NHKプレミアムの新日本風土記を見ていたら、お人形の話あれこれだった。 印象に残ったのが文楽人形。 なぜ人形でなければならないのか。人形が演じることが何故重要なのか。 その答えは、よけいなものが入り込まない、ということ。 人間が演じてしまうと、その人間の不純な表情や演技が入り込んでしまうのだ。 雑味がない。ピュアである。これが人形を使うことの醍醐味だったのである。
私がアニメじゃないと嫌だと思うことの答えがここにあったと思った。 アニメじゃないと描けない世界がある。 写真じゃなく絵画でなければ描けない面とも繋がる。
「もしドラ」の主人公=川島みなみは子供の頃、野球が大好きだった。 「おい、みなみ、子供の頃、二人でよく行ったバッティングセンター…… 久しぶりに寄ってみないか?」 「ひゅー!! さすがみなみ!!」 「オマエ、やっぱりスゴイな、何年たっても体は覚えているもんだな」 「もういいよ……そんな話は……」
……小さい頃、私は野球少女だった。 「私、プロ野球選手になれる?」 「なれるさ! 一生懸命、練習すればな!!」(父) 男の子が産まれたら野球選手にしたいと願っていた父は私に野球を教えた。 でも、6年生になる頃から周りの男の子たちはどんどん体が大きくなった。 そして、私よりもずっとヘタだった次郎ちゃんも、めきめきと実力を伸ばして いった。私はついにレギュラーを降ろされた。 「……え?」 「私……プロ野球選手になれないの?」 「なれないのね……」 周りのみんなが知っていたのに、私だけが知らなかった…… 私は裏切られたと思って、野球をやめた……
こういう世界を実写で描けるのか。無理でしょう。 AKBの女の子じゃ、そんな鋭い打撃フォームなんか出来るわけがないじゃん。 でも、そうでなきゃ、「もしドラ」のみなみを演じる資格がないはず。
資格と言えば、下の場面をどうぞ。 「学ぶ事のできない資質、後天的に獲得できない資質」 「始めから身につけていなければならない資質が一つだけある」 「才能ではない真摯さである」 どこかの国の総理にもっとも欠けている要素ではないだろうか? アニメから学ぶべき点はこの世に多過ぎる。
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No.244 - 2011/06/26(Sun) 13:07:55
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