとてもできないと思ってしまいます。
苦労して生み育ててくれた両親には感謝しているし、私の誕生を喜び愛してくれたことを疑ってはいません。でも私のこの問いは、両親の思いとは別の次元の話です。こんな風に考えていることを両親が知ったら悲しむと思います。それと同じように、神様も悲しんでいるのでしょうか?神様は親以上に「親」なのですから...。
「とにかく今生かされていることに感謝すべき」「被造物の分際でそんな疑問を持つべきではない。神ではないのだからわかることではない」そう考えて終わらせることができないところに入り込んでしまっています。神様を知ること、イエス様と出会うことによって自分の中で何か答えを見い出せるよう祈っていきたいと思っていますが...。

No.1016 2006/10/12(Thu) 00:02:33

Re: 神様への問い / 昌夫 引用

僕は健康にも仕事にも家族にも友人にも恵まれ、この世的に大いに祝福されていると思いますし、神さまに感謝します。それでもこの世はとても悲しいところだと思います。もし、この世で全てが終わるなら、人間は存在しないほうがましだということは、聖書にも書いてあることだと思います。例えば、伝道者の書を読むとき、この世のむなしさということを強く感じます。この世での最高の幸せはキリストとともにあることだと思います。それでも、もし、キリスト者がこの世で終わるなら1コリ15:19にあるように、キリスト者も哀れです。

生まれてくることが、人間にとって幸せであると、はっきり聖書が書いているのは、永遠の天国まで考えたときだけだと思います。

No.1020 2006/10/12(Thu) 02:24:09

Re: 神様への問い / 沙耶香 引用

私は学生時代はずっといじめられっこで、その後信じた人に裏切られ、家庭内でもいろんな問題が次々起こります。だから私なんかは間違って生まれてきたのではないか?
といつも思ってしまいます。
でもイエス様と知り合い、イエス様に生かされ、だんだんと祝福されて、幸せを実感しながら信仰生活を送らせて貰っています。
この世だけ見ると私は弱者でいつも騙され、いろんな人の食い物にされてきましたが、でも永遠の命が与えられ、
天国に行ってからもイエス様の愛でいろんなクリスチャンと愛し合えると思うと嬉しいです。
Ajaさんとも天国で愛し合えると嬉しいです。そう願っています。
Ajaさんは多分女性なのでしょうね・・私と同じ独身らしいし・・・私はもう中年のおばさんだけれど・・・

No.1022 2006/10/12(Thu) 10:15:51

Re: 神様への問い / Aja 引用

クリスチャンの希望は天国にあるんですよね。本当にそれしかないですね。この世のむなしさに目をとめるのではなく、永遠の命を与えてくださる神様に希望をおくことができるようにお祈りしてください...。よろしくお願いします。

No.1026 2006/10/12(Thu) 22:42:32

Re: 神様への問い / 昌夫 引用

どうか、神さまの御力と厳しく聖いけれど甘美な愛によって、Ajaさんが、もう来ている永遠の天の御国での幸せを実感できますように、この世のむなしさからの苦しみにとらわれず、完全に来る天の御国とそこでの永遠の命への希望を強く持つことができますように、神さまと個人的な関係を強めて、神さまへの信頼を深めることができますように。

No.1027 2006/10/13(Fri) 07:54:01
詩篇11章 / 沙耶香 引用

今日は詩篇11章を読みました。

1節の鳥のように、おまえたちの山に飛んでいけ。とはどういうことを言っているのだろうか?
3節のよりどころが壊されたら正しい者に何ができようか。とはどういうことだろうか?
この1から3節はひとまとまりだと思うが、どういうことが言いたいのだろうか?全く掴み取れない。
4節の
主は、その聖座が宮にあり、
主は、その王座が天にある。
その目は見通し、
そのまぶたは、人の子らを調べる。とはどういうことだろうか?
聖座ってなんだろうか?王座ってなんだろうか?
6節は、地獄に行く人のことが書かれているのだろうか?
私は5節の、主は正しい者と悪者を調べる。
そのみこころは、暴虐を好むものを憎む。というところが好きです。

No.1015 2006/10/11(Wed) 20:22:06

Re: 詩篇11章 / 昌夫 引用

>この1から3節はひとまとまりだと思うが、どういうことが言いたいのだろうか?

