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「関東大震災」が起きた1923年の出生数(生まれた赤ちゃんの数)は「東京圏が26万2237人」で「関西が27万5315人」でした。 「関東大震災」から100年後の2023年の出生数は「東京圏が21万8105人」で「関西が12万2882人」でした。
ちなみに、東京圏は「埼玉県」「千葉県」「東京都」「神奈川県」の1都3県の合計です。 関西は「滋賀県」「京都府」「大阪府」「兵庫県」「奈良県」「和歌山県」の2府4県の合計です。
1923年時点では「関西」の出生数が東京圏よりも多かったのに、2023年時点では「東京圏」の出生数が関西の「1.8倍」になっています。 これは、関西(大阪)に人があまり集まらなくなって、東京圏にたくさんの人が集まるようになったことを意味しています。
下の表は、1920年から2023年までの「東京圏」「関西」「日本全体」の出生数(生まれた赤ちゃんの数)を並べたものです。
■「東京圏」「関西」「日本全体」の出生数(生まれた赤ちゃんの数) ---------------------------------------------------------------------------- 1920年 出生数【東京圏】25万4113人【関西】26万6647人【日本全体】202万5564人 1921年 出生数【東京圏】26万5328人【関西】26万4152人【日本全体】199万0876人 1922年 出生数【東京圏】25万9937人【関西】26万4335人【日本全体】196万9314人 1923年 出生数【東京圏】26万2237人【関西】27万5315人【日本全体】204万3297人 1924年 出生数【東京圏】26万2729人【関西】26万7519人【日本全体】199万8520人 1925年 出生数【東京圏】29万7277人【関西】27万1063人【日本全体】208万6091人 1926年 出生数【東京圏】28万9281人【関西】28万3597人【日本全体】210万4405人 1927年 出生数【東京圏】29万3661人【関西】27万0228人【日本全体】206万0737人 1928年 出生数【東京圏】30万5114人【関西】28万9247人【日本全体】213万5852人 1929年 出生数【東京圏】29万4720人【関西】27万4075人【日本全体】207万7026人 1930年 出生数【東京圏】29万8691人【関西】27万6350人【日本全体】208万5101人 1931年 出生数【東京圏】31万2387人【関西】27万8606人【日本全体】210万2784人 1932年 出生数【東京圏】31万2348人【関西】29万7515人【日本全体】218万2742人 1933年 出生数【東京圏】31万6122人【関西】28万3455人【日本全体】212万1253人 1934年 出生数【東京圏】29万7952人【関西】27万0455人【日本全体】204万3783人 1935年 出生数【東京圏】33万5890人【関西】29万5605人【日本全体】219万0704人 1936年 出生数【東京圏】32万4595人【関西】28万6467人【日本全体】210万1969人 1937年 出生数【東京圏】32万9804人【関西】29万4132人【日本全体】218万0734人 1938年 出生数【東京圏】29万6630人【関西】25万4313人【日本全体】192万8321人 1939年 出生数【東京圏】30万7651人【関西】25万4288人【日本全体】190万1573人 1940年 出生数【東京圏】35万0392人【関西】29万2372人【日本全体】211万5867人 1941年 出生数【東京圏】39万6118人【関西】33万7571人【日本全体】227万7283人 1942年 出生数【東京圏】39万4112人【関西】32万3518人【日本全体】223万3660人 1943年 出生数【東京圏】41万7378人【関西】32万2604人【日本全体】225万3535人 1944年 出生数【東京圏】--万----人【関西】--万----人【日本全体】---万----人 1945年 出生数【東京圏】--万----人【関西】--万----人【日本全体】---万----人 1946年 出生数【東京圏】--万----人【関西】--万----人【日本全体】---万----人 1947年 出生数【東京圏】38万3194人【関西】33万5642人【日本全体】267万8792人★ 1948年 出生数【東京圏】37万1128人【関西】34万6672人【日本全体】268万1624人★ 1949年 出生数【東京圏】38万1282人【関西】33万7211人【日本全体】269万6638人★ 1950年 出生数【東京圏】33万4151人【関西】28万0746人【日本全体】233万7507人 1951年 出生数【東京圏】30万6753人【関西】25万9989人【日本全体】213万7689人 1952年 出生数【東京圏】29万3384人【関西】23万9253人【日本全体】200万5162人 1953年 出生数【東京圏】27万3633人【関西】22万5921人【日本全体】186万8040人 1954年 出生数【東京圏】26万9144人【関西】21万3360人【日本全体】176万9580人 