「ライナスの毛布」は、ピーナッツ・ファンなら良くご存知の事象です。 なんて書くと、私、ザ・ピーナッツ・ファンだけど、そんなの知らないわとなりそう。 そりゃそうです。漫画「ピーナッツ」に登場するライナスがいつも肌身離さず毛布を 持っていることに起因する心理学用語らしいので、安心毛布とも称します。 人が物などをマスコットとして執着している状態であり、お気に入りとか愛着を示す 有様は他人では推し量れない面があるのです。
娘も生まれた時から綿入れのガーゼ毛布(名前がわからない)みたいなのが大好きで、 それがないとご不満のようであったが次第にボロボロになるので、同じ品物を何とか 見つけようと思って、あちこち捜しまわり、やっと見つけたが、工業製品であって、 全く同じなのに、ちょっぴり拒否をするのだ。 仕方なく、旧品と新品を一緒にして暫く様子を見ていたら、徐々にそっちにも愛着を 示して、古い方は繕いながら、少しづつ手放すように仕向けていったのだった。
同じようにヌイグルミの子犬が大層お気に入りで、ずっと持っているために毛が抜け、 痩せ犬状態になってくるので、同じヌイグルミを売っていないものか、これも探索し、 たしか横浜高島屋で売ってたと思うが、早速買ってきた。 やれやれ、これで代替品となったかと思いきや、ペアでマスコットにしてしまった。 結婚したのに、これも一緒に連れて行ってしまい。いまだに愛玩しているようだ。 きっと、あの世へ旅立つ時にもお棺に入れさせるつもりなんじゃなかろうか。 ちなみにこのヌイグルミは「ちゃーべー」という。茶色だからであろう。
昔、私がたぶん日光への修学旅行で買ってきたお土産の「竹の笛」が弟のそれだった。 おそらく開いている穴が窓のように見えるのか、それは彼の脳内で旅客機になったり、 列車、バスなどあらゆる物に変化するのだろう。それで一人遊びをしていた。 そういう脳内妄想の世界は無意味じゃなく将来、なにかの役に立っていると私は思う。 現在はプラントの3次元配管設計みたいなことをやってるようだけど、それも脳内で イメージを膨らませることが出来ない人は達人にはなれないのではと思うのだ。
添付した画像は「ぽっかぽか」という漫画の一場面である。 遊園地へお出かけの日「くんちゃん」というヌイグルミも一緒に連れて行くと言って、 抱えて出かけたのだが、余りにも楽しかったのだろうか、途中でくんちゃんを紛失。 大層落ち込んでいる娘を口では叱ったものの、可哀そうに思って同じヌイグルミを なんとか入手出来ないか両親は奔走するのだった。 くんちゃんは奥さんの友人がプレゼントしてくれたものなので、その友人に入手経路 を思い出してもらって、劇的エピソードを経て、やっとの思いで手に入ったのだ。
ところが、これはくんちゃんじゃない、と拒絶したのだ。 均一に作られている筈であっても、子供には違いがわかるのだ。いやあ共感しますよ。 父と母は、くんちゃんは他の淋しい子供のところへ行ってあげたんだよ、と説得する。 やがて、新しいヌイグルミは「あたらくん」という名で新しい友達となってゆく。 ここで大事なことは子供の心を理解してあげるということだろう。 小さくたって子供にも立派な人格というものがあり大人の価値観で決めつけられない。
そもそも人間のDNAは少なく見積もっても一億年という生存のための蓄積がある筈。 生まれた時点で大変な生きる事の経験者であることを忘れてはならない。 それをゼロと錯覚するので育児の迷信が蔓延るのだと思う。 赤ん坊は泣くのが仕事などというが、それも大間違いだ。意味があるから泣くのだ。 まだ社会に出ているわけではないので、泣く理由は十指にも満たない。いずれかだ。 何故泣いているのか、親なんだからわからなくちゃおかしい。観察力の問題だろう。
初乳を飲ませてはいけないなんていう過去の大迷信にもあるように親としての本能を 誤らせてしまう悪い言葉がいくつもあるが、「抱き癖をつけない」なんてのもそうだ。 事情の許す限り、時間の許す限り抱いてあげれば良いのだ。自然な感覚じゃないか。 赤ちゃんから子供に成長してゆく過程で、抱いてあげる、いつも一緒にいてあげる、 このような「絶対安心」という概念は必要なのだというし、私も全く同感です。 深層心理面で、自分は必要な人間なのだ、愛されているのだ、価値のある人間なのだ、 そういう人間のベースになる観念は理屈じゃなく幼年期に形成されると思う。
「過保護」という言葉が蔓延するのも悪い傾向だと思う。 自分で自分のことが全て出来るようになるまでは、つまり幼年期は気を配りサポート してあげなけりゃ駄目なのです。面倒臭いからやらないのを過保護にしないからだと 偽ってはいけません。 両親というのは子供が家を巣立つまで、完璧に幸せだったと思ってもらう義務がある。 伴侶をみつけて新しい家庭を作るまでは両親の責任/義務で子供に幸せを満喫させる べきであり、それはそんなに困難なものではない。物理的/金銭的じゃないからだ。
「家族サービス」などという言葉も嫌いだ。反吐が出そうだ。 我が家はマイカーもないし旅行など殆ど行ったことはないけど、それが本質じゃない。 子供は遊園地などへのお出かけイベントだけを期待しているわけじゃないのだ。 「ぽっかぽか」の漫画でも、どこへ行きたい? と子供にきくと「コーエン」と言う。 近くの公園で良いのである。父や母と一緒なら、どこに居たって楽しいものなのだ。 それより、毎日、早く帰ってきて、子供と遊んであげることが真のサービスだろう。 団地のブランコ、滑り台、砂場、凧上げや、ボール遊びで子供は十分楽しいのです。
ところで、私の「ライナスの毛布」は、ザ・ピーナッツなのかなあ……。
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No.78 - 2010/08/26(Thu) 06:51:08
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