>例えば、思想信条を理由に国旗に敬意を払わない教師は、思想信条を理由にその教師の授業を拒否する生徒を教育できません。生徒は「お前が言うな」と言うでしょう。 そもそも最初から、思想信条が問題になるような材料(国歌、国旗)をもってきたから、そういう問題が起きるのではないですか? 最初から論理を大切にする(理屈を互いに究極まで自由に戦わせあう)、という風にしていれば、生徒に対しても、思想・信条で動いてもらっては困る、論理的に君の行動を説明せよ、といえるでしょう。しかし、生徒が思想・信条から動いたにしろ、それが迷惑がかからない行為なのであれば、それはそのまま生徒の自由にさせていて問題があるとは思いません。論理的にも説明できない、迷惑もかかる、というのは何か罰則を与えるとか、それはありえると思います。 >話の因果関係が逆ではないですか。 条例がない段階で国旗に敬意を払わない教員がいるという状況改善のために条例を決めたわけですから。 国旗・国歌というものは、最初から、思想・信条になんらか引っかかるものである、ということは橋下氏以前からあることです。敬意を払わないのは、しつけの問題でなく、思想・信条からでしょう。国旗・国歌以外のところでもまっとうな行動をしていないというなら別ですが・・。 >意見をお聞きしたいのは、 条例がない場合、強制がない場合の話です。 このルールはしつけの基準としてふさわしいものですか? ルールとか、しつけ、という以前に、教育とは、私は、個々人が自分を表現できることを援助するものだと考えています。ルールの基準は、その機会を互いに阻害しないように、あとは、生徒の安全、ということであり、せいぜい添え物的な位置におさめておくべきものと思います。その意味では、たとえば、入学、卒業式などに歌う歌は、生徒も教師も、毎年いろいろアイデアを出し合って作詩・作曲などもして、決めればいいではないですか。この学校の意義を考える、とか、表現することを学ぶ、ということもできるから、一石二鳥ではないですか。そもそも、迷惑行動とか、怒りなどというものは、自他の区別が曖昧で、他人を自分の延長のように思ってしまっているところで、他人が思ったように動いてくれない・・というようなところ起きてくるものだと思います。ところが、表現が許され、言葉を十分語り始めると、他人には言葉で伝えないとわからないことはある・それでも伝わらないことがある、とわかり始めて、自他の独立性が意識でき、そのことがそのまま他者に対する配慮の発現につながってくるものと思います(自由にさせると迷惑な表現をしてしまう子については、どこか本当に表現したいことが家や学校で許されてないのではないか、と考えてみるのもいいわけです)。それがなりたっていると、いろんな規則についても、そんなに深刻に反抗もせず、まあ、とりあえず受け入れるか・・という余裕ができて、学校生活をどうにかすごしていけることになると思うのです。 |
「しつけ」がテーマになっているようですが、 人の子を、言語を語る「人間」に仕立てるために まず最初に重要なことは、精神分析的な意味での「去勢」を どの時期にいかに行うかということではないでしょうか。 たしか藤田先生は、その意味で、「断乳」を早期に行なうことが 非常に重要であるとおっしゃっていたかと思います。 この国は断乳の時期が大変遅いですからね。 わたしはこのことも含めて、「しつけ」は言語習得以前にかなりの部分が決まると思っています。 「鉄は熱いうちに打て」ということですよね。 言語習得以降については、「教育」という言葉をわたしは使いたいと思います。 もちろん、それは「しつけ」「教育」という言葉の定義によるわけですが。 その意味で、早期の「教育」において重要なのは、 どのような言葉を与えていくかということではないか、と思います。 幼稚園の年長ぐらいから、小学生の低・中学年の頃は、 ある意味で大人以上に「言葉」に敏感です。 自分自身がそうでしたし、身近に見てきた諸例からもそのことを考えます。 おそらく、「潜在期」とかかわっていると思うのですが、 この時期にどういう言葉を与えるか、ということは大変重要であると思います。 |
