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陽光子の統一真光BBS

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(No Subject) / レン
崇教真光の祖霊祀りについて教えてください。

私には父方の祖母が二人います。
つまり父親の実母と継母です。
この場合、私が祀るのはどちらの祖母になりますでしょうか?

No.327 - 2013/03/05(Tue) 14:17:56

三毒五濁 / 源伸 [近畿]
先程、飛騨高山での三月度月始祭からバスで帰って参りました。
ご教示のメインは神向き讃詞の「自らに包み積みたる霊の界の三毒五濁浄め得ず」の中の「三毒五濁」の解説でした。

【三毒】
1.貪(とん):欲深い(むさぼる心)
2.瞋(しん):怒り、憎しみ
3.痴(ち):愚かさ(愚痴)

【五濁】
1.劫濁:時代のにごり?
2.見濁:思想のにごり?
3.煩悩濁:浅ましい姿
4.衆生濁:苦しみ?
5.命濁:寿命短し?

↑速記したので誤字、聞き間違いがあるかも知れませんので、真光誌の4月号でご確認願います。

尚、感謝御礼言上は、ここ数カ月は「環境・エネルギー」に関する男性が多かったですが、今月は
「教育」に関わる女性でした。

No.326 - 2013/03/02(Sat) 21:57:26

魂・心・霊(明主御教え)神慈秀明会通信カレッジより抜粋 / 第25期訓練生
本来、人間の霊体はその中心に心があり、 心の中心に魂があって、三段になっている のである。
そうして魂本来は良心そのものであるが、断え ず外界からの影響によって曇らされるのであ る。
即ち、魂本来は日月玉のごとき光明であるが、 その外殻である心が曇れば、魂の光輝は遮断さ れ、魂は眠るのである。
故に、明鏡止水のごとき心境にあれば、魂は晴 天の日月のごとく輝くのである。右のごとく人間が覚醒するという事は、睡眠状 態であった魂が、豁然(かつぜん)として輝き 出す事である。
その手段として今日までは、右に説いたごと く、説話や読書等の道か的手段があるのみで、それによってまず魂が覚醒し輝き出すから心の 曇が解消し、次で霊体が浄化さるるという順序 である。
右によってみるも、魂・心・霊の三者は、 常に明暗の状態が平均しているのである。
しかるに、私は腎臓医術の項目において、百万 語のお説教よりも、腎臓を健全にする方 が効果があると言ったが、それはいかなる訳かというと、前述のごとき道 徳的手段を要しない事であるばかりか、道徳的手段においては、百パーセントの 効果は期し難いが、本療法によれば百 パーセントの効果があるのである。
それは前述のごとき道徳的手段においては、ま ず魂を覚醒させ、次に心及び霊体が浄化さるる のであるが、本療法においてはこの反対であって、外部か らの施術によってまず霊体が浄化され、 それによって心の曇が解消し、否が応で も魂は覚醒する事になるのである。
又、道徳的手段によって魂や心が覚醒する 場合、本人自身は克己的苦痛が伴うと共 に、それが霊体に及ぼし、病気その他の 苦しみを受けなければならないが、本療法は、疾患が治癒しながら知らず識 らずの裡(うち)に魂が覚醒するのであ るから、理想的心身改造法というべきであ る。右のごとく、霊的浄化を発生さすその根源 としての機能が腎臓であるから、腎臓の活 動を促進さす事こそ、心身改造の根本であ る訳で彼の神道における祓戸四柱(はらいどよはし ら)の神の活動が、人体においては腎臓に相応 すると想うのである。
さきに説いたごとく心臓は日であり、肺臓は月 であり、胃は土であり、天地間の汚濁を清める 神が祓戸の神であるとすれば、
腎臓は左右及び副腎と合せて四つあり、祓戸の 神も四柱あるにみて、意味がないとはいえない であろう。」 (「明日の医術 第3編」よ り)

No.325 - 2013/02/15(Fri) 17:29:36

環境革命に魁ける / 源伸
先程、飛騨高山での立春大祭からバスで帰って参りました。
秋季大祭でのお題は「環境革命に魁ける」でしたが、今回も御教示および感謝御礼言上にも「環境革命」に関わる内容が含まれておりました。

