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信仰の友 / 沙耶香 引用

天の愛するお父様神様イエス様、私に信仰の抜群のパートナーを与えてくださり心より感謝します。
私なんかのたわごとをまともに聞いてくれていろいろなアドバイスをくれたり、時に戒めたり励ましてくれたりいろいろしてくれます。
そのような指示を信仰の先輩に与えてくださるイエス様に感謝します。

No.812 2006/06/09(Fri) 09:04:05

Re: 信仰の友 / 昌夫 引用

アダムが罪を犯さないでエデンの園で神さまとともにいても、神さまが「人が、ひとりでいるのは良くない。」と言われました。僕たち人間が、友を必要としていることを知って、友をくださる神さまの慈しみと御力を賛美して感謝します。

No.813 2006/06/10(Sat) 12:31:12

Re: 信仰の友 / 沙耶香 引用

本当そうですね。人間は一人では生きてはいけない。だから友達を作ろうとしたり、家族を作ろうとしたりするのでしょう。信仰者も二人以上でイエス様が働くと聖書に書いてありました。
励ましあい、戒めあい、お互いに信仰を成長させていけたら最高です。
ですが、今まで何かと不平をいい、何も耳を貸さないふりをしていたことを悔い改めます。

No.814 2006/06/10(Sat) 16:38:39

Re: 信仰の友 / 昌夫 引用

>信仰者も二人以上でイエス様が働くと聖書に書いてありました。

そうですね。イエスさまは一人のときでも一緒にいてくださるけれど、信仰者が2人以上、イエスさまに喜んでいただこうとして集まるとき、特別に祝福してくださり、イエスさまの存在が濃くなると信じています。

No.815 2006/06/11(Sun) 00:10:32
感謝 / 沙耶香 引用

本当は、追放宣言されたことも感謝しているのです。理由?イエス様のみぞ知る。

No.809 2006/06/05(Mon) 16:32:17

Re: 感謝 / 昌夫 引用

何か事情があって、するつもりだと言った行為を、したら教会を追放すると宣言されることはとてもつらいことで、沙耶香さんは、宣言で大いに傷つかれて苦しまれたたことだろうと思います。詳しいことは分かりませんが、神さまが、そのような苦しい宣言を受けたことも働かせて益にしてくださることを、沙耶香さんが実感されているので、感謝できるのだと思います。苦しかったことも感謝できるというのは、素晴らしいことだと思います。

No.810 2006/06/06(Tue) 02:52:05
人間 / 沙耶香 引用

 人間なんてよく分かってもいないのに、神様に聞き従ううえで何も自分は無知でわかっていないということを知るべきです。

No.795 2006/05/30(Tue) 00:32:21

Re: 人間 / 昌夫 引用

うん、そうですね。人類は月にまで行ったといっても、宇宙はものすごく大きいし、死んでからどうなるか、というようなことは、ほとんど何も分からないです。人間と神さまの知識の違いというのは、とても大きいです。聖書を読んでも、正しく解釈することはとても難しいし、聖書には人間に必要なことが全部書いてあると信じますが、神さまがこの世では人間に隠されていることも多いと信じます。神さまの前で、自分の無知をよく知って謙虚でいることは、とても大切だと思います。

ところで、このような考えを自分にあてはめると、謙虚になれると思うのですが、神さまが、まわりの人々を通して語られるということを忘れて、まわりの人々の言うことを無視したりするようになると、謙虚になるどころか、傲慢になってしまうので、注意が必要だと思います。

No.798 2006/05/31(Wed) 12:07:13

大垣先生へ / 沙耶香 引用

ところでからあとの文章は私に言っているのですか?それとも一般的にみんなに言っていることですか?

No.799 2006/05/31(Wed) 22:18:54

Re: 人間 / 昌夫 引用

一般的に掲示板を読んでいる人みんなに向けて書いていますが、まず第一に自分に向けて言いたいと思います。人に良いことを言いながら自分はしないことを偽善といいますが、これをイエスさまが最も嫌われたと思うからです。

ただし、良いことというのは、自分にはする力はないので、イエスさまの力にすがります。自分は神さまに言われたと思うことを選択して、一歩を踏み出せば、後はイエスさまの恵みによって良いことができるようにしてくださる、と信じています。

No.800 2006/06/01(Thu) 04:08:08

Re: 人間 / 沙耶香 引用

涙涙大涙・・・いやー相当感動しています。まず第一に自分に向けていいたいなんていう言葉は並のクリスチャンからは返ってくる言葉ではありません。
すばらしいですね。
これではクリスチャンの格が違うと言われても仕方がないですね。