>なるのではないですか。どういう理屈でならないですか? 橋下さんの国歌・国旗も押し付けることができたのだから、今後、しつけなんだから、といって、これもよいかろうあれもよかろうと権威者が自分の信条を押し付けてくる可能性が強まると考えて無理ないのではないですか。 権威者はこの問題に関係なく抑圧を推進する立場でしょう。 だから、選挙・議会投票によるプロセスを踏みます。 こどもに対する教育現場でのしつけの話と、教師のマナー違反を改善する話です。 マナー違反をする教師はしつけはできないから教育現場には不適格だということです。 例えば、思想信条を理由に国旗に敬意を払わない教師は、思想信条を理由にその教師の授業を拒否する生徒を教育できません。 生徒は「お前が言うな」と言うでしょう。 >>例えば、教育現場に外国の来賓が来たとして、その国の国旗掲揚が行われる場合、思想信条の自由を理由として起立しないことは教員として適格な行為ですか? >それは外国の法律なり、外国の自治体の条例なりで、今後ともコントロールされないことが分かっているから、気楽に、単にマナーとして出来るわけですね。それに、来賓自体が、起立せよ! そうしないとお前を解雇する!と言っているわけではありませんから状況は違うと思います。 話の因果関係が逆ではないですか。 条例がない段階で国旗に敬意を払わない教員がいるという状況改善のために条例を決めたわけですから。 >そのルールがしつけの基準としてふさわしいものかどうかがまず吟味されるべきですね。 意見をお聞きしたいのは、 条例がない場合、強制がない場合の話です。 このルールはしつけの基準としてふさわしいものですか? 例えば、教育現場に外国の来賓が来たとして、その国の国旗掲揚が行われる場合、思想信条の自由を理由として起立しない自由がある。 |
>しつけといえば、何でも許される、というメッセージを権威者たちに伝えることになります。 なりません。話が違います。 なるのではないですか。どういう理屈でならないですか? 橋下さんの国歌・国旗も押し付けることができたのだから、今後、しつけなんだから、といって、これもよいかろうあれもよかろうと権威者が自分の信条を押し付けてくる可能性が強まると考えて無理ないのではないですか。 >しつけについては様々な考えがあります。 さまざまな考えがあるのなら、国歌、国旗でなくともむしろよいはず。 >ルールを守らない教師はしつけができないので不適格だという話です。 そのルールがしつけの基準としてふさわしいものかどうかがまず吟味されるべきですね。橋下氏はそこをどれほど深く考えたのか・・。 第2の点について 以前、idさんがQされ、私が答えたものの抜粋です(去年の5,6月くらいのやりとりです)。 >例えば、教育現場に外国の来賓が来たとして、その国の国旗掲揚が行われる場合、思想信条の自由を理由として起立しないことは教員として適格な行為ですか? それは外国の法律なり、外国の自治体の条例なりで、今後ともコントロールされないことが分かっているから、気楽に、単にマナーとして出来るわけですね。それに、来賓自体が、起立せよ! そうしないとお前を解雇する!と言っているわけではありませんから状況は違うと思います。 中野さん >最終兵器は国民側が持っていないと。 別に放棄したわけではありませんよ。強要されても逆手にとる、もありとは思いますが、いまこそその知性の使い時、と考えることもできるはず。個人的には、このポジションに居て逆手にとる、と考えたままでいる私自身は許せないですね。やはり合理化したままでいるようで、・・抵抗することへのかったるさから妥協したようで・・。いや、これは私がそうする場合に私自身にそう感じるのであって、このポジションこそ本心だ、という人はもちろんありえましょう。 |
水上さん >そもそもこちら側が、心を工夫してかかわらねばならないような面倒なものは最初から無いに越したことはない、税金をあげているのに、こちらにそういう面倒をかけないでほしい、と思うのです。 いやあ、それはちょっと危険な感じがします。知性のメンテナンスはたしかにめんどくさいですけど、最終兵器は国民側が持っていないと。 idさん 私もしつけの必要性は感じますが、それは同時に、年少者に「しつけという手段でしか優位を保てない年長世代」と思われないように努力する年長者の矜持があってこそでしょうね。 |
>しつけといえば、何でも許される、というメッセージを権威者たちに伝えることになります。 なりません。話が違います。しつけについては様々な考えがあります。 ルールを守らない教師はしつけができないので不適格だという話です。 >あとの件は、すでにidさんとも、以前議論したことで互いに繰り返しとなるでしょうから、この件は私としては、このへんで置こうと思います。 過去ログを探しきれないのですが、 水上さんは、思想・信条を理由に事例に上げた特定の国の国歌・国旗には敬意を表しない、あるいはすべての国の国歌・国旗には敬意を表しない日本の教師でも公務員の教師として適格だと考えるのですか? |
