分割になってたのでこちらも分けます。 夏アニメはどうするか悩み中、「スパロボY」も出来そうに無いし。 「ガメラ」十二話。 エスギャオスの襲来に自衛隊が対処する中、ガメラ復活を賭けて少年たちが奔走。 復活したガメラによってエスギャオスと財団上層部は倒したけど、ガメラは自身の子供と言うか分体を残して消滅。まさかのジョーが生きてる?というラスト。まあ二期があるのか分かりませんが。 感想としては可もなく不可もなくと言ったところ。 怪獣バトルは意外に起伏が無くて平坦な印象だったし、子供たちのドラマも肝心のボコが自分の特殊性を知らないままなので、能動的に動けない部分が強い感じで盛り上がりに欠けると残念な形に。 むしろ、タザキとかエミコの方がドラマとしては良かった感が。 ちょっと、残念な作品でした。 「ワタル」二十四話。 最終決戦を挑むものの、とにかくエンジョウダーを倒そうというワタルと炎上エネルギーを制御してるマロの洗脳を解く方が先というカケル(彼の場合はマロ推しという部分もあるけど)の意見の違いで「バロム1」の如く弱体化する神龍王丸。 しかし、御富良院の遺言ビデオのおならネタでいい感じに力が抜けたのとそこからの発想である「蛇口を創造して炎上エネルギー」を抜くが上手く行った結果、マロの洗脳が解けてアマテラスとしての力を取り戻し、三人の協力でエンジョウダーを撃破。 御富良院と御良院のカケラの融合で熱良院として復活もしつつ、マロや龍神丸たちは元の世界へ。 エンディングは動画配信を頑張る二人と、宙部界の様子。エンジョウダーの一部がベイビーバズルンダとして、善性の存在として生まれ変わってるのには驚きつつ大団円。 正統派なキッズアニメのお手本のような作品でありながら、作画面(特にロボ戦の質の高さ)でのクオリティも高く個人的には満足。 それだけにカケルや麒麟丸の活躍が少なかったのは残念なところ。 合流がもう少し早ければとも思ったり。 → 関連スレッドを表示 [No.721] 2025/06/28(Sat) 19:50:51 (33時間57分前) |
「ジークアクス」十二話。 最終回ということでどうなるかと思いましたが、意外と綺麗に畳んだかなと言う印象。配信の方が放送版よりもスタッフクレジットの分四分程長いので、その辺の兼ね合いもあるのか。 シャアが死ぬ可能性を回避するために向こう側のララァが生み出したこちら側の世界、やり直しの度に生み出されるシャア専用機群だけどグフともかくヅダって絶対アムロと戦う前に爆散してるだろこれ(笑)。ビグロやビグザムがあるのにザクレロが無いのは流石にララァも「無いわ」と思ったって事かね。まさかのガルバルディαに最後なんだと思ったら山下いくと版サザビーとかマニアックな。 意外とジオングが無いのは、ララァがソロモンまでの事象しか知らないからかね。そうなるとサザビーの存在が異質だけど。 旧作の映像が流れておおとか思ってたら、「光る宇宙」の戦闘シーンが新規作画&オリキャスでというサプライズ。 セイラさんは亡くなってるしアムロは流石にと思ってたら、オメガサイコミュ=エンディミオンユニット(状況的に「逆シャア」世界から流れてきたサイコフレーム)の声で出演。 エンディミオン=タキシード仮面繋がりってことか、脚本家も「セーラームーン」に参加してたし。 順番が前後するけどキシリアの内面である「シャアのような子供なら母親になっても良かった」という小説版の描写が。なんだかんだでいいキャラになってたな。女性キャラでは一番好きかも知れん。 正史通り、左敬礼からのバズーカで殺されてしまう訳だけど。 「その身に纏う虚無がいずれ人類の粛清に辿り着く」とシャリアに銃口を向けられるシャア、観てる側としては頷くしかできない(笑)。とは言え、これを観るとシャアにとって母親ではなく殴ってでも止めてくれる父親の方が本当は必要だったんだろうなと。 RX78-2との戦闘、ニャアンとも分かりあってのMAV戦の中でハイパー化を経ての決着。ガンダムの妖精であったシュウジとは別れる形になったけどラストでも探しに行くつもりらしいし、いずれは会えるのか。 ズムシティ公王庁、相変わらずデザイン凄いなあ。シャリアが語った通り、ランバラルに付き従われて女王となるセイラ。表情を見るに気の毒としか言えないけど、今後を考えるとシロッコの大義名分は潰してるし元々ダイクン派だったマハラジャ・カーンの流れでハマーンも過激な行動は取らないだろうから一連のネオジオン関連も起きない可能性が高い(ただ、そうなるとバナージとオードリーが出会わなくなる可能性があるけど)。 