1955年 出生数【東京圏】27万1210人【関西】20万9287人【日本全体】173万0692人 1956年 出生数【東京圏】26万0838人【関西】21万0299人【日本全体】166万5278人 1957年 出生数【東京圏】26万2475人【関西】20万0958人【日本全体】156万6713人 1958年 出生数【東京圏】28万4013人【関西】22万2892人【日本全体】165万3469人 1959年 出生数【東京圏】29万2534人【関西】22万4762人【日本全体】162万6088人 1960年 出生数【東京圏】30万8514人【関西】23万0224人【日本全体】160万6041人 1961年 出生数【東京圏】32万0916人【関西】23万6835人【日本全体】158万9372人 1962年 出生数【東京圏】34万1609人【関西】25万7801人【日本全体】161万8616人 1963年 出生数【東京圏】36万7333人【関西】26万8810人【日本全体】165万9521人 1964年 出生数【東京圏】40万0246人【関西】28万7344人【日本全体】171万6761人 1965年 出生数【東京圏】44万3633人【関西】31万3354人【日本全体】182万3697人 1966年 出生数【東京圏】34万5201人【関西】23万2752人【日本全体】136万0974人 1967年 出生数【東京圏】48万9943人【関西】33万5527人【日本全体】193万5647人 1968年 出生数【東京圏】48万2111人【関西】33万4443人【日本全体】187万1839人 1969年 出生数【東京圏】49万6969人【関西】34万0716人【日本全体】188万9815人 1970年 出生数【東京圏】51万6995人【関西】35万3367人【日本全体】193万4239人 1971年 出生数【東京圏】53万7741人【関西】36万5118人【日本全体】200万0973人◆ 1972年 出生数【東京圏】54万6722人【関西】37万1325人【日本全体】203万8682人◆ 1973年 出生数【東京圏】55万1729人【関西】37万3135人【日本全体】209万1983人◆ 1974年 出生数【東京圏】52万2705人【関西】35万8067人【日本全体】202万9989人◆ 1975年 出生数【東京圏】47万8806人【関西】32万9365人【日本全体】190万1440人 1976年 出生数【東京圏】45万4493人【関西】31万1550人【日本全体】183万2617人 1977年 出生数【東京圏】43万3278人【関西】29万6485人【日本全体】175万5100人 1978年 出生数【東京圏】41万8119人【関西】28万4862人【日本全体】170万8643人 1979年 出生数【東京圏】39万9691人【関西】26万5860人【日本全体】164万2580人 1980年 出生数【東京圏】37万4953人【関西】25万8111人【日本全体】157万6889人 1981年 出生数【東京圏】36万9644人【関西】24万7093人【日本全体】152万9455人 1982年 出生数【東京圏】36万2776人【関西】24万6719人【日本全体】151万5392人 1983年 出生数【東京圏】35万8059人【関西】24万6084人【日本全体】150万8687人 1984年 出生数【東京圏】35万2781人【関西】24万2134人【日本全体】148万9780人 1985年 出生数【東京圏】34万0258人【関西】23万1747人【日本全体】143万1577人 1986年 出生数【東京圏】32万7405人【関西】22万6958人【日本全体】138万2946人 1987年 出生数【東京圏】32万3556人【関西】21万8487人【日本全体】134万6658人 1988年 出生数【東京圏】32万0303人【関西】21万5139人【日本全体】131万4006人 1989年 出生数【東京圏】30万3169人【関西】20万4298人【日本全体】124万6802人 1990年 出生数【東京圏】30万0075人【関西】20万2013人【日本全体】122万1585人 1991年 出生数【東京圏】30万4252人【関西】20万0129人【日本全体】122万3245人 1992年 出生数【東京圏】29万9117人【関西】20万0144人【日本全体】120万8989人 1993年 出生数【東京圏】29万7463人【関西】19万5408人【日本全体】118万8282人 1994年 出生数【東京圏】31万2309人【関西】20万5212人【日本全体】123万8328人 1995年 出生数【東京圏】29万9653人【関西】19万7778人【日本全体】118万7064人 1996年 出生数【東京圏】30万4156人【関西】20万4136人【日本全体】120万6555人 1997年 出生数【東京圏】30万1764人【関西】20万2935人【日本全体】119万1665人 1998年 出生数【東京圏】30万4169人【関西】20万6754人【日本全体】120万3147人 1999年 出生数【東京圏】29万9467人【関西】20万2742人【日本全体】117万7669人 2000年 出生数【東京圏】30万4809人【関西】20万3538人【日本全体】119万0547人 2001年 