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パロディ
/ インファント
引用
下の画像は隠し芸大会の一幕「雪之丞変化」を演じるザ・ピーナッツである。
雪之丞変化は三上於菟吉がジョンストン・マッカレーの『双生児の復讐』を下敷きに、
歌舞伎『白浪五人男』の弁天小僧や『三人吉三』のお嬢吉三などからヒントを得て
翻案したものである。
普段はある姿の主人公が、時にまったく別の姿を見せ、最後にその実体を敵に現す、
という変身の構図は、後代の『多羅尾伴内』や『キューティハニー』などに連なる
「変化ヒーロー物」の先駆けとなった。(ウィキペディアより)
こういう背景を知らないと、ザ・ピーナッツがやっている意味、面白さがわからない。
http://homepage.mac.com/infant/home/Skiji38424.html
↑
ここで、漫才師に扮した中尾ミエが何故、右手首を舐めているのかわかるでしょうか?
三味線を弾く時に、胴と手首が滑らないように唾液で湿らせている。細かい描写です。
要は本物が理解出来ないとパロディの面白さもわからないということ。
隠し芸というバラエティであっても、色々と芸の細かいお勉強をしていたのだろう。
最近は面白けりゃいいというだけの無教養な知的水準の低いものばかりだ。
屋根の上の立ち回りとくれば、弁天小僧菊之助である。三浦洸一の歌でも有名だろう。
これを国立劇場へ見にいったことがある。歌舞伎の正式名は青砥稿花紅彩画という。
第二場(極楽寺山門の場)の駄右衛門登場に至る「がんどう返し」がとても凄かった。
このどんでん返しは特撮マニアもびっくりすることうけあい。すごいスケール。
こんなアイディアを江戸時代とかでやってたなんて、いやはや、日本人は凄い。
日本の特撮って技術そのものより、構図とか画がきれいなんだと私は思う。
その原点の美的感覚は絶対に歌舞伎の舞台からきてるのだと確信します。DNAです。
No.80 - 2010/08/28(Sat) 11:49:31
☆
気に病むこと
/ インファント
引用
国立劇場で歌舞伎なんて書くと年中行ってたみたいですが、それは違います。
22歳の時に、お見合いというか、強制デートさせられたのです。
ザ・ピーナッツというバーチャル・アイドルにばかり夢中になってる息子をみて、
こりゃ駄目だ、なんとか生身の女性を好きになってもらわなきゃと思ったのでしょう。
むこうのお袋さんとは親しいので、当人同士を逢わせてしまおうという作戦です。
その場所が国立劇場だったというわけです。
あまり詳しくは覚えていませんが、デートコース、タイムスケジュールなんか全部が
決まっていて、どのタイミングで幕の内弁当を食べるとか、お土産に何を買うとか、
全部教えてもらってたイメージがありました。
なんで親の言いなりになるのか、という疑問もあるでしょうが、子供のことを真剣に
考えてくれているわけですから、逆らおうなんて少しも思いませんでした。
お互い初対面でしたが、可愛らしいお嬢さんだなと思いました。眼が綺麗だなあとも。
しかし、ザ・ピーナッツしか好きじゃないので、綺麗だろうと美しかろうと駄目です。
お弁当を頂いた後は、京鹿子娘道成寺の踊りです。豪華絢爛、夢のような舞台です。
踊りも素晴らしいけど、これ名曲です。すっかりテンションアップ。
帰宅して、どうだったの? なんて聞かれても、凄い舞台だった。良かった、ばかり。
何しに行ったんだろ、このバカ息子、てなもんだと思います。
結局、お相手にお詫びする結果に……今、考えると、とんでもない親不孝者です。
それよりも、もし彼女が、こちらを気に入ってくれていたとしたら……。
そう思うと、10年以上も経ってから、それを気に病んでしまうようになりました。
他人を傷つけたり、嫌な思いをさせたりすると、死んでから閻魔さまに判定されて、
地獄へ放り出されるような気がするので、人を泣かせたりすることのないようにと
気づかってはいるつもりなんですが、あれは絶対にマイナスポイントだよなあ、と
いつまでも気になってます。どうなんだろう? 死んでみないとわからないけど。
No.81 - 2010/08/28(Sat) 17:04:23
★
自分は傍役
/ インファント
引用
何かの教材に遠藤周作さんの随筆が引用されていて、それが記憶に残っている。
我々は自分の人生では自分が主役だと思っている。10人が10人そうだろう。
それは間違いじゃないのだが、人との関係ではどうだろう。
自分の奥さんや子供を、ひょっとして傍役だと思ってはいないだろうか?
それは視点の中心が自分だから、それ自体、ミスじゃないのだが、奥さんや子供の
側から考えれば、こっちの方が傍役なのである、ということ。
奥さんの人生舞台にとって旦那さんは傍役であり、子供にとって両親は傍役なのだ。
世間一般に、ご主人様とか家長とかいわれるので、その気になってしまいがちだが、
実は「主」じゃなくて、なにを中心に置くかで、みんなが「傍」なんである。
古今東西、名画、名ドラマなんてものは、主役だけ良くても作品は傑作にはならない。
ある意味でみんなが主役なのであって、そこを勘違いすると上手くいかないだろう。
昔は教育勅語なんてのがあって、長幼の序とか親を敬えなんてことが指導されていた。
それ自体は間違いとも言えないが、絶対的価値観がそこにあるわけじゃない。
自分が主だと思い込むことで世の中が全て敵になったり、生き方が辛くなってしまう。
傍役の楽しさ、面白さという醍醐味に目覚めなくてはならない。
会社勤めをするにあたって、これは当然のように自分の思い通りにはならない世界に
入るのだという心構えはあった。学歴もないし、立身出世など考えたこともなかった。
しかし、意外や意外、そういうコンプレックスを感じたことがなかったんだよなあ!