更に言うと高貴な者云々のコスモ貴族主義やマリア主義を押し立てるザンスカールにも影響が出て、後の宇宙世紀がかなり平和になる可能性も出てきたのか。 セイラとは逆に身軽になったシャアとララァの(この世界では)初の出会い。ララァの反応には救われた人も多いのでは。 ポメラニアンズもまさかの再登場、パブリクにコンテナを着けてジャンク屋をやってて内部がまんま「ナディア」のグラタン。 まさかの宇宙用ゾックという冒険王版ネタ、ジャンクという事で両腕がザクぽい五本指になってるけどどちらも右腕なので結果的に両面対象になってるという。 マチュの家族にも一応は救いが、でもまあ親不孝だよなあと思ってたら「本当の親不孝を見せてやる!」とばかりに「閃光のハサウェイ」二話が冬公開予定だそうで笑ったり。 そして地球で暮らすマチュとニャアン、個人的にはシャリア・ブルの手配でジオン諜報組織が持ってるセーフハウスの管理人的な身分なのかなと。スマホに軍用通信機繋いで欺瞞する手口とかも手馴れてるし、地下にジークアクスを隠しつつ任務もしてるとか。 アナザーとかは色々あるけど、「ファースト世界の並行世界もの」という意外と無かったネタ(「サンダーボルト」はなんとなく違う気がするし)と言う意外性で個人的には楽しめたけど、評価的には割れてる印象。確かにマチュ達オリジナルキャラの描写が割食ってる感じがあるんで、そこは気になるところ。かと言って二クールでやるとダレる気もするし。 自分としてはアムロ・シャア・ララァが生き残る可能性が示された事で満足。今後の「スパロボ」にも可能性が示されたし。 → 関連スレッドを表示 [No.720] 2025/06/28(Sat) 19:33:00 (34時間15分前) |
続いて、ジークアクス。 とりあえず、ハッピーエンドにこぎ着けました。 少なくとも、原典どおりシャアに狙撃されて艦ごと葬られたキシリアさんを除けば、ネーミングキャラが誰も命を落とさないハッピーエンドですね。 原典オマージュといえば、前回の逆シャアEDに続き、最終回は『めぐりあい宇宙』のビギニングですか。 ララァの夢が構築した「赤い彗星シャアの死なない世界」の去就をどうするか。 シャアは、この世界ではララァのことを知らないので、世界に干渉するララァのエルメスを危険な異物として排除(元の世界に帰ってもらう)を目指し、 一方で、シュウジは「ララァの悲しみを止めるために、この世界での殺害」を決意して、異世界のガンダムRX78を駆って、ラスボスとなる。 マチュは「ララァを守る」ためにシュウジのガンダムと戦い、シャアに対しては、シャリア・ブルが相手どる形。 ニャアンは、シュウジとマチュのどちらに味方するかで迷いながらも、マチュの方を支援しながら、ジークアクスの頭部をつかんでぶん回したりもする。ええと、一応、これって合体攻撃とか連携攻撃の演出なんだよね(苦笑)。 まあ、彼女はクラバでも、シュウジの赤ガンを盾にしちゃう娘だし、戦い方がワイルドすぎるのが特長。 ニャアンの精神コマンドに、「みがわり」の逆で、「自機体をかばわせる効果」のものがありそう。 とにかく、マチュとニャアンの連携に、ピンチになったガンダムは、オーラ力を高めてハイパー化を果たす(原理は不明。異世界から質量を引き出したブライシンクロン理論の応用とも、次元連結システムを搭載しているとも、いろいろ仮説は紡げる)。きっと、シュウジは隠流忍法の継承者で「巨大獣将の術」でも使ったのだろうとか、もはや宇宙世紀の常識では測れないようですね。 うん、アニメじゃない、とでも思っていよう。 とにかく、ハイパー化ガンダムに対しては、ニャアンのジフレドが拳につかまれて、ヒートエンドされてしまいました。ニャアンは脱出して無事。 しかし、マチュの駆るジークアクスには、エンデュミオンユニットといって、異世界のタキシード仮面さまの技術が搭載されていたのです。ええと、「月に代わってお仕置き」の世界観までつながって来るとは思いませんでしたが、タキシード仮面=エンデュミオンといえば、その声は誰かお分かりですね。 そう、マチュの機体はマグネットパワーが嵐を呼んで、「ジークブリーカー死・ねぇ」とハニワ幻人を全滅させたのです。 って、あれ? そんな話だっけ? 記憶を修復。