[ 掲示板に戻る ]

過去ログ閲覧モード

もう何もない。 / 沙耶香 引用

もう、私には何も残されていない。何をやっても途中で続けるだけの体力精神力がなく、続けられなくなる。それだけのエネルギーがない。だから仕事を探してもいつも面接で落とされ、たまに受かっても、何日かで切られ、誰かにお手伝いを頼まれて、行ってもしんどくて続けられなくなる。
世間の人は甘えているとか逃げだとか言うけれど、私は一生懸命精一杯しているのに、これだけしかできないのだ。
私にでももっとできるだけのエネルギーがほしい。
神様に祈っていたんだけれど、できなかった。
もう私はこの世の中では用なしなのか?

No.736 2006/04/21(Fri) 07:15:16

Re: もう何もない。 / 昌夫 引用

沙耶香さん、神さまが思いどおりにお祈りに応えてくださらなくて、疲れきったときは、とにかく休むことが大切だと思います。世間の人たちが、分かってくれなくて逃げていると批判しても、神さまは分かってくださっているので、大丈夫です。

No.737 2006/04/21(Fri) 13:19:00
<教会のあり方・改革> / Budoueda 引用


教会生活について一部(または私を含む多く)の方の不満を訊かれますのでここに
教会改革への一歩として構想をまとめてみました。

<注意点五項>

一  教会とは、キリストを信じる者の集い。それは自   宅でもそう。
   組織・ 建物ではありません(※参照)。

二. 教会陣(組織・建物)の半強制的な「信徒の交わ   り」「教会の教義」「運営」
● 人の教団また教会に生涯固執するべきではないので  はないだうか。
  自分の教会を造るための一時的学びの場として考え  た方がいいのではと思う(基本的に教会を移り代わ  ることは自由です)。

  基本として教会は自分個人で維持すること。人が   集うも一人であっても信仰のある場が教会。

  交わりは、教会独自の交わりではなく世界隣人が対  照。  
  什一献金とは教会すなわち私たちの個人宅(教会)  に遣うべきではないのか「ビラ配布、伝道資金、生  活維持費等」 第三者の教会に捧げる什一献金、   この辺りがキリスト教会(陣)の世間では      高い敷居や壁となってるのではないか。
  
  人が教会に離れたわけは、私たち罪人の束縛から離  れたのかもしれない。
  教会建物自体を偶像化していないか配慮するべき。

三. 教会の枝分かれについては疑問であり不快(営利  団体化していないのか)。それに意味を見いだせな  いばかりか、混乱さえ招いている。

四  牧師とは奉仕するべきで稼ぎとしてはいけない。   他に職業を持つべき。

五  キリスト以外、牧師などを師と仰ぐことは危険で   もあり避けるべきでしょう(人とは愛する対照あ   って真の師ではない)。


 今の時代、ネット社会でもあり、テレビ、ラジオがる。そのメディアの中にも聖書の教え(※参照)
というものがあり、それを牧師として活用し自宅などで教会の役目を十分果たせるのだと思えます。
※『“三位一体>その神の子キリスト”』が基本とする書物などの正しいその知識です。

これは個人の考えであり、全ての教会が間違ってるということではありません。
聖書に背く考え行動などがありましたら主よ、私の罪をお赦しください。
教会に対する改革が正しく行われることを心から希望します。

No.721 2006/04/05(Wed) 23:32:52

Re: <教会のあり方・改革> / 昌夫 引用

Budoueda さん。書き込みをありがとうございます。

教会の改革を考えるには、まず、教会とは何かという問題があると思います。プロテスタントの神学では、教会とは信仰者の集まりで、福音が正しく伝えられ、パプテスマと聖餐式が正しく執り行われる所、という説が基本になるのではないか、と思います。

聖餐式を一人ではできないので、一人では教会は成り立たないように思います。牧師が聖書の教えにしたがって、教会の仕事をするなら、専門的に聖書の教えの勉強をつづけていくための時間を考えただけでも他の仕事を持つのは時間的に不可能である場合がほとんどだと思います。

No.723 2006/04/06(Thu) 18:53:22

Re: <教会のあり方・改革>こんにちは、感謝します。 / Budoeda 引用

そこをやってみてはいかがでしょうか。伝道は知識だけで語るのではなく、それでは無理も生じるでしょうし人の論理とかわりないように思えます。神が人の口をつかい語るのではないでしょうか。そう信じ。
詳しいことは知りませんが、
かつてのパウロのように奉仕で。

また、一人きりで教会を維持するということではなく、
家族や経験あるクリスチャンが恒例で一時的に家に集まり
聖餐式、バプテスマを行っていいのではないかと思います。方法はあるはずです。
あくまでも教会とは信仰者の集まり、それはいつもそばにおられる神の住まい、人の固執ではなく我が家でこそ信仰の教会。また三位一体であることですから。そして兄弟姉妹の家(教会)の家族にもお会いしに行きましょう。

今の教会の問題は私の取り上げた上記であることは周知だと思われます。解決しなければいつまでも、狭き門で人は離れてしまうと思うばかり。部分に何かが間違っているかとしか思われないのです。改革は正しい事の場合、成功するはずしょう。ただ神に祈りつつ。

No.724 2006/04/06(Thu) 22:56:28

Re: <教会のあり方・改革> / 昌夫 引用

Budoeda さん、レスをどうもありがとうございます。

よく言われることですが、不完全な人間の作るものである以上、教会が完璧でないのは当然だと思います。自分の属する教会に不満があるときに、Budoeda さんの考えておられるような、かなり大きな改革を実行してみる前に、いろいろできることがあるのではないでしょうか。ひとつ例をあげてみます。

アメリカの多くの教会では、教会内で小グループを作ることがさかんになっていて大きな成果をあげています。教会の許可が得られたら、特定のテーマの聖書研究会、信仰に関わる読書の会、讃美歌の会などを教会内で作ってみて、興味のある人々の会える時間を選んで、ひとつの会を初めてみられてはどうでしょうか。御心なら賛同者が集まり、もし教会全体の改革が御心なら、その賛同者の会から建設的な動きが出てくるように、神さまがしてくださると信じますが、どうでしょうか。

>伝道は知識だけで語るのではなく

知識だけでは足りないことは、もちろんですが、教会とは、一人では足りないところがあるクリスチャンがお互いに助けあう集まりいうことが、聖書に書いてあると思います。牧師の一番大切な仕事は、体系的で専門的な聖書の教育を受けて、知識によって、教会の人々が聖書の正しい理解ができていくように教え、また、彼らの考え方と行動が、聖書の御言葉にかなっているかどうかを判断することだと思います。その他の点で、牧師に足りないところがあれば、教会のほかのクリスチャンが補って教会に奉仕するようにすることが大切だと思います。

>かつてのパウロのように奉仕で。

パウロは、伝道者として、自分には報酬を受け取る権利があることを明記しています。パウロが自分の権利を放棄したことは、とても尊いことだと思いますが、牧師など他の人に対して、そのようにすることがその人の義務であるように、別の人がこの点の「改革」を唱えるのは、聖書の教えからずれた話ではないかと感じます。

それからパウロは使徒として直接に主キリストから教えを受けたので、毎日、聖書を研究したりする必要はなかったので、幕屋作りの仕事をする時間がありました。現代の牧師は、時間をかけて聖書や神学を研究しつづける必要があるので、他の仕事をしていては、なかなか牧師の本来の仕事がこなせないと思います。

No.725 2006/04/07(Fri) 07:03:12

Re: <教会のあり方・改革> / Budoeda 引用

素晴らしい話し合いができて感謝します。
「教会内で小グループ」の意見は素晴らしいと思います。まず少しずつそのように
試していく方法は賛成です。今の教会の問題をちゃんと把握し、解決しようという
人間がいることを望んでいたのです。神に感謝。

私もまだ掲示板(机上)の改革構想なので、実際行動としては行っている
ことではないのです。御心のままに成されるのが第一ですから、私の構想が正しければ、
私がやるやらないではなくきっと改革が行われるでしょう。

たしかに人は完璧ではないですから、問題も発生するのですね。
だから努力で少しでも上記にあげた教会の欠点とも考えられるものを、解決できればと思うのです。
このままで、はたしていいのかと思うのですね。別の誰か、マルチンルターはもう必要としないのかどうだろうかと…。

私も弱い人間であり、過ちもおかす者。私もなにかしら間違いがあるでしょう。
それをただしながら神の恵みで成長したいものです。
ありがとうございました。

No.726 2006/04/07(Fri) 22:35:26

Re: <教会のあり方・改革> / NGK 引用

BudoUedaさん。

はじめまして、NGKともうします。
以前この掲示板にて、教会での礼拝出席の必要性について論じました。私の立場取りは、教会における各キリスト者間の交わりの信仰生活における必要性を堅固するものです。そのため、私が以下に書き込ませていただく意見は、教会の群れとしてのあり方を守ろうとするバイアスがかかっていることをまず申し上げて置きます。

単刀直入に申し上げると、BudoUedaさんのご意向の下に教会内でスモールグループを開始することは、賢明ではないと考えます。私がそう考える理由を以下に記します。飲み込むのが難しい(耳に痛い)内容かもしれませんが、ご考慮ください。

1)スモールグループは、あくまで、単一の群れとしての教会(組織)と歩調をあわせた運営が前提。教会が組織として手が届かない活動を補完し、また補強するのが目的。

2)BudoUedaさんの書き込みを拝読する限りにおいては、貴兄は神学的な間違いが教会で実行されていることに心を痛めているというより、教会組織の「運営」について異議があるように見える。あるいは、両者がごっちゃになっている。

要するに、何を申し上げたいかといいますと、今のBudoUedaさんのご意向の下に開始されるスモールグループは、教会を建設的に補助し、また補強するモノではなく、逆に、教会の運営に対して、教会内に、組織的に異議を申し立てるためのサークルを作り上げる結果になりかねない、ということです。