No.801 2006/06/01(Thu) 09:54:08

Re: 人間 / 昌夫 引用

クリスチャンは、格が違ったりするのではなくて、役目の違いがあると思います。クリスチャンは、違う役目の人たちが集まって、ひとつの大きな仕事を共同で神さまがさせてくださいます。牧師のように、教師やリーダーの役目の人もいれば、苦しむことによって、イエスさまの十字架にもっと近づくことが役目の人もいると思います。教師やリーダーの役目の方が、派手で良いようですが、皆がそのような役目をいただくわけではないし、その役目の人たちが格が上とか考える必要もないと思います。自分に与えられた役目をしっかり果たし、他の役目をしている人たちと協力していければ、神さまに喜んでいただけると思います。

No.803 2006/06/02(Fri) 01:09:55

Re: 人間 / 沙耶香 引用

うん、役目は違いますね。
でもご自分が苦しむことでよりいっそうイエス様の十字架に近づく役目だったら、多分そういう寛大なことは言っていられないと思います。苦しくて苦しくてたまらずどこかに逃げ出したい、イエス様助けてほしいと祈っているのが精一杯だと思います。
でも私の場合は私と同じ立場にある弱者をどうにかイエス様と一緒に救い出したいという思いがあるので、これが役目かもしれないとも思います。
メール開くのが怖くて・・・
イエス様イエス様イエス様イエス様・・・
だったら暴言はかなかったらいいんだけれど・・・

No.804 2006/06/02(Fri) 06:10:40

Re: 人間 / 昌夫 引用

沙耶香さんは、とても苦しいときにも信仰を持ち続けてていて、自分と同じ立場にあるほかの人たちのことも考えていて、とても偉いと思います。イエスさまが、沙耶香さんともにいてくださると信じます。全知全能のイエスさまが味方だから、怖がらなくても大丈夫です。

No.805 2006/06/02(Fri) 08:19:55
イエス様 / 沙耶香 引用

日曜日にいつも礼拝でイエス様とあえて嬉しい。イエス様とお話できてイエス様を感じることができて嬉しい。
日曜以外にもたまに牧師の家でイエス様にあえて嬉しい。
イエス様イエス様イエス様イエス様・・・早く迎えにきてほしい。

No.802 2006/06/01(Thu) 10:01:46
孤独 / 沙耶香 引用

とても孤独だ。一人だ。私は一人ぼっちなのだ。
誰も私のことなんか分かってくれる人はいないし、私のことなんか誰も・・・もう私は一人なんだ。私は駄目で人に何もできない人・・・こんな私はいないほうがいいのかもしれない。

No.788 2006/05/26(Fri) 09:45:10

Re: 孤独 / 昌夫 引用

>誰も私のことなんか分かってくれる人はいない

人間には、他の人のことを完全に分かる能力がないと思います。イエスさまだけが、沙耶香さんのことを完全に分かってくれています。他の誰でも、完全に理解しておられるのはイエスさまだけです。

>私は駄目で人に何もできない人

神さまが全知全能の力を持っておられて、全てを造られたので、自分には能力があって世の中の役にたっていると思っている人も、本当には自分の力で何かをしているわけではないと思います。神さまにいただいた能力で、神さまに支えられて、何かをしているだけです。その人が何かをしなくても、本当に必要なことなら、神さまがなんらかの方法でされるはずです。こう考えると、人間は誰も本当の意味では役にたたないと思います。

では、人間や役にたたないので価値がないか、というと、そうではなくて、人間は神さまに愛されているので、世界を造られた神さまを喜ばせることができます。これは、いずれすぎ去っていくこの世で役にたつよりも、もっと意味のある素晴らしいことだと思います。

No.789 2006/05/26(Fri) 10:39:37

Re: 孤独 / 沙耶香 引用

うん、そういう風に神様のお考えで考えてくれる人がいると私も少しは生きている価値があるかな?と思えます。
本当にこの世の中で生きていると家族からも世間からも精神疾患で仕事もしていないと、邪魔者扱いで誰も相手にしてくれない、役立たずで働かざるもの食うべからずと言われ、居場所がない。
でもイエス様が居場所をくださる。
イエス様イエス様イエス様イエス様・・・

No.791 2006/05/26(Fri) 20:47:02

Re: 孤独 / 昌夫 引用

クリスチャンには祈りが与えられているのが、素晴らしいことだと思います。世間の考える仕事を神さまが与えてくださらないときは、神さまの栄光が現われるように、いろいろな人々のためにお祈りすることができます。イエスさまは、お祈りの働きを大いに喜んでくださると信じます。

No.792 2006/05/27(Sat) 10:58:16
気がついたこと。 / 沙耶香 引用

この掲示板、一番最初に開くと、いつも2ページが出てきます。なぜでしょう?

