[ 掲示板に戻る ]

過去ログ閲覧モード


田舎での心理的問題の2,3の特徴 / 水上雅敏
・過呼吸を恐れて、首都圏などでは急行の(つまり駅での停車回数が少なく直ぐに降りれない)列車に乗れないという訴えが多かったが、車社会の田舎では車で高速道路を走れない(すぐに止められないから)、とか、トンネルにはいって過呼吸になることが多いという訴えが多い。

・首都圏では、電車に惹かれる自閉症者に多く出会ったが、田舎の或る自閉症者は道路への興味を見せて、絵に鳥瞰的視点から描いていた(多いのかどうかは自験例は少なく不明)。自閉症者の電車への興味は行き先(同一性)が決まっていることへの安心感からかと思っていたが、こうなると、それもどうなのか?・・道路は開放系だから・・。しかし彼の中では閉じられているのか・・という疑問も出てきた。

・首都圏では自由連想の中で「今日、ここにくる電車の中で気づいたのですが・・」、田舎では「今日、ここにくる(車の)運転中に気づいたのですが・・」という人が多い。

・保守的な田舎では中高生の化粧は、当然、都会以上に禁じられる。保守的な大人にとってはすっぴんは理想なのだろうけど、化粧できない分「色白のべっぴんさん」か否かという目で見られ(首都圏では全然聞いたこともない話)、自分にはどうしようもない血・家系の問題までからんでくる傾向があるよう。

No.341 - 2012/05/07(Mon) 01:02:19

「公」という権力者側の恣意 / 水上雅敏
「国民の責務」を規定する自民党の憲法12条改正案を支持する?
BLOGOS編集部

より抜粋。:


【現行12条】
この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

自民党改憲案
【新12条案】
この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力により、保持されなければならない。国民は、これを濫用してはならず、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない。

これについて、自民党の片山さつき議員は以下のように説明しています。
7年ぶりの自民党憲法改正案、今回は23人の起草委員の一人として積極参加!感慨!(片山さつき)より

自民党は自立の党であるべき、と考え、国民の責務、を第12条に付け加え、そこが議論になっているのですが、以前は「、国民は権利を濫用してはならない、公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う」、となっていました。憲法判例からいって、権利の濫用が認められるのは、非常に限定された場合だけであって、今回の大震災や今後の対応でも問題になっているのは、たった一軒の家が立ち退かないことによって、つくるべき避難路が抜けない、首長は、選挙をおそれて土地収用を行わない、皆がこうすればいいというように地域の安全確保策ができていない、ということです。

 自由及び権利には、責任が伴う、公益、公の秩序には従うべき、この原則が確立できるかどうかは、日本の将来にとって、非常に大きな分岐点です。日本で、自由という言葉が自分勝手と解されがちで、自由市場にも規律があり、これに反したものは厳罰、追放になる、ということで自由は裏打ちされる、ということが徹底されていないのは、残念なことです。:

・・以上。



「公益及び公の秩序」とは誰が決めるのでしょうか? 政府か多数決か常識か、というあたりでしょうか? いずれにしろ多分に権力側や多数の恣意、つまりイマジネールな第三項からの秩序ということになるでしょう。少数派でも論理的な方が勝つ、ということではなく・・。「公共の福祉のためにこれを利用する責任」と言うほうが、まだ、個々人が論理的に考えて自由と権利を利用する、というクリエイティヴで象徴的なものが介入する余地がありそうな気がしますが・・。

それと片山氏の出した「たった一軒の家が立ち退かないことによって・・」という例。これは立ち退け!自分の自由ばかり行使するな、という話でしょうか? 「自由及び権利には責任及び義務が伴う」という意味、自民党はよく分かっているのか疑問です。この例の場合の自由は、立ち退けと言っている首長のほうが行使しようとしているわけで、この場合の責任とは、その首長が、ではそうやって立ち退かせた住民側の今後の生活のそれなりの保証、補償をどうしていくか、というところにあるのだと思うのですが・・。そもそも「自由及び権利には責任及び義務が伴う」などとは、他人が言うことでなくせいぜい親が放蕩息子に言えばよいような話であるし、たががはずれたものなら刑法でしばればすむと思うのですが。こう見ると、改憲案は「自立」というおせっかいな美名のもとでの、国民の自由と権利を国や首長側が制限できるための布石であるように思えます。