きつい言い方をすれば、本来結束が必要な空間に、分裂の種を植え付ける結果になりかねない、ということです。教会の運営に少しばかり携わってきた小生の意見を申し上げるならば、そのような教会と歩調をあわせることを前提としていないスモールグループは、名前こそ掲げるがその存在意義を最初から否定しているような、自己矛盾したものになりかねないということです。

私の意見は、BudoUedaさんご本人が、牧師と直接、個人的に会話をし、不満を打ち明け、その不満の神学的な意味をお互いにきちんと整理・議論したうえで、どうしても意見が合わなければ、「お一人」で、静かに、感謝の心を持って、他の人を巻き込むことなく、その群れを去ることです。

教会組織への不満を体現化するために、教会組織内にスモールグループを作ることなどが、あってはなりません。

昌夫氏とはかなり切り口が違うと思いますし、BudoUedaさんに容易に受け入れてもらえるとも思いませんが、BudoUedaさんの書き込みを拝読し、私の予測と意見に基づいて書きました。 

どうぞ、ご参考までに。

No.727 2006/04/08(Sat) 07:48:11

Re: <教会のあり方・改革> / Budoeda 引用

NGKさん、感謝します。

なるほど、だれかに不審な点を指摘されることには、私も前述したように、愚かな罪人、何か間違いは在るのかも知れません。ただ、悩み率直な気持ち考えはここで言うのはきっと大事なことで正解だったと信じます。答えを待っているのですし、そうしないと心のもやもやは解決しないですから。実際のいつまでも繰り返す問題に違いないからです。

私のような同意見の方はいないのでしょうか?上記全ての課題に間違いがあったのでしょうか?私独特の構想だったとは信じかねています。
でも、神が答えを出し、私や同じ意見の方の間違いを認めさせ、正して頂けると希望しています。でもこの教会不満は私に限ったことでなく完璧でない私たち人の現実の問題ではないのでしょうか。少しでも解消して頂ければと神に願うばかり…。ありがとうございました。

No.728 2006/04/08(Sat) 14:03:43

Re: <教会のあり方・改革> / 昌夫 引用

教会組織への不満を体現化する目的での小グループを作ることへの反対し、不満があればまず牧師と2人での話しあいをするという部分のNGKさんの意見に賛成します。

Budoedaさんの第3点ですが、教会組織の枝分かれを根本的に否定するなら、カトリックかギリシア正教の教会に属するようにすることになると思います。プロテスタントは、宗教改革のときに、カトリック教会から枝分かれをしたわけなので、そこをどう評価するかという問題になるのではないでしょうか。宗教改革のときに、ルターたちは信仰者の霊的な一体化を信じつつ、教会の教義や行為が聖書の教えと一致しないときには、教会組織を分かつことは御心にかなうと判断したと思います。その判断を肯定するなら、宗教改革後の教会の枝別れについても批判できないし、もし、否定するなら、プロテスタントでありつづけることはできないと思います。

第5点について、キリストのみを真の師と仰ぐことは、聖書に御言葉にあることと思います。全てにおいて牧師の言いなりになるような態度に気をつけるようにすることが大切だと思います。これは、牧師の後ろに立ったために、前のキリストが見えなくなってしまったというイメージで考えています。

ただ、御言葉を律法主義的に解釈しないように注意することも大切だと思います。聖書の御言葉を専門的な勉強をして、とりついでくれる牧師とその役割を尊重し、牧師を自分よりも知識のあるものとして尊敬しながら、自分の教会に奉仕することが、キリスト者の基本ではないでしょうか。これは牧師に右に立ってもらって、2人でキリストの前に、横に並んで立つというイメージで考えています。

No.729 2006/04/09(Sun) 04:13:10

Re: <教会のあり方・改革> / NGK 引用

BudoUedaさん。

私は貴兄の教会組織への不満を否定する目的で、727のレスを差し上げたのではありません。貴兄が訴えられた教会への不満には、私も同調できるのです。

>私のような同意見の方はいないのでしょうか?
>私独特の構想だったとは信じかねています。

全世界の群れとしての教会組織に、貴兄と同意見を有する方々は五万といる事でしょう。私もその一人です。高度に組織化され、階級化されている教団、教派。必要以上に高められている牧師の教会にあっての立場。私自身も見てきました・・・。 現在、私は自由主義的な教会に属しています。しかし、これが本当に主の望まれる教会の姿なのかという疑問は、私も、また教会も、常に持ち続けています。その問いかけを繰り返す中で、新しいことをしたり、また新しいことをせずに伝統を守ったり、色々するのです・・・。

>心のもやもやは解決しないですから。

そうですね。これは、もやもやがすっきりするまで、自分の足で歩みつつ、学び続けるしか無いでしょうね。改革でも何でも、納得するまで、なんでもやってみたら良いと思います。

私が貴兄に申し上げたかったのは、まずは改革の動機についてもう少し点検と検証を重ねる必要があると思うということが一つです。

貴兄の動機が、
1)教会組織のあり方が周りにいる人達のたましいの救いと霊的な成長に明らかな弊害を生じさせていて、「このままではどうしてもダメだ」という切実な思いがあってのコトなのか。
2)既存の組織への批判そのものが目的なのか。
3)なんとなく聖書と違うぞ、という不明確な疑問なのか。
4)感情的な不満の爆発なのか。

その辺りを整理してハッキリさせたうえで、行動しないといけない気がするのです。そうしないと、改革と称して既存の組織秩序に改革を促したは良いが、結果的には、自分の考え出した新しい組織秩序を打ち立てただけという、ミイラ取りがミイラになるような結果なりかねないからです。

最悪なのは、神様のみこころにかなわない動機で賛同者を集め、結果的に善良な信者を扇動してかえって傷つけ、真っ当に機能していた教会内に分裂が生ずるというパターンです・・・。 ですから、何かしら改革をするにしても、まずは自分ひとり、孤独にそれをすることが基本となるでしょうね。改革が正しいなら、賛同者は、後から、誰も誘わなくても、集まるものです。

マルチン・ルターも、自らの所属するカトリック教会組織の運営の中で、免罪符の販売という一事についてのみ、一人、孤独に、教会を批判をしました。彼はカトリック教会を「改革してやろう」等とは考えていなかったのですから・・・。

BudoUedaさんに、忍耐が与えられ、心に平安がありますように。

No.730 2006/04/09(Sun) 05:28:00

Re: <教会のあり方・改革> / Budoeda 引用

昌夫さん>
枝分かれについてですが、カトリックまた、原始キリスト教になれと言う意味でないのです。正しい教会で在ればいいと。
プロテスタント自体素晴らしい改革です。派閥化さえなければもっとよかった。(カトリックについては映画『ブラザーサン・シスタームーン』の最後のシーンで、
ローマ法王が運営について語るのが意味深で改革の大事な部分だと感じていました。聞き流すのでなく実際問題視することが必要だと。)

無理があるのですがもっと万人に納得のできる素晴らしい信仰生活の場がほしい。
そのための改革を上記のように私的に取り上げたわけです。それに対しての多くのクリスチャン牧師や求道者に参加して、案や修正などしてみたいのです。

昌夫さんにも素晴らしい改革案を教えて頂きました。
昌夫さんの、尊敬しあい助け合い、それが正しい意味の教会を造ることなのでしょう。
当然ながらわたしが ルターではありません。みんなと共でルターに成ってほしい。



NGKさんが私の言いたい教会の姿を730で言われました、その通りだと感じるのです。
重荷ご苦労を察しました。

1)教会組織のあり方が周りにいる人達のたましいの救いと霊的な成長に明らかな弊害を
  生じさせていて、「このままではどうしてもダメだ」という切実な思いがあってのコトなのか。
2)既存の組織への批判そのものが目的なのか。
3)なんとなく聖書と違うぞ、という不明確な疑問なのか。
4)感情的な不満の爆発なのか。

1はそうだともいえるでしょう、離れた人が信仰を捨てたかのように見えますがそうなのか。
キリストに、はたしてあきれ去る人などいるのでしょうか?
離れたのは自分の罪深さもありまた、人の束縛に離れたと。まず人でなく、神を見てほしい。
三位一体信仰に問題はなく、既存の教会にも長所があります。
だから既存の組織への誤りがあれば批判したい。

3は、聖書に反しているとは言えないが、あまりに建物・組織中心で家は教会ではない概念を
作り上げてしまったような、違和感束縛を感じました。私の受け方考えが間違ってたら申し訳ないです。
それが不明確ながら個人的には違うのではとも。

4は、その鬱憤が爆発したとも言えます。

みなさんのアドバイスに助けれ。感謝。

No.731 2006/04/11(Tue) 00:28:59

Re: <教会のあり方・改革> / NGK 引用

BudoUedaさん。

私の意見が何か参考になったのなら、それは幸いでした。

>三位一体信仰に問題はなく、既存の教会にも長所があります。だから既存の組織への誤りがあれば批判したい。

話は変わりますが、貴兄は「夜回り先生」と呼ばれる、水谷修という方をご存知でしょうか。大人たちから虐待されたり無視されたりする中で自分を追い詰め、リストカットを繰り返す子供たちを救おうとする彼の活動を、NHKの特番で拝見したことがあります。

その中で、親の不理解や親への不満をなきながら訴える子供に、この先生は、「お前、お父さんの靴を磨いたことがあるか?」と、問います。子供は、この意外な問いに絶句してしまいます。

私はこのやり取りを聞いていて、「あぁ、これは自分への問いかけだ」と思いました。自分の痛み、不安、不満で頭がいっぱいで、自分自身がいかに他者に対して不寛容かつ無関心であるかは、そっちのけ。 自分はクリスチャンだと言い、聖書を学んでいると言い、信仰をもって神とつながっていると言う。

でも、夜回り先生のように、実際に人生に痛んでいる人たちに対して、何もしていない自分。 自分の不満足を人にぶつける前に、人のために何かすればいい。 視点を変えなきゃいけない。と、そう思わされました。

BudoUedaさんが今ご経験の教会における諸問題は、私にはほんの少ししか判りません。

でも、子供がお父さんの靴を磨いて見るように、教会に属する人もまた、一度そのような「他を愛する」心の目をもって、自分自身と教会を見つめなおす必要もあるように思います。

