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帰ってきました / じんない 引用

お久しぶりです。プリンストン大学のじんないです。

3週間ほど前に日本から帰ってきました。日本では日銀でしばらく働きましたが、とても楽しかったし充実していました。以前はクリスチャンだとなかなか言えない「隠れキリシタン」だったのですが、最近は努めてパブリックにしようとしています。今回、日銀でもそうしました。公にすることで、周りの人への証になれればと思っています。(証になるような誠実さが求められるので、チャレンジでもありますが。)

アメリカに帰って来てすぐに、奨学金の関係でワシントンに行きました。そこで、アメリカの大学で経済学を専攻する日本人大学院生のクリスチャンと出会いました。その場にいた日本人はたった7人しかいなかったので、びっくりしました。(僕がWWJDのリストバンドをしていたのに彼が気が付いてくれて、お互いクリスチャンだとわかりました。)日本人はクリスチャンの数が少ないですが、居るところには居るし、出会いは用意されていますね。共通点も多いし、これから色々と連絡を取っていきたいと思っています。

No.277 2005/09/04(Sun) 14:19:18

Re: 帰ってきました / 昌夫 引用

じんないさん、お帰りなさい。

じんないさんの、クリスチャンと努めてパブリックにされることが大いに用いられ、じんないさんの周囲の人が大いに祝福されますように、お祈りいたします。

最近、経済学を専攻する日本人大学院生で、キリスト教に興味のある人たちに多く出会うようになりました。神さまが多くの日本人を救われる計画の中で、近いうちに多くの経済学者が使われるのではないか、と考えて、楽しみにしています。

No.278 2005/09/05(Mon) 00:47:59

Re: 帰ってきました / かおり 引用

おかえりなさい。って、今はアメリカ?
でも、お元気そうで、よかった。

クリスチャンだと公にできるといいですよね。
私も、会社の食堂でお弁当を開く前に目を閉じてお祈りします。友達は知っているので、何も言いませんが、たまに、「なにしてんの?」と聞かれます。「お祈り。」としか答えられませんが、クリスチャンだと分かってくれるようです。まだそれだけなんですけどね^^

じんないさんに主の祝福があふれますように。
共に、がんばりましょう。

No.279 2005/09/07(Wed) 01:14:52

Re: 帰ってきました / じんない 引用

かおりさん

どうもありがとうございます。日本には一月くらい居て、今はまたアメリカです。

クリスチャンだと公にするのもとても勇気がいりますね。僕もなかなか出来ませんでしたし、今でもとても難しいです。食事の前のお祈り、良いですね。周りの人がそれで興味をもって聞いてくれたら、とても自然な形で知ってもらうことが出来ますものね。

少しずつですが、成長させられていっています。栄光から栄光へと益々変えられるように祈る毎日です。かおりさん、共に成長できるようがんばりましょう!

No.282 2005/09/11(Sun) 13:51:13

Re: 帰ってきました / 昌夫 引用

僕は、この夏は、日本に合計10週間くらい仕事でいましたが、9月10日にアメリカに帰ってきました。

アッシジのフランシスコは「伝道せよ。伝道せよ。そして必要なときだけ話せ。」と言ったそうですが、食事の前の祈りも、話さない伝道ですね。

No.283 2005/09/13(Tue) 00:24:06
こんばんわ〜☆ / かおり 引用

子供がチャーチスクールに通っていますが、9月1日に暗唱聖句大会をやります。夏休みからずっとやっておりますが、いまいち・・・
マタイ5:1〜を暗唱しております。
でも、順番がこんがらがってしまい、「あれっ」が何度もでてしまいます。(私に似たのかも)
なにかよい覚え方ってありますか?

何度もやるのが1番なんでしょうけどね^^

今夜もみなさんがイエス様の平安の中で過ごされますように。

No.267 2005/08/29(Mon) 22:25:58

Re: こんばんわ〜☆ / 昌夫 引用

脳の短期記憶に入っていることは、夜に寝ている間に、長期記憶に移されるというようなことを聞いたことがあります。暗唱は、長期記憶に入れることができれば、うまくいくので、夜、寝る直前に、しっかり覚えて、しっかり眠ると、朝になれば、うまく暗唱できるはずです。これは受験勉強も同じで、よく覚えて、すぐによく眠るようにすると良いそうです。

No.269 2005/08/30(Tue) 15:47:31

Re: こんばんわ〜☆ / かおり 引用

あいがとう。今夜からやってみますね。

No.271 2005/08/30(Tue) 19:34:12

Re: こんばんわ〜☆ / かおり 引用

秋の気配です。
ベランダで最後の大暴れしていたセミもいなくなって、心地よい風が入ってきます。蛙の合唱も虫の声に変わりました。残業を終えて外に出るともう真っ暗です。

アメリカは虫の声ってきこえるのかしら?
今週のお礼拝に、ニューヨークに留学している兄弟が顔を見せてくれました。『パッション』のミュージカルなどで伝道活動もしていると聞きました。こちらに居る時は目立たず静かなイメージでしたが、力強くなられて、自信に溢れておられ、充実した学生生活を感じました。
アメリカでの生活を守って、導いてくださっておられる主の栄光をお証しします。感謝します。

明日はもう9月です。
のんびりゆっくり、イエス様と共にいけますように。

No.272 2005/09/01(Thu) 00:30:04

Re: こんばんわ〜☆ / 昌夫 引用

かおりさん、こんにちは。
実は、今夏は日本での仕事が多くて、今も日本に一時帰国しています。

アメリカでもいろいろな所があると思いますが、僕の住んでいるオハイオ州では、せみがほとんどいません。でも、初夏には、蛍がたくさん庭の芝生の上を飛びます。

>のんびりゆっくり、イエス様と共にいけますように。

このごろは、神さまを信じて、あせらない、ということを大切にしています。行動をする前に、あせらずに慎重に祈って、聖書を読んで、信頼する兄弟姉妹と相談して、神さまの御心がいろいろな方法で示していただけるように求めるように心がけています。それで、神さま御心だと確信が得られたら、すぐに従うことを選んで、従う行動をする力をいただけるように祈るようにしています。試みにあって従うことが難しいときも、このようにして信仰の道を歩いていけますように、お祈りします。

No.273 2005/09/01(Thu) 11:40:56

Re: こんばんわ〜☆ / かおり 引用

昌夫さん、日本ですか?

