[ { "title": "えっち哲学者", "part_type": "group", "children": [ { "title": "田中申", "description": "", "part_type": "group", "children": [ { "title": "性的興奮の影響", "description": "性的興奮が意思決定にどのような影響があるか、とある大学で行動経済学の実験がおこなわれた。\n実験を簡便にするため、実験の対象者はその大学に在籍する異性愛者の成年男性に限定された。\n男性の異性愛者に限定した理由は、彼らが一冊のポルノ雑誌のみで性的興奮を得られるからである。\n実験の対象者は実験の説明を受け、同意書に署名後、冷静なときに質問票へ回答した。\n質問票には、性的嗜好・不道徳な行為・無防備な性行為などについての問いがある。\n性的嗜好についての問いとは、たとえば「未成年に性的魅力を感じる自分を想像できるか」「高齢者・同性・嫌いな相手・異なる種族・動物などと性行為をする自分を想像できるか」「女性の靴・汗・小便などに対し性的興奮を感じるか」といった質問である。\n不道徳な行為についての問いとは、性行為をおこなう目的で「飲酒を促すか」「薬物を使うか」「相手の拒絶を無視するか」などといった質問である。\n無防備な性行為についての質問とは、たとえば「避妊は相手の責任と思うか」「避妊は性的快感を減らすか」といった質問である。\n回答方法は右端を100パーセント、左端を0パーセントとし、その質問内容に自分はどのくらい当てはまるか、任意の位置に記入してもらう方式である。\n質問票の回答が終わったら、実際に性的興奮している状態で同じ質問に回答してもらう。\n実験の結果、冷静なときに性的興奮している状態を想像しても、性的興奮の影響を正確に予想できないことが明らかとなった。\n性的誘因が高まるにつれ、大胆な行動をするおそれがあることを理解できていなかったのである。\n実験結果から、性感染症や望まない妊娠など、性に関する問題を防ぐためには、誘惑に打ち勝つより誘惑を避けるほうが容易であることがわかった。", "part_type": "part", "localID": 2 }, { "title": "性犯罪者の分類", "description": "\n\n性犯罪は性依存症という病気でもある。\n性犯罪者と一口に言っても、そこにはさまざまな種類が存在する。\n痴漢や盗撮など多様な性犯罪者は、回避受動型・回避積極型・接近自動型・接近確信型の四つに分類できる。\n/*/\n回避受動型と回避積極型は、過去に罪を犯し、現在は性犯罪をやめたいという思いが強い種類の性犯罪者である。\n回避受動型は自らの性的欲求や行動を統制できず、回避積極型は誤った統制をしているという点で異なるが、どちらも犯行を繰り返しているか、繰り返しはしないまでも不安定な状態にあるという点は共通である。\n再犯防止を目的とした治療をおこなう際、回避受動型と回避積極型の性犯罪者には、欲求や行動を統制するための技能訓練が有効である。\n/*/\n接近自動型は、性犯罪をやめたいという意思は強くなく、欲望のおもむくままに性犯罪を繰り返す種類の性犯罪者である。\n接近自動型は、逮捕・受刑・解雇・離婚などがきっかけで、回避受動型や回避積極型になることが多い。\n接近自動型を治療する場合、犯罪者に反省を強要しても成功しないため、犯罪をやめたいという動機づけをおこなったうえで、性依存症は治すことができると知ってもらうことが重要である。\n/*/\n接近確信型は、計画を考え抜いたうえで犯行におよぶ種類の性犯罪者である。\n充分に計画を練っているため、逮捕されることは少なく、性依存症の治療も難しい。\nそのため、接近確信型には社会への悪影響を防ぐ目的から、刑罰で拘禁したり、GPSで位置を監視するなどの対応がとらえれる。", "part_type": "part", "localID": 3 } ], "localID": 1, "expanded": true }, { "title": "不離参", "description": "", "part_type": "group", "children": [ { "title": "ある哲学者のNWの性指向と性のアイデンティティの説明", "description": "NWの性について考えるとき、我々は、単純に男性・女性という切り口だけでなく様々な点で考えるんだ。主に次の4つの点で考えられている。身体の性、心の性(性自認)、好きになる性(性的指向)、好きになる種族だね。