その結果、やはり批判が必要となるか、それとも逆に自らに悔い改めが必要になるかは、状況次第ですが・・・。

BudoUedaさんが今回訴えられた教会への不満は、本当に多くの方々が感じておられることだと思います。でも、その人たちがすべて、教会を離れるという結果にはなっていません。それは不必要な束縛を感じての事かも知れません。でも、そうではなくて、教会に対する献身の心から、自らの不満よりも教会のことを気にかけてのことかもしれません。

教会を離れたから、信仰を捨てることになどなりません。それは自己中心の心からかもしれませんし、そうではないかも知れません。一概には言えません。

一人一人が、自分の疑問と共に苦しみながら、もがきながら、歩みとおしながら、答えを見つけてゆくしか無いようです。

No.732 2006/04/11(Tue) 10:58:41

Re: <教会のあり方・改革> / 昌夫 引用

>素晴らしい信仰生活の場がほしい

このことと、Budoedaさんの第2点を読んで、パウロはコリントの教会で明らかな罪を犯しつづけていた人を、教会追放したことが頭に浮かびました。当時、教会追放という罰が、恐れられたようですが、それは、教会が一つの聖霊さまのもとでの、素晴らしい信徒の交わりのある所だったからだと思います。イエスさまの愛というのは、相手のために死ぬほどの激しいものですから、信徒がイエスさまの愛で愛しあって交流するのは、とても素晴らしい交わりになると思います。そういう交わりのある集まりから追放されることは、とてもつらいものがあるはずです。

ある人が、もし、教会を変わることに、ほとんど痛みを感じないとしたら、それは、その人が、ひとつの聖霊さまによる交わりを、教会の信徒の誰とも持っていないからだと思います。

アメリカで、小グループが重視されている理由のひとつは、真の信徒の交わりは、大きなグループではなかなか難しいからだと思います。

小グループを使った信徒の交わりについて、リック・ウォレンという牧師が書いた「人生を導く5つの目的」という本に詳しく書いてあります。アメリカでベスト・セラーになった本です。1章が短く、他の人たちと一緒に読みやすいので、多くの小グループで、この本を一緒に読んで勉強しています。僕は今までに4つの小グループでこの本を読みました。

http://www.pdjapan.com/

の出版物のひとつとして、この本の紹介があり、小グループ関係の他の本も出版されていることが紹介されています。

No.733 2006/04/11(Tue) 11:58:52

Re: <教会のあり方・改革> / Budoeda 引用

教会といえど人の集まるところ。それだけでもたしかに辛いものですね。
何度も逃げてきた私は逃げる人の気持ちはよく分かる気がします。
義人はいないと聖書にあるのだから無理もないでしょう。
私はこの罪深さを生涯抱えて悔いあらためながら生きていくしかありません。

夜回り先生は何か信仰を持っておられるのかがわかりませんが、無宗教だとしたらそのアガペはどこから発生したのか自分にはよく理解できません。ただ感動は受けてもただただ頭の下がる方です。

いろいろありがとうございました。昌夫さん、NGKさんの力ある信仰に感謝します。

No.734 2006/04/12(Wed) 00:01:47
牧師を愛している。 / 沙耶香 引用

教会の牧師を愛している愛している愛している。
かわいくて愛くるしくて愛しい。好きでたまらない。心が美しくて永遠に一緒にいたい。
一緒に住みたいけれど、向こうがその気がないので・・・こんなこと掲示板に書いてしまっていいのかな?不適切だと思われたら消してしまってください。

No.700 2006/03/29(Wed) 18:25:16

Re: 牧師を愛している。 / aa 引用

愛 と 情欲 とは、 ちがいます。

あなたの、牧師に対する思いは、情欲です。

区別 しましょう。

その区別をつけるとき、

自分の「肉的な情欲」を自ら裁き断罪するとき、

神様を第一に愛するということへの

手がかりがみつかります。

僭越ながら。

No.701 2006/03/29(Wed) 22:39:24

Re: 牧師を愛している。 / 昌夫 引用

沙耶香さん、イエスさまは、主にある兄弟姉妹がイエスさまが愛されたように愛しあうように言われました。牧師を愛しているという気持ちを大切にして、イエスさまの完全に聖い愛に神さまが育ててくださるように、お祈りしていくと、素晴らしいと思います。

aaさん、僕の属しているあるクリスチャンのグループで「さばく」ことと、「区別する」ことの違いを一緒に考えたことがあります。僕たちは、他人の心のことなど分かるわけではないと思うので、他人の心や動機についての批判は「さばく」ことになると考えました。外に出てきた行動については、さばかずに区別することも可能だと思います。他にも、いろいろな考え方があるでしょうが、もしひとつの考え方として参考になるようでしたら幸いです。

No.702 2006/03/30(Thu) 11:34:42

Re: 牧師を愛している。 / aa 引用

管理人さま。

沙耶香さんの、

>愛くるしくて愛しい。好きでたまらない。

という一方的な、かつ女性の女性に対する感情の表現を、

きつい言葉で批判することも、

逆に甘い言葉で肯定することも、

相手の状況に対する配慮と同情、また神様の前に正しく最善がなされるようにという愛が無ければ、どちらも本質的には「裁く」行為です。

No.704 2006/03/31(Fri) 11:38:49

Re: 牧師を愛している。 / 昌夫 引用

aaさん、僕は異性でも同性でも「愛くるしく愛しい」と感じることが、そのように人を美しく造られた神さまを賛美する気持ちであれば、罪だとは思いません。例えば、ミケランジェロのダビデ像や、ミロのビーナスの像を見て、美しいと「一方的に」思い、神さまを賛美すると、罪になるとは思いません。

それから神さまのアガペー愛と、情欲にもつながるエロス愛の関係は、僕にはよく理解できません。雅歌を読むと、2つは全く関係のない違うものとは、聖書には書いていないように思います。神さまがエロス愛を聖めて、アガペー愛につながるようにされることもあるのだろうと考えています。

好きだとという感情が、罪のある情欲につながることは、よくあると思いますし、それが自分のことであれば、注意します。人のことなら、僕は人の心のことを裁くことはしないようにしています。沙耶香さんへのレスに書いたように、聖い愛にしていただくように、祈ることは勧めることがあります。

No.705 2006/03/31(Fri) 13:20:03

Re: 牧師を愛している。 / aa 引用

管理人様。

レスをありがとうございます。

いずれにせよ、私にしても管理人さまにしても、沙耶香さんの感情の本質と、その感情の表出によって彼女の周囲におきている実際的な諸問題にはついては、それらを無視して、指一本触れることなく、好き勝手なことがいえる訳です。

>神さまがエロス愛を聖めて、アガペー愛につながるようにされることもあるのだろうと考えています。

エロスの「延長線上」に、アガペーはありません。

両者は交わらないものだと思います。

交わらないなら、自らの愛がエロスであって、アガペーでは無いということを、自ら認識することが、アガペーを自らの物とする条件となるのだと思いますよ。

自らが裁かれなくては判らない事柄はたくさんあるのです・・・。

No.706 2006/03/31(Fri) 22:53:30

Re: 牧師を愛している。 / 昌夫 引用

aaさん。レスをありがとうございます。神さまは愛であられるので、アガペー愛は神さまのように無限だと思います。僕たちが、神さまのことを分かったとように思っても、まだまだ神さまの奥が無限に深いように、僕はアガペー愛も、無限に深くて、人間がどんなに深く理解したつもりでも、さらに無限に奥の深いアガペー愛の、ほんの一部を理解したにすぎないと考えています。

エロス愛のことを考えると、サムソンのことが浮かびます。士師記14章1−4で、サムソンがぺリシテ人の女を妻にしようとしたことは、律法に反することだったように思えますが、それが主によることだったとあります。エロスと無限に深いアガペーの関係は、僕にはよく判りませんが、神さまがエロス愛をアガペー愛の目的に使われることがあることは、このことで分かるように思います。

同性へのアガペー愛ということでは、ヨナタンの自分の王位継承のライバルのダビデに対する美しい愛のことを思います。沙耶香さんの牧師に対する愛が、どのような愛であるか、僕には分かりません。神さまが、沙耶香さんの愛をヨナタンの愛のように聖くする力を持っている方であることは知っています。

a aさんが、沙耶香さんや、まわりの人々のためを思う善意で批判の書き込みをされたことは理解しているつもりです。

No.707 2006/04/01(Sat) 22:22:15

Re: 牧師を愛している。 / aa 引用

管理人さま。

サムソンは異邦の妻デリラを「愛した」ために、結果的には髪をそられて力を奪われ、目をえぐられ、奴隷にされ、虐待されました。人間は神様の前に過ちを犯すとき、自分自身も傷つき、また他の人も傷つけます。

キリスト者同士の交わりとは、そのような過ちを聖書を学びあうことで未然に防いでゆく役割を有していると、私は思います。・・・この掲示板も、しかり、では無いのでしょうか。

>沙耶香さんや、まわりの人々のためを思う善意で

どうでしょうか・・・。私はそうは思いませんよ。

私自身の#701の書き込みは、自分でも後から「愛の無い好き勝手なことを書いてしまったな」と思わされたものでした。 沙耶香さんの神経症の苦しみを分かち合う立場にもなく、彼女が「愛する」牧師をサポートできる立場にも無い者が、ああだ、こうだ、といって見たところで、それは主の愛に基づくものじゃなかったんだなと、自分で思っています。

最後に沙耶香さんに申し上げたいと思いますが、イエス様はしばしば、私たちに自らの心を深く内観することを迫られることがあります。 その内観は自らを自分の罪に気づかせ、その罪を認め、その罪から悔い改めるように、その人を導きます。

でもそのときに、罪と判っているのに、「この罪にも何か良いものである、何か良いものにつながるに違いない」と、かたくなにその罪を手放そうとしないならば、悔い改めからもたらされる心の救いと平安は、どんどん遠ざかって行ってしまいます。

