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記事No.64に関するスレッドです

敗戦65周年 / インファント
子供の頃、家に軍歌や戦時歌謡のSP盤がいっぱいあって玩具代わりに私がそれを
手巻き蓄音機で聞いていたことは既に書いたが、それらは祖父母/父母にとっては
忌わしい思い出なので棄ててしまいたかったのだろうと思う。
しかし、物を大事にする世代なので、私の玩具に二次活用したのだろう。
傷つけても割っても怒られることなどなかった。ハガキに鉄針を付けてトレースし、
これでも音が出る、なんて面白がっていた記憶がある。
ある時、ゼンマイ板が切れてしまってハンドルが急激に逆転して親指を怪我したが、
その後、この蓄音機は修理もせずに棄ててしまい。その後、電蓄となった。

同じように戦前から戦中にかけての写真集と思われる立派な装幀の本を私にくれた。
これは満州をはじめとする当時の植民地の風景写真集だった。
また日本の軍艦の写真集も貰ったように思う。なんだか古臭い艦船の写真ばかりで
大和だとかは載っていなかったと思う。戦車とか巨大砲台なんかも写ってた。
いずれもモノクロ写真に人工彩色した代物だった。
何故、私にくれたのかというと、裏面を落書き帳として、これも二次活用させたのだ。
紙の質は素晴らしかったので裏だってスベスベしてて、いっぱいお絵書きして遊んだ。

今になって思えば、あれはお宝鑑定団ものだったと思うけど、当時は不要品だった。
そこに写っていた(描かれていた?)満州、台湾、朝鮮の新建築群は見事であったし、
みすぼらしい戦後の自分の周囲の景色に比べて超近代国家のようだった。
なんでも朝鮮戦争で殆ど破壊されてしまったとのことだ。惜しいものだ。
あれは貧乏な日本なのに、かなり無理して外地への資本投下をしたのだろう。
社会的インフラ整備を色んな面でやったのに、そういうことは軽視されているようだ。

良い事をしているつもりだったとしても現地の人にとっては「余計なお世話」としか
受取られなかったようだ。そりゃそうかもしれないね。
実際、どうだったのか確信はないけど、朝鮮などへ渡航した日本人はかなりレベルの
低いゴロツキが多く、いわばヤクザ者みたいなのが悪行の限りを尽したようであった。
遺伝子上は殆ど同じか近似している人間に接するのに、奴隷扱いにして暴虐を行えば、
当然のように拒否反応を起こすに決まってる。そこに問題の核心があると思われる。

どういう教育をしたのか、知りたいところだが、お袋に、なんで朝鮮の人をあんなに
見下すのかわからない、同じ人間なのにね、と子供心の素直な気持で話していたが、
傍に居た親父が血相を変えて、お前に何がわかるんだ、分ったような事を言うな!
なんて怒鳴られ、殴られそうになったので、お袋が、謝りなさいと私に言ったのだ。
実際、もっと小さい頃は酷い折檻があったようで、今なら親父は虐待犯罪者だろう。
子供にだってわかる道理が全く通用しないなんて、マインドコントロールを施され、
精神異常状態を根深く植え付けられたのが当時の日本人だったと私は実感する。

下の写真は戦後、アメリカ進駐軍の兵隊さんが写した祖母と私のスナップである。
進駐軍の鉄条網の周りの道はどうやらお散歩コースだったようだ。
難民みたいな酷い恰好をしていると思われるが、当時の日本人の普通の状態だろう。
英語なんか出来るわけがない祖母なのに、どうしてコミニュケーションが出来たのか、
写してくれた時と、後日、写真をくれた時の最低2回は会話があったのだろうに。
きっと笑顔だけで意思疎通が出来たのじゃないかしら。民間外交は笑顔でオーケーだ。
進駐軍の兵隊など恐ろしくはなかったのかと聞くと、陽気で気のいい連中といった
イメージを持ったそうだ。鬼のようなというのはウソだったわけだ。
バーベキューみたいなことを良くやっていたようで、美味しそうな匂いがするので、
こういう裕福な国と戦うなんて、とんでもなく無謀だったのにと実感したそうだ。

No.64 - 2010/08/14(Sat) 07:58:28