No.778 2006/05/23(Tue) 10:18:07

Re: 気がついたこと。 / 昌夫 引用

掲示板を開くと1ページ目ではなく、2ページ目が出てくるということでしょうか?僕は1ページ目が出てきます。

No.780 2006/05/23(Tue) 11:31:47

Re: 気がついたこと。 / 沙耶香 引用

私はいつも掲示板を開くと2ページ目が出てきます。今も2ページ目が出てきました。何でだろうか?
私のパソコンがいけないのだろうか?1ページ目に戻せばすむことなのだが・・・でも不便は不便だ。でもめげない。

No.782 2006/05/23(Tue) 22:53:27

Re: 気がついたこと。 / 昌夫 引用

>私のパソコンがいけないのだろうか?

以前はそういうことがなかったとすると、最近、掲示板の設定が改訂されて変わったので、その設定と沙耶香さんのパソコンの設定が何か変わった相互作用をしているようです。

No.784 2006/05/24(Wed) 09:42:40

Re: 気がついたこと。 / 沙耶香 引用

いや、こちらから入ると1ページが出た。CFI 大垣昌夫(様)と入れて出てきた二つのうちの上を押すと1ページが出るが、下を押すと2ページが出る。不思議・・・
ま、パソコンっていろいろあるからよくわからない。
イエス様もいい意味で得体がしれないから・・・

No.787 2006/05/24(Wed) 22:11:51
祈り / 沙耶香 引用

天のお父様、愛しき神様イエス様、今まで私の必要をいろんな形で満たしてくれたことを感謝します。どうか私の必要を今後もずっと、あなたの御心の形で満たしてください。
イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・

No.777 2006/05/22(Mon) 21:45:25

Re: 祈り / 昌夫 引用

苦しいことが多くてもイエスさまを信頼している沙耶香さんの、生活のための必要は、聖書にあるとおり、イエスさまが満たしてくださることを信じて感謝します。

No.779 2006/05/23(Tue) 11:28:30

Re: 祈り / 沙耶香 引用

うん、私も信じます。イエス様イエス様イエス様・・・
ダヴィンチコードなんかに騙されないんだ。人間の作ったものなんて100%信用できるものなどないのです。信頼できるのは神様イエス様ただ一人だけです。

No.781 2006/05/23(Tue) 22:50:25

Re: 祈り / 昌夫 引用

>ダヴィンチコードなんかに騙されないんだ。

小説や映画で流行っていますが、聖書からはかなりずれているので注意が必要だと思います。

>人間の作ったものなんて100%信用できるものなどないのです。信頼できるのは神様イエス様ただ一人だけです。

そうですね。人間は神さまと違って知識も力も不完全であることをよく知っていることが大切だと思います。

No.785 2006/05/24(Wed) 09:49:50
教会追放 / 沙耶香 引用

教会によって追放の基準はあるのだろうか?同じことをしても追放でない人と追放の人が出る、これはおかしいし、
それに罪があっても隠れてしている人とばらしてしている人とだったら隠れてしている人は追放にならなくて、ばらしてしている人は追放になるなんておかしい。
こういうところは人間には公平に裁けないんだから教会追放なんていうのはよっぽど慎重に告げないといけないのに・・・
それに私は精神疾患だから、微妙な心理なのだから、その心理を深く理解しておられない牧師がそういう究極のことを伝えられるなんていうのもおかしい。
おかしいことだらけだ・・・
そこまでおかしいと思う教会にいることはないんだけれど・・・変えようとも思ったことも多々あるけれど、でも私はこの女性牧師を愛しているので変えられない。間違い、それを指摘しても悔い改めない、正当化する、ろくな牧師じゃないけれど、いいところもたくさんあり
この人にノックダウンされていてこの人に会いに行くために教会に行っているのです。おかしな話でしょ?

No.758 2006/05/11(Thu) 10:30:28

Re: 教会追放 / 昌夫 引用

沙耶香さん、書き込みをどうもありがとうございます。

沙耶香さんが正しいのかもしれないけれど、牧師が正しい可能性もあるということを、考えにいれておくと方が良いと思います。沙耶香さんが、いろいろ考えても、何か大きな勘違いをしていて、気づいていないという可能性です。自分がこのことで、絶対に正しいと考えてしまうと、牧師や他の人たちを通して、神さまが沙耶香さんに言おうとされていることが聞こえなくなってしまうので、注意してください。

とても大切だと思うことは、隠れて罪を犯している人も表だって罪を犯している人も、公平にさばくのは、神さまの仕事であって、教会の仕事ではないということです。教会追放は、公平なさばきをするための制度ではなくいと思います。教会に属しながら明らかな罪を犯す人に厳しい警告をして、悔い改めを促したり、明らかな罪を犯している人を見て、信仰を持っていない人たちが、つまづいたりしないための制度だと思います。

