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いよいよ明日からになりそうですが、以下のような歴史が繰り返すなら、12月18〜22日のデマなど無視すべきでした。 単純すぎて笑い止まりませんが、年末まで油断が出来ない日々が続きそうです。 12月08日1941年(昭和16年)真珠湾攻撃 →2025年12月08日23時15分頃青森県東方沖M7.5震度6強 12月23日1854年(嘉永7年11月4日) 安政東海地震M8.4死者2,000 - 3,000人ロシア船ディアナ号沈没 12月24日1854年(嘉永7年11月5日)16時20分ごろ 安政南海地震 M8.4、死者1,000 - 3,000人 12月26日1854年(嘉永7年11月7日) 豊予海峡地震 - M7.3 - 7.5。安政南海地震の約41時間後に発生。 12月31日1854年(元禄16年11月23日)元禄関東地震M8.1 死者6,700人(死者20万人とも『鸚鵡籠中記』)。 1854年12月23日(安政元年11月4日)の朝9時ごろ、安政東海地震(M8.4)が発生した。 このとき下田港には、ロシアの軍艦ディアナ号が停泊していた。プチャーチン提督の率いるディアナ号は、海外へ門戸を開いたばかりの日本と交渉を進めるため来ていたところ、大津波に襲われた。 ディアナ号は、60挺の大砲を備えた2000トン級の木造帆船だったが、大津波の勢いに翻弄され、錨が抜け、くるくると回転し始めた。30分間に42回転もしたという。やがてマストも折れ、舵ももぎとられてしまった。自由の利かなくなった船は、右へ左へと流され続けたのである。 大破して航行不能になったディアナ号は、この後修理のため、造船所のある伊豆半島西海岸の戸田(へだ)港へと曳航されていく。だが、ただでさえ真冬の季節風が吹きまくる駿河湾である。強風にもてあそばれ、浸水と闘いながらの航行であり、文字どおり難航をきわめた。最後には、100艘あまりの日本漁船にロープで曳かれ、戸田港をめざしたが、ついに時化のなかで沈没した。 船を失った乗組員たちは、ロシアへ帰ることができなくなった。そこで日本の船大工が集まり、彼らのため戸田の造船所で新しい帆船を建造することになった。その指揮をとったのは、伊豆韮山の代官で、大砲を製造するための反射炉を建設したことで知られる江川太郎左衛門であった。 わずか80トンという新造船は、着工からおよそ3カ月で完成し、プチャーチンらを乗せて故国へと旅立っていった。この船に「戸田号」と命名したのは、プチャーチン自身であったという。恩を受けた日本側に対する、せめてもの感謝の気持ちだったのであろう。 https://www.rodo.co.jp/series/48940/
文字だけの動画ですが、匿名を条件としてある人物からの情報によると、7月にロシアが日本に向けた核魚雷による津波を起こして侵攻する計画があり、自然界(神界)がそれを阻止しようと潜水艦の基地のあるカムチャッカM8.8を7月30日に起こしたそうです。 竜樹にその予知夢を見せた自然界の計らいは、ロシアの仕業と暴けなくても、予言が世界的に有名になった事で、計画が中止されたようです。 プーチンに似たプチャーチンが、日本に救われた事も忘れていたのか?恩をあざで返す津波兵器で攻撃しなかった事で、竜樹の予言は少しは役にたったのです。 2025/10/14、2025年7月大災難外れの件、心よりお詫びします。あと、これに関してとんでもない裏情報・裏真相が来ました。
2025/10/15「大災難」秘話。悪神の「神国潰し」から陰で日本を守り抜いた神界、そして誰もが目にした驚異の“神力発動”!!
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No.256465 2025/12/22(Mon) 21:38:58
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