★ 神さまの聖いエロス愛 / 昌夫  |
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カトリックの友人と愛について話していて、カトリックでは神の愛として、アガペー愛とともにエロス愛も強調されていることを聞きました。エロス愛は、相手との一体化と相手を所有することを望む愛。雅歌を読んだり、神さまが嫉妬されることを考えると、自己犠牲のアガペー愛とともに、神さまの愛にエロス愛も重要な要素としてあることが納得できると思います。
マザー・テレサが名前をとった「リジューの聖テレジア」と呼ばれるテレジア・マルタンと、そのテレジアが名前をとった別のテレジアという修道女が二人とも神さまのエロス愛について書いたそうです。
No.700のレスとしてaaさんが書かれた一連のことから、神さまの聖いエロス愛ということについて考えています。プロテスタントにも、このことを本などに書いた人がいると思いますが、どなたかご存知の方がおられたら教えてください。 |
No.738 2006/04/24(Mon) 08:11:13
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管理人さま。
ご要望の特定の書籍はご紹介できませんが、 新約聖書においてエロスという言葉がどこで、 どのくらい使用されているかは、 ギリシャ語の索引で、調べられます。 その情報は参考になるはずです。
お手元に必要な索引がなければ、 お調べして差し上げることが出来ますが、 必要でしょうか? |
No.739 2006/04/26(Wed) 07:43:34
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☆ Re: 神さまの聖いエロス愛 / 昌夫  |
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aaさん、レスをありがとうございます。 ギリシャ語の索引はしたことがないので、情報をいただければ、とても参考になりますので、よろしくお願いいたします。 |
No.740 2006/04/26(Wed) 12:16:18
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素人なので、少し時間がかかると思います。 必ず返信いたしますので、しばらくお待ちください。 |
No.741 2006/04/27(Thu) 09:34:28
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☆ Re: 神さまの聖いエロス愛 / 昌夫  |
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aaさん、レスをありがとうございます。時間がかかるとのこと了解いたしました。お手数おかけします。急いでいませんので、時間があるときに調べて返信をいただけたら、幸いです。神さまのエロス愛について勉強するためには、aaさんに教えていただくギリシア語の索引箇所を調べること以外にも、雅歌を旧約聖書の概観の教科書や雅歌の注釈書などを使って調べてみようと思っています。それからテレジア・マルタンの本を読んでみたいです。雅歌を勉強するだけでも、かなり時間がかかると思います。 |
No.742 2006/04/27(Thu) 12:33:08
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管理人様。
早速ですが、とりあえずちょっと調べて見ました。
書籍: J.B. Smith, Greek-English Concordance to the New Testament (ScottDale, Pensylvania: Mennonite Publishing House, 1955)
索引参照結果;KJV英訳版にて愛、LOVEと訳されているものに関して。
ギリシャ語 使用回数(新約) ------------------------------ AGAPAO 142 AGAPE 86 PHILEO 25 EROS 0 該当無し
本当かな? と思わされる結果でした。 エペソにある、夫婦間の愛も、AGAPAOでした。
引き続いて、調べて参ります。またそのつど書き込ませていただきます。 |
No.743 2006/04/28(Fri) 05:09:31
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☆ Re: 神さまの聖いエロス愛 / 昌夫  |