ダビデが、何か理不尽な攻撃にさらされた状況での、ダビデの選択と、友人たちの助言のことを表していると思います。3節で、拠り所がこわされた、とあるのは、法廷のような、社会の秩序がうまく働いていないという状況を表していると思います。現代なら、正しい人が悪者に攻撃されて、警察に行ったけれど、相手にされない、というような状況です。こういうときに、神さまに拠り頼むことを選択することもできるし、ただ、この世的に攻撃から逃げることを選択することもできます。友人たちは、どうしようもないので、逃げるように、と助言していて、ダビデは、神さまを信頼して、拠り頼むことを選択していると思います。

4節の聖座は、聖なるいす、という意味です。

「主は、その聖座が宮にあり」

とは、主が、ダビデの時代なら主の天幕にいてくださることを詩的に表しています。

「主は、その王座が天にある。」

ここで王座とは、王のいす、という意味です。とても立派な王の座るいすのイメージを詩的なイメージとして思いうかべると良いと思います。

「その目は見通し、
そのまぶたは、人の子らを調べる。」

とは、神さまが全知全能の御力で、すべてのことを知っておられ、人間たちの心や行いを調べておられることを、詩的に表現しています。霊であられる神さまに実際に目やまぶたがあるわけではありません。

>6節は、地獄に行く人のことが書かれているのだろうか?

旧約聖書のころは、死後の世界のことは、神さまがほとんどまだ示されていませんでした。だから、人間の著者の意図している意味としては、祝福も罰も、この世でのことを書いてあることがほとんどです。火と硫黄はこの世で、ソドムとゴモラという2つの罪深い町を罰されるときに、神さまが使われました(創世記19:24)。ここも、この世での悪者への罰を、ソドムとゴモラへの罰をイメージしながら、詩的に表現していると思います。

>私は5節の、主は正しい者と悪者を調べる。
そのみこころは、暴虐を好むものを憎む。というところが好きです。

この世では正しくないことが横行するけれど、神さまが公平に正しくすべてをさばかれることが、素晴らしいですね。

No.1019 2006/10/12(Thu) 02:10:24

再詩篇11章 / 沙耶香 引用

今朝はもう一度詩篇11章を読みました。

ダビデは神様により頼むことを選択できるなんてすばらしいですね・・・私は困難ばかりなのですぐ逃げ出すことを考えてしまいます。
でも神様により頼むほうを選択したいと思いますので、お祈りします。
私は病気や困難ですぐに逃げるほうを選択してしまいがちです。
しかし、イエス様は頼れるお方
私の叫び声を心にとめてください。
私の王、私の神
私はあなたに祈っています。
どうか私の心を変えてください。私がイエス様により頼めるようにしてください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
あなたに身を避ける私がみな喜び、
とこしえまでも喜び歌いますように。
あなたが私をかばってくださり、
御名を愛する者たちが、
あなたを誇りますように。
主よ。まことにあなたはただしい者を祝福し、
大盾で囲むように愛で私を囲まれます・・・

聖なるいすとか王のいすとか詩的にいろいろイメージしているところが多いのですね・・・聖書はこういう風にいろんな表現をするから分かりづらい。

うーん、やはり時代が違うと何が何だか分からないですね・・・

分かることはイエス様は偉大で人間にはわかりづらいということだけだ。

No.1021 2006/10/12(Thu) 10:08:23

Re: 詩篇11章 / 昌夫 引用

>分かることはイエス様は偉大で人間にはわかりづらいということだけだ。

沙耶香さんは、詩篇を読んで参考にして、お祈りが深くなっていると思うし、人間には分かりえないイエスさまの無限の偉大さが分かってこられたのだと思います。聖書を読んで、イエスさまのことを分かったと思ったら、大きな勘違いだと思います。読めば読むほど、神さまの偉大さが実感できてきて、自分には神さまはとうてい分かりえない、と感じるのが本当なのだと思っています。

No.1024 2006/10/12(Thu) 20:34:01
詩篇9章 / 沙耶香 引用

今日は詩篇9章を読んでみました。

3節の私の敵は退くとき、つまずき、貴方の前で、ついえ去ります。とはどういうことだろうか?
ついえ去るってどういう意味なんだろうか?退くときっていつのことだろうか?うーん、分からない・・・
5節の
あなたは国々をおしかりになり、悪者を滅ぼし、
彼らの名をとこしえに、消し去られました。とはどういう意味だろうか?国々をおしかりになりの国々って何をさしているのだろうか?名をとこしえに消し去られたとはどういうことだろうか?
殺したのだろうか?
6節の
敵は、絶え果てて永遠の廃墟。
あなたが根扱ぎにされた町々、
その記憶さえ、消えうせました。とはどういうことだろうか?根扱ぎにされたの意味がわからない。記憶さえ消えうせたとはどういうことだろうか?うーん、意味不明・・・
7から9節は最後の審判のことが書かれているのだろうか?
16節の後のヒガヨン セラとはどういう意味だろうか?