出生数【東京圏】30万0188人【関西】19万8077人【日本全体】117万0662人 2002年 出生数【東京圏】30万0985人【関西】19万4409人【日本全体】115万3855人 2003年 出生数【東京圏】29万4809人【関西】18万8214人【日本全体】112万3610人 2004年 出生数【東京圏】29万3642人【関西】18万5103人【日本全体】111万0721人 2005年 出生数【東京圏】28万3057人【関西】17万6862人【日本全体】106万2530人 2006年 出生数【東京圏】29万3755人【関西】18万1366人【日本全体】109万2674人 2007年 出生数【東京圏】29万5669人【関西】17万9489人【日本全体】108万9818人 2008年 出生数【東京圏】29万8020人【関西】18万0409人【日本全体】109万1156人 2009年 出生数【東京圏】29万6234人【関西】17万5325人【日本全体】107万0036人 2010年 出生数【東京圏】29万7282人【関西】17万5792人【日本全体】107万1305人 2011年 出生数【東京圏】29万0465人【関西】17万3175人【日本全体】105万0807人 2012年 出生数【東京圏】28万8702人【関西】17万0784人【日本全体】103万7232人 2013年 出生数【東京圏】29万0119人【関西】16万8160人【日本全体】102万9817人 2014年 出生数【東京圏】28万6144人【関西】16万3397人【日本全体】100万3609人 2015年 出生数【東京圏】28万9767人【関西】16万3759人【日本全体】100万5721人 2016年 出生数【東京圏】28万2454人【関西】15万9685人【日本全体】97万7242人 2017年 出生数【東京圏】27万4254人【関西】15万3762人【日本全体】94万6146人 2018年 出生数【東京圏】26万8359人【関西】14万9435人【日本全体】91万8400人 2019年 出生数【東京圏】25万3950人【関西】14万2412人【日本全体】86万5239人 2020年 出生数【東京圏】24万8022人【関西】13万9271人【日本全体】84万0835人 2021年 出生数【東京圏】23万8090人【関西】13万4574人【日本全体】81万1622人 2022年 出生数【東京圏】22万8012人【関西】12万8267人【日本全体】77万0759人 2023年 出生数【東京圏】21万8105人【関西】12万2882人【日本全体】72万7288人 ---------------------------------------------------------------------------- ※★…日本の「第1次ベビーブーム」(1947年〜1949年) ※◆…日本の「第2次ベビーブーム」(1971年〜1974年) ※日本人(日本国籍者)が対象 ※東京圏は「埼玉県」「千葉県」「東京都」「神奈川県」の合計 ※関西は「滋賀県」「京都府」「大阪府」「兵庫県」「奈良県」「和歌山県」の合計 ※日本全体には「海外の領土」「アメリカ占領時の沖縄県」を含まない ※出典:厚生労働省「人口動態統計(確定数)」(政府統計サイト「e-Stat」で公開中) ※転載自由
むかしの日本では「東日本」の人たちは東京に集まり、「西日本」の人たちは大阪に集まっていました。 ところが、高度経済成長期に博多駅まで「新幹線」が開通したころから、「西日本」の人たちも東京に集まるようになっていったのです。
そして、「東京圏」と「関西」の格差はどんどん広がっていきました。 東京から関西へ行くと「田舎くさい」「人が少ない」と感じるのはそのせいです。
大阪に本社がある「JR西日本」の動きを見ると、関西がどんどん没落していることがよくわかります。 JR西日本は「アーバンネットワークの縮小(郊外の列車本数を削減)」や「北陸中国地方にあるローカル線からの撤退」を進めています。
★【ぶらり廃線跡の旅】JR可部線(安野〜坪野)@広島(YouTube)
JR西日本の営業エリアでは、2003年に「JR可部線」(可部駅〜三段峡駅、46.2km)が廃止され(※2017年に可部駅〜あき亀山駅のたった1.6kmだけが復活)、2018年に「JR三江線」(江津駅〜三次駅、108.1km)が廃止されています。 また、2020年代中に「JR城端線」(高岡駅〜城端駅、29.9km)と「JR氷見線」(高岡駅〜氷見駅、16.5km)が3セク化されることが決まっていて、「JR美祢線」(厚狭駅〜長門市駅、46.0km、運休中)や「JR芸備線」(備中神代駅〜備後庄原駅、68.5km)は廃止(バスなどへの転換)に向けて関係者との調整が進んでいます。
関西がどんどん没落しているので、都会(関西)の利益で田舎(北陸中国)のローカル線を維持することが難しくなっているのです。 もし「南海トラフ巨大地震」が起きたら、どんどん没落している関西は「再起不能」になってしまうかもしれません。
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No.250379 2024/10/06(Sun) 19:28:23
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