お仕事がんばってください。
虫の声もきけますね^^

報告!
なんと、暗唱聖句大会、1位でした。
『すばらしかったで賞』をいただきました。
マタイ5:1〜14まで暗唱できました。子供も大満足で自信も持てたようです。キラキラしてました。
神様に感謝。みなさんにありがとう。

No.274 2005/09/01(Thu) 23:41:52

Re: こんばんわ〜☆ / 昌夫 引用

>なんと、暗唱聖句大会、1位でした。

おおお、素晴らしい。神さまに感謝します。

No.275 2005/09/02(Fri) 00:25:00
お祈りって・・・ / かおり 引用

お祈りって、どんなにうまく祈れなくっても、神様は聞いてくださっていますね。

自分が創られた者だと感謝する時、受け入れがたい状況をも与えられたものと乗り越える力がわいてきます。

お礼拝、行けるといいな。でもどうかな。
迷うこの気持ちもいつか益となるようただただお祈りします。

No.230 2005/08/21(Sun) 03:19:19

Re: お祈りって・・・ / 昌夫 引用

>お祈りって、どんなにうまく祈れなくっても、神様は聞いてくださっていますね。

本当にそうですね。ローマ8:26に、「私たちは、どのように祈ったらよかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようのもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。」とあるとおりですね。

>受け入れがたい状況をも与えられたものと乗り越える力がわいてきます。

イエスさまに聞き従う選択をしたら、従う行動をするための力は神さまが与えてくださいますね。自分の努力ではなく、神さまの力で僕たちクリスチャンが、兄弟姉妹とともに霊とまことによっ礼拝をする惠みをいただけますように、お祈りします。

No.234 2005/08/21(Sun) 22:16:53

Re: お祈りって・・・ / かおり 引用

昌夫さん、いつも、優しさをありがとう。
今日は行ってきました。冷静に参加できてよかった。

大坂さんもマルセリーノさんも昌夫さんもこんな私にも分かるように優しく教えてくださってありがとう。
今は教会の兄弟姉妹とうまくコミニュケーションがとれないのでサイトでみなさんにお話を聞いてもらえるのが本当にありがたいです。

NGKさん、さよなら、は寂しいです。
いいじゃないですか。いろいろな意見があって。考えがあって。皆同じくなったら進歩できなくなります。なんて私のあさはかな考えかな。でも、信仰の友って大事です。
お会いした事無いけどいつか天の御国で一緒に永遠に神様をお礼拝する時まで意見交換しましょ。
ぶつかり合うことも、相手の考えを受け入れられない時もあって、それでも、「こんな考え方、意見もあるんだなぁ」って。
だめかな?NGKさんにまたお会いできるようにおいのりします。
話が下手だから・・・通じるようにもおいのりします。

No.235 2005/08/21(Sun) 22:54:12

Re: お祈りって・・・ / 昌夫 引用

>冷静に参加できてよかった。

かおりさんが礼拝に冷静に参加できるようにしてくださった神さまに感謝します。

NGKさんにまたお会いできるようにとのお祈り、どうもありがとうございます。きっとまたこの世でもお会いできると信じて神さまに感謝します。

No.237 2005/08/21(Sun) 23:26:10

Re: お祈りって・・・ / NGK 引用

>だめかな?

かおりさん。親切なお言葉をありがとうございます。ところで、マルセリーノさんのHPで、ネット上で異常なほど攻撃的なる人がある、との書き込みを拝見しました。私もそのうちの一人のようです。 私の書き込みによって、結果的には昌夫さんに対して「パリサイ主義的」な非難をしてしまったらしいので、自分にはそういうところがあるのかもしれないですね。だから、今は、もうやめようと思います。

昌夫さんに最後にもう一言差し上げるなら、これは老婆心からですが、パリサイ主義的という言葉を用いるのは控えた方がよろしいかと私は思います。

パリサイ人たちを バプテスマのヨハネはマムシの末、またイエス様は悪魔の子と呼んでいます。パリサイ人は、神に反抗する人たち、また神の命令を人間的な都合や拡大解釈によって無にしてしまった人たちの代表格です。イエス様も、バプテスマのヨハネも、すなわち神様に従った人たちは パリサイ人たちとは、何の妥協点も、調和も、交渉も認めませんでした。

昌夫さんご本人は断罪的な意味を込めて「パリサイ主義」という言葉を用いられたわけでは無いとは信じますが、同じクリスチャンに対して「あなたはパリサイ主義的だ」と言うことは、(本人の意図はどうであれ)相手に対して事実上「もう意見交換の価値なし。」という最後通告を告げる意味をもつのだと私は思います。

だから、さよならします、と私は申しました。

以上です

No.238 2005/08/22(Mon) 14:03:32

Re: お祈りって・・・ / マルセリーノ 引用

こんにちはNGKさん。
今、時間がないのでちょっとしか書けませんが、
>ネットで異常な攻撃…
というのは、平素はおとなしい性格でありながら、ネットに向かうとその性格になんらかのスイッチが入って、異常とも思えるような攻撃(意見どころでなく)をする人がいるのですが、NGKさんはけっしてそのような人とは違います。
私はNGKさん、嫌いじゃないですよ。
d(゜-^*) ♪

時間がなくてごめんなさい。
まあまたゆっくり書きますね。

No.239 2005/08/22(Mon) 15:00:12

Re: お祈りって・・・ / NGK 引用

マルセリーノさん、この掲示板で直接お話しするのは始めてですね。ですから、はじめまして、マルセリーノさん。:^)

>NGKさんはけっしてそのような人とは違います。

いえ、お言葉はありがたいのですが、自分で判って書いていることなので。さすがに誰かの誹謗中傷を悪意をもってするような人間ではありませんが、ネット上では口の扉にかんぬきをかけられなくなる事がしばしばあります。

