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記事No.237に関するスレッドです

小林研一郎(2) / インファント
チェコ・フィルハーモニーとくれば、スメタナとかドヴォルザークかな。
というわけで「新世界より」を買ってみました。(単細胞?)
ところが、小林研一郎指揮・チェコ・フィルの盤が2種類あり、殆ど同時発売。
ひとつはセッション録音(録音目的の録音)で、もうひとつはライブ盤。
録音場所は同じホールなのです。録音日も一日違うだけ。
さあ、どっちがいいのか悩みます。(2種類買うほどのファンじゃない)

基本的に私はライブ録音は嫌いなのですが、SACDはライブの方だけなので、
そっちにしました。
ライブは3日間同じプログラムで行われたので、良い所を集めた可能性もある。
3000円は高価かもしれないけど、小澤征爾さんみたいな人気はないのだし、
そんなに売れるとは思えないので採算ギリギリじゃないかな。
こういう録音は素人考えでも大変なコストがかかると思うので仕方が無いです。

小林研一郎さんは演奏中によく「うなる」人みたいで、それも録音されています。
先日、タモリ倶楽部という番組でも雑音の多い録音シリーズで紹介されてました。
鑑賞には基本的にジャマなので静かに指揮して頂きたいものですが……。(笑)
宮川泰さんもザ・ピーナッツの「アモ・ソロ・テ(あなただけが)」でうなって
いますので、気合いが入ると、指揮者はどうもうなるみたいです。
都はるみさんは「北の宿から」では、うなるのを止めた歌唱で録音したのですが、
紅白の舞台じゃ、我慢しきれなくて、うなってましたね。あれと同じでしょう。

うなるだけじゃなく、ドンと足踏みもしちゃいます。
それに、シャーという息遣いも派手なので、こういうのが嫌な人はコバケンは無理。
私はそれほどうなるのが気にならないのは、うなっている箇所なのだと思います。
別にデカイ音を要求するところでうなるわけじゃないみたいです。
ここは情念をこめて弾いて欲しいという箇所でうなる。で、こっちも感情移入出来る。
それは弦楽器群と一緒になってうなっている。つまり弦楽器にその気になってくれと
意思表示していると思うのです。そうじゃないかなと感じるのです。
どういうわけか、弦楽器というのは、そういう思いを醸し出せる楽器みたいですね。
弾けないし、触ったこともないので想像に過ぎませんが、そういう感じがするのです。

うなる場所とかに限らず、音楽の運び、うねりも何となく私の琴線に触れるのです。
その感じ、わかるよ。そうこなくちゃ。てなわけで、もう他人とは思えないなあ。
調べたら、小林研一郎は福島県の出身。私の親父も福島生れで福島育ち。
遺伝子の半分は私も福島なんです。福島の地震、津波、原発災害は他人事じゃない。
ネットなどの悪口では、コバケンの音楽はクラシックじゃなくクラシック風演歌だと
いうことらしい。洗練されていないということなのでしょうか?
別に演歌風でもなんでもいいじゃありませんか。他人じゃなく私が聴くのですから。

以前に買った、ケルテス指揮ウィーンフィルハーモニーの新世界を改めて聴いてみた。
いやはや、これは、やはり凄い。ちょっとかなわない。超決定版だ。なぜだろう。
ケルテスってハンガリー人だし、ウィーンフィルも作曲家とは無縁の国民楽団である。
けっして、新世界の本場ものという代物じゃない。民族性とは何も関係なんかない。
チェコフィルの方が地元風味だと思うのだが、そういう感覚もまるっきり判らない。

ケルテスはこの録音時はまだ32歳なのであったし、地元のオーストリア人でもない。
どうしてあの気難しいウィーンフィルハーモニーをドライブ出来てしまったのだろう。
こんなのは奇跡としか考えられない。
それにまた録音が素晴らしい。なんと、うんと大昔の1961年の録音なんだ。
シャボン玉ホリデーが始まった年。モスラが上映された年。そういう時期なんですよ。
その年に、こんな素晴らしい録音が出来たということも奇跡でしょう。
ほんとに凄いよ。最新録音にちっとも劣るところがない。素晴らしい美音の洪水。

しかしまあ、こういう神技演奏を聴いても、コバケンのもけっこう楽しめます。
どっちも良いし、どっちも聴きたい。どっちも聴けることが幸せなのでしょう。
同じ譜面なんだけど、まったく別々の聴く歓びがある。クラシックはこれが愉快です。
カラヤン指揮ベルリンフィルのも良く聴いたけど、これも完璧な演奏。見事そのもの。
小澤征爾指揮ウィーンフィルハーモニー(ライブ)も細部が凄いがあまり面白くない。
外山雄三指揮NHK交響楽団なんてのも買ったけど、これは何故かつまらなかった。
なんだがわからないが、楽しめるか、楽しめないかの違いはあるみたいです。
あんまり科学的じゃない。うーん、専門家じゃないので、うまく説明が出来ません。

No.237 - 2011/06/01(Wed) 08:39:38

明珍火箸 / インファント
ドボルザークの新世界では第3楽章でトライアングルが活躍する。
活躍とはいっても隠し味として使われているのだが、存在意義は大きいと思う。
レコードで聴いていた時は、そんなに意識しなかったのだが、初めて生演奏を
聴いた時に、その鮮やかな鳴りっぷりに驚いた。
ベートーベンの第9の第4楽章でも、これがないと音楽が死んでしまう。
なので、以後、この響きがちゃんと聴こえないと駄目なオーディオだと思った。
これが、それらしく聴こえるためにはMCカートリッジは必須とも感じた。
CDの時代になっても、これが装置のひとつの目安だと思う。

ところで、こういう良い音というのを先日テレビでやってたと気づいた。
それは家内の故郷の物産でもある「明珍火箸」。
http://www.e-himeji.com/myochin.htm

これでトライアングルを作ったら、さぞかし良い音色じゃなかろうか?
しかし、余韻が長く尾を引くので、楽器としては問題かもしれない。
風鈴としては良さそうだし、最近、地震があっても揺れが小さいので分かりにくい。
これが室内にぶら下がっていたら、あ、揺れたな、と気づくかな、とも思った。
しかし、かなり高価であるし、先が尖っているので、落ちたら危険かも。
う〜ん。迷いますねえ。

No.238 - 2011/06/12(Sun) 11:52:10