私もかつて、異性の方に感じた深い愛情が、実は利他愛(アガペ)ではなく、自己愛(エロス)でしかなかったことに愕然とした経験があります。 その事実を認めて、何とか自分の感情をその人から分離し、癒され、喜んで生活をすることが出来るようになるまで、数年かかりました。 ですが、その癒しの過程の最初にあったのは、自分の愛を、アガペ愛ではなく、単なる自己中心的な感情の爆発でしかなかったと認めた、その裁きの瞬間です。

以上です。

No.708 2006/04/01(Sat) 23:15:23

Re: 牧師を愛している。 / 昌夫 引用

aaさん、レスをありがとうございます。

>どうでしょうか・・・。私はそうは思いませんよ。

僕は人間的な善意というのは、神さまの御心と違って、時にとても危険なものであると思います。aaさんは、自分の中のエロス愛とアガペー愛の違いに気づかれて、くるしい中で、とても大きいステップで神さまに近づかれたのだと思います。それは、素晴らしい経験だったろうと想像します。

でも、そのように近づいても、さらに底知れず、理解しがたく深いのが神さまのアガペー愛だと思います。そのアガペー愛にもとづいた神さまの計画は一人一人に違うし、自分と同じようであるとは限らないと思います。

サムソンはエロス愛からの欲望の罪のために大いに苦しんだけれど、へブル書11章で、信仰の勇者の一人に数えられています。エロス愛自体に罪があるのではなく、エロス愛からの欲望に支配されることに罪があるのだと、雅歌や士師記14章から、僕は考えています。

aaさんが、ご自分の素晴らしい経験を、他の人の心にそのまま応用して、批判されたと思います。それが人間的な善意からのものであっても、人の心の大切なところを踏みにじりかねない、とても危険な行為であったと僕は感じています。

No.709 2006/04/02(Sun) 08:48:28

Re: 牧師を愛している。 / aa 引用

管理人さま。

>aaさんが、ご自分の素晴らしい経験を、他の人の心にそのまま応用して、批判されたと思います。それが人間的な善意からのものであっても、人の心の大切なところを踏みにじりかねない、とても危険な行為であったと僕は感じています。

そういう一面も、確かにありました。ご指摘の通りです。

しかし、私には基本的にそのような語り方しか出来ません。自分の体験と相手の心への感情移入に基づいた聖書理解・解釈を語るしか、私には出来ません。

ただお言葉を返すようですが、管理人様の上記のお考えは、聖書の物語を他者の状況に応用する場合にも、そのまま当てはまります。それは管理人様もわかっていらっしゃいますよね?


●沙耶香さんへ。

私の投稿の内容が、貴方のお気持ちを傷つけてしまったなら、その傷について、それが癒されるようにお祈りします。

ただ、私は、自らの体験を通して確認してきたことを書きました。それ以上でも、それ以下でもありません。私が書いたことは、少なくとも私の経験してきた人生においては、しっかりと確認された真理です。そのことだけは、どうかご理解ください。 その体験を神の御心と関連付ける聖書のみことばも、ご要望であれば、ご紹介できます。

私の配慮の無さについては、どうか、お許しください。
また沙耶香さんが私に訴えたい批判があったなら、どうぞ仰ってください。その批判を、自分のものとして受け止める出来る限りの努力をしますから・・・。

いろいろとすみませんでした。

No.710 2006/04/02(Sun) 09:22:43

Re: 牧師を愛している。 / 昌夫 引用

>それは管理人様もわかっていらっしゃいますよね?

ある人の聖書解釈について、苦しい体験が背後にある場合、違う聖書解釈があることを伝えることで、その人の心の中の大切なところを踏みにじってしまう危険があることは、承知しています。しかし、危険があっても、そうするべきである場合があると考えています。

パウロのころに偶像に捧げた肉は食べてはいけないという旧約聖書の解釈をした人たちと、食べて良いという聖書解釈の人たちがいましたね。ローマ14章で、パウロは、肉を食べてはいけないと考える人は、自分は食べないようにすると良いけれど、肉を食べている人たちの意見をさばくのは良くないということを教えてくれていると思います。肉を食べてはいけないという聖書解釈を持っている人たちの中には、パウロにそう言われて心の中で大事にしている聖書解釈を踏みにじられたと感じた人がいたかもしれません。それでも、その人が、「神さまは、肉を食べてはいけない言われている」と断言して、主の名をみだりにとなえる罪を犯したり、肉を食べている人たちをさばく罪を犯すよりは、肉を食べて良いという聖書解釈があることを伝えることが良かったのだと思います。

もっと、今回のことに関連のある例として、マタイ5:27−32の聖書解釈をあげてみます。リック・ウォレンがアメリカでベスト・セラーとなったPurpose Driven Life (邦題「人生の導く5つの目的」)の中で、特に男の人で、ここの聖書解釈を誤る人が多いのだと述べています。イエスさまは、罪を犯さなかったけれど、誘惑は受けられたことがへブル4章15節にあるので、誘惑を受けること自体は罪ではないのに、誘惑を受けただけで罪と勘違いする人たちがいるということだと思います。「情欲をいだいて女を見る者は、すでに心の中で姦淫を犯したのです」を読んで、美しい女性を見て性的な魅力を感じ、誘惑を受けただけで、罪を犯したという間違った聖書解釈をする人が多いのだそうです。性的な魅力の誘惑に負けて、情欲に支配された目で、意図的に女性を見たときに、初めて罪になるということを、ウォレンが書いています。

ウォレンの聖書解釈が間違っている可能性もあります。だから、マタイ5:27−32の特定の聖書解釈に基いて、自分が美しい女性を見ないようにしている人がいたとしても、その人に何も言う必要がないと思います。でも、その人が、自分の聖書解釈をもとに、他の人の心をさばいているところを目撃したら、このような別の聖書解釈があることを伝えるようにすることは、ローマ14章に習った行為であると思います。

人の行動を見て、必要を感じて別の聖書解釈があることを伝える行為は、その人を傷つける危険があっても、するべき場合があると思います。これに対し、人の行動ではなく、心の中を想像し、自分の特定の聖書解釈を真理であるとして、人の心の中のことを罪であると断言する行為は、「さばく」という、してはいけない行為だと考えています。

No.711 2006/04/02(Sun) 21:35:36

Re: 牧師を愛している。 / aa 引用

管理人様。

>人の行動ではなく、心の中を想像し、自分の特定の聖書解釈を真理であるとして、人の心の中のことを罪であると断言する行為

私の#701の書き込み

>>あなたの、牧師に対する思いは、情欲です。

が、「心の中を想像し、自分の特定の聖書解釈を真理であるとして、人の心の中のことを罪であると断言する行為」ということでしょうか。

もしそうであるなら、私は間違いを犯しました。

No.712 2006/04/03(Mon) 01:40:01

Re: 牧師を愛している。 / 昌夫 引用

aaさん、レスをありがとうございます。僕の聖書解釈では、他人の思いを情欲であると断言すると、罪の行為になるのですが、解釈が間違っているのかもしれません。aaさんが、祈りのなかで、罪であったかどうか、考えてみてくだされば幸いです。

沙耶香さんが#713で書かれたように、イエスさまが沙耶香さんの書き込みを使って、僕たちが普通なら傷つけあいになりやすく、伝わりにくい深いところの違った考えを伝えあう、有益な交流をさせてくださったと思います。クリスチャンの交流の素晴らしさを感じ、イエスさまに感謝します。

No.714 2006/04/03(Mon) 10:54:49

Re: 牧師を愛している。 / aa 引用

>僕の聖書解釈では、他人の思いを情欲であると断言すると、罪の行為になる

クリスチャンの交わりは、がチンコ勝負です。

ご本人も間違っているかもしれないと自認している聖書「解釈」で、「あなたの罪かも知れないから祈って見てください」といわれても、説得力ゼロです。

間違っていてもいいから、ちゃんとご自分で確認された聖書「理解」をもって語ってください。

No.716 2006/04/04(Tue) 01:46:11

Re: 牧師を愛している。 / 昌夫(管理人) 引用

aaさん、レスをありがとうございます。

>ご本人も間違っているかもしれないと自認している聖書「解釈」

僕の考えでは、人間には「自分は絶対間違っていない」と考える権利はありません。人間にできることは、絶対に間違えない神さまが、人間のレベルに降りてきて示される御言葉や、神さまの被造物を自分の持っている世界観などのスクリーンに映し出して、「解釈」し、信じることだけだと思います。

その上で、僕の理解をaaさんにぶつけてみたいと思います。「あなたの、牧師に対する思いは、情欲です。」と断言されたaaさんの行為の背後には、aaさんが、意識しておられない罪の要素があったのではないかと思います。

神さまも、アガペー愛も、無限に深くて、到底、有限の人間にはほんの少ししか理解できないものなのに、自分の理解が深まったところで、「それはアガペー愛ではない」、「その聖書解釈は間違っている」などと断言できるほどに、理解したと思ってしまう、神さまに対する傲慢の罪がひとつ。もう一つは、自分の心の動きを人の心に投影し、人の心を理解したと思って、断言してしまう、神さまの造られたとても複雑な心を理解したと思ってしまう傲慢の罪です。

僕の理解では、これらの傲慢な心があると、「さばき」の行為につながると考えます。

No.717 2006/04/04(Tue) 06:38:15

Re: 牧師を愛している。 / aa 引用

>その上で、僕の理解をaaさんにぶつけてみたいと思います。「あなたの、牧師に対する思いは、情欲です。」と断言されたaaさんの行為の背後には、aaさんが、意識しておられない罪の要素があったのではないかと思います。

そのことについては、#712にて認めています。

>神さまも、アガペー愛も、無限に深くて、到底、有限の人間にはほんの少ししか理解できないものなのに、自分の理解が深まったところで、「それはアガペー愛ではない」、「その聖書解釈は間違っている」などと断言できるほどに、理解したと思ってしまう、神さまに対する傲慢の罪がひとつ。もう一つは、自分の心の動きを人の心に投影し、人の心を理解したと思って、断言してしまう、神さまの造られたとても複雑な心を理解したと思ってしまう傲慢の罪です。僕の理解では、これらの傲慢な心があると、「さばき」の行為につながると考えます。

