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(No Subject) / Aja 引用

どのように返事を書いたらよいのかわからなかったので離れた場所に書いてしまってすみません。沙耶香さんメールありがとうございます。確かに9年は長いですが年数は問題ではなく、イエス様との個人的な関係がどれだけ深く築けているかだと思うので、沙耶香さんのようにイエス様に強く信頼している心はすばらしいと思います。私はその点で今現在ゼロからのスタートだと思っています。
昌夫さんメールありがとうございます。フィリップヤンシーさんの本探してみます。ヨブ記からは学ぶことは多いですね。やはり神様に対する信頼、ということがポイントなのでしょうね。自己憐憫から解放されて神様を心の底から賛美し喜びに満たされるようになりたいです。

最近はヨハネの福音書を読んでいます。5章(:39)聖書の中に永遠の命がある、真理がある、と思っているので私は聖書を読んでいます。教会に行っています。イエス様は「それなのに、あなたがたは、いのちを得るためにわたしのもとに来ようとはしません」と言っています。イエス様のもとに行く、とはどうしたらよいのだろう?と思いました。「教会へ行く」ではなく「キリスト教を信じる」でもなく、ただイエス様と出会う(個人的に)ということは...。マタイ11章28節で「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのところに来なさい。」と言われるイエス様の言葉に素直に「はい。」と答えて飛んで行きたい気持ちです。

No.1004 2006/10/09(Mon) 22:14:50

Re: (No Subject) / 昌夫 引用

>離れた場所に書いてしまってすみません。

問題ありませんが、書き込みの下に返事をつけたいときは、書き込みの白い四角の右上にある、Res と書いた長四角をクリックしてください。掲示板用語で最初の書き込みをスレッド、それに対する返事をレスというようです。

>フィリップヤンシーさんの本探してみます

有名な本なので教会の本箱に置いてあることが多いと思います。僕が書いた邦訳は新しい版の訳で、もとの邦訳は、違った邦題だったように思います。

>ヨブ記からは学ぶことは多いですね。

そうですね。ヨブの購う方(イエスさま)に信頼して、父なる神さまに挑戦する、という神さまとの会い方は、神さまと議論したアブラハムや格闘したヤコブのような、男性的な会い方だと思います。男性でもダビデの会い方はかなり違うように感じます。でも、イエスさまへの信頼によって、苦しみと悩みの中での自己憐憫から解放していただき、父なる神さまの前に勇気を持って出る、という風に理解すると、男女をとわず、かなり多くの人にあてはまるのではないか、と思います。それと、神さまの愛は、僕たちが望むようなサンタクロース的な愛ではなくて、僕たちの永遠の益になることなら、とても苦しいことでもお与えになる厳しい愛であることが、ヨブ記のひとつのポイントだと思います。

どうかAjaさんに、イエスさまへのより深い個人的な出会いと信頼を与えて、自己憐憫から完全に解放してくださいませ。父なる神さまの、甘美で厳しい愛をより深く実感できるようにして、神さまへの心からの賛美と感謝へとお導きくださり、喜びと平安を与えてくださいませ。僕にも、そのようにしてくださいませ。きっとこの願いをかなえていただくことを信じて感謝します。

ヨハネ5:39で、イエスさまが「聖書」と呼んでおられるのは、旧約聖書であるということも大切なことだと思います。イエスさまと個人的に出会うのに、旧約聖書
でのイエスさまについての証言をよく知るようになることが助けになると思います。

この目的で旧約聖書を読むときに、預言とタイポロジーを分けて考えるのが有用だと思います。例えば、詩篇第2篇は、イエスさまについての預言であると僕は思います。最後の主に身を避ける人は幸いである、ということを、人間の王について聖書が言うことは、ありえないと思うからです。タイポロジーは、いろいろに定義されていますが、原子と太陽系が似ているように、神さまが同じ型を何回も使われること、と僕は考えます。ヨハネの4章は創世記で同じ型が何回かくりかえされる井戸のそばでの男性と女性の出会いのタイポロジーです。イエスさまがサマリアの女に井戸のそばで合って、アッシリアの進攻以来、異邦人の先祖の多いサマリアの人たちが、イエスさまと結婚する信仰者の集まりとしての教会に入るからです。

No.1006 2006/10/10(Tue) 07:42:23

本 / Aja 引用

キリスト教書店へ行って探してみましたがありませんでした。どうやら絶版のようです...。かわりにC.Sルイスの「痛みの問題」を買って帰りました。似たようなテーマの本のようでしたので。
「私を探し求めるなら私と出会うであろう」と言われる神様の約束を信じて、私なりに神様と格闘をしていきたいです

No.1009 2006/10/10(Tue) 23:13:20

Re: (No Subject) / 昌夫 引用

>C.Sルイスの「痛みの問題」を買って帰りました。

僕はこの本はまだ読んでいませんが、ヤンシーの本にも引用されていました。僕の聞いた話ではC.S.ルイスは、この本を書いた後に、アメリカから来た女性と結婚して、その女性が病気で亡くなるという苦しみを体験しました。彼は、子供のときに母をなくして、愛する女性を失う苦しみを2度と体験したくないと思って、長い間、結婚しなかったそうです。けれども、この女性を愛し、また、愛した女性を失うという経験をしました。その後に、Grief Observed という、苦しみと神さまの関係についての、2冊目の本を書いたそうです。C.S.ルイスの結婚については、アンソニー・ホプキンス主演の映画があって、彼がC.S.ルイスを名演しているそうです。

