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1テサロニケ2章 / 大垣 引用

1テサロニケ2章。1節。13節にあるように、テサロニケの教会の人々はパウロたちの伝えた福音を信じたので、パウロたちがテサロニケに行ったことはむだではなかった。

2節。ピリピでパウロとシラスが受けた苦しみとはずかしめは使徒16章22-25節にあるむち打ちと投獄のことが主なできごとと思います。テサロニケでの、パウロたちの苦闘は使徒17章5節にあるように、テサロニケ滞在の最後にはねたみにかられたユダヤ人たちと彼らがかり集めた町のならず者たちとに対するものであろうが、「苦闘の中でも大胆に神の福音をあなたがたに語り」とあるので、ユダヤ人たちは、それまでにもパウロたちを迫害したのだろうと思います。

3-4節。僕たちが福音を語るとき、人を喜ばせようという不純な心ではなく、神を喜ばせようと語ることが大切。

7節と11節。パウロたちはテサロニケの教会の人々に母のように優しくふるまい、父のように、神にふさわしく歩むように勧め、慰め、おごそかに命じました。キリスト者のリーダーたちは、神が与えられた正しい父母の愛ということを参考に、リーダーとしての歩みをしていくと良いのだろうと思います。特に、父の愛としての勧めと慰めということで、へブル書1-10章で繰り返される慰めと、勧めと警告のサイクルということを思います。

14節。ユダヤの諸教会がユダヤ人たちに迫害されたように、テサロニケの教会の人たちも自分の国の人に迫害される。今の日本ではキリストを信じたために殺されるような迫害はされないのはありがたいことだと思うが、何か迫害されたとしても驚くべきことではない。

15-16節。イエスと預言者たちを殺し、クリスチャンを迫害したユダヤ人はすべて人の敵となり、御怒りは彼らの上に臨んで窮みに達した。そのような者の一人がパウロであったことを忘れるのは簡単であるらしい。パウロのように悔い改めて主に頼るものは救われ、悔い改めないものは永遠のさばきを受ける。主はすべての人たちが悔い改めるのを願われる。僕たちも、キリスト者を迫害するような人たちの悔い改めを強く願いたい。

18節。パウロがテサロニケに戻る計画をサタンが妨げた。使徒16章6-7節では聖霊がパウロのいろいろな計画を妨げられた。神が人間の計画をサタンが妨げることを許される場合と、神が人間の計画を妨げる場合があるのだと思う。使徒のパウロにはどちらであるか知ることができたのだろう。どちらにしても、人間の計画ではなく、神のご計画が必ずなる。

19-20節。主イエスが再臨されるとき、僕たちの望み、喜び、誇りの冠となるのは、僕たちが信仰の種をまいたり、水をまいたりした人たちである。

No.3670 2007/12/24(Mon) 16:14:32

Re: 1テサロニケ2章 / 亜衣瑠 引用

2節「苦しみ」「はずかしめ」「激しい苦闘」文字に書いてしまえば簡単なことだが、実際がどんなであったかを思う。
3,4,5、6節「だましごと」「人を喜ばせよう」「へつらい」「むさぼり」「権威の主張」「人からの栄誉」これらを全て否定する。
7,8節 脚注には「パウロの牧会者としての愛の配慮」という言葉がある。「母がその子どもたちを養い育てるように」「私たち自身のいのちまでも、喜んであなたがたに与えたい」
11節に「父」の言葉も見えて、「母」との対比が明確だ。育て方の両輪、片方は「優しく」もう一方はどう歩むかを示して厳かに「命ずる」。
10節 ことばを発する者の責任、また発する言葉の重さを思う。
13節 「神のことば」の文字に喜びを感じます。
「あなたがたは、私たちから神の使信のことばを受けたとき、それを人間のことばとしてではなく、事実どおりに神のことばとして受け入れてくれたからです。この神のことばは、信じているあなたがたのうちに働いているのです。」
感謝です。このわたしも確かに この聖書を 「人間のことばとしてではなく、神のことばとして」聞いています。そして、それがわたしたちのうちに働いているということのすばらしい恵み。
17節 引き離されれば、顔を見たいと切に願う。一方、たとえ引き離されてはいても、心までもが離れるということはない。ロマ8:38,39の言い方とイエス・キリストの愛を思い出します。そして、ここでの「私たち」と「あなたがた」の間にも間違いなくイエス・キリストがいらっしゃるので、こういうことが言える。
18節 何をするにも一番良い時というのがある。ほとんど自動的にここが浮かぶ。伝道者の書、3章11節「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。」その前の1節から8節の部分ももちろんである。さらにきょう、ここを開いたことで、つづく11節のみことばに捉えられます。
「神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。しかし、人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。」このどちらにも深く激しく感謝いたします。与えていただいたことにも、また、できないことにも。テサロニケに戻って19節「わたしたちの主イエスが再び来られるとき、」パウロが推薦人となったテサロニケの人々のように、主の御前で 尊い先達の望み、喜び、誇りの冠となることができますように、どうかわたしたちの信仰を整え、強めてください。

No.3671 2007/12/24(Mon) 16:15:43
民数記12章 / 沙耶香 引用

今日は民数記12章を読みます。

1節に
そのとき、ミリアムはアロンといっしょに、モーセがめとっていたクシュ人の女のことで彼を非難した。モーセがクシュ人の女をめとっていたからである。
とあるが、クシュ人って何だっただろうと思って、脚注を見ると、イスラエルに加わっていた外国人で、エチオピアかメソポタミヤ出身の女だと書いてありますね・・・

3節に
さて、モーセという人は、地上のだれにもまさって非常に謙遜であった。
とありますが、素晴らしいですね・・・謙遜は御心ですね・・・

7節に
しかしわたしのしもべモーセとはそうではない。彼はわたしの全家を通じて忠実なものです。
とありますが、全家とは何だろうと思って、脚注を見ると、イスラエルの民全体を指すとあります。大体ぜんかと言ったら、前科だと思ってしまうし、ぜんかと読んで、全家なんて普通ないですよね?