裁いてしまったことについては、申し訳なく思います。

ただ、私は自分の体験と、その体験とによって裏付けられた聖書理解に基づいて、他者の方の言動に感情移入させることで相手を理解し、そしてその理解に基づいて発言することしか出来そうにありません。 


PS: 管理人様へ。

管理人様ご自身のお考えをぶつけてくださったことに、感謝いたします。心を責められ、自分の間違いに気づかされた思いです。「さばき」自体は罪ではありません。要はその裁きが何に基づいているか、またその裁きがどのように相手に受け止められるか、でしょうね。私はその点で間違いを犯しました。

私が管理人さまに感じていた不満は、神様のみことばと、その無限の愛を、人の自分勝手な「愛」の解釈を漫然とながめ、何の対処もしようとしないように思えた所にありました。 

神様の無限の愛は、無限に深い人間の罪に救いを与えるゆえに、人間にとって無限なのだと思います。神様の愛は、人間の悔い改めという事柄を抜きに語ることは出来ないと思います。

私としては、たとい間違っていてたとしても、自分を精一杯の誠意をもってさばいてくれる人の方が貴重です。いずれそういう人たちに感謝するときが来るからです。

No.718 2006/04/04(Tue) 21:47:31

Re: 牧師を愛している。 / 昌夫(管理人) 引用

aaさん。レスをありがとうございます。

僕は、人をさばいて傷つけてしまった苦い経験と「さばくな」と言われたイエスさまの御言葉を重視しています。自分と関わりのある人が罪を犯しているらしいと感じたときは、「あなたは罪を犯していると思う。」というようなことを伝える前に、するべきことがいくつかあることが多いと思っています。

神さまの愛は、僕たち一人一人を完全に知っておられて、受け入れておられ、一人一人に最適の対応をしてくださるといことが、まず基本だと思います。

人間は、完全に人を知ることはできませんが、知るための人間にできるだけの努力をすることが、まず必要だと思います。その人が信仰を持っているかどうか、信仰を持っているなら、どのような性質の信仰であるか、入信後の期間の長短、試練にあっている最中か、そうでないか、愛や罪について、クリスチャンの交流について、どのような考えを持っていいるか、などによって、その人にとって最善の対応が変わってくると思います。できるだけ、その人を知ろうとし、その人にとって最善の対応をしようとする努力をしないで、画一的に「あなたは罪を犯している」と伝えることは、神さまの愛からずれた行為だと思っています。

現在のaaさんが、罪を犯したとき、まわりの兄弟姉妹がするaaさんにとっての最善の対応は、「あなたは罪を犯していると思う」とすぐに伝えることかもしれません。でも、今の自分にとってそうだからと言って、他の人にもそうすれば、それが、その人に最善ではなるとは限りません。例えばaaさんが、入信直後のころだと、もっと他の対応が良かったということがあったと思います。

人に対する感情移入は、その人のための最善を考えるための、大切な一歩だと思いますが、その人の心を完全に知っておられる神さまとは、まだ遠いところにいることを知ることが大切だと思います。そうすれば、「さばく」行為の前に、まず、質問したり、その人を観察することになると思います。

その人のことをある程度知ったと思い、罪について伝えるべきだと思ったときは、ヨハネ4章4:29とヘブル書が参考になると思っています。ヨハネ4章で、イエスさまは、サマリアの女が夫でない男と住んでいる罪を最初からご存知だったけれど、まず、「わたしに水を飲ませてください」と、水をくむ物を持っているという女の長所を指摘するところから会話を始められました。へブル書では、著者は神学的テーマの説明をまずしてから、励ましと警告をしています。

No.719 2006/04/05(Wed) 06:51:38

Re: 牧師を愛している。 / aa 引用

管理人様。

ご指摘の点は、至極ごもっともであり、私の態度に軽率な「さばき」と、相手を深く理解しようとしていなかった「無配慮」と、自分の経験を相手に投影してそれが事実だと決め付ける「傲慢」とがあったことを認めます。

>全に人を知ることはできませんが、知るための人間にできるだけの努力をすることが、まず必要だと思います。

ごもっともです。 返す言葉はありません。

もうどうでもよいですが、私は掲示板等で聖書のみことばが「列挙」されることに、しばしば不快感を覚えます。イメージ的には廊下に画鋲をばら撒かないでほしいと言った感じでしょうか。 

私は聖書のみ言葉は、基本的には、その人の体験や実際の生き方によって裏付けられて初めて、聞き手にとって「血の通った いのち」を持つのだと思っています。私が聖書について語るときは、出来るだけ、そうありたいと願っています。 管理人さまに「ご自分の経験」を通して語ってほしいと願ったのはきっとそのためでしょう。

しかし、私は沙耶香さんを「血の通ったひとりの神に愛された人」としてちゃんと見ることなく、何かを断定してしまったので、自分の信念とは正反対の失敗をしてしまったのですが・・・。

>その人を知ろうとし、その人にとって最善の対応をしようとする努力

私は怠っていました。そのことについては、本当に申し訳なかったです。

No.720 2006/04/05(Wed) 07:55:18

Re: 牧師を愛している。 / 昌夫 引用

aaさん、レスをありがとうございます。

>私は聖書のみ言葉は、基本的には、その人の体験や実際の生き方によって裏付けられて初めて、聞き手にとって「血の通った いのち」を持つのだと思っています。

共感します。自分が従ってみたことのないみ言葉の解釈を人に言うとイエスさまが一番嫌われた偽善になってしまう恐れがありますね。ただ、掲示板の管理人が、自分の経験を多く語ると、いろいろな理由で掲示板が混乱することが経験的に分かっています。

それと、聖書解釈が自分勝手な方向にずれたものにならないためには、聖書が書かれたときに著者がどういう歴史的な情況で何を伝えようとしたか、できるだけまず知るようにすることが大切だと思います。基本的には、この作業の後に、自分の現在の情況への応用を考えるようにするべきだと思います。

>私は掲示板等で聖書のみことばが「列挙」されることに、しばしば不快感を覚えます。

これは、理解できるように思いますし、自分の都合の良い聖書の御言葉を、文脈や他の関連箇所を無視して振り回すようになると非常に危険でもあります。しかし、ミニストリーとしてのCFI として、自分の考えだけを述べていても、あまり意味がないようにも思います。御言葉の押し付けではない、御心にかなった使い方ができるようになると、不快感がなくなるのではないかと期待しています。

No.722 2006/04/06(Thu) 12:54:08
aaさんへ。 / 沙耶香 引用

この場を通してこうしてaaさんと管理人さんと交流ができていろいろ神様に近づけていけるのがうれしいです。
そしてaaさんが管理人さんの意見を受け入れられて私なんかに謝罪してくれたのがうれしいです。
やはりイエス様の力はすばらしい。
私はこんな公式掲示板に牧師への個人的な愛を伝えてしまっていけなかったと思ったのにこうしてイエス様を通しての交流ができて非常にうれしい。
神様イエス様どうかいつも見守ってくださり私の書いたつたないスレでもイエス様を通しての交流の場としてくださり感謝します。今後もそういう場にしてください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・

No.713 2006/04/03(Mon) 05:02:17
精神疾患 / 沙耶香 引用

精神疾患て本当に辛い。世間や家族の無理解、辛い仕打ち、そして教会に足を突っ込んでも精神疾患に対する無理解から追放されかける。
世間や家族からつまはじきにされて神様にたどりつき、神様にすがりつこうとしても教会でも精神疾患の人はやはり普通の人とかなりずれがあるからなかなか分かってもらえなくて行き辛い。
でも教会も牧師もクリスチャンも人が作った物だから完全なんてありえないと思い、神様だけを見上げないといけないんだ。
でも分かってはいるけれど、なかなか難しい。神様だけを見上げる・・・普通の人には割りと簡単かもしれないけれど、精神疾患の人には至難の業なのだ。
何だか辛い。
神様イエス様どうか私を精神疾患から救い出して欲しい。癒して欲しい。イエス様の尊い御名によって御祈りいたします。アーメン・・・
イエス様イエス様イエス様イエス様・・・

No.688 2006/03/21(Tue) 22:40:30

Re: 精神疾患 / 昌夫 引用

狂ったこの世と調子をあわせていくことができない純粋な人たちは、精神疾患を患って苦しむことが多いようです。アメリカでは、精神疾患の患者の人権保護が、最近になってかなり進んだようですが、日本では、まだ制度的にも、かなり遅れているように思います。

>神様だけを見上げる・・・普通の人には割りと簡単かもしれないけれど

精神疾患でなくとも、人の評価や仕打ちを気にせず、神さまに分かっていただいていることだけを喜ぶことは、とても難しいと思います。誰でも神さまに頼るしかないと思います。どうか、沙耶香さんが、イエスさまの恵みによって、神さまに愛されていることだけを思い、喜びと平安を与えられますように。

No.689 2006/03/22(Wed) 07:40:47

Re: 精神疾患 / aa 引用

ある方々は、信仰のゆえに輸血を禁じたりします。またある方々は、信仰のゆえにという理由で、人の心の痛みを踏みにじったりします。

自分自身の弱さを認め、それを赦し、なんでもかんでも内面的な信仰だけを頼りに苦しみを乗り越えようとするのではなく、実際的な手助けを活用する必要があるのだと思います。

人とのかかわりが苦痛でしかないのなら、そのかかわりからいったん身を引くことも、私は良いと思います。それが恒久的な解決から遠ざかることになっても、私たちには人間としての弱さがあるのですから、時にそのような遠回りをすることもあるのです。