No.1013 2006/10/11(Wed) 00:48:35
詩篇8章 / 沙耶香 引用

今日は詩篇8章を読んでみました。

1節の私たちの主、主よ。って主を二回読んでいるなんて珍しいですね・・・それとももっとたくさんそういう箇所あるんだろうか?
1節の解説の貴方の御名=神の名と神ご自身とは不可分であるということの意味がわからない。不可分でどういうことだろうか?
2節の
あなたは幼子と乳飲み子たちの口によって、
力を打ち建てられました。
それは、あなたに敵対するもののため、
敵と復讐するものとをしずめるためでした。
とはどういうことだろうか?分からない・・・
3節の
あなたの指のわざである天を見、
あなたが整えられた月や星を見ますのに、とはどういうことだろうか?
6節の解説のあなたの御手の多くのわざ=被造世界全体とはどういう意味だろうか?
6節の解説の足の下に置かれました=支配を表す象徴的な表現。人間は被造世界の管理者であるとありますが、ということは人間が一番偉いということですか?私は管理者は神様だと思っていたのですが・・・
7,8節のすべて、羊も牛もまた、野の獣も、
そらの鳥、海の魚、海路を通うものもとはどういうことだろうか?解説には家畜、野生動物など、すべての動物がゆだねられているとありますが、何にゆだねているんだろうか?意味がわからない・・・

聖書のこの8章の少しを読むのにもかなり苦労するし、理解が困難ですね・・・聖書全体を読んで理解するのはかなり至難の業でしょうね・・・

No.993 2006/10/08(Sun) 20:32:47

再詩篇8章 / 沙耶香 引用

今朝はもう一度詩篇8章を読みました。

5節のあなたは、人を神よりいくらか劣るものとし、
これに栄光と誉れの冠をかぶらせました。とありますが、人は神よりいくらか劣るものなのか?人間は神の形に作られた貴重な存在ではなかったのか?ま、でも神様に比べたら劣るということなのか?

6,7,8節の、
あなたの御手の多くのわざを人に治めさせ、
万物を彼の足の下に置かれました。
すべて、羊も牛も、また、野の獣も、
空の鳥、海の魚、海路を通うものも。
というのは、結局はすべて神様が牛耳っているんだと言いたいのだろうか?
いろいろと難しいですね・・・

No.996 2006/10/09(Mon) 06:17:32

Re: 詩篇8章 / 昌夫 引用

これは、沙耶香さんの一回目に読まれた感想へのレスです。

>1節の私たちの主、主よ。って主を二回読んでいるなんて珍しいですね

沙耶香さんの聖書は新改訳だと思いますが、2回目の主は太字になっているはずです。新解訳の太字の主は、もとのへブル語ではヤハウエという神さまの、イスラエルとの契約の名が書いてあるそうです。

>不可分でどういうことだろうか?
分かつことができない、という意味です。へブル語の「名」とは「呼び名」ではなくて、性質、本質というような意味のようです。だから神さまと、神さまの御名(本質)は、区別して考えることができない、ということです。

>それは、あなたに敵対するもののため、
敵と復讐するものとをしずめるためでした。

へブル語の詩は繰り返しが多いです。「あなたに敵対するもの」と「敵と復讐するもの」は同じような意味で、神さまに聞き従わない人ということだと思います。そういう人は自分の力を信じて、自分の力をふりまわしていることが多いですが、それを「しずめる」、「やめさせる」ということだと思います。

>あなたの指のわざである天を見、
あなたが整えられた月や星を見ますのに、とはどういうことだろうか?

神さまが造られた天や、月や星を見て、人間の力のなさを人間の著者(絶対ではないけれど、ダビデだろうと思うので、これからは、いちいち断らないで、ダビデとします。)が感じているところです。

No.997 2006/10/09(Mon) 07:03:35

Re: 詩篇8章 / 昌夫 引用

これは、再度読まれたあとの感想へのレスです。

>人は神よりいくらか劣るものなのか?

5節の「神」は創造主である神さまのことではなく、御使いのことだと思います。新約聖書のへブル書2章6,7,8節に、ここが引用されていますが、「神」ではなく、「御使い」となっています。新改訳の聖書は、へブル語からの翻訳ですが、へブル語の「神」という意味の「エロヒム」という言葉は、御使いにも使われたようです。つまり、創造主である神さまは、この世では人間を御使いよりもいくらか劣るものとして造られたということだと思います。

>人間は神の形に作られた貴重な存在ではなかったのか?

人間は誰もが神の形に造られた貴重な存在ですが、完璧な神さまに比べて、あらゆる意味で、「いくらか」ではなく、「言葉に言い表せないほど」劣っていると思います。

>というのは、結局はすべて神様が牛耳っているんだと言いたいのだろうか?