No.340 - 2012/05/06(Sun) 19:24:51

神の失錯 / 水上雅敏
ちなみにアダムとイヴがなぜ「知恵の木の実」を食べるという失錯あるいは原罪をおかしたのか、本人たちはどう思っていたのか・・と調べると色々とおもしろいものでした。

Wikipedia「原罪」によると、この食べたことをアダムは女のせいに、女は蛇のせいに、と責任転嫁したとあったり、そもそも蛇も女に強制はしていず、女も男に強制してはいず、それぞれ自分の意志で食べたのだ、とか、蛇は悪魔と言われるが、うそつきの一動物であるとか蛇の背後に悪魔があるのだという考えがあるとか、原罪も神秘であり人間はそれを完全には理解できない・・とか。また、「原罪」という術語をキリスト教全教派が用いているわけではないというのも興味深いです(たとえば原父殺害的な罪悪感を催させる幻想の伴わない、象徴的去勢の成立はあるのか、という問題にもつながりそうな)。神がアダムとイヴに「何を行ったのか」と言って罪の自覚を促したとあり2人は責任転嫁に終始したとありますが、では罪の自覚をすればどうだったのか・・、人間が言語を得てしまった原罪を自己の責任だとすればではどうなのか・・など考えさせられます。

しかし、そもそもそんな人間を作ったこと自体が神の失錯とも言えそうでもあります。
また、神は「知恵の木の実だけは食べてはならない」と言ったらしいですが、そう言われれば食べたくなるわけであり、それを知っていて神が言ったのであれば神がそそのかしたわけであり、意識していなかったとしたら、この言葉自体が、神の欲望を洩らしてしまった神の失錯とも言えるように思えます。神は、人間が自分の言葉を裏切って原罪?を侵して欲しかったのか?? ・・・

しかしこの話自体人間が作ったわけで、ともかく、そんなことまで考えさせるような、起源神話を作って人間は自分の失錯?原罪?の起源を納得しようとしてきたのだな、ということなのでしょうね。いや、欲望が人間に作らせた起源神話と言うべきでしょうか?

No.339 - 2012/05/03(Thu) 01:35:36

藤田先生 / 水上雅敏
レスありがとうございます。
確かに言葉こそ失錯、なぜこんな失錯を・・と振り返ることがまた失錯を重ねてしまうような失錯ですね。

No.338 - 2012/05/03(Thu) 01:32:18

水上さんへ / 藤田博史
言葉を覚えてしまったことそのものが、最初にして最大の失策ですよね。
No.337 - 2012/05/01(Tue) 01:05:15

失錯行為のいくつかのレベル / 水上雅敏
自分で気づける失錯
人から指摘されるとたしかにしていたと気づける失錯
人から指摘されても、そんな失錯したとも思えぬ・思い出せないような失錯・・
があると思います。余裕あれば、その構造の違いを少し考えてみたい・・

No.336 - 2012/04/30(Mon) 00:09:01

口で出せる周波数帯が広がった場合、新しい母音が生じるのか? / 水上雅敏
人間の見える可視光線の領域が広がったとしても、新しい色が見えるわけではなく、今見える青紫から赤までのスペクトルが、そのまま、それらの領域にひきのばされるだけではないか。今見ている以外の色があるとは思えませんし・・。狭まった場合も、これまでのスペクトルは縮小されてそのまま採用されるのではないか。色の種類を削減しないほうが様々な波の微妙な違いを意識するにはよいし。つまりいずれにしても、紫と赤が両端を占めるのではないか・・。

では、母音についてはどうか? 人の口で出せる限りの最大の周波数の波と、最低の周波数の波とをあわせたもの(というか母音のうち最大および最小の周波数の波の組み合わせを使っているもの、というべきか??)は、「イ」音だと聞きます。では、人の口で出せる周波数の幅が広がった場合、その最大と最小の波の組み合わせはどんな母音になるか? 色からアナロジャイズすると、それはやはり「イ」なのか。直感的にはどうもそうは思えません。やはり使用される波の組み合わせが代われば別の母音になるのではないか、と感じます。しかし、新しい母音があるとするのも非現実的にも思えます。結局どうなるのかわかりません。

ともかく、色の場合は、母音のように両端にある波を組み合わせる話ではないから、単純にそこから母音の場合を演繹すべきではないのでしょう。では、色の場合も、可視光線の領域の両端の波を組み合わせた場合、そこで出来てくる色彩は、可視光線の幅の変化に応じて、それなりに様々に異なってくるのでしょうか?