それを自分で見ていて、正直嫌になっちゃったんですよねぇ・・・。ごめんなさい。

ネットでお話しいて、(霊的にでしょう)本当に疲労こんぱいしてしまいました。教会での礼拝に出ても、そのことが心をざわつかせ、集中できませんでした。そんな会話をしているのは、僕にとってあまり良くないことなんだと思います。

それでは〜。

No.240 2005/08/22(Mon) 15:17:39

Re: お祈りって・・・ / 昌夫 引用

>同じクリスチャンに対して「あなたはパリサイ主義的だ」と言うことは、(本人の意図はどうであれ)相手に対して事実上「もう意見交換の価値なし。」という最後通告を告げる意味をもつのだと私は思います。

もちろん、そのような最後通告のつもりで書いたわけではありませんが、NGKさんに対して「パリサイ人的である」などと言ってはいけなかったということが分りました。心より謝罪します。「自分も含めて、信仰を持った人間にも、苦しい中を主に従うことを選んでした行いについて、それをほこる律法主義的なところが、どうしてもある。もし、NGKさんが、礼拝に参加するという行いを救いと同等とまで絶対視されているとすれば、そこには律法主義的なものが部分的に働いていると思う」ということを言いたかったのです。

No.243 2005/08/23(Tue) 00:44:28

Re: お祈りって・・・ / NGK 引用

昌夫さん。

謝罪をしてくださってありがとうございます。私としては、謝罪してほしいという訳では無かったのですが、ありがとうございます。昌夫さんが私に何か謝罪を必要とする悪いことをしたとはもともと考えていませんから、どうぞ、心安らかになさってください。

ちなみに、今週の日曜の夕拝に、私は遅刻してまいました。引越しで大忙しのさなか、気がついたらすでに定刻の30分遅れでした。今回はもういいか、と少し気が緩みましたが、「自分で人に勧めたことを自分で否定してどうする」という気持ちで、仕事をほっぽり出して大急ぎで支度をして、夕拝に参加しました。いかんな〜、と頭を掻きながら。最後の30分だけ、参加できました。

人間は、すぐに忘れ、すぐに疲れ、すぐに文句を言う、自己中心的で、弱い存在です。だから、良い行いというひとつの目標を自覚して行動してゆかないとダメなんです。その良い行い・正しい行いの目標自体を自分に課されること自体を「律法主義的な押し付けだ」と否定してしまったら、進歩なんてあり得ないんですから。自論ですけどね。

私なりに、色々と勉強になりました。皆様に、ありがとう。自分の信仰を確認し、また実行してゆく機会が与えられますように、お祈りします。

No.244 2005/08/23(Tue) 07:24:33

Re: お祈りって・・・ / 昌夫 引用

NGKさん、僕の謝罪を受け入れてくださってありがとうございます。

僕は、人間は誘惑に弱いので、なんらかの目標の自覚が必要ということに賛成します。でも、何ごとにも時があるので、どのような行いも、絶対的にいつも良い、正しいとは、言えないという立場なのですが、これについては、いつか時間があるときにゆっくり書いてみます。

No.246 2005/08/23(Tue) 11:17:24

Re: お祈りって・・・ / NGK 引用

>でも、何ごとにも時があるので、どのような行いも、絶対的にいつも良い、正しいとは、言えないという立場なのです

礼拝について私が絶対視していたかどうか、また、礼拝を絶対視することを昌夫さんに強要するようなことが、私の本意であったかどうか、他の参加者の方々と、第三者の意見を交えてご確認ください。

ご質問や、不明な点の確認等がありましたら、またお知らせください。その際にはお手伝いさせていただきます。

No.247 2005/08/23(Tue) 12:39:58

Re: お祈りって・・・ / 昌夫 引用

NGKさん。

僕は読解力がないと言われることが多いので、NGKさんの書かれたことを誤解をして理解したのでしょうね。お祈りのなかで、考えてみます。

No.248 2005/08/24(Wed) 22:34:28

Re: お祈りって・・・ / NGK 引用

>僕は読解力がないと言われることが多いので、NGKさんの書かれたことを誤解をして理解したのでしょうね。お祈りのなかで、考えてみます。

私が感じたのは、誤解ではなく、むしろ「拒絶」でした。

可能性として、考えてみてください。

No.249 2005/08/25(Thu) 13:10:51

Re: お祈りって・・・ / 昌夫 引用

No.254に書いたのですが、つい最近になって自分の中の律法主義に気がついたので、NGKさんの書かれたことに、その影を感じて、過去の自分を投影してしまったようです。No.232を書いたころは、感情的になってしまっていました。

他のクリスチャンが違う考えを持っているときは、自分の考えを必要だと思えば述べて、後は祈っているのが、基本的には良いと思います。これからは、そのように行動したいと思います。

No.256 2005/08/27(Sat) 00:12:15

Re: お祈りって・・・ / NGK 引用

>つい最近になって自分の中の律法主義に気がついたので、NGKさんの書かれたことに、その影を感じて、過去の自分を投影してしまったようです。No.232を書いたころは、感情的になってしまっていました。

昌夫さんこんにちは。

私も、昌夫さんとお話していて、その言葉の背後に、昌夫さんの「礼拝への出席そのもの」についての「昌夫さんご自身の」強い意見を感じていました。

もしかすると、「礼拝を欠席するということが、家族への伝道のために神様が望んでおられることであり得るかどうか」ということは、そもそも初めから関係の無いことだったのかも知れませんね。

かおりさんへ>
私自身、礼拝への参加ということに関しては、私なりに色々経験してきました。

牧師と、その牧師に連なる教会メンバーによって家族の心が傷つけられたこと、そのために教会を転籍したこと。私自身の教会内での人間関係の問題によって、礼拝へ出席する事が文字通り這いつくばるような苦みであった時があったこと。かかわった教会が、クリスチャン異端で、他の一般教会への敵意を養ってしまった時期があったこと。