8節に
彼とは、わたしは口と口とで語り、明らかに語って、なぞで話すことはしない。彼はまた、主の姿を仰ぎ見ている。なぜ、あなたがたは、わたしのしもべモーセを恐れずに非難するのか。」
とありますが、モーセを非難てどこでどのように非難しているのだろうか?

12節に
どうか、彼女を、その肉が半ば腐って母の胎からでて来る死人のようにしないでください。」
とあるが、彼女というのはミリアムのことだろうか?腐って母の胎から出てくる死人のようにしないでくださいとあるが、これはどういうことだろうか?

16節に
その後、民はハツェロテから旅立ち、パランの荒野に宿営した。
とありますが、ハツェロテとパランは聖書の地図か地図の本で見たことあります。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はヨハネの福音書の16章6-10節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、7節の
しかし、わたしは真実を言います。わたしが去って行く事は、あなたがたにとって益なのです。それは、もしわたしが去っていかなければ、助け主があなたがたのところに来ないからです。しかし、もし行けば、わたしは助け主をあなたがたのところに遣わします。
が気になるので、これをもう何度か読みます。
うん、助け主イエス様・・・

No.3603 2007/12/13(Thu) 19:55:54

Re: 民数記12章 / 大垣 引用

8節、ミリヤムとアロンは、1−2節にあるようにモーセを非難しました。

12節。ミリヤムが病気にかかった様子は、まるで、半ば腐って母の胎から出てくる死産の赤ちゃんのようであったようです。

No.3606 2007/12/14(Fri) 00:05:20

再民数記12章 / 沙耶香 引用

今日はもう一度民数記12章を読みます。

うん、本当1,2節に書いてありますが、読んでいくと何だか分からなくなってくるのです。8節まで読んでくると分かります。やはり2度読まないと、謎解きができないですね・・・

10節に
雲が天幕の上から離れ去ると、見よ、ミリアムは、らい病にかかり、雪のように白くなった。アロンがミリアムのほうを振り向くと、見よ、彼女はらい病にかかっていた。
とあるが、これは、主からのモーセに対する罪からの罰だろうか?

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はヨハネの福音書の16章11−15節を読みます。
天におられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語り下さい。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、13節の
しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導きいれます。御霊は自分から語るのではなく、聞くままを話し、また、やがて起ころうとしていることをあなた方に示すからです。
が気になるので、これをもう何度か読みます。
真理の御霊・・・私にも現れて欲しい。

No.3612 2007/12/14(Fri) 12:10:17

Re: 民数記12章 / 大垣 引用

10節でミリヤムが皮膚病にかかったのは主が罰を与えられたと思います。6-8節にあるように、主は預言者には幻や夢の中で語られます。ところが、モーセとはそのようではなく、明らかに語られました。そのように主と近しいモーセをアロンとミリヤムが非難したことは、主を恐れぬ罪の行いでした。それで、9節のように主の怒りが燃え上がりました。

>真理の御霊・・・私にも現れて欲しい。

真理の御霊とは、聖霊のことです。僕は信仰を持たれバプテスマを受けられた沙耶香さんの中に聖霊が入っておられると信じますが、沙耶香さんはどう思われますか?

No.3657 2007/12/22(Sat) 21:24:58

Re: 民数記12章 / 沙耶香 引用

うん、私の中にも聖霊様が入ってくださっていると信じます。聖霊様がもっといろいろ働いていろいろ語ってくださるようになるといい。そのためにもっと耳を澄まさないといけない。

No.3668 2007/12/23(Sun) 20:36:09
民数記16章24節まで / 沙耶香 引用

今日は民数記16章24節までを読みます。

12節に
モーセは使いをやって、エリアブの子ダタンとアビラムとを呼び寄せようとしたが、彼らは言った。「私たちは行かない。
とあるが、ダタンって始めて聞いたけれど、エリアブの子??一体何者だろうか?祭司なのだろうか?

19節の
コラは全会衆を会見の天幕の入口に集めて、ふたりに逆らわせようとした。そのとき、主の栄光が全会衆に現れた。
が印象に残りました。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はヨハネの福音書の18章6-10節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、9節の
それは、「あなたがわたしに下さった者のうち、ただのひとりをも失いませんでした。」とイエスが言われたことばが実現するためであった。
が気になるのでこれをもう何度か読みます。
イエス様言われたことは必ず実現すると信じます。

No.3633 2007/12/19(Wed) 19:25:55

Re: 民数記16章24節まで / 大垣 引用

12節のように名前が気になるときは、聖書検索をしてみると良いと思います。検索するとエリアブは民数記で以前に出てきたことが分かると思いますが、イスラエルの何族の人か注意してください。律法ではレビ族だけが祭司になれます。