『SUNFLOWER TOWER』(「音楽の建築」日詰明夫 p102)からの抜粋: 「多くの植物は黄金比の角度をなして枝葉をつけ、降り注ぐ太陽光を平等に分かち合っている。結果固体全体の受光量は最大になることが知られている。この原理を建築に活用することは魅力的である。私は、「ベルトラミの擬球」と呼ばれる曲面上に、「ひまわりのたね」の法則を適用し、「ひまわりの塔」と題する建築システムを構想し、卒業論文および、著書「生命と建築」に収録した。・・(中略)・・特に光や音を乱反射する性質を利用して、たとえば間接照明や、太陽光発電プラントなどに応用できるだろう。・・」 いまこそ、応用してほしいアイディアです。 |
ttp://www.ustream.tv/recorded/19778576 双葉町長、本当にまっとうな見解述べられています。 除染より避難・移住、コミュニティー壊れるとか人口が減るとかいう人居るけど、命の方が大切、と。 どこに逃げるかわからないなら、永田町の議員会館の地下に篭城すればいい、と。 福島県内に居ると、この(脱原発世界会議)の雰囲気味わえず、closedされた感じだ、と。・・福島内部ほど声を上げにくいというのが、少し意外でしたが、地元の高校生も「地元でデモ行われていない」とのこと。しかし、振り返ると、内部の人間ほど言いにくいというのは田舎住まいの私としてもわかります。そういう場合、どういう声のあげ方をするか、声を上げやすくするためにどんなルートを作るか、ということも考えさせられます。 |
橋下氏から香山氏への反論、診察もしないでなぜ病名がわかるか、という反論だったでしょうか。 しかし、問題は、名誉毀損ということでは? 橋下氏も、そのほうを言いたかったのでは?? 件の本を読んでなくどれほど橋下氏の診断名として述べたのか、橋下的なものへのそれとして述べたのか知りませんが、香山氏も「二分法的なものの見方は境界例的であり、このような考えに動かされてはならない、と人々に警鐘をならしたかったのです。名誉毀損で訴えられてもかまいません。それほどこれは問題なのです」くらい言えばあっぱれだったのですが・・。 |
>思想・信条を理由にすれば何でも許されるという誤ったメッセージを子供たちに伝えることになります。 しつけといえば、何でも許される、というメッセージを権威者たちに伝えることになります。 あとの件は、すでにidさんとも、以前議論したことで互いに繰り返しとなるでしょうから、この件は私としては、このへんで置こうと思います。 >hazuma 東浩紀 橋下氏は3時間いっさいブレない。内容も「みんなしっかりしろ」の一言。 これはそうだ(橋下氏はそういっているのだろうと)と私も思いました。しかし、彼のしっかりした人間像というのは「上の決めたことは決まったことなんだから、それにきちんと従う」、ということ意外に無い、それ以外は思いも及んでいないように思えました(数年前、山口県の岩国基地の何の問題であったか忘れましたが、それにも橋下氏は口を出しており、「これは国策なんだから(従うべきだ)」と述べていたときにも感じられたことでした)。彼においては「論理より規則」ということなのでしょう。論理的に考える、ということ自体がまったく、彼には及びもよらないことのように思えます。たとえば、子供がしっかりした人間になるにはどう心が働かねばならないか、ということを論理的に考えず、ただ、上の言ったようにきちんとしていればよい、というように考えているように思えます(何であったか、小学生の間は、規則だか国歌だかの起源についてだったかなんだったか、そういうことは考えず、ともかく従うことが大切、とか、思考停止を勧めていたようなことがあったように・・。)。 >hazuma 東浩紀 見事にそういう構図でした。 RT @......: 雷親父、おかん、ニートの息子みたいだ 論理の次元を入れて考えれば、そうもならなかっただろうに。 |
国旗・国歌の問題は、 思想・信条の問題ではなく、しつけの問題だと考えます。 思想・信条を理由にすれば何でも許されるという誤ったメッセージを子供たちに伝えることになります。 思想・信条を理由に、 例えば、外国の要人が日本の国賓として来日した場合や、 国際的なスポーツ大会で外国との対戦時に、 日本に原爆を落としたアメリカの国歌・国旗には敬意を表しない。 北方領土を不当に占拠し続けるロシアの国歌・国旗には敬意を表しない。 チベット・ウイグルを侵略し弾圧する中国の国歌・国旗には敬意を表しない。 不当に竹島を占拠し続けている韓国の国歌・国旗には敬意を表しない。 という公務員教師は許されるのか? そういう常識のないバカ教師がいるので条例が必要になります。 >精神科医の香山リカ氏は「先生が『君が代』を立って大きな声で歌ったら子どもの犯罪率が本当に下がるのか」、 そういうバカ教師が減れば、学力も上がるだろうし、犯罪率は下がるでしょう。 