・私がここに存在している、同様に私を左右対称させた鏡像も、ここに無数に存在する。
・無数に並ぶ私の中で一人、私は微笑む、他の鏡像は真顔のままで私を見ている。
・私自身も鏡像の一つである、と自覚したのは、恐怖を顔を浮かべる私を一人見付けてからだ。
・微笑む私と無数にいる真顔の私、私は友人にそうする様に無数の鏡像とともに彼に手を振る。
・恐怖を浮かべる私は、悲鳴をあげて鏡を拳で割る、手からは出血と床には血痕と散らばる無数の鏡片。
・散らばる鏡片に映る、全てが私である、私たち全員が彼に微笑み続ける、悲鳴はやがて、乾いた笑い声となり、そして私たち全員は微笑む。
・私は私である、その私も私だ、私は無数に存在する鏡面の私を喰らう、一枚を除いて全ての鏡面は砕け散り、私は私を取り戻す。
・塗り込めた壁の内側のような静けさ、唯一人となった私は、ようやく鏡から身を乗り出す、本当の私に会いにいく為である。
#自由詩 20250428
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No.2096 - 2025/04/28(Mon) 19:00:26
| ☆ Re: 『解放された私、或いは鏡に住む私の顛末』 / 荻座利守 | | | どこか哲学的で意味深長な感じのする詩ですね。 無数の鏡片に映った私というところから、解離性人格障害を思い浮かべました。 恐怖から自分の映った鏡を叩き割るというのは、何か自己防衛機能の一つのようにも思えますが、しかし、無数の私を喰らうことで、私を取り戻すというところに、自己の強さをも感じます。 自己の統合の喪失は、決して特別なことではなく、私たちは実は、その危険性と常に隣り合わせでいる、というメッセージが込められているようにも受け取れました。
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No.2098 - 2025/04/28(Mon) 20:21:45 |
| ☆ Re: 『解放された私、或いは鏡に住む私の顛末』 / aristotles200  | | | 荻座利守様。 評と感想、ありがとうございます。 ご指摘の通り、不安、喪失、破壊をテーマに詩を書きました。 根底には、何か、自分でもよく理解していない怒りがあります。 内容的には自己の乖離性と統合を、鏡という道具で表現してました。 詩は、つどXでポストし、ブログで公開していますが、自己流以外の何ものでもありません。 初めて、詩人の方に評と感想をいただき、やや興奮しています。 本当にありがとうございます。
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No.2099 - 2025/04/28(Mon) 21:12:24 |
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