No.335 - 2012/04/29(Sun) 23:45:32

新型うつ / 水上雅敏
新型うつ、先ほどのNHKの番組で紹介されたようなものだとすると、単純に神経症構造のひとつの表れにすぎないものに思えます。

内因性の鬱病がベースであるような新型うつというのはあるのかないのか・・。

No.334 - 2012/04/29(Sun) 22:02:12

前世退行催眠 / id
藤田先生 体験してもらうと面白いかも。

ttp://mixi.jp/view_event.pl?id=69201235&comment_count=0&comm_id=8599

No.333 - 2012/04/24(Tue) 09:59:12

記憶の再生のメカニズム / 水上雅敏
質問されたら考えて答えが出てくる、というふうにさせている心や脳のメカニズムはどうなっているのか・・・意外と難しいことのように思います。今考え中。
No.332 - 2012/04/23(Mon) 00:28:40

ロボットに組み込むべき倫理 / 水上雅敏
昨日のサイエンスzero はロボットのことでした。最後の約10分ほどしか見ていないのですが、その中で、ロボットの危険性、つまり反倫理的なことをしてしまうこと、これをどう防ぐかというような話がありました。結局、人間世界で、どういうことが大多数の考えかという情報をインターネットなどでなるべく集めてロボットに判断させる、ということのようでした。たとえば、人をCENSORED、というのはどうやら反倫理としている意見が多そうだからそれは行わないように自己制御させるようにする・・・というような主旨であったかと思います。

しかしこれでは多数決の倫理ですね。多数がいいと言えば、何でもOKとなりかねない。たとえば「差異化を助けてくれる存在は破壊しない」(たとえば人をCENSOREDのは、私たちの象徴界をゆたかにしてくれる存在を消滅させてしまうからまずい)というような法則をプログラムする方が、よりよいように思います。すると大多数の人間が倫理を外れてきても、それを批判してくれるロボットができるかもしれません。

No.331 - 2012/04/23(Mon) 00:24:16

不完全性を認めてそこで進めていけるほど・・ / 水上雅敏
全体を俯瞰しようとするほど、何も決定できなくなるのではないでしょうか。
例えば、辞書で「右」は「南を向いたときに西にあたるほう」。「南」は「日の出るほうに向かって右の方向」とあり、右が決定できていないことになります。

分裂病の解体型、とくに内省型と一部でいわれる病者たちにこういう思考の存在を仮説してみてもいいかも、とも思います。彼らの決断不能性とか、意味のつかめなさの感じ(たとえば「自明性の喪失」68P)とか。全体を俯瞰して、すべての部分の意味を確実に知ろう、と試みる傾向は、必然的に、それぞれの部分にそれぞれ独自に完全な意味をあたえよう、とすることになってくるでしょうが(ひきつづく文脈の連鎖の中で或る部分に暫定的に意味をよりそわせるということではなくなって)―シニフィアンとシニフィエの密着のように―それは他との関係性をなくすことでもあるから、それはそれで逆に、意味が消え去っていくということになっているのでしょう。分裂病解体型の病者の絵などで、絵画中の各アイテムが関連つけられず、ぽつりぽつりと独立したように書かれているのは、そういう試みの一環で、最後の最小限の意味が各アイテムにおいては保たれているレベルのものといえるのでしょう。

話をもどすと、結局、健常者は、全体を俯瞰し自分はすべてを完全に知っているのだと感じえるような第三者の位置にくることから身を落とし続けて、とりあえずのところで句読点を打って、部分部分において意味を暫定的に確定させつつ(また、暫定的でしかないのだと認めつつ)進んでいるということでしょう。

暫定性、不完全をできるだけ認めつつ進めることが出来るほど、その不完全性のところに、無意識に生じている多くの連鎖もそこに交差してきて、物事をみても色んな連想を交差して(病的な混交の形ではなく)豊かに見られてこようし、語る言葉においても、ウィットを聞かせた言葉を突然返す(失錯の形ではなく)、などもより出来てくるかとも思います。