私は18節の、
貧しいものは決して忘れられない。
悩むものの望みは、いつまでもなくならない。というのが好きです。

No.1001 2006/10/09(Mon) 20:15:35

Re: 詩篇9章 / 昌夫 引用

詩篇第9篇と10篇は、もともとはひとつの詩であるようです。日本語の訳では分かりようがないですが、9-10でへブル語のアルファベットが順番に、まとまりの最初の文字に使われています。長くなりますが、時間があったら9-10篇を一緒に読むようにすると良いと思います。

>私は18節の、
貧しいものは決して忘れられない。
悩むものの望みは、いつまでもなくならない。というのが好きです。

神さまは、貧しく、悩む人に、未来への真実の希望を与えてくださいます。素晴らしいですね。

>3節の私の敵は退くとき、つまずき、貴方の前で、ついえ去ります。とはどういうことだろうか?

「退くとき」とは、軍隊などが、負けて退却することを表します。ダビデは、たくさんの戦争を戦った人なので、敵の軍が退却するところをイメージとして浮かべると良いと思います。「ついえ去る」とは「すっかりだめになって、去っていく」という意味です。

>5節の
あなたは国々をおしかりになり、悪者を滅ぼし

ダビデ王は、イスラエルの王として、まわりのいろいろな国々と戦争をしました。その国々をさしています。「名をとこしえに消し去られた」とは、国や民族の名が戦争などで負けて、もうこの世に存在しなくなることです。例えば、今でもユダヤ民族は存在して、イスラエルの国に住んでいますが、ダビデのころは力のあったヒッタイトという民族も国ももう存在しません。

>殺したのだろうか?

戦争なので、撒けたら殺された人々が多いと思います。イスラエルの国で奴隷とされた人々もいます。真の神さまに信仰を持った人々は、信仰によって霊的に死んで生まれ変わるので、イスラエルの民となって生きた人々もいます。イエスさまの先祖にも、ラハブ、ルツなど、そいうい人たちがいます。

>敵は、絶え果てて永遠の廃墟。
あなたが根扱ぎにされた町々

戦争で、敵の町の要塞化された壁や、街路、家々が破壊され、廃墟となった町々を表現しています。

>記憶さえ消えうせたとはどういうことだろうか?

戦争で廃墟された町々のことを覚えている人々がいなくなったりして、その町々での生活の記憶がなくなっていることを表現しています。

>16節の後のヒガヨン セラとはどういう意味だろうか?

セラは、意味不明です。聖書の中には、今となっては、どういう意味だったか、全く分からないことばも多くあります。音楽とか、何か宗教の行事に使われる意味があったのだろうなどと推測されます。ヒガヨシの方も、おそらく、そのような意味不明のことばのひとつだと思います。

No.1005 2006/10/10(Tue) 06:03:12

再詩篇9章 / 沙耶香 引用

今日はもう一度9章を読んでみました。

3節は戦争で闘って負けてすっかり駄目になったことが書かれているのですね?でもあなたの前で、ついえ去りますとあります。このあなたとはイエス様のことだと思ったのですが、イエス様の前でだと意味がちょっとおかしくなります。だって戦争で負けてもイエス様の前ですっかり駄目になったことにはならないと思うのですが・・・
では5節はいろんな国々と戦争をして負けた国の人は悪者だということになりますよ。だってあなたは国々をおしかりになり、悪者を滅ぼし・・・とあります。
なんかちょっとおかしいことないかな?
結局7から9節は、最後の審判のことなの?
今回は12節の
血に報いる方は、彼らを心にとめ、
貧しいものの叫びをお忘れにならない
というところが印象に残りました。
私たち弱者には嬉しい御言葉で、弱さに強い神様です。

この聖書が作られた時代は全く世界情勢が違うので、その時代のことが分からないと聖書の理解はできないですね・・・本当に難しい。

今日の夜9,10節をあわせて読んでみます。

No.1007 2006/10/10(Tue) 11:28:59

Re: 詩篇9章 / 昌夫 引用

3節の「あなた」は神さまです。神さまの前で、神さまの御力によって、神さまを信仰しない悪者が戦争に負けた様子を3節で描いています。

旧約聖書の時代には、人間としてのイエスさまはまだお生まれになっておらず、世界を創造された真の神さまを信仰する人たちは、イスラエル以外の国にはほとんどいなかったのです。だから、イスラエル以外の国々のほとんど全部の人々が、真の神さまを信仰していないという、聖書の意味での悪者だったのですそう考えると、5節で、イスラエルに負けた国の人は悪者だったということで、問題なく意味がわかると思います。

>結局7から9節は、最後の審判のことなの?

うん、そうだと思います。

>今回は12節の
血に報いる方は、彼らを心にとめ、
貧しいものの叫びをお忘れにならない
というところが印象に残りました。

印象に残ったところは、何回も読んだり、祈りにもとりいれたりして、聖書の御ことばに親しむようにすると良いと思います。

No.1011 2006/10/11(Wed) 00:23:28

Re: 詩篇9章 / 昌夫 引用

>結局7から9節は、最後の審判のことなの?

