| あさひさん、みなさん、ども。 別の話題なんで新スレッドにしますね。
> 学校の給食で、ミルクをよく噛んで飲め、とか云われて、よく分からなかった事を思い出します。 もっとも、あのミルクも、脱脂粉乳、つまりバターを取ったカス、みたいなモノで、かなりのマズさでした。 アメリカの援助物資だったのでしょう。 > ああ、あさひさーん、だめよ脱脂粉乳の話なんか持ち出しちゃ。 聞くも涙、語るも涙のものがたり。 あんなにマズいものはなかった。(だって豚さんのエサなんだよ、米軍が「恵んで」くださったアレって)
まあ、鼻をつまんで息をとめて一気に飲んじまう、とか 当番のコをにらみつけて注ぐ量を少なくさせる、とか 机の下でこっそりビニール袋に入れて、あとで花壇にまく、とか いろいろやったもんです。
あさひさんの頃よりはもちろんマシでしょうが、わたしも小学校4年生くらいまでの給食は、脱脂粉乳にかぎらずそうとうマズかったなあ。 コッペパンではなく食パンだったんだけど、やはり「米軍援助物資」の小麦粉が大量に余ってるのを必死に消費していたとかいう話。 それって「15年以上モノ」ってことじゃん。ひえー。
動物性タンパク質は、もっぱら「鯨」でありました。 これはウマかったけど。
楽しみだったのは「揚げパン」。 コッペパンを油で揚げたものにグラニュー糖をつけて食う、という いま考えると、かなりめちゃくちゃな食い物だな。
なっちゃん@たぶん「世代差」がおもしろい話題
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No.3715 - 2003/05/08(Thu) 13:49:54
| ☆ Re: 給食の思ひ出 / ますなが | | | | なっちゃん みなさん いつも どうもです
お手付きばかりですが、よろしくです
給食に関して、世代は干支一回りくらい下のようですが、給食の品目は同じのようです
鯨はサイコロ切りにしたものを油で揚げて、酢豚みたいにケチャップ味であえたものが美味しかったなあ、妻も同郷で5才下ですが、同感だそうです、同郷ゆえ食生活習慣だけでなく給食も同じだったみたいです!
やはり、私も脱脂粉乳育ちです、あれは有り余った「米軍援助物資」だけではなくブタの餌だったんですか、知らなんだ、てっきり将来、アメリカ農産物の輸出相手国として小麦粉パンと牛乳になじませるための作戦とばかり思ってました、でも結果的に今では、すっかり食だけでなく多方面でアメリカナイズ(←この言葉、嫌いです)されてますが
油パン、覚えてます、少し古くなって固くなったものを油で揚げる食べ方、確かに砂糖をまぶすと食べられました、さほど嫌いじゃなかった
肝油というものもあったなあ!
ますなが@現品川区の給食は全国的にも有名で美味しいらしい、食品学関係の専門学者が見学調査に来るそうです
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No.3716 - 2003/05/08(Thu) 14:31:10 |
| ☆ Re: 給食の思ひ出 / なっちゃん | | | | 肝油! なっつかしいのお。
脱脂粉乳組としては、月に1回くらい「ココア味の脱脂粉乳」が出た。 これがまた、輪ぁかけてマズいのっ!
なっちゃん@ますながさんとは同世代では……? ちがったっけ?
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No.3718 - 2003/05/08(Thu) 15:02:42 |
| ☆ Re: 給食の思ひ出 / ますなが | | | | ポポさん なっちゃん どうも
前線通過中で現在、関東地方掻き曇っております、間もなく晴れ上がって来るかな?
ご飯、キウイ、冷凍ミカンの経験はありませんね、ココア味というのかコーヒー味というのかは確かにありました
中学時代、給食はなく、まずい牛乳ビン1本がでました、ミルクシェーキの元とかいう、イチゴ味粉を忍ばせて飲んでました、おそらくミルクメークに近いものだったのでしょう、その牛乳を供給している牛乳屋さんの娘さんが同級でして、美人でかわいかったにもかかわらず、みんなしてイジメてたなあ、いまごろどうしてるだろう?なつかしい!
あのケッタイな先割れスプーンは、いったい誰が考えたんでしょうねえ、今でも健在だそうです、私の時代、箸はなかった
ではでは、ポポさん、行ってらっしゃい!のちほど
ますなが@あれっ、なっちゃんと同世代だっけ?羊ですが・・・むむ?
