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記事No.245319に関するスレッドです

西暦1999年6月〜2039年という時期が限定されていた / 夔(き)
ジョヨボヨ(12世紀)の予言はノストラダムス(16世紀)よりも古く、西暦2039年や1999年6月という時期が限定されていた事が世界最高の予言と評価も出来ますが、トルコ地震を的中させた事で世界的に有名になったオランダ人予言者が出現した謎や2004年スマトラM9.1 VS 2011年東日本M9.0が起きた原因として、以下に要約したインドネシアの世界の終末論からもわかります。
●ジャワ暦1970年=西暦2039年に、白人に対する聖戦が勃発する。平笠 (=中国人) は下流に流され、トゥンタン川は血で赤く染まり、ジャワ人は自治を回復する。だが、それは長くは続かない。黄色人種の王が再びジャワを支配下に置くからだ。予言通り「黄色い人間」が白人を追い出す時がやってきた。1942年、日本軍はインドネシアに侵攻、オランダをあっという間に降伏させた。
ジョヨボヨの予言を知る者にとっては、これこそ予言の成就でなくて何であろうか。
日本軍は、やがて来るべき救世主の露払いとして、インドネシアの各地で紅白旗(インドネシア国旗)と国歌「インドネシア・ラヤ」の大合唱で迎えられた、というのは有名な話である。もしかしたら日本側も、プロパガンダの一環として、この予言を意図的に流布したのかも知れない。
しかしながら、日本の軍政支配は予言通り(?)「トウモロコシが育つまでの」3年半で終わり、インドネシアは独立した。
予言の核心は、混沌の時代の終わりには救世主が現れる、ということである。
加えて飢饉や伝染病など天災が頻発、天変地異も起こる。しかし、天変地異は「ラトゥ・アディル」来臨の前兆で、この王は間もなく人間の世に出現、国を治める。だが、その支配も長くはない。「ラトゥ・アディル」伝説によれば、やがて「最後の審判」の日が訪れるという。
オランダ支配に反抗してジャワ戦争 (1825−1830) を引き起こしたジャワの王子ディポヌゴロも、「ラトゥ・アディル」「ヘルチョクロ」と名乗った。
1870〜71年にもバニュマス地方でキヤイ・ヌルハキムによるラトゥ・アディル待望運動が起こった。こうした「千年王国運動」「救世主待望論」としてのラトゥ・アディル運動は、しばしば農民反乱の契機となった。インドネシア独立後も、スカルノ初代大統領が「スルタン・ヘルチョクロ」だったとか、スハルト第2代大統領が「開発の王」としての「スルタン・ヘルチョクロ」だとかいう議論があった。
 それほどにラトゥ・アディルの概念はジャワ人の間で根強いものであったわけだ。
現在のインドネシアの若い国民は、ジョヨボヨの予言を忘れつつある。しかし、1999年6月に行われる21世紀のインドネシア大統領を決める総選挙に関するパラノルマル (超能力者) の予言は、ジョヨボヨ予言と極めて似たものだ。
 例えばインドネシア人の預言者として有名なプルマディ (Permadi) 氏曰く、
●1999年は悪魔と聖者の戦いの年で、政治、経済、文化は破局に至る。総選挙も大統領選出のための国民協議会も流れ、社会は混乱の中に叩き込まれる。
オランダからの独立戦争、9月30日事件とスハルトの恐怖政治、その崩壊後の混沌……と、苦難の道を歩み続けるインドネシア国民にとって、ジョヨボヨ予言は願望の結晶として、現在も形を変えて生き続けるのではなかろうか。
http://oo11.web.fc2.com/Hst/column/ramalan_joyoboyo.html
■昨日撮影したアルプスの少女ハイジのような風景は、同じ北杜市にあるハイジの村のバスのデザインが反映して、今でもオランダ領となっているアルバ(中米カリブ海)も意味していた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%90

No.245319 2023/07/22(Sat) 05:07:55