No.759 2006/05/12(Fri) 11:02:18

Re: 教会追放 / 沙耶香 引用

うーん、でもほかの教会の知人で、明らかな罪を犯しているのに、教会追放されずにいる人知っています。
私には見えてもそこの教会の牧師には見えないのでしょうか?
だったら罪を犯すときは何も牧師に言ってすることはないという考えになり、みんな言わずにするようになります。公平な裁きは神様にしかできないのだから言ってする人にだけ教会追放なんて告げるなんておかしい。
だったら私も言わずに罪を犯そうかなーと思い出します。でもその罪を犯したら一番困るのは自分だからしない。

No.760 2006/05/12(Fri) 15:44:48

Re: 教会追放 / 昌夫 引用

>明らかな罪を犯しているのに、教会追放されずにいる人知っています。

明らかな罪であっても、教会の外の人たちもほとんどの人々が犯しているような罪なら、教会追放の対象にはならないと思います。また、教会によって、教会追放の聖書解釈は、それぞれ異なります。

>みんな言わずにするようになります。

これは、教会に来ている人たちが、どのようなクリスチャンであるかによります。もし、神さまとは関係なく、ただ教会に来ることが目的できているなら、確かに牧師に言わずに罪を犯すほうが得だということになると思います。本来は、神さまに近づいて崇拝することが目的で教会に来るわけだから、そういう目的で教会に来る人たちは罪を犯したくなったら、牧師や他の兄弟姉妹に
相談すると思います。

>でもその罪を犯したら一番困るのは自分だからしない。

本当にそうですね。罪を犯して神さまから遠ざかると一番困るのは自分だから、教会追放という制度も、沙耶香さんを公平にさばく目的ではなく、沙耶香さんが、罪を犯したくなったときに犯さないように助ける目的のためにあるのです。沙耶香さんは、それを教会追放を罪のさばきだと勘違いされているので、混乱されているのではないか、と思います。

No.761 2006/05/12(Fri) 22:53:24

Re: 教会追放 / 沙耶香 引用

それは私が罪を犯さなかった場合でしょ?犯す可能性だってあるわけだから、もし犯して追放になったら罪を犯さないように助ける制度とはいえないですよ。
それに大垣先生だって教会追放も牧師によるイエス様からの指示だっておっしゃっておられましたよね?
それに明らかな罪をみんながしていない罪をしているほかの教会のクリスチャンを知っています。でも追放にならない。
>本来は、神さまに近づいて崇拝することが目的で教会に来るわけだから、そういう目的で教会に来る人たちは罪を犯したくなったら、牧師や他の兄弟姉妹に
相談すると思います。

うん、私は神様に近づいて崇拝することが目的なので、罪を犯そうと思ったら言ってしまうのだろうか?いや、多分性格もあります。何でも馬鹿正直に言ってしまっていつも墓穴を掘る。

No.762 2006/05/13(Sat) 07:03:59

Re: 教会追放 / 昌夫 引用

>もし犯して追放になったら罪を犯さないように助ける制度とはいえないですよ。

聖書には、すでに教会を追放した人のことについて、その人が、最後の審判のときに救われるように、という意味のことが書いてあると思います。コリント人への手紙第一の5章を読んでみてください。

>それに明らかな罪をみんながしていない罪をしているほかの教会のクリスチャンを知っています。でも追放にならない。

教会追放については、教会によって聖書の解釈がかなり違うので、違う協会で、全く違った制度になっています。ですから、ほかの教会での制度と自分の教会での制度を比べて違っていて、当然だと思います。それぞれの教会が、自分たちの聖書解釈によって、制度を作れば良いことだと思うからです。

>何でも馬鹿正直に言ってしまっていつも墓穴を掘る。

教会追放のことを言われて、苦痛だったから、良くなかったとは、必ずしも限りません。永遠の目で見たら、とても良かったことかもしれません。教会追放の制度は苦痛をともなうものですが、聖書に書いてある制度なのだから、永遠の目から見ると、良いものであるはずですね。苦痛の嫌な面ばかり考えるよりも、なぜ、神さまが教会追放の制度のことが聖書に書かれるようにされたのか、どのような益があるのか、考えるほうが、神さまに近づいていく目的のためには有益だと思います。

No.764 2006/05/13(Sat) 11:19:14

Re: 教会追放 / 沙耶香 引用

聖書読んでみました。コリント第一の五章・・・いつも思うが、聖書っていろんなたとえ話をしているので何がいいたいのかがあまりつかめない。
追放された人は最後の審判のときに救われるのですか?
教会追放については教会によって聖書解釈が違うのだったら、一外に教会追放がいいことだとは限らないですよ。
それに同じ教会で罪を犯しても追放と言われる人といわれない人が出てくる。
それを牧師に問いただすと、あとで自分に刈り取りがくることに気づいていなかったから教会追放だと告げたんだと言われました。
私は刈り取りがくることを知っていました。なのに気づいていなかったと思い込んでいる。その思い込みで私に教会追放を告げたことになります。これは罪だと思うのですが・・・
私は教会追放を告げられて苦痛だったので言っているのではありません。私に教会追放を告げるのなら、同じように罪を犯している人には追放を告げないといけないし、追放とまで言わなくても罪に対しては注意しないといけないのに、私には注意して、その人には注意しないなんておかしい。
罪を犯していても一番いいときに注意するんだ時があるんだと言うのなら、私にもいつもいつも注意するのは止めてほしい。
牧師、聞いてます?

