2chから来ました。よろしくお願いします。 2chの荒廃ぶりを見て、組み手さんのBBSならと思ってきましたが また微妙な雰囲気ですね。世間も知らない人たちが天下大計を 知ったふうな振りで弄んでいるというか。 なぜ日本が原発大国になったのか、そのメリットとデメリットを 真摯に考えて政策を進めてきた先人の努力を愚弄しているように しか思えません。 最近の崇教のご教示を見てると、なんか理屈を捏ねくり回している印象。 なぜ祈言集の枝葉末節の言の葉を弄るのか? (裁判絡みとしか思えません) なぜ量子力学やナノテクの話を延々とするのか? (オジサン、オバサン連中を騙しにかかっているとしか) 一方、崇教の教えを全否定する気もありません。 素晴らしい内容はいっぱいあります。 ただ、教団の硬直化と高齢化、幹部の質の低下(真光隊上がりに顕著)、 組み手のいがみ合いに心を痛めるばかりです。 冷静に距離をおいて、心穏やかに暮らしていきたいと願うばかりです。 |
一連の原発議論を斜め読みしました。私はよね様に賛同します。 が、その手の政治、歴史、教育議論でなく、実体としての各団体の実情を情報交換したいのですが。幸せを追及する個人として。 私は崇教の幹部の腐れぶりに辟易しています。尊敬できる人がホントに少ない、皆無です。他所様もおなじでしょうか? 板違いなら退散します。 |
[レコードオブチャイナより引用] シンガポール華字紙・聯合早報は記事「福島原発事故は影響せず=中国、インド、韓国、ロシアの原発産業は急成長」を掲載した。 2035年までに全世界の原子力発電は44〜99%増加すると予想されている。特に大きな伸びが予想されているのが東アジア。125〜185%の高成長となる。福島原発事故で改めて原発の危険性が注目されたが、中国、インド、韓国、ロシアの原子力政策には影響することなく、急成長が続くという。 今後のポイントとなるのは燃料となるウランの供給だ。米国はロシアの解体された核弾頭から抽出されたウランを年2500万ポンド、輸入している。しかしその契約は2013年に終了するため、その後はウラン燃料の高騰が予想される。ただし国際原子力機関(IAEA)はウラン鉱山開発への投資が続けば原料供給は逼迫(ひっぱく)しないとの見方を示している。 [引用終わり] ドゥやら世界のトレンドは、寧ろ原発増設に向かって居ますね、それは、目先の電力製造コストが安いからでしょう。 記事中に有る様に、冷戦終結で不要になった核弾頭を解体して、ウラニウムを取り出して、世界に向けて売り始めているのは、こうした世界のトレンドを逸早く、否、こちらへ誘導したからだと思いますがね。 こうすれば、反米勢力さえも、ウラニウム燃料の市場価格を握る事で、掌中に収められるワケです。 日本では大騒ぎして居る福一原発の事故ですが、死者が大量に出たと云う報告は未だに有りませんから、安定した安い電源がほしい途上国では、原発建設に向かうのは理の当然、この流れを一体どのようにして止めるのでしょうか。 日本だけ、禁止・停止しても全く意味は無いと思いますね、寧ろ、少しでも安全な世界を造る為には、先進型原発の開発を急ぐべきですね。 |
今回は「崇教真光」誌から原発や自然エネルギーに関するご教示や特集を紹介致します。 他の真光グループでも同様のご教示があればまたご紹介下さい。 【2011年11月号、P26】十月度月始祭 現代のパンドラの箱とは何か----恐るべきことに原子力発電所や原水爆と言えます。一度その箱を開ければ、核という死の煙、死に灰が出て被爆します。 【2011年12月号、P24-P30】五十二周年秋季大祭 もし、戦争になれば、ミサイル一発、否テロ集団に狙われても、日本はTHE END----終わりになるということを指し示したのです。 全世界に原発が拡散すれば、その危険は一層拡大するでしょう。(中略) 新エネルギー開発によるエコタウンの建設により、眩く輝く真新しい「聖の世紀」が訪れます。 【2012年1月号、P18】新年の辞 人間の作り出した人工物----原子爆弾や水素爆弾、あるいは原子炉から出る死の灰などが地球の脅威となっております。 【2012年6月号、P79-P83】寄稿 陽光子なら知っておきたい「原発とエネルギーの現状」 【2012年7月号、P76-P81】寄稿 陽光子なら知っておきたい「原発のコストと放射性廃棄物の現状」 |
>25期生さん。 ≫今後政府は国民の理解と協力を仰ぎ、最終的には全廃を目指すべきかと考えています。 その点は同じ考えです。 但し、現在のBWR[沸騰型原子炉]は、廃炉するのに40年懸ります、1基7兆円とも言われて居ますが、その原資は一体だれが負担するのでしょうか、そして、その方法とは地中に埋設すると云うものです。 是では、何の為に廃炉するのかも怪しくなる。 この情況を打破するのには、原子炉技術の更なる進化が必要だと考えて居るのです。 例えば、先進型原子炉にトリウム炉がりますが、最大の障害である生成されたプルトニウムを炉で燃やせます、トリウム炉は危険な放射性物質が出ない炉なのです。 他にも4S炉と言うのも有りますから、此処に投資して開発を急げば、社会の負担は大きく軽減されます。 然し乍、原発が地震や津波に弱いのは避けられない話ですが、今回被災した女川原発の様に、震度7でも殆ど被害が無かった処も有ります。