No.3639 2007/12/20(Thu) 00:24:51

再民数記16章24節まで / 沙耶香 引用

今日はもう一度民数記16章24節までを読みます。

>>12節のように名前が気になるときは、聖書検索をしてみると良いと思います。検索するとエリアブは民数記で以前に出てきたことが分かると思いますが、イスラエルの何族の人か注意してください。律法ではレビ族だけが祭司になれます。

ついでゼブルン部族がおり、ゼブルン族の族長はヘロンの子エリアブである。と民数記2章7節にあります。ダタンという名前が何か気になったので・・・

9,10節の
イスラエルの神が、あなたがたを、イスラエルの会衆から分けて、主の幕屋の奉仕をするために、また会衆の前に立って彼らに仕えるために、みもとに近づけてくださったのだ。あなたがたには、これに不足があるのか。
こうしてあなたとあなたの同族であるレビ族全部を、あなたといっしょに近づけてくださったのだ。それなのに、あなたがたは祭司の職まで要求するのか。
が印象に残りました。あまり不平不満を言っているとよくないですよね。

17節に
あなたがたは、おのおの自分の火皿を取り、その上に香を盛り、おのおの主の前にそれを持ってきなさい。すなわち250の火皿、それにまたあなたも、アロンも、各々火皿を持ってきなさい。」
とあるが、250の火皿ってこの250という数字はどこから出てくるのだろうと思って、脚注を見ると、反逆した指導者の数とありますが、反逆した人だけでなく、全員主の前に出ないといけないのじゃないのかな?

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はヨハネの福音書の18章11-15節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、14節の
カヤパは、ひとりの人が民に代わって死ぬことが得策である、とユダヤ人に助言した人である。
が気になるので、これをもう何度か読みます。
カヤパは特殊な発想をしますが、でもそういう人は結構多いですね・・・

No.3643 2007/12/20(Thu) 10:24:48

Re: 民数記16章24節まで / 大垣 引用

>全員主の前に出ないといけないのじゃないのかな?

沙耶香さんが、そう思われた理由は何ですか?

No.3648 2007/12/21(Fri) 00:30:07

Re: 民数記16章24節まで / 沙耶香 引用

すべての創造主イエス様・・・主を崇め主を仰ぎ見、主を褒め称えと全員がそうすることが御心なのではないかな?と思っていたのだけれど・・・違っていたかな?

No.3649 2007/12/21(Fri) 07:47:51

Re: 民数記16章24節まで / 大垣 引用

>すべての創造主イエス様・・・主を崇め主を仰ぎ見、主を褒め称えと全員がそうすることが御心なのではないかな?と思っていたのだけれど・・・違っていたかな?

罪を考えに入れないときの「天に御心のなるような御心」と、罪を考えに入れたときの御心、あるいは神のご計画、は違うので、区別しないと混乱すると思います。罪が存在しなかったり、あるいは、キリストを信じることによって、罪が赦されたら、すべての人が主の前に出て主を褒め称えることが良いことです。罪がある状態で、信仰によって罪を赦されないで、聖なる主の御前に出ると人間は死んでしまいます。そのために、イスラエルにはモーセの律法で、いけにえなど、いろいろな定めが与えられていました。

16節では、主がモーセとアロンを遣わしたということを信じないコラたちに対し、モーセは主が彼らに対し、誰を選ばれたのか、示してくださるために主の前に出るように、とモーセが言ったと思います。

No.3658 2007/12/22(Sat) 21:34:55

Re: 民数記16章24節まで / 沙耶香 引用

>>16節では、主がモーセとアロンを遣わしたということを信じないコラたちに対し、モーセは主が彼らに対し、誰を選ばれたのか、示してくださるために主の前に出るように、とモーセが言ったと思います

うーん??何だか難しいですね・・・

No.3667 2007/12/23(Sun) 20:26:47
民数記16章残り / 沙耶香 引用

今日は民数記16章残りを読みます。

32節に
地はその口をあけて、彼らとその家族、またコラに属するすべての者と、すべての持ち物とを飲み込んだ。
とあるが、ということはコラに属するすべてのものは罪を犯していたんだね?
でも脚注に、26章11節に「しかしコラの子たちは死ななかった。」とあることから、すでに成人して自分の家庭をもつようになっていたコラの子たちは刑罰を受けなかったのであろう。
とあるが、成人して家庭をもつと刑罰を受けなくていいのだろうか?うーん??なんかおかしいような気はします。

38節、39節に
罪を犯していのちを失ったこれらの者たちの火皿を取り、それらを撃ち叩いて延べ板とし、祭壇のための被金とせよ。それらは、彼らが主の前にささげたので、聖なるものとなっているからである。こうして、これらをイスラエル人に対するしるしとさせよ。」
そこで祭司エルアザルは、焼き殺されたものたちがささげた青銅の火皿を取って、それを打ち延ばし、祭壇のための被金とし、
とあるが、祭壇のための被金とするということは、どういうことだろうか?祭壇に火皿を打ち延ばしたものを被せるということだろうか?うーん??何だか今一光景がピンと来ない。

48節の
彼が死んだ者たちと生きている者たちとの間いn立ったとき、神罰はやんだ。
が印象に残りました。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はヨハネの福音書の18章16-20節を読みます。
天におられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句から、イエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
あーもうそろそろ、このヨハネの福音書も終わりに近いです。次に癒しに通じる読み方で読んだらいいところをイエス様お教えください。アーメン・・・
何度か読んでいると、20節の
イエスは彼に答えられた。「わたしは世に向かって公然と話しました。わたしはユダヤ人がみな集まってくる会堂や宮で、いつも教えたのです。隠れて話したことは何もありません。
が気になるので、これをもう何度か読みます。
イエス様が主役でいいですね・・・