No.765 2006/05/14(Sun) 05:41:20

Re: 教会追放 / 昌夫 引用

>追放された人は最後の審判のときに救われるのですか?

そうとは限りません。教会追放の目的は、追放された人が悔い改めて最後の審判のときに救われるためです。でも、その人が悔い改めるかどうかは、その人の選択です。

神さまは心を見られるので、何をするときも、自分が何のためにしているか気をつけるのが大切だと思います。沙耶香さんが、教会追放のことについて、興味を持って書き込みをされている目的は、何ですか?牧師にいつも注意するのをやめてほしいと、伝えることが目的だということですか?

No.766 2006/05/14(Sun) 12:37:30

Re: 教会追放 / 沙耶香 引用

教会追放の目的が、追放された人が悔い改めて、最後の審判のときに救われるためだとするなら、もし悔い改めなかったら目的を果たさないではないか?
いや牧師がいつも注意することをやめてほしいというのではない。私にも注意するのだったらなぜほかの人は注意しないのか?
罪を見てみぬふりはできない。注意するのが牧師の仕事だとするならほかの人にも注意しないといけない。
それを言うと生い立ちも違うし育ってきた環境も違うとするなら、
私は精神疾患なのだから、もっと違う対応をもっと手厚い対応を求められても仕方がないと思うのですが、それを求めると精神疾患だからといって不平を持つというのなら、じゃどうしたらいいのですか?
もう何が何だかわからない。
牧師が教会追放を告げたのは私があとで刈り取りがくることをわからなかったためというのなら、私はあの時すでに分かっていたし、分かっていたからそんなことするつもりもなかったんだから

No.770 2006/05/15(Mon) 10:54:47

Re: 教会追放 / 昌夫 引用

>もし悔い改めなかったら目的を果たさないではないか?

教会追放の制度の主な目的は、最後の審判のときの救いにあるのですが、追放された人が悔い改めないときには、その人の追放のための目的は、その人の明らかな罪を信仰をまだ持たない人々が見て、伝道の邪魔にならないように、ということだと思います。

僕は、教会追放を告げられた牧師の行動は、根本的には御心にかなうことだったと感じています。というのは、聖書には、人間の言うことに冠する罪について、多く書いてあるのです。もし沙耶香さんが、行動に移すつもりではなくとも、牧師を困らせる目的で、罪の行動をすると牧師に言ったとすると、それは罪だったと思います。それで、その罪の刈り取りとして、教会追放のことを牧師に言われたとすると、公平であったと思います。沙耶香さんが、悔い改めて、これからは言葉での罪を犯さないように注意することを選ぶなら、神さまに喜んでいただける結果だと思います。

>もう何が何だかわからない。

まず、教会追放の聖書解釈は、牧師や教会によって解釈が違うほど、難しいので、入信してまもない沙耶香さんが考えようとしても混乱して何が何だかわからなくなるのは、あたりまえだという気がします。神さまは、一人一人に違う役目を与えられるので、神さまが沙耶香さんに何をさせようと考えておられるのか、求めていくことが大切だと思います。

牧師も人間なので、いろいろ問題があるのは当然ですが、牧師の指導はイエスさまがなさいます。もし牧師に問題があると思ったら、まずイエスさまに祈ることが大切だと思います。

牧師のいろいろな問題点を探って伝えることに情熱を燃やすより、もっと違うことが沙耶香さんの役目ではないか、という気がします。

私が、神さまに与えられた自分の役目を知るようになって、他のことではなく自分の役目を果たすことに情熱を燃やせるように、お導きください。

という意味のお祈りをすると良いと思います。

No.773 2006/05/15(Mon) 13:19:14
おひさしぶりです / じんない 引用

大垣先生おひさしぶりです。プリンストン大学のじんないです。

指導教官のリカルド・レイスが先日オハイオで発表をして、そこで大垣先生に会ったと教えてくれました。久しぶりに大垣先生の話を聞けて、嬉しかったです。経済学を通して、先生と色々なところで繋がれるのはとても嬉しいです。