参考までに東浩紀のツイート 109 :名無しさん@12周年:2012/01/28(土) 10:29:15.97 ID:GrTM+ETO0 hazuma 東浩紀 寝て起きたら、朝生の感想がいろいろとあがっていた。薬師院氏はトレンドにすらなっていた。 hazuma 東浩紀 反橋下派に対する世間の反応が、ぼくが最初の1時間にスタジオで感じたことと同じで安堵。 ただぼくとしては、3時間座っているなかで(政策面ではなく、反橋下感情の本質について)考えが深まったこともあった。 反橋下の抗議は、単に論破するだけでは頑になるばかりで決して取り除けない。難しい。 hazuma 東浩紀 橋下氏は3時間いっさいブレない。内容も「みんなしっかりしろ」の一言。香山さんは単純にそれを怖いと思っているだけだし、 薬師院さんの批判内容も、要は「あんたのいうことキツいんすよ、大阪はそんながんばれませんわ……」。 だから論理ではないが、この種の反応はなかなか解除できない。 hazuma 東浩紀 ツイートだけを辿って「あなたは橋下の問題を理解していない」というひとが現れたので、ここだけは確認しておくと、朝まで生テレビ、 反対派集め3時間も時間を取ったけれど、彼らの橋下批判はおおむね具体性に欠き、揚げ足取りばかりでした。それは自明です。 hazuma 東浩紀 ぼくは繰り返し「大阪都構想のなにが問題なのか教えてくれ」と問いかけたのだけど、それに対する唯一出てきた答えは 「大阪市域内の格差が拡大する」ぐらい。しかしこれは調整可能な話で本質じゃない。 けっきょく、答えは得られなかったという印象です。教育条例についても、手法ばかり非難。 hazuma 東浩紀 むろん、橋下徹の政策にはなにか問題があるのでしょう。しかし、その問題をプレゼンテーションできないのでは、 反橋下派の本質は感情論にあると判断されてもしかたない。そしてぼくは今回の収録ではそう判断した。それだけの話です。 hazuma 東浩紀 見事にそういう構図でした。 RT @......: 雷親父、おかん、ニートの息子みたいだ |
>私が義務教育を受けていた頃は何も考えずに歌っていました。 ここは私も同じですね。歌うことと、国家主義的圧力に屈することは別だろう、歌ったからと、不当な国家主義的な圧力がかかった場合は、理性が働いてそれに屈しないことはできるだろうという自信が高校時代などにはあったように思います。今のほうが自信ありませんね。いろんな圧力にもまれて自分の反応を確認する機会が少ないのかも知れないし、いろいろ妥協してきすぎたからかも知れません。 そういう意味では、私の中での国旗・国歌への警戒心には、自分が屈するかも知れないような動きは前もって封じておきたい、というのがあるかも知れません。 それと、個人的に国旗・国歌にとりわけ敏感になったのは、小泉政権の時代からですね。国家主義的な動きが強まった感じがしたので、国旗・国歌にもニュートラルな心情ではいれなくなりました。早いうちに、芽はつみとっておきたい、という思いでしょうか。 個人的事情はおいたにしても、現時点だけでも、押し付けてくればくるほど押し付けるほうにもそれなりの信条があって、それに従わせようとしているのだ、と考えられるから(信条が無いのならば、あれほど嫌がる人がいたら、あっさり引っ込めるはずです)、その時点でそれに抵抗したくはなります。単に規律であれば、学校によって個々別々の歌でよいのに、なぜ、上が歌う歌まで決めるのでしょうか。幼稚園児扱いをしているように思えます。 勝手にさせておけばいい、とも思えますが、私たちは税金を払っている側です。国や自治体にはそれだけで、ありがたく思ってほしいのに、さらに自分たちの信条に従わせようとする好き勝手にがまんできない、というのがあると思います、少なくとも私には。国旗が講堂の真ん中に掲げられてあったか、何センチずれていたか、のチェックに、入学式・卒業式に、役所の人を学校にし向ける、というような滑稽なことに税金の無駄遣いはしないてほしい、とも思います。国歌を歌わせたいなら、私立の学校でやってほしい、公立に押し付けないでほしい(朝まで生テレビでは、橋下さんは逆を言っていましたが)と思います。あと、外国人などにも強要することにもなる問題があると思います(私立なら、その人が選んで入ったわけだからよいのですが)。やはり、単純に、基本的に、思想・信条、宗教の自由が守られていない、と思うのです。 >たとえ国家に思想、信条的なものを強要されたとしても、知性さえ持っていればいくらでもそれらを逆手にとることができる、と考えるのはお気楽すぎるでしょうか? それはそういうふうに解釈して受け入れるのは包容力あるな、とは思うのですが、そもそもこちら側が、心を工夫してかかわらねばならないような面倒なものは最初から無いに越したことはない、税金をあげているのに、こちらにそういう面倒をかけないでほしい、と思うのです。 |
