 | 皆さん、どうも〜。
純情きらりのスレッドが結構長くなったので、新規にしてみました。
2、3日前に、見ていたら、料理しているシーンだったと思いますが、桜子ちゃんとおタミさんの会話で、「サンドマメ」と云うのが何度か出てきました。
これって、方言、と云うのではないかも知れないですが、どちらかと云うと、関西方面で使う言葉だったと思っていたのですが、あの辺りでも使っていたのですね〜。 あの辺りって、言葉でも料理でも、微妙な境界線になっているのかなぁ、などと思いながら、聞いていました。
おっちゃん@皆さんのところでは、如何?
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No.10068 - 2006/07/09(Sun) 01:36:43
| ☆ Re: サンドマメ / ゆみ | | |  | あぢー(+_+)
ものすごい湿気なんやけど、ちょっとの晴れ間を狙うて、洗濯しまくり中です。
んで、うちのあたりでは…やっぱり「サンドマメ」って言うほうが多いかなあ。 いや、でもこれは、西方面の地方の中でも、年齢的な問題もあるかも?
ゆみ@「きらり」来週はいよいよ目が離せんo(^-^)o
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No.10070 - 2006/07/09(Sun) 11:26:34 |
| ☆ Re: サンドマメ / おっちゃん | | |  | ポポゆみちん、どうも〜♪
> あぢー(+_+) > > ものすごい湿気なんやけど、ちょっとの晴れ間を狙うて、洗濯しまくり中です。
う〜ん、確かにかなりの湿気のようで。 頑張って洗濯しても、乾きにくいかもね〜。
> んで、うちのあたりでは…やっぱり「サンドマメ」って言うほうが多いかなあ。 > いや、でもこれは、西方面の地方の中でも、年齢的な問題もあるかも?
なるほど〜、確かにテレビやらネットやらのお陰か、全国的に妙に標準語化の傾向があるみたいだから、そうなのかもね。 隠元さんが中国から持ってきたからインゲンマメと云うのも、なかなか良い名前だと思うんだけど、「サンドマメ」と云うのは、農業と云うか、生活に密着したところから付いた名前なので、捨てがたいモノが有るような気がするのよね〜。
おっちゃん@何処のあたりまでがサンドマメなのかしらね?
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No.10071 - 2006/07/09(Sun) 13:57:00 |
| ☆ Re: サンドマメ / ますなが | | |  | みなさん お久しゅうございます
しっかし、暑いですな あぢぢぢっ! (冷房機が壊れてるんです)
我が実家、福井方面でも サンドマメは使うようです
よく分かりませんが (サヤ)インゲン豆のことらしいです 広辞苑によると、1年に三度作るから、とか
いずれにせよ、煮物には最高ですな ビールのつまみにも・・・
ところで、父が自伝の第一章を書き終えまして 校正・印刷・製本の段取りになってるんですが・・・ 編集は、この私・・・ この秋には、瀟洒な小冊子になる予定ですけど ほとんど、赤紙、帝国陸軍入隊訓練、朝鮮出征 気が付けばシベリア3年、無事帰還のお話し・・・
越前福井には、戦国期以降 美濃、愛知、三河の文化が入ってます
ますなが@とにかく暑い(シベリアは極寒だったらしい)
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No.10072 - 2006/07/15(Sat) 09:55:23 |
| ☆ Re: サンドマメ / おっちゃん | | |  | ますながさん、どうも。
> 我が実家、福井方面でも > サンドマメは使うようです
わたしがサンドマメと云う言葉を知ったのは、疎開先の滋賀県でしたから、お隣の福井県でも同じと云うのはうなずける感じがします。
> よく分かりませんが > (サヤ)インゲン豆のことらしいです > 広辞苑によると、1年に三度作るから、とか
田舎の年寄りから、そのように教えられたのを、いまでも覚えています。 インゲンマメと云う云い方を知ったのは、大人になってからじゃなかったかしらね。
> いずれにせよ、煮物には最高ですな > ビールのつまみにも・・・
わたし的には、ゆでて、おひたしにしたのが好きだったりします。
お父上さま、シベリアから帰還されたのですね。 うちの親父は、シベリアで病死したらしいです。 いずれにしても、かなりのご高齢だと思いますので、お元気なうちに完成出来るといいですね。 おっちゃん@それにしても、暴力的な暑さですな
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No.10073 - 2006/07/15(Sat) 11:43:44 |
| ☆ Re: サンドマメ / ますなが | | |  | あさひさん どうも
>それにしても、暴力的な暑さですな まさしく!