身体の性については、性器や性腺、染色体などの身体的特徴で分けられる性のことで、知類には男性、女性だけでなく、中性だったりなど、様々な身体の性があるね。次に、心の性(性自認)については、自分自身はどんな性だと思うかということで。身体に関わらず、自分を男性だと思う人、女性だと思う人、中性だと思う人、性別は決めたくないという人など様々なんだ。そして、好きになる性(性的指向)は、好きになるかならないか、なるとしたらどんな性の人を好きになるかということだ。異性を好きになる人、同性を好きになる人、どちらの性も好きになる人、性別で好きになる人を決めたくないという人、特定の誰かを好きにならない人など、これも様々な人が居る。最後に、好きになる種族だ。同じ種族だったり、他の種族だったりと、これも種族の数だけ様々な形がある。これら4つの点を、それぞれ組み合わせた数以上のセクシュアリティ(知類の性のあり方)があるんだね。ひとつとして同じセクシュアリティは無いと考えられるね。つまり、我々は、誰もがそれぞれのセクシュアリティを持っていると考えているんだ。我々は、みんな違ってみんな良いと考えている。もちろん個人的な性を探求はしているがね。セクシャルマイノリティ(知類の性あり方の領域で少数派と自認する人)と言われていた方々も、少数派ではなく考えられるように我々は活動しているんだ。", "part_type": "part", "localID": 5 } ], "localID": 4, "expanded": true }, { "title": "藻女", "description": "", "part_type": "group", "children": [ { "title": "異種族間の性愛について", "description": "性愛とは本能に基づく愛情とされているが、異種族間でもそれはあるのか。\n種族が違うということが正しく理解できずに起きたエラーなのか、種族が違うというのは間違いで広義では同種族であるのか、その愛は性愛とは違うなにかなのか。\n多くの種族が暮らす世界でその問が生まれたのは当然のことと言えるだろう。\n\n現在なおその問いに唯一の答えは出ないでいる。\nただそのことについて書かれた書籍は思春期には愛に悩むものが手にし、自分が特別おかしいわけではないと安心する礎となっている。", "part_type": "part", "localID": 7 } ], "localID": 6, "expanded": true }, { "title": "櫃善エロイカ", "description": "", "part_type": "group", "children": [ { "title": "えっち哲学に関する十の難題", "description": "とあるえっち哲学に関する雑誌に掲載された、えっち哲学における未解決、或いは解が複数あるとされる問いである。\n\nこの雑誌に掲載された問い自体、他の哲学書からの抜粋である為、それらの文脈を踏まえぬ解は不正確である、問いの立て方が無効である問いがあるとの声もある。\n\nしかし、専門外の人間に対する分かりやすさや、えっち哲学における基本的な考え方の理解の取っ掛かりになるという事情から、今もこの\"十の難題\"は初級のえっち哲学書にはほぼ必ずと行っていいほど、記載されているのである。\n\n『1.無性愛者と両性愛者を同じ分類に入れられる思想的モデルは存在するか。正とすれば、それは何に基づくか』――引用書籍『性はらせんか、それとも車輪か』\n\n『2.男女間の(全く性的な要素を含まない)友情は成立するか』――引用書籍『男女の関係性における一考察とその反論について』\n\n『3.性を穢れ・罪と見做す宗教的思想モデルにおいて、自らの意思で去勢を行うことは倫理的に是としうるか。否であるならば、それは何故か』――引用書籍『性と宗教』\n\n『4.空想上の女性との恋愛は(現実のものを基準にして)完全であるか、それとも不完全であるか』――引用書籍『童貞・結婚・誕生』\n\n『5.性欲と愛情を切り離せるか。切り離せるとすれば、何故多くの場合において、性は愛と共に語られるのか』――引用書籍『生真面目に性は語られるべきか?』\n\n『6.現行の通俗的な男女関係思想モデルは、男女の立場を交換しても成立しうるか?』――引用書籍『性別の壁を超えて』\n\n『7.精神的に完全なマスターベーションは成立しうるか。正とするならば、それは生殖的な性交を駆逐しうるか』――引用書籍『独り身と性』\n\n『8.生まれた時から去勢され、性的なことを全く知らぬ者は、情欲を抱くだろうか』――引用書籍『\"純粋さ\"と性欲』\n\n『9.