「牛耳る」という言葉は、悪者が支配するときに使う言葉なので、神さまには使わないようにしてください。6、7、8節は、神さまが人間に被造物を管理させておられる、ということを言っていると思います。

僕は第8篇は、特に4節が好きです。ひとりひとりの人間は、大きな宇宙の中で、小さい、取るに足らないものですが、大きなウ宇宙を造られた神さまが、人間を心にとめてくださり、顧みてくださいます。

No.998 2006/10/09(Mon) 07:20:35

Re: 詩篇8章 / 沙耶香 引用

一度大垣先生の解説を見たときは思わなかったけれど、もう一度読んでみると、御使いってなんだろう?と思いました。
被造物ってなんだろうか?

No.1002 2006/10/09(Mon) 20:22:19

Re: 詩篇8章 / 昌夫 引用

>御使いってなんだろう?

御使いとは、普通には天使とよばれる存在です。

>被造物ってなんだろうか?

被造物とは、「神さまが造られた物」という意味です。

No.1003 2006/10/09(Mon) 21:28:16
こんばんは / Aja 引用

バプテスマを受けて9年になりますが、信仰生活を送る中でいろいろなことがあり、神様との個人的な生きた関係というのが自分に欠けていることを実感させられました。半年ほど前から「神様は人間を愛しているから人間をつくった」ということへの疑問がどうしても解決できなくなりました。生きていても苦しいことの方が多いし、生きることが喜びだとは思えない、神様が人間を愛しているならもう人間をつくらない方がいいのではないか、私はCENSOREDとは思わないけれど生まれてきてよかったとは思っていない、もしも生まれてこないならその方がいいのではないか、そう考えました。でもこの私の考えは正しくはない、聖書はそんなことは言っていないとも思いました。今はもう一度神様に本当に出会いたいと思い、改めて求道中です。神様あなたの存在、あなたの愛で私を圧倒してください、と祈っています。神様の大きな愛の中に生かされていることを知っていきたいです。

No.994 2006/10/08(Sun) 21:44:08

Re: こんばんは / 沙耶香 引用

Ajaさん、こんばんは。
バプテスマを受けて9年てもう相当長いですね・・・
私なんかはまだまだひよっこです。

私はいつもいつも困難が次々に襲ってきて、苦しくていつもCENSOREDCENSOREDと考えています。
ですが、私はイエス様を信頼しているので、信じて一歩一歩信仰の道を歩んでいます。
そんな中でイエス様的いろんな祝福を受けてきたし、今も受け続けているし、今後もまだまだどんどん受けていくと信じ期待し感謝します。

No.995 2006/10/09(Mon) 01:14:09

Re: こんばんは / 昌夫 引用

Ajaさん、こんばんは。
 フィリップ・ヤンシーの本にWhere is God when it hurts というのがあって、邦訳もいのちのことば社から出ていたようですが、出版社のHPで検索しても出てきませんでした。この本で、ハンセン病の比較的最近の研究の成果を読んで、僕の苦しみや痛みと、神さまの愛の関係に関する考えは、大きく変わりました。インドでハンセン病の療養所にいた医者が、病人の少年と庭を散歩しているとき、納屋を見つけたそうです。その納屋にはさびた鍵がついていて、医者が鍵を回そうとすると固くて回らなかったそうです。それで、少年が「僕にやらせて」と言って、回すと、簡単に回したので、医者は驚きました。でも、見ると、血が流れていて、少年の指はとれそうになっていたそうです。
 この医者は研究して、ハンセン病を引き起こすらい歯は体の組織を直接攻撃すると長く思われていたのは間違いで、実はらい菌は痛みの神経を麻痺させるだけだということを発見したそうです。病人は、くぎを踏んでも、痛くないので、そのまま歩き回り、やがて足がくさってきたり、まばたきしないでも痛くないので、いつまでもまばたきしないで、目が見えなくなったりします。
これを読んで、痛みはいやなものだけど、神さまは、痛みの神経を絶妙に造ってくださったことに気づきました。例えば目にごみが入れば、とても痛いけれど、指にごみを持っても痛くない。でも、指は、微妙な重さの違いを感じることができる。痛みが、僕たちの歓迎しない祝福であるとすると、苦しみもそうなのかもしれません。そういえば、人間は最も素晴らしい喜びというのは、苦しみの後に感じるようです。苦しい山登りをして山の頂上に立った人も、ヘリコプターで頂上に立つ人も、同じ景色を見ることができるけれど、喜びは全く違うと思います。
 それでヨブ記のことを思いました。ヨブはあまりの苦しみを受けたとき、3章で自分の生まれた日を呪いました。ヨブも生きることが喜びとは思えなかったのですね。なぐさめに来たはずの3人の友人に「あなたは罪を犯したから罰を受けている」という意味のことを言われて、よけいに苦しみました。そしてヨブが神さまを信頼してより頼んだとき、19:25で

私は知っている。
私を購う方は生きておられ、
後の日にちりの上に立たれることを。

という素晴らしい啓示を受けました。そして、ヨブは3章での自己憐憫から解放されて、神さまへの信頼を深くして、31章で大胆に、神さまに対して、無実の誓いの挑戦をしました。ヘブル書にあるように、購う方を信じて、神さまの前に出たのだと思います。この挑戦はいきすぎだったのでしょうが、購う方を信頼して、大胆に神さまの前に出たヨブに、神さまは、神さまから聞くだけではなく「神さまを見る」という圧倒的な出会いを与えられて応えられました。神さまとの再度の出会いを求めておられるAjaさんにも、必ず神さまとの圧倒的な出会いが与えられると信じて感謝します。