入社したての頃は、軍隊でいう古年兵みたいなのが、いじめっぽいことをしたのだが、
こういうことは学校だって日常茶飯事であり、会社勤めに限ったことじゃなかった。
本当に想定外だと思ったのは、仕事を任せて頂けることだ。無学/無教養な自分にだ。
それと仕事を改革するのには役職のような看板など無くても出来るということだった。
いざという時に役立つのは日頃の幅広い知識と、非公式な人脈である。
これに詳しいのは誰だ、誰が助けてくれそうか。なので、自分が万能な必要性は無い。
お酒が飲めないので、そういう付き合いじゃなく、色々な場面での信頼感の醸成だ。
本来、何の権限も与えられていなくても、それが出来る方がとっても面白いのだ。
サラリーマンなんてのは社長にでもならなきゃ少しぐらい偉くなっても傍役なんです。
もしかすると社長だって傍役かも知れない。
世の中には主従なんてものはないのだろう。状況次第で役が回っているだけなのかも。
だから、子育て中なんてのは、子供が主役で周りは全てサポートする傍役なのだ。
そういうことがわからないから、とんでもない悲劇が生まれてしまうに違いない。
No.79 - 2010/08/28(Sat) 08:40:52
★
ライナスの毛布
/ インファント
引用
「ライナスの毛布」は、ピーナッツ・ファンなら良くご存知の事象です。
なんて書くと、私、ザ・ピーナッツ・ファンだけど、そんなの知らないわとなりそう。
そりゃそうです。漫画「ピーナッツ」に登場するライナスがいつも肌身離さず毛布を
持っていることに起因する心理学用語らしいので、安心毛布とも称します。
人が物などをマスコットとして執着している状態であり、お気に入りとか愛着を示す
有様は他人では推し量れない面があるのです。
娘も生まれた時から綿入れのガーゼ毛布(名前がわからない)みたいなのが大好きで、
それがないとご不満のようであったが次第にボロボロになるので、同じ品物を何とか
見つけようと思って、あちこち捜しまわり、やっと見つけたが、工業製品であって、
全く同じなのに、ちょっぴり拒否をするのだ。
仕方なく、旧品と新品を一緒にして暫く様子を見ていたら、徐々にそっちにも愛着を
示して、古い方は繕いながら、少しづつ手放すように仕向けていったのだった。
同じようにヌイグルミの子犬が大層お気に入りで、ずっと持っているために毛が抜け、
痩せ犬状態になってくるので、同じヌイグルミを売っていないものか、これも探索し、
たしか横浜高島屋で売ってたと思うが、早速買ってきた。
やれやれ、これで代替品となったかと思いきや、ペアでマスコットにしてしまった。
結婚したのに、これも一緒に連れて行ってしまい。いまだに愛玩しているようだ。
きっと、あの世へ旅立つ時にもお棺に入れさせるつもりなんじゃなかろうか。
ちなみにこのヌイグルミは「ちゃーべー」という。茶色だからであろう。
昔、私がたぶん日光への修学旅行で買ってきたお土産の「竹の笛」が弟のそれだった。
おそらく開いている穴が窓のように見えるのか、それは彼の脳内で旅客機になったり、
列車、バスなどあらゆる物に変化するのだろう。それで一人遊びをしていた。
そういう脳内妄想の世界は無意味じゃなく将来、なにかの役に立っていると私は思う。
現在はプラントの3次元配管設計みたいなことをやってるようだけど、それも脳内で
イメージを膨らませることが出来ない人は達人にはなれないのではと思うのだ。
添付した画像は「ぽっかぽか」という漫画の一場面である。
遊園地へお出かけの日「くんちゃん」というヌイグルミも一緒に連れて行くと言って、
抱えて出かけたのだが、余りにも楽しかったのだろうか、途中でくんちゃんを紛失。
大層落ち込んでいる娘を口では叱ったものの、可哀そうに思って同じヌイグルミを
なんとか入手出来ないか両親は奔走するのだった。
くんちゃんは奥さんの友人がプレゼントしてくれたものなので、その友人に入手経路
を思い出してもらって、劇的エピソードを経て、やっとの思いで手に入ったのだ。
ところが、これはくんちゃんじゃない、と拒絶したのだ。
均一に作られている筈であっても、子供には違いがわかるのだ。いやあ共感しますよ。
父と母は、くんちゃんは他の淋しい子供のところへ行ってあげたんだよ、と説得する。
やがて、新しいヌイグルミは「あたらくん」という名で新しい友達となってゆく。
ここで大事なことは子供の心を理解してあげるということだろう。
小さくたって子供にも立派な人格というものがあり大人の価値観で決めつけられない。
そもそも人間のDNAは少なく見積もっても一億年という生存のための蓄積がある筈。
生まれた時点で大変な生きる事の経験者であることを忘れてはならない。
それをゼロと錯覚するので育児の迷信が蔓延るのだと思う。
赤ん坊は泣くのが仕事などというが、それも大間違いだ。意味があるから泣くのだ。
まだ社会に出ているわけではないので、泣く理由は十指にも満たない。いずれかだ。
何故泣いているのか、親なんだからわからなくちゃおかしい。観察力の問題だろう。
初乳を飲ませてはいけないなんていう過去の大迷信にもあるように親としての本能を
誤らせてしまう悪い言葉がいくつもあるが、「抱き癖をつけない」なんてのもそうだ。
事情の許す限り、時間の許す限り抱いてあげれば良いのだ。自然な感覚じゃないか。
赤ちゃんから子供に成長してゆく過程で、抱いてあげる、いつも一緒にいてあげる、
このような「絶対安心」という概念は必要なのだというし、私も全く同感です。
深層心理面で、自分は必要な人間なのだ、愛されているのだ、価値のある人間なのだ、
そういう人間のベースになる観念は理屈じゃなく幼年期に形成されると思う。
「過保護」という言葉が蔓延するのも悪い傾向だと思う。
自分で自分のことが全て出来るようになるまでは、つまり幼年期は気を配りサポート
してあげなけりゃ駄目なのです。面倒臭いからやらないのを過保護にしないからだと
偽ってはいけません。
両親というのは子供が家を巣立つまで、完璧に幸せだったと思ってもらう義務がある。
伴侶をみつけて新しい家庭を作るまでは両親の責任/義務で子供に幸せを満喫させる
べきであり、それはそんなに困難なものではない。物理的/金銭的じゃないからだ。
「家族サービス」などという言葉も嫌いだ。反吐が出そうだ。
我が家はマイカーもないし旅行など殆ど行ったことはないけど、それが本質じゃない。
子供は遊園地などへのお出かけイベントだけを期待しているわけじゃないのだ。
「ぽっかぽか」の漫画でも、どこへ行きたい? と子供にきくと「コーエン」と言う。
近くの公園で良いのである。父や母と一緒なら、どこに居たって楽しいものなのだ。
それより、毎日、早く帰ってきて、子供と遊んであげることが真のサービスだろう。
団地のブランコ、滑り台、砂場、凧上げや、ボール遊びで子供は十分楽しいのです。
ところで、私の「ライナスの毛布」は、ザ・ピーナッツなのかなあ……。
No.78 - 2010/08/26(Thu) 06:51:08
★
変な会社
/ インファント
引用
下の写真、なんだと思いますか? 元勤務先の運動会なんです。
昭和40年代は毎年秋にこういうのをやってました。
運動会なんだから運動が主なはずなんですが、仮装行列賞、応援賞があり、総合点で
優勝チームが決まるルールなんです。
左の孫悟空仮装は分身の術でハリボテの岩山から多数の孫悟空が現われるというわけ。
右のマージャン牌はピエロが体操演技をしているうちに牌が変化するというマジック。
バックの各チームのモニュメントも半端じゃない規模です。
運動会が近づくと各チームはそれぞれビッグ・プロジェクトを作ります。
運動神経の良い者は、競技に向けてトレーニングを始めますし、各個人の持っている
持ち味を総結集するということになります。
応援合戦という時間が設けられていますが、その時間だけじゃなく、丸一日が応援で、
いかに本部席の評価を得るか、出し物には多彩さ、以外さ、華やかさなど知恵を絞り、
目を惹くための工夫をします。
外周道路で自動車事故があり、乗用車の前部座席に乗っていた二人が即死するという
痛ましい事故があり警察が原因を追求したところ、あるチームの女性応援グループが
ラインダンスの練習をしていたことがわかった。総勢200名というラインダンスは
それは見応えがあったのだが、その練習にドライバーは見蕩れてしまったのだろう。
停車していたダンプカーにブレーキなしで激突してしまったらしい。
警察から内々に見えない場所でやってください、とお願いがあったとか。