No.3644 2007/12/20(Thu) 21:19:51

Re: 民数記16章残り / 大垣 引用

コラに属するものたちは、27節にあるように、幼子たちを含んでいました。幼子たちは罪を犯したとは考えにくいように僕は思います。32節の脚注は、僕も納得できません。脚注は神学者が研究して書いているので、尊敬の気持ちで読むと良いと思いますが、聖書の本文と違い、絶対視する必要はありません。

No.3647 2007/12/21(Fri) 00:27:52

再民数記16章残り / 沙耶香 引用

今日はもう一度民数記16章残りを読みます。

>>幼子たちは罪を犯したとは考えにくいように僕は思います。

うーん??ま、最近でも14歳までは罪に問えないとかありますので、そういうことかな?でもそれを逆手にとって、適当に暴れ回る人もいる。

30節の
しかし、もし主がこれまでにないことを行われて、地がその口を開き、彼らと彼らに属する者たちとを、ことごとくのみこみ、彼らが生きながらよみに下るなら、あなたがたは、これらのものたちが主を侮ったことを知らなければならない。」
が印象に残りました。

41節に
その翌日、イスラエル人の全会衆は、モーセとアロンに向かってつぶやいて言った。「あなたがたは主の民を殺した。」
とあるが、これはどういう意味だろうか?主の民を殺した??

・・・癒しに通じるよみ方・・・
今日はヨハネの福音書の18章21-25節を読みます。
天におられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度かよんでいると、23節の
イエスは彼に答えられた。「もしわたしの言ったことが悪いなら、その悪い証拠を示しなさい。しかし、もし正しいなら、なぜ、わたしを打つのか。」
が気になるので、これをもう何度かよみます。
イエス様らしい言い方ですね・・・

No.3650 2007/12/21(Fri) 08:48:26

Re: 民数記16章残り / 大垣 引用

41節。コラたちはモーセとアロンに逆らうことによって、モーセとアロンをイスラエルのリーダーとされた主に対して罪を犯しました。コラたちは、その罰を受けました。

主が自分に近し人たちの罪に対して罰を下されるとき、そのさばきは当然に正しいのに、人間には罰に対する不満を持つ心が生じることが多いようです。イスラエルの人たちはコラたちが受けた罰に対し、そのような不満を持ったと思います。しかし、さすがに主に不満を言うことはできなかったので、モーセとアロンに不満をぶつけました。「コラたちは、あなたがたに逆らったら、死にました。だから、あなたがたが殺したのと同じです。」というような心の動きだと思います。

No.3659 2007/12/22(Sat) 21:42:28

Re: 民数記16章残り / 沙耶香 引用

何だか難しいですね・・・深読みしないといけないですね・・・

No.3666 2007/12/23(Sun) 20:14:29
1テサロニケ1章 / 大垣 引用

1テサロニケ1章。2-3節。祈りのときにイエスの血で汚れをきよめられる恵みによって神の御前に出て、主にある兄弟姉妹の信仰の働き、愛の労苦、主イエス・キリストへの望みの忍耐を思い起こし、神に感謝したい。

4-5節.パウロは、テサロニケの兄弟姉妹が世界の始まる前から神に選ばれたこと(エペソ1:4)を確信している。その根拠は、パウロたちの伝道のときの力と聖霊の働きと、パウロたちが彼らの救いについて強い確信を与えられたこと、パウロたち自身が聖霊に導かれて2:3−12のようにふるまったことによる。

6-7節.テサロニケのクリスチャンたちは、多くの苦難の中で喜びをもって信仰を受け入れたので、すべての信者の模範になったのだと思います。

8-10節.彼らの苦難の中での信仰は、多くの人々によって言い広められました。

No.3656 2007/12/22(Sat) 21:15:08

Re: 1テサロニケ1章 / 亜衣瑠 引用

?Tテサロニケ 
緒論 テサロニケの地名の由来がマケドニヤ王カサンドロスの妻テサロニカにちなんだものと初めて知る。人の行動の動機というのは 昔も今も単純なことだ。執筆事情の中では、異教的な生活に戻ってしまう者もいた、という点が自分にとっても大切にしたいところと思う。紀元50年頃のこの地方における異教的な、ではなく、本来の神に向かう道からはずれたところに準備万端整っている常時宴の用意の完備された大ホールへの勧誘というような意味で。キリストの再臨を強調しているところがこの書の特色ということで、自分はそれについてそこにスポットライトを余り当てずにいる者なので、今回の読みは特に注意深く読んでいきます。
1章
模範になったテサロニケの人々(7節)が印象的。1節の初めの祈りを除けば、2節からずっと1章を通して、テサロニケの教会の信仰のすばらしさを現している。しかし、そのようにされたのは、主のことばによる。そして神の力、聖霊のはたらき、人々の強い確信による。(5節)伝えるものがいて、それを受け入れた者がいる。
「あなたがたも、多くの苦難の中で、聖霊による喜びをもってみことばを受け入れ、私たちと主とにならう者になりました。」(6節)
5節の「どのようにふるまったか」は具体的内容は2章3−12節とあるので読みました。
2章5節「神がそのことの証人です。」は重く強いことば。

No.3662 2007/12/22(Sat) 22:06:25
コロサイ4章 / 大垣 引用

コロサイ4章。2節、「目をさまして」いるのは、マタイ24:45-51で家のしもべたちを任されて食事時には彼らに食事をきちんと与えるような忠実な思慮深いしもべ、またマタイ25:1-13で、油を入れて持っていた娘たち。