No.999 2006/10/09(Mon) 08:16:46

Re: こんばんは / 昌夫 引用

さらに検索したところフィリップ・ヤンシーの本は「痛むキリスト者とともに」という邦題でした。出版社でもアマゾンでも在庫切れになっています。

No.1000 2006/10/09(Mon) 08:37:55
詩篇7章 / 沙耶香 引用

今日は詩篇7章を読んでみました。

いつも一通り読んでもあまり意味がわからないです。

4節のもし私が、親しいともに悪い仕打ちをしたのなら、また、私に敵対するものから、ゆえなく奪ったのなら、とありますが、ゆえなく何を奪ったのですか?
8節の主は諸国の民をさばかれる。
主よ、私の義と、私にある誠実とにしたがって、私を弁護くださいとありますが、どういう意味だろうか?
解説に犯罪の有無とあるが、犯罪があるかないかを弁護するってどういうことだろうか?うーん、分からない・・・

結局は悔い改めないと神様の御怒りをかうということだろうか?

No.989 2006/10/07(Sat) 20:22:01

Re: 詩篇7章 / 昌夫 引用

「ダビデの」と最初に書いてあっても、へブル語では「ダビデによる」のほかに、「ダビデについて」「ダビデのために」などの意味がありえるそうです。それで、人間の著者はダビデかどうか、はっきりしないのですが、この第7篇については、「ダビデが主に歌った」と
あるので、ダビデが著者です。

>4節のもし私が、親しいともに悪い仕打ちをしたのなら、また、私に敵対するものから、ゆえなく奪ったのなら、とありますが、ゆえなく何を奪ったのですか?

何を奪ったかは書いてありません。詩篇は詩なので、そういうところまで特定しないことが多いのです。3-5節では、ダビデは、敵に何かをゆえなく奪ったと訴えられていて、法廷で、「自分は無実の罪で訴えられている。もし、無実でないなら、神に、敵に追いつかれたり、死んだりする呪いを受けても良い。」と誓っています。このような法廷での無実の誓いは、当時のイスラエルはその周りの国々で一般的に行われていたようです。

>8節の主は諸国の民をさばかれる。
主よ、私の義と、私にある誠実とにしたがって、私を弁護くださいとありますが、どういう意味だろうか?

ダビデは何かをゆえなく奪った犯罪を犯したとして、法廷で訴えられていて、主は、その法廷だけでなく、全世界のさばきをされるということを書き、そして、神さまが法廷での彼の弁護を助けてくださることを祈っていると思います。

これも哀歌なので、苦しいときの祈りとして読むと良いと思います。特に、9-11節で、神さまが悪をさばかれ、正しい人は救われるという、神さまへの信頼を言明していることに注目してください。

No.991 2006/10/07(Sat) 21:23:30

再詩篇7章 / 沙耶香 引用

今朝はもう一度詩篇7章を読んでみました。管理人さんの解説も合わせて読んでみようと思います。
4,5節はすごいですね・・・
自分がそういう悪い仕打ちをしたら自分を懲らしめてくれという感じで、当時のイスラエルの周りの国々で一般的に行われていたなんてすごいなー・・・よっぽどイエス様を信頼されていたんですね・・・

じゃ悪いことをして裁きを受けるときもイエス様がその裁きのときにも弁護されるのですか?だったら悪いことに対してあまり審判されないんですね?・・・これもよく分からない・・・

うん、9から11節は、
どうか悪者の悪があとを絶ち、
あなたが正しい者を堅く立てられますように。
正しい神は、心と思いを調べられます。
私のたては神にあり、神は心のすぐな人を救われる。
神は正しい審判者、日々、怒る神。
とあります。
でも審判でも神様が弁護されるのですか?そうしたらあまり最後の審判で悪者が裁かれるということにはならないのではないのですか?

No.992 2006/10/08(Sun) 07:27:00
詩篇6章 / 沙耶香 引用

今日は詩篇6章を読みました。

3節の主よ。いつまでですか。あなたは。とは何のことだろうか?解説のところに特徴的な嘆きのことばとありますが、何のことだかさっぱり分からない。

5節の死にあっては、あなたを覚えることはありません。
よみにあっては、だれが、あなたをほめたたえるでしょうとはどういうことなのか?
解説のところに死者は不浄なものと考えられていたとありますが、だったらみんな死ぬのだから人間はみんな死んで不浄なものになるのですか?何だか分からない・・・
6節の私のふしどを押し流しますの、ふしどってなんだろうか?意味不明・・・
6,7節の私とは一体誰のことだろうか?読んでいる本人のことだろうか?
10節の
私の敵は、みな恥を見、ただ、恐れおののきますように。彼らは、退き、恥を見ますように。またたくまに。とありますが、敵の敗退を喜んでいるように思えますが、私、イエス様は敵の祝福をも喜んで上げなさいという考えだと思っていたのです。違うのですか?

No.983 2006/10/06(Fri) 20:27:19

Re: 詩篇6章 / 昌夫 引用

第6篇も哀歌で、2-3節のように病気で、霊的にも不安に苦しんでいる人の祈りを詩にしてあります。

>3節の主よ。いつまでですか。あなたは。とは何のことだろうか?

