第二次大戦後にどん底だった日本産業は朝鮮戦争需要で奇跡的な復興を成し遂げました。 また一つ譬え話をしましょう。 三匹の狼たちに囲まれた狐がおりました。 狐は自分の身を守る為に虎の子分になったふりをして、虎に毎月獲物を届けます。 それを見た狼達は「虎の威を借るキツネ」はけしからんと思いました。 アメリカの武力をお金で借りて徴兵に行くこともない日本人達を周辺国の人達はどう見ているか、容易に想像がつきます。 カルマは自ら刈り取る因果の法(縁起)、一見不平等に見えても神様から見て平等とに「平等の不平等の平等」の理(法)も伺っております。 よって四十八の魂(見解、個性)の一つが自身の見解に固執する必要は無いかと思料します。 以上、陽光子板を散歩していての独り言です。 |
野田総理が、一連の竹島騒動で「真に遺憾」と表明しながら「経済的な支援策は変更しない」といったとか。 おそらくだが、韓国支援策には米国が絡んでいる、韓国を生かさず殺さず金を搾り取る為に。 是は角度を変えてみれば、米国は日本に金を出させるのに韓国という通路を作ったということだと思う、勿論、その通路には、日本の経団連も一枚噛んでいるだろうが。 ミョンバクは兄貴の不正がバレて、次の大統領選は危ういそうな、で、お定まりの反日パフォーマンスのつもりで竹島に行ったのだろうが、国家元首が他国の領土に断りもなく行けば、二国間の国家的な括りは無視されてしまう、簡単に言えば犯罪であり遺憾どころで済む話ではない。 声明を出したダケで何の咎めも行わないというのなら、端から絵が描かれていたと見るべきだろう。 然も、この事象を敢えて国民視線で考えれば、明らかな敵対行為を見せる相手に優遇措置を継続するのは、誰が考えても敵方の人間だとしか思わないでしょう。 中川さんが殺されてから、露骨に命を惜しむ政治家が増えたような気がする。 その金5兆円って、民主党の金ではなく国民の税金ですよ、自分の顔に唾を吐きかけた相手になんで金を貸してやるのでしょうか、まるでいじめにあって無理やり金を脅し取られている中学生と同じ、中学生は暴力で有無をいえない状況だったが、国民はドゥなのだろうか、相手を黙らせるだけの力を持ちながら、唯々諾々と金を回すなど、国民に対する大きな裏切り行為でしかない。 獅子身中の虫、否、獅子そのものが国民の敵になっている事に我々はもぅ気付くべきだろう。 |
改めて韓国のスポーツに対する認識度の低さと勝負に拘る余り、卑怯を何とも思わない、数々の態度にレッドカードを贈りたい気分です。 オリンピックの起源自体、収穫期に必ず起こる作物の争奪戦を「キリが無いから」槍や弓を競技に換えて争ったもので、「武器を身に着けない」と云う証に、全員素っ裸だった。 詰まり、争いをスポーツに転化する事を最初から目的にしていると言う事ですから、其処へ争いの種、争いそのものを持ちこむことは、オリンピックの根底を覆すものだと言えましょう。 亦、此の韓国の選手の行為を最初に咎めるべきは、当然韓国オリンピック委員会や韓国政府でなくてはならないのですが、両者とも沈黙、マスゴミに至っては称賛の嵐、「よくやった」とは、呆れてものが言えない。 加えて、そのタイミングで当の竹島に国家元首が上陸して「我が領土だ」と、侵略正当化=宣戦布告を行っているのですから、確信的犯行が疑われますね。 国際オリンピック委員会が此の行為に対する処分を「1選手の独断専行行為」と矮小化して済ませるのなら、オリンピックは以後、政治メッセージが乱舞する場所に成りましょう。世界には様々な紛争や不条理が行われて居る場所が絶えずあるのは、自者の生存権を他者に優先する限り人類の宿命の様なものですから、世界には政治メッセージはもっと切実なものが山ほどあり、世界が注視しているオリンピックの舞台程、周知効果が大きい場もまたとないからです。 観客席が政治メッセージで埋まる恐れさえあるし、その観客同士で争いでも始まったら、平和と協調の祭典オリンピックが別の祭典になって終う。 少なくともサッカーチームからのメダル剥奪、当分の出場停止は当然です。 韓国オリンピック委員会や韓国政府の是から採る措置の如何に拠っては、ソチ冬季、リオ・デ・ジャネイロオリンピック全競技への韓国選手の出場停止は避けられないでしょう。 そして、万が一、国家ぐるみの犯行で有れば、韓国をオリンピックから、過去に遡って、そして未来永劫、追放するべきだと思います。 彼らにはスポーツマンシップの欠片も理解できないし、理解する気も無い、と云う事が改めて分かったからです。 何をされるか判らないし、彼等には、「オリンピックの精神を高め、その素晴らしさを世界中に広めてくれる」様な行いは全く期待できない上、今回の様な真逆の事を再び、否、更にエスカレートさせて遣る惧れの方が高いからです。 |