3-4節.パウロたちがキリストの奥義を語れるように門を開き、語るべき語り方で、はっきり語れるようにされたのは神さまである。

どうか僕たちが目をさまして、感謝をもって、たゆみなく祈ることができますように、また、僕たちが神さまのみことばを語るための門を開き、僕たちが語るべき語り方で、はっきり語れますように、お導きくださいませ。

5節.神さまがみことばを宣べ伝えるように与えてくださる機会を十分に生かすことが良い。

6節.僕たちのことばは、親切で、かつ塩味のきいたものであるべきだ。

No.3652 2007/12/21(Fri) 22:04:29

Re: コロサイ4章 / 亜衣瑠 引用

コロサイ4章
2,3節「祈りなさい」「祈ってください」祈り、祈られることの幸福感。祈ることは幸せなひととき。祈りにより、わたしたちキリスト者同士はつなげられている。祈り合うときに祈りの力と神の愛を感じる。感謝します。
7節より登場する名前。テキコ、オネシモ、アリスタルコ、バルナバのいとこのマルコ、ユストと呼ばれるイエス、エパフラス、ルカ、デマス、ヌンパ、アルキポ。9節のオネシモの形容に使われているが、皆、忠実な主のしもべだ。このように世界に今日伝えられた神のみことばの書に名を残した輝けるしもべたち。
12節の祈りをわたしも祈り、またわたしのためにどうぞ祈ってくださいとお願いします。「どうかわたしたちが完全な人となり、また神のすべてのみこころを十分に確信して立つことができますように」
16節「ラオデキヤから回ってくる手紙」そのようなものがあったなら、どんなにか人々は待ち望んでいたでしょうか。どんなにかむさぼり読んだことでしょうか。どんなにか、それを聞くとき人々の耳は真剣に開いていたでしょうか。そして、祈りをもって、また次の所へと送り出したでしょうか。
きょうもまたみことばに触れあなたのことばを読めたことを感謝します。

No.3653 2007/12/21(Fri) 22:05:44
コロサイ3章 / 大垣 引用

コロサイ3章。3:1−4:6はエペソ4:17−5:21とよく似ている。ただ、エペソ4:20、5:28にあったような聖霊への言及がコロサイにはない。コロサイ3:18で「主があなたを赦してくださったように」とあるのに対し、それに対応するエペソ4:32では「神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように」となっている。コロサイではキリストの神性が強調されているようである。また、16節の「キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美の霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。」と正しいみことばの教えと、賛美歌を歌う、というおそらく正しい礼拝についての言及があるのがコロサイの特徴だと思います。

1-2節。キリストが神の右の座を占めておられる天にあるものを思うことが大切。地上のお金や名声や快感に心を奪われていてはいけない。天にあるものとは、天で僕たち一人一人に永遠に報いたいと願っておられる神の用意されておられる報いだと思う。ルカ18章28-30節の文脈では、神の国の報いはこの世でも主にある兄弟姉妹だと思われる。天で僕たちキリスト者が受け取る報いとは、まず第一義的に主の愛で兄弟姉妹と結ばれることだと思う。

5節.不品行、情欲、悪い欲などのむさぼりが、そのまま偶像礼拝である、ということが興味深い。偶像礼拝とは、ただ、人間の作った像を拝むことだけではなく、人が神ではなく、何かの自分の中にある像を外に投影して、それを神よりも何よりも大切にすることだと思います。

25節.不正を行う者は、不正の報いを受けます。ガラテヤ6章7-8節、1コリント3章10-15節を連想します。

No.3645 2007/12/20(Thu) 23:36:21

Re: コロサイ3章 / 亜衣瑠 引用

コロサイ3章
1,2節「上にあるもの」「天にあるもの」?Tヨハネを思い出します。「世をも、世にあるものをも、愛してはなりません。」(?Tヨハネ2:15)また、ここも。マタイ6:20「自分の宝は天にたくわえなさい。」つづく21節で「あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。」ここが肝心なところだな、と思う。
3,4節 わたしたちはわたしたちのいのちがどうなっているか、どうなっていくか、わが内にない。持っていない。というところがステキだ。先に約束をしてくださる気前のいい神。その方にあっては そのための「条件」というようなこの世的な感覚でなく、5節のような罪の行為や態度、心の状態を「CENSORED」こと以外に 応え方がない。他に選択肢がない。10節でも再び「新しい人を着た」とすでに完了形で宣言されました。ですから、感謝します。7節の「以前」は信仰を持つ前はもちろんだが、その後きょうまでの日々、またきょう起きてからこの瞬間までの過ごす中で しでかしてしまった罪(自覚はもちろんあります)
はあります。しぶとく残っている罪の性質が あなたによって完全に消し去られますように。また、怒り、憤り、悪意、そしり、口から出る恥ずべきことばを完全に捨て去ることができますように。
「新しい人は、造り主のかたちに似せられてますます新しくされ、真の知識に至るのです。」
どうか、この似せられ方、新しくされ方が 爆発的でありますように。とどまらず前進しつづけますように。加速して真の知識に向かいますように。
12−17節まであちこちで読んできたことと思いつつ、では、それができていますか?と問われれば、何度でもパウロに会って何度もこのように言われる必要があります。13節の語り口はエペソ4章の32節の言い含め方を思い出します。その穏やかな勧めはイエスさまの語り口でもあるんだな、と思います。「主があなたがたを赦してくださったように」(エペソでは「神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように」)
14節「愛は結びの帯として完全なものです。」愛のちから。神のちから。神は愛なり。この完全な帯「愛」がうちにあるなら、ピリピ4:13にあったようにきっとわたしたちも「どんなことでもできるのです。」
15節では「感謝」、16節で「互いに」のことばが目に留まる。18節から異なる立場の者へ呼びかけているが、ポイントは22,23節の態度であるように思う。「主を恐れかしこみつつ、真心から従う」「人に対してでなく、主に対してするように心からする」24節にあるようにわたしたちが主キリストに仕えていることを忘れることなく、いつも真心から愛をもって言葉を用い、行動していくことができますように、どうぞお導きください。ハンドブックの記述では16節、みことばと賛美に触れている箇所が印象的。「感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。」
たとえことばが咄嗟に出てこない、祈りがつらつら出てこなくとも、賛美が礼拝となることを感謝します。生まれて初めて、まだ礼拝にも出席したことがない頃、教会の祈りの会なるものに出席したとき、賛美歌は皆といっしょに歌いましたが、「お祈り」が順番で回ってきて、当然何の言葉も出ず、パスしてもらいました。牧師が「賛美も祈りですから」とおっしゃられてホッとしたことを思い出します。