私も家族も、生業におきまして、環境、エコ、再生可能エネルギーに少しでも関与できる可能性があれば希求して参りたいと存じました。

そして21世紀霊的ビジョンの推進と、地上天国顕現の早からんことを祈念致します。

No.324 - 2013/02/04(Mon) 22:57:21

宇宙と其の動き / 第25期訓練生
宇宙は唯一にして絶対なり。神と人と万有と
及び是等を律するあらゆる法則を包括するも
の、是れ宇宙の大元霊自体なり。未だ発せざ
る意志それ自体なり。即ちこれ「天地根本大
祖神」にして、此の神の御名を「元無極體主
王大神」と称へ奉る。
       ナアモ
元無極一一一一ナムモ   と云ふ
       カミナガラ
       アミン
此の神の体たる宇宙の森羅万象と、あらゆる
法則とを縁として、其の根底に遡りて考察す
る時、其処に
創造、統一、自由、限定
なる四個の事実が、恰も循環せる一連の環の
如く、絶えて止む事なく行われつつあると云
ふ真理を認識し得るものなり。即ち先づ最初
に認得せらるるは、此の宇宙が瞬時も休止す
る所なく、永遠より永遠に亘りて、生々と活
動しつつある事実にして之を称して「創造」
と云う。
「創造」は宇宙剖判を以て其の第一の階梯と
し、太初「天地根本大祖神」の意志御発露あ
りて、宇宙それ自体の剖判を開始せり。即ち
最初「神の世界」と「物質世界」出現し、神
の世界はやがて「神界」と「神霊界」とに分
れたり。また混沌として宇宙塵の充満せる物
質世界に於いても、其処に天地剖判行われ、
其の澄みて陽なるものは薄靡きて天「空間」
となり、重く濁れるものは淹滞きて、地「物
質」「日地月星」となり、斯くて生せじ無数
の太陽系各々その位置に就き、我が太陽系に
於ける地球も其の公転と自転を開始し、やが
て是等の神と神霊との努力によりて地球の修
理固成完了し海陸の建分け終わり遂に動植物
の発生を見、その繁殖と繁茂の過程に入るに
到れり。

神霊正典(密書)より、抜粋

No.323 - 2013/02/03(Sun) 07:38:20

アインシュタインの言葉(1954年、昭和29年) / 源伸
主旨:神は謎だが、分かり易い謎である。私は自然の法則を観察した時に畏敬のみを持つ。法則には立法者がいるはずだ。
元テキスト:
Einstein referred to his belief system as "cosmic religion(宇宙宗教)" and authored an eponymous article on the subject in 1954,
which later became his book Ideas and Opinions in 1955.
The belief system recognized a "miraculous order(奇跡の秩序) which manifests itself in all of nature(自然) as well as in the world of ideas,"
devoid of a personal God who rewards(報償) and punishes(罰) individuals based on their behavior.
It rejected a conflict between science and religion(科学と宗教の間の対立を拒否), and held that cosmic religion was necessary for science.
He told William Hermanns in an interview that "God is a mystery(神は謎). But a comprehensible mystery(分かる謎).
I have nothing but awe(畏敬のみ持つ) when I observe the laws of nature(自然の法則). There are not laws without a lawgiver(立法者), but how does this lawgiver look(どう見える)?

No.322 - 2013/02/03(Sun) 04:36:04

アインシュタインの言葉(1930年、昭和5年) / 源伸
主旨:宗教なき科学は不完全であり、科学なき宗教は盲目である。
元テキスト:
In a 1930 New York Times article, Einstein distinguished three human impulses(衝動) which develop religious belief:fear(畏怖), social morality(社会道徳), and a cosmic religious feeling(宇宙宗教的感覚).
A primitive understanding of causality causes fear, and the fearful invent supernatural beings analogous to themselves.
The desire for love and support create a social and moral need for a supreme being; both these styles have an anthropomorphic concept of God.
The third style, which Einstein deemed most mature, originates in a deep sense of awe and mystery. He said, the individual feels
"the sublimity and marvelous order(崇高さと素晴らしい秩序) which reveal themselves in nature ... and he wants to experience the universe as a single significant whole(重要な全体)."
Einstein saw science as an antagonist(敵) of the first two styles of religious belief, but as a partner(仲間) in the third.
He maintained, "even though the realms of religion and science in themselves are clearly marked off from each other
" there are "strong reciprocal relationships(相互関係) and dependencies(依存関係)" as aspirations for truth derive from the religious sphere.
For Einstein, "science without religion is lame(不完全), religion without science is blind(盲目)."

No.321 - 2013/02/03(Sun) 04:34:44

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