それはまた、分析の進展の指標でもありましょう(完全性への固執、俯瞰する位置=第三者の父の位置、に来るというエディプスコンプレクスの解消にも通じることですから)。

しかしとりあえずでさえどう意味が確定してくるか、が問題です。これはまた後日書きます。

No.330 - 2012/04/20(Fri) 17:47:08

てんかんと意識 / 水上雅敏
>てんかんだからと言って、完全な意識消失をともなわないタイプの発作もあるはず。それを考慮せず意図的な殺人と考えるのはどうか・・。

説明不足でしたね。
多少とも意識あり多少は運転をコントロールできても、かなり難しい、とそういう場合もあるのではないか、ということです。

たとえば、『躁うつ病とてんかん』クレペリン、p12で、不全発作・痙攣型に、「まず、患者は転倒して腕や脚に痙攣が起るが、意識は失われないという形のものがある。あるいは転倒はしないが、体が硬直して、自分の腕や脚がきゅっとひきつける感じがすることもあり・・」(一部を抜粋)とあります。その他いろんな発作のタイプがあるでしょうから安易に結論は出せないかと思います。

ただ、会社にてんかんがあることを報告していなかった(?本当かどうかわかりませんが)とすれば、そのことは問われるのかも・・。

No.329 - 2012/04/16(Mon) 16:06:55

古事記とユーモア 呪術は信じられていたのか?? / 水上雅敏
299より
>余談ですが、日本では、ではそういう他者からの介入が何かないものか、と考えていると、「仲人」が思い浮かびました。で、調べてみると、「仲人の起源は、仁徳天皇40年(紀元352年)2月、天皇は、雌鳥(めとり)の皇女をお妃に迎え入れようと思い、異母弟の速総別尊命(はやふさわけのみこと)を仲立ちにされたという記事が日本書記に記されている。これが仲立ち=仲人という言葉が初めて記録に残っているもので、仲人の起源とされている。物語としては、申し込みを受けた雌女が遣いの速総別を好み、関係を持ってしまう。つまり、仲立ちの男性と申し込まれた女性とが結ばれてしまったという結末になる。」(ウェディング用語辞典 仲人 ttp://wedding.dictionarys.jp/%E4%BB%B2%E4%BA%BA.html)。異母弟が仲介したわけですね。第三者としての他者の位置はうまくキープできなかったわけですが・・。

こんな話を読むと、日本書紀とか古事記、どうしようもない人間の滑稽なさがをユーモラスに描こうと意図した節も多いのではないかとふと思えてきました・・。

また、話はずれますが、古事記を読んでいると、あの時代の人々が、本当に類感呪術(にわとりを鳴かせると太陽が昇るとか)など信じていたのか、今のわれわれと同じように信じていないが儀式としてやっていただけなのではないか、古事記を書いた人も信じていなかったのではないか、ユーモラスな劇として書いただけではないのか・・今の我々が、勝手に昔は人々の思考はあんなにナイーヴだったのだ、と思おうとしているだけなのでは、と疑問に思えてきました。では、なぜそういう記録を人は残し、私たちはそう思おうとするのかという疑問も出てきました。

まあ、しかしその後の人でさえ、たたりをおそれて、都を移すというようなことがあったとすると多少とも確かに信じていたのか・・。それに、今だって、厳密には因果関係がはっきりしないところで、因果を勝手に見ているような理論が科学にさえあったりするし、私たちもその中に浸って生きているところも多分にあるだろうから、確かに類感呪術なども信じられていたのかも知れませんが・・。

No.328 - 2012/04/15(Sun) 13:45:34

今回の京都の事件 / 水上雅敏
てんかんだからと言って、完全な意識消失をともなわないタイプの発作もあるはず。それを考慮せず意図的な殺人と考えるのはどうか・・。てんかんへの偏見を助長しないことを狙ったという意図もあるのかもしれないけど。
No.327 - 2012/04/14(Sat) 12:58:37

カーボンナノチューブ、螺旋、ニューロンの通道 / 水上雅敏
カーボンナノチューブ面白いですね。
基本的には6角形であるその並びに多重螺旋をみることが出来るようですね。(ウィキペディア 「カーボンナノチューブ」などにも画像があります)

>そんなことを考えていると、DNAの二重螺旋が思い浮かびました。どこかに・・脳の実質の構造か、信号の進み方にかはわかりませんが、・・あのような二重あるいは多重な螺旋構造、また塩基の組み合わせに相当するような構造がないか、・・という考えが出てきました。

