自然界では弱肉強食の戦いがなされております。 人類界では宗教起因、政治起因、経済起因、歴史起因等の複雑な戦いがなされております。 崇盟五道には後者の戦い(争い)を無くしていくミッションがあるかと存じます。 例えば、霊界の実在、霊障の実在を万人に示すことができれば、原始○○教に元還りする現○○教も出てくることでしょう。 また真光誌上でも最近神霊のお写真を時々見かけますが、近い内に動画となって動画サイトで公表されるかも知れません。 インターネットもまた神政政治の方便として開発されたものであると伺っておりますので、これからどのようなことが起こるかということです。 それらの天啓、奇跡は後の世に「神一厘の救い」と呼ばれることと思料します。 合掌 |
「守るべき大切なものとは何か?」 それを守る為には まず「戦い」ありきか・・・・ 人類史の現実を如実に表しているようだ。 過去から現在、そして未来永劫 「人類に争いの種は尽きまじ 信仰は無力なり」 といったところか。 しかし、それは確かに避けようもない、消す事もできない 悲しい事実、現実ではある。 人類のとは、つまるところ戦いに終始する他ない、 そんな虚しい存在だったのだろうか・・・・・ |
>さんだらさん、ちょっと趣旨とは違いますが、「我々が自身を護る為にすべき事=防衛」と云う意味で貴重な例示を見つけました。 {引用開始} 2012/0812の産経の記事に、吉田昌朗福島第一原発前所長の原発事故当時の話が載っていた。 『 そんな大変な放射能がある場所に何回も行ってくれた同僚たちがいる。私は見てただけ。・・・・現場に行って帰ってきて、もうヘロヘロになって、寝ていない、食事も十分でない、それから体力ももう限界という中で、また現場に行こうとしている連中がたくさんいた。その後ろ姿に、感謝して手を合わせていた 』 勿論、吉田所長は撤退など考えていなかった。これだけ勇敢で使命感のある人間が一杯いれば、撤退など考えられなかったであろう。 先ずは国民の一人として、吉田所長並びに福島第一で奮闘した諸氏の勇気に、敬意とお礼を申しあげたい。また今尚奮闘してしている諸氏の健康を願って止まない。 勇敢さは、仲間意識と使命感から来るのである。 『あいつがやれば僕もやる、見てろ今度の激戦に、タンクを一つ分捕って 、・・・』これは、昭和13年のヒット曲『上海だより』の一節であるが、 面白いことにハワイ2世部隊・アメリカ軍「第442連体」に応募したドン・セキ氏に、応募した理由を尋ねたところ、いきなりこの歌を歌いだしたと言う。 日本兵が勇敢だったのと同様、日系二世部隊も勇敢だった。それは仲間意識、即ち仲間への義務感あったからである。そして福島第一の男達の勇敢な行動も、お互いの仲間意識に支えられていたと思われる。 しかし彼らはたった一人でも使命を果たした筈である。職務規定に、命に代えても職務を遂行しろなど書かれていない。それでも彼らが職務を遂行しようとしたのは、それは自ら課した使命だからである。では彼ら使命感は何処から来たのであろうか。それは靖国を見ればわかる。 靖国神社に祭られている戦死者2466532名。彼らは福島第一の男達同様、勇敢な人間達である。彼らは損得を超えて、自分の命を投げ出した人間である。だが、たった一つの自分の命を引き換えてでも果たす使命とは何なのであろうか。 それは誇りである。彼らは誇りの為に死んだ人間である。彼らは自らの誇りを守ることに、自ら使命を課したのである。靖国で彼らが教えてくれるのは、人間には命以上に大切なものがあると言うことである。 {引用終わり} 「戦う事の本義は、大切なものを護る事にあり」と云う事です。 生きて居る限り、私たちは戦い続けねばならないのは、人間としての宿命です。 然らば、何の為に戦うのかを自分で知っておく必要が有ります。 目指すモノを見つけ出す必要が有りますが、人に拠ってそれぞれ違って当たり前。 それが、神様の御経綸だというのなら、それで宜しい話ですが、形は兎も角、戦わずして和合も有りません。 |
> あなたはよね擁護者ですか?同じ穴の狢ですね。 > あらしを煽るのは周囲に大迷惑です。 「スルーしろ」」書き込むな」というばかりの書き込みばかりでなく、 あなたも、この掲示板に書きたい意見や主張があるなら、それを書き込めばよろしいでしょう。 そうすれば、その発言に対して書き込みがなされ、意見の交流が始まるでしょう。 書きたい内容がないのなら、あなたこそスルーしていれば良いのです。 |
あなたはよね擁護者ですか?同じ穴の狢ですね。 あらしを煽るのは周囲に大迷惑です。 引 用 ★ Re ちょっと一言へ NEW / もういいかげんにしろよ 引用 あんたもいい加減にしなよ。 荒らしにはスルーしかないって誰かいってたの見なかったのか。 火病の荒らしに反論したらそれこそ火に油注ぐだけだって。ますます熱くなるだけだろが。 そうじゃなくたって糞暑くてたまらんのにさ。 この暑いなかでますます熱くなるのは、本人にだけにまかしときゃいいよ、そのうち勝手にオーバーヒートしてエンストするから。 放っときゃいいじゃん、放っといてやれよ、目立ちたいだけなんだからさ。 ウィキ程度の事だって本人がいってんだから、大したことないって言ってんだから。 相手するだけ無駄、知りたきゃ自分でウィキ検索すりゃじゅうぶんだろ。 25期さんとか源さんのようなご神業に参考になる話聞きたいのに。 まるっきし無関係な別のスレみたいになっちゃてるじゃん。 なっ、みんなでスルーな いいよな、それで。 No.227 - 2012/08/17(Fri) 16:16:44 |