主よ、いつまでこの苦しみがつづくのですか。あなたは、いつこの苦しみから救ってくださるのですか、という問いかけだと思います。

>5節の死にあっては、あなたを覚えることはありません。よみにあっては、だれが、あなたをほめたたえるでしょうとはどういうことなのか?

旧約のころは、死んだ人は正しい人も悪者も、みな「よみ」という所に行ったようです。5節では、病気で死にそうになっている人が、死んでしまって、よみに行けば、そこで神さまを賛美することができない、ということを言っているようです。

>だったらみんな死ぬのだから人間はみんな死んで不浄なものになるのですか?

罪のほかに霊的な「けがれ」ということが、旧約聖書に書いてあります。罪でけがれることもありますが、子を産んだだけでもけがれるので、罪と関係なく、けがれることがあります。死体はけがれているということが、書いてあります。これは、死んだ人が不浄であるということではないと思います。

>ふしどってなんだろうか?

言い方は違うけれど寝床のことです。ヘブル語の詩は繰り返しが多く、同じ意味のことを違ういいまわしで、繰り返し書くことが多いです。

>6,7節の私とは一体誰のことだろうか?

この詩の著者のことです。

>私、イエス様は敵の祝福をも喜んで上げなさいという考えだと思っていたのです。違うのですか?

それで基本的に良いと思います。ところが詩篇の第35、69、109篇では、もっと激しく神さまに敵を呪ってくださるように、お願いして祈っています。新約でも、黙示6章10節で、聖徒たちが、神さまが悪人をさばかれるのを待っています。

これらを考えあわせると、敵を愛し、敵の祝福を願うということと、悪人である敵の神さまに対する悪の行為を、公平にさばいてくださるように、と願うことは、両立するようです。例えば、人間に対する罪は赦しあわないといけないけれど、神さまに対する罪は、人間は赦すことができないので、神さまが呪われることを願うことは良いことなのかもしれません。

No.985 2006/10/06(Fri) 23:12:32

再詩篇6章 / 沙耶香 引用

今朝はもう一度詩篇6章を読んでいます。管理人さんの解説を交えてもう一度読んでみます。

この詩篇の著者は神様じゃないのですか?神様が誰かを使って書かせているのですよね?だから著者は神様ということになりませんか?

病気で苦しんでいる人の詩だったら私にぴったりですね・・
じゃ旧約のころは病気で死にそうになっている人は天国には行けなかったの?
今は病気で死にそうになっている人も天国にいけるの?
今はいけるんだったら何でですか?

えー死体はけがれているんですか?子供を生んでも不浄なの?うーん、全く分からない・・・イエス様のお考えって不思議ですね・・・

10節の解釈は難しいですね・・・敵を赦して敵の祝福を願い、罪を憎んで人を憎まずで、罪のための公平な裁きは神様に委ねるという姿勢だと思っていたのですが、委ねるのではなく、イエス様に敵がのろわれることを願うことが御心なの?
うーん、何だか難しい。あまり考えているとまた混乱してくるので止めます。

No.987 2006/10/07(Sat) 10:01:20

Re: 詩篇6章 / 昌夫 引用

>だから著者は神様ということになりませんか?

そうですね。そういう意味で聖書の著者は神さまです。結局、聖書の文を読むときに一番大切なのは、神さまが、読んでいる僕たちに何を伝えようとされているかということだと思います。同じ文からでも何を伝えようとされるかは、時と場合によって違ってきます。でも、神さまの伝えようとされることを誤解しないように人間が受け止めることは難しいです。それで、その文を書いた人間の著者が、著者の想定した読者に何を伝えようとしたか、という文の意味をまず理解しようとすることが大切だと思います。今、神さまが僕たちに伝えようとされることは、文の意味とそれほどかけはなれていないはずだからです。このために、人間の著者のことをできるかぎり知ろうとすることが大切だと思います。

>じゃ旧約のころは病気で死にそうになっている人は天国には行けなかったの?

天の御国がまだ来ていなかったし、最後の審判はまだなので、旧約のときに死んだ人たちは、正しい人も悪い人も「よみ」というところに行ったようです。イエスさまが来られたころに、天の御国が来たので、イエスさまを信じた人は天の御国の市民とされて、死んだらよみに行かずに、その日のうちにパラダイスに行くようです。ルカ23:43で、イエスさまの十字架の横にいた犯罪人のひとりは、その日のうちにパラダイスに行くことを、イエスさまが言明されています。

>うーん、全く分からない・・・イエス様のお考えって不思議ですね・・・

不思議で理解超えています。ただ、日本で、葬式に行った後に、塩で清めたりするのは、この「死体のけがれ」という考えからだと思います。

>10節の解釈は難しいですね

とても難しいです。

>罪のための公平な裁きは神様に委ねるねるという姿勢だと思っていたのですが、委ねるのではなく、イエス様に敵がのろわれることを願うことが御心なの?