と313で述べましたが、何かヒントにならないものかと思案しています。

それと、「Newton 周期表 第2版」92pには「このらせんの角度によって、カーボンナノチューブは電気を通しやすくなったり、通しにくくなったりする」とあります。電気抵抗と言うと、フロイトのニューロンの通道の件なども思い出されます。実際のニューロンがこのように電気抵抗を変化させるものかどうかはわかりませんが・・。人口知能を作るとしたら役立つ考えかも。

No.326 - 2012/04/13(Fri) 14:24:56

アトムトランジスタ / 水上雅敏
アトムトランジスタ面白いですね。特に「演算回路とメモリーの一体化」が可能となるというところ。たしかに精神分析的にも、それらが別々ではないと思われますから。

ttp://tf.digital-dime.com/newproduct/dimescope/11/03/pc_1.htmlにも、
>制御や演算と記憶の機能が合体することで、人間の脳に似たデジタルネットワークを作ることができるという。長谷川主任研究員らは、「アトムトランジスタ」などを使うことで、脳のシナプスのように振る舞う素子や神経回路を自ら作り替えたりする動作を確認しているが、この技術がさらに発展すれば「人工知能」の実現も夢ではないだろう。
とあります(抜粋)。

どんな構造でなりたっているのか興味あるところです。


その他、以下など参考になりそうです。
ttp://www.jst.go.jp/pr/announce/20101224/
ttp://bizex.goo.ne.jp/column/ip_16/84/38/

No.325 - 2012/04/13(Fri) 14:01:25

3進法、e進法、直観主義論理 / 水上雅敏
電話のメニューシステム、「〜のかたは1を、〜の方は2を、押してください」というもので、もっとも早く目的地にたどり着くためには、いくつづつの選択肢を各段階で出すのが一番効率的か。これは3つづつである、とのことです(たしか、『ベッドルームで群論を』みすず書房、からの情報)。まあ、内容にもよるのでしょうが・・。

そして件の書では、3進法の利点がかかれていましたが、本当であればe進法というのがもっとも効率的であるとのころ。

e個づつのメニューシステム、というのは無理でしょうが・・。しかし、或る段階では3、ある段階では2個として、平均をeにするとどうなのか・・。

ニューロンの枝分かれにも、こういう3なりeなりの進法が使われていないか・・それほどエコノミカルなら・・。

虹が7色に分かれて認識されやすいのも、人間の頭が、3なりeなりで区分したがるからか(3つの色とその隙間、および両端の色で7つで)・・。

1、0、−1、というe進法があるらしいが、直観主義論理とからめて考えられないか。二重否定(−1のー1)を肯定(1)とするのでなく、0とする、というふうに考えて。でそうしたニューロンモデルをつくれないか・・

3なりe進法がそれほどエコノミカルなら、いままでの色んな分類も、3なりe個に分割(さらに下位分割)して、新しい分類法から考えなおしてみてはどうか・・。

色々連想が湧きます。

夢なり、絵なりで時に何らかの3の表現が精神的な回復を示唆することがあるように思いますが(3身一体的に、男性像が描かれた時と、言語の進展が相関したケースとか)、それはどうか・・。3つの項が、その後無限の関連の進展する基本だからであって、これは3進法とか、e進法とかは多分関係ないか・・・。

No.324 - 2012/04/13(Fri) 04:10:29

宮本亜門 I got Merman. / 水上雅敏
先ほどのNHK「仕事学」では宮本亜門さんが出ていた。
「I got Merman.」というのが、初めてのミュージカル作品だったらしい。
Mermanが、Miyamotoにも、 Amonにも、 Mamaにも聞こえてきた。

No.323 - 2012/04/13(Fri) 00:40:34

被災地と狂犬病 / 水上雅敏
狂犬病Wikipediaでは次のようにありました。

>2008年の四川大地震によって多くの飼犬が野犬化しており、噛傷被害を受けた被災者も増加しているが、ワクチンが無く、傷を洗って消毒するだけで帰している状況のために今後狂犬病の被害が拡大する可能性があるとの見方もあり[16]、青川県では地震によって野犬化した犬の殺処分を行うことが決定された

No.322 - 2012/04/12(Thu) 18:37:17

全558件 [ ページ : << 1 ... 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 ... 28 >> ]