性的な芸術は芸術であるか?正とするならば、性的な芸術とその他の芸術に本質的な違いはあるか?』――引用書籍『エロ本は芸術たりえるか?』\n\n『10.えっち哲学はそれ自体性的であるか?』――引用書籍『えっち哲学に対するメタ哲学』", "part_type": "part", "localID": 9 } ], "localID": 8, "expanded": true }, { "title": "犬村", "description": "", "part_type": "group", "children": [ { "title": "ごはんの種", "description": "・「哲学書の執筆」\n\nえっち哲学者は、自身が追求する哲学に関する書物を著し、それを売って自身の生計を立てる。\n著作物を売る方法に関しては、低物理域においては弟子への教育の一環として写本を作らせたり、中〜高物理域においては、出版物としての体裁をとることがある。\n\n・風俗店へのアドバイザー業務\n\n自身の研究と知識を生かし、風俗店への助言を行うことで、顧問料を頂戴するケースもある。\n(初心者へのチュートリアルとしての側面もあるが)\nこれは、プレイを行う店において、施術される側に危険が及ばないような方法を提示・伝授することで、店と顧客の双方に害がないようにすることを目的としている。\n性の知識を以ってwin-winの関係を構築することで、よりよい関係性を築くのだ。", "part_type": "part", "localID": 11 } ], "localID": 10, "expanded": true }, { "title": "鈴藤 瑞樹", "description": "", "part_type": "group", "children": [ { "title": "フジスズー教授のサドマゾ論", "description": "\n\n以下の内容はすべてフジスズー教授の妄想です。\n\nまず、あらゆる知類のサディズムやマゾヒズムとは状態であり、固定されたものではなく、体調や状況などによって左右されうるものである。\n白と黒の二元論で語ることができるものではなく、中間色が無数に存在している、可能性の庭園たるものがサドマゾであると考えられる。\nまたサディストとマゾヒストは組み合わされることで相乗的に幸福を生産する。ひとりでは完成しないのである(もし単体で完成しうるサディスト、マゾヒストがいるとすれば、それはサドマゾとはまったく違う何かであろう)\nしかしこの組み合わせを作るのはとても難しい。\nさながら鍵と鍵穴のようにぴったりと組み合わされるサドとマゾがこの世界で出会う確率はごく低い。\nではこの世界に存在するサディスト、マゾヒストは不幸なのか?\nもちろんそんなことはない。世界を見渡せば多彩なサドマゾの組み合わせで満ちている。\nこれはサディズムとマゾヒズムが状態である、ということに起因している。\n我々は相手に合わせて変わることができる。\n少しづつ、二人の形を最適化させていけば良い。\nもちろんうまくいかないことも、失敗することもあるだろう。それでも我々は前に進む。\nこの行いを私は愛と定義する。\n\nこの記述が誰かの幸福に寄与することを願って。\n\nムイズキ・フジスズー著\nサドマゾ論より抜粋", "part_type": "part", "localID": 13 } ], "localID": 12, "expanded": true }, { "title": "三浦介", "description": "", "part_type": "group", "children": [ { "title": "「ポロット実験」", "description": "\n「いまあなたの前にひとつのレバーがある。そのレバーを右に倒せば5人の巨乳美女があなたの前でおっぱいをぽろっと出す。レバーを左に倒せば1人の、ただしあなたの意中の女性があなたの前でおっぱいをぽろっと出す。これらによりあなたが一切の社会的不利益を被らない場合、あなた=被験者はどちらにレバーを倒すのか。えっちが性欲なのか愛なのかを判断するえっち哲学上の思考実験」", "part_type": "part", "localID": 15 } ], "localID": 14, "expanded": true } ], "expanded": true, "localID": 0, "description": "" } ]
[No.97] 2020/02/22(Sat) 14:33:35 |