私は「『君が代』は斉唱したくない」という論理と心理がよくわからないところがあります。なぜそんなに拒否る人達がいるのかわからない。 私が義務教育を受けていた頃は何も考えずに歌っていました。その後それなりに知識が付いていく過程で「他の民主国は革命歌がそのまま国家になっているケースが多いのになぜ日本はそうではないのだろう」とか、日本近代を考えるうえでよいヒントになりました。 たとえ国家に思想、信条的なものを強要されたとしても、知性さえ持っていればいくらでもそれらを逆手にとることができる、と考えるのはお気楽すぎるでしょうか? 単に現在私は、歌わないとなんらかの圧力がかかるポジションにいないからというだけの話で、現場はひどい状況なのかもしれませんが。 |
橋下氏、「国歌」斉唱を、思想・信条的側面を完全に捨象し、単なる規律の一環であるかのように述べていましたね。 維新の会の理念はと問われた折は、それはまず「分権」等のシステム作りであり、理念的なものはそのあとで、皆が考えてくれればいい、というような話であったかと覚えます(記憶曖昧ですが、大体そのようなことだったかと・・。)。 純粋な枠組み作りしかしませんよ、という体裁を見せて、あとになって、とつぜん思想、信条的なものを強要されてくる、ということにならないか、という危惧が少ししました。勘繰りすぎならいいのですが・・。「分権」などにはそれほど反対するつもりもありませんが、単なる規律でいいのなら、別に、その象徴として国歌を持ってこなくともよかったのでは・・、橋下氏がそこに思想・信条を見ないとしても、一般にはその意味合いを見ざるを得ない材料をなぜ持ってきたのか・・、とは思います。 |
>希望さん ヤられないよ。あなたが好きなことを発言する自由は日本国民である俺様が絶対に守ってあげます。 内田樹はあまりよく知りませんが、知識を直接得られるネット時代に「知識人」なんて中間搾取以外の何ものでもないと思います。効率悪すぎ。 効率悪いのは嫌いです。 |
そんなことを言おうものなら速やかにヤられます。 いずれにしても「朝まで」で内田樹が出て来なかったのは卑怯(=狡猾)ですね。 迷える女子学生たちが集団でゾンビのように彼の後をついてゆくのが滑稽です。 天国のレヴィナスもさぞや迷惑がっている事でしょう。 |
橋下氏もちょっとラジカルさがなくてつまんないなあ。 天皇制も人工的に作った制度なので壊せます、くらいのこと言ってほしいですね。 |
古い世代は、父性機能を個々のリーダーの人格に兼務させるのが非常に「機能的でない」ことを若い世代がすでに知っているのを、知っているのでしょうか? |
24人のパパと、その上に立つビジネスマンか。 |
とりあえず2ちゃんねるのコピペです。 印象が近いので。 2 :名無しさん@12周年:2012/01/28(土) 18:11:52.75 ID:sgzS1s8C0 【見てない人用まとめ】 ・田原(司会)・・・相変わらず、話の流れをせき止める感じでうざかった。 ・香山(精神)・・・序盤は過去の発言への弁解。あとは弱者の味方を気取ったり、学者ぶったり。 ・山下(共産)・・・批判はするが対案は出て来ない。 ・柳本(自民)・・・冷静。あんま強い事言ってない。どこかに連携模索意図あるのかも。 ・薬師院(Fラン教授)・・・最後まで選挙公約の細かい文言にこだわる。本質的な議論に進まない。 ・吉富(ジャーナリスト)・・・あんましゃべってない。参加できてなかった。 ・池田(元教育委員)・・・教育問題の時は喋ってた。質問はするが、自分の意見はあまり言ってない。 ・東(批評家)・・・謙遜しまくりつつ意見言ってたけど、結局橋下に乗っかってる感じ。 ・橋下(市長) ・・・更にパワーアップした。 ・・・批判本はしっかり読みこんできてた。付箋がびっしり。 ・・・基本戦略として、相手が喚きだしたら失笑or笑顔。 ・・・香山に対しては、徹底的に目を見て話を聞き動揺させる。 ・・・山下・柳本に対しては、対案出せ。 ・・・薬師院に対しては同じ説明に終始して切り抜け。 ・・・池田に対しては、目指すべき教育機構をプレゼン。 ・終盤気になったところ・・・核武装の意図があるか、石原と組む気があるかの言質を取ろうと必死だった。(論客含め番組全体として) 水上さん >放射線にびくついて何が悪いのでしょうか。びくつくことで誰かに迷惑をかけたのでしょうか。勝手にびくつかせてほしい。 びくついてください。 ノープロブレムです。 |