 | 虚偽にまみれた国家像 中国 南シナ海は2000年前から中国の領土と主張する。日本が国内利用に限って供与した新幹線技術を中国の技術として輸出。毒餃子事件では当初、日本の責任だと主張した。小笠原の希少なサンゴを奪って知らぬ顔。潜水艦が1週間も日本の領海を侵犯しても謝罪なし。瀋陽脱北者事件 日本総領事館の敷地に中国警察官侵入。東シナ海ガス田一方的に採掘。反日暴動で日系商業施設や大使館への破壊もあった。1992年、尖閣諸島、西沙諸島、南沙諸島を中国の領土であると規定した「領海法」を施行、棚上げ論を先に破ったのは中国。尖閣諸島の恒常的な領海侵犯。中国への鉄鋼その他の技術供与と援助、ODA援助に感謝なし。イギリス、ロシア、フランスなど侵略の過去を批判をせず、日本批判に集中。ドイツのメルケル首相がチベットの人権について言及すると、江沢民は「ナチス黙れ」と叱責した。
南京大虐殺への疑問 17.1.25 野間 日本軍は首都南京の攻略を発動(昭和12年)してから、占領完了まで1ヶ月を要している。日本軍は南京の遙か遠方から軍を進めたのである。つまり、南京市民がどれほどの人口であろうとも、大半は、その間に避難は可能だった。11月11日、蒋介石は南京死守を決定した。この時点で市民への待避命令と避難計画を立てるべきである。 11月11日南京追撃戦が発起。11月15日、日本軍第10軍「独断追撃」。南京城の占領を完了12月13日。
虐殺があったとの轟轟たる日本軍非難はあるが、国民政府中国側がこれら市民の犠牲を避けるために、どのような行動をとったのか。事前に避難誘導の救助処置を執ったのかが、一切議論されていない。もし大量の市民が戦闘に巻き込まれる懸念やおそれがあるなら、日本軍と交渉してでも避難させるべきであった。当時、周辺に租界居留地をおく欧米関係者も人道上の意思があれば、その労をとらなかったのだろうか。
中国が常に言う「暴虐極まりない日本軍」ならば、促すまでもなく、一般市民は列をなして戦場周辺から必死で逃げたであろう。何があって、何故、30万人もの多数の市民が、強固な城壁に囲まれ逃亡が困難な南京市に留まったのか、説明が尽くされていない。なぜ南京政府は市民を退去させなかったのか? 中世には防御に役だった城壁は、破壊力の大きい近代戦では持ちこたえられない。 南京市は面積が40㎢と言われ、鎌倉市(人口17万人)の面積に匹敵する。
まるで南京市民が 【殺されるのを待っていた】 かのような状況描写である。 日本軍が空中から舞い降り攻撃したのではない。抵抗を排除しながらじわじわ南京市に迫ったのである。それでも尚、主張される多数の市民が、事実、南京市城内の狭い空間にいたとすれば、国民政府軍守備隊にとっては市民が盾の役割を果たすことになる。日本軍からすれば市民が戦闘の妨害になるのである。今現在、中東でイスラム国が行っている戦術と、結果はほぼ似たような状況になる。
軽い人命と重い人命 私の印象は、この論争が文革時の悲劇である大量の犠牲と、強く重なる。 ワシントンポスト紙は 大躍進政策と文革犠牲者を合わせると8000万人に及ぶと報道している。
これを現中国政府は、いとも軽い表現で「毛沢東の過ち」で済ませている。しかも毛沢東は現在でも英雄として尊敬の対象としている。自国の汚点には言葉を選び、日本に対しては激烈誇大な非難が際立つ。 この痛ましい悲劇を、日本人はマスコミ報道を信じて毛沢東・文革を絶賛熱狂した。今現在は「中国に親しみを持たない」に激変。 日本兵が徹底して殺人マニアの悪辣な軍隊なら、人種的にも極めて粗暴な国民性であり、国内でも常に犯罪が多発し秩序も悪いはずだ。一部に、日本人が尚も軍国主義に走る警戒を要する国民性を秘めていると非難するが、近年、日本へ来る観光客の評価は、治安もよい清潔である親切であると言う。