その辺りで新たな建設基準を設定しなおすべきかと。 亦、人為的な攻撃(例えば、中距離弾道弾の低高度水平攻撃)に拠って、原子炉、タービン、冷却装置が破損すれば、今回と同じ大きな一次、二次被害を出すのは当然予想されますので、こちらへの「防衛」が、既に想定済みの施設・態勢に成って居るか、どうか、勿論、厳密な守秘の下、点検するべきです。 処でウラニウムは、海水中に現在の世界の消費量の120万年分ある事が判ってきましたが、この無尽蔵のエネルギーを既成の原子炉で焚かれたら、開発途上国が「安いエネルギー源」として使用し始めれば、人類はエネルギー関連の産業を大きく失う事にもなりかねないし、未熟な操作や経済的な理由に拠る不作為が大事故を招くのかも判りません。 この分野でも、科学技術の更なる発展、労働モラルの向上が不可欠なのです。 この海水ウラニウムが、現段階なら生物に無害の状態なのは言うまでも無い事ですが、角度を変えれば、その状態で地球がバランスしていると云う事ですから、極端に一部に集積・放置する、もしくは薄めるといった、「神が定めたバランス」を崩すさ無い限り大丈夫と言う意味ですね。 人類がそのウラニウムを取りだす装置を開発普及させる前に、その値を知り保つ方向で管理制御しなくてはいけないですね。 |
私は物の見方考え方は人の感性の問題であって、それぞれ違って いていいんだろうと思います。この掲示板も一つの意見と捉え学ぶべき点があれば個々で判断して取り入れればいいはずです。 私は今でこそ神幽現の組み手ですが、教え主「岡田光玉氏」の教えに感銘を受け真光の研修を受け、その後紆余曲折あり現在に 至ってます。 神幽現では 教え主「岡田光玉氏」 救い主「依田君美氏」と立て分けてますのでご理解下さい。 神幽現では組み手同士のメールの交換の場はありますが こちらの様に掲示板はありません。真光に関係する人々の 交換の場として提供して頂いている管理人さんは崇教の方 かと思いますが、この一点見るだけでも崇教の懐の深さを 感じさせて貰ってます。 戦後日本が現在の経済大国までなってきた過程は、よねさん が既に書かれた内容と私もほぼ同意見です。 見識の深さには脱帽しております。原発の存続か廃炉かの 二択では、私は廃炉にスタンスを置いているだけなのです。 福島原発の事故以前は余剰電力(夜間余った電力)は水力 や火力と違い需要がないからといって一々停止が出来ない。 その有効利用として電気自動車の充電にあてるなどは経済の 活性にもなるし、CO2の削減にもなると容認してた所は ありました。しかし福島原発事故以来、被災された福島県民 の現状を見る限り‥同じ事故を起こしてはならないという気持 ちへと変わり廃炉へのスタンスをとってます。 今すぐ全ての原発の廃炉は現実的には無理でしょうが、今後 政府は国民の理解と協力を仰ぎ、最終的には全廃を目指すべき かと考えています。 |
>一見有意義に見える意見交換が、ある時突然「言葉尻の揚げ足取り」のような傍目には、実践の伴わぬ「机上の空論」のつまらぬことで対立的、敵対的になる。 ご指摘の通り、私のログを再読しますと「言葉尻の揚げ足取り」が散見されます。 少なくとも四十八の魂、個性がありますので、同じものを見て聞いても感じ方も48通りはあっても自然かと存じます。 自身と異なる見解であっても、「ふーん、そういう見方もあるのか。」と思う程度で反論する必要も無かったと反省しております。 他の方のコメントもお待ちしております。>陽光子板住人各位 |
>通りすがりの一組み手さん、こんいちは。この板でよねと名乗っているモノです。 >>「崇盟五道」「万教帰一」は単なる「お題目」なんだろか? いいえ、お題目では有りません。 貴方は、崇盟五道って、どの様に理解されておられますか? 私はそれは、「万教は元一つ」なのなら、逆に何故、五道に分かれたのかを考えて行けば其処に答えが有ると思っております。 宗教否崇教、否、聖人聖雄の教えが云々とは申せ、それらの教えが謂わんとする処は、「皆が互いに助け合い、睦み合って平和な世界を造ろう」に集約する筈です。 然し、教えは元一つなのですから応えも同じかと云えば、然に非ず。 中には、教団を営利行為の対象としか考えて居ない様な人もいたりしますが、是は論外でしょう。 善く有るのが「立てワケ」と称して自身の勝手な解釈を正当化し、幹部の見えない処で教団の一部を仕切って終う現象が有ります。 是を遣ると、内部対立が直ぐ始まります、どちらも個人と個人の対立から集団と集団の対立に発展する場合が多く見受けられます。 是は、源伸さんが云う愛和に反した行為なのでしょうが、亦、「異論が無い処に、組織の成長も無い」と言う救い主様のお言葉も思い出されます。 私は、彼我の差を斟酌して行く裡に、見えなかったものも見えてくると云うのが正しい、詰まり、背を向けて終うのでは無く、話を続けることが重要なのではないかと。 愛和と言う言葉が示す平和主義が、問題を有耶無耶にしてしまう事のみなら、決して問題は解決しない。 目先の愛和を保つ事で、大きな問題を葬り去って終っている現象こそ、危険ではないのか。と私は危惧を覚えて居ます。 崇盟五道を目指すのであれば、彼我の差を認識する事は、百万歩分の1歩に過ぎないのではないですか? |