・・・色々ありました。

今の私の教会生活は、祝福されています。自分の居場所、能力を活かす場としての可能性。神の恵みと赦しを喜びをもって感じる場としての礼拝。それらは私の宝です。

でも、その宝は、何に基いて獲得されたか、あるいは与えられたかという事を思い返すと、上に書いた色々な経験があってのことだと思えてきます。

今の苦しみは、将来、喜びと変わる。この希望を、体験・確認するときがきっとくる。そのことを信じて行きたいと、私は思います。

No.257 2005/08/27(Sat) 06:14:44

Re: お祈りって・・・ / かおり 引用

ここは、書く事はしなくても、いろんな方が見ている場所だと考えます。もちろん苦しみのさなかにおられるかたも、信仰が堅くたてられておられるかたも、昌夫さんの言葉には、私は愛の配慮を感じていました。

マタイ9:1〜8
イエスは舟に乗って湖を渡り、自分の町にかえられた。
すると、人々が中風の人を床に寝かせたままで、みもとに運んで来た。イエスは彼らの信仰を見て、中風の人に、「子よ。しっかりしなさい。あなたの罪は赦された。」と言われた。
すると、律法学者たちは、心の中で、「この人は神をけがしている。」といった。
イエスは彼らの心の思いを知って言われた。「なぜ、心の中で悪いことを考えているのか。『あなたの罪は赦された。』と言うのと、『起きて歩け。』と言うのと、どちらがやさしいか。
人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたに知らせるために。」こう言って、それから中風の人に、「起きなさい。寝床をたたんで、家に帰りなさい。」と言われた。
すると、彼は起きて家に帰った。
群集はそれを見て恐ろしくなり、こんな権威を人にお与えになった神をあがめた。

私は、自分をこの中風にかかっている者だと考えていました。マルセリーノさんのサイトに辿りつかせてくださってみなさんに出会わせてくださったのはイエス様ですが、いろんな悩みを聞いてもらい励まして、祈ってくださった。NGKさんのおしっしゃることもよくわかりますが、苦しみの中にいるものにとっては、どうでしょうか?
NGKさんもいろんな苦しみの中を通ってこられたから、今のすばらしい信仰生活が感謝できるのだと思いますが、苦しみのさなかに、NGKさんの言われたことを聞いたら、苦しみに苦しみが増すだけだったと思いますよ。
そう感じたのは、信仰が薄い、浅い、理解できない私だけでしょうか?

No.258 2005/08/27(Sat) 09:31:27

Re: お祈りって・・・ / NGK 引用

>そう感じたのは、信仰が薄い、浅い、理解できない私だけでしょうか?

いいえ。そんなことは無いと思います。

私にしても、かつて、思い通りにならない状況におかれ、そのために苦しむけれども、みことばや信仰の先輩たちから与えられる答えは、ひたすら、「状況は変わらない。自分自身が変わるしかないのだ。」という厳しい答えばかりの時がありました。

判っていても変われない自分。「一体どうしろというのだ」と悩む中、増し加わる苦しみ。不安でがたがたと震える毎日。怒りで祈れない日々。でも自分の罪が判る故に暗闇の中に沈んで行ってしまう絶望。

文字通り、からだをかきむしって、叫び声をあげたこともあります。アパートの一階に住む住民も、何事かと驚いたかもしれません。今となっては過去の話ですが。

でもその苦しみは、信仰が薄かったから増し加わったのではなく、むしろ、自分自身の罪から目をそむけることが出来なかったからだったのだと思います。かといって、信仰が厚かったから苦しんだ訳でもなく、ただ、そのときの自分には、信仰と実生活の両面で矯正されなければならない事があって、そのために苦しまねばならなかった。苦しむことでしか、矯正されなかった。そういうことだと思っています。その意味では、今にして見ると「あの苦しみも恵みであった」と思うのです。

私は「苦しい状況の中にあっても、必ず突破口が与えられ、希望が見えてくるはず」。ということだけを言いたかったのですが。

かおりさんの置かれている状況に配慮しない軽率な言動があったならば、それは申し訳なかったと謝る他ありません。相手の立場や状況に対して思いやりとやさしさをもって応答することが出来ていないという意味で。私は目の前にその人がいないと、中々そのような態度を示せません。コミュニケーション能力に欠けているのかもしれません。

No.259 2005/08/27(Sat) 12:27:40

Re: お祈りって・・・ / かおり 引用

私はここが大好きです。
同情があるからではなく、私を理解してくださるみなさんが温かい目でみてくださるから。
そして、励まし、祈り、イエス様の愛が感じられるから。

NGKさんも大好きです。昌夫さん、大坂さん、マルセリーノさん。やすこさん、ここを見ておられる方全てに、だいすきですよxxっぉってさけびたいですねぇ。


はじめにイエス様が愛してくださった。
これからもいっぱい意見交換、励ましあい、コミュニケーション、近況報告、悩み、苦しみ、分かち合い。
できますように。

NGKさん。これからもよろしくお願いします。

No.260 2005/08/27(Sat) 15:28:44

Re: お祈りって・・・ / 昌夫 引用

僕は、問題があって、自分が変わらなければならないときは、イエスさまに聞き従う選択をしていれば、イエスさまが変えてくださる、と信じています。それで、苦しいときは、できるだけ静かに祈っているのが、理想だと考えています。でも最近、実際に苦しかったときは、静かにしているというより、じたばたといろいろな努力をしました。それは、たぶん理想的な聞き従う姿からは遠かったのだろうと思います。

でも、僕が理想的に聞き従うような力を持った人間でないことは、最初からイエスさまは、ご存知で、それでも僕が罪にあったときに、もうイエスさまは僕を愛して十字架上で死んでくださった。それで、僕は、いつもイエスさまの方を僕が向いてさえすれば、どんなに理想から遠くても、とにかくイエスさまが、いろいろな方法を使って、僕をイエスさまに近づけていってくださって救ってくださる、と信じています。

多くのクリスチャンがイエスさまに近づけられていくとき、人それぞれの、いろいろな道があるので、いろいろな意見があるのでしょう。意見が違っても、クリスチャンどおしが励ましあって、信仰の道を歩んでいけるなら、素晴らしいですね。この掲示板が、そのために少しでも役だつなら、神さまの大きな祝福なので、感謝します。