精神疾患に対して、医学的・薬学的な治療方法は、何か無いのでしょうか・・・。

信仰があるのに癒されない。だから自分の信仰が足りないのだ。と、沙耶香さんが自らを過度に貶めてしまうことの無いように、祈ります。

No.690 2006/03/23(Thu) 22:45:18

Re: 精神疾患 / 沙耶香 引用

aaさん、レス感謝します。
精神疾患の治療は受けていますが、精神疾患は医学的には一生治らないとされています。
いろんな精神症状を食い止めることはできるけれど、根本的治療にはならないのです。
それに仕事をしだすと大きく再発し、精神病院に逆戻りという人も多いです。
なかなか難しい病気なのです。
世間や家族や教会の精神疾患への無理解がそれに拍車をかけます。
信仰のゆえに輸血を禁じる?変わってますね。でもみんながそうだと助かる命も助からなくなります。
そういう私はいろんな病気で輸血したくてもできないのですが・・・

No.692 2006/03/25(Sat) 17:12:26

Re: 精神疾患 / aa 引用

沙耶香さん。

>なかなか難しい病気なのです。

そのつらさはご本人にしかわからないことなのでしょうね。どう励ましの言葉を差し上げたら良いか、私には判りません・・・。

>世間や家族や教会の精神疾患への無理解がそれに拍車をかけます。

病気というのは、それ自体が本人にはどうしようもないから病気なのですよね。病気を病気として認めてもらえず、かえってその症状が本人の責任にされてしまうことがある、ということでしょうか。・・・もしそうだとすると、かなり辛いですね・・・。

>信仰のゆえに輸血を禁じる?変わってますね。

モーセが生きていた時代に、神様はユダヤ人たちに「律法」という、神様を礼拝する規範、またきよく生きるための生活の規範をお与えになりました。 この「律法」に、「血を食べてはならない」という戒めがあります。「エホバの証人」という団体の信者の方は、この戒めを文字通りに解釈して、食物としての血を含んだものだけでなく、他の生き物の血そのものが自らの体内に入る事を禁じています。その結果が輸血の禁止です。でもそれは、彼らにとっては、神様に従うという信仰に基づいています。

精神疾患の方に対する不理解というのは、もしかしたら、その理解しない人にとっても、「他の人を自分のように愛することが出来ない」という疾患なのかもしれません。

どちらかに非がある、または無い、という事柄ではなく、人間みなが、お互いを理解し合うということが出来なくなっているという悲しむべき病状にあるということなのかも知れない、と、思わされました。

No.694 2006/03/26(Sun) 06:11:41

Re: 精神疾患 / ザバラバ 引用

沙耶香 さん、久しぶりです。癒しの場となりそうな掲示板を見つけましたので案内させてください。

モルモンとわたし (管理人です。ここにあったリンクをルールによって削除しました。)

という掲示板なのですが、非常に癒しを感じますよ。管理人さんは元モルモンの方ですが、癒しを与える温泉のつもりで運営されてます。教派とはなれて癒しのためにお勧めします。

(管理人です。ザバラバさん、申しわけありませんが、リンクの書き込みは、CFI の正式な協力者以外は遠慮していただくルールになっています。全てのリンクを責任を持ってチェックするのは、時間的に難しいからです。ご了承ください。)

No.695 2006/03/26(Sun) 11:06:00

Re: 精神疾患 / ザバラバ 引用

>リンクの書き込みは、CFI の正式な協力者以外は遠慮していただくルールになっています。全てのリンクを責任を持ってチェックするのは、時間的に難しいからです。ご了承ください。)

 わかりました。差し出がましく、浅はかな行動を以
後は慎みます。彼女が虐待とかかなり悩んでいられる
ようなので、つい余計な投稿をしてしまいました。は
やく元気になるといいですね。

No.697 2006/03/27(Mon) 20:35:18

Re: 精神疾患 / 昌夫(管理人) 引用

ザバラバさん、ルールについてご理解いただいて、どうもありがとうございます。ザバラバさんが、少しでも沙耶香さんを元気づけようとされた気持ちは伝わったと信じています。

どうか、虐待や精神疾患への不理解からの苦しみのなかで、全知全能の愛の神さまを信頼しつづける沙耶香さんが、神さまに大いに祝福されますように。

No.698 2006/03/28(Tue) 10:45:04

Re: 精神疾患 / 沙耶香 引用

いやー、ザバラバさんといい大垣先生といい、本当に私のことをいろいろ考えてくださり、私が元気になるようにと気を使ってくださりうれしい限りです。
ザバラバさんはクリスチャンの方かどうかはわからないけれど、神様から大いに祝福されるといいですね。お祈りしていますので・・・

No.699 2006/03/28(Tue) 20:56:13
CENSOREDは悪いこと? / ザバラバ 引用

 キリスト教ではCENSOREDは罪とされ地獄に落ちると
されてます。ダンテの神曲でもCENSOREDした霊が苦し
んでいる描写があります。最近は電車への飛び込
CENSOREDをよく耳にします。CENSOREDした人はそれなり
に苦しんでCENSOREDするので、死人に鞭打つような
CENSOREDは罪」の教えはまちがっているようですが。

No.671 2006/03/06(Mon) 12:19:06

Re: CENSOREDは悪いこと? / 沙耶香 引用

 世間でもキリスト教でもCENSOREDは悪いこととされていますが、でも精神疾患で辛く苦しい日々を送っている場合に誰も理解を示してくれず、家族にもつまはじきにされ、世間からもつまはじきにされ、行き場を失った場合逃げ場がCENSOREDしかない場合もありますよね?
私は実際に何度かCENSOREDを図っています。死にそこないましたが・・・でも助かっても後遺症は残り悲惨な日々を送ります。なかなかCENSORED完遂できるのは至難の業です。
でも今はCENSOREDではなくてイエス様に救いを求めているので家族につまはじきにされても、世間につまはじきにされても生きています。
弱者をCENSOREDしなければならないような心理状態に陥れる世間が悪いのだと思います。この世の中はとかく弱者生きづらい。
神様イエス様どうかこの世の中の弱者も生きやすい世の中にしてください。イエス様の尊い御名によって御祈りいたします。アーメン・・・

No.672 2006/03/06(Mon) 20:19:45

Re: CENSOREDは悪いこと? / ザバラバ 引用

 そうですか、でも生きていこうとはしてるのですね。
 でも人間はいつかは死ぬのですよね、遅かれ早かれ。
自分のことをいいますと、高所恐怖症なのです。それも
高いところから下を見るとやたら飛び込みたくなる変な
性格でして。でも死ぬのがいやなのですぐ離れますが。
死んだらどうなるのか、天国や地獄があるのか、生ま
れ変わることがあるのかといろいろ思い悩みます。
 わたしは親につまはじきに生まれたときからされて
いたようです。つまり捨て子かなんかだったのです
かね。でも神様がいて今まで生かしてくれてたのだろ
うとは信じてますが。人は生きているのでなく生かさ
れているのでしょうか?

No.673 2006/03/06(Mon) 23:16:45

Re: CENSOREDは悪いこと? / 昌夫 引用

ザバラバさん、沙耶香さん、書き込みをありがとうございます。

>キリスト教ではCENSOREDは罪とされ地獄に落ちるとされてます。

キリスト教では、CENSOREDすると地獄に落ちると教えていると多くの人が思っているようですが、誤解です。カトリックでは、昔は、そういう教えをしていたそうですが、今はもうそういう教えをしていないということです。プロテスタントでは、いろいろな聖書解釈の教会があるので、そういう教えの教会もあるかもしれませんが、全部の教会がそういう教えをしているわけではありません。

CENSOREDが罪であるということについては、ほとんどのクリスチャンは、同意すると思います。自分の命は神さまからいただいたものであり、自分の勝手な判断で自分をCENSORED権利があるわけではないと思います。

人間は、CENSOREDする人だけでなく、誰にでも罪があるということが、キリスト教の基本的な考えです。罪にあるまま、死んでしまうと、罪のために死後に永遠に神さまから切り離されてしまいます。十字架の上で、僕たちの罪の罰をかわりに受けてくださったキリストを信頼して、受け入れれば、全ての罪が赦されるということが、聖書に書いてあります。罪が赦されると、罪のないキリストが死んで、埋葬されてから、復活されたように、罪のある僕たちも死んでから、復活して、天国で永遠に生きるということが、福音です。

No.674 2006/03/07(Tue) 04:55:51

Re: CENSOREDは悪いこと? / 沙耶香 引用

うん、私も実は高所恐怖症なのです。高い所にいると思うだけでガクガクしてきていたたまれません。高所から飛び降りて死のうとしたこともありますが、
でもエレベーターで上ったところで怖くてできませんでした。
天国と地獄はあります。キリストを信じて罪を悔い改めた人のみ、天国で永遠に生きることができます。
でもCENSOREDは自分による殺人行為なので地獄に落ちるとされています。
このあたりのことは聖書を深く理解されている大垣先生にお聞きください。
イエス様は捨て子でも乞食でも誰でもそのままの姿で愛してくれるお方です。
CENSOREDにではなく人間にでもなくイエス様に救いを求めるとイエス様は必ず解決される力を持ったお方ですよ。
私は精神疾患なので何だか書いている文章がよく分からないかもしれないけれど、ごめんなさいね。
ただザバラバさんも救われて欲しいなーという思いだけです。他の弱者の方も救われて欲しいなー・・・

No.675 2006/03/07(Tue) 11:31:20

Re: CENSOREDは悪いこと? / ザバラバ 引用

Masao 様、丁寧なレス感謝します。沙耶香さん、
元気で幸福になるとよいですね。

No.676 2006/03/07(Tue) 19:58:31

Re: CENSOREDは悪いこと? / マルセリーノ 引用

ザバラバ様、初めまして

私は、CENSORED未遂者であり、高所恐怖症です…。
が、未だにこうして生かされており、
そして一時期、高いところでの仕事もしておりました。
最初は、めまいしまくり、足はガクガクでしたが、いつの間にか慣れてしまったようです(^▽^;)

CENSOREDについて考える時、当然「命」というものを考えなくてはなりません。
私はかつて、自分の命は自分の物…すなわち自分が所有しているものと考えておりました。

もし人間が自分自身の意志でこの世に生まれて来るならば、もしかしたら「命」は自分の物かも知れません。
しかし、自らの意志でこの世に自分の命を造るというのは不可能なことですよね。