P.S.熊に関して:福井実家での子供時代、小学校の裏山遠足では歌声大声張り上げての行進でした、もちろん、熊よけです、なんせ常時開校分校1校(今も健在)、冬季分校1校(今、廃校)、分校が2つもあった小学校でした、熊は今でも出ます、最近、妻の父が厠の窓からノンビリと「えらい大きな黒犬がいるなあ」と思ったそうです、猟友会が撃ちCENSOREDと、かわいそうに里に迷い出たお腹を空かした栄養失調の子熊だったそうです
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No.3719 - 2003/05/08(Thu) 15:37:04 |
| ☆ Re: 給食の思ひ出 / あさひ | | | | なっちゃん、皆さん、どうも。
> ああ、あさひさーん、だめよ脱脂粉乳の話なんか持ち出しちゃ。 > 聞くも涙、語るも涙のものがたり。 > あんなにマズいものはなかった。(だって豚さんのエサなんだよ、米軍が「恵んで」くださったアレって)
確かにその通りでしょう、あんなのを普通のアメリカ人が飲むとは、考えられないっす。 ただ、なっちゃんとの数年の差が、感じられるのは、我々の頃は、つうか、特に最初の頃は、まずいマズイと云いながらも、あれを残したり捨てたりするヤツは、ほとんど居なかったと思います。 そもそも、ホンモノの牛乳を飲んだ事が無い子供の方が大多数だったのではないでしょうか。
> あさひさんの頃よりはもちろんマシでしょうが、わたしも小学校4年生くらいまでの給食は、脱脂粉乳にかぎらずそうとうマズかったなあ。 > コッペパンではなく食パンだったんだけど、やはり「米軍援助物資」の小麦粉が大量に余ってるのを必死に消費していたとかいう話。 > それって「15年以上モノ」ってことじゃん。ひえー。
パンは、黄色いコッペパンで、それこそ豚君の餌だったのでしょう、玉蜀黍の粉で作ったパンでした。 脱脂粉乳よりも、この方が、まずさとしては上だった様な気がします。 もしかすると、小麦粉も15年以上モノだかのが、ツナギとして入っていたのかも知れませんが、「無味乾燥」を絵に描いた様な代物だったと思われます。
> 動物性タンパク質は、もっぱら「鯨」でありました。 > これはウマかったけど。
鯨に関しては、一緒ですが、確か味噌汁だかなんだか、忘れてしまいましたが、スープに鯨肉が入ってまして、これは美味いと思いました。それこそ、ホンモノの「肉」と云うものを食べた事が無かったのでしょう。 鯨肉は、今でこそチョー貴重品に成ってしまいましたが、当時は、牛肉、豚肉、鶏肉より、はるかにランクの低い食品だったと思います(それでも貴重品だった)。 あの頃(昭和21年)はまだ日本の捕鯨は再開されていなかったと思いますので、あれもアメリカさんのお恵みだったのでしょうか。
揚げパン、なんてのは、無かったと思います。
あさひ@新制小学校の最初の学年だった筈
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No.3720 - 2003/05/08(Thu) 17:28:52 |
| ☆ 給食袋 / あさひ | | | | 皆さん、どうも。
先割れスプーンなんて訳の分からないものは、いつの頃から出現したのでしょうね。 最近の若者、いや大人でも、箸の使い方が覚束ないのが多いのは、こいつのせいかな。 わたしの頃は、もちろんそんなものは存在する筈もなく、食器は全て自分で持って行きました。 給食袋と称する手製の袋に、わたしの場合はステンレス製の椀、箸、スプーン(も有ったかな)等を入れたのを、毎日ガチャガチャ云わせながらぶら下げて行ったものでした。
あさひ@あの頃の家庭にとっては、給食はかなりの恩恵だった
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No.3721 - 2003/05/08(Thu) 20:37:07 |
| ☆ Re: 給食の思ひ出 / なっちゃん | | | | あさひさん、ども。
> 確かにその通りでしょう、あんなのを普通のアメリカ人が飲むとは、考えられないっす。 ただ、なっちゃんとの数年の差が、感じられるのは、我々の頃は、つうか、特に最初の頃は、まずいマズイと云いながらも、あれを残したり捨てたりするヤツは、ほとんど居なかったと思います。 そもそも、ホンモノの牛乳を飲んだ事が無い子供の方が大多数だったのではないでしょうか。
ああ、そうなんだろうなあ。 食料事情がぜんぜん違っていたんですもんね。マズいから飲まない、マズいけど飲む、この違いは大きいですよね。
でもね、文句いいつつも、脱脂粉乳以外は、あまり残さなかったです。朝から遊びまくって(小学校って、遊びに行く場所だった)お腹がへっていたせいもあるだろうし、食い物を粗末にしたらアカン、という教育が社会的にもまだコンセンサスを得ていましたから。 家の食事でも、茶碗にごはんつぶが残ったままごちそうさますると、えらい怒られたもんだし、駅弁の蓋にくっついたごはんつぶは、ていねいにはがして食ったし。「もったいない」という言葉が活きてたよね。