神さまに委ねるために、敵の神さまへの罪について、神さまが罰してくださるように祈るということなのかな、と思います。このことは、とても難しいので、混乱してくるようなら、今は考えないほうが良いということだと思います。

No.990 2006/10/07(Sat) 20:51:41
再詩篇5章 / 沙耶香 引用

今朝は詩篇の5章をもう一度読んでみました。

私のように活字アレルギーの人は少しの部分をもう一度読んだほうが頭の中に残っていきやすいと思います。
聖書が意味不明な人、一度やってみてください。

では大垣先生の解説と1から3節までを参考にして祈ってみたいと思います。

私は今家庭内でも苦しくて体調精神状態も最悪です。
しかし主は頼れるお方・・・
私の言うことを耳に入れてください。主よ。私のうめきを聞き取ってください。
私の叫び声を心にとめてください。
私の王、私の神。私はあなたに祈っています。
どうか私の家庭内問題を解決してください。
そして体調精神状態をよくしてください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・

7節のあなたの家=神様を礼拝するためのテントね・・

11,12節の彼とはクリスチャンのことだろうか?

No.981 2006/10/06(Fri) 10:34:40

Re: 再詩篇5章 / 昌夫 引用

詩篇を読んで自分の祈りを変えていくのは、とても素晴らしいことだと思います。僕も2節と11-12節を参考にして祈ってみます。

家庭内で苦しく、体調精神状態も悪い
沙耶香さんの祈りの声を心に留めてください。
あなたに身を避ける沙耶香さんが喜びをあたえられ、
とこしえまでも喜び歌いますように。
あなたが沙耶香さんをかばってくださり、
御名を愛する沙耶香さんが
あなたを誇りますように。
主キリストよ。まことに、あなたはあなたに出会って信頼する沙耶香さんを祝福し、
大盾で囲むように愛で、沙耶香さんを囲まれます。

>神様を礼拝するためのテント

このテントを天幕といい、聖書に何回も出てくるので、言葉を覚えておいてください。

>11,12節の彼とはクリスチャンのことだろうか?

ここの彼とは、神さまに身を避ける人、信仰によって罪を赦され、神さまに聞き従おうとしているという意味で「正しい」人。この詩が書かれた旧約の時代には、まだ、イエスさまは人間として生まれてこられていなかったので、クリスチャンはいませんでした。

No.986 2006/10/07(Sat) 07:08:40

Re: 再詩篇5章 / 沙耶香 引用

私はまだまだ、聖書を用いて祈るとかいうことが未熟者なので、なかなかできないので、参考になって嬉しいし、私のために祈ってくれて感謝します。

天幕=テント・・・覚えておきます。

家庭内で苦しく、体調精神状態も悪い
私の祈りの声に心を留めてください。
貴方に身を避ける私が喜びを与えられ、
とこしえまでも喜び歌いますように。
あなたが私を家族や病気からかばってくださり、
御名を愛する私が、
あなたを誇りますように。
主イエス様、まことにあなたはあなたに出会って信頼する私を祝福し、大盾で囲むように愛で私を囲まれます。

本当にそうですね・・・イエス様で包まれたいです。

No.988 2006/10/07(Sat) 10:11:14
詩篇5章 / 沙耶香 引用

今日は詩篇5章を読みました。

1から3節までは、定められた礼拝と祈祷の時間にきちんと心の準備をして臨む事が大切だと書かれてあるのでしょうか?
4節にわざわいは、あなたとともにすまないからですとありますが、何故か私には次々災いが起きますが、どうしてだろうか?御言葉は真実なのでしょ?だったら何で私はこんなに災いばかり続いて苦しいのだろうか?
5節の誇り高ぶるものたちは、御目の前に立つことはできませんとはどういうことだろうか?
誇り高ぶるものは、神様から程遠いということだろうか?神様からの恵みを受けられないということだろうか?
7節の豊かな恵みによって、あなたの家に行き、あなたを恐れつつ、あなたの聖なる宮に向かってひれ伏します。とはどういうことだろうか?
あなたの家って神様の家ってことでしょ?どこかな?うーん、分からない・・・・
10節の神よ。彼らを罪に定めてください。
彼らがおのれのはかりごとで倒れますように。
彼らのはなはだしいそむきのゆえに
彼らを追い散らしてください。
彼らはあなたに逆らうからです。とありますが、悪者を追い詰めようとしているように感じるのですが、解説には神の義の確立とありますが、一体どういうことだろうか?

うーん、やっぱり難しい・・・結局5章は何が言いたかったのだろうか?

No.979 2006/10/05(Thu) 21:19:30

Re: 詩篇5章 / 昌夫 引用

>結局5章は何が言いたかったのだろうか?

第5篇も、3篇のように、苦しみを神さまに訴える祈りを詩にした哀歌です。「何が言いたかったか」と問うより、自分が苦しいときの祈りに、どういうところを参考にするのが良いか、と考えながら、読んでみてください。

第3篇も5篇も、敵に迫害されて苦しんでいるところを詩にしています。第5篇は、第3篇と比べて、10節で、神さまが敵をさばいてくださるようにお願いしているところが特徴だと思います。自分が悪者を追い詰めようとしているのではなく、神さまが悪者の敵をさばいてくださるように、お願いしています。

>1から3節までは、定められた礼拝と祈祷の時間にきちんと心の準備をして臨む事が大切だと書かれてあるのでしょうか?

「見張りをいたします」のところの解釈が難しいですが、そのような意味もあるのかもしれません。心をこめて苦しみを訴える祈りを朝からしている、ということが大切なように思います。

>だったら何で私はこんなに災いばかり続いて苦しいのだろうか?