僕の行っている教会では先日、10年以上も集っていた教会のメンバー2人が結婚して教会全体がとても祝福されたのに、生活の変化をきっかけにその二人が神様との関係につまずいてしまい、結局、二人が教会を離れてしまうという悲しいことがありました。私自身、すごく尊敬するクリスチャンでしたし、洗礼を受けたり、教会に定期的に集うことを助けてくれていた兄弟・姉妹だったので、一時期はとても落ち込みました。
今は少し落ち着いて考えられるようになってきて、人間的な思いでは理解出来なくても全ては神様のご計画されていることだと信じて、神様に信頼しています。場所はどこであれ、彼らと神様との関係がまず回復されるようにと祈っています。

毎週、学部生を数人、教会に車で送り迎えしているのですが、その中から神様を受け入れる決心をする人が起こされるという素晴らしいプレゼントも神様は用意してくれていました。自分は神様に忠実なしもべとして、与えられた場所で与えられた仕事を忠実にやっていこうと思っています。

No.769 2006/05/15(Mon) 08:32:15

Re: おひさしぶりです / 沙耶香 引用

すばらしい活動ですね。私も同じ精神疾患の人を車で送迎して教会に連れて行きたいですが、車もないですし、その上、教会も精神疾患の人を受け入れるだけの器量がありません。
いや精神疾患の人に対してだけのものではないです。教会の働きの人たちの考え方や行動、言動自体がきている人の心を傷つけ、もうきたくないと思わせる事が多いのです。もっと考えてほしいものです。
私は牧師のことを愛しているのでやめられませんが、ほかの人は次々辞めていきます。

No.771 2006/05/15(Mon) 11:01:14

Re: おひさしぶりです / 昌夫 引用

じんないさん、おひさしぶりです。
 教会に車で送り迎えされているのは、地味なようですが、沙耶香さんも書かれたように、すばらしい活動だと思います。その活動を、じんないさんが落ち込んでいるときに祝福してくださった神さまの愛と全知全能の力を賛美して感謝します。
 じんないさんの教会でも、沙耶香さんの教会でも、教会員が去っていくということが起こっていて、この原因は教会員にあったり、教会にあったりすると思います。人間も、人間の作った教会も、つまづいたり、失敗するものですが、神さまはそういうことも、全て知った上で、僕たちにはうかがいしれない素晴らしいご計画を持っておられることを信じて賛美して感謝します。

No.772 2006/05/15(Mon) 12:52:19
神さまの聖いエロス愛 / 昌夫 引用

カトリックの友人と愛について話していて、カトリックでは神の愛として、アガペー愛とともにエロス愛も強調されていることを聞きました。エロス愛は、相手との一体化と相手を所有することを望む愛。雅歌を読んだり、神さまが嫉妬されることを考えると、自己犠牲のアガペー愛とともに、神さまの愛にエロス愛も重要な要素としてあることが納得できると思います。

マザー・テレサが名前をとった「リジューの聖テレジア」と呼ばれるテレジア・マルタンと、そのテレジアが名前をとった別のテレジアという修道女が二人とも神さまのエロス愛について書いたそうです。

No.700のレスとしてaaさんが書かれた一連のことから、神さまの聖いエロス愛ということについて考えています。プロテスタントにも、このことを本などに書いた人がいると思いますが、どなたかご存知の方がおられたら教えてください。

No.738 2006/04/24(Mon) 08:11:13

Re: 神さまの聖いエロス愛 / aa 引用

管理人さま。

ご要望の特定の書籍はご紹介できませんが、
新約聖書においてエロスという言葉がどこで、
どのくらい使用されているかは、
ギリシャ語の索引で、調べられます。
その情報は参考になるはずです。

お手元に必要な索引がなければ、
お調べして差し上げることが出来ますが、
必要でしょうか?

No.739 2006/04/26(Wed) 07:43:34

Re: 神さまの聖いエロス愛 / 昌夫 引用

aaさん、レスをありがとうございます。
ギリシャ語の索引はしたことがないので、情報をいただければ、とても参考になりますので、よろしくお願いいたします。

No.740 2006/04/26(Wed) 12:16:18

Re: 神さまの聖いエロス愛 / aa 引用

素人なので、少し時間がかかると思います。
必ず返信いたしますので、しばらくお待ちください。

No.741 2006/04/27(Thu) 09:34:28

Re: 神さまの聖いエロス愛 / 昌夫 引用

aaさん、レスをありがとうございます。時間がかかるとのこと了解いたしました。お手数おかけします。急いでいませんので、時間があるときに調べて返信をいただけたら、幸いです。神さまのエロス愛について勉強するためには、aaさんに教えていただくギリシア語の索引箇所を調べること以外にも、雅歌を旧約聖書の概観の教科書や雅歌の注釈書などを使って調べてみようと思っています。それからテレジア・マルタンの本を読んでみたいです。雅歌を勉強するだけでも、かなり時間がかかると思います。