No.266 2005/08/29(Mon) 01:51:58

Re: お祈りって・・・ / やすこ 引用

御祈りなかなか聞き入れてもらえない。今の問題解決されない。辛い。CENSORED。神様イエス様どうか私を天国に連れて行ってください。イエス様の尊い御名によって御祈りいたします。アーメン・・・

No.268 2005/08/30(Tue) 09:48:43

Re: お祈りって・・・ / 昌夫 引用

やすこさんは、以前から辛くて死にたくなるようなことが多くても、耐え忍んでイエスさまを信じて祈っておられて、美しい信仰心だなと思います。信じて待っていれば、必ずイエスさまが やすこさんを、いろいろな問題から救ってくださると信じています。

No.270 2005/08/30(Tue) 15:56:38
傷ついた。立ち直れない。 / やすこ 引用

今日教会へ行き、愛する牧師にみんなの前でそれはあなたが悪いこと(別に犯罪はしていない)をしでかしたからでしょ?と言われた。守秘義務があるのにみんなの前でそういうことを言うなんて罪以前に牧師としての職業意識はないのだろうか?
愛していて大好きな牧師だったけれど、冷めてきて今度から教会に行く気もなくなりました。
何だかもう何をする気にもなれない。
牧師の一言で傷つき耐えられなくなってしまったことのある信者さんご意見ください。
神様イエス様何とか私を救ってください。
何だかCENSOREDCENSOREDCENSORED・・・CENSORED方法何かいい方法ないかな?

No.264 2005/08/28(Sun) 20:33:07

Re: 傷ついた。立ち直れない。 / 昌夫 引用

やすこさん
 僕は牧師の一言で傷ついたという経験はないので、どれだけやすこさんの気持ちが理解できるか分りませんが、牧師も人間なので、いろいろな間違いをしてしまうことがあります。理想的には、牧師と2人きりで会って、牧師の一言で傷ついたということを、伝えて、話しあうことが良いと思います。牧師も兄弟姉妹の一人と考えると、兄弟姉妹が自分に罪を犯したと思うときは、まず、2人で話し合ってみるということが、イエスさまの望まれることであることが、聖書に書いてあります。

No.265 2005/08/29(Mon) 01:30:28
(No Subject) / やすこ 引用

辛い、CENSORED。逃げ出したい。どこかに逃避したい。
神様イエス様救い出して欲しい。イエス様の尊い御名によって御祈りいたします。アーメン・・・

No.261 2005/08/27(Sat) 18:18:54

Re: (No Subject) / かおり 引用

お祈りします。

No.262 2005/08/27(Sat) 19:40:55

Re: (No Subject) / 大坂 引用

たとえ困難な状況にあったとしても、脱出する道を備えてくださる神様に、「アーメン」ですね。どんな苦しみも、遠回りも、神にあって、決して無駄ではないのだということを、やすこさん、あなたはすでに、お祈りする手の内に握っていらっしゃることでしょう。これまでのあなたの書き込みから、神様の具体的な助けを伺うことができ、感謝いたします。

No.263 2005/08/28(Sun) 14:57:26
(No Subject) / やすこ 引用

結婚詐欺にもあい、苦しさのどん底にいる中で今の教会に救われ、そしてある匿名のクリスチャンからの献金で教会に通わせていただき、交通手段の電動車とその屋根も与えていただき、こうして面接に行く御化粧代も出していただき、生活に四苦八苦していた私を色んな形で神様が立て直してくださりここまできたのに
私ときたら勝手に騙されやすい性格に漬け込まれ、詐欺にあったり脅されたり口車に乗らされたり、問題を起こしたりとんでもない奴なのです。
でもこんな私でも神様は愛してくださりあるクリスチャンを使って毎日メールくださったり、あるクリスチャンを使って電話相談したり、あるクリスチャンへの愛を与えてくださり、教会に進んで通いたくなるようにさせてくれているんです。
神様すばらしい。いろんなものを与え続けてくれています。今度は御心の男性が欲しいな。結婚したいです。神様紹介してください。

No.253 2005/08/26(Fri) 08:11:37

Re: (No Subject) / 昌夫 引用

やすこさん、多くの書き込みをありがとう。やすこさんが大いに祝福されますよう、お祈りします。

No.255 2005/08/26(Fri) 17:29:28
独り言ですから・・・ / かおり 引用

教会に行き始めて7年。
お礼拝を休んだのは片手で数えられるくらい・・・
何故って、行かなければならない。。から・・・
子供が私に言い迫ったことがありました。「教会に行かないと、神様は私を忘れるの?愛してくれないの?」
子供を1人家に残したままお礼拝に出かけたことも何度もありました。そんなときのお礼拝は私にとって安らげる場所にはなりません。神様の愛を感じることも、讃美を捧げる事もできません。ただ、お礼拝はなによりも優先されるべきもの。その言葉に縛られて教会の椅子に座って、兄弟姉妹にうわべだけのあいさつをかわし、時間が過ぎるのをじっと息をCENSORED待つだけ。
そのことで姉妹に弱音を吐くと、「お祈りしてますから」
牧師先生はウエルカムの時、目の前にきても、素通り。
分かっているから、私の罪は、大きすぎる。だから自分から牧師先生にも、兄弟姉妹にも近寄らないほうがいいと。

神様は行いじゃなく、心を見られる方。
私のお礼拝を神様は喜ばない。
いろいろな思いに悩みながら、それでもなんとか自分を奮い立たせ教会に行く。
今年はもう4回くらいお礼拝をやすんでしまった。最初に休んだ日。手足がふるえた。どうしようもなく、何でかも分からない。胸が苦しかった。2回目休んだ時、前ほどではなかったけど、やはり苦しかった。

今は、やっと落ち着いて、体調悪い時は無理をしないで家で神様を思うことができるようになりました。
子供にも強制しなくなりました。

教会の中で自由に神様を礼拝でき、兄弟姉妹を心からあいする事が出来る方がうらやましいです。
私の中にある「罪」がそうできない理由ですから、うらやんでも仕方ないですね。結局は自分が悪いのです。
イエス様は私を助けてくださらないでしょうか?
救いを求めてはいけないでしょうか。
私の祈りは「偽善」でしょうか。