なにをするにも先立つものはお金である。資金調達は大変。会社からの交付金だけで
ビッグ・プロジェクトは運営出来ない。どうやって集めるのか私はわからなかった。
色々な科目でインチキに資材を買い求めなきゃだめで、それには一年がかりで計画的に
資材を調達し、隠し場所に隠ぺいしておかなきゃならない。
あなたの課でこんなものは不要でしょうなんて野暮なことを資材担当は言わない。
竹材の調達に仕事中に山へ出かけ、切り出したこともあった。(地主了解のもとです)
デコレーションなどを制作する場所も目隠ししていた。秘密基地である。
どのように搬出するのかも計算し尽していたし、風雨への対応もちゃんと考えていた。
作業員の確保も大変だ。いきあたりばったりじゃなく使役要員の工数計算していた。
当然、生産活動も無事遂行しなきゃならないが、ほぼ半数の人数で動かせていたのだ。
夕飯の担当も居て、ほとんどインスタントラーメンだったが蒸気設備でこしらえた。
追い込み時期になると皆、気が立ってくる。休暇なんかとりにくくなる。
ステージ裏にはちゃんと大きな更衣室兼楽屋も設置(勿論男女別)、タイムキーパー
の指示のもと、円滑に進めなきゃならない。当然リハーサルもやった。
前の平場でのんびり見てるのは従業員の家族だけ。
会場が静かになるとチャンスなので、予定外でもすぐ出来る出し物をやったりする。
各チームが競うのだから、人智の限りみたいなアイディアが凄かった。凄過ぎる。
私自身は最初こういうのがイヤでしょうがなかった。
紙粘土で造型したり、ベニヤ板を切ったり、色を塗ったり、上手くないし。
ちゃんとやってないと先輩が怒鳴り散らす。もう軍隊かここは、みたいな酷いこと。
そのうち要領良く出来るようになると、今度はリーダーシップをとりたくなっちゃった。
何年か後には仕事そっちのけで朝から晩までずっとこれに掛かりきり。
結果的に、あの頃は面白かったなあ、という思い出になりました。
競技が主の人は外が暗くなったらお終いなのだが、設営関係はそうはいかなかった。
寮に入っていた人達は休日でも出てきて作っていたらしい。滅私奉公だねこりゃ。
全時間じゃないけど、残業3時間やったら、1.5時間時間外手当がついたりもした。
おいおい、そんなことしちゃっていいのかなあ、と思う、変な会社でした。
No.74 - 2010/08/24(Tue) 09:56:15
☆
変な会社(2)
/ インファント
引用
会社では毎月のように色々なイベントが開催されていた。
納涼大会(盆踊り)、駅伝大会、ダンスパーティ、お花見、社会見学会(遠足)、
その他ニーズに応じて色んなアイディアで家族と企業、地域との親和を図ってた。
会社の中をミニ蒸気機関車(みんなが客車に乗れる)を走らせたり、移動動物園を
招いたり、売れていない頃の小林幸子さんとかコロッケさんとかお笑い芸人などが
やってきた。そのどれもが事業場の敷地内で出来たところが素敵だったのだ。
お金を出してイベント屋さんにやって頂くという面は極めて少なくて歌手や楽団が
来るにしても前座は自分達がやったのだ。どこかのホールを借りる催しじゃない。
コスト面ではムダだと思うが、そういう問題じゃない。面白さ楽しさが違うんだ。
当時の社長がまた面白い人で、突然のように僻地のこの工場へ訪れる。
リンカーンがやって来たら、それは社長なのだ。
なにか変わったことはないか。何でも教えなさいという感じだったようだ。
ある日、私が職場を留守にしていた時、社長の大名行列がやって来たらしかった。
私の開発した某システムを見学してたんだという。課長が大慌てで対応したらしい。
なんかとても嬉しかったなあ。昇給とかそういうご褒美よりずっと嬉しかった。
ちっぽけな会社なんだろう、と思うのは早合点。
2007年度(それしかネット記事がないので)の納税額は日本のベスト3です。
そんな超優良企業だと知ってる人が極めて少ないのが面白い。
蛇の道はヘビで、株式投資なんかやってる人は常識のように知ってるみたいだ。
地域の住民もあまり事業規模などご存知ない。実に不思議な会社だなあと思う。
No.77 - 2010/08/25(Wed) 09:18:40
★
子は鎹
/ インファント
引用
今朝は暑くて早朝に目が覚めてしまいました。
ボンヤリとNHKのおはよう日本を見ていたら、在日ブラジル人のお子さんと日本人の子供とが
一緒に遊ばないことに心を痛めていた町内会の会長さん(たぶん?)が一計を案じて盆踊りの
なかでサンバを一緒に踊ったらどうかと、子供たちを中心に練習をしたり、これがなかなか
盛り上がって、日本人もブラジル人も来年もやりたいと大評判だったという。
http://www.hgu.ac.jp/nsupport/hs/mod/blog/index.php?mode=detail&article=88
ここで思ったのは「子は鎹(かすがい)」だなあ、ということ。
一般的には、夫婦の仲を和やかにし取り持つのが子供だという意味で用いられる。
昔、そういう落語があったはず。
しかし、私は、もっと広義に解釈したい。
娘が生まれるまで、団地の住民で顔馴染みなんてのはほとんどいなかったと思う。
ところが、子供を通じてお友達の輪がぐーんと広がるのだ。
○○ちゃんのパパという認識を広く持って頂けることになったのだ。
先日、妙齢の綺麗なお嬢さんから、道路上で「こんにちわ」とにこやかに挨拶された。
はて、こんな美しい人は知らないぞ、と不審に思ったが、とっさにこっちも会釈した。
しばらく歩いてから「あ、そうか!」と声に出して気づいた。通りがかった人は???
家によく遊びに来ていた娘の友達の妹さんだったのだ。ああ、○○○ちゃんかあ!
帰宅してから、いやあ、奇麗なお嬢さんから挨拶されてびっくりしたよと家内に言ったら、
あんたバカあ、娘も大人になったら、友達も大人になるに決まってるでしょ、それになによ、
綺麗じゃないとびっくりしないのか、男はこれだからダメだ、みたいな感じで叱られた。
でも、まあ、しかし、よそよそしくされるよりは良かったなあと思ってしまう。
きっとご両親の育て方も良いのだろうとも思った。
昔と違って、子供たちは物怖じしない。よその親父など私の子供時代は鬼みたいに感じてた。
家に私が居たって全然平気で、のびのびと遊んでいるし、むしろ、一緒に遊びたがっている。
「セーラームーン劇場版」の第1作目を伊勢佐木町東映に観に行った時も、うちの子供も
一緒に連れて行ってという感じで、同じ幼稚園の子も預かった。
初日だったせいか、大変な混みようで、早く着いたのに、もう立ち見しかありませんという。
こういう場面は長い人生で散々経験してるので、紙袋で持参した古新聞紙が役に立ったのだ。
通路にそれを敷いて、座ってしまえばいいのだ。それは誰もやっていなかった。先手必勝だ。
亀の甲より年の功。40代のパパでなきゃ、出来ない芸当である。
ふと気づくと私らの真似をして後ろの通路がいっぱいになっていた。(笑)
中学校のクラス会で大笑いしたエピソードがある。
何十年ぶりかで級友の家に行った彼を、○○だよ、母さん覚えてるかなあ、と紹介すると、
まあ、○○くん! 大きくなったわねえ…と言われたそうだ。
いやあ、もうこっちはすっかりジジイなのに、大きくなったはないよなあ……。
親にとっては我が子もその友達もいつまでも子供の面影に見えるのだろう。愉快だよね。
No.76 - 2010/08/25(Wed) 06:47:37
★
神サポ2
/ インファント
引用
今度はパイオニアのレーザー・ディスクを修理して頂いた時のお話です。
電器店じゃなくて娘のアニメ雑誌に、アニメLD5枚付き(リスト内から選ぶ)で
CLD−R5を25000円で、という広告が載ってたので購入。
それまで使っていた機器がA→Bの動作の時に引っ掛かってしまう状態だったので
渡りに船という感じだった。LD人気が既に落ち目の時期でした。
ところが電源を入れた途端、怪しいディスプレイ表示をして機器が死んでしまった。
普通の販売店じゃなくアニメ通販ショップなのでサポート窓口がわからず製造元の
パイオニアに相談してみたら、修理の人が来てくれることになった。
全然動かないので分かりやすい故障だから私は休暇もとらずに家内に対応依頼して
いたのだが、パイオニア(といっても関係修理会社だと思うけど)の方が診断して、
これは初期不良なので、交換してもらった方がいいですよ、とアドバイスされた。
本来はそういうことをしてはいけないのだろうが、たぶん家内の気の弱そうなのを
見かねて、販売店と折衝して新品を送る約束まで折衝してくれてしまいました。