この世では、イエスさまが最も苦しい災いにあわれました。天国では、わざわいは神さまとともにないけれど、この世での災いというのは、災いのない天国に罪のある人間たちが行く祝福のために必要なものなのだろうと思います。

>誇り高ぶるものは、神様から程遠いということだろうか?

神さまに頼らず、神さまに与えられた自分の能力や健康やお金を誇り、高ぶる人たちは、神さまから遠ざかる道を進んでいます。

>神様からの恵みを受けられないということだろうか?

神さまは、悪者も愛されるので、いろいろな恵みは与えられることが多いと思います。ただし、永遠の命をいただく救いの恵みは、誇り高ぶる人は、悔い改めて神さまにより頼まない限り与えられないと思います。

>あなたの家って神様の家ってことでしょ?

ダビデのずっと前のときに、神さまがモーセを使ってイスラエルの民をエジプトから救われたときに、神さまと会うための場所として天幕(テント)を作りました。ダビデの子のソロモン王のときには、神殿が作られました。この第5篇はダビデが書いたと思うので、神さまを礼拝するための天幕のことを「あなたの家」、「聖なる宮」と言っていると思います。

No.980 2006/10/06(Fri) 00:29:58

Re: 詩篇5章 / 匿名 これっきりですから 引用

管理人さん。

管理人さんは、レス主に「先生」と呼ばれているのですから、回答にはもう少し配慮を加えなくてはならないのではないでしょうか?

>第5篇も、3篇のように、苦しみを神さまに訴える祈りを詩にした哀歌です。「何が言いたかったか」と問うより、自分が苦しいときの祈りに、どういうところを参この第5篇はダビデが書いたと思うので、神さまを礼拝するための天幕のことを「あなたの家」、「聖なる宮」と言っていると思います。

思います、思います、の連続で良いのでしょうか。

一言に「家」「宮」と言っても、それは「神がすまわるところ」という意味で、具体的な場所を指す場合もあれば、イスラエルの民全体を指す場合もあるでしょう。新約の視点からは、神に選ばれた人たちの心を指す場合もあるでしょう。

そういういろいろな視点から見てみて初めて、一定の解釈は成り立つのではないでしょうか。

手当たり次第に言葉の意味を解釈していては、その解釈を「教師からの教え」として受け取る相手に不要な混乱や間違った理解を与えてしまうのではないかと、僭越ですが、少々危惧しています。

沙耶香さんも沙耶香さんで、聖書をお読みになっておられることはまことにご結構なことではありますが、他の方々も掲示板をご利用しているのですから、まるでご自分の質問専用板のように次々に書き込みをなさるのは、もう少しお控えになった方が良いように私は思います。

No.982 2006/10/06(Fri) 11:20:39

Re: 詩篇5章 / 昌夫 引用

匿名の方、書き込みをありがとうございます。

>そういういろいろな視点から見てみて初めて、一定の解釈は成り立つのではないでしょうか。

いろいろな視点から見ることは本当に大切だと思います。僕の書き込みは、自分はこう「思って」読んでいる、という程度のことです。掲示板なので、違う視点を持った人々が違う視点を書いてくださるようになれば、不要な混乱や間違った解釈などの危険が小さくなると思います。

「先生」という呼び名だと、僕が聖書解釈の専門の先生か何かと勘違いする人がいるかもしれないので、これからは、沙耶香さんが、「昌夫さん」か「管理人さん」と呼んでくださるようにお願いします。

>もう少しお控えになった方が良いように私は思います。

管理人の立場からいうと、最近は常連の沙耶香さんのほかには、ほとんど誰も書き込んでいない掲示板なので、控えずに書き込みをつづけていただきたいと希望します。

No.984 2006/10/06(Fri) 21:48:38
再詩篇4章 / 沙耶香 引用

今朝は再度詩篇4章を読みました。
1節の私の義なる神とは私の正しさを弁護される神だということだが、でも人間完全な人なんていないんだから悪い部分もあるので、罪な部分はどうするんだろうか?

2節の人の子達よ。いつまで私の栄光をはずかしめ、むなしいものを愛し、まやかしものをしたい求めるのか?とありますが、
いつまでって人間は罪深いので一生じゃないの?でもイエス様はそういうこともわかっていらっしゃいますよね?

3節に主は、御自分の聖徒を特別に扱われるのだ。私が呼ぶとき、主は聞いてくださるのだとあります。
私たちクリスチャンを特別に扱われるそうですね・・・嬉しいです。
8節に私を安らかに住まわしてくださいますとあります。本当にイエス様は安らぎの地です。

イエス様イエス様いつも一緒だよ・・・

No.977 2006/10/05(Thu) 11:46:05

Re: 再詩篇4章 / 昌夫 引用

>1節の私の義なる神とは私の正しさを弁護される神だということだが、でも人間完全な人なんていないんだから悪い部分もあるので、罪な部分はどうするんだろうか?

ダビデのころは、イエスさまの生まれられるずっと前ですが、そのころもやはり、罪の部分は、神さまの御言葉を信頼する信仰によって罪が赦されたということが聖書に書いてあるように思います。その他に、旧約では、動物などのいけにえも罪のためにささげられました。

>いつまでって人間は罪深いので一生じゃないの?