いつか、そうです、天に召される時までには私の救いは完全なものになると信じていたのですが・・・


体調が悪いのがもろに心に反映しています。独り言として聞き流してもらえればうれしいのですが・・・
これを書いたのは、いろいろな心の状態の人がいること。
信仰が成長段階にある人がいること。を知ってほしかったからです。

今週のお礼拝には行けましたよ。冷静にお礼拝できたことを喜んでいます。ここで、みなさんが励ましてくださったから、お祈りしてくださったから、心から感謝しております。

No.250 2005/08/25(Thu) 23:20:54

Re: 独り言ですから・・・ / やすこ 引用

気持ちすごくよくわかります。何よりも優先させられないといけない、そう言い聞かせる気持ちわかります。でもそう教えている伝道師の奥さんも伝道師の娘さんも休んでいます。だからもっと自由に縛り付けないように神様を礼拝することを楽しむくらいの感覚で行けばいいと思います。私の場合教会の女性牧師を心から愛してしまったので(ちなみに私も女性)その人に会いたくて行っています。
だってイエス様からの光で億千万に輝きを放っていて、その光にノックダウンされるんですもん・・・

No.251 2005/08/26(Fri) 07:56:22

Re: 独り言ですから・・・ / 昌夫 引用

かおりさん、イエスさまは僕たちが信仰を持たずに罪にあるときに、僕たちを愛して、僕たちの罪のために苦しい十字架の死を選んでくださったのです。

僕たちは、礼拝に行くなどの行いではなく、イエスさまが自分の罪のために死んでくださり、復活されたという福音を信じて、イエスさまを信頼することによって、全ての罪を赦されます。僕たちは、何も良いことをしないでも、罪がどんなに大きくとも、イエスさまに死ぬほど愛されています。

入信してから2年間ほど、僕はそれが実感できていなかったのです。それで、与えられた信仰を受け入れて神さまに義と認められるのは、恵みであっても、信仰の道を歩いていき、清くされる聖化の過程では、努力をする必要があると思いました。それで、神に従うことは、義務と考えて、努力をしました。努力をして、良い行いをすれば、それだけ多く祝福されて、神さまに近づけると考えていました。

あるとき、尊敬する牧師に「神の前で静まれ」と言われました。それから9ヶ月くらいして、聖書を読み祈るうちに「神に従うことを義務としてすれば、より祝福される」という僕の「律法主義」から解放されました。聖書には、信仰が恵みであるだけでなく、良い行いは全て信仰から生じることが書いてあります。良い行いをしようと努力することをやめて、ルカ10:38−42のマリヤのように、行いをするのでなく、ただ静かに聞き従うことを選ぶことにしました。それから、僕は罪人であるのに、神さまに愛されて、「良い行い」をさせていただいている、という感謝の気持ちが強くなって、神さまの愛の深さを前よりもずっと実感できるようになりました。

ちょうど、こういうときに、NGKさんと「礼拝参加」について話しあったので、律法主義に縛られていた自分を彼に投影してしまったところもあるかもしれません。

No.254 2005/08/26(Fri) 17:28:20
(No Subject) / やすこ 引用

今とても苦しい状況下にいます。問題にさらされ、教会に行けないというと、そういうときこそ問題解決のために教会にきなさいと言われ馬鹿だから行っているけど、なぜか解決に結びつかない。焦る。焦る。お金の問題だから返すために仕事も探しているけど、ずっと精神障害で仕事していないので見つからない。どこに行っても断られ、途方にくれています。
でも諦めないんだ。仕事探しも問題解決もきっと神様がとりなしてくださると信じます。
そして今度は神様が解決してくれたというお証ができるようなスレッドを書けるようになると信じます。

No.252 2005/08/26(Fri) 08:01:44
そうです。 / かおり 引用

みなさん、今夜も、こんばんは。

私もNGKさんのおっしゃりたい事、わかりますよ。
ここでのやりとりが気になってお礼拝に集中できなかったんですね。
NGKさんは男性だったんですね。
マルセリーノさんがおっしゃったとおり、NGKさんと出会わせてくださった神様にこころから感謝を捧げます。

私はここでいろんな人の信仰を見させて頂いて1人1人に神様は素敵な賜物を与えてくださることを確信できました。
昌夫さん、大坂さん、マルセリーノさん、それぞれお仕事をお持ちで、生活もおありでしょう。でも、時間や労力を神様に捧げてみなさんに丁寧なレスしてくださる。「イエス様にあって捧げる」のでなければ人間の力ではできないことだと思います。

NGKさんも素晴らしい賜物をみます。
お優しい方ですね。
お言葉を1つ1つ大切にされて、イエス様に対する愛を伝えようとする熱心さに頭がさがります。

みなさん、同じ所(イエス様)を見ていらっしゃる。
でなければ、こんなに熱く語り合うこともなかったでしょう。

NGKさんの心にイエス様の平安と平和がありますようお祈りします。

No.241 2005/08/22(Mon) 21:47:15

Re: そうです。 / 大坂 引用

かおりさん、ありがとう。

私も、NGKさんが互いの信仰の成長のために良かれと思って書いていたのだ、ということは分かっていましたが。。。レスできず、すみません。私も同様のことで、ある人と長きに渡って議論したことがありますが。。。NGKさんも、決して自分を信仰的に健全な人だと思っていたのではなく、その弱さを十分自覚しての書き込みだったと思います。無理にとは言いませんが、ほとぼりの冷めた頃で結構ですので、またどうぞお越しください。時には動揺しながらも、あなたの配慮ある、優しい気遣いは、十分伝わりました。

No.242 2005/08/22(Mon) 22:39:47
・・・ / NGK 引用

いま、マルセリーノさんのHPで、ある方の書き込みを読みました。大変に大きな罪意識に苦しんでおられる方のようでした。

礼拝や聖餐の意味についていろいろ考え、また書きましたけれども、そんなことよりも、実生活で心を痛めている人たちを心に留めることの方が、よっぽど大切なんじゃないかと、良心を責められています。