お父様はシベリアでご病死だったんですか・・・
我が父は大正12年生まれ、当年83歳 出征は、ほぼ最終組みでしょう いまだに元気々々、負けます
いわゆる終戦時の大量昇級 ”ポツダム少尉”と云うものらしく そのおかげで助かったのだとか?
戦友がシベリア・ラーゲルで病死し その最後までの姿を、ダモイ・ヤポン帰国後 ご遺族に報告する記述もあります
推計約60万人抑留者のうち1割が厳寒の地に 斃れたそうです
きらり、今朝フィアンセ出征 あの時期はマズい!南方か?
笛の音はまだ聞いてません 妻に、あさひさんの音らしいよ、と伝えると 「あら、やっぱり、ええところで鳴っとるよ」とのこと
ますなが@校正中、何度か涙してしまいます
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No.10074 - 2006/07/15(Sat) 12:36:59 |
| ☆ Re: サンドマメ / おっちゃん | | |  | ますながさん、どうも。
> お父様はシベリアでご病死だったんですか・・・
遺骨が有るわけでもなく、状況は全く分からないのですが、公報が来たので、そんなものかな、と云うところだったと思います。
> 我が父は大正12年生まれ、当年83歳 > 出征は、ほぼ最終組みでしょう > いまだ元気々々、負けます
うちは明治生まれだったと思います、昭和16年に出征ですから、当時既に結構いいトシだったはずで、もうかなりヒトが足りなくなっていたのでしょうね。 どちらにしても、ロクな死に方はしていないと思われます。
> きらり、今朝フィアンセ出征 > あの時期はマズい!南方か?
まだ昭和15年でしたっけね、あの頃は、まだ若いものから赤紙が来ていたのが、1年後には、かなり状況が変わってしまったのでしょうね。
> 笛の音はまだ聞いてません
おっちゃん@時々ですが、流れてますよ
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No.10075 - 2006/07/15(Sat) 13:30:41 |
| ☆ Re: サンドマメ / ますなが | | |  | サンドマメから、話題が暗くなってしまいますが 続けます
我が親爺の自伝記述には、抑留仲間の死のありさまも 「あわれというも、おろかなり・・・」というような状況だったそうです 冬季は遺体がカチンカチンに凍ったままで、そのまま放置 運が良い場合は”屍室”に安置されていたとか 父は、明日は我が身か、と覗きに行ってたそうです
春になり埋葬したそうな 凍土で、堅くて穴も掘れなかったそうです 粗末な墓標で、朽ち果てるだけ 埋葬地が判明可能なのは、かなり幸せな方らしいです
老父は、10年ほど前に仲間の成仏を 祈りに行ってきました(ロシア語、まだしゃべります)
ますなが@製本、打ち合せが大変!
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No.10076 - 2006/07/15(Sat) 14:46:08 |
| ☆ Re: サンドマメ / おっちゃん | | |  | ますながさん、どうも。
確かに、日本でも寒冷地に行くと、冬の間は地面が凍ってしまって、工事もなにも出来なくなってしまいますから、凍ったままで放置、と云うのも致し方なかったのかな、と云う気もしますね。
便所も凍り付いて、段々に盛り上がってきて大変だった、なんて話も聞いたことがあります。
てな事で、シベリアの話は、これまでにしましょうか。
おっちゃん@まだロシア語が出来ると云うのは、すごい
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No.10078 - 2006/07/15(Sat) 20:59:58 |
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