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記事No.190に関するスレッドです

火垂るの墓 / インファント
皆様もご存知のように、昭和63年(1988年)のスタジオジブリ制作アニメが
有名なのですが、私は映画館で観たことがなく、テレビ放映もちゃんと観ていない。
テレビではかなりの回数が再放送された筈なのですが、最初から最後まできちんと
通して観れないのです。分断して4回くらい観たようです。
だから、全体を通してどころか、観ていない場面が多いのです。
とっても悲しく切なくて、見ちゃいられない。精神力が追い付いていけないのです。

なのに、テレビドラマ化されたもののDVDを購入してしまいました。
http://www.ntv.co.jp/hotaru/

浅はかにもアニメ版だからこそ辛くて観れないのかな、と思ったのです。
「マリと子犬の物語」や、相棒シーズン5/第11話「バベルの塔」で好演をした
佐々木麻緒ちゃんが登場するので楽しみに買ったものなのですが、実写版であれば
自分の場合むしろ感情移入が少なくなる(醒めて見れる)であろうと想像したのが
お馬鹿さんでした。佐々木麻緒ちゃん上手過ぎるよ。もう駄目、駄目です。
30分くらいでギブアップ。次の日も10分進んで、また降参です。もう凍結状態。

この「火垂るの墓」に限ったことではないのですが、戦争の記憶を風化させるなとか、
そういう一般化した考え方の代表作品のように取り扱うのは如何なものなのでしょう?
戦争をしたら、こんなことになるんですよって、映像にしなきゃわからないのかなあ?
人間には想像力というものがあります。予測するという能力もあります。
また、被害者側からの視点だけではいけないような気もします。
加害者にならないことを世界中の人々が心から賛同すれば戦争はなくなります。
悲惨な出来事を忘れないで、ということだけでは、何の解決にもならないと思います。
「火垂るの墓」は私小説的な一つの文芸アニメなり、文芸ドラマとして見るべきです。

ここに、原作者の言葉もあります。
http://www.ntv.co.jp/hotaru/message/index.html

(前半略)
 新聞やテレビなどマスコミで報道されている内容について、鵜呑みにしてはいけない。
 それが正しいのかどうか、まず疑ってみること。
 さらに、大切なのは言葉。意見が違っても構わない。自分の言葉をつかって、他人と
 喋りあうこと。それは、国と国とが喋りあうことに繋がるのだ。

短文で上手く表現出来ない筆力の無さが残念だが、今、自分がなにをやるべきか……。
あの戦争の教訓はなんなのか、きちんと覚醒して考え行動しなきゃ駄目だろう。
隣人とどうやったら平和な関係を作れるのか。これが基本的テーマだ。
戦争の悲惨さを語り継ぐだけじゃ、誤った将来となってしまう恐れがある。
我々の祖先は被害者であり加害者でもある。
被害者/加害者になった原因は何なのか?
自分達の祖先の愚かさだったのだから、どこが愚かだったか反省しなきゃ駄目。
その反省の仕方がどうもおかしい。これだけ多くの情報が満ち溢れている時代なのに、
これだ、というものがないのである。偏向した情報ばっかりだ。

一昨日だったかしら、民放BSで、実写映画版「火垂るの墓」をやっていた。
なんで今の時期に、このタイミングなんだろう。なにかしら因縁があるのかしら?
CMを除去してブルーレイに焼いて、上記DVDと一緒に保存中。
チラッとは見たが、これもまともに見れそうもない。
家内は、なにやってるの? 見ないものをなんで……と不審そう。
いや、いや、とっておくことに意義があるのです。

No.190 - 2011/02/08(Tue) 11:35:48