マルセリーノさんのHPで心の苦しみを書き込まれたその方に対して、申し訳ない気持ちでいっぱいです。

「文字(律法)は殺し、御霊(神の愛)は生かす。」

私はこの掲示板でいろいろと書きたてることで、それを読む人に滅びを招いていたのではないかと、そう感じます。自分の目が開かれること。それが自分にとって、ほかの人が幸せになることより大切なのかと。

いったいどこを見ているのかと。

目の前に梁があるのに、相手の目のチリを取り除こうとしてたのかも知れません、私は。
--------------------------------------------
・・・気分の悪い朝です。
本当に穢れているのは、他の人を神にあって愛することをしない人の心。
他の人を愛さない者は、神をも愛していない。それなのに、自分の心の汚れを覆い隠すために、文字としてのみことばを身にまとい、自分の腐った知性を隠すために、他の人の真実の仮面をかぶり、自分の偽りを隠すために、他の人を偽りで塗り固めようとする。

他の人に救いを説きながら、本当にその救いが必要なのは自分であるということを見落としている。見当違いもはなはだしい。汚れているのは、私だと、思う。

イエス様の救いは、私のようなものにこそ、必要なのです。礼拝も、聖餐も、その救いを私の心に思い起こさせるために、私に必要なものです。兄弟姉妹に対して感じる愛の中に、また彼らから受ける愛の中に、主の愛の存在を確認することが、私にとってとても大切で、とても必要なのです。

礼拝は、また兄弟姉妹との交わりは、私のいのちにとって必要なものです。

礼拝とは、また聖餐とは、そのようなものなのではないでしょうか。弱く、毎日神様の救いを必要としている人間のために、神様が備えてくださった救いなのではないでしょうか。その意味で、礼拝や聖餐は、クリスチャンにとっての命なのではないでしょうか。

いずれにせよ、それは私が実生活の中で確認してゆきます。

長々と、また何度も何度もすみませんでした。

NGK

No.225 2005/08/20(Sat) 02:19:17

Re: ・・・ / 昌夫 引用

NGKさん、書き込みをありがとうございます。

この世では時間が限られているので、今、何をすることが一番大切か、という優先順位をはっきりさせることが、神さまの声を聞くためには大切なんだな、と思いました。いつも僕たちが神さまの愛を最も優先することができますように、お祈りします。

僕にとってはイエスさまが救いそのものであり、命そのものであって、そのほかのどんなに貴重で聖なるものも、救い、命そのものではありません。いろいろなクリスシャンに、それぞれの人に最善の、一人一人に違った、お導きを与えてくださる優しい神さまを賛美して、感謝します。

No.226 2005/08/20(Sat) 13:33:16

Re: ・・・ / MGK 引用

>僕にとってはイエスさまが救いそのものであり、命そのものであって

教会は、主にある兄弟姉妹の集まりであり、主イエスのみからだです。私たちはそのからだの一器官であり、他の器官の内にあって存在し、また保たれています。そしてそれぞれの器官が「唯一の」かしらに つながることを確認しあう行為が、礼拝です。

「イエス様が救いと命そのものである」という言葉の持つ意味は、教会での礼拝と分離して考えられるものではないと私には思えます。

いずれにせよ、私はこの件に関して昌夫さんとお話しすることは やめます。

聖書の御言葉、また主の恵みを 言葉の争いに貶めたくありません。

失礼致します。

No.227 2005/08/20(Sat) 16:03:41

Re: ・・・ / 昌夫 引用

十字架上のイエスさまの横で死んだ天国に行った強盗は、教会での礼拝をする恵みを受けたわけではありません。僕にとって、イエスさまの救いと教会での礼拝は根本的に別のことです。

No.222の自室で一人で礼拝している老婦人の前に行って、「教会での礼拝とイエスさまの救いは分離できないのです」と僕は言うことはできません。日本には、老婦人のようなクリスチャンが多いと思います。この掲示板を読んでいるクリスチャンたちにも、彼女のような立場の人たちがいる可能性は大きいと思っています。だから、僕はNGKさんのためではなく、そのような人たちのために、ここに次のことを書いておこうと思います。

ルカ10:38−42、特に42節に「マリヤはその良い方を選んだ」とあるように、イエスさまは、僕たちに本当に必要なことは、良い行いをすることではなく、イエスさまのことばに聞き従うことを選ぶことであるとおっしゃいました。そのように選べば、良い行いは信仰によって、イエスさまが、イエスさまの力で、僕たちを導いてさせてくださいます。

ところが、熱心なクリスチャンほど、「教会の礼拝に行くことは、イエスさまの分離できない」というように、なんらかの「良い行い」とイエスさまの救いを結びつけることが多いように思います。そのように解釈できるように見える聖句も指摘されます。そして、なんらかの事情でその「良い行い」をしていない人は、「信仰以外の仕事や家庭の事情などで、主に従わない人」ということにされます。

主に聞き従うとき、その人によって、また与えられ時によって、全く違う行いにお導きがあるということが、聖書に書いてあると思います。例えば出エジプト20:13には「CENSOREDはならない」とあります。それでは、「CENSORED」という行いが禁じられたのかというと、イスラエルの戦争のところで、神さまが敵を皆殺しにせよ、と言われているのを読めば、そうではないことが分かると思います。神さまが命じられていないときに、CENSOREDという行いをすることを、禁じられたのであって、行い自体が禁止されたわけではないと思います。

熱心なクリスチャンは、苦しい思いをして、神さまに聞き従ってきた人です。でも、残念ながら、そのときにお導きを受けた「良い行い」をほこって、絶対視してしまうことも多いのではないかと思います。家族の反対をおしきって、教会の礼拝に参加する「良い行い」をするようにお導きを受け、そうした人は、教会での礼拝参加という良い行いを絶対視しがちです。家族への伝道のために、礼拝への参加を断念するというお導きがありえることを想像することもできない人もあると思います。

熱心なクリスチャンが関連した聖句を読むとき、自分のした良い行いを命じているようにしか解釈できないのは、「良い行いをしたほこり」という罪が聖霊さまの解釈を拒むからではないでしょうか。マタイ10:34−38を読んで「家族の反対をおしきって、教会に礼拝に行く」という解釈しかできない人は、人それぞれにいろいろな行いに導かれる聖霊さまの声に耳をふさいでいるように僕は思います。