「因縁の魂が因縁の魂のお導き」というのが基本です。 私の場合は救い主様の著書「奇跡の世界」を読みまして、38年前に道場の門をたたきました。 「この本に書かれている霊障話が本当であれば大変なことだ。自ら真偽を確かめなくては。」 との強い想いがありました。 結局、毎日道場参拝をして、2週間目には自ら強烈な神秘体験(霊動)をして、今日に 到っております。 21世紀になりました今日では、インターネット(ホームページ)が縁で道場を訪れる青年達も 多いことが想定されます。 因って、公式ホームページに下記の創意工夫が必要かと存じます。 ?@真光の業(8番の施光)の紹介は1分程度の音声付き動画にする。 ?A霊障解消の事例を5件ほど追加する。 以前、私は会社で広報やブランド関連の仕事もしておりましたので、一企画提案と致します。 先日のご教示で救い主様が行商をしながら、天理教や救世教の研究をしておられたと伺いました。 ご存じの通り、両教とも神の光で心身を浄化するみ業を持っておりますので、真光の業は霊障の実証 と解消を特徴とすることをもっと分かり易く広報しても宜しい時期かと思料しますので。 |
み歌にあります。 「我善しと 想いてそぞろ 大神の 仕組みのお邪魔 致すことあり」 私も神経綸成就の為に善しと想いまして書き込みをしておりますが、 時々このみ歌を念頭に置いて自省をしております。 |
>25期生さん >>戦後史学の立証するところによれば、百済の王族と日本の皇室とは本源が一つである。その世界観、国家観も似ており、同じく日の御子信仰を有し、磐座(いわくら)などの信仰習俗を持った典型的な扶余族であったといえる あの、↑の立証ってDNAの判定は絡めて有りますか? それと、長江文明の発見と云う全く新たな視点は、盛り込まれて居ますか? 亦、白村江の時に百済に舞い戻った皇太子の名は、余豊章でしたよね、力の弱い国が力の強い国に人質を差し出すのが通例である事を考えれば、百済が国力で日本の上位に在ったと言う可能性は低いですよ。然も、百済から伝播したのは仏教文化のみでは無かったか? 扶余の話は、AC1世紀の話でしょうが、日本の縄文文化って、少なくとも1万年は確定して居るのですがね。 相沢忠洋さんってご存知でしょうか? アマチュア考古学者ですが、人が棲まない時代と考えられて居た関東ローム層から、3万年前の旧石器時代の槍の穂先を見つけ出した人です。 亦、浜北人と云う浜名湖北方の浜北市で見つかった20歳代の女性の遺骨は2万5千年前、琉球の湊川遺跡の男女複数の遺体は少なくとも2万年前のモノだとされて居ます。 貴方がご指摘したモノは、全て戦前の「水稲稲作は半島経由で伝わった」と云う仮説にある様に、大陸に文化の根源が有って列島に伝播したと言う流れで説明されているモノですが、1980年代に長江流域で発見された様々な時代の様々な遺跡から、シナの歴史そのもの、否、世界史そのものが大きく書き換えられ様として居るのです。 第一に、稲は熱帯植物で水温15度以上に成らないと実を結びません、然るに、半島の緯度は、南端の釜山でも金沢とほぼ同じ、慶州で新潟〜秋田、ソウルになれば青森以北に成ります。 この地方で米がちゃんと作れるようになったのは、江戸期以降でしょう。 況や、半島は寒冷で少雨の傾向にありますから、元々水田耕作には適して居ないのです。 亦、水耕稲作の起源は長江流域であるとほぼ決定しています。 そんな条件で、緯度が高く寒冷で、海流も日本に向けて流れて居るのに、温暖で水も豊富な日本より早く稲作を成功させる事が出来るでしょうか? モゥ一つ、騎馬民族って生業自体が遊牧民ですから定住性が無いのですよ、ダカラ小規模の畑作が精々、検証に何十年の時間が懸る品種改良や、土地の改良は絶対に無理です。