機械は私の方から処分手続きをとりますと言って持っていってくれちゃった。
2日ほどして新品も到着し、メデタシ、メデタシなのだったが、普通は仕事として
そういう代行などしちゃいけないので、あくまで購入者の意思でということで……
なんて話を後で聞いても、なんか私も信じられない気持でポカンとしました。
それに、電話の返事を待っている時間で、「ちょっと見せて頂いていいですか?」
なんて言って我が家のオーディオセットを舐め回すように見ていたらしい。
「いいなあ……いいなあ!」の連発で、旦那さんは結構強烈なマニアなんですね。
「私は…全然わかんないんです」「欲しかった憧れのものばかりですよ。凄いな」
「おお、ダブル・アームだ」「やっぱ、セパレート・アンプですよねえ」等等…。
家内は内心、早く帰ってくれないかなあ……なんて思ってたそうです。
もう今度から休暇とって家にいてくれないと……はい、ごもっともでございます。
No.75 - 2010/08/24(Tue) 18:00:47
★
神サポ
/ インファント
引用
任天堂、ディズニー、ジッポー…“神サポ”“神対応”は本当か?(産経新聞)
「任天堂DSを修理に出すと無償で新品に交換してくれた」
「ジッポーライターはどんなに古くても無償で修理してくれる」
インターネット上には、企業のカスタマーサポート態勢の素晴らしさについての
“うわさ”が広がっている。「神サポ」「神対応」(神様のようなお客さま対応)
とも呼ばれ、まことしやかに語り継がれているサポートは真実なのだろうか。
という「神サポ」「神対応」という神話(伝説)がネット記事で紹介されていた。
色々な記事があったのだが、私はこのお話↓が気に入った。
<ディズニーランドのキャスト>
生まれてまもなく子供を失った夫婦へのサービスの話も有名だ。
「子供をディズニーランドに連れてくるのが夢だった夫婦は、ワールドバザールに
あるイーストサイド・カフェへ。かわいいお子様ランチがあるが、8歳以下でないと
注文することができない。スタッフに事情を話すと、こころよく注文を聞ききいれて
くれた上に『本日はよくきてくださいました。ご家族で楽しんでいってくださいね』
と子供がそこにいるかのように対応した」
きっとテーブルか座席には愛した子の写真が置いてあったんだろうなあ。
その場面が目に浮かぶではないか! おもてなし、とは、こういうことなのだろう。
この涙を誘う神サポについては、「ほかのレストランでもサービス業をやっている
ところならば、お客さまの心を酌んで同じように対応していると思う」
とオリエンタルランド広報からは“謙虚”な回答が返ってきた。
人間嫌いになるような人間不信の塊のようなニュースばかりのご時世なので、こんな
ほっとするネット記事は本当に心温まる思いがします。
私が忘れられない「神サポ」を受けたのは、パイオニア(株)のサービスでした。
当時、究極の静寂メカと評判だった、PL−41Cというプレーヤーを購入したが、
モーターの回転音など皆無、という雑誌記事を鵜呑みにしてしまったので、回転音が
するのはおかしい、とサポートを依頼した。
サービスマンが来宅し、これは正常ですが、一応保守部品と交換してみましょう、と
モーターを取り替えた。回転するものは全て音を出しますし、振動もするものです、
宣伝などでお客様に誤解を与えた面もあり、反省しなきゃいけないと思います。
これは本当に申し訳ないことをしてしまったと、今でもトラウマになっています。
サービスマンというのは修理だけが仕事ではありません。お客様にご納得頂けるよう、
安心して御愛用頂けるように勤めるのが仕事なので、謝って頂く必要はありませんよ、
というサービスマンを玄関の外まで見送って頭を下げました。
なれるわけはないけど、パイオニアの修理の仕事にすっかり憧れてしまいました。
(株)ラックスの当時の横浜営業所の対応にも驚いたことがありました。
故障したメインアンプのMQ−60を部屋の飾りにいいなと思って友人から頂戴した
ことがありましたが、見ているだけじゃ勿体ないと思い、なんとか復活出来ないかな
とラックスに相談したら、有料になりますが可能とのことなので修理を依頼した。
そしたら、ほとんど手間賃と送料だけで直ってしまったのです。
出力トランスという最もコストがかかっているものを両方とも交換しちゃっています。
トランス類は10年保障なのだということでした。(現在はどうなのか知りません)
ちなみにOY−15というトランスは音は抜群に良いが、独特の巻き方であり断線が
多いとかネット記事にありました。そんな伝説になるほどの銘機というわけです。
今は古臭い概念とされているナショナルのチェーン店というのがありますが、これも
ただ、販売競争に勝てばいいという量販店にはない良さがあると思います。
秋葉原で買ったナショナルのワープロの熱転写リボンを自宅近くのナショナル店でも
入手出来るのかなと思ってきいてみたら取り寄せてくれて、使い勝手は如何ですか?
なんて色々と聞かれた。とにかくお客様の声を知りたがっているのだ。
近年では電池で動くプリアンプの専用バッテリーも、ここで取り寄せて頂いた。
私自身は電気製品やらメカやらが好きなので量販店でも通販でも問題ないという面が
あるのですが、いつまでも脳味噌がボケないという保障はない。
3割4割当たり前という値引き合戦が本当に良いのだろうか。考えさせられます。
これからの高年齢化する日本では、むしろ地域密着/人的接触が必要であり、単純な
照明器具一つの交換でもナショナルのチェーン店のような面倒見の良いお店のような
スタイルは今後見直されるべきじゃなかろうか?
No.69 - 2010/08/22(Sun) 07:05:46
☆
Re: 神サポ
/ のりえ
引用
インファントさん こんばんわ。
毎日驚くような暑さが続いていますけれど
どうかご自愛くださいね。
すてきなお話に心温まりました。
大切なのは「心」ですね。
優しさや思いやりの気持ちを
いつも言葉や行動に添えたいと思いました。
ありがとうございます。
No.71 - 2010/08/23(Mon) 02:54:16
☆
神技結婚
/ インファント
引用
うだるような暑さというのは、こんな感じかなという毎日です。
インファントのプロフィールのページにもっと暑苦しくなる(笑)
写真を追加しました。年齢差=16歳と2ヶ月を超えた熱愛です。
http://homepage.mac.com/infant/home/yokogao.html
大切なのは「心」です。(盗作)
「愛情」というのは愛しいと思う気持と情けが組み合わさっています。
「恋」だけじゃ人間関係は末永く継続出来ませんよね。
昨今の世情では「愛」と「情」が希薄になっていることが残念です。
No.72 - 2010/08/23(Mon) 09:43:32
☆
Re: 神サポ
/ アクサン
引用
インファントさんの振りに勝手に反応してしまいまして・・・
OY−15は永久保障を謳っていましたが、オリエントコアのトランスの初期モデルは真空管の赤熱などの原因で過電流に耐え切れずレアショートを起こすことがありました。後期(FD‐?U)の頃はピッチの純度が下がったのでしょうかショートの前に断線に至ったわけです。あの独特のカービングのケースは現在では金型もないためコアの巻きなおしで対応しているようです。トランスの巻線が自然に切れることはまず無く、出力管の調整不良やプレート特性の変化(不純物混入)が原因です。ちなみにMQ−60はFDと同じメインアンプ構成でしたが、バイアスを1ボルトちょっこし深めに設定しました。ドライバー管も選別品です。特にNONNFB(無帰還)のMQ−60Cは出力管のおいしい所を存分に引き出したモデルです。後期になるとMQ‐68Cと言うNFBを切り替えられるモデルも登場しました。NFBをかけないと言うのは基本回路に余程の自信が無ければ出来ませんよね。ところでMQ−60にはKMQ−60と言うKITモデルもありました。KITとしては、後年の6CA7を使ったA−3500の方がヒットしましたが、こちらは基盤仕様。かなり作りやすいモデルでした。KMQ−60はラグ板配線の為、KITといえども生半可な半田技術では完成できません。KITで完成できなかった人はサービスセンターに持ち込むわけですが、曲芸配線を修復するのはまさに神サポ。電源を入れる緊張感はまた格別です。コンデンサの逆接続のパンクはざらで、配線を一から組みなおすこともありました。
今でこそCSと言う言葉が普通に語られますが当時のサービスは異端児の集まりでもありました。サービスの地位は低かったんです。