No.3646 2007/12/20(Thu) 23:37:50
民数記14章残り / 沙耶香 引用

今日は民数記14章残りを読みます。

28節に
あなたは彼らに言え。これは主の御告げである。わたしは生きている。わたしは必ずあなたがたに、わたしの耳に告げたそのとおりをしよう。
とありますが、これはどういう意味だろうか?と思って脚注を見ると、民がつぶやいて、「できれば、この荒野で死んだほうがましだ」といったとおりにするという意味だと解説されているが、恐ろしいですね・・・あまりめったなことをつぶやいてはいけないということだ。口からでる信仰の告白は大事なことらしいから、気をつけないといけない。

29節に
この荒野であなたがたは死体となって倒れる。私につぶやいたもので、20歳以上の登録され数えられたもの立ちはみな倒れて死ぬ。
とあるが、脚注を見て考えると、これは軍務につける男子でしゅにつぶやいたものはみな倒れて死ぬという意味だろうか?

33節に
あなたがたの子供たちは、この荒野で40年の間羊を飼う者となり、あなたがたがしたいとなってこの荒野で倒れてしまうまで、あなたがたの背信の罪を負わなければならない。
とあるが、じゃ不信仰の罪は子供の代にまで受け継がれるのか?

34節に
あなたがたが、かの地を探った日数は40日であった。その1日を1年と数えて、40年の間あなたがたは自分の咎を負わなければならない。こうしてわたしへの反抗が何かを思い知ろう。
とあるが、かの地ってどこだろうか?と思って、脚注を見ると、「イスラエル人は、20歳以上の者たちが荒野で死に絶えるまで、彼らの咎と背信の罪を負って荒野をさまよわなければならない。神は人間の不信仰をも、一つの試練として用いられる。」とあるが、この説明ではかの地は荒野ということかな?

37節の
こうして、その地をひどく悪く言いふらしたものたちは、主の前に、疫病で死んだ。
が印象に残ったのだが、脚注に、主の前に―まず初めに、斥候となってかの地を偵察して来た者たちが、ヨシュアとカレブを除いて、全会衆を主に対してつぶやかせた罰として、会見の天幕の前で疫病に打たれて死んだ。
とあるが、斥候って何だろうか?どう読むのかも分からないしと思って辞書を引くと、せっこうと読むらしい。敵情や地形などをひそかに探ること、またそうしむけた兵のことらしい。

43節の
そこにはアマレク人とカナン人とがあなたがたの前にいるから、あなたがたは剣で打ち倒されよう。あなたがたが主にそむいて従わなかったのだから、主はあなたがたとともにはおられない。」
が印象に残りました。やっぱり主の命令を守らないと主はともにはいてくださらない。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はヨハネの福音書の17章3-7節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、3節の
その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。
が気になるので、これをもう何度か読みます。
本当唯一真の神様はイエス・キリストのみですね・・・素晴らしいです。

No.3618 2007/12/17(Mon) 01:58:22

再民数記14章残り / 沙耶香 引用

今日は、もう一度民数記14章残りを読みます。

22,23節の
エジプトとこの荒野で、わたしの栄光とわたしの行ったしるしを見ながら、このように10度もわたしを試みて、わたしの声に聞き従わなかった者たちは、みな、
わたしが彼らの先祖たちに誓った地を見ることがない。わたしを侮ったものも、みなそれを見ることがない。
が印象に残りました。

25節に
低地にはアマレク人とカナン人が住んでいるので、あなたがたは、あす、向きを変えて葦の海の道を通り、荒野へ出発せよ。」
とあるが、低地とはどこだろうか?今イスラエルにいるんだと思うんだけれど、イスラエルは低地なのだろうか?