私は何度も死を考えたにも関わらず、何かの力によって結局その度に死なせてはくれませんでした。

最後の最後に、その何かの力は私の前に正体を明かしました。
それが…神であるイエス・キリストだったのです。

それまで私は、神に逆らう存在であり、悪魔に心を売る人間でした。
社会的にも、いつも生と死の狭間を歩いていました。

しかし、命が自分の所有物でないということが示され、それからは大切に思うようなりました。

私はこう考えています。
私達人間は、「命」と、その器である「肉体」を神から預かっているのだと…
だから、自分勝手に体や命を粗末にしてはいけないのだと…

昔の私とは正反対の考えになったのです。

例え何にしても、預かった物を粗末にはできませんよね。
大切にしておく義務があります。

しかし残念なことに、中にはどうしてもその責務をまっとう出来ずに、自死を選択してしまう人もいます。

私の友人にもおります。

預かった物を破棄するという意味だけ考えても、CENSOREDは確かに罪と言えるのは理解出来ると思います。
ですが、「CENSOREDは罪」というより、「CENSOREDもまた多くの罪の中の1つ」であると言った方が正しいかも知れません。
そしてそれらの罪に対して神様がどのような判断を下すか、私達人間の知識ではわからないもの、計り知れないものが多々あります。

しかし、命も肉体も、一見自己所有のようであって実はそうでないことが理解できると、それを人間の判断で消そうとするのは、他殺もCENSOREDも、ある意味同じものだと考えられるのではないでしょうか。

預かる期間は人によって違いますが、その「期間満了」まで大切にする(自分の命も他者の命も)のが、愛に密接に関係すると私は思うのです。

「隣人を愛する」という言葉があるのはご存知だと思います。
それはつまり「隣人の命(魂)を大切にする」ということだとも思います。

そして、最も身近な隣人とは、もしかしたら自分自身なのかも知れません…

人は、生きている…これも正解です。
何故ならば、様々な自己決定によって人生に選択があるからです。
しかし同時に生かされている…これもまた真理です。
先ほども書いたように、自らの意志で生まれて来て「命」や「肉体」を作ったのではないのですから…

そしてもう1つ大切なことは、何故生かされているのか…
それは、神はあなたを必要としているからです。
神の人間に対する愛は、肉体の死をもって終わりではなく、永遠なのです。
肉体があるうちは様々な苦しみや試練を感じることもあります。
肉体そのものに対する病や怪我。
社会や環境的な事。
様々な誘惑。

しかし神は、単にそれらを楽にすることより、人間の永遠の魂に救いの御手を差し伸べてくださいます。
肉体を持って楽な、もしくは自分なりに好きなことが出来ても、人間が永遠という魂の世界で苦しみ続けることは神は望んでないのです。

ですが神は、その人にとって必要であり、神の目に良しとするならば、肉体あるうちにも様々な救いの手を私達に差し伸べてくださいます。

私もそれがわかるまで、長くてすさまじい戦いがありました。

神はきっと、 ザバラバ様にも働きかけていることと思います。
あなたがここに来られたのも、もしかしたら神の導きなのかも知れません。

ザバラバ様が、クリスチャンであるなしに関わらず、私達はあなたの魂に救いがありますように、心からお祈りしたいと思います。

No.680 2006/03/12(Sun) 04:24:29

Re: CENSOREDは悪いこと? / ザバラバ 引用

 ザバラバです。マルセリーノ様のコメントをいただき
まして恐縮し,また感謝しております。
 今日も電車への飛び込みのアナウンスがありました。
高額な借金が払えなくてCENSOREDに追い込まれる人も多い
このごろ。いとも簡単にCENSOREDは罪だと言い切ることが
いぶかしく思われて、投稿してしまいました。
 わたしのHNのザバラバはイエスの代わりに十字架刑を免れたバラバという人物にあやかりました。

No.686 2006/03/14(Tue) 02:18:12
(No Subject) / 沙耶香 引用

愛するわが主よ、私に車を買う、維持する、お金をお与えください。イエス様の尊い御名によって御祈りいたします。アーメン・・・
必要を満たしてやっているのに、それ以上要求してきても知らん!!と言われそうだが、でも主はきっと叶えてくださると期待して感謝します。
精神、体調具合悪い、虐待またひどくなり始めた。神様救い出してください。アーメン・・・
そして誰にも言っていない、私の今一番の御祈りを叶えてください。イエス様の尊い御名によって御祈りいたします。アーメン・・・

No.677 2006/03/08(Wed) 11:52:36

Re: (No Subject) / 昌夫 引用

>私に車を買う、維持する、お金をお与えください。

もし神さまの目から見て、神の国の義のために必要であるなら、沙耶香さんにお金を与えてくださると信じて感謝します。もし、今は沙耶香さんが車を買うことが御心でないなら、沙耶香さんが、神さまを信頼して待つことができるようにしてあげてくださいませ。

>精神、体調具合悪い、虐待またひどくなり始めた。

神さまが一番良いときに沙耶香さんを癒し、虐待からも救ってくださることを信じて感謝します。

>そして誰にも言っていない、私の今一番の御祈りを叶えてください。

沙耶香さんの一番のお祈りの後ろにある 沙耶香さんに神さまが与えられた願いは、神さまがいつか、必ずかなえてくださることを信じて感謝します。

No.678 2006/03/09(Thu) 02:22:27

Re: (No Subject) / マルセリーノ 引用

憐れみ深い私達の父なる神よ
今ここに、悩みと苦しみを抱えるあなたの僕、沙耶香さんにどうか救いの御手を差し伸べてください。
主よ
あなたの御旨にかなうならば、必要なものを与え、また、苦しみから助け出してください。
しかし、それ以上にもっと深い恵みがあるならば、
主よ
あなたにお任せいたします。
苦しみから恵みを
悲しみから愛を与えられますように…
沙耶香さんの魂に平安がありますように…
主イエス・キリストの御名によって、心からお祈りいたします。
アーメン

No.681 2006/03/12(Sun) 04:34:33

Re: (No Subject) / 沙耶香 引用

私なんかのスレのために大垣先生とマルセリーノさんが、レスを付けてくれたことを感謝します。何だか私は精神疾患のために色々混乱したり暴走したりしていろんな人を巻き込んでしまいます。最低なとんでもない奴なんですよ。
巻き込んだ人々どうか赦してください。
愛するわが牧師に今日、あまり暴走するなら教会追放だと言われました。
うーん、みんな罪びとなのにそんなこと牧師がしていいのだろうか?牧師が罪を犯している場合はどうするのだろうか?
何だかこうして色々なことを気にするから突き詰めるからいけないのかもしれないです。
病気が手伝って、そうさせてしまいます。
私は最低な駄目なとんでもない奴なのです。

No.682 2006/03/12(Sun) 15:47:54

Re: (No Subject) / 昌夫 引用

沙耶香さんを愛してイエスさまが沙耶香さんのために死んでくださったのです。沙耶香さんは最低ではありません。イエスさまにとって、イエスさまの命ほど価値があります。

>あまり暴走するなら教会追放だと言われました。

暴走をくりかえさないためには、兄弟姉妹や牧師と相談してから重要な行動をするようにしたら良いと思います。一人で考えていると、祈っていても、僕たち人間には罪や思い込みがあるので、誰でも少なからず暴走してしまいます。

>何だかこうして色々なことを気にするから突き詰めるからいけないのかもしれないです。

突き詰めること自体は、悪いことではないと思います。ただ突き詰める方法に注意することが大切だと思います。聖書に書いてある神さまの考え方にもとづいて考えていかないと、自分の都合の良い考え方で突き詰めてしまい、混乱すると思います。

教会追放についても、聖書にどのように書いてあるか、牧師か他の兄弟姉妹に聞いてみたら良いと思います。クリスチャンが、明らかな罪を犯しつづけているときには、教会から追放するように聖書に書いてあります。一回、何かの間違いで罪を犯したら、追放ということではありません。牧師でも、教会から追放されることがあります。ただ、教会によって、実際の追放のルールは違うので、教会にルールのことを聞いておくと良いと思います。

No.683 2006/03/12(Sun) 23:14:38

牧師。 / aa 引用

とても冷淡な言い方になってしまいますが、

牧師を愛するなら、自分の立場だけでなく、牧師の立場をも理解するべきだと思います。

一つの教会を牧する牧師は、あなただけでなく、群れ全体のケアをする責任を負っています。個人への配慮が群れ全体の健康を損ねてしまうな場合には、牧師は、群れを守るために、やむを得ず(自分の感情や意向に反してでも)その原因を取り除くことを優先せねばならなくなる場合もあるのではないでしょうか。

それを、「牧師も罪人なのに、そんなことをしていいのか。」とされてしまうなら、それは牧師に対してあまりに酷(コク)ではありませんか?