>今は古臭い概念とされているナショナルのチェーン店というのがありますが、これもただ、販売競争に勝てばいいという量販店にはない良さがあると思います。
お客様へのアフターサービスは販売店の重要な業務だったのです。商品は販売店から購入するのであって、メーカーからではなかったんですね。販売店もフェースtoフェースで顧客の好みを理解して製品のアドバイスをしたものです。お客様の信頼は販売店にあったのです。
量販中心の現在では、サービスは分業化されメーカーの仕事になっています。お客様への説明不足設置工事のミスなど全てメーカーの責任での対応になっているようです。これは極めて特殊な状態ですね。
スーパーで野菜や鮮魚を買って不満があって農家や漁師さんに苦情を言う人はいないと思います。
家電アドバイザーと言う試験がありますが、販売店のあり方を問いかける内容が沢山含まれています。
カセットテープの限界性能を引き出そうと意欲的な製品を送り出し続けた「ナカミチ」が倒産しました。インファントさんも以前言われたように「トランスポート」の重要さを問いつづけたメーカーでした。ジッターと言う振れを極限まで排するというのはメカ屋の永遠の課題ですね。ジャズファンのバイブル「スイングジャーナル」も休刊になってしまいました。
音楽ファンの耳はすごいですね。人間の神経は視覚に関するものがかなりしめているようですが、聴覚こそ人類の神秘ですよね。
オーディオファンと言うものも神がかっていまして、人間の感性の深さに驚愕することも何度となくありました。デジタルオーディオになって確かに見かけのスペックは向上しましたが、連続した情報を符号化している無理はごまかせないんですね。周波数特性をいくら上げてもBIT数の向上を測らなければ熟練したマニアの耳は満足させられません。なんと言ってもアナログのBITは無限なんですから。
ザ・ピーナッツの録音には限られたスペックを極限まで引き出そうとしていた努力が感じられます。
人間の聴覚に響く心地よさを知らなければ、あのような作品は残せなかったでしょう。オーディオ的な歌手としてはちあきなおみが良く取り上げられましたが、ピーナッツの深みはもっと語られても良かったと思います。
おっと余りの長文にパイオニアのこと書けなくなりました。また次の機会に。インファントさんの振りがありましたら。
No.73 - 2010/08/24(Tue) 00:31:14
★
子ども手当
/ インファント
引用
現在、税金から、子ども手当というものが支給されております。
そんなものが何故必要なのか、私の世代では変だなあ、と思ってしまうのです。
しかし、社会情勢が変わって来ているのかなと気づいたことがあります。
昨日、古い写真を探していたら、たまたま1999年の給与明細書が見つかり、
そこで、ああ、なるほど、と思い至りました。
扶養手当(家内と娘一人分で)=49500円
住宅手当(持ち家所有) =23500円
これが毎月なので、国から子ども手当なんぞ頂かなくても良かったわけです。
ところが、近頃は、扶養とか住宅手当なんか存在しない企業も多くなっている。
公務員などは今でも存在するでしょうが、民間は個人の生活補助なんかしない。
給与というものは雇い主から仕事の代償として頂くものなので独身であろうが
子供がいようが家がなかろうが関係ないというのが現代のドライな考え方です。
企業も従業員と一緒の家族みたいな感覚があった良い時代だったのでしょう。
なんでもかんでもドライに割り切るというのはイヤな時代になったもんです。
No.70 - 2010/08/22(Sun) 08:59:20
★
本屋さん大賞
/ インファント
引用
一月ほど前に買った本だったのだけど、週刊文春/夏の特大号の
R☆40本屋さん大賞/文庫本の部で「永遠の0(ゼロ)」が、
トップに選ばれていた。
書評とか見て本を買うのじゃなく、行き当たりばったりで出会う
本しか買わないので至って乱読/支離滅裂な選択しかしていない。
それが、たまたま当ってしまった感じ。
ゼロというのは零戦のことなのですが、SFっぽいような内容を
思い浮かべて買ったら、まあ、なんということでしょう。まさに
感涙ものなのでびっっくり。
予定調和みたいな、お涙頂戴じゃなく、話は次第に意外な方向へ
進み、引き込まれます。私もお薦めです。
零戦はやはり大傑作機なのであって、後年、落ちぶれた、なんて
ことはなかったんですねえ……。
No.68 - 2010/08/20(Fri) 15:42:39
★
人間の條件
/ インファント
引用
今日は終戦記念日なので、それに相応しい本を読んでみようと思った。
そこで思い出したのは、昔、読んだ、五味川純平の「人間の條件」。
最初に読んだのは中学生の頃だったと思うが、家にあったのだ。
ずーんと読みごたえはあったのだが、内容的によくわからないところが多かった。
再び読み直したのが高校時代で、これは確実に100%理解出来たと思う。
これは凄い小説だね、と母に言ったら、それがわかるようになったか……みたいな
顔をしていた。
その時の本は、三一書房という出版社で、文庫本で6巻だったと思う。
今日買ったのは岩波現代文庫となっていて、三冊に集約されているので分厚い感じ。
たしか……今でいう差別用語満載のはずだが……文学なのでそのままでしょうね。
さあ、読むぞ。
No.65 - 2010/08/15(Sun) 11:55:30
☆
Re: 人間の條件
/ アクサン
引用
インファントさんの終戦記念日に想う書き込みを拝見してとてもうなづける部分がありました。
私の母などは「負ける戦争を何故はじめたんだろう」などとよく言っていますが
当時は「負ける」戦いなんて誰も思っていなかったんでしょう。
今年はNHKでは「玉砕」が大きく取り上げられ、「証言記録」シリーズもとても意義があり重く語りかけるものがありました。
若い世代に戦争の歴史を理解して欲しいとの姿勢で製作された「色つきの悪夢〜カラー蘇える第二次世界大戦」もよく公共放送でゴールデンタイムにあの映像を放送したと感心しましたが、大陸、半島での日本にはもう少し踏み込むことが出来なかったようです。
http://www.nhk.or.jp/frontier/color/index.html
五味川純平の戦争文学は「人間の條件」「戦争と人間」ともに映画化され高い評価を受けました。学生時代、夏場には必ずオールナイト上映される「人間の條件」一挙上映、実に9時間30分)弁当もちで友人達と何度も徹夜で見に行きました。
過去にテレビ放送されたこともありましたし、加藤剛主演のテレビ映画も製作されたほどですから、今こそ放送してはどうかと思うのですが、表現が露骨な所もありますので難しいのかもしれませんね。
確かに私の世代でも歴史教育で近代史になると、お決まりのように時間切れになりました。
歴史と明治維新後の日本の近代史は別の科目にした方がいいんじゃないでしょうか。現代から維新までさかのぼって、何故戦争を回避できなかったのかを考える授業をしてもらいたいですね。
No.66 - 2010/08/15(Sun) 23:03:05
☆
歴史を学ぶ難しさ
/ インファント
引用
終戦記念日の前日はあちこちのテレビ局で色んな番組をやってましたので録画が
大変でした。娘からアニソン(アニメの歌のこと)番組の録画も頼まれたので、
ブルーレイでW録画し、テレビのHDでもと3番組同時録画で、もう大変でした。
そういう時間帯なので視聴率は低かったかも知れませんが、こういうのも↓
http://www.pjnews.net/news/828/20100816_4
普通は一般市民は自由な発言をしてパネラーがクールな解説で補足するという感じの
構成になるものなのだろうがセンターパネラーがホットになってしまった珍奇な展開。
これだから歴史をテーマに討論するなんてことは不毛論争になってしまうのだろう。
さて、なにが事実なのかニュートラルでクールで偏向の無いお勉強をしようとすると
これもまた難しい。
インターネット上のサイト記事などはある意図によるカラーリングが施されていて、
あまり信用がおけない面もあるように感じます。
上記の番組で、現在、朝鮮半島が南北に分割されてしまったのも日韓併合のせいだ、
という発言があったので、えっ、そういう風に教わっているのか! と驚いた。
不本意な植民地化によって併合させられたのだから、全土を独立国として承認せよと、
戦勝国(連合国側)にアピールする絶好のチャンスだったのではなかろうか?