≫日本の将来にあるのは、平和か?戦争か? 戦争は、こちらから仕掛けるモノだけではありません、防衛戦争と云う戦争も有ります。勿論、戦争は回避したい処ですが、戦前日本を看ても、外交手段で防げる戦争には限りが有る事が判りますし、武力を背景としない外交は無力です。 戦前の失敗は、武力>>外交力が大きいと思います。そして、情況は何も変わって居ないと云って善いでしょう。 国家が主権を正当に行使出来る情況に成れば、国民は国民の義務として是に応え無ければならないのは当然です、即ち、国家が戦争を始めれば、国民はそれに従う他はない。 然し、是からの戦争は専門化した戦争ですから、前線で戦うのは専門軍人で、個々は、地方の護り、直接家族や地方行政府、公的機関を国民の手で護る事に止めれると思います。 即ち、銃器の取り扱いを初めとして、山岳救助、消防訓練、海難救助、傷病救護といった訓練を受ける義務を国民に課すべきです。 是らは、我々が教団としてではなく、此の日本に棲む国民としてやるべき事ではありませんか? ≫そのような考え方で、真光教団は世界を救うことができるか? 先ず、神意は救い主様を通じて降ろされたとはいえ、真光教団にのみ降ろされたのではありません。 ダカラ、恢弘活動が必要なのでは無いですか? 勿論、国民として、同時に真光教団と云う集団として出来る事も多くあると思います。我々神組み手は、何処までが人意で何処からが神意なのか、を分けて考える処から始めるべきではないですか。 先ず、人類を万生の霊長として置いたのは神意でしょう。神様が人類に此の生命の星地球をお任せに成ったのです。ですから、皆等しく神の子でなくてはなりません。 人類は、戦争を数多く行ったにも拘らず、前世紀に人口爆発を起こして、僅か100年の間に15億だった世界の人口が70億近くに膨れ上がったと云う現実が有ります。是は、人間を亡ぼすのは戦争だけでは無いと言う事を示して居ます。 人口爆発は未だ収まって居ません、年間1%増加を続けて居ます。地球が養える人口は100億が限度だと云いますが、本当は其処まで行かない裡に絶滅が始まる惧れが高い。 今でもその6割強は3度のご飯を食べられない貧しさから抜け出せていないのですし、飲料水の問題もあります。是等の現象は、明らかに人類に現れた末期的情況だと言えましょう。 其処に神意を見いだせないか。 戦争で人類の数は減る処か爆発的に増えたのですが、その原因となったのは、勿論科学技術の進歩で医療技術が高くなった事も有りましょう、しかし、原因となった主たるフォースは、「種の保存」と云う見えざる力だと思います。 即ち、人の生き延びたいと言う願いです。 是は、劣悪な環境にあればCENSORED者すらいないと云う現象を説明するに、生きる気力を無くしたモノから順番に死に至るからです。 逆に其処に、強烈な生存願望が生まれる。 戦争の悪は、人をCENSORED事では無く、人の心を飢えさせる事だと思います。 その戦争の脅威を創り出す人々とは、例えば、今回のイ・ミョンバク大統領とか他国の領土を侵略している事を正当化する韓国国民を云うのです。 それを正しく批判する事で、彼らの中の良識派、現実派を喚起して、戦争に成る事を防ぐ事が出来ます。 神の教えは、この良識派や現実派を増やす事が出来る筈です。(間違えば減らす事に繋がりかねませんが)殊に、仏陀が説いた利他愛は、人類の数千年来、否、数万年来の悲願ではなかろうか。 我々は今こそ、神の教え=神意と、人の利己的な企み=人意を判別し、人類が、神の付託を得るに相応しい理性・知性を持っている事を示さねばならないのです。 ≫種人を作ることができるか? 大絶滅が始まれば、六十億人以上が死にます。 すると、残る十数億も負のトレンドに影響されて次第に数を減らす方向に替わります。 種人が人類を再生する人々であると定義すれば、我々は我々の犯した間違いを正しく認識して措かねばならないし、正しく伝えねばならに事に成りますよね。 ≫なぜ『愛』を救い主様が説かれたのかに、目を向ける必要がないでしょうか? 形や表現は違いますが、愛は仏陀もキリストもムハンマドも説いて居ます。 問題は、その愛をどのようにして体現するか、では無いですか? 此処で、愛が利他愛であるとすれば、我々がこの先、世界から生存の渇望を生み出す、人の心の飢餓を無くす為にやるべき事の指標に成るものだと思います。 その為には、皆に正しく周知させる事が大事ですよね。 |
仮に、よねさんの考えを日本人の大多数が持った場合、日本の将来にあるのは、 平和か?戦争か? そのような考え方で、真光教団は世界を救うことができるか? 種人を作ることができるか? なぜ『愛』を救い主様が説かれたのかに、目を向ける必要がないでしょうか? |