No.742 2006/04/27(Thu) 12:33:08

エロス 無し? / aa 引用

管理人様。

早速ですが、とりあえずちょっと調べて見ました。

書籍:
J.B. Smith, Greek-English Concordance to the New Testament (ScottDale, Pensylvania: Mennonite Publishing House, 1955)

索引参照結果;KJV英訳版にて愛、LOVEと訳されているものに関して。

ギリシャ語  使用回数(新約) 
------------------------------
AGAPAO 142
AGAPE 86
PHILEO 25
EROS 0 該当無し

本当かな? と思わされる結果でした。
エペソにある、夫婦間の愛も、AGAPAOでした。

引き続いて、調べて参ります。またそのつど書き込ませていただきます。

No.743 2006/04/28(Fri) 05:09:31

Re: 神さまの聖いエロス愛 / 昌夫 引用

 aaさん、調べていただいて、ありがとうございます。
 ギリシア語にはアガペー、フィレオー、エロスと、「愛」といっても違う言葉で使い分けるといっても、聖書では、特に著者によっては同意語として使いわけていないということを神学校の授業で聞いたことがあります。調べていただいた結果は、その授業で習ったことと整合的であると思います。特に同意語として使ったのはヨハネで、ヨハネ21:15−19でアガペーとフィレオーの違うように解釈する人が多いのだけれど、ヨハネの書いたほかの部分を調べてみると、ヨハネは使いわけはしていないことが分かるということでした。
 アガペーとフィレオーを違う愛として分類してみて、理解を深めるために有用な面もあると思いますが、あまり、違いに固執しすぎると、かえって危険な面もあるように思います。イエスさまの僕たちへの愛には、十字架での自己犠牲の愛と、僕たちを友人としてくださった友愛との両方が含まれていて、それは神さまの愛として、本来は分かつことができないものだと思います。
 同じように、アガペー愛を自己犠牲の愛、エロス愛を相手と一体化を望む愛として違う概念で考えるのは、有用な面があると思うのですが、あまり違いに固執しすぎるとやはり危険であると思います。キリストは教会と一体になられるので、それはエロス愛の側面だと思います。
 神さまの愛とは、自己犠牲の愛、友愛、聖いエロス愛を含んでいて、本来は、分けて考えることができないひとつの愛である。その愛が、違った状況た異なる人々を通して、違ったように表れるので、分析のために、便宜的に、分けて考えるのは有用だと思います。けれども、分類に固執すると危険である、というのが、現在の僕の考えです。

No.744 2006/04/29(Sat) 06:31:23

Re: 神さまの聖いエロス愛 / aa 引用

>神さまの愛とは、自己犠牲の愛、友愛、聖いエロス愛を含んでいて、本来は、分けて考えることができないひとつの愛である。

そうでしょうね。私もそう思います。私たちが知ることが出来るのは、神様の愛は、徹底して人間のために注がれている、ということだと思います。ご自分には、そんな愛を示す義務も、恩義も、なにも無いのに。

言葉の議論はいくらでも出来ますが、本当に大切なことは、自分が他のひとに何を見ているかという一事である気がします。たとえば相手を幸せにしたいという気持ちか、それとも自分が幸せになりたいという気持ちか、どっちなのかという。

自分としては自らの行為を見ると、いつも頭をたたかれる思いですが。私自身はてんでダメな人間です。

エロスについての、索引は、もうしなくて良いですか?
英語の聖書でLoveという言葉が使われている箇所の原語をしらみつぶしに調べて見ようかなとも思っていましたが。

No.745 2006/04/30(Sun) 06:38:05

Re: 神さまの聖いエロス愛 / 昌夫 引用

aaさん、レスをありがとうございます。

743で調べていただいた結果で、新約ではエロスという言葉は使われていないということですね?僕の現在の個人的な興味は神さまの愛のうちのエロス愛の要素のことなので、新約でのアガペーとフィレオーの使われ方についての索引の調査結果は、個人的には、必要は感じていません。でも、もしaaさんが、興味を持っておられるなら、調べられて、結果をこの掲示板で発表していただければ幸いです。

>たとえば相手を幸せにしたいという気持ちか、それとも自分が幸せになりたいという気持ちか、どっちなのかという。

僕は、モーセ五書を読んでいて、「楽しみなさい」という意味の言葉が、何回も出てくることに驚きました。神さまの愛は自己犠牲の愛という固定観念を持っていたので、驚いたのだと思います。神さまとともに心から楽しもうとするとき、神さまの愛のうちの聖いエロス愛の要素をもっと実感できるのではないか、と思っています。主の前で、主とともに楽しむとき、自分も相手も幸せになるし、主も喜んでくださると思うのです。