どのような聖なる良い行いであっても、それを信仰によるイエスさまの救いと分離できない、と主張するとき、聖霊さまから来る言葉ではなくて、パリサイ人のような律法主義から来るものであると考えています。

僕たちクリスチャンはイエスさまへの信仰の恵みによって義と認められ、すべての罪でない行いは、信仰からくる恵みです。教会の礼拝に参加するなどの「良い行い」をしないときに、どんなに熱心なクリスチャンや聖職者たちに非難されても、イエスさまの救いを信じて、イエスさまに聞き従うことを選んでいるかぎり、イエスさまは救ってくださいます。それが聖書に書いてある真理であると僕は信じます。

No.228 2005/08/20(Sat) 17:35:39

皆様に祝福がありますように / NGK 引用

昌夫さん、

私としては、これで本件に関する会話を閉じたいと思います。何かご質問等があれば、また。

イエス様の救いは、良いと思っているけど出来ないことを赦して下さるやさしさもあるけれど、それよりも、良いと思っていることを出来るようにしてくださる力にあふれているはずです。だから本人が礼拝に出たいと願うなら、その願いは(時間はかかるかもしれませんが)かなえられると信じます。

それにしても、礼拝に出席されておられる方が、礼拝への出席が大切だという私の意見からどうして非難感を感じられてしまうのが、私には判りかねています・・・。
私の言い方や態度が、本当にパリサイ主義者のように非難めいていたのでしょうか;もしそうならお詫びするしかありません。神様、それを気づかせてください。

それでは、皆様、よき週末をお過ごしください。

礼拝に出ようと心にお考えの方には、その方々のために主が状況を整えてくださいますようにお祈りします。

No.231 2005/08/21(Sun) 06:12:45

Re: ・・・ / 昌夫 引用

>礼拝への出席が大切だという私の意見

NGKさん。僕は礼拝への出席はとても大切だと思っていますし、そういう意見に反発を覚えることはありません。どこで、特に僕がパリサイ人的な律法主義だと感じて、反発したか、書いておきたいと思います。

>>家族の行事があるときは日曜の礼拝に参加しない

>ことが、

>>神さまに従いたいという心からの対応だ

>と仰っておられますが、そのような選択は、礼拝を守>って主をあがめるというひとつの信仰の行為よりも、>家族行事の方が重んじられている結果だとしか私には>理解できず

>>家事を必ずしっかりすませてから毎日曜必ず礼拝に>参加した

>という一貫した態度と同列に比較されていることに、>なんだか変な感じがします。

僕はこの例として書いたこの2人のクリスチャンを個人的に知っていて、どちらも信仰が深く、苦しいときでも主に聞き従う態度を持っておられて尊敬しています。家族行事で、まだ信仰を持たない夫への伝道のために、礼拝に参加したくてしかたないのに、祈りのなかで牧師や兄弟姉妹にも相談して、ときには礼拝参加をあきらめて、家族行事に行く彼女の信仰に共感しています。ただ、夫を苦しめないように、怒らせないように、というような甘やかすような愛や弱い心からではなくて、主の栄光のためにそのような決断を苦しいなかでしていることを知っています。

No.222の老婦人や、この主婦に、「どのようなときも、礼拝に参加することが、主の御心である。私はそのようにしてきたことを証しします。」と言う人は、僕には自分の行為をほこっている律法主義者にしか見えません。

No.232 2005/08/21(Sun) 20:55:49

Re: ・・・ / NGK 引用

>No.222の老婦人や、この主婦に、「どのようなときも、礼拝に参加することが、主の御心である。私はそのようにしてきたことを証しします。」と言う人は、僕には自分の行為をほこっている律法主義者にしか見えません。

昌夫さん。

私は昌夫さんの書かれた二人の方、また最後の老婦人の方を個人的に存じていません。私はどこかで「大切なのはその人の信仰態度の総合的な徹底性」と自分でも書きました。私は少なくともこの三人の方々の「総合的」な態度を、昌夫さんの限られた書き込みから判断するしかなく、自分の主張する内容というバイアスを通してその人たちを裁いていた面があるのかもしれません。それが「パリサイ主義的」ということなのでしょう。

私の考え方に一方的なきめ付けと誤解があったようです。申し訳ありませんでした。その点については、昌夫さん名が例を挙げられたその方々に対してお詫びします。お許しください。

その方々のご家族がイエスさまを信じることが出来ますように、ただそのことだけをお祈りします。私自身は、正しいと信じる行いをし続け、信じ続け、確認し続け、追求し続けてゆきます。

最後に、私自身、家族の反対を押し切って 礼拝への出席を優先させた経緯があります。その行為の正しさ云々はさておき、その行為によって私が受けた「報い・報酬」は、自分の信仰の成長にとって 長期的に絶大かつ不可欠であったということだけ、書き添えておきます。

それでは。また、どこかで機会がありましたら、お出会いしましょう。

さようなら。

No.233 2005/08/21(Sun) 22:01:46

Re: ・・・ / 昌夫 引用

NGKさんの熱い信仰を神さまに感謝します。

>その行為によって私が受けた「報い・報酬」

クリスチャンが家族に反対されたときに、礼拝への出席をすることを導かれ、神さまに聞き従う選択をしたとき、困難があっても出席する行為ができるように神さまが力をくださると思います。

僕が、礼拝についての話しあいでNGKさんに伝えようとしていたことを、この例で具体的に書くと次のようなことです。「この行為をしたから神さまが報い・報酬をくださった。他の人にも困難があるときもこの行為をするように薦めよう。」と考えるのは、行為の力は神さまから来たことを忘れた律法主義的な考えであって、無意識であっても行為をほこることにつながっていくと思います。それで「聞き従う選択をしたので、祝福してくださって、礼拝に参加することができた。行為をしたことを祝福してくださったわけではないので、信仰者が他の行為に導かれる場合もありえる。」と感謝の気持ちでいるのが、信仰からの考え、と思います。

No.236 2005/08/21(Sun) 23:15:09
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