大リーグボールでもないし、アムロさんが出たわけでもないのに、アムロさんと同じ声のユニットがジークアクスには搭載されていたようで、やはり「鋼鉄ジークアクス」とネタにしても許されそうですね。バラバラババンバン。 とにかく、巨大なハイパー化ガンダムを、覚醒したジークアクスが燃えるアクションを繰り広げた結果、頭部破壊に追い込んで勝利をつかみました。 大丈夫、これは宇宙世紀じゃなくて、「シャロンの薔薇」による夢なんだから、薔薇薔薇ババンバンと轟き叫んでも許される。 いささか暴走気味の感想ですが、本編も負けず劣らずの暴走妄想してたんだから、いいよね。 ところで、劇中でシャアの機体としてララァが妄想していたイメージ画像に、ズゴックがいなかったのは、アスランに持って行かれたからでしょうね。 で、そのシャアですが、キシリア抹殺に成功したのはいいけど、シャリアが急に「あなたをジオンのトップにすると、将来、地球を滅ぼそうとするから、消えて下さい。代わりにアルテイシアにジオンの女王となってもらいます」と驚きの発言。 シャリアは、木星帰りの超パワーで『逆襲のシャア』の未来を予見していたのでした。まさに、ビヨン・ザ・タイム♪ そんなわけで、シャアはまさかの腹心と思われていたシャリア・ブルに引導を渡されて、この世界の表舞台から去ることに。 宇宙世紀では、シャアに期待する声が大きかったので、道化だよ、とボヤきながらネオジオン総帥になったわけですが、こちらの世界では「お前がトップに立つと、みんなが不幸になるから、違う人生を歩め」と好意的に解放されるんですな。 シャアはフリーターとか現場労働者をやってる方が幸せじゃないか、という意見もあったわけですが、結局、シャアとセイラが立ち位置を交代するような結末ですな。 ランバ・ラルに随行されながら、嫌そうな表情でジオンのトップについたセイラさんが笑えました。 これでジオンは、サンク・キングダムのリリーナ様とか、SEEDのラクス様とか、女王国家の流れになるのでしょうか。ハマーン・カーンはどうなるのかを気にしつつ。 ともあれ、シャリアがシャアを解放し、マチュがシュウジを解放した結果、戦争の火種は当面、消えて、それでもお尋ね者のまま、マチュはニャアンと共に、宇宙海賊に転職……いや、違う。地球の海でバカンスを楽しんでいるエンドシーン。 あくまでサイド6のテロリストとして指名手配されているだけで、地球の海だと自由なわけですな。で、また別次元に消えたシュウジを追って、新たな旅に出ようか、みたいなことを言ってますぞ。 その結果、スパロボDDの世界とかにやって来ても、こちらは歓迎しますぞ。 時空を越えた旅人になって、「鋼鉄ジークアクス」として薔薇薔薇ババンバンな物語につながってもいい、とガンダムが言ってます(妄想)。 こうして、令和の時代の宇宙世紀改変計画は、きれいに完結して、面白い2次創作となったのでした。 → 関連スレッドを表示 [No.719] 2025/06/28(Sat) 13:04:16 (40時間43分前) |
春アニメの最終回ラッシュで、夏のネタは自分的には見えず。 一応、ガメラの流れで、鳥山明さんの「サンドランド」を見てみるつもりですが。 夏用に季節限定の汎用スレでも立ててみるかな。何かスパロボで、新ネタが来るとも思いますし。 一応、ここでの話題で紹介だけすると、日高さんが感想を完結させた『魔神創造伝ワタル』が期間限定イベントで、スパロボDDに登場して、本家の『魔神英雄伝ワタル』とコラボしました。 自分のブログで話題にしてますので、興味があれば、と。 https://whitenova.hatenablog.jp/entry/2025/06/22/063334 ともあれ、ブレイバーンもそうですけど、最終回直後にスパロボとコラボ、というフットワークの軽さが、DDの特長ではあります。 本家でできないことを、スマホ機でできるのはいいな、とも思ってます。OGとか、旧作第3次のアナザー版とか。 とは言え、『水星の魔女』はDDには出ていなくて、Yが初参戦なので、それはそれで追いかけたい所存です。 ★ガメラ 感想は先にこちらから。 一応、風呂敷は畳めたかな、とは思いますが、ジュブナイルとしても、怪獣対決ものとしても中途半端に終わったな、と考えます。 ガメラが令和の時代に復活! というだけで作品価値はあるのですが、ノスタルジーやオマージュ以上の新鮮さは感じず。 