定住しないから彼ら自身に文化発信力も無い。 彼等が得意なのは、家畜を猛獣から護る事、馬を上手に乗りこなす事位です。 即ち戦争が一番得意なのです。 ダカラ、遊牧民国家元が世界最大の版図を有して居たのです。 高句麗建国や渤海建国物語は、嫁が見ろと言うので見てましたが、物語としては結構おもしろかったですが、カナリ嘘や創作が入って居ましたね、特に衣装に関しては「有り得ない」水準でした、半島には染色技術が近代に成るまでなかったのですから、殆どは白装束の筈です。 でね、その最強の遊牧民元が船を遣って日本に攻めて来たのが元寇ですよね、大軍で2回も攻めて来ている、そのうちの1回では神風は吹いて居ないのですね。 其れでも元軍は全滅し、20万人の精兵を喪って、元の衰退の大きな原因にさえなっている。騎馬軍元軍に操船技術が無いのは当然ですが、元を唆して元寇をプロデュースした高麗の操船技術、気象・海象の知識の拙劣さこそが失敗の原因でしょう。 鎌倉時代と云えば1世紀〜5世紀末迄続いた扶余の約7百年も後の話です、造船技術の発達程度から逆算すれば、馬を乗せ、大量の武具を乗せて、兵士を積んで玄界灘をわたるとなれば、千石船でなくては到底無理ですが、1世紀にそんな船が果たしてあったでしょうかね。 加えて日本の4〜6世紀は古墳時代に相当し、倭の5王の時代で日本の武力は相当強く、半島の鉄利権の争いに端を発した、任那(伽耶)襲撃に対する制裁も迅速に且大掛かりに行われて居ますね。 シナ王朝からも一目置かれて居た時代ですが、そんな日本に、日本海の荒海をよたよたの船で渡って「侵略」に来たらドゥなるか判りますよね。然も帰りたくても帰れないのですからね。誰も行きたがりませんよ。 大陸から来たからと云って、誰が黙って土地や人民を見ず知らずの野蛮人に差し出すもんですか。ソウいう当たり前の視点が彼等歴史家に欠けていると私は驚いているのですが。 ≫百済の王族と日本の皇室とは本源が一つである。 友好関係にあった事は認めます、特に天智帝は余豊章を殊の他可愛がっていた、ダカラ、国に還った余豊章は日本の方を持ち過ぎて、城を護って居た重臣と衝突、是を斬りCENSORED終ったが為に防御陣が総崩れとなって、無敵の日本水軍が大敗を喫する事になったのです。 白村江の後、天智帝は避難してきた百済王族を滋賀の都周辺に土地を与えて住まわせますが、この周辺は元々海人族の本拠地、湖の西北高島は継体帝(オオド王)の出身地である、海戦で多くの海人族が死に、一家の主を喪った民が多かったのに、その土地を取り上げ、見ず知らずの百済人に分け与えたのですから不満の声が出ない筈が無い。 天智帝の弟とされる後の天武帝は大海人皇子と云う様に、海人族と浅からぬ因縁が有ります。 兄の暴挙に当然な事ながら大海人は怒り、床に矛を衝きたてて抗議しようとしましたが、勢い余って床に大穴があいてしまいました。 是を看て恐怖を抱いた天智帝は、直ぐ様病気と称し、宮殿に籠り、自分の後継者に大海人を指名しますが、実はこれが罠というのは、蘇我入鹿を斬り殺した乙巳の変の際の手口を傍で見て居た大海人は知っていた。 大海人は、そのまま剃髪して吉野へ逃亡します。 その後、壬申の乱で天武が即位する迄、日本の中で外国人重用が続きます。 嘗ての重臣大伴氏は、先代皇極帝の時代から続く無茶な庸=公共事業の請負(無償)に対する不満が大きく、彼と美濃・尾張・西三河を治めていた尾張氏が東海北陸勢を纏めたから、壬申の乱に圧勝する事が出来たのです。 因みに、天智帝の背後勢力は、出雲、吉備、播磨勢、天武帝は丹波・美濃・尾張・伊勢・飛騨、そして長江からの渡来人の国越が背後勢力でしょう。 戦前〜戦後史観ってやたらに外国人を日本に入れたがる傾向が有りますが、実際に日本に3000人以上もの外国勢力が短期間の裡に入ってきたのは、この時くらいでしょう。 DNA解析で、標準的な日本人の遺伝子には大陸北方系の特徴が無い事が判って居ます、其れを持って居るのは、日本の先住民である、オホーツク海沿岸に棲んで居たギリヤーク、ヤクート、オロチョン族で、日本では少数民族に数えられて居ますね。 古代遊牧民の血は「1滴も」と云う位入って居ないのが現実でしょう。 |
真光という御文字に世界がどういう風に統一するか?秘められています。 |