後年起きた朝鮮戦争での犠牲者は、300〜500万人(実数不明?)という大惨事。
こちらの歴史認識と今でも停戦状態にある現状認識の方が100年前の出来事よりも
重大で切実な問題じゃないのかしら? 責める鉾先がちと違うような気も??
私がもし韓国人であったならば、日韓併合の時期ではなく、もっと歴史を遡るだろう。
1872年(明治5年)に日本が鎖国している朝鮮にお節介に開国を迫っている。
自国がなんとか無事に開国出来たので、あなたのとこも如何ですか、というわけだ。
朝鮮が欧米やロシアの植民地になっちゃうと、そこを突破口に日本を襲ってくるから
というのが本音だが、アメリカの黒船のやり方を参考にして軍艦で訪問しちゃった。
日本はただただ恐ろしくなった記憶があるので模倣したけど、朝鮮は怒っちゃった。
しかし、諦めない日本はそこからなんと38年も時間をかけて朝鮮を併合したのだ。
物凄く執念深いストーカー行為のようなものだ。
だから、併合100年じゃなく、あしかけ138年なのであります。
ちなみに、1906年(明治39年)初代統監に伊藤博文が就任するにあたっての
新聞記者へ語った抱負に、韓国官民とどこまでも協力し合っていくと表明した上、
「従来、韓国における我が国の挙動は大いに非難すべきであった。韓国人民に対する
や実に陵辱を極め、韓国人民をして、ついに涙を呑んでこれに屈服するのやむなきに
至らしめた。……かくのごとき非道の挙動はわが国民の態度として最も愼しまねばな
らないところである……以下略」という談話を残しているのだ。
これは戦後の日本の首相談話ではない。なんと、104年前にもこのようにお詫びの
意思表示をし、この時点で日本国民に反省をうながしているのだ。
この談話と10日に閣議決定した菅直人首相談話の間に違和感はなく筋が通っている。
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201008/2010081000343
ザ・ピーナッツへのファンの想いなんてのは、その点である程度自由だと憶います。
世界一の美女であり、世界最高の歌手です、と信じています、でも構わないでしょう。
美人の評価基準なんて無いし、音痴でもなけりゃ歌唱力の物差なんてありません。
ただし、事実認定が出来ない事象は、こう思う、こう感じる、というお断りが必要。
まあ、ある意味で人畜無害なのだから、コンテンツへのクレームは無いと思います。
政治や国交は、このような身贔屓が赦される世界とは違うので、感情論は抜きにして
事実から学ばねばならないでしょう。でも資料にも色が付いてるから難しいですね。
No.67 - 2010/08/17(Tue) 23:03:50
★
敗戦65周年
/ インファント
引用
子供の頃、家に軍歌や戦時歌謡のSP盤がいっぱいあって玩具代わりに私がそれを
手巻き蓄音機で聞いていたことは既に書いたが、それらは祖父母/父母にとっては
忌わしい思い出なので棄ててしまいたかったのだろうと思う。
しかし、物を大事にする世代なので、私の玩具に二次活用したのだろう。
傷つけても割っても怒られることなどなかった。ハガキに鉄針を付けてトレースし、
これでも音が出る、なんて面白がっていた記憶がある。
ある時、ゼンマイ板が切れてしまってハンドルが急激に逆転して親指を怪我したが、
その後、この蓄音機は修理もせずに棄ててしまい。その後、電蓄となった。
同じように戦前から戦中にかけての写真集と思われる立派な装幀の本を私にくれた。
これは満州をはじめとする当時の植民地の風景写真集だった。
また日本の軍艦の写真集も貰ったように思う。なんだか古臭い艦船の写真ばかりで
大和だとかは載っていなかったと思う。戦車とか巨大砲台なんかも写ってた。
いずれもモノクロ写真に人工彩色した代物だった。
何故、私にくれたのかというと、裏面を落書き帳として、これも二次活用させたのだ。
紙の質は素晴らしかったので裏だってスベスベしてて、いっぱいお絵書きして遊んだ。
今になって思えば、あれはお宝鑑定団ものだったと思うけど、当時は不要品だった。
そこに写っていた(描かれていた?)満州、台湾、朝鮮の新建築群は見事であったし、
みすぼらしい戦後の自分の周囲の景色に比べて超近代国家のようだった。
なんでも朝鮮戦争で殆ど破壊されてしまったとのことだ。惜しいものだ。
あれは貧乏な日本なのに、かなり無理して外地への資本投下をしたのだろう。
社会的インフラ整備を色んな面でやったのに、そういうことは軽視されているようだ。
良い事をしているつもりだったとしても現地の人にとっては「余計なお世話」としか
受取られなかったようだ。そりゃそうかもしれないね。
実際、どうだったのか確信はないけど、朝鮮などへ渡航した日本人はかなりレベルの
低いゴロツキが多く、いわばヤクザ者みたいなのが悪行の限りを尽したようであった。
遺伝子上は殆ど同じか近似している人間に接するのに、奴隷扱いにして暴虐を行えば、
当然のように拒否反応を起こすに決まってる。そこに問題の核心があると思われる。
どういう教育をしたのか、知りたいところだが、お袋に、なんで朝鮮の人をあんなに
見下すのかわからない、同じ人間なのにね、と子供心の素直な気持で話していたが、
傍に居た親父が血相を変えて、お前に何がわかるんだ、分ったような事を言うな!
なんて怒鳴られ、殴られそうになったので、お袋が、謝りなさいと私に言ったのだ。
実際、もっと小さい頃は酷い折檻があったようで、今なら親父は虐待犯罪者だろう。
子供にだってわかる道理が全く通用しないなんて、マインドコントロールを施され、
精神異常状態を根深く植え付けられたのが当時の日本人だったと私は実感する。
下の写真は戦後、アメリカ進駐軍の兵隊さんが写した祖母と私のスナップである。
進駐軍の鉄条網の周りの道はどうやらお散歩コースだったようだ。
難民みたいな酷い恰好をしていると思われるが、当時の日本人の普通の状態だろう。
英語なんか出来るわけがない祖母なのに、どうしてコミニュケーションが出来たのか、
写してくれた時と、後日、写真をくれた時の最低2回は会話があったのだろうに。
きっと笑顔だけで意思疎通が出来たのじゃないかしら。民間外交は笑顔でオーケーだ。
進駐軍の兵隊など恐ろしくはなかったのかと聞くと、陽気で気のいい連中といった
イメージを持ったそうだ。鬼のようなというのはウソだったわけだ。
バーベキューみたいなことを良くやっていたようで、美味しそうな匂いがするので、
こういう裕福な国と戦うなんて、とんでもなく無謀だったのにと実感したそうだ。
No.64 - 2010/08/14(Sat) 07:58:28
★
終戦記念日に思う
/ インファント
引用
人間には多感な時期というのが確実にあるように思えるし、中学〜高校あたりが
顕著じゃないかと推察する。
修学旅行コースで広島平和記念資料館(原爆資料館)に入ることになった私達は、
こんなの見るのかよ、とうんざりした気分だったと思うのだが、実際に見た後は、
原爆の悲惨さというより、戦争なんか絶対にしちゃ駄目だという思いがした。
これは理屈抜きにそう感じたのだ。
核兵器(原爆、水爆、中性子爆弾など)は最終/究極の兵器であり、最強兵器だ。
どこかの国が一度使ったら、報復の応酬で人類が、地球が滅亡する。
だから、これは廃絶しようという運動が盛んだが、まてよ、と言いたい。
私が上記の資料館で感じたのは原爆の驚異ではなく、戦争の悲惨さだったのだ。
通常兵器なら殺しあっても良いというわけじゃなかろう。
刃物で刺されても、銃弾で死んでも、死ぬ人にとっては、この世の滅亡と等しい。
むしろ、自分以外が全部死んでも自分は助かりたいとか思うのではなかろうか。
原爆は一つのツールなのであって、暴力や殺し合い、憎み合いが問題じゃないか?