31節に
さらわれてしまうと、あなたが言ったあなたがたの子供たちを、わたしは導きいれよう。彼らはあなたがたが拒んだ地を知るようになる。
とあるが、拒んだ地って何処だろうと思って脚注を見たが、分からないので、30節にわたしが誓った地とあるので、これのことかな?と思って、30節の脚注を見ると、創世記12章7節に関連があるというので、開いてみたが、分からず、周辺を読んで、カナンの地のことかな?と思うのだが・・・

45節に
山地にすんでいたアマレク人とカナン人は、下って来て、彼らを打ち、ホルマまで彼らを追い散らした。
とあるが、ホルマとはどこだろうか?横にしるしがついていて横の脚注を見たが、まだ読んでいないところのことなので・・・

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はヨハネの福音書の17章8-12節を読みます。
天におられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、10節の
わたしのものはみなあなたのもの、あなたのものはわたしのものです。そして、わたしは彼らによって栄光を受けました。
が気になるので、これをもう何度か読みます。
もし、私たちクリスチャンが良い行いができていたらイエス様がさせてくれたことで感謝、今、必要が満たされていたらイエス様が、稼がせてくれているので、感謝、全部イエス様ですね・・・

No.3619 2007/12/17(Mon) 10:13:45

Re: 民数記14章残り / 大垣 引用

25節の「低地」は死海のあたりの低地のことだろうと思います。チェーン式の聖書の後ろの「出エジプトの経路」の地図で、カデシュ・バルネアを出たイスラエルの民は、死海の方向に向かっていたけれど、向きを変え、アカバ湾の方に向かったと考えられることが、赤い矢印で示してあります。

29節は、沙耶香さんの考えられたとおり、20歳以上の軍務につけるように登録された男たちはみな荒野で死ぬ、ということです。彼らの子供たちの世代が、約39年後にカナンの地に攻め入ります。

31節の「あなたがたが拒んだ地」、34節の「かの地」は、ともにカナンの地のことです。

No.3638 2007/12/20(Thu) 00:17:40

Re: 民数記14章残り / 沙耶香 引用

>>25節の「低地」は死海のあたりの低地のことだろうと思います。チェーン式の聖書の後ろの「出エジプトの経路」の地図で、カデシュ・バルネアを出たイスラエルの民は、死海の方向に向かっていたけれど、向きを変え、アカバ湾の方に向かったと考えられることが、赤い矢印で示してあります。

死海って低地なんだー。
地図開いているけれど、キブロテ・ハタアワからエツヨン・ゲベルに行って、ツォアルからイエ・ハアバリムから??ないですよ・・・あっ・・違う方向にあった・・・カデシュ・バルネアうん、向きを変え、アカバ湾の方に向かっている。

No.3642 2007/12/20(Thu) 09:37:50
民数記14章19節まで / 沙耶香 引用

今日は民数記14章19節までを読みます。

2節に
イスラエル人はみな、モーセとアロンにつぶやき、全会衆は彼らに言った。「私たちはエジプトの地で死んでいたらよかったのに。できれば、この荒野で死んだほうがましだ。
とありますが、何でイスラエル人はこのような気持ちになるのだろうか?主が剣で倒されようとするからだろうか?だが、剣で倒されるのと、荒野で死ぬのと同じだと思うのだが・・・
あー何だか混乱してきた・・・

11,12節の
主はモーセに仰せられた。「この民はいつまでわたしを侮るのか。わたしがこの民の間で行ったすべてのしるしにもかかわらず、いつまでわたしを信じないのか。
わたしは疫病で彼らを打って滅ぼしてしまい、あなたを彼らよりも大いなる強い国民にしよう。」
が印象に残りました。主を信じないと結局滅びるのです。

14節に
この地の住民に告げましょう。事実、彼らは、あなた、主がこの民のうちにおられ、あなた、主がまのあたりに現れて、あなたの雲が彼らの上に立ち、貴方が昼は雲の柱、夜は火の柱のうちにあって、彼らの前を歩んでおられるのを聞いているのです。
とありますが、これは比喩だと思うけれど、貴方の雲というのは主のことで、昼は雲の柱というのは、雲のようにいつも覆っているということで火の柱というのは夜はともし火のように守っているということかな?今まででどこかで出てきたような気もしますので、聖書検索してみると、出エジプトの13,21で出ていて、脚注に雲の柱も火の柱も解説されています。ともに主の臨在を表現するものらしい。ということは結局はこの節は、彼らと主がともにおられて主がいつも守ってくださっている事が言いたいのだろうか?

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はヨハネの福音書の16章26-30節を読みます。
天におられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると28節の
わたしは父から出て、世に来ました。もう一度、わたしは世を去って父のみもとに行きます。」
が気になるので、これをもう何度か読みます。
うん、私たちもそうなることを願っています。

No.3616 2007/12/15(Sat) 19:21:56

再民数記14章19節まで / 沙耶香 引用

今日はもう一度民数記14章19節までを読みます。

7節に
イスラエル人の全会衆に向かって次のように言った。「私たちが巡り歩いて探った地は、すばらしく良い地だった。
とあるが、私たちが巡り歩いて探った地とはイスラエルのことですよね?