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aaさん、調べていただいて、ありがとうございます。 ギリシア語にはアガペー、フィレオー、エロスと、「愛」といっても違う言葉で使い分けるといっても、聖書では、特に著者によっては同意語として使いわけていないということを神学校の授業で聞いたことがあります。調べていただいた結果は、その授業で習ったことと整合的であると思います。特に同意語として使ったのはヨハネで、ヨハネ21:15−19でアガペーとフィレオーの違うように解釈する人が多いのだけれど、ヨハネの書いたほかの部分を調べてみると、ヨハネは使いわけはしていないことが分かるということでした。 アガペーとフィレオーを違う愛として分類してみて、理解を深めるために有用な面もあると思いますが、あまり、違いに固執しすぎると、かえって危険な面もあるように思います。イエスさまの僕たちへの愛には、十字架での自己犠牲の愛と、僕たちを友人としてくださった友愛との両方が含まれていて、それは神さまの愛として、本来は分かつことができないものだと思います。 同じように、アガペー愛を自己犠牲の愛、エロス愛を相手と一体化を望む愛として違う概念で考えるのは、有用な面があると思うのですが、あまり違いに固執しすぎるとやはり危険であると思います。キリストは教会と一体になられるので、それはエロス愛の側面だと思います。 神さまの愛とは、自己犠牲の愛、友愛、聖いエロス愛を含んでいて、本来は、分けて考えることができないひとつの愛である。その愛が、違った状況た異なる人々を通して、違ったように表れるので、分析のために、便宜的に、分けて考えるのは有用だと思います。けれども、分類に固執すると危険である、というのが、現在の僕の考えです。 |
No.744 2006/04/29(Sat) 06:31:23
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>神さまの愛とは、自己犠牲の愛、友愛、聖いエロス愛を含んでいて、本来は、分けて考えることができないひとつの愛である。
そうでしょうね。私もそう思います。私たちが知ることが出来るのは、神様の愛は、徹底して人間のために注がれている、ということだと思います。ご自分には、そんな愛を示す義務も、恩義も、なにも無いのに。
言葉の議論はいくらでも出来ますが、本当に大切なことは、自分が他のひとに何を見ているかという一事である気がします。たとえば相手を幸せにしたいという気持ちか、それとも自分が幸せになりたいという気持ちか、どっちなのかという。
自分としては自らの行為を見ると、いつも頭をたたかれる思いですが。私自身はてんでダメな人間です。
エロスについての、索引は、もうしなくて良いですか? 英語の聖書でLoveという言葉が使われている箇所の原語をしらみつぶしに調べて見ようかなとも思っていましたが。 |
No.745 2006/04/30(Sun) 06:38:05
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☆ Re: 神さまの聖いエロス愛 / 昌夫  |
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aaさん、レスをありがとうございます。
743で調べていただいた結果で、新約ではエロスという言葉は使われていないということですね?僕の現在の個人的な興味は神さまの愛のうちのエロス愛の要素のことなので、新約でのアガペーとフィレオーの使われ方についての索引の調査結果は、個人的には、必要は感じていません。でも、もしaaさんが、興味を持っておられるなら、調べられて、結果をこの掲示板で発表していただければ幸いです。
>たとえば相手を幸せにしたいという気持ちか、それとも自分が幸せになりたいという気持ちか、どっちなのかという。
僕は、モーセ五書を読んでいて、「楽しみなさい」という意味の言葉が、何回も出てくることに驚きました。神さまの愛は自己犠牲の愛という固定観念を持っていたので、驚いたのだと思います。神さまとともに心から楽しもうとするとき、神さまの愛のうちの聖いエロス愛の要素をもっと実感できるのではないか、と思っています。主の前で、主とともに楽しむとき、自分も相手も幸せになるし、主も喜んでくださると思うのです。
相手を幸せにしたい気持ちか、自分が幸せになりたい気持ちか、と2者択一的な考えにこだわらないほうが、今の自分にとっては良いのではないか、と感じています。 |
No.746 2006/04/30(Sun) 11:11:40
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管理人さま。
返信恐れ入ります。
>主の前で、主とともに楽しむとき、自分も相手も >幸せになるし、主も喜んでくださると思うのです。
本来、そういう単純な事なのでしょうね。言葉の意味の区別にとらわれることなく、素直に喜んでいる。そちらの方が、はるかに幸せですね。
>相手を幸せにしたい気持ちか、自分が幸せになりたい気持ちか、と2者択一的な考えにこだわらないほうが、今の自分にとっては良いのではないか、と感じています。