ずっと長い間、広島平和記念資料館には全世界の人間が必見だと思い込んでいた。
まず、人間形成において通過すべき必須の経験じゃないのかとも思っていた。
しかし、そうでもないぞ、と思ったのは、娘がまだ文字もちゃんと読めないのに、
眺めては涙を浮かべていた絵本「かわいそうなゾウ」。
見ると泣いてるので、見なきゃいいのに、と思ってしまうのだが、優しい子なのだ。
そこで思ったのは、惨たらしい記念館を見なくても、これでいいんじゃないか、と
いうこと。人間の心根のベースさえちゃんと育ってくれれば良いのだ。
核拡散防止条約なんていう名称だと、そりゃいいとか思ってしまいがちなんだけど、
アメリカ合衆国、ロシア、イギリス、フランス、中華人民共和国の5カ国以外の核
兵器の保有を禁止する条約なのであって、この5カ国は国際連合安全保障理事会の
常任理事国なのである。なんだこりゃ、である。
日本は国連の財政の20%を担っている。ロシアの15倍、中国の7倍くらいだ。
同様に、ドイツも日本に次いで費用を負担しているが、どちらも常任理事国候補に
はなっても実現しない。逆説的に言えば「核」を持っていない平和国家だからだ。
もう矛盾だらけ、デタラメな世界なのである。正義もへちまもない。
お詫び談話を出した菅直人首相は私と同い年なので「戦争を知らない子供達」です。
100年前の日韓併合に至ってはお爺ちゃん世代の出来事なので、お詫びするにも
言葉を選んで苦労してます。なんたって実感なんかないんですからしょうがないよ。
もういい加減にお互いに水に流さないと永遠に仲良く出来ませんね。
昭和天皇の終戦詔書にある「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」という言葉は良い
ですね。これは人生訓にもなります。サラリーマンなんかこれでないと勤まらない。
戦争の記録関係の番組をしらみつぶしに見ていますが、悲惨さを伝えるだけなので、
これからどうすれば良いのか指針になりそうもない。
戦争したいなんて考えてる国民なんかいないのに戦争はやめよう、だけで良いのか?
今、大事なのは、踊らされて変なブームを作るな乗るなという教訓じゃないかしら。
特に新聞や週刊誌などの記事を鵜呑みにすることが一番危険だと思う。
今の政治への不信/不満、そして、威勢の良い煽り、こういう記事だと思わず買う。
そうして起こしてしまったのが戦争なんで、真の戦犯は当時のマスコミ関係者です。
現在も堂々とおかしなムード作りをする大新聞社が最も悪かったのは間違いない。
今でも、この悪習は変わりません。記事を見るのは良いが、個人個人が良く吟味し、
これは売り上げ増加のための煽り記事だと見抜かなければならない。
軍部の弾圧で仕方なく……という言い訳は、大東亜戦争を始めてからの話なのであり、
そこまで軍部を世論で持ち上げてしまい一億総好戦狂躁民にしちゃったのはマスコミ。
挙げ句の果てに嘘だと分ってるくせに戦時下での虚構の大戦果の詐欺記事の捏造三昧。
恥を知る神経があるなら一旦廃業して社名変更し、通巻番号も1から出直すべきだ。
「戦争の尊い犠牲の上に私たちの今の生活があることを常に忘れてはなりません」
私はこういう決まり文句を聞くと虫酸が走ります。
尊い犠牲どころか、95パーセントが犬死であり、尊厳も何もないムダな死だった。
なんと90%の戦死者が負けが決まった時点、終戦迄の一年間で亡くなっているのだ。
野球で言えば、昭和19年でコールド負けしちゃってるのに、無意味に死なせたのだ。
輸送船で運ばれて行く途中での戦死。戦地での餓死、病死、衰弱死、無理矢理の自決。
アメリカの死者は10万人以下なのに、日本人は300万人以上。馬鹿な戦争だよね。
外国への謝罪を批判する記事を載せるスペースがあるのなら、各新聞社は一面を使い、
日本国民への詫び状を毎年掲載するべきだ。そういうのを反省と言うのじゃないのか。
No.63 - 2010/08/14(Sat) 06:26:29
★
どのように反省するの?
/ インファント
引用
終戦記念日が近付くとテレビや新聞が一億余総懺悔という話題一色になる。
今年は菅直人首相の日韓併合100年にあたって表明した談話などもあり、
より反省ムードが高まっているようだ。
近代史/現代史は余り学校で教えて頂いた記憶がない。なんだかわからんが、
とにかく日本は悪い事をしたのだというイメージしかない。
そんなに父母の時代までの日本人はバカだったのだろうか?
江戸城無血開城やら明治維新あたりはなかなか凄いことをきちんとやっている。
なんで軍事大国になって、なんで戦争なんか始めちゃったのだろう。
どこで正気の沙汰じゃなくなったのかなあ?
私は大正時代までは善悪の問題は抜きにして政略/戦略的には適切だったと思う。
人道的にはどうかと思うけど、琉球王国諸島、台湾、韓国、満州と植民地保護を
進めていったのは国家戦略として、あの時勢では国際的にも常道だったと思う。
それがいいか悪いかは問題ではなく「そういう時代だった」ということである。
世界は弱肉強食の帝国主義の時代だった。日本だけじゃなく弱小国・弱小民族を
植民地として帝国列強が己の版図に組み込んでいったのである。
日本が不平等条約の解消が出来たのは、日露戦争勝利後だったわけで、軍事力が
強大でないと、ちゃんとした国家として認められない時代だったのは事実なのだ。
間違っちゃったんじゃないのかなあ、と思うのは、アメリカ/イギリスとの協調
路線をなぜ継続しなかったのだろうということだと思う。
白人達の好きなようにはさせないという気持は抑えて、現実的にクールになって、
満州開拓にもアメリカ資本と一緒になって仲良くやるべきだった。
そもそもロシア帝国の一桁違う軍事力を恐れていた筈であったし、民主主義国家
(資本主義?)対、社会/共産主義という点でパートナーを組むことが出来たと
思える。アメリカだって極東の地に仲間が居ることは望ましかっただろうに。
大正9年には国際連盟に常任理事国として参入もしており、上記の植民地範囲は
国際的にも妥当とされ、列強各国からも異議は出ていない。お互い様という感じ。
これまでの既得権益はそのままで良いことにしましょうねということだった。
大正11年のワシントン軍縮会議で保有艦の総排水量比率を米・英・日・仏・伊
について、5:5:3:1.75:1.75と定められた。
理想的にいい塩梅で、これで良かったんじゃないかと思う。
国力から考えたら、むしろこの程度にアメリカ/イギリスが譲歩しているからだ。
日本は経済力の面からも、いっぱいいっぱいで借金まみれだったんだから。
だから悪なら悪なりに悪知恵を巡らせなけりゃ支離滅裂であり、ただの気狂いだ。
アメリカさん、どうです、利権は折半で、一緒にやりましょうや、と仕向ければ、
ジャパンよ、お主も悪よのう、フフフフ……と話に乗って来たに違いない。
なにをやるにしてもアメリカとイギリスに相談/根回ししてからにすべきだった。
恥も外聞もプライドも棄てて民主主義国間安保条約で結びついておくべきだった。
こんな同盟が出来ちゃったら、もう抵抗出来る国家などありえなかっただろう。
そんな歴史になってたら、良かったのに……とも思えないところがまた難しい。
ならば侵略どころか、一切、軍備などしないで、丸腰でいれば良かったのか?