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はヨハネの福音書の16章31-33,17章1,2節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語り下さい。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、33節と2節の、
わたしがこれらのことをあなた方に話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなた方は、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」
それは子が、あなたからいただいたすべての者に、永遠のいのちを与えるため、あなたは、すべての人を支配する権威を子にお与えになったからです。
が気になるので、これをもう何度か読みます。
イエス様がすでに世に勝ったので、私たちは勝利者なのですよね。でも現実を見ると程遠くて・・御言葉のみが真実です。
イエス様がすべての人を支配しているんだから・・・

No.3617 2007/12/16(Sun) 06:15:18

Re: 民数記14章19節まで / 大垣 引用

2-3節。イスラエル人は主の約束を信頼せず、カナンの地に攻め入ったら背の高いカナンの民に剣で倒されると考えました。

7節の「私たちが巡り歩いて探った地」はカナンの地で、約39年後にイスラエルの民はヨシュアにひきいられてカナンの地に攻め入ります。

14節。僕は雲の柱と火の柱は、比喩ではなく、実際にそのような柱がたったのだと思います。

No.3637 2007/12/20(Thu) 00:01:01

Re: 民数記14章19節まで / 沙耶香 引用

>>14節。僕は雲の柱と火の柱は、比喩ではなく、実際にそのような柱がたったのだと思います。

ふーん・・・雲は柱のようになることはあるんだ??火の柱って燃え上がって柱のようになったのだろうか?

No.3641 2007/12/20(Thu) 09:27:20
民数記13章 / 沙耶香 引用

今日は民数記13章を読みます。

2節に
「人々を遣わして、わたしがイスラエル人に与えようとしているカナンの地を探らせよ。父祖の部族ごとにひとりずつ、みな、その族長を遣わさなければならない。」
とあるが、何だかかなりかしこまっているというか、そんなにかしこまらなくてももっと自由にしたらいいのにと思うのは私の考えで、神様の御心は違うのでしょう。

18節に
その地がどんなであるか、そこに住んでいる民が強いか弱いか、あるいは少ないか多いかを調べなさい。
とありますが、民が強いか弱いか調べるとかっていうのは何だかちょっとおかしいような気がするが・・・戦争でも起こす気なのか?

32節に
彼らは探ってきた地について、イスラエル人に悪く言いふらしていった。「私たちが行き巡って探った地は、その住民を食い尽くす地だ。私たちがそこで見た民はみな、背の高い者たちだ。
とありますが、背の高い者たちってだれのことだろうか?と思って、脚注を見るとネフィリム人を指すと書いてありますが、ネフィリム人とは背が高いのだろうか?またなんでネフィリム人は背が高いのだろうか?

33節に
そこで、私たちはネフィリム人、ネフィリム人のアナク人を見た。私たちには自分がいなごのように見えたし、彼らにもそう見えたことだろう。」
とありますが、何でいなごのように見えたのだろうと思って、脚注を見ると、ネフィリム人とは巨人のことだとあります。アナク人は巨人を輩出した種族名だとあります。大きいものをみているから自分たちがいなごのように小さく見えたと言いたいのだろうか?

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はヨハネの福音書の16章16-20節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、20節の
まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたは泣き、嘆き悲しむが、世は喜ぶのです。あなたがたは悲しむが、しかし、あなた方の悲しみは喜びに変わります。
が気になるので、これをもう何度か読みます。
悲しみが喜びに変わるなんていいですね・・・

No.3613 2007/12/14(Fri) 19:57:29

Re: 民数記13章 / 沙耶香(管理人による再投稿) 引用

今日はもう一度、民数記13章を読みます。

5節に
シメオン部族からはホリの子シャファテ。
とあるが、こうやってまた人の名前を羅列して・・・何だか旧約はこういうのが多いですね・・・

24節に
イスラエル人がそこで切り取ったぶどうのふさのことから、その場所はエシュコルの谷と呼ばれた。
とありますが、じゃエシュコルの谷とはぶどうの谷という意味なのかな?と思って脚注を見ると、ぶどうの房の谷という意味だと書いてあります。

27節に
彼らはモーセに告げて言った。「私たちは、貴方がおつかわしになった地に行きました。そこにはまことに乳と蜜が流れています。そしてこれがそこのくだものです。
とありますが乳と蜜が流れるという表現は前にもあったような気がするなと思って脚注を見ると、自然の資源の豊かな土地という意味で、約束の地に対する伝統的な表現だとあります。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はヨハネの福音書の16章21-25節を読みます。
天におられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、21,22節の、
女が子を産むときには、そのときが来たので苦しみます。しかし、子を産んでしまうと、ひとりの人が世に生まれた喜びのために、もはやその激しい苦痛を忘れてしまいます。
あなたがたにも、今は悲しみがあるが、わたしはもう一度あなたがたに会います。そうすれば、あなたがたの心は喜びに満たされます。そして、その喜びをあなたがたから奪い去るものはありません。
が気になるので、これをもう何度か読みます。
出産を例えにしていてイエス様に会える日のことを考えると・・・ということをいっているんだと思うけれど、素晴らしいたとえですね・・・

No.3625 2007/12/17(Mon) 20:13:27

Re: 民数記13章 / 大垣 引用

旧約聖書は、僕は最初は特にイスラエルの歴史に注目して読みました。歴史の面では、民数記の中で、13-14章が特に大切です。主は約束のカナンの地をイスラエルの民に与えると約束されていました。カナンの地にはすでに住民がいたので、イスラエルの民がカナンの地をいただくためには、カナンの地に住んでいた民と戦争をする必要がありました。その戦争のために、12人のスパイがカナンの地を探りました。エジプトを出てから、だいたい1年後のことだと思います。12人のスパイのうち、カレブとヨシュアだけが、主の約束を信頼しました。他のスパイたちは、背の高いカナンの民を恐れて、攻め入っても負けると言いふらしました。

No.3636 2007/12/19(Wed) 23:56:32

Re: 民数記13章 / 沙耶香 引用

イスラエルの歴史か・・・
じゃカレブとヨシュアだけが信仰深かったのですね・・・

No.3640 2007/12/20(Thu) 09:21:12
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