にもかかわらず、脱脂粉乳は……やっぱ、ものすごいシロモノだったのじゃあ。
母の義妹(鶴岡出身)さんは、脱脂粉乳でさつまいも(例の農林1号!です)を煮た「シチュー」なるものが給食で出て、この世のものとは思われなかった、といってました。(この方も紀元は2600年)
先割れスプーンが「箸文化の破壊」にひと役もふた役もかってるのは、まちがいないと思うなあ。
それで思い出したけど、やはり小学生のころ、鶴岡の親戚の家に滞在してたときに、じーちゃんやおじさんがカレーライスを箸で食ってました。不思議な感じでじーっと見るわたしに答えたことば 「米のめしさ、箸でねば食えね」 なんだか、こどもごころにも感動したなあ。
なっちゃん@中国の人はチャーハンは箸で食う
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No.3727 - 2003/05/08(Thu) 23:41:19 |
| ☆ Re: 給食の思ひ出 / 魚ユミ | | | | 給食の強烈な思い出…たぶんあれは食中毒。 学校閉鎖になりました。
魚ユミ@原因はわからずじまい
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No.3731 - 2003/05/09(Fri) 00:00:57 |
| ☆ Re: 給食の思ひ出 / あさひ | | | | タガちゃん、どうも。
> 脱脂粉乳飲みました! > > たぶん私がその最後の世代だと思います。 > 4歳で保育所に入ったとき、給食がありました。それは、なっちゃんが書いていたココア味の脱脂粉乳。ときどき、白い脱脂粉乳。でした。でも、それはその年で終わり、翌年からは瓶にはいった牛乳になりました。
わたしは、戦後最初に小学校に行ったクチなので、悪評ふんぷんの脱脂粉乳を飲んだ最初の学年、タガちゃんが最後の学年、と云う事になるのでしょうか。 つう事はほぼ四半世紀に渡って、飲まされつづけていた訳ですね。
メニューはあまり覚えていないですが、ジャムなんてのは無かった様に思います。 一番美味しいと思ったのは、いつだったか、缶詰だと思いますが、パイナップルが出た時で、あれは感激しました。
あさひ@パンを焼く匂いって、ホントに美味しそうなのよね
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No.3735 - 2003/05/09(Fri) 09:23:06 |
| ☆ Re: 給食の思ひ出 / あさひ | | | | なっちゃん、どうも。
> ああ、そうなんだろうなあ。 > 食料事情がぜんぜん違っていたんですもんね。マズいから飲まない、マズいけど飲む、この違いは大きいですよね。
あの頃の数年の違い、と云うのはかなり大きいと思います。 ブースカいいながらも、鼻をつまんだりしても、頑張って飲んでいたみたいです。 「もったいない」と云う言葉は、今や死語に成ってしまったみたいですね。わたしなんか、食べ物を粗末にするとおこられる、と云うのが染み付いているせいか、いまだに、出されたものは全て平らげてしまう方が多いです。 体にはあまりよくないのだろうな。
脱脂粉乳+農林一号のシチューは、幸い、我々の方では出なかったと思いますが、すさまじい味加減は、なんだか想像がつく様に思います。
あさひ@チャーハンって、わたしも箸で食べてる事が多いのかも
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No.3741 - 2003/05/09(Fri) 10:00:17 |
| ☆ Re: 給食の思ひ出 / あさひ | | | | 魚ユミちん、どうも。
> 給食の強烈な思い出…たぶんあれは食中毒。 > 学校閉鎖になりました。
学校閉鎖とは、かなりの規模だったのでしょうね。
我々が子供の頃って、今に比べれば驚異的に衛生状態は悪かった筈ですが、あまり食中毒なんか、無かった様な気がします。そこいらじゅう雑菌だらけで、抵抗力が強かったのでしょうか。食中毒に成り易い、動物性のモノが少なかった、と云う事もあるかなぁ。それに、防腐剤なんかを使ってなかったから、すぐ腐るので、かえって安全だったのかも。
> 魚ユミ@原因はわからずじまい
あさひ@食中毒は一度牡蠣に当たっただけかな(単なる食い過ぎと云う説も)
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No.3742 - 2003/05/09(Fri) 10:07:04 |
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