相手を幸せにしたい気持ちか、自分が幸せになりたい気持ちか、と2者択一的な考えにこだわらないほうが、今の自分にとっては良いのではないか、と感じています。

No.746 2006/04/30(Sun) 11:11:40

あたまでっかち / aa 引用

管理人さま。

返信恐れ入ります。

>主の前で、主とともに楽しむとき、自分も相手も
>幸せになるし、主も喜んでくださると思うのです。

本来、そういう単純な事なのでしょうね。言葉の意味の区別にとらわれることなく、素直に喜んでいる。そちらの方が、はるかに幸せですね。

>相手を幸せにしたい気持ちか、自分が幸せになりたい気持ちか、と2者択一的な考えにこだわらないほうが、今の自分にとっては良いのではないか、と感じています。

そうですね。二者択一的な考え方は、自分自身のみならず、他者をも裁くことになりやすいですね。イエスの福音は子供でも喜んで信じ、受け入れる事が出来るもの。本来そのような純粋かつ単純なものを、私は頭のなかでややこしくしてしまっているのかも知れません。

愛についての索引調査は、私としてはこれ以上必要ないと思っています。書物自体はいつでも閲覧できるので、もし他の言葉をしらべる事があれば、一言仰ってください。

No.747 2006/04/30(Sun) 13:50:53

Re: 神さまの聖いエロス愛 / 昌夫 引用

aaさん、レスと、ご親切な索引調査についての申し出をどうもありがとうございます。

主の愛はある意味で単純なのだけれど、深くてとても人間には理解できないので、いろいろに分類して考えると理解が深まることもあると思うのです。でも、分類された愛は、解剖された人間がもはや人間ではないように、もはや主の愛ではないので、僕たちが頭でっかちに考えてしまうと、大きい危険もあるのでしょうね。

主のお導きにより、僕たちが主の甘美で聖い愛をより深く実感できるようになりますように。

No.748 2006/05/01(Mon) 06:30:01

Re: 神さまの聖いエロス愛 / aa 引用

管理人さま。

>aaさん、レスと、ご親切な索引調査についての申し出をどうもありがとうございます。

いつでもどうぞ。とは言え、私もこの掲示板にいつまでいられるか判りませんが。

>でも、分類された愛は、解剖された人間がもはや人間ではないように、もはや主の愛ではない

同感です。

以下、蛇足かもしれませんが。

管理人さまは、ご自分の「現在」を、ずっと過去、幼少のころの経験にまでさかのぼって分析されたことはありますか?私はここ最近、それをさせられています。私には自他共に認める心の病があります。精神疾患とは言えないと思いますが、この病は、時折私と他の人との関係をダメにしてきました。沙耶香さんに対するかつてのレスをご覧いただければ、それが少し判るかもしれません。

なぜそうなんだろうと考えて、自分を治そうと努力した時期もありますが、ことごとく失敗してきました。それで、カウンセリングを受けながら気付いたことは、自分の「現在」は、生まれてから自分がどのような家庭環境で育ってきたか、特に幼少の頃の経験に密接に関わっているということでした。自分の幼少の頃の経験を一つずつ思い出しながら分析して見て、初めて、何十年も経った現在の心の病に回復の糸口が見えてくることがあります。自分の心は、自分で思っているよりも、深いものですね。

No.749 2006/05/01(Mon) 10:13:40

Re: 神さまの聖いエロス愛 / 昌夫 引用

aaさん、レスをありがとうございます。

>ご自分の「現在」を、ずっと過去、幼少のころの経験にまでさかのぼって分析されたことはありますか?

自分の中に、攻撃的なところがあって、それを理解したくて分析してみたことがあります。幼稚園に入ったときの経験が大きく関わっているらしいことが分かりました。

>自分の心は、自分で思っているよりも、深いものですね。

そうですね。自分の心でも、深いところはよく分からないし、無意識に復讐のための行動をしていたことが分かって愕然としたことがあります。自分の中に幼少のころの経験から生まれたモンスターを見つけたように感じました。そのときは、神さまにモンスターをCENSOREDいただくように祈りました。今は、考えが変わって、モンスターにも罪を憎むというような良いところもあって、神さまの反対のところにいるというより、ずれているだけだと思います。それで、神さまが心のずれを直して聖くしてくださるように、と祈っています。

No.750 2006/05/02(Tue) 06:56:27

Re: 神さまの聖いエロス愛 / aa 引用

管理人さん。

>今は、考えが変わって、モンスターにも罪を憎むというような良いところもあって、神さまの反対のところにいるというより、ずれているだけだと思います。

モンスターが死んだから、考えが変わったのかも。いずれにせよ祈りは聞かれているのですね。

>神さまが心のずれを直して聖くしてくださるように、と祈っています。

皆様に平安がありますように。

No.751 2006/05/02(Tue) 12:58:17
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