海中戦闘という舞台が面白いジグラ編と、怪獣のアクションバトルが堪能できたギロン編までが、ワクワク楽しめて、 いろいろとどんでん返しで、ワクワクを盛り下げたバイラス編が、個人的に作品価値を大きく削いで、エスギャオス編もラスボス戦にしては盛り上がらなかったな、と(自衛隊の戦車群の健闘はいいんですけどね、もっと早く見せて欲しかったです)。 ガメラが満身創痍で本調子ではなく、バトルの絵面も、ギロン戦のような丁々発止のやり取りがなく、舌による変なウイルス注入という「巨大生物同士の力のぶつかり合い」という怪獣バトル物のダイナミックな絵を見ることもなく、 主人公ボコが、ピンチのガメラを助けるべく、コードによる何らかの特殊能力を派手に見せるでもなく(ウイルスによる洗脳の浄化ぐらいはしてたけど、演出が淡々としていて、本人も自分の中のコードの意味を知ることなく終わった)、ただの「ガメラを応援している、感受性豊かで無鉄砲な子ども」以上の役割を示せなかった。 ジュブナイルとして見た場合、ブロディやジュンイチには、それぞれのドラマと成長が描かれたのに対し、ボコだけが個人ドラマとしての見せ場なく終わって、ジョーとのケンカからの和解が一応、ドラマなんでしょうけど、その後でジョーが自己犠牲で散ったために、「ガメラとの関係性」以外の役割が本当になくて、主人公としてはイマイチ、という評価。 これは、ガメラが基本的に、バトルで突然出現して、終われば子供たちと交流するでもなく去って行くという淡白な描写しかなくて、ガメラがただの戦闘兵器以外の扱われ方を示されなかった点。 例えば、少年と勇者ロボとか、平成ガメラの勾玉を通じた精神的リンクとか、昭和ガメラの茶目っけある擬人化されたようなガメラのキャラ付けでもあれば、もっとガメラにもボコにも感情移入できたのでしょうが、 ボコが持つコードによる「ガメラとの親和性、およびガメラの回復能力などの増幅」が視聴者向きの情報ではあっても、劇中人物が(死んだエミコ以外)分かっていないという点で、「ただのガメラ好きの子ども」と「特別な資質を持った子ども」という違いを、劇中では曖昧に描写された(本人も自分が特別だと思っていない)。 ボコ個人の成長ドラマがスポイルされて、終盤の風呂敷を畳む展開に突入したために、エミコが本性を表して、ボコの秘密を(視聴者だけに分かるように)示して、ボコは「子どもたちを怪獣の生け贄に捧げる古代人の暴挙」は知ったけど、「それに対抗するガメラが、対怪獣の最後の希望」だということも知ったけど、自分自身の特別性は知らないまま、良かれと思って衝動的に無鉄砲な行動をとる。 ガメラを守るために自ら囮になったのは、ジョーの自己犠牲をマネた破れかぶれの行動に見えたけど、ガメラが無理やり復活する起因になっただけで、ボコの成長を描いたわけでもない。元々、ボコが臆病だったのが勇気を出して……とか、精神的葛藤を経ての大胆な行動でもなく、ジョーというブレーキ役を欠くと、衝動的で何をしでかすか分からない(だけど力を持たないので保護者を必要とする)性格は変わらないまま、ドラマを通じた変化が何もない主人公、と。 ジュブナイルは、少年少女のドラマを通じた葛藤や成長を描いてこそ、だと考えますが、最終話は「自分を守って、ジョーも死んだ、ガメラも戦闘不能に陥った」という悲しみで張り裂けそうになった気持ちの彼が、「ガメラを守る」という使命に独り善がりに目覚めた結果、周りを振り回すだけになった。 ある意味、ジークアクスのマチュやニャアンの方向性に近い、とも言えるのかな。どっちにより近いかは、検討の余地があるけど、状況に流されて無鉄砲な行動をとりがち、という点で、感情移入対象にはならないな、と。 ブロディやジュンイチの方が、中盤までで人物造形が掘り下げられた分、まだ感情移入しやすくなっている。ボコはタガが外れた形になったのを、何とか現実に引き戻されて日常回帰した形ですが、ラストの「無線機から聞こえる生きていたジョーの声(どうしてかは不明)」は、一応のハッピーエンドの演出っぽいですが、ボコたちがそれを受け止めた描写がないので、宙に浮いた形になっている。 小学校男子たちのヒトナツの過酷な経験が終わって、別れ別れになったけれど、それぞれ成長した幕引き……と思いたいながら、ボコだけが成長したと思えないので、少年主人公として何だったのか、とモヤモヤが残った作品でした。 (長くなったので、ジークアクスは記事を分けます) → 関連スレッドを表示 [No.718] 2025/06/28(Sat) 11:49:28 (41時間58分前) |