信仰を持った人間は、だんだん神さまが変えられるので、完全ではなくとも、むなしいものより、イエスさまを愛し、まやかしものよりも、永遠に残るものをしたい求めるように、なっていくはずです。

>でもイエス様はそういうこともわかっていらっしゃいますよね?

人間が罪深く完全でないことは、イエスさまはよく知っておられ、そのために十字架の上での死を受け入れてくださいました。でも、僕たち信仰者は、完全ではなくとも、だんだん、神さまからいただく信仰の力によって、イエスさまへの愛を深めていくように、導かれるはずです。そうなっていないなら、神さまへの愛を深めていただくように、祈り求めていくことが重要だと思います。

>私たちクリスチャンを特別に扱われるそうですね・・・嬉しいです。

そうですね。神さまは全ての人間を愛してくださいますが、特に、イエスさまを信仰するものを神の子として特別に扱ってくださいます。

>イエス様イエス様いつも一緒だよ・・・

沙耶香さんは、聖書がそれほどよく理解できなくとも、イエスさまと出会って、イエスさまを信頼しているので、それが本当の信仰だと思います。聖書をいくらよく理解して、それを真実だと頭で思っても、イエスさまと個人的に出会って、イエスさまを信頼することができなければ、まだ本当に信仰を持ったとはいえないと思います。

No.978 2006/10/05(Thu) 20:00:18
詩篇4章 / 沙耶香 引用

今日は詩篇4章を読みました。
あ、何だか1節を読み終わり、2節を読んでいたときに何だか、少し、主のご臨在を感じました。気のせいかもしれないけれど、何だか感じた。
聖書を読んでいるときもいつも一緒です。イエス様は私の大切な心のよりどころ・・・
2節に、人の子たちよ、いつまで私の栄光をはずかしめ、むなしいものを愛し、まやかしものをしたい求めるのかとありますが・・本当にそうですね・・・
人の子=不信仰者とあるが、信仰者でも、ほとんどの人が大体むなしいものを愛し、まやかしものをしたい求めることが多いです。祈っても祈ってもなかなかこの世的なものへの執着は人間からは取れないようですね・・・
5節に
義のいけにえをささげ、主により頼めとあります。やっぱり神様の視点に立ち正しい生き方をし続け、神様に信頼することが一番いいのです。

結局4章は、何が言いたいのだろうか?神様に視点を置き、神様により求めていく生き方をしなさいということだろうか?

No.974 2006/10/04(Wed) 22:51:28

Re: 詩篇4章 / 昌夫 引用

>あ、何だか1節を読み終わり、2節を読んでいたときに何だか、少し、主のご臨在を感じました。

主はいつも沙耶香さんと一緒にいてくださるけれども、その実感がいただけるということは大きな祝福なので、感謝します。

>結局4章は、何が言いたいのだろうか?神様に視点を置き、神様により求めていく生き方をしなさいということだろうか?

第4篇は、神さまへの信頼を表明する祈りの詩です。なぜ祈りの詩が詩篇に多いかというと、教会などで、他の人の祈りを聞いて、自分もどういう風に祈るか学んでいくように、詩篇から、祈り方を学ぶということが、ひとつの目的であるように思います。

>信仰者でも、ほとんどの人が大体むなしいものを愛し、まやかしものをしたい求めることが多いです。

本当に、他人事でなく、人間の罪の性質というのは、根深いものがあります。

>5節に
義のいけにえをささげ、主により頼めとあります。やっぱり神様の視点に立ち正しい生き方をし続け、神様に信頼することが一番いいのです。

本当にそうですね。頭がこれが一番と分かったら、後は、そうできるように祈っていれば、神さまがだんだんできるようにしてくださいます。

No.976 2006/10/05(Thu) 00:01:34
再詩篇3章 / 沙耶香 引用

今朝はもう一度詩篇3章を読みました。
えーーじゃーアブシャロムってお父さんのダビデを殺そうとしたの?何でそんなことするんだろうか?何かお父さんに問題があったのだろうか?
えーーじゃアブシャロムは父親をCENSOREDために大勢で立ち向かったの?何でそんなことするんだろうか?
じゃ8節はダビデがイスラエルのクリスチャンのために祈っているのですか?
聖書も後ろにある情景が分からないと何が何だか分からないですね・・・
うーん、これを理解するのは至難の業ですね・・・

No.973 2006/10/04(Wed) 10:02:02

Re: 再詩篇3章 / 昌夫 引用

>えーーじゃーアブシャロムってお父さんのダビデを殺そうとしたの?何でそんなことするんだろうか?

自分がイスラエルの王になりたかったからです。

>何かお父さんに問題があったのだろうか?

アブシャロムは、自分の妹のタマルを無理やりはずかしめた、異母兄弟のアムノンを憎んで殺しました。それ以来、ダビデとの関係は、あまり良くなかったのです。

>えーーじゃアブシャロムは父親をCENSOREDために大勢で立ち向かったの?

そうです。これも自分が王になるためです。

>じゃ8節はダビデがイスラエルのクリスチャンのために祈っているのですか?

このころは、まだ、イエスさまの生まれられる1000年近く前なので、クリスチャンはいなかったのです。神さまは、アブラハムの信仰によって、彼の子孫のイスラエルの民を選ばれて神の民とされました。そのイスラエルの民のためにダビデが祈っています。

No.975 2006/10/04(Wed) 23:45:05
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