これもまた現実的ではない。もしそうだったら今の日本自体が存在しないだろう。
日本がなくなっても生きて生活出来ればよいのだが、その保証はないんだからな。
侵略や戦争はしちゃいけなかったんだという教訓はまず殆どの日本人が共有して
いると思うのだが、じゃあ、明治維新以来の国のあり方はどのようにしていれば
良かったのか、という提言やらが、どこにも、さっぱり見当たらない。
戦争否定論/肯定論ばかりじゃなくて、世界中が戦いの渦の中で、日本は一体、
どうすべきだったのか、どのような生き残るための道があったのか、そこが空白で
ある限りは、反省するといっても、「どのように」がわからない。
ほぼ毎日のように戦争に関する番組を見て、録画しているが、答えが出てこない。
No.62 - 2010/08/13(Fri) 07:26:01
★
航空母艦「信濃」
/ インファント
引用
http://m3i.nobody.jp/military/shinanomenu.html
太平洋戦争中に伯父さん(母の兄)が亡くなっているが、この信濃に乗ってて潜水艦
の魚雷攻撃で沈没したのだった。
戦艦大和/武蔵と同じ巨大艦なので沈没まで長い時間があったはずだが、伯父さんは
泳げなかったのだから、沈んでしまっては助かるはずはなかった。
泳げない者が何故軍艦に乗るのかというと、伯父さんは軍属だったからなのだ。
詳しくは知らないが、一般の人にも軍隊というものを学ぶための体験入隊というのが
あったらしく、そこで陸軍の軍事訓練を3日ほど受けたらしい。
想像がつくと思うが、大変な訓練なので、すっかり伯父さんは参ってしまったらしい。
このままでは召集令状がくれば否応なしに兵隊にとられ、こんな毎日をおくってたら
自分の体力では死んでしまうと思い、自ら軍属に志願したとのこと。
伯父は常々、俺はバカなので学問は出来ねえから腕に職をつけるが、お前は勉強しろ
と言って、母は神奈川県立第一高等女学校へ通い(貧乏人の娘としては当時は異例)
自分は理髪師としての腕を磨いた。
京浜急行子安駅前に理髪店を構え繁盛していたのだが、後に空襲に備えた強制疎開で
(延焼防止で)取り壊されてしまった。それまではとても幸せな生活だったはず。
理髪師として入隊したので酷い目には合わなかったらしいが、航空母艦「信濃」自体、
当時の重大な軍事機密であり、戦後しばらくは日米とも、その存在がわからなかった。
沈めた潜水艦側も別の空母だと思っていたようだ。
生存者もどこかの島へ隔離されたというし、こういう兵隊さんは真っ先に死ぬように
激戦地へ送られるようなので、生き残っている人は少ないかも知れない。
なので、例えここで助けられても戦後まで生存出来なかったかも。
遺族である祖父母には戦死がちゃんと伝えられないし、軍人じゃないので階級特進も
なかったが、靖国神社にも合祀されているので祖父は何度もお参りしていた。
軍属なのだが、戦死した軍人並みに遺族に恩給年金みたいなのが支給されていたので
私の玩具やサンタクロースさんの原資はこれだった可能性がある。
信濃に乗っていたなんてことは戦後かなり経ってから知らされた情報だったようだ。
信濃会というのがあり、床屋さんのこと覚えてるよ、という人も居たようだった。
母は「男はつらいよ」の寅さんが、兄さんのようだとよく言っていた。
だって、しゃべり方が同じ、ああいう言い方しか出来ないんだもの、と言っていた。
あれは堅気じゃない人の言い方じゃないのかと思ったが、そうじゃなく職人とかは、
ああいうパッパッとした物言いが普通で、あいよっって感じなんだそうだ。
「こちとら時間がねえんだ、パパッとやってくんねえか」という客が入って来ても、
じゃ、15分でやりましょう、とか言って難しい職人刈りを鮮やかにやってしまう。
母も理髪師の免状をとったので(戦時中なので易しかった?)手伝っていたのだが、
そういう全部ハサミで刈り上げるようなカットは兄にしか出来なかったそうだ。
父さん母さんのことは頼むよ、とか言って、寅さんのような兄は、さくらのような
母に後を託したのだろう。本人は軍隊になど絶対に行きたくなかったのにねえ。
兄が軍隊へ行ってしまったので、母は同級生の女性と二人でお店を続けていた。
腕に自信がないのに良くやってたねと私がきくと、上手くなくたって良かったのさ、
短くするだけでお客さんは文句なんか言わないし女二人のお店なので娘床屋という
人気もあったとのこと。戦時中ならではの大らかさということかな。
戦後、私が生まれてからもアルバイトで理髪の仕事は続けていたらしいし、家には
バリカン、ハサミ、クシ、剃刀などもあったが、私は刈ってもらったことがない。
ちなみに私は娘の髪を切るのが大好きだった。お姫さまカットとかやってみた。
娘も私じゃないと可愛くないとか言い、ハサミとセロテープなど自分で持って来た。
こら、こら、個人趣味に走るな、と家内は非難したが……(笑)。
これも「血」なのかもしれないなあ。
「最終兵器彼女」という漫画のこのシーンは、↓ 涙がポロポロ出てきてしまう。
http://homepage.mac.com/infant/gentei/KANOJO7WA.html
でも、考えたら、戦地に行く前に、亡くなったんだから、誰も
CENSORED
はいない。
地獄じゃなく、きっと天国で私達のことを見守ってくれているのだろうと思いたい。
どんな人だったのかしら。逢ってみたかったです。タイムマシンがあればなあ。
戦争がなければ伯父さんも死ぬことはなかったのだろうが、戦争がなきゃ父と母が
巡り会うことは有り得ないので、私も生まれず、そう思うと複雑なものです。
No.61 - 2010/08/09(Mon) 08:16:28
★
父よあなたは強かった
/ インファント
引用
タイトルの戦中歌が我が家のSPレコードにあって子供の頃、聴いていた。
子供心にあまり勇ましい歌じゃないように思われ、軍歌としては変だな、なんて
思った記憶があるが、本題はそこじゃなく、良く生き残ったもんだという感嘆。
殆ど、父は戦争の話などせずに亡くなったが、こっちもわざわざ聞く気にならず、
今、思えば、もう少しは聞いておくべきだったようにも思える。
その少ない内容から、どうも軽巡洋艦/五十鈴に乗っていたらしいし、遺族の会に
参加されていたみたいだし、たぶん、その後に海防艦千振に乗ったみたいだ。
「いすず」の方は有名なので、ネット検索すれば詳しくわかるが、ちぶりについて
ちょっと触れておきます。
海防艦千振(ちぶり)- 艦名は香川県の千振島にちなむ。
1944年4月3日、日本鋼管鶴見造船所で竣工。連合艦隊補給部隊の護衛に従事。
1945年1月12日、南シナ海サンジャック沖にてアメリカ艦載機の攻撃により沈没。
親父の話だと、急降下爆撃機の投下爆弾で一瞬にして真っ二つになったらしく、
振り向いた背後には何もなかったという。
一昼夜海上に漂い、負傷した上官を抱えて泳ぎ、救助されたそうだが、上官は既に
絶命していたそうだ。でも良く頑張ったって褒められたらしい。
上官の遺族に遺品とか残せただけでも良かったのかも知れないな。
2回命拾いしたと言っていたので、五十鈴に居た時も同じような目に合ったのかな?
そういう肝心なところがわからない。詳しく聞いてみたいとは当時思わなかった。
とにかく生きて帰ってこれたのだから、「運」が良かったのだろうとしか思えない。
同じように、横浜で大空襲にあい、艦載機の機銃掃射にあっても母は生き残った。
これも、やっぱり「運」が良かったのだろう。だからこそ、私が生まれたのだ。
先日、NHKで人類の祖先である哺乳類の初期の頃の動物を紹介していたのだが、
まるでネズミのような、ちっぽけで頼りない生き物でしかなかった。
最も弱者のようなのに氷河期の大試練やら、襲って来る動物から逃れたり、とにかく
なんとしてでも生き残ってやる、みたいな懸命さで子孫を残して来た。
いやはや、こうして自分が居ることは大変な幸運やら他の犠牲の上で成り立っている
そのことに感謝しなきゃならないのかもしれない。
http://homepage.mac.com/infant/home/193.html
No.60 - 2010/08/08(Sun) 22:18:39
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