日本軍は米軍のような物量作戦と大量の砲弾を消耗する戦争はできない。 南京市に市民がびっしり何十万人いたとすると、兵士と市民が混在し、国民政府軍を掃討するのに長期の時間を要することと、弾薬砲弾を限りなく消費することを強いられる。日本軍はそれ以外でも連続的に虐殺を行ったと主張するが、それが事実なら、一層の報復感情が刺激されゲリラ攻撃が過激化する。中国大陸は人口が圧倒的に多い、根絶やしに殺戮することは出来ない。
日本軍が中国大陸で手間取れば、 その後の更に広大な南方戦線での部隊展開は不可能であった。(昭和16年大東亜・太平洋戦争開戦)
兵役に就いたことのある先輩の知人によると、銃の射撃訓練の後、薬莢を拾い集めたと聞いた。日本は国民から鍋釜や寺の梵鐘まで供出させて、それを兵器の原材料にする有様だった。 南京攻略の前に上海事変があって、国民政府軍はドイツ軍から提供された優秀な武器で日本軍を圧倒した。その中でもチェコ製機関銃は威力が大きく発射音も耳を射るような凄いもので日本兵に恐怖を与えたという。 当初、蒋介石は首都南京からの撤退に反対し、唐生智首都衛戌軍司令官も首都と共に存亡を共にすることを公言。南京固守の方針を定めていたが、戦況不利になると、蒋介石は中国首脳部ら共に南京を脱出した。戦闘が進むと唐生智司令官も長江をボートで逃走した。 この逃走は参謀本部の将校にさえも知らされていなかったという。この戦いにソ連空軍志願隊も参戦していた。Wikipedia
国民政府軍首都防衛隊は後方の長江に遮られて退路がない、援軍もこない。自軍の督戦隊による撤退阻止で逃亡も不可能である。5万とも10万とも言われる国民政府軍は日本軍によって壊滅させられた。督戦隊=自軍を強制的に戦闘を続行させる任務を持った部隊。 蒋介石総統も、現地司令官も逃げて、兵士は虫けらの如く見捨てられたのである。これぞ無益な戦闘であり、見方を変えれば「兵士の大量虐殺」ではないのか。
唐生智司令官が戦場に留まり、戦況不利と知った時点で日本軍に対して降伏を受け入れれば、惨劇は避けられたであろう。蒋介石と指揮官によって兵士達を無駄死にさせたことの重大な責任を問うべきだ。これを転換して、日本軍への市民虐殺を流布し、責任を逃れているのではないのか。このトリックに気づかなければならない。
冒頭に掲げた中国の日本への対応は、国家として信頼に値しない事ばかりである。 南京大虐殺は事実かどうかの前に、中国への甚だしい不信が消えない。
勝者は全て正義 この南京事件は東京軍事法廷で裁かれたが、この裁判は勝者による疑似裁判であり、法に基づく正当な裁きではない。敗者を裁き、勝者は裁かれず戦争は意のままにできる、これを恥じもせず身勝手を押し通す非常識である。
自由を愛し正義を自認するアメリカは、海が見えないほどの艦船で取り巻き、沖縄を焦土にし、住民に対して容赦なく殺傷を行った。日本軍は食料も弾薬もない、戦闘能力を失って、いずれ降伏するしかない状況であったが、米軍は待つことを選択しなかった。
原爆投下で瞬間に大量殺戮し、都市空襲を連日連夜敢行し街も家も人も残らず抹殺した。アメリカ人は、そのことは虐殺ではなく非難に当たらない、正義であると言い続けている。 ヨーロッパから来た白人は豊かな大地を奪った、それも正当な行為であるとうそぶく。
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No.750 - 2018/03/17(Sat) 22:14:02 [p286190-ipngn200503niho.hiroshima.ocn.ne.jp]
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