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記事No.232102に関するスレッドです

明治の「コレラ」(当時も自粛、手洗、換気、生物生水禁止だった)と西新宿・淀橋浄水場 / 参考
(明治のコレラ騒動) 
 明治19年(1886)に起こったコレラ騒動は、「死者9,879名」という被害を出した。日本橋浜町で患者が発生してから本所・深川・浅草に及び、やがて全国に広がったという。この事件のさなかに、患者を出した玉川沿岸の村で、川に汚物を流したというニュースが伝わった。玉川上水の水は皇居にも引かれていたため大きな問題となり、多摩川上流の管理は急務とされた。東京府管理外にあった三多摩地区は、明治26年(1893)、東京府下に入る。コレラは、当時「コロリ」と呼ばれて、激しい吐気と下痢をもよおし、重症になれば急速に衰弱して死に至る病として恐れられた。
この伝染病は、明治12年(1879)にも大流行し、関西中心に約10万人の死者を出している。赤坂の氷川屋敷に住んでいた勝海舟も、明治19年のコレラの被害を受けた一人で、苦しい闘病の様子を書いた手記が当時の新聞に寄稿された。その中で彼は同病者に対しこう書いている。
 「・・・・一朝此病苦に遭遇せば唯大苦呻吟空しく死を待つのみ 何の暇か予防摂生に及ぶ予力あらんや 是を思へば惨憺の情我が衷心に感発しめ覚えず涙の潜々たるを・・・・・」
このコレラ騒動を機に水質実験が行われ、江戸時代から使われてた水道の改良工事が開始されることになる。
(参考:「朝日新聞100年の記事にみる」シリーズ)


http://www.token.or.jp/magazine/g200002.html
(参考:東建月報)

https://www.google.co.jp/amp/s/chinchiko.blog.ss-blog.jp/2015-03-22%3famp=1
(参考:Ochiai‐Dojin)

No.232102 2020/05/02(Sat) 22:41:27