そうですね。二者択一的な考え方は、自分自身のみならず、他者をも裁くことになりやすいですね。イエスの福音は子供でも喜んで信じ、受け入れる事が出来るもの。本来そのような純粋かつ単純なものを、私は頭のなかでややこしくしてしまっているのかも知れません。
愛についての索引調査は、私としてはこれ以上必要ないと思っています。書物自体はいつでも閲覧できるので、もし他の言葉をしらべる事があれば、一言仰ってください。 |
No.747 2006/04/30(Sun) 13:50:53
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☆ Re: 神さまの聖いエロス愛 / 昌夫  |
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aaさん、レスと、ご親切な索引調査についての申し出をどうもありがとうございます。
主の愛はある意味で単純なのだけれど、深くてとても人間には理解できないので、いろいろに分類して考えると理解が深まることもあると思うのです。でも、分類された愛は、解剖された人間がもはや人間ではないように、もはや主の愛ではないので、僕たちが頭でっかちに考えてしまうと、大きい危険もあるのでしょうね。
主のお導きにより、僕たちが主の甘美で聖い愛をより深く実感できるようになりますように。 |
No.748 2006/05/01(Mon) 06:30:01
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管理人さま。
>aaさん、レスと、ご親切な索引調査についての申し出をどうもありがとうございます。
いつでもどうぞ。とは言え、私もこの掲示板にいつまでいられるか判りませんが。
>でも、分類された愛は、解剖された人間がもはや人間ではないように、もはや主の愛ではない
同感です。
以下、蛇足かもしれませんが。
管理人さまは、ご自分の「現在」を、ずっと過去、幼少のころの経験にまでさかのぼって分析されたことはありますか?私はここ最近、それをさせられています。私には自他共に認める心の病があります。精神疾患とは言えないと思いますが、この病は、時折私と他の人との関係をダメにしてきました。沙耶香さんに対するかつてのレスをご覧いただければ、それが少し判るかもしれません。
なぜそうなんだろうと考えて、自分を治そうと努力した時期もありますが、ことごとく失敗してきました。それで、カウンセリングを受けながら気付いたことは、自分の「現在」は、生まれてから自分がどのような家庭環境で育ってきたか、特に幼少の頃の経験に密接に関わっているということでした。自分の幼少の頃の経験を一つずつ思い出しながら分析して見て、初めて、何十年も経った現在の心の病に回復の糸口が見えてくることがあります。自分の心は、自分で思っているよりも、深いものですね。 |
No.749 2006/05/01(Mon) 10:13:40
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☆ Re: 神さまの聖いエロス愛 / 昌夫  |
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aaさん、レスをありがとうございます。
>ご自分の「現在」を、ずっと過去、幼少のころの経験にまでさかのぼって分析されたことはありますか?
自分の中に、攻撃的なところがあって、それを理解したくて分析してみたことがあります。幼稚園に入ったときの経験が大きく関わっているらしいことが分かりました。
>自分の心は、自分で思っているよりも、深いものですね。
そうですね。自分の心でも、深いところはよく分からないし、無意識に復讐のための行動をしていたことが分かって愕然としたことがあります。自分の中に幼少のころの経験から生まれたモンスターを見つけたように感じました。そのときは、神さまにモンスターをCENSOREDいただくように祈りました。今は、考えが変わって、モンスターにも罪を憎むというような良いところもあって、神さまの反対のところにいるというより、ずれているだけだと思います。それで、神さまが心のずれを直して聖くしてくださるように、と祈っています。 |
No.750 2006/05/02(Tue) 06:56:27
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管理人さん。
>今は、考えが変わって、モンスターにも罪を憎むというような良いところもあって、神さまの反対のところにいるというより、ずれているだけだと思います。
モンスターが死んだから、考えが変わったのかも。いずれにせよ祈りは聞かれているのですね。
>神さまが心のずれを直して聖くしてくださるように、と祈っています。
皆様に平安がありますように。 |
No.751 2006/05/02(Tue) 12:58:17
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