そうだと思うと書いたけれど、ちょっとつけたしておきます。聖書を読むときに、人間としての著者が、自分の意図した読者に、何を伝えてどういう風に読者に行動したり、考えたりしてほしかったのか、ということが大切になると思います。このことを、僕は聖書に書いてあることの「意味」と呼んでいます。これに対して、神さまが現代の読者に、何を伝えて、どういう風に行動したり考えたりしてほしいと思っておられるかは、「意義」と呼んでいます。意味はひとつだけだけれど、意義は、人と時によって違ってきます。

ダビデのころは、まだ最後の審判については、神さまははっきり示しておられなかったので、7-9節で、ダビデが最後の審判の意味で裁きのことを書いたとは思いません。当時の国々や国民へのさばきを見て、そのさばきのことを書いたと思います。

最後の審判について、神さまに示された僕たちが読むとき、ここは最後の審判のことを書いていると、とらえて、問題ないと思います。

No.1018 2006/10/12(Thu) 01:45:57
詩篇9,10章 / 沙耶香 引用

今日は管理人さんのお勧めで、詩篇の9,10章を続けて読んでみました。

9章はセラがよく出てくるのに、10章には出てこないですね・・・
10章の2節は、神の存在をわきまえぬものが、自分のした悪い罠に自分が引っかかるように祈っているのだろうか?
10節に
不幸な人は、強いものによって砕かれ、うずくまり、
倒れるとありますが、私のことのようです。私はずっとこうでした。今も困難が続きます。
12節の解説のところに貧しいもの=信仰者とありますが、どういうことだろうか?貧しいものっていうのは信仰者のことなの?
それともこの節だけ貧しいもの=信仰者という意味で捕らえているの?
何だか割りと私たち弱者の味方という感じの詩が多くて17節に、主よ、あなたは貧しい者の願いを聞いてくださいましたとあります。嬉しいです。

No.1008 2006/10/10(Tue) 21:06:01

Re: 詩篇9,10章 / 昌夫 引用

>10章の2節は、神の存在をわきまえぬものが、自分のした悪い罠に自分が引っかかるように祈っているのだろうか?

そうですね。ダビデが、悪者が自分のしかけた罠に自分が引っかかるように願って、祈っています。

>12節の解説のところに貧しいもの=信仰者とありますが、どういうことだろうか?貧しいものっていうのは信仰者のことなの?

英語の聖書では、ここの「貧しいもの」は「苦しめられているもの」という意味のことばになっています。もとのへブル語の単語が、どういう意味になっていたか、僕には分かりませんが、おそらく信仰者ということばではなく、「悪者のによって苦しめられている人たち」という意味だと思います。沙耶香さんの持っておられる聖書の解説は、聖書を日本語に訳した学者たちの考えなので、良い解説が多いだろうけれど、神さまの御ことばのように絶対視する必要はありません。

No.1012 2006/10/11(Wed) 00:38:12

Re: 詩篇9,10章 / 沙耶香 引用

今朝は、もう一度詩篇9,10章を読んでみました。

しかし、やはりその時代背景が分からないと分からないところも多いですね・・・
牧師や伝道師のように聖書の勉強されている人は、みんな、その時代背景までも勉強されているのだろうか?

今回9章では、9節の
主はしいたげられた者のとりで、
苦しみのときのとりで。というのが印象に残りました。
私はずっと苦しみ虐げられて生きてきました。
だからこそ神様と知り合って救われました。

10章では15節の
悪者と、よこしまなものの腕を折り、
その悪を捜し求めて
ひとつも残らぬようにしてください。というのが印象に残りました。
私は学生時代はいじめられっこで家に閉じこもってからもいろんな人に騙されてひどい目にあってきました。
だからこういう御言葉は嬉しいです。

No.1014 2006/10/11(Wed) 10:10:28

Re: 詩篇9,10章 / 昌夫 引用

>牧師や伝道師のように聖書の勉強されている人は、みんな、その時代背景までも勉強されているのだろうか?

そうだと思います。神学校などで教育を受けると、時代背景など、研究されてきたことを教えてくれるはずです。

>私はずっと苦しみ虐げられて生きてきました。
だからこそ神様と知り合って救われました。

神さまを知らずに自分は完全に幸福だと思っている人は、神さまの方に振り向くことはできないと思います。

>私は学生時代はいじめられっこで家に閉じこもってからもいろんな人に騙されてひどい目にあってきました。
だからこういう御言葉は嬉しいです。

神さまが公平にさばかれるということは、素晴らしいことですね。自分に対する人間同士の罪は赦した上で、悪いことをした人の不幸を喜ぶというのでなく、神さまに対する悪人の罪が公平に罰されて神さまの義がなることを喜ぶのは、良いことだと思います。

No.1017 2006/10/12(Thu) 01:31:02
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