判っているけれども、病気のためにしてしまうということであれば、なおさら、それは牧師を攻めることで解決する問題ではないと思います・・・。

でも、どうでしょうか。
私は精神疾患を患ったことがありませんので、的外れな意見かも知れないですね。

No.684 2006/03/13(Mon) 13:52:11
本当にお久しぶりです。 / sin 引用

やっとこさ受験が終わったのはいいものの、悲しいかな第一志望の難しい学校(ちゃんともと勉強していれば…)はおちてしまいました。沢山受験していたのでいく学校ならあるのですがこれが問題を起こしています…学科の名前に騙されて(?)法学部に受かってしまいました。両親は私が法学部にと大喜び(でもそんなにレベルの高いところじゃないし実績0です)法律を勉強する気がない私には正直いうと苦痛ですが、お金を払うのは両親だし、他に受かっている学校は世に言うすべり止めの学校で行って就職できるか心配になるくらいです。だからといって浪人する気も起きないし、就職する度胸もありません。将来やりたいことは特にないのですが、両親にアメリカの大学に行くのを反対された意地があって英語を使う仕事や大学での留学は天地がひっくり返ろうとしたくありません。だから、法律勉強するのも悪くないと思うのですが、そんな時にまた、留学しろといわれて何もしたくなくなってしまい、今ご飯が食べられない状況です。どうしたらいいかわからないし、チャランポランじゃダメだろうなって思うし…
久しぶりに来て長くなってしまってすみません。いっぱいいっぱいの状態になってここに書き込もうと思いついたりしました。では。

No.666 2006/03/01(Wed) 08:52:38

Re: 本当にお久しぶりです。 / 昌夫 引用

sinさん、お久しぶりです。
 僕の場合だと、大学に入ったときに経済学に興味があったのですが、1年のときに必修だった経済学の授業2つはどちらも全く興味がもてなくて、嫌気がさして、麻雀とパチンコばかりしていて、2年になってすぐに落第が決定してしまいました。その後にある転機が与えられて、まじめに勉強をしだしたら、だんだん経済学の面白さが分かってきて、大学院で勉強をつづけることになりました。
 僕の尊敬しているある牧師は、演劇を大学で専攻していたのだけど、神さまから牧師になる勉強をするように言われたように感じて、在学中に方向転換したそうです。
 大学に入る前から将来に神さまが導いてくださる分野が分かったら簡単だけど、なかなかそうでないことが多いようです。
 後で方向転換が与えられるかもしれないけど、とりあえず、神さまの愛と全知全能を信じて、与えられた流れに乗るようにしてみたらどうかな、と感じます。

No.667 2006/03/01(Wed) 13:06:13

Re: 本当にお久しぶりです。 / sin 引用

ありがとうございます。精神的にかなり参っているのか、眠れない、食べられないで体のほうも限界がきているみたいです。最近はひねくれてしまって祈ることも忘れていました。大学でいろいろと探してみます。祈り続けてみます。レスありがとうございます。いつもここにくると必ず何か見つかります!

No.668 2006/03/01(Wed) 19:06:57

Re: 本当にお久しぶりです。 / 昌夫 引用

もし時間的に余裕があったら、まず体を休めることが大事かな、と思います。列王記Iの17−19章で、エリヤが多くのバアルの預言者たちと一人で戦って、その後に40キロくらいイズレエルまで走っていったので、体も心も疲れきってしまって、死にたくなってしまったところがありますね。それで神さまがまずされたことは、眠りと食事をエリヤに与えられたことでした。疲れがとれた後に、エリヤに神さまが現れて、かすかな細い声で話してくださり、エリシャという主にあるパートナーを与えてくださいました。

sinさんに、神さまが眠りと食べる力を与えて疲れをとってくださいますように、お祈りします。

No.669 2006/03/02(Thu) 00:54:22
律法主義 / ザバラバ 引用

 律法の厳格な遵守を要求するパリサイ派の人達
をイエスは厳しく非難し、安息日などの律法を破
りました。パリサイ派とは悪魔の教団なのでしょ
うか?

No.661 2006/02/15(Wed) 04:27:54

Re: 律法主義 / 昌夫 引用

ザバラバさん、書き込みありがとうございます。

>律法を破りました。

いろいろな解釈があるでしょうが、イエスさまは罪を犯さなかったということが聖書に書いてあります。当時のユダヤ人として生まれられたイエスさまが律法を破ることは罪と考えられます。イエスさまが安息日などの律法を破ったように思えるところも、実は、口伝などの一般の人間の律法の解釈を破られたのであって、正しく解釈した律法は全て守られたと思います。

>パリサイ派とは悪魔の教団なのでしょうか?

使徒23:6にあるように、使徒のパウロはパリサイ人です。マルコ8:15でイエスさまがパリサイ人のパン種に気をつけるようにと弟子たちに言われたように、パリサイ人の律法主義の問題とは、今でもクリスチャンが皆、気をつけないといけないような問題であって、「悪魔の教団の問題」というような人ごとではないと思います。

いろいろな解釈があるでしょうが、律法主義とは、「良い行為」を行って、それを誇ることだと思います。義務として努力して良い行為を行うとき、それを誇る気持ちがどうしても人間の心の中に起こってくることが問題だと思います。ルカ18章9節ー14節でのパリサイ人は、悪の行為をするどころか、不正なことをしないで律法を努力して守るとても「良い人」だったと思います。パリサイ人の問題は、悪の行為をすることではなく、自分の良い行為を誇っていたことだと思います。

聖書が書かれた当時のユダヤ人たちにはパリサイ人が「律法を守る良い人」で、取税人は「敵国であるローマと、自分の利益のために税を取る悪い人」ということが、常識であったのだろうと思います。パリサイ人はイエスを受け入れなかった悪い人たち、という現代のイメージで聖書を読むと、書かれた当時とは全く違った解釈で、聖書を読んでしまう危険があると思います。

No.662 2006/02/15(Wed) 07:31:28

Re: 律法主義 / ザバラバ 引用

 レスありがとうございます。パリサイ人について
イエスもパリサイ派だったとか、逆にイエスはエッ
セネ派だったとかいろいろ説がでてます。サドカイ
派は霊魂や復活を信じないが、パリサイ派は信じる
といった単純な理由から断定してるようです。わた
しはエッセネ派であるバプテスマのヨハネから洗礼
をイエスが受けているからイエスはエッセネ派だと
いう説に同調したいです。エッセネ派は独身主義者
の集まりで人員の補充は求道者を受け入れていたと
いわれてます。世捨て人の集まりみたいな集団なの
でしょうね。家族のいないのはさびしいでしょうが。

No.664 2006/02/19(Sun) 00:47:43

Re: 律法主義 / 昌夫 引用

興味深い書き込みをありがとうございます。

>単純な理由から断定してるようです。

人間は僕も含めて断定するのが好きだし、特に学者たちは多くの努力をするので断定したくなることが多いようです。しかし、絶対にこうだ、と断定する権利があるのは神さまだけであるということを覚えるようにしたいものだと思っています。

エッセネ派については、死海文書が発見される前まではへブル語の資料がなかったので、違う言語の文化から見たときの誤解という問題があります。死海文書を書いたクムラン族がエッセネ派であるということが定説になっているようですが、これも絶対的な証拠があるわけではないそうです。そういう理由で、エッセネ派について言われていることは、不確実性が高いと思います。

イエスさまがエッセネ派だったという説は興味深いですが、エッセネ派についての情報が不確実性が高いことを考えて、そこから教義的なことを導きだすようなことは、さけたほうが良いように思います。

No.665 2006/02/19(Sun) 12:19:25
昌夫さんありがとうございます。 / 藤 引用

昌夫さん
今回私たちの働きをご紹介いただき、また、この掲示板を訪れる方々に知っていただける機会を作っていただきありがとうございます。
今度の12日(日)に設立総会をします。
2月中に申請書を提出します。
これまで26年間、個人のヴィジョンと賛同してくださる方々の協力で活動してきましたが、これからは公けの法人格を持った団体として、社会にもっと浸透していければと思っています。
現在CENSORED未遂など予備軍をあわせると全国で年間30万人を超える方々がCENSOREDを視野に入れて悩み苦しんでいます。その現実を改善していくためには、一人でも多くの方々が自覚を持ち自分の周りの方々との関係を築きなおしていくことが大切だと思っています。
マザーテレサが、豊かな国では淋しさのために人が大勢死ぬでしょうといわれたことがあります。まさにCENSOREDの問題は「孤独」にあると思います。
この掲示板に参加されている皆さん、ぜひ、神様を愛し、隣人を愛することを心にとめていただきたいと思います。覚えて祈っていただければ感謝です。
では。長くなってすみません。
藤藪庸一

No.657 2006/02/09(Thu) 07:42:11

Re: 昌夫さんありがとうございます。 / 沙耶香 引用

藤藪先生のお働きすばらしいですね。
私も元CENSORED志願者ですので掲示板を訪問させていただきました。CENSOREDは弱い者がすること、甘えだとか世間の偏見もかなりありますが、
精神疾患の本当の辛さは多分なった人にしかわからないですね。
決して世間の言うように、怠けているとか甘えているとか人に頼っているとかそういうことではないんですね。必死で頑張ろうとすると逆に疲れて病状が悪化するのです。世間にも教会の牧師にも伝道師にも精神疾患に対する理解と配慮が欲しいです。
でないと私たち精神疾患はもう生きていけないですね。
藤藪先生のようなお働きをされる牧師や弱者を救おう弱者を助けようとする団体、人が増えることを期待して感謝します。

No.658 2006/02/10(Fri) 02:59:19

Re: 白浜レスキュー / 昌夫 引用

藤藪先生、書き込みをありがとうございます。社会的な弱者をとても大切にされる神さまは、物質的には恵まれた先進国で、孤独に悩む人たちのことを、特に気をかけていてくださると信じます。藤藪先生が長い間、特にそのような方々に奉仕されてきた活動が、NPOの活動となって、さらに大きく祝福されますように、お祈りします。

沙耶香さん、書き込みありがとうございます。CENSORED願望のある人たちのなかには、うつ病などの精神疾患で苦しんでおられる方々が多いと思います。沙耶香さんが、自分が大きな苦しみにあっていても、いつも他の人達のことを考えておられることを、神さまに感謝します。

藤藪先生と沙耶香さんの書き込みが、多くの苦しんでいる方々の目にふれますよう、そして、神さまが、書き込みを、他の働き手のいろいろな働きと共に、お使いになって、その方々を救いへと導いてくださいますよう、お祈りします。

No.659 2006/02/10(Fri) 04:20:16

Re: 昌夫さんありがとうございます。 / 藤 引用

沙耶香さん
お返事遅くなりましたが、わたしは思います。たとえ信仰を持っていたとしても鬱になることがあると・・・。
そんな時、助け手が必要です。仲間が必要です。神様は人を備えてくださいます。理解者はいるはずです。
希望を捨てないで下さいね。

No.660 2006/02/14(Tue) 23:28:15
全738件 [ ページ : << 1 ... 60 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 73 74 >> ]

- HOME - お知らせ(3/8) - 記事検索 - 携帯用URL - フィード - ヘルプ - メール - 環境設定 -

- Skin: Modern v1.81 -

Rocket Board Type-X (Free) Rocket BBS